月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
学院生活を思いっきりエンジョイしてるブルジョワ自由人コンビ
そして巻き込まれる一般庶民コンビ(大富豪と大女優の怪進撃が止まらない)
19話 裏タイトル 【ルミねえさまの40ヤード走は4.8秒です】
メスガキだいすきの会様、どうぞう様、誤字報告ありがとうございました!
入学式が終わって僕たちは教室へ赴く。ここが僕とエストさんが学ぶ教室となるのか。当然のことながら、見知らぬ顔ばかりだ。
僕は、学校に通ったことがない。病院の養護教室になら何度か顔を出したことがあるけれど、それも家庭教師のほうが効率がいいと両親や衣遠伯父様が判断したため、アメリカでは駿我さんが手配してくれた家庭教師による教育しか受けていない。それも半分以上は通信越しのリモート教室。
なので、集団生活の経験が絶無だ。当然ながら、何をすればいいかのノウハウなどない。しかし、元より僕は従者。勝手に動いていい立場ではないから、エストさんに従うまで。
「…………」
「…………」
エストさんも動く気はないようだ。たしかに見渡す限りこの教室は日本人しかいない。そのため海外の容貌をしている僕たちはとても目立っており、とけ込めていない。端的に言えば浮いている。
そのためか、向こうから話かけてくる気もないようだ。遠巻きに僕たち2人の様子を伺うだけで、挨拶してくる気配はない。
ただ………
「金髪の方はどこの国の人かしら? フランス? イギリス? それともドイツとか?」
「あの白い綺麗なメイドさんの方は、やっぱりロシア人なのかな」
という言葉が耳に入ってくる。この内容を聞く限り、あまり彼女たちと仲良くする必要はなさそうだ。多分会話が合わない。
「朝陽、あそこにるのはウメミヤさんじゃない?」
「はい、本当ですね」
エストさんの目線の向こうに、以前マンションで出会った梅宮……たしか伊瀬也さんと、その従者の人がいる。
以前は娼婦のようなメイド服を着ていたけれど、今日の彼女は制服だ、主人の梅宮さんと同じこのフィリア日本校の指定制服を着ている。メイドは服装が自由なので、最低限のマナーを守っていればどんな服装をしても咎められることはない。
なので、彼女が以前のメイド服のままならば、その『最低限のマナー』に抵触したことだろう。
彼女が今着ているの制服はきちんとダーツを取り、固めの芯地で立体を作ったのか、メイド服の時のような垂れたバストはしていない。その点は好感が持てる。
しかしそれはそれとして、また別に主従の装いとして気になることが出来ている。
「挨拶に行こうか、知らない間柄でもないもの」
「お嬢様のなさりたい通りに」
エストさんといっしょに、梅宮さんを中心に会話で盛り上がっていた輪の中へ向かう。話の内容は服飾関係のことではないので、あまり興味を惹かれなかった。
しかし、話に夢中な人たちの中に割り込むのも難しい。エストさんも話の流れが途切れるタイミングを狙ってるようなので、ここは従者として僕が切り出そう。
「もし、お話の中、申し訳ありません。私の主人が挨拶を望んでおられるので、宜しいでしょうか」
「あ……… あの時の」
「あの時の、お二人ですね」
梅宮さんの表情に緊張が走る。確かに、以前出会った時の印象から言えば、僕はちょっと彼女にとって苦手な人になるのかもしれない。
対人関係が乏しい僕の推測が当たるかどうかは分からないが、彼女は『またダメだしされるかも』と身構えている可能性はある。
そして、それは外れているとは言えない。
「お久しぶりです、ウメミヤさん。改めてよろしくお願いします。以前お話したとおりに、一緒の教室でお互い頑張りましょう」
「あ、はい、こちらこそよろしく」
「お嬢様ともども、よろしくお願いいたします。梅宮さま、大津賀さん」
「はいー、よろしくお願いします」
挨拶は終わった。ならば、僕としては見過ごせないことを言おう。どうしてか、この主従を見るとその気持ちが湧いてくるから不思議だ。
「お嬢様、私からお二人にお尋ねしたいことがありますが、宜しいでしょうか」
「うん? 構わないよ。ウメミヤさんも、宜しいですか?」
「ひゃい!? え、うん、か、構わないよ」
どうも、警戒されているようだ。以前ダメだしされた経験は、意外と彼女の中で根強いらしい。
とはいえ、そう警戒される内容でもない。
「大津賀さんは、制服なのですね」
「あー、はい。以前あなたから指摘されたこともありますが、もともと私も制服で通う予定だったので」
そうか。彼女は、このデザイナー科の特別編成クラスで、従者でありながら制服を着ているということは。
「貴女も、服飾の道を志している方なのですね」
確か、あのときの彼女のカチューシャには、主人の伊瀬也さんが髪を結うリボンにしている飾り紐が装飾されていた。あの服には問題があったが、そのお揃いの飾りは、主従の繋がりを示す良い意匠だったと思う。メイド服から着替えたとはいえ、そうしたお揃いのデザインは残すべきだと、僕ならば思うのだけれど。
それさえ外しての制服なのだから、彼女もまたかつてのお父様やメリルさんのように、従者でありながら服飾の道を……
「いえ、私の専攻は、建築方面なのでー」
…………なるほど。僕とこの梅宮の主従とは、根本から考え方が異なるようだ。少なくとも、今の彼女はマナーを守った服装をしている。ならばこれ以上の指摘は野暮だし、他家の者が口を出すことは、エストさんに迷惑がかかる。
「そうですか。いえ、大変お似合いですよ」
ならば、笑顔でこの場を流そう。そしてもう僕から関わることもないだろう。
「あの、なにか? 大津賀さんが制服着ているのって、おかしなことなの?」
と思っていたら、その主人が話を続けてきた。なんだろう、僕=批判される、という構図が彼女の中で出来上がっちゃってるのかな。それは申し訳ない気はする。
ただ、周りを見渡しても、他の従者はみなメイド服か、スーツ姿だ。年齢の差もあるのだろうけれど。
梅宮さんの言うとおり、彼女の格好におかしなところはない。ただ、自身の存在主張としてそれで良いのかと思えてしまうだけ。ここは、デザイナー科なのだから。
「いえ、何もおかしくありません。朝陽も言っていたように、制服が似合っていますね、というだけですよ」
相変わらずエストさんにフォローされる僕。危うくいらないことまで言うところだった。ありがとうございます、我が貴き主。
「そ、そっか。おかしくないならいいんだ。うん、おかしくないんだよね」
「はい、大丈夫です」
おかしくはないけど、おかしな話だ。自身の個性こそを前面に出すべきデザイナーを志す者が、『周囲と変わりがないこと』を気にするなんて。
「な、なんだか話に加わりにくい雰囲気」
「恐れ多いというか、なんというか」
「う、梅宮さんは、彼女たちとご友人なんですか?」
今のやりとりで、近づきがたい人物と判断されてしまったようだ。ただ、もしかしたらその方が良いかもしれない。
僕もエストさんも、服飾の腕を磨くために教室に来た。エストさんは『アメリカにいたままでは出来ないことをやりたい』と言っていたし、僕にも両親の道を辿るという目的がある。無理に友達を作りに来たわけじゃない。もちろん、話が出来る友達ならば歓迎したいけど。
「友達っていうか、同じマンションに住んでて。友達っていうか、一度しか話したことないよ」
「私たちは海外から来たばかりで、知り合いは殆どいないのです。出来ればこの子ともども、皆さんと仲良くなれるようにしたいです」
エストさんは気さくな雰囲気で語りかけるが、周りの人たちは気のない様子で頷くだけだ。もしかしたら、エストさんの容姿や雰囲気に呑まれているのかもしれない。なにしろ我が主はとても美人だから。飛び抜けた美は周囲を圧倒するものだ。
「わざわざ海外から来るなんて、すごいよね。うん、すごいよ。あ、でもちょっと小耳に挟んだ情報によると、この教室にもう一人外国人がいるって」
「そうなんですか? どこの国の方でしょう」
エストさんも知らなかったのか、興味深そうに聞き返している。無論、僕も知らない。どこの国のひとだろう。中国とかアジア系かな?
「それがフランスとかなんとか? 結構な大物みたい。向こうでは幾つかのコレクションで賞をとっている、実績のある人だって」
へぇ、フランス人なのか。でも、そうなると、どうしてパリ校に通わないのだろう。レベルは断然向こうの方が上だろうに。なにか事情があるのかな。
「フランスの方ですか……」
エストさんも同じ思いのようで、考え込むような表情になった。そこへ――
「皆さん、席についてください。それでは最初のHRを始めます」
担任の教師が現れた。先日も会ったばかりの樅山紅葉が、さほど気負った様子もなく教室に入ってくる。初担任とは言え教師生活もながい彼女、緊張などの心境はもはや遠いということだろうか。素直に尊敬。
教師がやってきたので皆が各自の席に戻る。僕たちの席は、日の当たらない場所に指定されていた。従者の都合で主の席を決めてしまい申し訳ないが、この配慮はエストさんがしてくれたものだから、ありがたく受ける。
彼女は、僕がその件を話す前に、あらかじめ学校に連絡を入れ、自分の従者の体の都合を伝えてくれて、日光の当たらない場所を自分の席にしてくれと願い出てくれた。それは受理され、その話を聞いた理事長のりそな叔母さまは『良き主を持ちましたね』と電話でエストさんを褒めてくれた、嬉しい。
「あ、それじゃあお互いの事をよく知るために、自己紹介から始めましょう。あれ、でもまだ全員揃ってない……」
「私の教室ここ?」
紅葉が最初のHRを進行しようとした瞬間、教室のドアが開きブロンドの少女が現れた。
第一印象、やわらかそうな、綺麗なウェーブがかかった金の髪、好き。
手入れが完璧で、僕が出来そうなことが何もないのが惜しい。
彼女が、件のフランスから来た生徒だろうか?
「あ、もしかしてジャスティーヌさん? ちょうどHRを始めるところだよ」
「小っちゃ!」
「あなた生徒? 私と同じ制服着ないでいいの?」
「私はこのクラスを受け持つ講師の樅山です。あなたの担任でもあります」
「あなた先生? 小っちゃ! 日本人って大人になると背が縮むの? おもしろーい」
ふむ、彼女の言動と容姿から察するに、もしかして飛び級でこの学院にやってきた才媛ということなのだろうか。パリ校では飛び級の制度がないから、日本校に来たとか、そういうことかな。それなら態々フランス人が日本校に来た理由も納得だ。
でも、日本校に飛び級の制度てあるのかな。あいにく細かい学院の規定までは読んでいないので、よく知らないのだけれど。
あ、でもそういえば伯父様が以前、僕が健康体&男子部生徒がローマ校に移籍してなければ、飛び級扱いで2年生に編入させることも出来る、という可能性を示唆していたから、やり方次第では出来るのかな。
「ね。みんなも面白いよね」
別段面白いことはないが、彼女は箸が転がっても面白い年なのかもしれない。それともフランスでは笑いどころなのだろうか。お父様&お母様&伯父様&叔母さまが言っていたけれど、フレンチジョークって他国人にはさっぱりらしいから。
「なにあの子。身長140cmないんじゃないかしら? すこぶる小学生みたい」
どうやらこの教室も国際交流の壁に当たったようだ。
「は?」
彼女はペンを持って今口にした生徒を落書きした。なぜ抵抗しなかったんだろう。
「え、なに? なにしてるのおおおオオオォ!?」
「肉便器。あはははは肉便器。雌豚! 雌豚!」
ううん、これもフレンチジョークの一環なのだろうか? 特にパリのジョークは相当ドギツイって有識者全員口を揃えて言ってたし。とはいえここは日本なので、その国にいるからにはその国のルールに則るのが礼というもの。少なくともエストさんはそうしている。
ただ、彼女は幼いので、その塩梅がまだ分からないのかもしれない。
「ジャスティーヌさんやめさない! そんなことをするのは先生許しません。謝りなさい」
「ごめんなさい、これでいい?」
あっさり謝ったところを見ると、やはりフレンチジョークだったのだろうか。ダメだ、僕にはさっぱり分からない。
「私はジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ。パリの貴族。ラグランジェ家は旧伯爵家の家。この中に伯爵家以上の家柄の人いる?」
………いくら幼かろうが、ここでその発言をするのは駄目だろう。先ほど梅宮さんから聞いた話が彼女のことならば、彼女はすでにパリのコレクションで賞を取っているはずなのだ。彼女に抱いていた感情が、スーっと冷えていくのを感じる。
君は、何をしにここに来た。
「あと私の叔父さん、今の駐日フランス大使の書記官。超偉いよ」
それが君となんの関係がある。書記官と服飾教室に、どんな関わりがある。
久しぶりに、あの子に関わらないところで『
「私ね、日本人が大嫌い。デザインだって私の方が絶対良いもの描くから、私は私の好きなペースでやるね。邪魔だけは絶対しないでねー」
愚かな。その自負があるのならば、まずはそれこそを提示すべきだった。天才の邪魔をする恥知らずは、自然と排斥されるだろう。
その行為は、よほど自信がない者の取る行為だ。実家の後ろ盾を誇示しないと立っていられない人間でないのならば、すべきではない行為。
我こそが最高のデザイナーたらんと誇るならば、それを証明して見せろ。服で、服飾で、服装で。それが、一流のデザインを志す職人魂、矜恃というもの。
「何あの子! 白い!」
僕の、いや『
来るか。
来るがいい、そして見るがいい。我が衣装と、我が主の衣装を。
「しかもすごく綺麗! インスピレーション湧いてきた。ねえねえ、ちょっと髪の毛触らせて――」
「この子に触らないで」
ああ、やはり前に立ってくれた。我が貴き人。
「あ、貴女も美人さんだね。どこの国のひと? 私、綺麗なひとは好き――」
このパリから来たお嬢様に、悪気はないのだろう。だが、だからこそ許容しがたい。
貴女は、何を目指し、何をしにこの学院にきたのだ。
「私の従者…… 朝陽は、肌も、髪も、体も、とてもデリケートなの」
「え」
「だから貴女が興味を持っただけで気軽に手を出していい体じゃない。落書きなんてしたら、その頬を叩いても許さない」
傲然と僕を守るために立ちはだかるエストさん。その姿からモハーの断崖の威容がごとき頼もしさを感じる。
そうだ、私たちの国は、どんな理不尽に晒されても立ち続ける不屈の国。その誇りを彼女から強く強く感じる。
「え…… 私、そんなつもりはなくて。まだ何もしてない」
「確かにこの子には何もしていませんが、他の方々にはしたでしょう」
敢然と立ち向かう緑の国の乙女。可能性を考慮すれば、我が主のとった行動は正統だ。僕は貴女を肯定し、支えます。
「あなたどこの国のひと? 名前は!?」
ああ、その言葉を待っていた。ならば、今こそ自分の出番。
「我が主が、どこの国の者であるか。それを口にしないとお分かりになりませんか? 芸術の都から参られたお嬢様」
「え? 貴女なにを言って――」
「我々の衣装をその目でご覧になられながら、お分かりになられないのであれば、申しましょう」
「衣装? ―――っ!」
訝しげに僕とエストさんを交互に見ていた彼女の目が、ハッとしたように見開かれた。
「シャムロックのリボン…… お揃いのカフスの緑のパイピング…… それにその光沢は、アイリッシュリネン…」
やはり彼女はパリの人。僕たち主従の衣装を見て、その意味をしっかりと捉えてくれた。
ならば――
「私の、服」
気づくはずだ。そう、彼女の着ているものは、何も他と違わない、学校指定の制服。
だが、それだけならば恥じることはない。学校とはフォーマルの場所。立場ある人間ならばこそ、それをおいそれと崩すことは憚られる。
だからこその――
「ジャスティーヌ様!」
従者なのだ。特別編成クラスの上流の子女たちは、そうであるが故に崩した改造制服を許されない。校則で決まっているわけではないが、上流ならでこその不文律。
その縛りの中で、自身のデザイナーの感性を披露するためにはどうするか? 一般科の生徒のように、自身の服装で表現できないのならば、そう、従者の服装で示せばいい。
従者の服装は自由だ。曲がりなりにも「制服」の体裁を整えねばならない一般生徒と異なり、特別編成クラスの生徒は、従者を用いてそれを自由に表現できる。
だから、このパリから、芸術の都から来た少女の、デザイナーとしての真価が問われるとしたら、その従者の服を見ればいい。
そして、現れた彼女の従者の服装は―――
「―――!」
「すみません! お嬢様みうしなって…… あの、お嬢様?」
パリの少女は、愕然とした表情で自分の従者を見た。“指定された制服”のまま現れた従者を。
「帰るよ。カトリーヌ」
「え!? あ、あの? お嬢様!?
「いいから帰るの! こんな失態、伯母さまに合わせる顔がない……」
彼女は何が起こっているか分からない表情の従者を引っ張り、教室を去っていく。
「あ、ジャスティーヌさん! まだ教材や授業の説明がありますよ」
「そんなの後でいい。これは私の誇りの問題。取り戻さない限り、この教室に、その2人の前に立てないもの」
やはり彼女は才能ある人だ。僕たちの姿を見て、自身の犯した不明を恥じている。
彼女たちは、その服装の中に、何一つフランスやパリを彷彿させる工夫も、これが芸術の中心だと証明する意匠も盛り込まなかった。
そして、僕たち主従はそれを示した。服飾の道を志す者として、まして多くの賞を取った人であるのならば、これを失態と思わないはずがない。彼女は本物だ。彼女に対して固くなっていた心が、ほぐれていくのを感じる。
「ごめんなさい、ジャスティーヌさんたちには先生があとで話しておきます。だから気持ちを切り替えて、自己紹介の続きをしましょう」
荒れてしまった場を紅葉が収めていると、僕の手をそっと握ってくれる人がいた。
無論、誰であるかは言うまでもない。
日本校では初日からの授業はないらしい。となると後は帰るだけだが、それは少しもったいない気もする。
「折角だし、施設を見て回ってみようか」
「そうですね。とはいえ、入れる施設も限られそうですが……」
「残念だね。でも、行ける範囲で回ってみよう」
エストさんと僕は学内を探検というより散歩した。なんだか最近僕らのライフワークになってる気がしないでもない。
「日差しは大丈夫?」
「はい、まだ4月ですし、窓越しの光ならばそれほど。多少ならば外に出ても大丈夫です。とはいえ、これが6月以降の日差しになると、さすがにサングラスと日傘が必須になりますが」
「う~ん、そうは言ってもちょっと心配。教室に日傘を置いておけないか、先生に頼んでみようかな」
「いえ、流石にそれは……」
従者の都合で主人にわがままを言わせるのも気が引ける。
「貴族の主人に傘を差すのは、昔からの従者の努めでしょ? それで傘を差すその時、たまたま私が日傘の気分じゃなかったから、従者に差させる、というだけだよ」
「お嬢様……」
気遣いが嬉しい。僕は本当は周りに過度に気遣われることは、根本的には忌避感を感じてしまう。どれだけそれが善意と親切によるものと分かっていても、そこには絶対的な「強弱の関係」が浮き彫りになるから。
僕は、弱い。弱いから親切にされる。
でもこの人のそれは、それが自分の責務という自負を感じる。ああ、彼女は本当に僕の主たろうとしてくれているんだ。
「さ、次は食堂に行こうか。そろそろお腹もすいてきたし」
「……はい!」
我ながら、めずらしく言葉に力がこもったのを自覚する。エストさんもちょっと驚くような表情をしていたけど、すぐに微笑んで歩き出す。
けれど残念ながら、到着した一般食堂は満員で、食券売り場に長蛇の列が出来ていた。
「人間、諦めが肝心だね」
「はい、あそこであの大行列に並ぶのは、気が滅入ります」
なにより貴族らしからん振る舞いになる。貴族とはやせ我慢という一面もあり、日本で言うならば「武士は食わねど高楊枝」だろうか。振る舞いや言動に自由がないのだ。
「マンションに帰りましょう。いつもどおりになってしまいますが、私が昼食を作りますので」
「うん、朝陽のごはんはおいしいもの、楽しみ」
ここ2ヶ月半、昼食は僕が作っていたので、多少腕前は上がったと思う。お父様や壱与には遠く及ばないだろうけど、九千代には少しは近づけたのではないだろうか。
「あれ? でも、あそこにいるのって…」
エストさんの視線の先に、複数の人影があった。それも知っている人影だ。
「ないわー、あの混み様はないわー。でもなにより、この状況が一番ないわー」
「いやありえねぇだろ、何が起きたか、てか起きてるか、今でも分かんねえよあたしゃ」
「いいじゃない、日本の今を支えるおじさんたちは、今日もどこかでこうして立ったまま麺類すすってるの。これも日本の風物詩」
「地べたに座るのはよくない。立ったままならば伝統。屋台があれば完璧」
「いやま、そりゃいいんだ、うん、カップ麺の立ち食いなんて、うん、あたしたちにはお似合いなわけで」
「んだんだ、浅間山荘の自衛隊の方々も、こうしてあの日清さんの伝説ヌードル食べてたわけだし」
「あら博識。そうね、日清の創設者が考案したチキンラーメンを、さらに携帯的に改良したのがかのヌードルだけど、最初は鳴かず飛ばずだった。それを一躍全国的に有名にしたのが、あの事件。デザイナーのお嬢さん、失礼だけど見た目と違ってお勉強熱心ね」
「伝説的な企業家は先見の明があるという証拠だね。私も見習わないと」
「うん、その話はまあそれでいいんだけど、それで、なんで、大蔵さんが私らとカップラーメン立ち食いしてんの?」
「それも、有名なイトウ・サクリさんまでいっしょに。驚きすぎて一周回って普通にラーメン食っちゃってますよ」
「え? だって食堂満員だったから」
「初HRが終わって、親戚に挨拶に行こうとしたらいなくて。じゃあ帰ろうとしたら友人の朔莉さんとばったり、じゃあ昼をいっしょにという流れで満員。仕方がないから買おうとコンビニ寄ったら同級生の一丸さんがいた。という流れだね」
「あ、うん、その流れは分かりました。いや、だから、なんで私らといっしょに?」
「うんだべ、ねして世界的大富豪と大女優があてくしらパンピーと即席麺の立ち食いを?」
「ルミネさん、どうして?」
「なりゆき?」
「そっかー、なりゆきかー、ならしかたないなあパル子」
「おお、そだなきゅうたろう。なりゆきならしかたねぇなー」
「納得いただき光栄」
「今後共よろしくね」
「いやそうはならんでしょー! 何? 何が起こってる、おい、説明しろパル子」
「いやきゅうたろうが分からんことを、あてしが分かるわけねえっす」
「理由は単純。入学式で愉快な歌唱を披露した貴女にちょっと興味があっただけ」
「私は、普通にクラスメイトの一丸さんと親交を深めようかな、と思って」
「あ、そ、そうだったんスか。なんかその、照れますね? こっちもよろしくです大蔵さん。大蔵さんって、やっぱあの大蔵の人なんですよね。なんであたしみたいな庶民と」
「その大蔵だけど、所詮ウチの家なんて成金だよ。お金持ってるだけの一家。長い歴史がある旧華族の人たちから見れば、下賎な成り上がり。そして私は未だ
「はぁ、そうなんすね。なんつかーか、お金持ちはお金持ちなりに苦労があんだなー。でも月10万は小遣いとしては破格だと思います」
「敬語はなくていい。同級生でしょ」
「あ、でも、しばらくはこれで、庶民感覚抜けないもんで。でもま、よろしく大蔵さん」
「ん、よろしく一丸さん」
「ルミネさんに新しいお友達が出来たようで羨ましい。そんなコミュ力持ったことないから。臆病な私は、この素敵な歌声の方とご友人になれるきっかけ作れそうにないもの」
「たははー。あれは、もうとっさに頭真っ白になって」
「そだ。おいお前パル子、あれなんで歌った」
「いやね、一度原稿用紙忘れたまま舞台上がってみればわかるよ。なにか言わなきゃって焦るし、先生も急かすし、正直逃げ出したくなるし」
「それ分かる。私もアドリブにはめっぽう弱いもの」
「え? イトウ・サクリさんもですか? いや~信じられないっす」
「うん、嘘だし。私アドリブは強いもの」
「嘘かーい!」
「この人、性格わりと腐ってるの。それでもまあよろしくね」
「あらひどい、もう少し事実をオブラートに包んでくれてもいいのよルミネさん」
「てか、大蔵さんみたいな人でも、カップ麺たべるんすね」
「食べるよ。私の養母なんて、プライベートになるとベッドに寝転んだままスナック食べてコーラ飲みながらネットゲームする人だし」
「うわなにそれ、私らとなんも変わんないじゃん」
「そんなもんだよ実際。まあそれ以外でも、系列の食品会社の新開発品の試食とかもするしね。10種類の新作カップ麺並べられたときは、養母の顔をひっぱたこうかと思ったけど」
「なにそれ地獄。私もアメリカで忙しい時はホットドック&ハンバーガー地獄だったけど。もしくはピザ地獄。そりゃ生活習慣病大国にもなるわよね」
「セレブな方にも苦労がたくさんなんですなー」
なにやら知ってる2人と、同じく知ってる2人が仲良く立ったまま食事していた。
非常に珍しいというか興味深いというか、そんな光景。
「……面白い組み合わせだね」
「はい…… 私も驚いています。ですが、ルミネお嬢様と一丸さんは、同じアパレル経営科みたいですね」
「そうみたいだね。ハルコさんも私達と同じデザイナー科だから、私たち5人は服飾部の生徒になるね。サクリさんは違ってしまうけど」
「私たちも、ご挨拶に参りましょうか」
その後、僕たちも挨拶に行き、軽く言葉を交わしたたところで教師の人に見つかり、4人は蜘蛛の子を散らすように解散していった。一番逃げ足が早かったのはルミねえだった。逆に一番遅かったのは銀条さん、ルミねえと10m以上離されている。
大蔵ルミネ嬢164cm、足が長いモデル体型。一方の銀条春心さん概ね144cm、胴長短足の日本人体型。歩幅が違いすぎる。
「なにやら台風のような一幕だったね。カップ麺というのを、食べたかった気もするし」
「ダブリンやロンドンには、無かったのでしょうか。もしくはNYでは」
「あったとは思うけど、やっぱり立場があるからね。特にロンドンは階級意識が強いから」
「でしたら、買って帰りましょうか? 地下街のお店でもおそらく売っていると思いますし」
「ううん、いいよ。日本にいる限りいつでも機会はありそうだし。朝陽が作ってくれるご飯のほうが、好きだもの」
「ありがとうございます、お嬢様」
そう言われては、腕によりをかけないわけにはいかない。さあ、壱与にも負けない料理を目指して頑張ろう。献立はどうしようかな。
その頃の桜小路家
「アトレの入学式が終わるころだね」
「おお、そういえばそうだな。まああの子はしっかり者だ。すぐに友達を作り、学校生活を卒なく過ごすことが出来るだろうさ」
「楽しく、ではなくて?」
「あの子も、あの子なりに思うところがあるだろうからな。それは君にも分かるだろう」
「そうだね。アトレは、今回の学校でも、我が家で最初の入学になるから」
「とはいえ、りそなのところの娘さんも入学しているんだろう?」
「ああ、ルミネさん。アトレとも仲良くしてくれているみたい。たしかアパレル経営科だったかな」
「ふむ…… 中々面白いところに入ったな。りそなの影響で、服飾に興味が多少はあるのだろうか、以前会った時はそんな素振りもなかったが」
「どうだろう。案外アトレが入学したから、一緒に通いたかったという理由かも知れないよ。あの二人は昔から仲が良かったから」
「ハハハ、まるで普通の家庭のような入学動機だ。いいな」
「うん、僕たちの家も、りそなの家も、普通の家だよ。ああ、たしかアンソニーさんのお子さんも今年から入学じゃなかったかな」
「なに? たしか駿我さんのところの末弟もフィリアじゃなかったか。なんだ、一族若世代勢揃いじゃないか」
「うん………」
「気に病むな。あの子が通えないのは、誰のせいでもない」
「そうだね、今日から才華も紅葉の家庭教育が始まるわけだし、応援の電話を入れておかないと」
「ああ、そうしてやれ」
「じゃあさっそく… あれ? 才華からメールが来ている。なになに『ちょっと気合のはいったアイルランド料理を振る舞いたいです。でも昼食なのであまり重くならないメニューがいいです。お父様のお勧めはなんでしょうか?』か。よし」
「なぜ急にアイルランド料理を? というか相手は誰だ? 壱与か? それとも紅葉か?」
「『ベイクドポテトと、シェーズパイと、アイリッシュシチューあたりがお勧めかな。ちょっと時間がかかるから、できる間にフィッシュ&チップスでもつまんでもらったら良いと思うよ』、と、送信完了」
「そしてなんの疑問も持たずに返信するな夫。まったく本当に才華のことになるとこれだ」