月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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アトレとルミネ、乙女二人が桜小路の本家の人達について内緒の会議
白い従者を守るため、何時でも転ばぬ先の杖を心がけても、時に思わぬ結果に出逢うことも

17話 裏タイトル 【八千代姐さんの舎弟メイドを侮るなかれ】


17話 従者の礼装(誇り)、危うい彼女(さいのう)

 

 「若、お久しぶりです。正月にご挨拶に伺って以来ですね。特別編成クラスの担任へ内定があったので報告に来ました。これで余程の事がない限り、私が若のクラスを受けもつ事になります」

 

 「そう、迷惑をかけるね。でも、ありがとう」

 

 「はい。総学院長からも期待していると言っていただけました。私もいよいよと同じように、心の奥底には桜屋敷のメイドとしての意識があります。生まれた時から知っている若を助けるためなら尚更です。協力は惜しみません」

 

 「無理はしないでね」

 

 「大丈夫ですよ」

 

 今日訪ねて来てくれたのは、昔この桜屋敷でお母様付きのメイドとして働いていた樅山紅葉。彼女は今フィリア学院の服飾デザイナー科・特別編成クラスの担任をしている。

 

 正確には今期から担任になるようだ。これまでは副担任を勤めていて、今年から担任に昇格したとのこと。

 

 

 「それでも僕は、あまり紅葉には迷惑をかけたくない。だからどうか教室では普通の生徒、というより従者の人と同じ扱いにして欲しい。君が僕の体のことを知っているとしても」

 

 「そう……ですか。しかし私としても、万が一若の体に何かあった場合は」

 

 「そのときは素直に衣遠伯父様が用意してくれたお医者様へ連絡するか、症状が軽いなら九千代を呼んでほしいんだ。九千代は僕の『元同僚』だから、学科が違えどいざという時に呼ばれることにそれほど違和感はないだろうし」

 

 「私も、桜小路のお屋敷のメイドでしたが……」

 

 「うん、でも『小倉朝陽』はアメリカのお屋敷で雇われていた設定だから、日本の屋敷にいた『樅山先生』と同僚であったということはありえないし、年齢的にも無理がある。いくら見た目は若くても、紅葉は30歳を超えていて、僕と九千代は10代半ば。年齢も距離も離れていた僕らがそう親しい関係であると違和感になる」

 

 「若………」

 

 ごめんね紅葉。いろいろ理屈はつけているけど、これは単に僕が君に負担をかけたくないだけなんだ。

 

 君は『桜屋敷のメイド』としての意識があると言ってくれているけれど、僕にとって樅山紅葉という女性は、あまり接点がない人だったから。

 

 紅葉はお母様の『服飾』関係で支える立場で、技術的な面を買われた人材だったから、『メイド』としての業務についていたことは殆どない。つまり、彼女は屋敷の外の世界で活躍するお母様を支える担当であり、屋敷の中を担当する壱与とは、立場が逆であった人。

 

 お母様の『仕事』を補助する人だから、『家庭』のことにほとんど携わってはいない。つまりは、屋敷内、それもほぼ自分の部屋の中にしかいなかった僕と接する機会はほとんどなかったと言っていい。

 

 彼女はアトレとはよく遊んでいたようだけど、僕は彼女と一緒になにかをした、いいや、できた記憶がない。彼女にとって僕は『元主人の可愛い子供』という立ち位置だけれど、僕にとっては『昔屋敷で働いていた人』だ。

 

 

 壱与は僕の家族だ。子供の頃から、お父様が時間がいないときに僕の世話をしてくれたのは壱与だった。なんど彼女の大きな背中に背負われ、彼女の包む込むような安心できる掌で撫でられたか分からない。

 

 年齢を重ねた今になっても壱与に甘えることも、お願いすることも、それは彼女が家族であるから。

 

 だから、ごめんね紅葉。僕は君が僕に覚えてくれている親しみと同じ量の感情を、君に抱けていないんだ。我が事ながらで薄情な話だと思うけど、自分の感情に嘘は付きたくない。

 

 そもそもにおいて、幼少期の桜小路才華という存在は、一人のメイドが気楽に関わるには重すぎる存在だった。『万が一』があった場合、その対処を誤ればどうなるか、そんな近づきがたい危険物。

 

 紅葉だけでなく、壱与以外のメイドの人たちは皆、概ね僕に優しく接してくれたけれど、近しい存在にはなっていない。そしてそれで正しい。

 

 元々健康管理を心がけて実践しており、僕を世話するようになってからは医学の勉強もしてくれた壱与は、僕にとっては2人目の母。

 

 だからこそ、『他人』である紅葉に、過度な負担をかけることをしてもらいたくはない。彼女は僕にとって甘えてはいけない人に分類されている。

 

 誰かに頼らないと生きていけないのが純然たる事実だからこそ、ほんの少しだけでも甘えたくはないんだ。

 

 

 「紅葉は、普通通りに教師として授業をしてくれていればそれでいいんだ。お願いしたいのは、アメリカの両親に口裏を合わせてくれること。それ以外は大丈夫だから、君には初の担任のほうを集中して欲しい」

 

 「分かりました。若がそうおっしゃるなら」

 

 彼女はとても切り替えの早い人だった。重ねて申し訳ない話だけど、僕が樅山紅葉という女性、つまりは彼女という人格と直接触れ合うのは、これが初めてではないだろうか。

 

 いいや、紅葉とは、じゃない。壱与以外の皆がそうだった。多くの人に支えられないと存在できない僕だけど、直接触れ合う人は極端に少なかった。

 

 年始の挨拶の時なども会ったけど、アトレと話している時間の方がずっと多く、僕とはさほど話していない。その少ない会話の内容も、それは『昔の主人のお子様』と『昔屋敷にいたメイドさん』との間の会話であり、『桜小路才華』と『樅山紅葉』とのものではなかった。

 

 幼い僕の紅葉への認識はどこまでいっても『メイドさんの一人』というものであり、アメリカに渡ってからは壱与とはよく通信や電話で話していたけれど、彼女とプライベートな関係を持ったことはない。

 

 幼少期の僕の世界は自分の部屋だけだったので、樅山紅葉はそこに入ってくる人ではなかった。故に彼女ですらも『外の世界の人』だった。

 

 そうした意味でも、教室で『樅山先生』とは適切な距離で接することが出来ると思う。意識せずとも、僕は彼女を近くには感じられていないから。

 

 小倉朝陽と樅山紅葉は単なる教師と生徒の一人。それ以上でも以下でもない。そんな距離感が望ましい。

 

 

 「私も若に賛成です。若のお手伝いは私たちでするから、もみもみは、初の担任の先生として張り切ってちょうだい。それで若をビシビシ鍛えてあげてね、樅山先生?」

 

 「もう、いよいよったら。でもありがとう。やっぱり初めての担任だから、一応は緊張してたんだ」

 

 壱与も僕の思いを察してくれたのか、フォローを入れてくれる。重ねてごめんね紅葉。僕は対人関係が乏しいから、他人との適切な距離が掴めないんだ。

 

 「紅葉は、お母様との関係がそうであったように、服飾のことで僕を助けて欲しい。分からないことがったら樅山先生に聞くから、そのときはお願いね」

 

 「はい、分かりました。若にお教えできることがあればいいですけど」

 

 「旦那様も、学生のころは完璧ではなかったわ。お屋敷で山吹さんにビシビシ鍛えられていたでしょう? 今度はもみもみが若を鍛えてあげるの。頑張り乙女になってね」

 

 「ええ!? 私が山吹メイド長みたいに? さすがにそれは」

 

 壱与のおかげで、なんとか話がまとまった。本当にありがとう壱与。

 

 

 「しかし、樅山さんって結構副担任長かったのよね。でも私が調べた限り桜小路の小母さまに認められるくらいの貴女が副担任のままってほど、特別クラスのレベルが高いようには思えないけれど」

 

 わぁ、ルミねえはすごいなぁ。中々聞きづらいことをズバンと直球でいってる。

 

 「紅葉は、わたしたちと見た目があまり変わりませんから……」

 

 フォローを入れるは我が妹アトレ。そしてアトレの言うとおり、紅葉は低身長もあいまって10代にも見られそうな外見をしている。

 

 外見で苦労するという面においては、お母様と似たところがある主従だったのかもれない。目線も同じで話しやすいところもあったようにも思うし。

 

 「うん、まあ分かるけどね。なんというか、運がないね樅山さん。一般クラスだったなら、もっとはやく担任になれたんじゃない? 特別クラスはやっぱり面倒なところが多いね」

 

 社会的上層のお嬢様が多い特別クラスにおいては、担任も単なる服飾の技術だけでは選ばれない、教師としてお嬢様の上に立つ品格とでも言うべきものが求められる、ということをルミねえは言ってるのだろうか。

 

 確かに面倒だ。というより無意味だ。服飾を学ぶのだから、教師に必要なものは知識と技術。それがダメだというのなら、行儀作法の学校にでも行けばいい。

 

 

 「それにしても、やはりお若いです…… 旦那さまも奥様もお若い方ですが、樅山さんはその上を行きますね」

 

 九千代が話題を戻した。あれかな、伯母である八千代がわりと年齢を気にするところがあるからかな。そして僕のお父様もお母様も20代で通じるよ。

 

 「もう、九千代さんまで! 私はもう30代後半ですよ!」

 

 「あら、もみもみならメイド服を着てもまだ似合うわよ」

 

 「似合いそうね」

 

 「似合います」

 

 「いえいえ、私にはもう似合いませんから!」

 

 壱与、ルミねえ、アトレは揃ってそう言う。たしかに紅葉の外見だけなら着ることに問題ないだろう。

 

 「いや、今の紅葉に似合うのは教師としてのスーツで、メイド服じゃない」

 

 「ああ若、ありがとうございます」

 

 桜屋敷のメイド服は、その家に仕える人の礼装。だから、フィリア学院に教師として勤める紅葉が着ても、それは『ただ着ている』というだけで、似合うはずはない。

 

 樅山紅葉は服飾に携わる人。だから『服を着る』ということの意味をよく知っている。彼女には『桜小路の屋敷を辞した自分にはもう似合わない』ことが分かっている。

 

 学院の教師は他人に教える仕事、メイドは他人に仕える仕事。貴族の家に仕える家庭教師であっても、メイドとは明確な線引がある。

 

 だから

 

 「桜小路のメイド服が似合うのは、壱与だよ」

 

 「若……」

 

 君が一番似合う。この桜屋敷のメイド服を着るのにもっとも相応しいのは、主のいない屋敷を何年も、たった一人で守り続けてくれた、八十島壱与だ。

 

 お母様、桜小路ルナの傍で支えた忠義の従者、小倉朝日の薫陶を最初に受けた女性。僕、桜小路才華にとって2番目の母であり、今のエストさんの従者である小倉朝陽にとって、貴き人に仕える従者としての教えを受けた先生である彼女こそ。

 

 主に仕える従者にとって、メイド服は忠義を示す礼装。決して譲ってはいけない誇りを込めた、忠誠を誓う衣装だから、君以外にいない。

 

 

 

 

 

 「アトレさん? 居る?」

 

 入学まで残り10日という頃、大蔵ルミネは2階にある桜小路アトレの部屋を訪ねる。このところ、ルミネがこの部屋に来る頻度は少なくない。受験も終わり、入学を待つだけの身となった今、同じ建物内に親族がいるというのに、無駄に広い64階の部屋でポツンとしているというのは、なんというか、虚しい。

 

 「はい、いらっしゃいルミねえ様。今日はどうされました?」

 

 「ちょっとね、話したいことがあるんだけど」

 

 屋上庭園でお茶会することもあるが、その場合は才華とその主であるエストが一緒であることが多い。となると、才華やエストには聞かせられない、もしくは聞かせたくない話であることになる。

 

 「………梅宮家のご令嬢のことでしょうか」

 

 「やっぱりアトレさんも知ってたんだ」

 

 「ルミねえさまは、りそな叔母さまから?」

 

 「そういうアトレさんは、上の伯父様からかな、お互いの情報源に関しては今更だね」

 

 「ええ、全くです」

 

 2人の少女はフフっと笑い合う。

 

 ルミネとアトレは、才華のためになるべく多くの身辺情報を集めている。当の才華はほとんどそういうことに頓着していない。彼の目的が『なるべく両親と同じ状況で、両親と同じ結果を出す』ということであるため、自分の肉体に関わること以外では、多くの情報を集めるつもりが最初から無いためだ。

 

 だが、才華を支えると決めている2人の少女、特にルミネは、どんな小さな石であろうと、才華が転ばないように細心の注意を心がけている。当然、情報収集のその一環となる。

 

 一度でも転んでしまえば、取り返しのつかない事態になる危険性が極めて高いのが、ルミネの知るあの子なのだから。用心に用心を重ねても、し過ぎということはない。

 

 

 「他家のことだから、今まで殊更気にしていなかったけれど、実際桜小路本家との関係って、どうなの?」

 

 「以前八日堂さまが話されていたように、わたしたち一家が日本にいた頃は、お世辞にも良いとは言えませんでした。とはいえ、わたしも幼かったのであまりよく知りませんし、詳しく聞こうとも、誰に尋ねても愉快な話にはならないので、今までは放置していましたが」

 

 「今はもう、詳しく知っているんだ。それも上の伯父様から?」

 

 「いえ、アメリカの八千代から聞きました。梅宮のお嬢様が同じマンションに越してくるので、家同士の関係を聞いておきたいと」

 

 「なるほど」

 

 今回の2人の議題は、これから入居してくる『梅宮伊瀬也』という少女についてである。

 

 

 「意外なことに、今の本家との関係は良好ということです。と言いますのも、実はわたしたち一家が渡米して少し経った頃から代替わりの動きがあり、3年前にお母様のお兄様、わたしにとっては母方の伯父に当たる方が当主になってからは、本家の空気も一新されたようです」

 

 「ふぅん、そうなんだ……… あ、その件ってもしかして上の伯父様が関わっていることかもしれない」

 

 「え、そうなのですか?」

 

 「たしかちょうど3年くらい前だね。お養母様(かあさま)が電話で話し終えたと思ったら、いきなり『は! ざまぁみるがいいんですよ!』と喜びながらも吐き捨てるように言ってたの。その上『流石は上の兄、やるときはやる人だと信じてました』と続けてた」

 

 当然、養母(はは)の奇行が気になったルミネが自分で調べてみたところ、どうもその時桜屋敷本邸で『大蔵衣遠激怒事件』なるものが起こったとのこと。

 

 

 「詳しい経緯はよく知らないけれど、桜小路本家の前当主、つまりは現隠居の方が、例の観桜会で上の伯父様を憤慨させたらしいの。あの人、気性は激しいし厳格な性格だけど、公共の場所で言動を荒げたことって、実はすごく少ないんだよね。その大蔵衣遠を公衆の面前で怒らせたってことで、桜小路の前当主は引責辞任の形になって半ば強制的に隠居させられたみたい」

 

 ルミネは知らないことだが、この時に桜小路ルナの兄であり、今は桜小路本家の当主になっている男は、とうとう重い腰を上げた。

 

 元来父のやり方に反対であり、それが故に一時は家を出てひとり暮らしをし、社会を知る勉強をしたという、中々骨のある人物である。だが、根が善良で温厚であるがゆえに、実の父を引きずり下ろす覚悟まではなかった。

 

 だが、いずれ時間が解決すると、そう思っていたところへ『大蔵衣遠激怒事件』が起こった故に、大蔵家に見放されては成り立たない桜小路家を守るため、父を隠居に押し込んだ。

 

 その行動の本質は、大蔵の前当主を隠居に追い込んだ衣遠のそれと同じであり、大局的に見るならば、彼もまた桜小路才華が生まれたことによる男達の決断の流れに乗ったとも言える。

 

 そう、“いずれ時間が解決する”、それは今の大蔵衣遠が最も嫌う言葉だ。其は健常者の無意識の傲慢であり、時間のない者らを見捨てると同義の愚行だと。

 

 重病人の命を救う可能性は常に早期発見にこそある。日和見、様子見は“手遅れ”を意味する。

 

 

 「そんなことがあったのですね。そこまでは知りませんでした」

 

 「私のほうは、桜小路の前当主のことはあまり知らないんだけど、どういう人だったの? 知ってることといえば、そう大したことない人物だったということだけだから」

 

 「ルミねえさまは手厳しい。とはいえ、桜小路のおじい様については、わたしの方でもさほど知りません。言ってしまえば、興味がない方だったので。あ、でも現当主の桜小路の伯父様はとても優しく良い方です」

 

 孫からまったく興味も持たれないのは哀れだが、これも自業自得な人生を歩んだ男の結果である。『普通じゃない』ことを異常なまでに忌避した男は、こうして孫と『普通じゃない』関係に納まったのだ。

 

 アトレからは父方の祖父にあたる人物も凡庸であり、優柔不断故に大きな禍根を残しはしたものの、誰をも攻撃しなかったためか、成長した子供達に排除されることもまたなかった。

 

 対して、教育機関に携わる人間として、この男は『普通』を求めた。こだわりを持つことはいい、だがこの男のそれは固執の域まで達してしまった。

 

 いっそ哀れな男である。元々、そうした立場に立てる器ではなかったのだ。小さな家庭の父親だったならば、良き父になれた男であったかもしれない。

 

 しかし、現実に持てる器以上のことを要求された男は、社会の水準、即ち『普通』であることに固執した、そしてその影響を直にうける子供たちには、たまったものではない話である。残念ながら、子は親を選べない。

 

 対外的には人格者のように振舞っていたが、やはり襤褸というものは出る。彼の代に桜小路家は斜陽の道を加速させていったことがその証左。

 

 だが、その男ももう表舞台からは排除された。この男についてはもう過去の話であり、現在や未来に関わる話ではない。

 

 それでもなお、現在の影響があるとすれば――

 

 

 「現在の桜小路本家は、その伯父様の気質が反映されてか、空気が一新され、八日堂さまが言っていたような『なんて嫌味な人たち』ではなくなりました。ですが……」

 

 「梅宮家に嫁いでいた、長女だけは、その改善の影響を受けてない、というわけか」

 

 「そのようです。梅宮の伯母は、前当主の言い分に賛同されていた方のようでしたから」

 

 「なんでもかんでも桜小路の小母さまを悪者にする風潮だっけ。馬鹿らしいよね」

 

 ルミネとしては、心の底からそう思う。末娘を魔女狩りにして、一体何がしたいのか。少しでも自分達を客観視する目があれば、どれほど醜いことをしているかわかろうものを。

 

 ルミネの養母であるりそなの母なども似た人種だ。かつての大蔵家といい、桜小路家といい、名声と金があるはずの家はどうしてこうなりやすいのだろうかと彼女は呆れる。

 

 

 「それはそうなんですが、おそらく梅宮の伯母と桜小路のお祖父様では、わたしのお母様を嫌う理由は異なると思います」

 

 「へえ、それは誰かから聞いた話? それともアトレさんの感想?」

 

 「八千代から聞いた話を、わたしなりに解釈した、とでもいいましょうか」

 

 「気になるね。よかったら聞かせてくれる?」

 

 「ええ、別段隠すような内容でもありませんし」

 

 「まあ、前当主のことはもうどうでもいいとして、アトレさんなりに思った、梅宮に嫁いだ人が、ルナ小母さまを嫌う理由は?」

 

 「お母様への嫉妬です」

 

 「へぇ……」

 

 ここでルミネは改めてアトレを見た。この従姉妹はやはり大人しい表層の奥に、燃えるような情念を秘めているように思う。

 

 

 「八千代から聞いた話ですが、桜小路のお祖母さまは、なんというか絵に描いたような『深窓のご令嬢』だったようで、お母様が生まれるまで、大きな挫折な失敗をしたことがなかった人のようなのです」

 

 親の決めた学校に入り、親に言われた通りに礼儀作法を習い、親が整えた縁談を受けて桜小路家に嫁いだという、言ってしまえば主体性がない人生を生きていたのが、アトレの母方の祖母の人生だった。

 

 別段、本人が満足しており周囲に迷惑がないのなら、それで結構な話であり、それ自体は文句をいうべきことでもない。

 

 

 「ですが、お母様を産んだときは産後の肥立ちが悪かった上、お母様への扱いでも最初は失敗したようで」

 

 結婚生活も、子育ても、使用人に支えながらなんの瑕疵もなく生きてきた。そんなところへ、経験したことのない体調の不良と、子育ての失敗。これまでの人生で大きな失敗を経験してこなかった生粋のお嬢様は、ついにそのまま立ち上がることができなかった。

 

 それはつまるところ、『お嬢様』のまま『母親』になってしまった弊害とも言えるだろう。彼女は、本当の意味で母親とは何かを学ぶことのないまま、子供を産んでしまった。

 

 若い頃に失敗の経験を積んでおけばなんらかの方法もあっただろう。だが、彼女の人生にはそれがなかった。ある意味では不幸な女性とも言える。彼女自身の性格は、ただ普通に思いやりの深い女性なのだ。

 

 若いうちの苦労は買ってでもせよ、とは古の人々はよく言ったものである。大蔵家の妾腹の子として生まれた少年の人生などは最たる例であり、経験論からくる教訓というのも馬鹿には出来ない。

 

 ただそうであるがゆえに、人生の失敗の象徴たる次女ルナに対しては、不必要なほどに過保護になった。それは桜小路ルナにとって大きな枷となったが、悪意がなかったことだけは確かである。

 

 

 「だからこそ、お祖母さまはお母様に執着なさいました。良い面でも、悪い面でも」

 

 それはつまり、その母はそれ以降『ルナだけ』を見るようになったということだ。実際に顔を合わせずとも、常に『かわいそうなあの子』のことばかりを気にかける日を送っていたという話。

 

 だが、そうなるとその影響を直にうける人物が出てくる。それこそが件のルナの姉に当たる女性。彼女は言うなれば、妹に母を取られたのだ。

 

 母の頭の中には常に『妹』が居る。以前は自分を見ていた瞳は、もう自分を見てくれない。どんなに自分が目立とうとも、何をしようとも。

 

 ルナの姉、梅宮に嫁いだ女性が抱く嫌悪の念の出処は、つまりところそんなものだ、とアトレはルミネに語った。

 

 

 「ふぅん、なんというか、厄介だね。子供の頃のトラウマというものは」

 

 幼少の頃に刻まれたものが後の人生に大きな影響を及ぼすことは、ルミネも理解している。ルミネにとってそれは『才華を傷つけた』というものであり、だからこそあの子を守ると心に決めている。

 

 「ええ、本当に。ですが結局は本人の気質と歩んだ人生なのだと思います。だって、お父様はお兄様を何よりも大切になさいますが、お兄様“だけ”を見て、お母様やわたしを見ないことなどない方です。桜小路のお祖母様とは、違います」

 

 「なるほどね。他ならぬアトレさんだから、分かるんだ」

 

 「お父様をお兄様に取られただなんて、わたしは思ったことはありません。お母様は冗談交じりに、『息子に恋人を獲られた』とよくおっしゃいますけど」

 

 残念ながら、梅宮に嫁いだその女性はプラスの方向へ向くことはなかったようだ。これは父親の影響もあるのだろう。なにかのせいにする形にしかならないように、桜小路家の教育観は歪んでいた。言わば、魔女狩りの家で育ってしまった長女。

 

 

 「まあ、成人してる人については、私たちがどうこう言うことじゃないし、当人の問題だから無視するとして、その娘の、ええと、伊瀬也っていう人はどうなの?」

 

 だから、結局のところ問題はそれだけだ。ルミネもアトレも、家同士の関係については問題視していない。桜小路の家の問題はすでに過去の話。

 

 ただ、梅宮伊瀬也が才華に害になる人物かどうか、それだけが問題である。

 

 自分の母から聞いた話に影響され、“肌が白い人物”に特別の嫌悪感を向ける人物ならば―――

 

 「場合によっては、私が矢面に立つ」

 

 例えそれが才華が望まないことであろうとも、ルミネは実行する。大蔵の名前を出して黙らせることを、ルミネは躊躇しない。必要とあらばかつて鬼畜の道を歩まんとした伯父の真似でさえしてみせよう。

 

 とはいえ、その決意は杞憂で終わりそうである。

 

 

 「いえ、その必要はなさそうです。りそな叔母さまの話によると『一見気が強そうに見えますが、主体性が欠けるように見えますね。自分の我を強く出せる性格ではないです』と評価をされているようでしたので」

 

 「あ、そうなんだ。あのひと、忙しいのに態々そうした調査もしてたんだね。我が養母ながら大した行動力。なんだかんだであの人も一族想いの大蔵家だね」

 

 大蔵りそなは、幼い頃より人の顔色を窺って生きてきた。そして大蔵家総裁となってからは、その特長を伸ばし、多くの人材を扱ってきている。故に、人物観察眼は第一級であり、仮面をつけていない人物の性格判断など、少し観察しただけで概ねのところを判別させてしまう。

 

 「あのりそな叔母さまがそう言うのでしたら、大丈夫でしょう。一応、礼儀として挨拶には伺う予定ですが」

 

 「そっか。折をみて私もそうしようかな。あ、ちなみに才華くんはその伊勢也さんについて、何か知ってるの?」

 

 「いいえ全く。顔も名前も、存在すら知らないと思いますよ」

 

 桜小路本家、梅宮家、それらに関わることは、自室の中でしか生きられなかった才華には無縁のことだった。そして話していて愉快な事柄ではないから、遊星もルナも才華に話していない。

 

 なので、才華にとって梅宮伊瀬也は、ただの見知らぬ他人である。才華の外見をみて伊勢也の方がなにしらの反応をすることはあっても、その逆はありえまい。

 

 2人はそう結論し、話を終えた。

 

 

 

 

 「貴女の服装は、服飾生の従者として終わっています」

 

 なので、この事態は誰にとっても予想外の出来事であった。

 

 小倉朝陽こと桜小路才華が、梅宮伊瀬也の従者の大津加かぐやを糾弾するという事態は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は今、初めて他者に対して明確な怒りを覚えているかもしれない。

 

 それとも困惑だろうか、この感情をどうしたらいいのか、掴み兼ねている。

 

 僕の言葉を受けて、言われた大柄のメイド服、いや、僕はこれをメイド服とは認め難いけれど、本人はそのつもりでいるだろう服を来た女性と、その主人であろう人は固まっている。

 

 いや、よく見ればさっきまでこの人たちと話していたアトレや九千代、そしてエストさんも驚いているようだ。たしかに、それだけの行動であったかもしれない。

 

 でも、放置できるものじゃなかった。それだけは確かなこと。

 

 発端は、エストさんと一緒に彼女のアトリエを用意しているところ、足りないモノがあったので、散歩がてら地下街で買えるものは買いに行こうと出かけたら、アトレと九千代が見知らぬ人達と話しているという、八日堂さんの時と似たような光景に出くわしたので、挨拶しようと近づいたこと。

 

 アトレとの会話のなかで、彼女がフィリアの服飾デザイナー科の、特別編成教室に入学するというものがあったので、それならば同級生になる人たちだから、エストさんといっしょに彼女たちと対面した。

 

 その瞬間、僕は呆気にとられた。まさに我が目を疑ったと言っていい。

 

 アトレと話していた少女―梅宮伊瀬也さんというらしい―の方は何も問題はない。ただ、ピンクのブラウスとスカーフリボンに対して、上着のデザインと色が残念だと思ったくらいだ。

 

 折角のフリルの袖口も、上着の白いラインがジャージのようで、バランスを損なっている。フォーマルよりの格好か、スポーティよりの格好か、どっちつかずのものになっているのが実に惜しい。上半身は暖色系でまとめたほうが良かったと思う。

 

 ただ、そんな考えも、隣の人物を見た瞬間に吹き飛んだ。

 

 なんだ

 

 いったいなんだこの服は

 

 どういうつもりで、こんな格好をしている?

 

 あまりの事態に、隣でエストさんが挨拶をしているというのに、僕は何も話せないでいた。従者失格でエストさんに大変申し訳ないことをしたことだけは、後悔している。

 

 

 「朝陽、どうしたの? もしかしてどこか具合悪いの?」

 

 「えっ そうなの? それなら大変、早く休んだほうが良いんじゃない?」

 

 エストさんに心配され、梅宮伊瀬也という人にも気遣われた、これだけで判断はできないけれど、この梅宮さんは、きっと悪い人ではない、親切な人だ。

 

 ならば尚の事、これはいったいどういうことなんだ。

 

 「申し訳ありませんお嬢様。私の体調は大丈夫です」

 

 「じゃあ、どうしてぼぉっとしていた……というのは違うね。どちらかというと、呆気にとられた表情をしてた。何があったの?」

 

 これは、言う必要があることだと信じる。僕の、僕らの進む道はそうした世界。

 

 「エストお嬢様、私は少々梅宮さんの従者の大津加さんに尋ねたいことが出来てしまいました。その行動の許可をいただけるでしょうか」

 

 「朝陽…‥? 貴女がそんなことを確認するのだから、その質問は、相手を不快にさせるものになるの?」

 

 「はい、場合によっては。ですが、その場合の責任は……」

 

 「許可します。そしてその責任も私が負います。朝陽、貴女が思うようにしてみなさい」

 

 エストさんの品位を下げることはしたくない。だから発言の責任は僕のものとしたかったけれど、この人はそれを許してはくれなかった。

 

 ああ、やはりこの人は貴い人だ。

 

 

 「では、お言葉に甘えさせて頂きます。それでは梅宮のお嬢様、これからの私の発言は、貴女の従者、ひいては貴女自身のお気持ちを損ねる可能性があります。どうかそのことをご理解された上で、聞いていただけますか?」

 

 「え、は、はい」

 

 僕とエストの真剣な様子に面くらったように慌てる梅宮さん。この人はあまり事態を上手く飲み込めてないようだ。だけど、やはり言っておきたいし、言わなければならないように思う。

 

 「大津加かぐやさん」

 

 「私…? なんでしょうか」

 

 「貴女の服装は、服飾生の従者として終わっています」

 

 僕はそう断言する。いや、僕と、そして僕の中で猛る『彼女(さいのう)』は彼女の服装に憤っている。

 

 もしかしたら、これが初めての経験かもしれない。僕自身の怒りと、『彼女(さいのう)』の憤りが同じ方向を向いている。

 

 だけど、これだけは譲れない、認めたくない。主に仕える従者にとって、メイド服は忠義を示す礼装。八十島壱与を先生として学んだ小倉朝陽であるならば、師の薫陶に懸けて言の葉を紡ごう。

 

 一目見た時から気になっていた。ここは衣遠伯父様が建てた高級マンションで、入居する人たちも社会的に成功した人が多いと聞く。

 

 その場所で、どうしてそんな、裸の方がまだマシのような格好を?

 

 

 「貴女の服装は胸を強調しすぎています。それはまるで娼婦の服装です。その服装は貴女だけではなく、主の女性の品位すら下げてしまう」

 

 そう、彼女の服装はメイド服と呼んでいいものではない。主を立て、影に支える者が纏う衣装として破綻している。

 

 「ワンピースではなくラグラン袖で胴体部分の色を変えるのは良いのです。ですが、全体的に黒なのに、胸部だけ膨張色の白、それもそれを強調するストライプまで入れる徹底ぶり」

 

 大津加かぐやという女性の特徴として、胸がとても大きい。それ自体は悪くはない。ただ、なぜそれを強調させる工夫を、メイド服に盛り込んだ。

 

 胸を小さく見せる下着も、スーツ用の芯地で胸を整える工夫もできたはず、だというのに。

 

 

 「貴女の服は、その大きな胸部を放り投げているかのような意匠。それは、いったいなんのためですか」

 

 男性の気を惹く以外に、用途が見つからない意匠なのだ。そして、それは社会の上層の人間の、それも女子だけが通う場所に相応しい装いだと思えるはずもない。

 

 「貴女の服は、まるで近世のパリの娼婦そのものです。そんな服を来た従者を連れた方と、エストお嬢様が交流なさることを、私は良しと出来かねます」

 

 梅宮さんが、芸能科や美容科などに通われる人であったなら、僕は何も言わなかった。特に芸術科であるなら、それもまた偽らざる人間の美の発露という見方もあるだろう。

 

 でも、『服とはなんであるか』『装いとは何であるか』を学ぶ人間としてが、致命的すぎる失態。主に仕える従者の仕事着とはすなわち、礼装でもあるのだから。

 

 きっと梅宮さんにもその従者にも人間的には良い部分はたくさんあるのだろう。だけど、服飾の門を叩く者として、その場に適した装いをできない者を、僕は看過できない。

 

 僕には対人経験が皆無だ、だから裏の意図だったり、何か事情があったりをルミねえのように察せることはできない。でもあまりにも相応しくない衣装だったから、正直に聞く他ない。これは看過してはいけないことだと、僕の中の『彼女(さいのう)』も強く叫んでいる。

 

 エストさんも、大津加かぐやの格好を見た一瞬、目を見開いていた。きっと内心では僕と同じことを思ったのだろう。

 

 

 「お気に障られたのであれば、申し訳ありません。ですが、その意図はいったいなんなのでしょうか」

 

 聞きたいことは全部出した。さあ、彼女たちはどう出る。どんな答えが帰ってくる。

 

 「……………」

 「……………」

 

 黙っている。こちらとしては言いたいことは言ったので相手の反応を待つ他ない。僕としても結構緊張しているのだけど、中々沈黙がきつい。

 

 うん、まずい、このまま続いたら主の前で無様に倒れるという最も従者にあるまじき振る舞いをしてしまうかも。

 

 

 「えー、と、ど、どういうことになるのかな、大津加さん、私、どうしたらいいんだろう」

 

 「あー、お嬢様。これはこの白いお嬢さんに言う言葉がみつかりませんね。単純に私の格好が、いろんな意味で、たしかにちょっと場違いだったということです」

 

 あ、そう納得するのか。

 

 つまり、彼女たちは服飾を目指している学生でありながら、無頓着にあの服を着ていたということか? え? そんなことあり得るの?

 

 「あ、え、あの、よろしければ、胸の矯正の下着や、形が崩れないような工夫を出来るメーカーなどを紹介しますが?」

 

 「いやー、そこまでしていただくわけには。それは自分で探します」

 

 「そうですか、しかし、肩が凝るでしょう? せめてシャツだけでも特注にした方が良いと思います。また、白い生地の部分ををダークブラウンに変えたり、レースやリボンなどの装飾を胸部に盛り込むだけで、十分に変わります」

 

 「………貴女、つかめない人ですね。もしかして天然さんですか?いきなり無遠慮な質問をしたかと思えば、今度はいきなり親切になる」

 

 「他のあらゆることに嘘をついても、服飾に関しては嘘をつきたくないのです。服飾の道は私にとって命と同等に重いものですので。無礼は承知しております、ですが、私の差し出がましい意見を許していただけますか?」

 

 「ずるい人ですねー、そう言われたら断れないじゃないですか」

 

 「ありがとうございます。梅宮様、貴女の従者に対しての私の行動を、お許しくださいますか?」

 

 水を向けられた梅宮さんは、ウサギが飛び跳ねるかのうな反応で体をビクつかせた。そんなに驚くこと言ったかな。

 

 

 「わ、私? うん、大津加さんが良いならそれでいいと思うし。あ、でも大津加さんの服って、そんなにひどいの? 私はそうは思わないけど、違うのかな?」

 

 「お嬢様ー、それは後で私からお話しますよ」 

 

 「あ、そうなの? それならお願いね」

 

 どうも、梅宮さんはまだ混乱の中にあるようだ。もしかしたら、僕の話をきちんと理解できていないのかもしれない。ただ、従者の方は分かっているので、後は彼女に任せよう。

 

 「それではウメミヤさん、私の従者が無礼を働いたところを許していただき、ありがとうございました」

 

 僕が首をかしげていると、主人がまとめに入ってくれた。

 

 「う、ううん、どうも私たちも落ち度があったみたいだし、指摘してくれた助かった、のかな?」

 

 「そう言っていただけて何よりです。ではウメミヤさん、学院でまた逢いましょう」

 

 「どうぞ、主人ともどもよろしくお願いいたします」 

 

 「じ、じゃあ、またねアーノッツさんも、メイドさんも」

 

 「はいー、それではまた学院で」

 

 こうして、僕が初めて他人に怒気を向けるという経験は終わった。

 

 

 

 

 

 「朝陽の意外な一面が見れた」

 

 去っていく梅宮主従を見送りながら、エスト・ギャラッハ・アーノッツは、自分の従者を見て微笑んだ。

 

 内心で、白い従者はホッとしていた。いくら予防線を張ったとは言え、やはり従者の行動は主に影響を与えないではいられない。勝手な行動に対して罰を受けることも覚悟していたけれど、寛容な人で良かった。ありがとうございます、我が主と、いつもの2倍増しで感謝を込めて想っていた。

 

 

 「やはり私は、世間知らずのようです。以前からお伝えしておりましたが、それを今日改めて痛感しました」

 

 「ウフフそうだね、でもそれが貴女らしさかもね。それにたしかにあのメイドの人の格好だったら、奇異に思われるのはウメミヤさんの方だと思うから、あれで良かったんだよ」

 

 「自室の中などで、趣味として着る分には構わないと思いますが、対人的なことをする場での格好となると、あれはいくらなんでも下品といいますか」

 

 「ワオ、容赦ないね朝陽。でも、私はそれでいいと思う」

 

 「お嬢様?」

 

 実は内心で、下品という単語にピクリと動いてしまう眉をごまかしながら。

 

 この美しい従者の前では、絶対に故郷のスラングなどは口に出来ないなと改めて思いつつ、同時に貴女の前では綺麗な言葉だけを使いたいとも思えて。

 

 ああ、やっぱりこの国を選んで良かった。綺麗な貴女と美しい言の葉があるこの国で。

 

 

 「服飾のことで譲れない気持ちがあるのは私も同じだから、そういう注意は今後も朝陽の判断でしていいよ。ただもうちょっと言い方は考えてあげて、ほら、出来るだけ綺麗な日本語で、ね」

 

 「理解ある主を持てて、私は幸せものです。貴女の名誉を傷つけぬよう、常に心がけて参ります」

 

 「フフ、私の愛い従者。今日はちょっとお茶目だった私の朝陽。さあ、そろそろ部屋にもどりましょうか」

 

 「そうですね。息抜きにはもう十分な時間を過ごしましたし」

 

 

 ちなみに、後日梅宮主従と出会った時は、文句を言われることもなく逆にお礼を言われた。場所に応じた服装のマナーを勉強できたと言ってくれたが、まあ、それは良いことだとエストは納得していた。

 

 注意されたことを素直に聞ける美点は素晴らしいものだ。隣の白く可愛い従者もそこは弁えて、「服飾生として、それは前提条件です」と言いたかったが、主人の言いつけ通りに「これからも頑張ってくださいね」と言うに止めた。

 

 ただそれは同時に、小倉朝陽が梅宮伊瀬也にそれ以上関わろうとはしなかった、きっと今後も、自分と関わり合うことはなさそうだと思ったということであり。

 

 その隣にいる金髪の主は、従者の微妙な心の動きがなんとなくでも察せられるようになった自分を、少しだけ誇らしく思えたのだった。

 




【乙女たちのコメント】
あら意外、ウチの可愛いメイドったら、礼服やマナーにはとっても厳しいのね by 金髪主人
こういうところは桜小路の小母様に似たのかな? by 次期総裁
いえ、メイド道への拘りはお父様由来かと by 黒髪妹



 ~過去回想・大蔵衣遠激怒事件~
 ・ルナ一家が渡米したあとの観桜会にて


 「わざわざ御足労いただきありがとうございます。大蔵衣遠さま」

 「別に、そう言われるほどのことはしていません。親族の家で催される宴席に足を向けただけのこと、感謝されることは何もない」

 「そうは言っていただけますが、やはり私どもの娘と孫のために、大変なご迷惑をかけているのは事実ですから」

 「ほお? どういうことですかなそれは」

 「あの普通ではない娘の血を引いた孫が、婿である遊星殿に、大変な迷惑をかけているのは、貴方もご存知でしょう」

 「クク、ククククク。迷惑…… 親が子の無事を祈り看病することを、この家では迷惑というのですかな?」

 「いえ、しかし、大蔵の方の自由を、あの普通ではない孫のために…」

 「クク、クハハハハ!! いやいや、実に貴方の言うとおりだ!」

 「や、やはり衣遠さまもそう思われ……」

 「いやはやまったく、『普通ではない』ということが、これほどまでに醜く、悍ましいか、貴様ほどよく分からせてくれる人間はいないだろうよ」

 「な、なにを仰る」

 「クク、親が子を慈しむこと、祖父母が孫を愛でること、これは知能と理性と教養がある人間ならば、あって当然、なくてはならない普遍たるもの。持っていることが『普通』であろう。違うか?」

 「そ、それはもちろん」

 「ならば、衆目の中大声で、自らの娘と孫を悪し様に言う貴様の神経は、全くもって『普通ではない』!! ある意味で貴様ほど『普通ではない』ことが弊害だと証明している人間もいないだろう。この家の窮状を見ればな、クク、クハハハハ!!」

 「い、いくらなんでも無礼ですぞ!」

 「無礼は貴様だ!! 貴様は何度この大蔵衣遠の義妹を愚弄した? 我が弟の最愛の妻を罵倒した? 挙句の果てに我が甥を、あの子にまでその薄汚い悪意を向ける暴挙……」

 「いえ、そ、そんなつもりでは」
  
 「そんな無礼を働かれて、そこまで侮られて黙っている大蔵衣遠と思ったか」

 「も、申し訳……」

 「不愉快だ」

 「お、お待ちを……!! どうかお待ちを…!!」




 やらかしてしまった男が知らなかった人間関係について

 桜屋敷の従者の誇り、その在り方を決定づけたメイド長の名前を山吹八千代という。

 彼女こそは若き日において、ジャン・ピエール・スタンレーを中心に、大蔵衣遠らと共に芸術の本場を戦い抜いた七雄の一角。

 いざとなれば自ら自動車を操縦してかっ飛ばし、門扉にぶちかまして突破することも辞さないほどの女傑であり、彼女に対抗心を燃やす時には小倉朝日もブレーキどころかアクセルになったりする。

 常に冷静さを保つのは、桜屋敷の主人であり月の化身と喩えられる桜小路ルナその人。そんな彼女の周囲には、普段は常識人であってもやる時はとことんやる熱血漢が多いのであった。

 教訓:家族とのコミュニケーション、情報交換はこまめに
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