月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
彼らが築きしフィリア学院、それは、服飾の栄光を求める若き夢の城
18話 裏タイトル 【ラスボスなんていなかった】
18話 アントワープよりフィリアへ
明日から、新しい生活が始まる。
ここは桜屋敷の『自室』。入学式を明日に控えた今、本来はマンションの部屋にいるべきだろうが、今夜だけはここに帰ってきたかった。
半年前のように、一糸纏わぬ姿で姿見の前に立つ。
「……………」
鏡に映る姿は、半年前と変化していない。何も、変化してくれていない。
筋肉が付いたり、背が伸びたり、肩幅が広くなったり、首周りが太くなったり―― そんな変化は、起こるはずもなかった。
「男性に、見られるはずもない」
鏡に映る姿に『男性らしさ』は微塵もない。衣遠伯父様のような、逞しい腕も、広い背中も、力強く地面を踏みつける脚も。
「女性の体、でもない」
けれど、かといって『女性らしさ』もない。エストさんのような、瑞々しい張りのある肌も、生命力に溢れ、柔軟性に富んだ四肢も。
あるのは、幽鬼のような姿だけ。
白い肌、白い髪、目だけが紅く月明かりを照らし輝いている。ならば、幽鬼というよりは吸血鬼か。
ああでも、いっそそんな超常の怪物であってくれたなら良かった。現実は違う、この僕の体を示す事実はただ一つ。
「病人の体だ」
健常な体ではない。日光に当たれない肌のため、必要な栄養素が作れない。肺を病んでいるため、呼吸を上手く出来ないので、運動自体が出来ない。その結果がこの体。発育不良で、弱くて脆く、まともな2次性徴すら迎えられずじまい。
疎ましい。
呪わしい。
「でも、僕の体だ」
他人になることなど出来ない。どれだけ嘆こうが憤ろうが、これが僕の体。僕という存在。
病んだ身体に引きずられて、『
僕の体は、お父様とお母様から頂いた大切なもの。そして、あらゆる意味であの子との絆そのものでもある。
「だから、この体を抱いて進もう」
ここからが本番。僕がどう生きるべきかを、決めるための人生の勝負。両親の人生に挑む。
挑み、届かないのであれば―― 『
挑み、この手に栄光が届くのであれば、あるいはもっと別の、あの子と向き合う時が来たのならば―― 『
僕の人生の岐路。挑むべきは自分、選ぶのもまた自分、どちらの結末になろうとも、そのための行動だけは、絶対にしておきたい。
だってそうじゃないと、僕は人生の最後に『楽しかった』どころか、『生きた』とすら言えないじゃないか。
行こう、憂いのない人生を生ききるために。
そして、悔いなく死ぬために。
「じゃあ行きましょう」
僕が部屋に訪れたとき、エストさんの身支度はすでに終わっていた。残念、せめて髪のお世話くらいはさせてくれても良かったのに。
「私のやることがなくなってしまいました」
「今日だけはね、だって特別な日だもの。明日からはいつものようにお願い」
「そう聞いて安心いたしました」
最初の頃は朝はまったく起きられなかったエストさんも、ここしばらくは随分と寝起きが良くなった。人間は成長するものだということか。でも自分の仕事が減ってちょっと残念。お父様のように誰かの役に立てるのは、純粋に嬉しいから。
「今日はあいにくの快晴だけれど、地下街を通っていくから大丈夫だね」
「お嬢様、あいにく、ではありません、折角の、です。貴女にとってはとても良き天気なのですから、そんなことを言っては太陽が気の毒です。太陽がないと農家さんも困ってしまいます」
「でも、私の可愛い従者を困らせる人だからいいの。太陽は罪な奴。あと最近は人工灯での室内養液栽培も盛んみたいだよ? 私の国でも割と真剣に検討中」
「アイルランドは常に靄に包まれた国ですからね…… もっと豊かであれば、ジャガイモに頼ることもなかったでしょうに」
「本当にね… ううん、朝陽の言うように『折角の』登校日に、我が国の苦難の歴史を語ってる場合じゃないね」
「はい、参りましょう」
その主従が現れた瞬間、賑わっていた空間が、シン、と静まり返った。
息を呑む、とはまさにこのことで、歓声を上げたり、はやし立てたり、思わず声を掛けようとする者は現れなかった。
背筋を伸ばし、まっすぐに前を歩く美しい黄金の主と、その後ろを楚々とした所作で従う白銀の従者。
その完成された佇まいに、周囲の者はみな等しく圧倒された。
真に美しいものは、周囲を圧倒させるのだ。
その注目の人物であるエスト・ギャラッハ・アーノッツは。周囲の評価はどうあれ、まちがいなく緊張していた。しかし、傍を歩く健気な従者を思い、彼女がくれたシャムロックのリボンが視界に入るたびに、誇り高くあろうと自分を鼓舞する。
この緑の国を感じさせる子に相応しい主たろうと自身を戒める。
桜小路才華、いや小倉朝陽もまた、自身を徹底して黒子に置いて主を立てんと努力する。自身はただでさえ目を引く存在であることは承知だ。奇異の目や、差別の目で見られることもあるだろう。そしてその影響は主に及ぶ。ならば尚更恥じることない姿を見せなければならない。視界に彼女の従者たる証のスカーフが覗くたびに自身を奮起させる。
この緑の国から来た貴き人に相応しい従者たろうと、自身を律する。
彼女たちを見た者は、その異国の風貌と発せられる雰囲気に感嘆し、誰ひとり声を上げることなくその姿を見守っていた。
周囲に静寂を与えたまま、紅海を渡るモーゼのごとくの足取りで、緑の絆で結ばれた黄金と白銀はその場を去っていった。
「フランスの人かな……?」
「あの白いメイドさんは、ロシア人? それとも北欧の人なのかな」
「同じ人間とは思えなかった……」
「片方がリアルエルフで、片方がリアル妖精だったね」
「いやそれどっちも妖精じゃね?」
「絶対どっかの国の王族とか貴族とか、そんな感じの人だよあれ」
「だよね、あれコスプレメイドじゃなくて、ガチメイドだもん。ウチの学校にいるなんちゃってメイドじゃなくて、外国のガチよりのガチ」
「あー、ウチの学校でたまにいるメイド、今まではあれが本職か~ メイド喫茶とは違うな~ って思ってたけど撤回するわ」
「声かけたかったけど、声かけていい雰囲気じゃなかった…」
「むしろ俺らみたいなパンピーが声かけたら、不敬罪に問われんじゃね?」
「ありがてぇ… ありがてぇ…」
「生き神様じゃ… 生き神様じゃ……」
などと、2人が去ったあとではギャラリーがそれぞれ自身の所感を好き勝手に言い合っていた。そのどれもが敬愛、羨望、憧憬、拝礼……拝礼? など一部おかしなものもあったが、概ねどれも好意的なものばかりだった。
しかし、誰もが彼女たちを『遠い』存在として認識したのは間違いない。今後も彼ら彼女らが気楽に緑の主従に声を掛けることはないだろう。
だが、そんな気軽に意見を言い合う生徒達の中に、真剣な眼差しを送る人物が二人いた。
一人は、大蔵アンソニーJr。大蔵アンソニーの息子であり、才華、ルミネ、アトレにとっては又従兄弟に当たる人物。
彼はすでにアメリカで実力を認められているヘアスタイリストであり、今年からは桜小路アトレと同級生になる。イトウ・サクリこと八日堂朔莉同様、すでに彼がわざわざこの日本の学校に来たのは、単純に彼がアジア人の黒髪に興味を覚えたからである。
だから、彼としてはブロンドの女性は見慣れたものであったが、その中でも今の金の女性の髪は、文句なしの一級品であった。あれほど見事なブロンドは、いつかのパーティで見たジャンなんとかというスイス貴族の女性以来である。
だが、それ以上に。
(なんだ、あの子の髪は)
あの白く輝く髪、無二の美しさを魅せる髪。
普通ならすぐに声をかけて、専属のヘアスタイリストにさせてくれと交渉するところだが、何故か彼は足を動かせなかった。
(あの白さは、まるで新雪だ)
触れてしまえば、溶けて消えてなくなるような…… そんな真っ白い雪の結晶を連想させた。だから、迂闊に動けなかった。
なので、今日は見送るほかなかったが、それでもその白は彼の脳裏に鮮明に残る。また会う日がいまから楽しみと、と思考を前向きに切り替えられるのが、彼という男の美点である。
大蔵アンソニーJrと同じような感想を抱いたのが、山県大瑛である。
今日から親戚(叔母と従兄弟姪)が入学するということもあり、挨拶でもしなきゃと思いながら級友と談笑しているところへ、その主従が目に入った。
大瑛が黄金の主を見たときに脳裏に響いてきたのは、明るくも荘厳さを感じさせるケルト音楽。あの金の髪を少女には、アイリュッシュフルートやバクパイプ、フィドルの音色がよく似合うだろう。
そして、白銀の従者を見たときは、同じケルト音楽でありながら、異なる曲調の調べが響く。ゆったりと心に染み入るそれは、鎮魂歌のようだった。
(まるで妖精… いや天使だ)
素直にそう思った彼だったが、なぜかその比喩表現がよくないように思えた。
(天使…… 天の使いか)
つまりは死後の世界からの使い。なぜだかあの白い少女にその表現を用いるのは、冗談ではなくなるような空恐ろしさを感じさせる。
(ま、考え過ぎかな)
とはいえ、彼女は、彼女たちはまちがいなく実在する少女たちだ。なにかとインスピレーションを刺激してくれそうな2人ではありそうだし、次会うときは普通に仲良くなりたいな、と素朴にそう思う。それになにより
(いやしかし、なにやってるんだルミネさん)
知ってる顔が、物陰に隠れながら件の2人を追跡していったことの方に、意識が持って行かれた。
尚、大蔵ルミネと八日堂朔莉は、マンションを出た時からずっと少し離れて仲良く2人を見守っていたのだった。なにやってるんだ大富豪&大女優。
「こんにちは、日本人」
日本の学校では、授業が始まる前に簡単な式典があるらしい。といっても学院長による簡単な挨拶程度で、そう大仰な催しではないとのこと。
隣のエストさんは「近衛兵のパレードのような派手さがあれば素敵なのに」と言っていたが、確かに芸術学校なのだから、それくらいインパクトがあった方が、生徒のやる気につながるかもしれない。
フィリア学院はもともと服飾の専門学校なので、挨拶をするのは現役のデザイナーである学院長、ラフォーレ・ハンデルスバンケンさんが務めるらしい。学院長が多忙で不在の場合は、理事長が務めるらしいので、僕としてはりそな叔母さまと会えずに残念だけど、ルミねえとしては入学早々母親の顔を見ることになるので、ルミねえ的には良かったといえる。
そして、そのハンデルスバンケン学院長……長いから単に学院長にしよう。が、演台に立つと同時に快活なよく響く声で挨拶を始めた。
聞いた話によると、あの人は衣遠伯父様の旧友で、少し前にもパリで会って盛り上がったらしい。詳しくは聞けなかったけど、伯父様はとても満足気だった。
「諸君、入学おめでとう。緊張しているかな? 私はまあ、緊張はしていないね。君たちと私では親子ほども年が離れているのだから、緊張する方がむしろおかしいでしょう。というわけで、私は気楽だが、君たちはそのまま緊張していてくれ」
おお、なかなかウィットに富んだジョークが入った。会場の雰囲気も、彼の言葉で若干弛緩したように思える。
「昨日、友人に勧められた和食の店に行ったのだがね、その友人の舌が馬鹿だったせいで、胃が重くなるような味付けの料理を食べるハメになったよ。いや、和食は薄味の胃に優しいのがセオリーでしょうに。君たちも、味音痴な友人のお勧めは信じちゃいけませんよ」
あれ? その友人って、もしかして衣遠伯父様のことだったりしない? あの方、すごく濃い目の味付けが好きだから……
「いけないいけない、服飾の道を志して来た若い子達に話すことではありませんでしたね。それで、その時に街をみかけましたが、まぁ随分と日本もファッショナブルになりましたよね。私が学生の頃には信じられなかった話です。とはいえ、その頃からも才能を感じる者は日本人にもいましたが」
それもやはり衣遠おじさまのことだろうか。いや、たしか八千代も彼と同窓だと聞いているから、2人のことかもしれない。
「まあ、それでも平均的にファッションレベルが上がったこの国なわけですが…… どうもこのところ安定しすぎている嫌いがある。成長期のあとの停滞期でしょうね。これを越えれば安定期に入れるわけですが、それにはやはりきっかけが必要だ。そしてそのきっかけとはやはり才能。日本にも今世界トップのデザイナーがいる。そして彼女は他でもないこの学校の出身」
まさかここでお母様のことを持ち出してくるとは。貴方のことがすごく好きになりました学院長。
「そう、みなさんもご存知、桜小路ルナです。彼女はここの卒業一期生であり、この学院が輩出した最高の天才だ。君たちも、我こそ第二の桜小路ルナたらんと、切磋琢磨してください」
おお、ついに明確な個人名を! その調子でお父様の名前も出しちゃっていいんですよ学院長!
「とまあ、このあたりで挨拶の締とさせていただきましょう。いや、よかったですね皆さん。学院長がこの私で」
ん? どういうことだろう。あとお父様の名前が出なかったことは残念です。
「というのも、ここの初代学院長と来たら、初の入学生相手に『才能のないやつは無理に無理を重ねろ』だの、『才能のない屑は分際を弁えろ』だの、挙句の果てに『豚小屋から出てくるな』と来たもんですよ。まったく、ねえ、困ったものです。教育者に致命的に向いてませんね」
んー、どっかで聞いたような話だなぁ。めずらしくお父様じゃなくて、お母様から聞いた昔語りのなかに、そんな『大蔵衣遠伝説』があったような、なかったような……
「もっとも、そいつにとってもさすがに黒歴史らしいですが…… まあ、それができるのも若さというものです。君たちも、両手が後ろに回らない範囲で、張り切って勉強と努力と黒歴史を重ねて、いい服を作りなさい。以上! 学院長ラフォーレ・ハンデルスバンケンからの挨拶でした」
会場から割れんばかりの拍手が響いた。すごいな学院長、外見も性格もとても良い人じゃないか。流石は衣遠伯父様のご友人。
となりのエストさんも笑顔で彼を見送っていた。ここは、いい学院のようだ。
でも、なんで生徒代表挨拶の銀条さんは、即興歌をやったんだろう? 彼女、音楽部の声楽科じゃないよね?
~その半年前、パリにて~
「ウハハハハ! さぁ飲め飲め、久しぶりにこの面子での飲み会だ、昔日のテンションに戻られなければ、人生の不明! 過去の我々に申し開きが出来ん!」
「そゥうともぉ、イオンの言うとおりだ! すいませーん店員さん、ワインおかわり!樽でジョッキいっぱいに!」
「ハハハッハ! どこかで見たような、言ったような、聞いたような光景だ! ならば俺もやろうじゃないか! さあワインの一気飲みを……黒酢だコレ!」
「ハァ…… なんで私はこの20年間何も成長していない馬鹿3人に付き合っているんだろ」
「オイオイ、そりゃないだろヤチヨ。せっかくいつかのメンツでこう集まったんだ、今日は騒ごうぜぇ?」
「彼女はねジャン、照れているんですよ。昔からそうだったでしょ、べろんべろんになるまで、意地でもはっちゃけない」
「そして、一線を超えたとたん、我ら3人の手に負えんくらい暴れ散らす…… ククク、その気性は全く変わらんな山吹」
「変わってないのはアンタらもいっしょ。ていうか、学生の時と違っていい大人になったっていうのに、ホント何やってんだか」
「いいじゃないのぅ! 俺のブランドと、ヤチヨんとこのお嬢さんのブランドのパリコレ成功の宴会なんだから、騒がないと損だって」
「ジャンの言うとおり、珍しく君もパリに来て、ついでにイオンも欧州にいるこの機会に同窓会の一つもやりましょうよって話になったんだから。それで君も賛成した以上、もっと騒ぎましょうよ」
「この俺をついで扱いするとはいい度胸だラフォーレ。そしてわが娘メリルのブランドのことも忘れてもらっては困るぞ! さあその礼にジョッキを注いでやろう」
「お、ありがとう気が利きますねぇ。醤油だコレ!」
「ダハハハ、イオン、そりゃさすがに死んじまうって!」
「いや、一度くらいは死んだほうが良いと思う、割と本気で、ついでに大蔵君も、いつからメリルさん、アンタの娘になったの」
「信仰の力があれば生き返るのだろう? お前の宗派では。あと俺は不死身だ、死なん」
「あのね、信仰は抱くものであって、奇跡を演出するのはペテン師の領分だ。俺は信心深いけど、奇跡にはあいにく興味ない。これ、何度もいったでしょう。あとイオン、君いつから超人になったの」
「あれー? ラフィ、そんなこと言ってたっけ」
「言ったような気がします。俺がそう思ってるんだから多分そう」
「あ、これ、絶対今初めて言ったヤツだ。そりゃそうよね、コイツ理屈っぽいのは上っ面で所詮は感性で生きるデザイナーだもん」
「ククク、その通りだ山吹よ、そしてお前にしてはマシなことを言うじゃないかラフォーレ! そう、奇跡とは人間の努力の果てに結実する成果を、周りの人間が努力を、思考放棄して【あれは奇跡だから】と自ら実践しない自己正当化に過ぎん!」
「いやイオンの言ってることもわけわかんねぇって! ほんと、お前たち面白れぇよな!」
「恥ずかしいの間違いでしょ。自分で口にしたくないんだけど。私たちもう40超えてんのよ。それで20代どころか10代のノリとか、もうね。痛々しいを通り超えて寒々しいのよ」
「ふ、それはそう思う人間の心が寒いからだ」
「心に希望を灯しなさい。常に光を信じて進めば、年齢を恐れる必要などないのです」
「なに? ヤチヨ、まだ年のこと気にしてんの? 大丈夫だって、まだまだ美人よ? 五十六十すぎても結婚するやつだってたくさんいるんだから、ヤチヨもぜんぜんこれからこれから」
「目の中にレッドペッパーぶちまけるぞ」
「ええ、だって山吹さんが始めたことでしょ、年齢の話」
「言うなラフォーレ。これが更年期というやつだ」
「ああ、日本の女性は割と早いという、なるほど。頑張って山吹さん、信じるものは救われますよ」
「てめえら2人とも表出ろ」
「アハハハハ、なんだよヤチヨもエンジンかかってきたじゃん! さあ、今回はガチで俺の奢りだ! 店員さーん、今日はここいるお客さんの分も、全部俺のおごりで!」
「おお、ジャン! あの時アントワープで出来なかったことを、今やろうというわけだね! いいじゃあないか、そう、もう我々は貧乏学生じゃない!」
「イオンとラフィはあん時からもう金持ちだったろ、でもつか、格好つけといて何だけど、俺手持ちないんだよね、貸して?」
「断る」
「イヤ」
「ひっでぇ! それが20年来の友人に言う言葉かよ! なぁラフィ!」
「ちなみに、ブランドの経費でも落としません。経理のお嬢さんに文句言われるのは、俺なのでね」
「ああ、ちくしょう! さらば俺の愛車……」
「ハハハハ、ノリで大口叩いた自分を悔やむのだな、ジャン!」
「フフ、でもまあ、たまにはこうして昔を思い出すのも悪くないわね」
「おお、本当に山吹さんのエンジンが掛かってきましたね。さあ、ではいつぞやのようにテーブルに立って…」
「やりません。あと死ね」
「いいねいいね、じゃあイオンと俺でテーブルで踊るか」
「ククク、四十男2人のワルツか、さぞ滑稽な見世物になるだろうよ…… よし、やるぞジャン!」
「いや踊るならいっそサンバにしなさいよ、中途半端に上品ぶるんじゃありません。あ、それとも山吹さん、いつかのように『安来節』を熱唱します?」
「すいませーん、定員さん、ビール瓶ください、あ、空のやつでいいです、殴る用なんで」
「お、じゃあ次はビールにするか。ヤチヨがご所望のようだし」
「もうアンタらが大人しくしてくれるなら、それでいい、いい加減私も覚悟決めた」
「よし、では改めてジャンと我が親族の娘たちのブランドのパリコレ成功を祝して!」
「「「「カンパーイ!!」」」」
~暗転~
「こんな正体なくしたの、ホントにあの時のアントワープ以来……」
「む、どうした山吹。酔いがぶり返したか」
「さすがに路地裏だけは回避したけど、公園のベンチになっただけレベルアップかな」
「年齢を考えると、レベルダウンなように思うがな」
「ほんと、大蔵君は口が減らない…………… ねぇ折角だから聞いていい?」
「む、何をだ」
「色々、ラフォーレのこととか、大蔵君自身のこととか」
「ほぉ、いいぞ。元より君と俺の間に遠慮するような殊勝さなどあるまい」
「じゃあ、お言葉に甘えて言うけど、なんだろうな、確かにもういい年して何やってんだろうって散々思ったけど、今日は楽しかった。あの日に戻れたような気がしたから」
「なんだまた急にしおらしい…… とはいえ俺もだ。こんな日がまた来ようとは、以前ならば思うことすらなかった」
「そう、その以前。フィリア学院が立ち上がった時あたりの大蔵君は、私が知っていた人とは、随分変わっていた」
「だろうな、俺自身もそう思っている。だがそれはそれとして、君がどう思ったかを聞いておきたい」
「アントワープで別れる前の大蔵君は、『偉そうな馬鹿』だったけど、フィリア学院長の大蔵衣遠は、『偉そうな屑野郎』になってた」
「ククククク、『偉そうな屑野郎』と来たか」
「怒った?」
「いいや、その通りだと思っている。あの頃の俺は余裕がなく、自分自身の身を守ることに精一杯という程度の、小さな男だった」
「へぇ、そう思えるんだ。やっぱり年を重ねると人間、丸くなるね」
「素直に成長したと言え。とはいえ、そのことに気づく一端は、君の主たる桜小路ルナにある」
「あの子が?」
「彼女は、桜小路という自分の家から飛び立ち、独力で『自分の家』を築き上げた。実際、今や『桜小路』という名を聞いたものが連想するのは、世界的デザイナーとして名を馳せる彼女であり、『元名家』である本家ではない」
「…………」
「俺も、そうすべきだったのだ。所詮あの爺の座である大蔵の総裁という立場に固執などせず、己の才能を信じるならば、徒手空拳で自分の家を築き上げるべきだった。だがあの頃の俺は、大蔵といえば、『大蔵衣遠』以外に連想できないほどに、という気概を俺は持てず、奪い取ると豪語しつつも、結局はあの老人の後釜の椅子取りゲームに躍起になっていただけだった」
「………でも、大蔵と桜小路の実家では、規模も重さもまるで違うじゃない?」
「おや、俺をフォローしてくれるか。クク、やはり君は心根が優しい人だ。だが、やはり本質は違わない。そうして見誤った結果、全てを敵だと警戒していた、よく吠える弱い犬のようにな、ククク。まったく、大蔵衣遠こそが屑だったよ」
「でも、今は昔の大蔵くんに戻ってくれた」
「ああ、それだけは成長……というのもおかしいが、自分でも改善できたと自負している。桜小路ルナ、遊星、そして才華、そうした者たちあっての成果ではあるが」
「私も大蔵くんも、家族のことで苦労して、家族のおかげで幸せになれたんだね」
「そういうことだな。俺は、家族に恵まれた。形式上の親類関係ではない、本物の家族に」
「じゃあ、ラフォーレについては? あいつがどうしようもない状態から、さっきのような昔みたいになったのも、あの一件以来でしょ?」
「ああ、俺とラフォーレが殴り合いの喧嘩を起こしたアレか」
「うん、どう考えてもJPSの副社長と、大蔵家秘書長がやることじゃないもん」
「それもお互い齢も齢だ」
「ほんとにね。でも、どうして今になって行動を起こしたの? ラフォーレについては、私たちももう諦めていたのに」
「ジャンもか?」
「ジャンは信じてたみたい。『今ラフィは答えの出ない宿題をやってんだろうから』って。けど、流石のアイツも時間が解決するのを待っていたようだったけど」
「それだ」
「え?」
「俺たちは、明日死ぬかも知れない」
「……急にどうしたの?」
「これは真面目な話だ。我々が明日も生きているという保証は、何もないのだ。事故で死ぬかも知れん。通り魔に刺されるかもしれん。そして、急病で倒れるかもしれん。違うか」
「…………うん、そうだね。普通は考えもしないけど、そういうこともあるんだもんね」
「そうだ、我々は気づこうとしないだけで、死は常に我々の傍にあり、隙あらばその鎌を振り下ろす。『時間が解決する』余裕も与えずにな」
「……………ねぇ、大蔵くん。君がその考えに至ったきっかけって」
「ああ、あの子だ。それだけで君には分かるだろう。あの子ほど常に『死』を近くに見ている子もいないだろう。そうして、彼と接するからこそ、『時間が解決してくれる』などというのは、健常者の奢りだと思い知らされる」
「万が一明日死んでしまえば、後悔を残してしまう、ってこと?」
「ああ、ラフォーレには借りがある。あの日アントワープで俺が輝けたのは、奴の手助けあってこそ。その借りを返さないままで終わるような後悔を残したくない。フ、結局はラフォーレのためではなく、俺自身のためにやったこと」
「それでも、あいつが『気持ち悪い馬鹿』に戻ってくれて、私は嬉しいよ。ほんと、いつからかあいつはただの『気持ち悪い奴』になっちゃってたから」
「だが、同時に皆がいつかはラフォーレが戻ると、戻ってくれと思っていた。だが方法は分からなかった。だから」
「喧嘩したんだ」
「一番単純明快だ。聞き分けのないやつを殴って性根を叩き直す。基本だろう?」
「やってることが昭和のスポーツ漫画」
「だが、問題の本質も似たようなものだ。結局のところラフォーレの迷妄は、『ジャンに勝ちたい』という一点に尽きる。だが自分では敵わないと認めることができず、さりとてその友情から離れることもできず、どこにも行けなくなった結果」
「ジャンを超える天才を自分で作りあげれば、か。ホント、何でそうなっちゃったんだろうね」
「だから殴った。お前は負け犬だと罵った。あとは売り言葉に買い言葉の罵り合いと殴り合いだ。ククク、まったく愚かな話だ、服を作る者にとって手は一番大事だというのに、手が折れるのも構わないほどに殴り合ったのだから」
「顔面青あざだらけの2人を見たときは、もうホント明日世界が終わるんじゃと思ったもの。でも、一番の決めては何だったの?」
「先ほどのことを、つまりは『健常者の傲慢』についてをラフォーレにも伝えた。お前は悠長にジャンに匹敵する才能を育てるつもりらしいが、明日お前が死ねば? その才能が死ねば? 今できることを先延ばしにする男に未来があるわけなかろう、とな」
「……そっか」
「だがそれは奴の心を揺さぶりはしたが、決定打にはならなかった。やはり一番の決め手は、この俺が素直になったことだな」
「え、つまり?」
「『お前は俺の大事な友人だ。それをいつまでも迷走させたままでいると思うか。お前はデザインではジャンに勝てんが、それ以外では全てが上だ、その自分を認めて、いや信じてやれ。お前自身がお前を信仰しないでどうする』とな」
「うわ、そんなセリフを大蔵くんが? とくに前半部分は信じられない」
「ああ、だからやつもポカンとしていたよ。その後大笑いして、殴り合いの続きになった」
「それで、引き分けで2人で大の字になってそろって空見上げて大笑いと、ほんとに昭和の漫画だね」
「全くだ。だが、それで奴の心も変化が訪れた、当然すぐには変われなかったが、とうとう今日という日を迎えられた」
「今回のパリコレのデザインの目玉、ラフォーレのものだったね」
「ああ、どうも奴は今回で自身のデザインを出すのをやめ、今後は裏方に徹するらしい」
「うわひどい、勝ち逃げじゃん」
「ジャンもそう言っていたようだ、『そりゃないぜラフィ』とな」
「ラフォーレはそれになんて?」
「『20年以上も君に振り回された迷惑料ですよ。諦めて受け取ってください』だそうだ」
「あはは、アイツらしい、うん、ほんとに昔の、私が知っていたアイツらしい」
「今後は後進を育てることに力を入れるらしい。フィリア日本校の学院長も続けているしな」
「そうだね。懐かしいなぁ、フィリアの教師生活」
「俺も君には色々迷惑をかけた。ラフォーレも何かと苦労しているようだが」
「今だからいうけど、私も大蔵くんやラフォーレのこと、あんまりとやかく言えないんだよね。私もあの頃は余裕が無かった」
「桜小路ルナを守るため、にか?」
「うん、完全に私の一人相撲だったけどね。あの子はそんなことを私に求めていなかったから。でも、あの子を守ろうと必要以上にピリピリしてたところ、自覚してる」
「俺も、君も、ラフォーレも、やはり変化は訪れるものだ、良い方向にも、悪い方向にも」
「幸い、私たちは悪い方向に行ったあと、良い方向に戻れたね」
「ああ、ならば2度と悪い方向に行かぬように心がけんとな、お互い」
「ほんと、変わらないのはアイツだけだね。アイツだけはずっと『ただの馬鹿』のまんま」
「だからこそ、アイツは特別なんだ。それは、我々誰もが認めるところだろう」
「ま、ラフォーレはそれで苦労したわけだし…… うん、そろそろ酔いも覚めてきた」
「起き上がれそうか」
「うん、膝貸してくれてありがとう」
「ならば、そろそろ解散するか。積もり話もだいたい終わった」
「そうだね。今日は本当に懐かしい気持ちになれた。色々と散々だったけど、良い日になったよ」
「フ、俺もだ。ではタクシーを捕まえよう。君はそれでホテルに戻るといい」
「大蔵くんは?」
「もう少し余韻に浸っていたい」
「変なところでロマンチストなんだから」
大蔵衣遠とジャン・ピエール・スタンレー
この二人から、あらゆる全てが始まりました。
八千代はルナと、サーシャはユーシェと、そこに衣遠の弟である遊星。
マンチェスターの屋敷で、屋根裏の母子を襲った悲劇、大蔵家の罪がなかったならば、あるいは普通に育って、先達から教えを受ける後進として出逢っていた可能性も。
例え、“小倉朝日”という存在がなかったとしても、いつか3人は出逢っていたように思います。
りそな、メリルが大蔵の血という縁ならば、ルナとユーシェはデザインを縁に、きっとパタンナーである遊星と惹かれ合っていると。
そして、この話のラフォーレの出番はこれで終わりです。すまないラフォーレ。だってあなたの問題は友人が解決しちゃったから・・・・・・
教訓:酒は飲んでも呑まれるな