月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
なお、
イングランド? あれは聖像の投機で儲けるクソッタレさ。
12話 裏タイトル 【理想の夫婦(リバース)】
12話 天使と悪魔と
エストさんの従者になって、2週間近くの時間が過ぎた。
引越しするまでは、僕は桜屋敷からの通いで9:00~17:00の時間帯はエストさんの部屋で生活を共にする形をとり、主に服飾の勉強をする日々を過ごしていた。
彼女は確かに才能ある人で、辛口の衣遠伯父様からして「まだまだ原石だが、確かな才能」と評されるだけはある。
けれど、確かに彼女の私生活はだらしのないものだったことも事実だった。まだ通いだったある日、預かっている鍵を使って彼女の部屋に入ると、ベッドルームでほぼ全裸のままの彼女に遭遇したのだから、僕の驚きも分かってほしい。
~その時の様子~
「あ、あの、お嬢様? いくら暖房を入れているとは言え、今は1月末です。そのままの格好では風邪を引きます」
「んぅ、えぇふ……」
まだ完全に夢の中にいるらしい。けれど、どうしようか、従者の勤めとして主人の覚醒を促さないといけない。メイド教室で九千代先生もそう言っていた。でも、どうやって起こそう。
たしかエストさんは、実家では妹さんに叩いて起こしてもらっていたとか。でも僕にそんな真似はできないし。うーん、困った。
【いやいや、本人も叩いて起こしてもらう気だったのだから、遠慮なく叩いて起こしてしまえ。こんな時間まで惰眠を貪る方が悪いんだ】
ああ、僕の中の悪魔(?)が囁いてくる。
【いいえ、いけません。暴力は断固反対です。ここは辛抱強くやさしく起こしてあげるべきだと思います。とことんやる気マンゴスチンでやるのです、それがメイドです】
今度は僕の中の天使(?)が反論している。
【なんだ君、私に反対するのか。素直で可愛い私の天使はどこに行ってしまったんだ。とても悲しいぞ、気分が悪い】
【お許し下さい悪魔様。ですが、やはり従者が主人を叩くなど、してはいけないことです】
【私が命じても、君は私を叩けないか】
【はい、例え悪魔様の命令であっても、私には出来ません】
【ふん、命令に逆らう悪い従者には罰を与えないといけないが、君の誠意は大変に気分がいい。その健気な心に免じて、今回は君の言うように非暴力で行こうじゃないか】
【ありがとうございます、お優しい悪魔様】
………どうやら僕の中の天使と悪魔の戦いは、天使が勝ったようだ。勝ったようだけど、なんで僕の中の天使と悪魔はどこかで会ったような性格をしていたんだろう。まるでどこかから電波を受信したようだ。もしかしたら地球上のどこかでこんなやり取りをしている人達がいるのかもしれない。
まあ、そこは考えないほうが良いと、本能が告げているのでスルーしよう。
天使の忠告通りに頑張って起床の言葉をかけ続け、時には身体を揺すって見たりしながら30分かけてエストさんを起こすことに成功した。
その後もしばらくはぼぉっとした表情だったエストさんも、さらに30分後には頭の廻りもはっきりしたのか、バツが悪そうな表情で僕に謝る。
「中々起きられなくてゴメンね。でも、叩いて起こして良いって言ったのに」
「はい、そう申されましたことを憶えています。こちらこそ言いつけを守れずに申し訳ありません」
主人が良いと言ったことを実行できなかったのは僕だ。だから彼女が謝るのは筋違い。
「……ううん、貴女は悪くないよ。うん、これからは私も頑張って起きるから、よろしくね」
「ありがとう、ございます。至らぬ従者で、重ねて申し訳ありません」
「落ち込まないで、こんな寝起きが悪い私の方もよくないもの。むしろ直すいい機会だと思うから」
うう、また気を遣われてしまった。でも僕にエストさんを叩くことは、今後も出来そうにないので、優しいご主人様に甘えよう。
これがお母様ならもっと厳しい言葉をかけられていたと思う。心根は優しいお母様だけど、こういうところはきっちりされる方だから。お父様や壱与みたいなメイドへの道は遠い。
いつまでも落ち込んでいられないので気持ちを切り替えよう。エストさんの寝起きとは別に気になることが一つあったので、それを尋ねてみる。
「ところでお嬢様、お身体の具合は大丈夫ですか?」
「え? どういうこと?」
「いえ、私が起こしに来た際には、寝具が剥がれている状態でしたので。ベッドの周囲にネグリジェなどの衣類は見当たらなかったので、就寝中ずっと下着姿だったのですよね? 体調などを崩されていないか、心配で」
「あ、あ~、うん、それも大丈夫、私にとってはいつものことだから。……むしろいつもより下着付けているだけ厚着というか」
最後の方は小声で聞こえなかったけど、これがいつもの彼女のライフスタイルなら、大丈夫、なのかな?
でも、どうしても自分基準で考えてしまうので、心配になる。僕がこんな状態なら、確実に体調を崩すだろうから。
「そうですか…… それなら、良いのですが……」
「うん……」
他人の体調の心配を出来るような身ではないけど、従者の立場としても、僕個人の心情としても、なるべく暖かい、風邪をひかないような服装で眠って欲しい。
でもこれは僕の我が儘だから、口に出すわけにはいかない。
「……………」
「……………」
いけない、僕が憂い顔してるせいで、雰囲気が悪くなっている、朝らしい爽やかな雰囲気にするために何か話さないと。
と思っていたら、エストさんの方から話を振ってくれた。
「貴女のオススメのパジャマはあるかな?」
「え、あ、はい! あります! え、と、お嬢様は、パジャマとネグリジェ、どちらがお好みですか?」
「どっちでも、貴女のセンスで選んでほしいな。それで私を着飾ってみせなさい」
「はい、分かりました」
そうか、これもメイド、とくにレディースメイドの務めなのだ。エストさんはきっと、このために今日わざわざ下着姿で眠ってくれていたのか。つくづく至らぬ従者でごめんなさい。
「あんな顔されたら、もう全裸で眠ることなんて出来そうにない………というかやっぱり全裸はないよね、あの子の主人としての威厳が…Oh F○ck…」
ん、エストさんがなにか言っているようだけど、独り言のようなので関係ないかな。とりあえず何か暖かい飲み物を淹れて温まってもらおう。
その後も、様々なことがあった。特に驚いたのが、本当に僕の引越しの際に、エストさんが様子を見に来てくれたこと。
「お嬢様!? わざわざ来てくださったのですか?」
「うん、貴女の部屋を見ておきたかったの。邪魔ならすぐに帰るよ」
「いえ…… 折角ですし、私の元同僚や、桜小路のお嬢様を紹介いたしますね」
「ああ、来てるんだ。というか、私が言うのもなんだけど、元使用人の引越しにわざわざ来るなんて、優しい人なんだね、桜小路のお嬢様は」
「はい、とても素晴らしい人です」
僕の自慢の妹です。九千代も僕にとっては自慢の2人目の妹です。2人とも僕よりしっかり者です。
そして実際の対面。
「初めまして、アーノッツ様。桜小路アトレと申します」
「その付き人の、山吹九千代と申します」
「エスト・ギャラッハ・アーノッツです。これからどうぞよろしくお願いします」
「朝陽は、NYのわたしの家にいた頃から、姉妹同然に育った間柄ですので、勉学のためとは言え、他家に行ってしまうのは寂しいですね。アーノッツさま、どうぞ朝陽をよろしくお願いいたします」
「わたしにとっても、朝陽さんは大切な同僚であり友人だったので、お嬢様と同じ気持ちです。それと、今でもわたしにとって朝陽さんは大事な人です」
「こんな可愛らしい人たちに大事に思われてるなんて、小倉さんも愛されてるねウフフ」
「いえ、お恥ずかしい限りです。アトレお嬢様も九千代さんも、そんな娘を嫁にやる親のようなことを仰らないでください」
「わたしたちとしては、そんな気持ちなのです。ああ、大事な朝陽を他家に出す、いずれこんな日が来るとはわかっていても、辛いものがありますもの」
「アトレお嬢様、流石にエストお嬢様の前で恥ずかしいので、お止めください」
「ふふ、分かりました。けれども、アーノッツさんも気軽にわたしの部屋に遊びに来てくださいね。出来ればその際に朝陽を連れてきて下されば嬉しいです」
「はい、桜小路さんも、いつでも私の部屋に遊びに来てください」
「その時は、九千代お手製のお菓子をもってお邪魔します」
「是非お願いします」
そんなこんなで、みんなへの僕の主人のお目通しは無事に終わった。エストさんは九千代が作ってくれたスイーツにすっかり心を奪われたようなので、今後も彼女へのおやつは九千代に作ってもらおう。
また、僕が事情が有ってエストさんに呼ばれた時に行けない場合は、代わりに九千代が行くことも了承してもらえた。僕は定期的に病院の診察を受けるよう伯父様に厳命されているので、そうした場合を九千代に頼みたかったから、ちょうど良く紹介できてよかった。
九千代のスイーツに魅了されたこともあり、エストさんは2つ返事で了承してくれた。やはり女性は甘いものに弱いらしい。
アトレと九千代、その後マンション内の施設を回った際にコンシェルジュの壱与の紹介は無事終わったが、ルミねえを紹介する際には、想定していなかった一幕が起こってしまった。
「大蔵ルミネです」
「アイルランドから来ました。エスト・ギャラッハ・アーノッツです。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。日本語お上手ですね」
「はい、頑張って練習しました」
「そうですか。素晴らしいですね」
「いえ」
「…………」
「…………」
セリフのやり取りとしては問題ないけれど、笑顔で接しようとするエストさんに対し、ルミねえは終始真顔のまま。
いやルミねえ? そんな第一印象じゃ、人間関係大変だよ? まさかいつもそうなの?
流石に放置する訳にもいかないので、間を取りもつことにする。
「あの、ルミネお嬢様。先程から表情が動いていらっしゃらないようですが、もしかしてどこか体調が?」
決して普段からこうじゃないんですよ、ということをエストさんにアピールしつつ、その仏頂面の原因を尋ねる。
「ううん、どこも悪くないし、アーノッツさんのことも素敵な方だと思っているよ」
「あ、ありがとうございます」
ほら、エストさんが恐縮してるじゃないか。だってルミねえは大蔵家の総裁の娘なんだから、アイルランドの貴族とは言え実家の経済状態はあまりよろしくないエストさんからすれば、機嫌を損ねたくない相手なのは間違いない。そしてそれを分からないルミねえではないはずなんだけど。
「もしかして、私の実家のことでご不快な思いを……?」
やっぱりエストさんは気にしていた。伯父様の話だと、アーノッツ家はそうした黒い噂もある家なので、それを不快に思われたと気にしている様子だ。
「ううん、そんなことを言ったら、私の家は表に出さないだけで、もっとえぐい事をしていますよ。だから、私が今こんな状態なのは、その子が原因です」
「え、小倉さんが?」
え、僕ルミねえの機嫌を損ねるような事したっけ。覚えがないんだけど。
「ルミネお嬢様、私はなにかお気に障ることをしてしまったでしょうか」
「ううん、主人として常に貴女を側に侍らせることが出来るアーノッツさんが羨ましいだけ」
なんだろう、僕の聞き違いかな。
「ええ……と。大蔵さんと小倉さんの関係をお聞きしても?」
エストさんだって困惑の表情だ。それはそうだよ。大蔵のお嬢様の口から、こんな言葉が飛んでくるなんて、どうやったら予想できるの。
「私とその子は、姉妹同然の間柄です。その子は昔『将来はルミネお嬢様のお嫁さんになります』って言ってくれたくらいの仲になります」
「そうなんですか!?」
そうだったの!? 記憶にないよ!?
「それは流石に冗談ですけど、妹のように可愛がっている存在です。この子の可愛らしさは、貴女も分かるでしょう?」
いや、いきなりそんなこと言われても、エストさんだって返答に困るよ。あと表情一つ動かさないで過去を捏造するのやめて。
「はい、それは分かります」
分かるの!? え、どういうこと、気づけば2人でうんうんと頷き合ってる。2人が親しくなったのは嬉しいけど、過程が想定外だよ。
「私のことは、名前で呼んでください、私も貴女のことをエストさんと呼ばせてもらいます。同じ美的価値観を持ち、同じ対象を愛でる者同士、私たちは仲良くなれると思いますから、エストさん」
「はい、よろしくお願いします、ルミネさん」
………まあ、仲良くなったのなら、それに越したことはない。予想とはかなり斜め向こうの展開だったけど、僕の主人にルミねえが好意を持ってくれてよかった。
2月に入って僕が越してきたあとは、朝にエストさんを起こした後と、夜エストさんが入浴した後に彼女の髪を手入れするのが僕の日課になっていた。
「お嬢様の髪は、本当にいつもお綺麗ですね」
「そう? そう言われると、本当のこととは言え嬉しくなるねウフフ」
だけど、残念ながらあまり僕のやりがいがない髪でもある。どういう魔法か、あまり規則正しいとは言えない生活をしている上、美容にことさら気を使っているわけでもないエストさんの肌も髪も、常に健康優良児状態。
一方で僕の髪は、綺麗に保っておくのはそれなりに技術がいる。なので僕の髪くらいやりがいがある髪の方が、好みなわけだけど。
例えばいつぞやの渋谷で出会ったあの人。あの人の髪、手入れしたかったな。
「ですが、あまり綺麗だと、私のやることが少ないので残念です」
「私はとても気持ちよくてありがたいけれど、本当に小倉さんは髪の手入れが好きだね。まるで服飾科じゃなくて美容科の生徒みたい」
「私の趣味のようなものですから。あくまで趣味なので、将来の仕事にしたいわけではありません」
「お母さんの髪をよく手入れしていたんだっけ」
「母の髪も綺麗でしたが、お嬢様ほどではありません。でも、私は母の髪が大好きです」
「お母さん想いの小倉さんは、いい子だね」
ちなみに、エストさんがいうところの「お母さん」は、即ち僕のお父様のこと。こうなった経緯は、初めてエストさんに料理を振舞った日に遡る。
~回想~
「どうぞ、お口に合えば良いのですが」
朝、壱与先生直伝の料理をエストさんに振舞う。メニューはビーンズにカリカリに焼いたベーコンとソーセージ、目玉焼きに焼マッシュルーム。さらにベークドビーンズとハッシュドポテト。
エストさんはアイルランドの貴族だけれど、住まいはロンドン。メニューの方はアイリッシュ・ブレックガファストのラインナップにしたけど、量の方はイギリス風に朝食を多く作っておいた。けれど、本当にこの量を食べれるものだろうか? たぶん僕の食事量の一日分より多い気がする。
「とてもおいしかった。それで悪いのだけれど、おかわりある?」
そんな不安を持っていた時期が僕にもありました。僕の主人は大変な健啖家で、作ってきた分をぺろりと平らげてしまった。どうしよう。
「申し訳ありません。次からはもっと多く作ってまいります」
「ううん、気にしないで。もともと私の方が量の指定をしなかったのが悪いの。貴女が謝ることじゃないよ」
そう言ってもらえると有難い。ううむ、実際今腹何分目くらいなんだろう。イギリスの食事習慣としては朝食を最も多く摂るとのことだから、自分ではかなり多めに作ってきたつもりだったので、そこは知りたい。
「それでは、どのくらいの量が宜しいでしょうか」
「そうだね…… ざっと2倍…… いや満腹状態はあまり良くないから、1.5倍にくらいしておこうかな」
冗談でしょう。
え? これの2倍入るの? その細い体の一体どこに? もしかして僕の主人は魔法使いなのだろうか。そういえばイギリスが舞台での魔法使いや魔女の有名小説とか映画があったけど、まさか本物ですか。
「ええと、お嬢様がそれでよろしければお作りしますが、本当に食べ切れますか?」
一応確認。僕の料理を美味しいと言ってくれたリップサービスかも知れないし、というかそうであってほしい。
「もちろん、小倉さんの料理は美味しいから、このくらい全然平気」
僕の料理を褒めてくれたのには違いなけれど、食べる量の違いもなさそうだ。すごいな人体。
「はぁ…… 承知しました。でも、無理なら仰ってくださいね。すぐに調節しますので」
「大丈夫大丈夫。ちなみに小倉さんは、料理はお母さんから教わったの?」
本格的に教えてもらったのは、ここ2ヶ月のメイド修行での壱与先生からだけど、それ以前でもNYの屋敷でお父様と一緒に作ったことは何度もあった。今日のメニューも、英国紳士を自認するお父様から教わったものだ。見た目は英国淑女のお父様だけれど。
ちなみにお母様は滅多に料理をしない。滅多に……というより全くと言ったほうがいいかもしれない。数少ないお母様の料理を食べたのは、家族以外では八千代くらいかな。腕前の方は、人には向き不向きがある、とだけ。
なので、エストさんの問いに答えるにはNoとなるが、あまり事実をそのままいうのも躊躇われた。この先エストさんはアトレとも交流をするだろうし、その際に両親や家族の話題なったとき、僕の情報と被ってしまう。それで気づかれるとは思わないけど、念のために一部事実を変えておこう。
「はい、私の母もお屋敷の使用人で、特に料理が得意なのです」
僕はお父様とお母様を逆転することにした。これなら、アトレの話す「桜小路夫婦」と僕の話す「小倉朝陽の両親」が被ることにはならないので、気づかれることはないはず。
「へえ、それはとても小倉さんのお母さんらしいね。どんなひとなの」
「身内自慢になってしまいますが、とても優しい人です。どんな時でも私を気にかけてくれていて、幼い日はいつも寝る前に子守唄や寝物語を聞かせてくれました」
「わぁ、素敵なお母さんだね」
「はい、この世で誰よりも自慢の母です」
僕がこの世で誰よりもお父様を自慢したい気持ちなのは嘘じゃない。
「ちなみに、お父さんはどんな人?」
「父ですか…… 自分の仕事に誇りを持っており、一切の妥協をされない人です。性格は少々不器用な点はありますが、私たち家族を想う気持ちは常に伝わってきていました」
「立派なお父さんだね」
「はい、そんな家族のために、そして自身の目指す理想のために働く父を、母は常に寄り添い支えておりました。私の自慢の両親です」
「うん、聞いていてとても素敵な御夫婦だもの。仕事に熱心で誇り高い夫と、家族想いで優しくて料理が上手な妻かぁ。すごい、こんな画に書いたような素敵な夫婦っているんだね。ちょっと羨ましいくらい」
うん、本当に自慢の両親です。自慢の両親なんですけど、男女を逆にすると、本当にエストさんの言うように、完全無欠の理想の夫婦像になりましたね。正直自分でも驚いてます。
「なるほどなるほど、だから小倉さんの料理はこんなにおいしいのかぁ」
いえ、確かにお父様と一緒に料理をしていましたが、本格的に学んだのはつい最近です。なんだか騙すようになってしまい申し訳ありません。
「でも、今日は私だけ食べてしまう形になったけど、明日からは同じ食卓で食べてほしいな」
「ですが、使用人と主人が食卓を共にするなど」
「いいの。他でもない主人の私がいいと言っているのだから」
「分かりました。お供させていただきます」
お供というのも変かもしれないが、他に表現が見つからなかった。
ちなみに、翌日から食事を共にすることになったのだけど、僕の食事量を見て、「今日からいっしょに食べようと言ったじゃない」と少し不機嫌になったエストさん。
その後、僕の普段の食事量がこれくらいだと知ったエストさんは、「嘘? だって私の1/5も食べてないよ!?」と驚いていた。いや、確かに僕は食が細いけど、それ以上に貴女が健啖なのだと思いますよ。
~回想終了~
そんなこんなで、僕は基本エストさんに家族のことを話すとき、両親を逆転させている。そしてそれに全く違和感がない。
違和感が無いことに違和感を覚えないでもないが、問題ないからこれでいい。あと兄妹はいない設定にした。ごめんねアトレ。流石に妹のことを話すと、アトレと性格や容姿が同じだと分かりそうなので。
「ご実家にいた頃は、髪の手入れはどうされていたのですか?」
「大抵は自分でやるか、たまに妹にやってもらうくらいだったかな? 私だって自分の世話くらいはできるよ」
「そう言われると、私の存在意義がなくなってしまって、困ってしまいますね」
「あ、違う違うそういう意味じゃないよ。小倉さんがいることですごく助かってるし、貴女とデザインの勉強をするのは、とても楽しいもの」
「ありがとうございます。私も、貴女と共に学べることに喜びを感じています」
これは嘘ではない。嘘ではない……けど、やはり本来の僕の、『Diana』としてのデザインをまだ彼女に見せていないので、心苦しさは抜けきれない。
また困ったことに、身内以外で近しい人が出来たことにより、色々と自分と比較してしまって、心に暗いものが生まれてしまう。だがそれこそが『Diana』のデザインの原動力。
健啖なエストさん。健康的なエストさん。特に努力もせずに体型を維持できるエストさん。
羨ましい。
エストさんの従者になってからも、『Diana』としてのデザインは止まることなく溢れている
僕は、これまでお父様が用意してくださった愛情の箱庭にいた。そこでさえ、『Diana』はデザインを生み出していたのだ、そこから出た今、これはある種の当然なのかもしれない。
とはいえ、やや『Diana』としてのデザイン枚数が減っているような感覚もある。まだ誤差の範囲だろうけど。これは、何かの兆しだろうか。
「小倉さん? なにか悩みがあるの?」
「え…… いえ、そういうわけでは」
「なにか深刻そうな顔をしていたから」
「あ、いえ、お嬢様とデザインの勉強はとても楽しいのですけれど、自分としてはあまり進歩してないと感じるもので」
『Diana』のデザインはこれまで通りに描けている、でも、表向きのデザインの改善ははかばかしく進んでいない。これはエストさんに責任があるわけではないので、口に出すことではなかったけれど、とっさの言い訳として言ってしまった。
「そっか…… まあ、そういうこともあるよね」
やはり僕の言い方が悪かったのか、エストさんの表情も曇る。
「いえ、決してお嬢様との勉強が悪いとか、そういうことでは無くてですね。あの、その、なんと申しますか、あくまで私個人の問題と言いましょうか」
対人経験が足りないので、こういう時どうしてもしどろもどろになってしまう。うう、壱与やお父様のような完璧なメイドには程遠くて情けない。
「フフフ、分かってるよ。私の方こそ、気落ちしたように見えたなら、それは私の個人的な問題だから、気にしないで」
そんな僕の慌てふためく様子を見て、エストさんの表情は明るいものに戻ってくれた。よかった。
「それにしても、慌ててる小倉さんは本当に可愛いね。ルミネさんがああなる気持ちがよく分かるよ」
「そ、そうなのですね」
正直、自分を見る事は出来ないので、可愛いと言われてもピンと来ない。まあでも特に害になるわけでもないし、気にしない方がいいかな。
「でも、私との勉強時間を楽しんでくれているようでよかった。もし何か改善点があったら言ってね」
「あ、はい。ただ今のお嬢様のお言葉は、勉強という行為及び環境についての改善点はないか、ということですよね」
「うん、そのつもりで言ったけど、なにか他に言いたいことがあるの? 折角だからこの場で言って」
「はい…… では遠慮なく申しますが、どうしてお嬢様は定期的におかしなデザインを描かれるのですか? もしかして良いデザインを描くための、お嬢様なりのルーティーンでしょうか」
「うぐ」
アイデアをだすキッカケになることは、ひとそれぞれ。だからもしかしたらアレもそういうことなのかなと思っているけど、機会が訪れたので本人に聞いてみることに。
芸術家の中には作品を生み出すためにお酒を飲んだり、タバコを吹かしたりする人もいるし、中にはヨガをしないとアイデアが浮かばないという人もいるとか。
「繊細で流麗なデザインの中に、希に野太い男性の金切り声が如きデザインがあるので、気になっていました」
「あ、あれは、ね、新しい自分の可能性を模索する実験というかなんというか」
「それにしては、あまりにもな出来です。お嬢様、アイデアを生み出すルーティーンや儀式や人さまざまです。本当のことを言われても、私は別に貴女を変に思ったりはしません」
「親切な言葉が人を傷つけることもあるんだねウフフ」
「あの、お嬢様?」
「いいの。とりあえずアレについては気にしない方向でお願い」
「はぁ、お嬢様がそうおっしゃられるなら」
なにやら要領を得ないが、どうもエストさんは今の段階ではアレがなんのかを話してくれる気はないらしい。まあ、僕だっていろいろ隠しているし、ここで言及できる立場じゃない。
「そのうち話すよ。でも今はまだもうちょっと待ってね」
それだけで有難いです。こちらは正直話せる日が来るかも分からないので。
また、ある日は、エストさんは僕の格好に驚いていた。
「小倉さん、その格好は?」
「桜小路の屋敷で(お父様が)着ていたメイド服、それをアレンジしたものです。今後はこれを仕事着として着用することをお許しいただけますでしょうか」
以前から計画していたことだけど、壱与先生の仰ることには、いくら服装指定はないとはいえ、一度契約した従者が断りなく仕事着を変えるのは礼儀に悖るとのこと。なのでエストさんの許可をもらうため、実際に着て裁可を仰ごう。
「ふーん…… どうしてそれを着ようと思ったの?」
「一つには、やはりロンドンに実家がある貴族の方の従者として、相応しい姿をすべきだというものです」
「私のことを考えていてくれたの、可愛い従者」
「もう一つには、学院が始まった際に、私は制服を着ることが出来ないからです」
「それは、肌の理由で?」
「はい、冬服はともかく、夏服は半袖指定です。スカートは黒いタイツを履くことで防げますが、流石に夏服の上半身までインナーを着るのは、服飾教室に通うものとして、センスがありません。そのような従者をそばに置くお嬢様の名誉も傷が付きます」
メイド服も夏用を作る予定。通気性の良い軽い素材で、肌が蒸れないように。
「私の名誉云々はともかく、貴女の肌は大事だね。私はぜんぜん構わないよ。その服装似合って……あれ?」
「お気づきになりましたか」
「そのカチューシャとスカーフに使っている生地は、アイリッシュリネン?」
「はい、これは私の存在証明として示すためにこの生地を用いました」
一つは、もちろんアイルランドの貴族である貴女に仕える従者であることを示すため。もう一つは、僕もまたアイルランドの血を引く人間であるということ。
「かの国をまだこの目で見たことはありませんが、貴女と暮らしていると、どうしても祖母の国を思わずにはいられないのです」
「………」
エストさんは、真剣な顔でこちらを見る。差し出がましい物言いだっただろうか。だが、理由もわからず謝罪するのはより失礼だと壱与・九千代両先生に教わったので、ここは黙ってエストさんの反応を待とう。
「貴女は、本当に可愛らしい、いじらしい人」
褒められているのは分かるけど、未だどう反応するのが正解か分からない。でもお礼を言うべきだということは分かる。
「ありがとうございます。そう言っていただけると…… 嬉しいです?」
「なんで最後疑問形になったの?」
いや、すでに嘘を貴女にいろいろとついているので、自分の気持ちを偽るのはどうかと思いまして。
「正直に申しますと、可愛いと言われた場合にどう返答すれば良いのか、未だ戸惑っておりまして」
お父様からはたくさん言われたけど、肉親から言われるのと他人から言われるのは全然違う。そういった意味ではルミねえに言われるのもある程度耐性が付いている。けれど、エストさんは主人とはいえ他家の人。
「え、嘘。今まで言われてきたことなかったの?」
「お母様(お父様)や年配の方にはよく言われていましたが、それ以外の、特に同年代の方には」
「でも、ルミネさんは会うたびに10回くらい可愛いって言ってるよ」
「ルミネお嬢様の場合は、なにかもう口癖のように思えてきていまして」
「まあ、あれだけ言われればそうなるのも分かるね」
本当は親族だからという方が大きいが、友人になってまだ日も浅いエストさんに、すでに僕に「可愛い」というのが口癖だって認識されるの、ある意味すごいよルミねえ。
「でも貴女が可愛いのは事実だから、そのまま受け取ればいいと思うよ」
ルミねえがインフルエンサーにでもなってるのか、僕を可愛いと認識する人が多くなってる気がする。最近壱与もよく言うようになってきた。
おかしいな、僕はお母様そっくりなんだから、綺麗と表現されるのが妥当じゃないだろうか。いや、自画自賛気味でどうかと思わないでもないが、お母様がお綺麗なのは確かだし。なぞだ。
「それで、この服装で仕事をすることを、許していただけますでしょうか」
「あ、まだ返事していなかったね。もちろんいいよ。でも言われてみれば、コンシエルジュの八十島さんも、桜小路の九千代さんも、同じデザインの服装をしていたね」
「八十島さんは、大蔵衣遠さまが声を掛けられる前までは、日本の桜小路の屋敷を管理するメイド長でしたし、九千代さんは現役の桜小路家の使用人です。あれは元々は九千代さんの伯母にあたる、今も桜小路ルナ様のメイド長をされている方がデザインし、定着したものだと聞いています」
「わ、流石桜小路ルナのメイドさん、自分でデザインもするんだ。すごいね。でも、貴女の服のデザインと、彼女たちの服は少し違うみたい」
「私も少々迷いましたが、やはりロンドンに実家があるお嬢様に仕えるものとして、エプロンのデザインをヴィクトリア式にシンプルなものに変えました。やはり九千代さんたちが来ている服は、あくまで桜小路家に仕えるものとしての礼装ですので、私が着るわけにはいかないのです」
「嬉しいな。貴女のそれは、私に仕えるための礼装ということだね」
「はい、むろん自分自身の肌のこともありますが……」
「ふふ、なんだか貴女を見せびらかしたくなって来ちゃった。多くの人に、こんなに可愛らしい人が私の従者だって、自慢したい気持ち」
「お、お嬢様が望まれるならば、もちろんお供いたします」
「ダメだよ。まだ日が高いもの。でも、貴女がそう言ってくれるのなら、お言葉に甘えて地下街でデートしようか」
その前に、アトレにもお披露目するため、最近妹がよくいる屋上庭園に趣いてメイド服姿を見せた。
「思った以上に可愛らしいですね……」
というのが妹の反応だったけど、とうとう実妹にも言われてしまった。ルミねえの影響力がここまで…、なんだろう、メイド服には着る人をそう見せる魔力があるのかな。カチューシャが原因?
そういえば、日本にはメイド喫茶という娯楽があるとか聞いたことがある。そのせいでメイド=可愛らしいものというのが共通認識としてすり込まれているとか? あ、でもエストさんはアイルランド人だから当てはまらないか。
いろいろと腑に落ちないものを感じつつも、日が落ちた後、僕は主人のお供として地下街に向かうのだった。
その頃の桜小路家
「壱与から面白いメールが来た」
「どのようなものですか? あとそろそろいい加減に朝日はやめたいのですがルナ様」
「あと2日、いや3日、それで最後だ、頼む」
「3日目前にも同じことを言われたような気がします……」
「大丈夫だ。あと4日後には瑞穂が来る。どうやら湊がよけいな気を利かせて、今の君の写真を瑞穂に送ってしまったようなのだ。そうしたら4日後に来るという連絡が来てたな」
「え゛ いえ、流石にこの年のメイド服を瑞穂様に見られるのは……というか湊さんに見られていた時点で相当恥ずかしいです」
「ああ、君の危惧も分かる。年齢を重ねて少女時代の清純さはどこへやら、腹黒京都人としてのレベルが上がってしまったあの瑞穂だ、もはや皿を与えるだけでは大人しく帰ってはくれないだろう」
「いえ、なんですか皿を与えるって。その件、初耳なんですが」
「気にするな。だから3日後には止めていいと言ったんだ。流石に目当ての朝日が居ないと分かれば大人しく帰ってくれるだろう」
「騙してしまったようで悪い気もしますので、遊星として精一杯おもてなししたいと思います」
「うむうむ、そうだな。それで壱与のメールの件だが、ある意味今の話題の延長線上だ。もしアトレがメイド服を来たら、君そっくりになるだろうか、ということが書かれていた」
「ご息女様が、ですか?」
「ああ、確かにあの子の見た目は君によく似ているが、内面はやはり別の人間だ。朝日と同じような雰囲気を出すことはできないだろう。アトレには、アトレに似合う装いがあるからな」
「仰る通りですね。ご息女様はやはり『人を使う』ことに慣れたお方ですので、『仕える者』としての衣装であるメイド服を着こなすのは、中々難しいでしょう」
「コスプレとしてだけなら、誰にも負けないくらいに可愛いと思うぞ。まあ親バカだが」
「そんなことはございません。間違いなく誰よりも可愛らしいです」
「ふふ、君でも流石に娘についてはムキになるか。いやしかしそうだな、メイド服は、アトレは本当の意味で着こなせないが、案外才華には似合うかもな」
「お子息様が、ですか?」
「あの子は、人を使うことをしてこなかった。他人からはそう見えても、あの子の自意識のなかでは『人に頼る』だっただろうから、アトレのような人の上にいることが当然という意識はないだろう」
「…………そうですね」
「いや、暗い顔をしないでくれ。今のは私の言い方も悪かった。ようは、あの子は君のようにとてもメイド服が似合う可能性が高いというだけさ」
「複雑です」
「メイド服は、着る人間の健気さを増幅させる。着こなせる者であればあるほどな。才華がメイド服を着れば、君のように周囲に人間をメロメロにしてしまうかもしれんぞ?」
「流石にそのようなことは…… おや? どなたかお客様のようですね」
「む? 突然誰だろう。そんな予定はなかったように思うが」
京都人「来ちゃった」