月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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アーノッツ家の四女は、青山スカイレジデンスの65階に白い従者と共に
そんな2人の小さな愛の国に、訪問者の影一つ

16話 裏タイトル【私の朝陽は世界一可愛い】

単純思考さま、誤字報告ありがとうございました!


16話 緑の国の(よすが)

 

 不安がある。

 

 今は3月を半ば過ぎた頃、入学式まで半月を残すのみとなっている。

 

 現状を一言で言えば、何事も順調に進んでいると言って良いはず。

 

 去年の10月に伯父様に全てを打ち明け、その後の半年近くの間、出来うる限りの努力をしてきた。

 

 それでも、残る不安がある。

 

 

 メイド修行は先生たちの教えが上手なこともあって、不足なくこなしていると言っていい出来だと思う。エストさんから怒りや不快感などを表す表情や態度をされたことはないはずだし、そのあたりは壱与・九千代両先生にも合格点を貰えているので問題ない。

 

 女装については、すでに自分自身この姿を違和感なく思っているので、もう『女装している』という意識すら希薄だ。エストさんに仕えるための服装として、メイド服を纏うのは当然だとすら感じている。

 

 それにおそらく、僕は全裸にでもならない限りバレることはない。そして僕は人前で全裸になることなどない。これは僕よりは遥かに健康な身体を持つお母様でさえそうだった。あの人がご友人たちと一緒にお風呂に入ったりされたことはない。その例外は八千代とお父様だけ。いや、アトレもそうか。

 

 お母様がそうしたのは、人と違う自分の肌を見られるのが嫌というより、単純に肌が人よりデリケートだから、本来リラックスする場所である浴場で、気を使わせてしまうのが嫌だったのだろう。誰かに気を使うのは素晴らしいことだけれど、気を使われる方としては、放っておいてくれた方がいい場合もある。

 

 お母様の場合は、そうだった。

 

 これが僕となると、万が一の備えを怠ることは許されず、常に誰かと一緒でないといけない。幼かった桜屋敷の頃は常に壱与が、NYに移ってからはお父様と、お父様が忙しい時は九千代が。

 

 このマンションに移ってでさえ、入浴時は九千代と一緒だ。これは貴族であるエストさんより待遇が貴族的だけど、こればかりは仕方がないこと。

 

 

 そして今、僕を不安にさせているのは、つまりはそういうことなのだ。

 

 他の部分の進捗はすこぶる順調でも、肝心要となる健康状態が、半年前から改善されていない。

 

 元々の計画では、半年間で学校に通いながら従者をやるに足る体力をつける筈だった。しかし、その成果はまったくもって芳しくない。

 

 学校に通うことは……きっと出来る。

 

 従者としての仕事も、エストさんが主人でいてくれれば……出来る。

 

 だが、それを両方こなすとなると、2回までという制限が重くのしかかる。僕が倒れていい回数は2回。

 

 1回目は看過され、2回目は強制入院。3回目はきっとNYへ送還という流れだろう。伯父様は、こういう時に前言を翻す方ではない。

 

 けれど、ここで諦めるという選択は有り得ない。始まる前から諦めるなど論外だ。僕が僕であるために、挑まないといけないのだから。

 

 

 いや、正確に言えば、僕はどう生きるべきかを決めるために、だ。

 

 

 昔から変わらずまったく侵攻の手を緩めてくれない『(やまい)』に忸怩たるものを考えながら、窓の外の月を眺めていると、僕の部屋を訪う人が現れた。

 

 時刻は19:30。アトレや九千代であれば隠し通路から来るだろうから、ルミねえか壱与だろう。ルミねえがこの時間に来ることは今までなかったから、きっと壱与だ。

 

 壱与のことは家族だと思っているけれど、親しき仲にも礼儀有り。それも服飾の道を志す者として、玄関から訪れる人を、ネグリジェ姿で出迎える訳にはいかない。ちゃんと上にカーディガンを羽織ろう。

 

 身支度を整えて玄関のドアを開けると、そこにいたのは壱与ではなく、思ってもいない意外な人物だった。

 

 

 「才華、大事無さそうでなによりだ」

 

 「衣遠伯父様……? どうしてこんな時間にこちらへ?」

 

 「予定に急な変更があってな、時間が出来た。近くにいた事もあり、お前の様子が気にかかったのだ」

 

 「それは、ありがとうございます。どうぞ中へ」

 

 急な訪問には驚いたけれど、歓迎したいお客様なのは間違いない。伯父様を居間に案内し、お茶を淹れるために台所へ向かう。

 

 「む? お前が茶を淹れるのか? 山吹の姪を呼ぶのではなく」

 

 「今は私も従者の立場にありますから。普段から慣れておかないといけません。それに、従者としては九千代の方がずっと先輩です、後輩がこき使うわけにもいきません」

 

 「ふ、そうか」

 

 僕の冗談を聞いて伯父様は薄く笑ってくれた。九千代にはこの部屋に移ってからもずっとお世話をしてもらっているし、そもそもそのための隠し通路だ。だから単に、九千代を呼ばないのは、僕の淹れたお茶を伯父様に飲んでほしいというだけ。

 

 

 「どうぞ」

 

 「ああ、ふむ、まあ『可』というところか」

 

 「お厳しい」

 

 「桜小路家のメイドが、大蔵家総裁の秘書長に出す茶として採点したからな」

 

 「正確にはアーノッツ家のメイドです」

 

 「より正確にはアーノッツ家ではなく、エスト・ギャラッハ・アーノッツ個人だ」

 

 「お厳しい」

 

 でも、伯父様に及第点をいただけたことは素直に嬉しい。ただ、今の僕は部屋着の姿なので、今一「従者」としての気構えが出来ていない感じになっていた。それでも合格点というのは、従者としてのレベルが上がっているということだろう。

 

 うん、従者としてのレベルは上がっているんだ。

 

 

 「しかし才華………」

 

 「どうしました伯父様。なにか私の振る舞いに粗相がありましたか?」

 

 伯父様が思案顔で僕の姿を眺める。ん? この雰囲気に既視感があるな。そうだ、日本に来た翌日に伯父様と話した時の感じだ。ということはもしかして。

 

 「いや、これは俺の落ち度でもあるのだから、お前に何か言う立場にはない。だがやはり気になってな」

 

 「なんでしょう?」

 

 「その姿で、訪問者を出迎えるのはどうか、ということだ」

 

 来たのが壱与だと思っていたので、『家族相手には失礼のない』姿ではあったものの、それが他人となるとさすがに見苦しい格好だ。服飾を志す者として十分な失態。

 

 「…………確かに、油断していました」

 

 「そこまで気にする必要はない。そもそも時刻も時刻だ。宅配便などの他人が訪れる時間帯ではないし、前提としてこのマンションの部屋の前に来ているという事実からして、コンシェルジュの許可を得ている人間だということ。親しい人間か、そうでなければこのマンション内の住人だ」

 

 「はい、私も壱与だろうと思ってこの格好のままでいました」

 

 今の僕の格好。つまり、シルクの白いネグリジェに、紺のカーディガンを羽織った姿。家族を迎えるのには問題ない格好。

 

 とくに肌が弱い僕のネグリジェは肌触り優先なので、生地は薄い。

 

 

 「ああ、だがこのマンションにはお前に懸想している八日堂家の娘も入居しているのだろう? その可能性があるのだから、事前に確認は必要かもしれんと思っただけだ。今回に関しては、事前に訪問の連絡しなかった俺の落ち度もあるが」

 

 あれ? てっきり万が一エストさんが訪ねてくる時に、部屋着で迎えるのは失礼だという話かと思ったけど、八日堂さんのほうだったか。

 

 「お前に懸想している人間が、その姿を見るのは、些か強烈に過ぎる」

 

 八日堂さんはそうしたところに寛容な人だと思うけれど、やはり伯父様からすれば気構えがなっていないということだろうか。折角好いてくれているのだから、だらしない姿で幻滅させるなということか。

 

 「今後は注意致します。ですが私はてっきり、エストさんの可能性もあるのに、無防備な部屋着のまま応対するのは非礼という話かと思いました」

 

 「む? この短期間でそこまで仲を深めたのか」

 

 伯父様が怪訝な顔になった。ともいえ、厳しい顔つきというわけではなく、純粋に意外に思ったという表情だ。

 

 「ええと、質問に対して質問で返してしまい申し訳ありませんが、どういうことでしょうか?」

 

 「普通、主人が従者に用があるときは、呼びつける」

 

 「あ」

 

 それもそうだ。というか当たり前すぎる理屈だ。どうして僕は、エストさんが僕の部屋を訪ねてくる可能性を考えたのだろうか。

 

 「なるほど、それを疑問に思わないほどには、親交を深めたか。お前とアーノッツ家の四女は、お前の両親とまではいわんが、それに近いほど相性がよいのかもしれん」

 

 「従者としては、失格でしょうか」

 

 ちょっと前に従者としてのレベルアップしていたと思っていた自分が恥ずかしい。

 

 「そんなことはない。今言ったように、お前の両親が主従関係だったころは、主人である母親の方が、従者である父親の部屋に赴くこともあったと聞く。お前も聞いたことはないか?」

 

 確かにあった。お父様の話の中で、お母様が「小倉朝日」の部屋を訪ねた場面は何度もある。そうか、それなら、良かった。

 

 

 「お前が従者として不足なく勤めていることは、あのメイド服を見れば分かる。当人でない俺から見ても心動かされる衣装だ。当のエスト・ギャラッハ・アーノッツ自身がお前をよく思わないはずがない」

 

 伯父様は手入れを終えて衣装掛けに吊るしている、僕が作った『エストさんに仕えるための礼装』を見ながらそういってくださった。流石は伯父様。離れたここから見て、あれに使われている生地やデザインから、僕の想いを読み取ってくれた。嬉しい。

 

 「ありがとうございます。伯父様」

 

 なので、素直にお礼を言う。それとついでと言ってはなんだが、折角の機会なので。

 

 「伯父様、もしよろしければ私が着た姿を見ていただけますか?」

 

 「む、今か? この時間から着ては、もう一度整えるのが手間だろう」

 

 「それくらいは大丈夫です。折角いらしたのですから、貴方の感想が知りたいのです」

 

 「ふん、まあお前がそう言うなら、好きにするがいい」

 

 「はい、ありがとう伯父様」

 

 「……………」

 

 メイド服を着るために、部屋を移動。思えば男性にこの姿を見せるのは初めてだ。いや、地下街ですれ違う男の人はいたけど、それはカウントに入っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この半年、この甥と出会うときは、常に過去と向き合うことになる。大蔵衣遠は瞑目しながらそう感じる。

 

 

 「いかがでしょうか? 大蔵衣遠様」

 

 口調を女性らしいものに変え、メイド服のスカートをつまみながら可憐に礼の仕草をする、桜小路才華。

 

 

 「ふむ、まあお前を従者として従える者の格を十分に引き立たせている。その上で、自身の主張は控えめ、けっして自身の美しさを主張させない…… 見事だ」

 

 平静を装い服装の評価をする。だが、衣遠の心は今過去の風景と主にある。

 

 才華の外見は、母親の桜小路ルナの生き写しに近い。身長こそ僅かに母よりあるとは言え、男性の平均身長より遥かに低いのだから、外見だけならばまさに『桜小路ルナがメイド服を着ている』といっても誰も異を唱えないだろう。

 

 だが、内面は違う。父遊星と長い時間を共にし、人格形成のほとんどが遊星由来である才華の振る舞いには、母が持つ自信や尊大さは見られない。

 

 とはいえ、外見はやはり重要だ。このメイド服の才華を見れば、やはり桜小路ルナとの関わりを感じさせないはずもない。外見には父遊星の要素は見られないのだから。

 

 ………なのにどうしてなのか。どうして才華の姿に、マンチェスターの屋敷のあの女性の姿が重なるのか。

 

 

 「アイリッシュリネンか……」

 

 「はい、エストさんに仕える者になるため、これを用いました」

 

 そう、アイルランドを想起させるこの生地、この服。これを才華が纏うがゆえに、アイルランド人であった彼女を彷彿させる。姿かたちはまったく似ていないというのに、やはりその血に流れる祖母の姿を、才華自身も感じているのだろうか。

 

 「良い判断だ。遊星の教えか? それとも母のデザインから着想を得たか」

 

 「いいえ、この服装を仕立てたのに、両親にとくに助言を求めていません。恥ずかしなら、私のオリジナルです」

 

 となると、やはり彼の内から自然に溢れ出したものなのか。その血に宿る緑の国への郷愁が、隔世を経て顕れたということか

 

 「主人に、アーノッツの人間を選んだことは正解だったようだ」

 

 自分の判断に間違いはなかったことを、衣遠は噛みしめた。あの日の才華から感じた、かの女性の面影を辿り、アーノッツ家にエストに行き着いたのは、きっと偶然ではあるまい。

 

 従兄弟のアンソニーに言わせれば、まさに『運命』というものだろう。

 

 

 「才華、もしかすると、アーノッツの家は……」

 

 だから語った、彼女がいた場所(ふるさと)を。それはもはやただの遠い過去の事だが、それに何を見出すかは、今を生きるもの次第。

 

 かの女性が生まれた土地は、アーノッツの家が治めていた土地であり、アーノッツ家の没落の際、多くの一族が庶民となって離散したという、その過去に何を思うかは、才華と、それにエスト次第ということだ。

 

 「エストさん……」

 

 才華の不意に天井を見た。いや、正確にはその先に居る彼女を想ったゆえに視線が向いたのだ。彼は今何を想うだろう。緑の国の貴族の少女と、その血を僅かなりとも共有している白い少年。

 

 緑の国を(よすが)とする2人。黄金と白銀の主従の絆は白詰草の編んだ草冠のような、しなやかで美しいものとなるだろうか。

 

 自身は緑の国に縁がない衣遠には分からない。だが、この出会いが少年にとって良いものであることはだけは、その表情を見れば確信できる。

 

 だが、それはそれとして。

 

 

 「才華、お前の衣装の素晴らしさは本当によく出来ている。だが、今日来たのはそのためでない、お前の健康のデータについてだ」

 

 「あ……」

 

 遠くアイルランドへ想いを馳せていた少年の心は、今この現実に戻された。この少年の情緒を壊してしまったことに罪悪感を覚えるが、だがこれはやらなければいけないことなのだ。

 

 「悪くはなっていない、それは確かだ。だが良くもなっていない。この状態では学園に通わすにはいささか不安が残る」

 

 「…………」

 

 才華の表情が曇る。ほかならぬ才華自身が不安視していたことだ、伯父に指摘され、自身の体の無力さを感じて消沈している。

 

 「俺は何があろうとお前の助力をすると言った。その言葉に二言はない。故にお前の部屋の薬品と医療器具をより充実させ、その上でこのマンションにお前の掛り付けの医師を住まわせる。週に一度は必ず診断を受けるようにしろ、異論はないな」

 

 この話はすでにコンシェルジュの壱与にも通してある。ついでにその医師は格安で高級マンションを提供されたので、異論はなかった模様。ちなみに当然ながら女医である。

 

 衣遠の言葉に才華の表情に光が戻る。通学に反対されることを予想していたのか、その瞳は溢れんばかりの喜びを表現し、そのまま行動に現れた。

 

 「本当にありがとう! 伯父様! 大好きです」

 

 「フ、この大蔵衣遠、交わした約定は決して破らん。そしてやるからには徹底的こそが我が信条」

 

 抱きつかれた衣遠が受けた衝撃は、やはりとても軽い。

 

 けれど、けっして失わせていけない軽さなのだ。もう2度と、無くしてはならないものを自らの手からこぼれ落ちるようなことはさせないと、彼は誓っている。

 

 強く、強く誓っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、今日も相変わらずエストさんの部屋に赴く。昨日彼女は夜遅く起きていたのか、僕が来た時もまだベッドの中だった。

 

 でも最初の頃とは違い、下着姿ではなく僕が選んだチュール・レースのベビー・ドールを着用してくれている。布地が少ないほうがよく眠れるとのこと。

 

 「お嬢様、朝です。そろそろ起きる時間ですよ」

 

 「ぅう、私があと10分眠っていても、誰も文句はいわないはず…… だからあと10分」

 

 「はい、あと10分ですね」

 

 実際彼女のいう通り、今はまだ学校は始まっていない。だから起床時間は彼女の自由に決めていい。とはいえ、このままではいざ学校が始まったら大変だから、起床のリズムは、今から学園の登校時間に合わせている。

 

 「………………」

 

 従者の勤めとして、彼女に言われた通りの時間に声をかけるため、ベッドの傍らで待機する。

 

 「うん、わかった。起きる、起きるから、ちょっと待っててね」

 

 あと10分と言ったのに、彼女は1分も経たずに起き上がってくれた。最初の頃は30分起こし続けたこともあったし、その後は10分待ったあとにもう一度声をかけた時に起きてくれるようになって、それが5分、2分、そして今回は1分も経たずに起きてくれた。エストさんはやれば出来る子なんです。

 

 

 その後はやはり服飾の勉強。互いにデザインを見せ合ったり、最近の流行について語り合ったり。

 

 僕は一応アメリカのネットショップ『S&D』のデザイナーなので、この半年間も常にHPに新しいデザインを更新し続けている。『S&D』のメンツは皆自分の我が強い人たちだが、『Diana』のデザインは認めてくれているので、これまで一度も文句や意見を言われたことはない。

 

 『S&D』の中でさえ正体不明のデザイナーである『Diana』は、ネットの中では神秘のヴェールに包まれた存在で、熱狂的な信者のようになっている書き込みもちらほら見られる。

 

 驚いたことに、『Diana』のイメージとして、【銀髪のようなプラチナブロンドで、肌が白い女性】というものが定着している。若干僕に近いので、人の予想というのは馬鹿にできない。

 

 とはいえ、よほど鋭い人でもなければ、『Diana』が白い肌と髪を持つ人間とまでは分からないだろう。

 

 

 「私、『Diana』って朝陽と同じ体質の人じゃないかと思うの」

 

 よほど鋭い人がいた。

 

 ちなみになぜ『Diana』について語っているかというと、エストさんといっしょに見ていたファッション雑誌の中で、『S&G』の特集のページがあったからだ。

 

 あまり表立った場所での露出はしないポリシーのアングラファッションショップの『S&D』だけど、この雑誌はかなり攻めたストリート系の特集なんかをしている雑誌なので、こういうところには載っていたりする。

 

 「多分この人も、桜小路さんのお母さんに影響を受けて、それでデザイナーを始めたんじゃないかな」

 

 「そうかもしれませんが、何分このデザイナーに関しては、一切の情報がありませんので、どんな予想を立てたところで正解はわかりませんよ」

 

 「私の実家があるロンドンは、かの名探偵を輩出した街だよワトソン君」

 

 「実在はしませんけどね」

 

 エストさんは『Diana』を知っていた。そしてかなり好きだとも言ってくれた。「許されるなら『Diana』の服を着て思いっきりシャウトしてみたい」とも言ってくれたけど、それは貴族の方がすることではないので、どうか願望のまま仕舞っておいてください。

 

 どうしてもやりたい場合は、アイリッシュ・バブでやりましょう。あそこは身分の垣根なく騒げる場所です、エールが貴女を待っています。まだ飲酒年齢に達していませんので、当分はおあずけですが。

 

 しかしなんというか、むず痒い。エストさんに隠し事をしている罪悪感もあれば、単純に自分のデザインを褒めてくれてくれることへの満足感、そうしたものが綯交ぜになって、ちょっと感情が制御できそうにない。

 

 なので、話題を代えさせてもらおう。ちょうど、昨夜伯父様からとても心に響く話を聞けたのだから、その話題を。

 

 

 「そういえばお嬢さま、少々お聞きしたいことがあるのですが…」

 

 「ん、なぁに?」

 

 僕はエストさんに伯父様が話していた地名を尋ねる。エストさんは、この場所に行ったことがあるのだろうか。

 

 「そこは、私の家が昔治めていた土地だね。今はもうお屋敷はなくて、ビール工場になっているけれど」

 

 「お嬢様も向かわれたことがあるのですか?」

 

 「ロンドンの本邸とは別に、ダブリンにも別荘があるの。元々のお屋敷があった場所とそう離れていないから、父に連れられて何度か行った」

 

 アーノッツ子爵も、郷愁の念が強かったのだろうか。いや、そうに違いない。アイルランド人は、仲間意識と地元に対する想いがとても強い人々だから。

 

 例え貴族であろうが荷運び人だろうが、地元のパブでビールを掲げて歌うときは平等。それが誇らしきアイルランド。

 

 

 「私にとってはご先祖様縁の土地という場所だけど、どうしてそんなこと聞いたの?」

 

 「祖母の故郷なんです」

 

 「え?」

 

 その時、エストさんの瞳に宿った輝きを、僕は上手く言葉にはできない。

 

 彼女の心に飛来した景色はなんだっただろう。薄靄の中広がるエメラルドの絨毯か。白い可愛らしい花々に囲まれる澄んだ泉か。潅木を続く緑の小道か。

 

 ただ、この時はっきりと、彼女は僕を『同胞』と見た。

 

 僕も、彼女をそう感じた。この世界を共に生きる優しい貴女。

 

 

 「私の祖母は、貴女の先祖の土地の生まれなのです。エスト・ギャラッハ・アーノッツ様」

 

 もしかしたら、僕は貴女に近い血が流れているのかもしれない。

 

 でも、心に去来する想いはそれではない。そう、なにか運命の悪戯で、アーノッツ家が没落せずにいたら、そしてそのまま祖母が灰の燻るロンドンでなくその土地で生きていたら。

 

 僕と貴女は、本当に主従の関係だったのかもしれませんね。

 

 「朝陽」

 

 「はい」

 

 「これからも私の傍で、私を支えてね。私の可愛いホワイトクローバー」

 

 「かしこまりました。我がエメラルドの主」

 

 彼女もそう思ってくれたのだろう。だから、もう一度僕にその手を差し出してくれた。

 

 改めて、僕たちは主従の契を結ぶ。この時僕らの心は、この桜の国ではなく、バントリー湾からデリーの波止場を超え、ダブリンを通り越した先にある、今はもう無きアーノッツの屋敷の中に在った。

 

 そして幻視した一面の緑の草原に、僕が生きるべき道が、見えたように思えた。

 

 

 この後、僕は一枚のデザインを描いた。僕がこれまで扱ってこなかったジャンル、民族衣装を基調としたデザインを。

 

 これまでの『Diana』のデザインのように、怒りや憤りを原動力によって描かれたものじゃない、彼女と出会えた喜びの感情を源泉に描かれたそのデザインは、僕がこれまで描いてきたどのデザインよりも、自分自身で『綺麗』と思える仕上がりになった。

 

 これを、形にしたい。

 

 この衣装を形に出来たら、その時に僕は12月を待つまでもなく、この日本に来た目的を達成出来る気持ちになれると、そんな予感がしている。

 

 




今回の話の才華の格好のイメージは、『黄昏のフォルクローレ』の「乙部すぴか」お嬢様のネグリジェ姿です。
『黄昏のフォルクローレ』のすぴかお嬢様は、この話を書くきっかけのひとつでもあります。同じ鈴平さん原画の作品で、すぴかお嬢様のキャラデザインがルナ様に類似していることもあり、「もしすぴかお嬢様がつり乙2の主人公だったら?」という発想からインスピレーションを受けています。


 ~その頃、欧州の一角にて~

 「お久しぶりです」

 「りそな、いらっしゃい」

 「おお、君が日本を離れるとは珍しいな」

 「そちらも似たようなものでしょう。ルナお義姉様はそれでも何度か欧州行脚していましたが、下の兄はアメリカ離れたの、久しぶりじゃないですか」

 「才華と離れたくなかったからね」

 「おい、その嫌味ったらしい『お義姉様』はなんだ。いつもどおりに『ルナ様』でいいぞ」

 「兄妹そろって貴女のメイドになった覚えはありません。というか、京都の人から聞いたんですけど、しばらく『朝日』になっていたってマジなんですか?」

 「ああ」

 「いやなに当たり前のように『それが何か?』みたいな顔してるんですか、客観的に自分たちの行動を見てください。三十路の夫婦がメイドプレイ(男女逆)とか、もうほんと正気の沙汰ではないでしょう」

 「芸術家やデザイナーとはそういうものだ」

 「変わりませんねぇそういうところ。ホント大嫌いですよ、尊敬もしてますけど」

 「ふふん、そういう君もあいかわらずだ」

 「でも、さっきルナが言ったとおり、りそなが日本を離れるなんてあまりないよね、今回は大蔵家総裁が直々に出向くような件があるの?」

 「いえ、単に欧州担当の上の兄が、4月いっぱいまでは日本を離れるつもりがないので、じゃあ私がという形です。それに数年に一度は支社の視察めぐりも必要でしょうし」

 「ほう、あの義兄がか……」

 「お兄様…… もしかして」

 「やはり察してしまいますか。上の兄はあの甥に対して、貴方たち夫婦と同じくらい、もしかしたらそれ以上の感情を向けていますからね」

 「流石にあの子のことになると、悪態をつくわけにはいかんな。義兄の甥コンぶりに、素直に感謝しよう」

 「ありがとうございます、お優しい衣遠お兄様。どうか才華のことをお守りください」

 「話が重くなりそうですので話題を変えますが、さっそく貴方たち2人のこと、ファッション界やセレブ界隈で噂になっていますよ」

 「え? どういうこと」

 「桜小路ルナの隣に常にいる、あの美人はいったい誰だと、大盛り上がりなのご存知なかったんですか? 白と黒の美しきコントラストだとか、黒白のダイヤだとか、そんな表現が飛び交ってます」

 「もちろんご存知だったぞ、大変に気分がよかった」

 「ルナ? どうして教えてくれなかったのかな?」

 「その方が面白いからに決まっている。私は君が困っている顔が好きなのは知っているだろう」

 「おかしいな、たしかにスーツにネクタイの姿だったはずなのに」

 「今のご時世、女性でもスーツにネクタイの時代ですよ。おまけにファッションショーという場所柄、それもファッションの一環として見られて当然です」

 「君が私と一緒に欧州のショーの挨拶の場に出たのなんて、もう10年も前だからな。さぞ突然現れた美人秘書のように見えただろうさ」

 「もう30超えてるのになあ」

 「いやまず髪切ってくださいよ。一番の理由はそれですから」

 「才華が悲しむから嫌」

 「譲らないところはほんと譲らないのも変わりませんね」
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