月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
単純思考さま、誤字報告ありがとうございました!
14話 裏タイトル 【死んでもいいわけないだろ】
2月半ば、僕とエストさんは今日も65階の部屋で服飾の勉強をしていた。僕としても、多少は表向きのデザインの向上を計りたいところ。
エストさんとデザインを見せ合う内に、一定の成果は上がっている。手前味噌になるが、技術的な分ではもう改良するべきところは無い。あとは何を主題に置くかということ。
これまでは、『桜小路ルナの亜流』としてデザインを念頭に置いてきた。だが、これからはそうはいかない。それがエストさんとデザインを描いているうちに、ぼんやりと見えてきた。
だがそれも、やはり『
だけど、昨日からはデザインだけではなく、縫製の方も頑張っている。作りたいものがあったからだけど、今日がその期日になる。
「お嬢様、本日は何の日か覚えていますか」
「たしかSt・バレンタインの日だよね。それがどうかしたの」
「はい、ですのでこれを」
ラッピングした小さな箱をエストさんに渡す。この包装自体はごく普通の市販品だけど、中身はもちろん手作り品。
「わぁ、ありがとう朝陽、中身はなにかな? 見た限りお菓子の類じゃなさそうだけど」
一丸さんたちと出会ったあの日以来、エストさんの僕への呼称が『小倉さん』から『朝陽』に変わった。そのきっかけはわからないけど、親密度が上がってとても嬉しい。
「今日は男性から女性へ花などを贈ることが多い日ですが、かの国では、パートナーにプレゼントを渡す風習もあると聞いています」
誰から聞いたかは忘れちゃったけど、たしかそうだったはず。
「そうだね、といっても、私はロンドンやNYにいる期間の方が長かったけど」
「ああ、それではやはり花束の方が良かったでしょうか?」
「花は食べれないからいいの」
そこはもっと乙女になって欲しいところではある。外見はこれ以上ないほどの乙女なのに。
「NYやロンドンの頃は、やはりよく男性から贈り物を貰ったりされていたのでしょうか」
「ううん、私は姉妹の中でも目立つほうじゃなかったから、男の人たちはお姉ちゃんの方に群がってたね。それと、NYの頃は、女性しかいないクラスだったの」
へぇ、姉妹が多いとは聞いていたけど、エストさん以上の美人さんがいるのか、凄いな。それとも身内の欲目かも知れない。そのお姉さんは、もしかして妹に良からぬ輩が近づかないようにしていた可能性もある。なぜか僕に対してそうするルミねえのように。
友人関係については、先日出会った一丸さんたちが、初めての友人と呼べる僕には、なにかを言える分野じゃない。性格が合わない人がいれば、そういうこともあるんだろう。
「なるほど。ですが、今日この部屋にはアイルランド人と、日本人の混血しかいませんので、アイルランド式でいきましょう」
「このフロアが小さなアイルランドということだね。ついに我が国にも植民地がククク」
あれ、笑い方がいつものウフフじゃなく、なんか怖い笑い方になってる。でも伯父様みたいだから親しみも感じます。
「冗談はともかく、私のことをパートナーとして言ってくれる、貴女の気持ちはとても嬉しい」
「従者の立場でありながら、主人をパートナーというのは分際を弁えない物言いですが、そう言ってくださって私も嬉しいです」
「我が国の植民地はとても穏やかだねウフフ」
小さなアイルランドに笑顔があふれる。本当に、いま世界一平和な国はここだと思う。
「今この65階のフロアは2人だけの愛の国なのですね」
「え… 愛の国ってどういう意味…?」
「? アイルランドは日本語では『愛蘭土』と漢字を当てており、略される場合では『愛国』とされるのでそう申しましたが……」
エストさんが虚を突かれたような表情になっている。
でも、確かに今の言い方はちょっと勘違いさせるような言い方だったのかな? ああ、自分の対人スキルの低さがこういうところでも。
「あの、申し訳ありません。表現を間違えたようです」
「ううん。だいじょぶだいじょぶ、朝陽は悪くないよ。なんというかちょっと私の自意識が過剰だっただけで。うん、この子はこういう子だよね」
それでもこの場合は僕が悪いと思うけど、主人であるエストさんが良いよと言ってくれているのに謝る方が良くないと思うので、これ以上の謝罪は控えよう。帰ったらまた壱与先生にメイド講義の補習を受けよう。
「気を取り直して、開けていい?」
「どうぞ」
「リングだったらどうしましょうウフフ」
アイルランドでは、Stバレンタインの日に親密な異性にリングを贈る風習もある。もっとも、これは古いもので、今はあまり行われていないようだけど。
「流石にそれは…… 同性ですし」
「あれあれ? アイルランドは世界で一番最初に市民投票で同性婚が認められた国だよ。まあ、本当に貴女からリングを贈られても、受け取る勇気はまだ無いけど」
エストさんは僕に対してとても親近感を覚えてくれて、良くしてくれるけど、出会って1ヶ月足らずの相手から求婚の証にもなるリングを贈られても困るよね。
「えっと、これは、リボン?」
「はい、貴女に相応しいと思って」
「もしかして、朝陽の手づくり?」
「といってもリボンですから、さほど時間はかかっていません」
愛情は込めました。
「でも嬉しい。ありがとう、使わせてもらうね」
彼女に贈ったのは、白詰草――シャムロックの小紋のリボン。もっとも彼女にふさわしい花。
「喜んでいただけて何よりです。しかし、それは普段着用のリボンではありません」
髪に使うリボンでないことは一目瞭然だし、基本的にネック周りか手首に使用するものになっている。これもネックに使うリボンだけれど、使う衣装は限定される。
「どういうこと?」
「これから届くフィリア学院の制服のリボンとして使っていただきたいのです」
「え? それってやっていいの?」
「お嬢様、私たちが通うのは、カトリックの神父養育学校でも、士官学校でもありません。生徒一人ひとりが個性を育てる服飾デザインを学ぶ場所です」
だから、十把一絡げの制服をそのまま着るのは、むしろ服飾生徒として下の下。どこかしら自分なりのアレンジを加えない者は、そもそもデザイナーになりたいとは思わないだろう。
「とはいえ、お嬢様が通われるのは、社会的に上層の子女が多い特別編成クラス。制服は同時にフォーマルな衣装でもありますので、上流を自認する人達にとって、フォーマルを崩すわけにはいかないという事情もあります」
そのため、一般クラスでは当たり前のように改造制服の生徒ばかりだが、特別編成クラスは折り目正しく制服を規定通りに着るという両極端。
『いや、もっと冒険していいと思いますけどね。デザイナー志望がお仕着せの制服着るのって、リゾートビーチでビジネススーツ着るようなものですよ』
とはルミねえのお
「ふむふむ、それで朝陽の結論としては」
「フォーマルの衣装をきちんと着ることが上流の自己表明であるのは良いのです。ですが、お嬢様にはそれよりも大切な自己表明があるのではと思いまして」
「それで、シャムロックのリボンなんだ」
「はい。貴女がそれを身につけて下さることで、私の衣装も完成するのです」
僕がアイリュッシュリネンのメイド服を、貴女がシャムロックのリボンを見つけることで、アイルランドの主従の姿の自己表明になる。
「そっか、だから今日贈ってくれたんだね。“パートナー”にプレゼントを贈る、アイルランド式のSt・バレンタインに」
「はい、どうぞこれからもよろしく願いします」
「いじらしい愛い従者。これからも私の善きパートナーでいてね」
「喜んで」
フィリア学院の制服に、このリボンを付けたエストさんは、他の誰にも敵わないくらいに綺麗だろうと思う。
お母様の在学中とはちょっと違うデザインの制服。お父様も、昔のデザインの制服を着たお母様を見たときは、こんな気分になっていたんだろうか。
尚、夜になってエストさんの部屋から帰る際に、ルミねえからチョコレートをもらった。チョコレートには疲労回復の効果があるし、疲れてないか心配してくれたのかな。
バレンタインの翌日。今日はこの青山スカイレジデンスの内覧会らしい。
今日からこのマンションに入居する人も多いようで、いつになく建物内が活気づいているように見える。
僕はともかく、エストさんは毎日部屋に篭もりきりでデザイン勉強というのも不健康なので、合間を見て周辺を散歩したり、マンション内のプールで泳いだりしている。プールの際は僕もプールサイドのベンチに座って彼女の見事な泳ぎを眺めたりしている。
水着を着たエストさんに「似合う?」と聞かれたので、「セクアナのようです」と答えたら喜んでくれた。
地下街に行くときなどは僕もご一緒する。僕としても、これくらいの運動はできるようじゃないと通学など夢のまた夢なので、良い訓練になるし。
そうしていつものように地下街の、例の喫茶店にいこうとしていると、妹のアトレと見たことなの無い人が話し込んでいるのが見えた。アトレの後ろには当然九千代の姿もある。
「桜小路さんと話しているの、誰だろうね」
「同年代の方のように見えますね。もしかして、フィリア学園に通われる方でしょうか」
「ということは、アトレさんと同じ美容科?」
「もしくは山吹さんと同じ調理科の方かもしれません」
僕とエストさんが人物予想を話していると、当の本人がこちらに気づいたのか、アトレとの話を中断して近づいてきた。
見たところ、やはり僕たちと同年代のようだ。そして特徴的なのは何よりその髪。一見僕の髪と似ているように見えるけれど、天然のものではないように見える。あれは加工した髪の色だ。
てっきりアトレの紹介で挨拶に来たのだと思っていたのだけれど、彼女はエストさんではなく僕の前に立つ。
そしていきなり跪いて僕の手を取り、仰ぐように―――
「月が綺麗ですね」
真っ直ぐに僕の瞳を見ながら、そう言い放った。
「………………」
「………………?」
え、と、これはどういう状況だろう。
今は昼だし、当然月は出ていない。そして、このフレーズは聞いたことがあるし、その隠された意味合いも、読書する人には割と有名ではないだろうか。
ただ、急なことで僕は何も応答できないでいるし、隣のエストさんは意味がわからないという表情でぽかんとしている。
でもそろそろ何か返さないと。
「確かに今日は満月で、格別のスノームーンですけれど」
なんとも斜め向こうの回答をしてしまった気がする。でもこういう場合いったいなんて言えば良いんだろう。
いや、彼女の言葉の意味も意図も知っている。知っているからこそ答えようがない。
僕がまごまごしていると、彼女は先ほどより男性的、というより舞台役者のような口調で続ける。
「貴女に恋をしました。どうか貴女の手に口づけすることをお許し下さい」
「わぁ」
今度は直接的な彼女の物言いに、エストさんも感嘆の声を上げる。でもいよいよ求愛されたこちらとしては、なんと返して良いものなのやら。
と、困っていたら。
「この子は、私の従者です。手を触れるのなら、私の許可を得てからにしてください」
感嘆はしたが、それとこれとは別と言わんばかりに、エストさんが割って入って助けてくれた。不甲斐ない従者でごめんなさい。でも対人経験が小さじカップで測れるくらいしか無い僕では、対応できませんでした。
「従者? ということは貴女はこの子のご主人様ということかしら?」
「はい、この者は当家に勤める従者です。ですのでこの者に関わることは私にも関わるということになります」
「あら鉄壁。従者想いの素敵なご主人様ね。これはどうしようかしら」
最初の芝居がかった口調とは異なり、砕けた口調になる女性。これが本来の口調なのだろうか。それでも幾分芝居掛かったような話し方に思えるけど。
「八日堂さん、流石に今のは初対面の人を驚かすだけではないでしょうか」
「桜小路さんにまで怒られてしまった。これはちょっと分が悪いかも」
先程まで話していたアトレも援護射撃に入ってくれる。でもアトレも相当驚いていたようだ。僕と同様に硬直していたようだし。見れば九千代も同様の体で目を見開いて固まっている。よかった、僕だけではなかったんだ。
「一世一代の告白のつもりだったのだけど、ガードが2人もいるようじゃ、フラれる以前の話みたい。でも気持ちを抑えられなかった私の気持ちも、少しは分かってほしい」
「つまり、今の告白自体には嘘はないと?」
「もちろん。私、八日堂朔莉はたった今、その白い少女に恋をしました」
エストさんの言葉に自信満々の風体で頷く八日堂朔莉さん。ですが、恋をされたこちらは困るのです。
「それはこの子が可愛いからですか?」
「それももちろんあるけれど、容姿の面で言うのなら、ご主人様の貴女も相当なレベルよ? 桜小路さんもチャーミングだしね。私がその子に恋したのは、もっと別の理由」
「それはいったい何でしょうか」
珍しくアトレが警戒している。なんだろう、確かにいきなりの事態に驚きはしたけれど、彼女から悪意のようなものは感じられない。いやまあ、僕は明確な悪意を向けられた経験はないけれど。
「一つ確認しておきたいのだけれど、その子に話しかけていいかしらレディ」
「……どうぞ」
やはり悪い人のようには思えない。エストさんに言われたとおりに、先に彼女からの了解を取ったあたり、律儀な人だと思う。
「白く美しい貴女、気を悪くしてしまったのなら謝るわ。でも私にとっては大切なことだから」
「はい」
なんだか初めてまともに彼女に言葉を返せたように思える。それに、表情が、これまでのどこか皮肉げな印象のものから、とても真剣なものに変わった。
「その綺麗な髪の色は、生まれつきの地毛? それとも脱色して染めたもの?」
「この髪は生まれつきです。私の唯一の自慢のものです」
そう、この髪は、桜小路才華が誇れる唯一のもの。欠陥まみれの身体の僕だけれど、この髪だけは美しいと誇れる。お母様からの贈りものであり、お父様との絆の結晶でもある。
「そう、よかった。やっぱり貴女は私が求める宝石」
どうして髪のことを聞いてきたのだろう。彼女の髪も僕に近いものだけど、これは自然では有り得ない色だ。明らかに染めている。
だから、同類に出会えた故の感動というわけでもないだろう。
「私の髪は、地毛ではなく染めたもの。脱色を2回して、その上で色をのせてもこれが限界だった私の到達点」
わざわざ、白く染めているということは、地毛はやはり黒なのだろうか。
「私は、綺麗な白い髪が世界で何よりも好きなの。それに近づきたくてこうしているけど、私の加工された髪はね、驚く程の速さで褪せていくから、2週間に一度はカラーリングをしてる。当然、その度に痛むから、毎日のケアは欠かせない」
…………
「トリートメントも色持ちのよいもの「八日堂さま」」
八日堂さんが虚を突かれたように驚いた顔になる。それは自分の言葉を遮られたこともあるだろうが、それよりも、遮った人物が、話していた僕や隣にいるエストさんではなく、一歩離れて聞いていたアトレだったから。
「アトレお嬢様……?」
そんな普段のアトレらしくない姿を見て、九千代もとても驚いている。隣のエストさんも同じ様子だ。普段貞淑な振る舞いをするアトレの、らしくない行動に、皆が目を丸くしていた。
「この人はこちらのエスト・ギャラッハ・アーノッツ様の従者です。彼女自身もエストさんに誠心を捧げています。これ以上は野暮ではないでしょうか」
「…………そうね。確かに桜小路さんの言うとおり、これじゃあ格好の悪い間女そのもの。ここで立ち話というのもムードがないし、今回は大人しく引きましょう」
アトレの行動は横槍を入れたようなものであったけれど、八日堂さんは気を悪くした様子もなく、素直にアトレの言葉を受け入れた。そんな彼女に、エストさんも感心したように話しかける。
「初めの言動には驚いたけど、良識のある人なのですね」
「あら嬉しい。そんなこと言われたの初めて。貴族のお嬢様は心がお広い」
「あれ? 私が貴族だと言いましたか?」
「今聞いたわ。でも、立ち居振る舞いも、その子の主人という面を見ても、貴族じゃなければ王族でもないと説明できないもの」
「ありがとう。この子の主人として認識してもらえて嬉しい。桜小路さん、この方は今日から入居される方ですか?」
「はい。今日は多くの人が同時に入居されるということもあり、コンシェルジュたちも大忙しでしたので、この山吹が」
「わたしが臨時の案内役として、八日堂のお嬢様をお部屋にお連れするところでした。その途中でアトレお嬢様と出合わせたので、挨拶をしていたのです」
なるほど、確かに今日は壱与も大忙しみたいだし、九千代の性格からして自分だけのんびりしてもいられない。九千代は九千代で調理科に入るための勉強で忙しいだろうに、いい子だ。
「八日堂のお嬢様、お時間はよろしいのでしょうか」
「あら大変、もうこんなに時間が経ってたのね。畠山さん、この後のスケジュールは?」
八日堂さんが少し離れたところにいた成人女性に振り向いて尋ねた。その人、八日堂さんの関係者だったのか。マネージャーということは、彼女は芸能関係の人?
「15分後に出版社へ着いている予定でした。部屋の確認は30分で終える予定でしたので、今担当に謝るところです」
「そう。ただ、遅刻は免れそうにないけれど、大幅なことにはならないと思う。山吹さん、せっかく時間をとって頂いたのに申し訳ないけれど、部屋の確認はやめにしていい?」
「はい、八日堂のお嬢様がそれでよろしいのでしたら」
九千代は淀みない所作で礼をする。こういうところはやっぱり筋金入りの使用人と、僕のような付け焼刃とは年季が違うと感心する。流石です九千代先生。
「どんな部屋でも、来月からここでお世話になることにする。念のため確認するけれど、貴女たちもこのマンションに入る予定なんでしょう?」
「はい、どこの部屋に入るか決まったら、連絡くださいね」
「あら、連絡先を教えていただけるの? 貴族のお嬢様の?」
「代表してこの不詳山吹が。どうぞ、こちらが連絡先になります」
「想い人の連絡先がもらえると期待したのだけれど、まあそうなるわよね。ありがとう山吹さん、決まったら連絡するわ。そしてさようならお嬢様方、近いうちにまた会いましょう」
やはり律儀な人だと思う。八日堂さんは丁寧に九千代の連絡先を受け取り、颯爽とした足取りで去っていった。
「………不思議な方でしたね」
率直な意見を漏らす。というか、彼女に告白されて以降、僕はほとんど喋っていないような気がする。情けない。
いやでも弁解させてもらえるなら、人生で初めて他人から愛の告白を受けたわけだから、混乱するのも仕方ないと思う、誰だってこんなものではないだろうか。それとも僕だけ?
しかも告白相手が同性というのだから混乱もひとしお…… いけない、最近『小倉朝陽』でいる時間が『桜小路才華』でいる時間より多かったためか、男だという意識が希薄になって性自認が曖昧になってきてる気がする。気をつけなきゃ、僕はあの子の兄なんだから。
「でも、悪い人じゃなさそうだね。貴女のことを綺麗と言っていたし」
「正確には、私の髪を、ですが」
「髪も含めて全部、だと思うのきっと。あと、私のこと王族みたいだって、そんなに高貴なオーラ放っていたのかなウフフ」
先程までの貴女は間違いなく放っていましたが、今の言動で雲散霧消しています。残念です。
「それではわたしはこれで、仕事に戻ります」
「私も、部屋にもどりますね。ごきげんようエストさん、朝陽」
妹たちも帰っていった。なにやら嵐のような一幕だったが、これも良き出会いとなるのだろうか。
「ちなみに朝陽、本当に初対面? 実は幼い日に約束していた人とかじゃなくて?」
「初対面です。それは間違いありません」
僕の幼少期は、家族以外と出会うことなどなかったから。
「でも、最初の『月が綺麗ですね』ってどういう事なんだろう。貴女を月の女神と例えたのかな」
「ああ、それはですね…」
明治の文豪の有名な訳の話をしながら、僕たちも改めて目的地に向かう。意味を知ったエストさんは「それはロマンチックな訳だね」としきりに感心していた。
………あの人、もしかして有名な人なのかな。でも僕は服飾関係の雑誌以外は読んでないし、芸能関係の動画も見ないので、そのあたりはことはさっぱりだ。
1950~1980年代の名作映画とか、古典を題材にした映画なら当時の服装を知るために結構見たけど、まさかそれらの映画に今の彼女が出てるはずもないからね。
八日堂朔莉は、車に揺られながら先ほどの自分の失態を思い返していた。
―――間違えたなぁ。あの人に嫌な想いをさせてもぅた
あの一瞬、確かに彼女の表情に陰りが刺した。あまりにも綺麗な顔をしているため、あの美しさを損なわせてしまったことに、心が重くなる。
おそらくだが、彼女は世間なれしていない。今日会った少女たちの中で、一番の箱入りではないだろうか。朔莉はこれまで培ってきた人物眼でもってそう判断する。
――でもそんな箱入りさんが、どうして使用人を
どう考えてもあの白い少女はワケありだ。それに色々とチグハグなところも多い。とっさの応答も出来ないくらいに人付き合い慣れしていないのに、負の感情を隠すことはとても上手い。彼女の表情に影が差したのは、ほんの一瞬だった。
芸術の世界で生きてきたわけではない朔莉でも美の損失は理解できる。あの少女の白い輝きが曇ったのだ、分からないはずがない。
そして芸能の世界で生きてきた朔莉だから、その陰りを隠した彼女の「慣れ」も見抜いた。
――人付き合いに慣れていない箱入りさんやのに、悪感情を隠すのが得意…… おかしいなぁ
ただ、隠したのはあの時だけ。それ以外の時の彼女は殊更演技をしている様子はなかった。つまりは、あれは彼女の素の性格、もしくは素の性格に近い振る舞いだろう。そもそも人付き合いに慣れていない人間が、演技が上手いはずもない。そんなレアケースは、もはや2重人格レベルになる。
彼女に関しては、まだ謎が多いけれど、時間をかけて知っていけば良いと思う。だから、重要なのはもうひとりの方。
―――桜小路アトレさん、あの人の“敵意”は間違いなく私に向けられてた
白い少女の悪感情は、なんというか見たことがない特殊なものだった。悪感情は感じられた、けれどそれは原因である自分に、八日堂朔莉には向けられてはいなかった。
これはこれで異常だ。上手い説明が思いつかないが、まるでそれが当たり前のように、呼吸をするように悪感情を生み出し、そして隠した。人間は普通呼吸をするときに、吐く息の向きを意識しない。よほどの状態や状況にならない限り、吐息というものは意識を向けるものじゃない。
しかし、白い少女の悪感情の向け方はその類のものだ。誰かに向けるものではなく、自然と溢れ出すようなもの…… 考えれば考えるほど、異常だ。見た目も、実際に話した印象も、あどけない少女そのものだったのに。だからそのギャップに恐怖を感じる。
だが、白い彼女から感じられる恐怖が「得体の知れなさ」から来るものならば、もうひとりの少女、桜小路アトレから感じた恐怖はより直接的なものだ。
――背筋が凍ったわぁ
桜小路アトレの発した敵意は、明確に自分を刺し貫いた。背後から精密射撃の如くに感じられた敵意を受け流すのに、相当な精神力を使わされた。だから、本当はもっと話したかったけど、あの場はあれで切り上げる他なかった。残念でならない。
このマンションに来て、『桜小路』の姓をした少女と偶然出会ったとき、もしかして幼い日に一度だけ見た『あの子』に会えるかと思った。会えることはできなくとも、その素性が分かるかもと期待した。
そうしたら、そのすぐそばに思い出のままの綺麗な白い髪があった。憧れの王子と再会できたのかも、と胸が踊った。
―――でも、お姫様やったなぁ
あの少女があの時の『あの子』かはまだ分からない。幼い頃、日本の桜小路の屋敷で催されたパーティの中、迷子になってしまった時に、たまたま、本当に偶然に見た白い姿。
全身が白かった。白一色だった。髪も、肌も、着ているものも、その純白が月光に照らされて輝いていた。
あれほど美しい存在を、八日堂朔莉は今に至るまで見たことがない。
その姿の中で唯一白ではない、だが赤随玉のように美しい瞳がこちらを向いたとき、その妖精は何かに呼ばれたように向きを変え、自分を残して去っていった。
急いで追いかけようとしたが、感動もあまり足が動かなかった。唯一の手がかりは、微かに聞こえた「坊っちゃん」という誰かの声。
また、調べてみたところ、桜小路の分家は子供は娘一人だと思われているが、実はその上にもうひとり子がいることまでは知れた。桜小路の家としては別段隠しているわけではなく、単に一切その子が外に出ないから話題にならないだけというのが実情らしい。
なので探偵を雇えばもっと深く分かっただろうけど、そこまでするのは、なんとなく自ら幻想を踏みにじるような行為だと思ってやりたくなかった。
なので、朔莉はあの時の白い妖精を男の子だと認識した。その後年を重ねるに当たり、あの時あの子とは別に「坊っちゃん」がいて、その男子を呼ぶ声に、あの子が反応しただけかもしれない。なので、今では女の子だったという可能性も考えている。
というか、どう考えても99%女の子だろう。だが幼い自分は、『白馬の王子様』に憧れていた朔莉という少女は、あの子が『王子』であってくれることを願った。
その上、その後もそれとなく注意を向けてみても、桜小路の家の情報から聴こえてくるのは、黒髪の娘のことだけ。あの日の『あの子』は、もしかして本当に妖精だったのかと疑った日もある。
―――やっぱり、姫やったかぁ
現実はこんなものだとは分かってはいても。脱力感は拭えない。アルビノの人間自体が少なく、中でもあそこまで見事な白を表す人はさらに稀。その上で桜小路の関係者ならば、『あの子』は間違いなく先ほど出会った少女だろう。
―――桜小路さんと、どんな関係なんやろ
桜小路アトレから強烈な敵意を感じた時に、自分は何を語っていただろうか。たしか、白に憧れて染めた自分の髪のことを話していたときだと思う。
2人ともが、それぞれ発散する悪感情と自分への敵意を抱いたのは、あの話の時だった。つまりは同時。ということは、2人は長い間を同じく過ごし、それに至る経験を共有している関係ということになる。
―――やっぱり、お姉さんなんかなぁ
順当に思いつくのは、桜小路アトレの姉ということ。この事実は「桜小路にはもうひとり子供がいる」という事実にも合致するし、アトレの母である桜小路ルナの容姿を考えれば、遺伝で受け継いだものだとして、もっとも納得できる。
―――でも、それがなんで、アイルランドの貴族さん付き人やっとるんやろ
それが分からない。わからないから、今後も付き合いをしていきたいと思う。
いずれにしろ、白い彼女にとっては初対面になる顔合わせにおいて、自分の言葉は意図しないものであったとは言え、その心を傷つけてしまったのだ。
―――憧れの王子サマでは無かったけど、私がもっとも綺麗と思う白い貴女。
長年夢想していた白馬の王子様ではなかったが、それ以上に美しい白無垢のお姫様。これならばいっそ、長年の想いは想いとして切り分けることも出来る。憧れは大事に。でも現実にいるあの人はもっと大事に。
―――守る? 支える? ううん、とりあえずあの子に寄りそってみよう
見たところ、あの少女を守る存在は足りているようだ。あの金の主人は、誇り高くあの子を守っていた。
ならば自分なりの方法はなんだろうと考えながら、八日堂朔莉は撮影現場へと運ばれていった。
「月に寄りそう乙女の作法」と 「月に寄りそう乙女の作法2」で、フィリア学院の制服のデザインが変わっていたことを、この話を書くまで気づいていなかったという、ファンの風上にもおけない奴は私です。どうしようもない人間です。
でも自分だけはないと信じたい。デザインの変更に気がつかなかった人、他にもいますよね? やっぱり自分だけ?
同志がいましたら、NavelのHPで確認しましょう。リボンの位置とか、ラペルの形状とかかなり変更されてます。なんで気がつかなかったのか・・・・・・
その頃の桜小路家
「久しぶりに映画でも見よう」
「へぇ、珍しいねルナがそんなことを言い出すなんて」
「おお夫、久しぶりだな。愛する旦那様の顔を見るのは2週間ぶりだ……… と、昔なら言っただろうが、今の君は朝日と違うのは、メイド服の有無くらいだからなぁ」
「今更だけど、着れることにびっくりした。若い頃とまるでサイズ変わっていなかったのか、と。人間って、年齢とともに体型も変わるものだよね。お客さんのほとんどはそうだったもの」
「私の遊星=朝日化の話はスルーか。まあ、私なんかも多少体質は変わってはいるが、体型は変わらんな」
「ルナは味覚が少し渋くなったよね」
「おーぅ、先に言われてしまった…… 君、そういうとこだぞ」
「今の会話で、僕に非があった?」
「日頃から『息子ばかり見てる』と嫉妬している身としては、自分の細かい変化にしっかりと気づいてくれている夫に対し、嬉しいやら恥ずかしいやらのこの心境、どうしてくれる」
「ルナが嫉妬してると認めてくれた」
「く、なんたる失態…! ダメだ、心理的不利に立ったままでは、ここから何を返そうがヤブヘビになる予感しかしない。よし、戦略的撤退だ。映画の話に戻そう」
「僕だって、僕の知らないルナを知ってる八千代さんに何度も嫉妬したから、お相子だよ」
「夫~~! 君は私の話を聞いた上で流れを汲んでくれないから質が悪い……!」
「いや、最近ずっと朝日だったから、こういうやり取りできなかったでしょ?」
「ん、まあそうだが。まあ、うん、懐かしの主従関係も良かったが、こういうあたり前の夫婦関係も、なんだ、悪くない」
「それで何の映画を見るの?」
「………りそなから言われていたことを、久しぶりに思い出したよ。『あの人は、悪気も悪意もなく人を辱めますから注意してくださいね』……か。才華が立派に旅立って、夫婦の時間が増えたのは良いが、ふふ、ふふふ」
「いひゃいいひゃい。頬をひっひゃらないで」
「生意気な夫はこうしてやる、えいえい」
「信じられるかいやっちー、あそこでイチャついてる2人、四捨五入すれば40なんだぜ?」
「誰がやっちーですか湊さん。私としてはお二人が幸せなら無問題です」
「いやー、ここまで来れば感心する他ないよね。というかイチャつきの材料にされて、いつまで経っても再生されない映画可哀想。主演のイトウ・サクリさんも可哀想」