月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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学院編リスタート
ただし、まだ全ての秘密が明かされたわけではなくて

22話 裏タイトル 【美少女時代は許された】

ケイトYニア様、錫ノ音 橘鏤さま、ダックスフンド様、誤字報告ありがとうございました!


22話 パリの主従、明かせぬ秘密

 

 体調回復、心機一転。

 

 などという都合の良いことは、残念ながら僕の体には起こらない。なんとか退院したものの、やはり体調は以前の7割程度がせいぜい。

 

 それでもこうして再びこのメイド服に袖を通すことが出来て良かった。伯父様に言われたとおり、1回目の発作は見逃してもらえたが、2回目以降は長期入院、少なくとも1ヶ月は病院にいることになる。そうなると、流石に学院生活は厳しいだろう。感覚として理解もしている。

 

 「貴女の元に帰ってまいりました。お嬢様」

 

 「お帰りなさい、私の朝陽」

 

 時刻は夕方、学院から帰っていた主に迎えられるという、贅沢なことになってしまったが、この65階にまた来れたことも嬉しい。

 

 僕たち主従は、入学式にだけを顔を出した後、エストさんは翌日は休み、僕に至っては1週間お休みだ。同級生からしたら、何事かと思うことだろう。多分。

 

 担任の樅山先生こと紅葉は僕の事情を知っているので問題はない。いや、紅葉にしてみれば肝が冷えたことかもしれないけれど、学院で倒れたワケじゃないので、教師としての彼女には迷惑はかかっていないはず。

 

 もっとも、お見舞いに来た紅葉は、やはり今後の僕の学院生活について、やめたほうが良いんじゃないかと遠まわしに言ってきた。彼女には申し訳ないけれど、僕は止めるつもりはない。

 

 

 「これからは、このフロアでも休めるようにしたからね」

 

 「え?」

 

 「基本的に今までの生活のリズムだと、学院が終わったあとはこの部屋にいるでしょう? だからもし貴女の体調が悪くなった時のために、ちゃんと用意しておいたの」

 

 「……あ、ありがとうございます」

 

 驚いた。驚いたけれど、素直にお礼を言えて良かった。そうだ、エストさんと僕は、あの時病院で改めて主従の契をしたのだ。事情を知ったこの人が、準備をしておくくらいは考えておくべきだったかもしれない。この人は、そういう人だ。

 

 「とりあえずは貴女用のベッドと、薬や栄養剤を入れるための冷蔵庫や棚を買っておいたから、後で中に入れておいてね」

 

 「はいお嬢様、ご厚意に甘えます」

 

 案内された別室には、エストさんの言うとおりに電動で上下するタイプのベッドと、小さめの冷蔵庫、それに薬棚が用意されている。たしかここは特に使われることもなかった空き部屋だったけど、今は僕用の寝室に改装されていた。

 

 僕が服用してる薬までは用意できないのは当然だ。後で2階の部屋から持ってこないと。

 

 あ、でも。

 

 

 「そういえばお嬢様、病室ではまだ言っていなかったことを、お話したいのですが」

 

 僕が一応の性別区分が男であることと、本名が桜小路才華で、アトレの兄で、有名デザイナー桜小路ルナの息子であることを、話しておきたいと思う。

 

 体力のない病人とは言え、戸籍上の性別は男性なのだから、女性のひとり暮らしの部屋、というかこのマンションの規模ならば家と言ったほうが適切だけれど、そこへ異性が暮らすことは、外聞的によろしくない。

 

 僕が『Diana』であることは、伯父様以外には両親と妹にも言っていないことなので、そこは申し訳ないけれど伏せさせて頂く。

 

 ……それに、『Diana』の活動も、見直しが必要かという考えもある。

 

 僕がそう思っていると、エストさんの方もなにやら思案顔で俯いていた。いったいどうしたのだろうか?

 

 

 「………話してくれることは嬉しいの。でも、それってやっぱり重い話になる?」

 

 どうやらエストさんは聞くことに、やや躊躇というか抵抗があるみたいだ。確かにあの時病室でも、心の準備がいると言っていたっけ。

 

 でもどうだろう、これって重い話になるかな。僕としてはあまりそうは思わないけれど。

 

 けれど僕の判断基準は世間一般のものとは違うと、よくルミねえから言われているので、ルミねえに判断を仰いだ上で話すか話さないかを決めよう。

 

 「お嬢様、私は世間知らずです。こう言ってはなんですが、箱入りと言って差し支えない環境で育ちましたので」

 

 「うん、きっとそうなんだろうね」

 

 「ですので、私としては別段重い話でもないと思うのですが、もしかしたらお嬢様はそう取られるかもしれません。第3者の人に相談してからでよいでしょうか」

 

 「その第3者って、私も知っている人?」

 

 「ルミネお嬢様です」

 

 「ああ、ルミネさん。うん、彼女の判断なら的確だろうね。よし、じゃあ話を聞くのはそれまで保留にしよう」

 

 まあ、僕としては今話しても良いのだけれど、彼女がどうして聞くのに抵抗があるのかは、尋ねておきたい。

 

 「あのお嬢様? この話は私の身体事情に関わることですが、今すぐの生命の危険があるとか、そういう話ではありませんし、むしろ今後の生活をする上では、お互いに知っておいたほうが良いことだと思います。私なりに、ですが」

 

 「うう…… そうなんだろうけれど、私ちょっと聞くのが怖いの…… これ以上貴女から重たい身の上話が聞かされたら、今までみたいに貴女に接することができなそうで」

 

 ああ、なるほど。今までの関係がとても良好で心地よいものだったから、それを崩したくないということなのか。うん、それは僕も同感だから、エストさんさえよければ、そのままで構わない。

 

 「分かりました。私としても、今までのどおりにお嬢様にお仕えできる方が嬉しいです。とはいえ、すでに以前よりも気を使っていただいてますが……」

 

 もう僕用の寝室を用意してもらっちゃったわけだし。

 

 「ううん、全然構わないよ。ごめんね、折角貴女から話してくれようとしているのに。私って肝心なところでチキンになるの」

 

 「それもお嬢様の愛嬌だと思います」

 

 「うう、ありがとう朝陽。ああ、私のかわいい従者」

 

 「それにしても……」

 

 「ん? どうかしたの?」

 

 「いえ、寝室まで用意されていては、最初の頃に言われた『住み込み』がいよいよ本格的になったと思いまして」

 

 「あ、そういえばそうだね。2階の部屋がいらない子になっちゃう」

 

 「それでも、やはりあの部屋で眠るのが私の身体上都合が良いので…… 折角用意していただいたのに恐縮ですが、ここで毎日寝泊りするということは出来そうにありません」

 

 今回のように発作を起こした際に、緊急手当ができる人、特に壱与が近くにいるほうが心強い。病院への搬送も、65階と2階では時間と手間がかなり変わると思うし。

 

 「それは仕方ないよ。私も、これから絶対に住み込みになって、というつもりで用意した訳ではないもの。これはあくまで、この部屋で貴女の具合が悪くなったときの休憩用だと思って」

 

 「重ね重ね、ありがとうございます。お嬢様」

 

 何度でも思う。この人に仕えられて良かった、と。

 

 

 

 

 

 

 

 1週間ぶりに屋上の庭園でお茶でもしましょうというエストさんの誘いに従い、屋上に出向いてみると、そこには見知った先客の姿があった。

 

 「あら姫、退院おめでとう。その麗しの姿をまた見られて涙が出そう。これは割と本気。元気な…… うん、少なくとも臥せっていないあなたの姿が見られて嬉しい」

 

 「私としては、もう1週間入院してもらってもよかったけど、おかえり朝陽さん。そしてこんばんはエストさん」

 

 卓を囲んでいたのはルミねえと八日堂さんだった。2人ともこの1週間毎日お見舞いに来てくれていたので、懐かしいという感じはしない。

 

 

 「お二人共、お心配頂き、大変ありがとうございました。なんとかこうして戻ってこられました」

 

 「はい、こんばんはルミネさん、朔莉さんも」

 

 「やだ私ったら失礼なことを。こんばんはエストさん。ごめんなさいね、私は愛しの姫を見ると、それ以外のことに反応するのが遅れる脳構造になっているの。なのであらかじめ断っておくわ。そういう生き物だと認識してくれると助かる」

 

 「あ、それは構いませんよ。貴女とルミネさんが、なによりこの子を優先するのは、もうわかっていますので」

 

 「貴族のお嬢様は度量が深い。ありがとう、エストさん」

 

 「いえ、私もこの子優先ということでは同じですから」

 

 ルミねえは、八日堂さんには僕の事情を包み隠さず話した、と言っていた。彼女は信頼できる人だし、協力を得たほうが何かと良いだろう、というルミねえの判断の元で。

 

 すでに発作を起こして倒れた僕には、ルミねえの判断をとやかく言える筋合いはないので、それは構わないけれど、八日堂さんは今後も僕を『小倉朝陽』として接してくれるようだ。

 

 るいは智を呼ぶというが、朔莉さんもルミねえと同じくらいに頭の回転が早い人だと思う。だから未だに僕を『姫』と呼んでくれている。

 

 

 「愛されてるね、朝陽さん」

 

 「ありがたいことです」

 

 ルミねえの言うとおり、僕は多くの人に愛されている。歯がゆいことながら、その愛に対して僕が返せるのは感謝だけしかない。でも、それはちゃんと受け入れよう。

 

 「お二人は、どんなことを話されていたのですか?」

 

 このままでは僕の退院おめでとうの流れが続きそうだったので、話題を変えよう。ちょっと続けたい話題ではないし。

 

 「あ、うん、そうだね」

 

 「なんてタイミングの悪さ。姫にはあまり話したくない話題だったかも」

 

 「そうなんですか?」

 

 エストさんも不思議そうだけど、僕に聞かせたくない話題ってなんだろうか。

 

 

 「お互いの学科について話してたんだ。そろそろ1週間だし、大体の雰囲気とか掴めた頃だろうから」

 

 あぁー、うん、僕は1週間病院の個室にいたから、当然教室の雰囲気など知りようもない。そしてエストさんには従者なしで通わせてしまい。申し訳ない。

 

 「なるほど。ですが、私に気を使うことなどありませんよ。むしろ、皆様の教室はどのような雰囲気なのか、興味があります」

 

 友人や姉の教室の雰囲気がどんなものか知りたいし、なるべく良いものであってほしいのが人情。

 

 「私の芸能部はね、俳優科、女優科ともに普通。もうすんごく普通。非の打ち所がないくらいに普通。どうやったらこんなに平均値にできるの? ってくらいに普通」

 

 むしろそこまで普通を連呼されると、逆に気になる。

 

 「あの、いったいどういう所が普通なのでしょう?」

 

 エストさんの疑問ももっともだ。『普通』を突き詰めるとなんだかゲシュタルト崩壊を起こしそうな気配がする。

 

 

 「まず生徒のやる気は可もなく不可もなく。それなりに意欲はあるけれど、何が何でも、という上昇志向はない。次に教師、無能じゃないけど、特別有能なわけでもない“いい先生”ね。続いて設備、芸能学校として必要なものは揃ってるけど、充実してるわけじゃない。最後に実績、これといったメジャーデビューしてる人がいるわけじゃないけど、それなりの舞台経験者はいる。総合して60点。だから普通、もうすんごい普通」

 

 「このフィリア学院日本校って、もともとは服飾専門学校として建てられて、現学院長も服飾畑の人だから、それ以外の部門って、あんまり力入れられてないんだよね。まあ、私のお養母様(かあさま)の特色がよく出てるよ。日本人らしく、平均してそこそこのレベル、みたいな学院方針」

 

 なるほど、服飾部門は学院長の意向が反映されることはあるけれど、それ以外の部門に関しては理事長であるりそな叔母さまの影響が強いのか。確かに、叔母さまは強力な個性の衣遠伯父様と駿河さんを従えている形になるけれど、叔母さま自身はそんなに強烈な個性がある方ではない。むしろその調整能力が突出している。

 

 その叔母さまの方針の学院運営は、『全体的に70~80点』の生徒を排出するということになるのかもしれない。あくまで学院で鍛えるのは下地であり、そこからどうするかは個人の自由というわけだ。

 

 「おかげで私の目的はまあ順調。有名人なだけあって、いろいろ話しかけられるので交友関係もそれなりに出来た。同級生の人たちは個性はそれぞれだけど、まあ悪い人じゃないし、先生もそんな感じなものだから、ほんとに順調。山あり谷有りの学校生活を期待してたワケじゃないけれど、流石にちょっと拍子抜けな気分。いろいろキャラ作っておいたんだけど、そんな必要もなさそうだったし」

 

 どんなキャラを考えていたんだろう。ちょっと気になる。

 

 

 

 「それじゃ、次に私のアパレル経営科だね。ここもまた朔莉さんの所と同じく普通だね。特に尖った方針はない。ごく普通に経理、市場の動向、簿記の仕方みたいなことを教えてる。私は全部履修済みだから退屈。それよりちょっと面白い事してる人いるから、その人と交流持とうとしてるところ」

 

 まあ、学院長がデザイナーだから、やはり同じ服飾部門でも経営科は専門外になるか。でもルミねえが興味を持ったという人が気になる。聞いてみよう。

 

 「ルミネお嬢様が交流をされようとしているという方は、どういったことをされているのでしょうか」

 

 「学生ながらに自分のアパレルを立ち上げてるの。正確には、一般デザイナー科の生徒と一緒にね。私のクラスにいるのは営業担当の一丸弓さんで、制作担当は一般デザイナー科の銀条春心さん。そういえば、初日に朝陽さんたちも会っていたっけ」

 

 驚いた。一丸さんたち、すでに自分で事業を興していたんだ。こういっては失礼だけれど、人は見かけによらない。

 

 「キュウさんとハルコさんが…… それは私も興味惹かれますね」

 

 うん、エストさんの言うとおり、どんなデザインの服を、どうやって売っているのか気になる。

 

 

 「今のところネット販売のみの、電子上の店舗だね。制作はそれぞれの家でやって、在庫もそこに置いてあるといった、規模はほんとに学生レベル。けれど、すでに雑誌で取り上げられているくらいには、いいデザインらしいよ。私にはデザインのことはわからないけれど」

 

 なるほど、僕こと『Diana』が所属している『S&D』と同じ形態か。この1週間『Diana』はデザインを送っていないけれど、これまでも僕の体調が悪いときは数日間デザインを送れなかったことはあるし、それは向こうもわかっているはず。けれど、今まで1週間音沙汰無しはなかった。

 

 『S&D』は個性が尖った人たちの集団なので、気に入らなくなったら辞めるのは自由、というなんともベンチャーというか、同人サークルのような人たちしかいない。僕が加入してからも、1人抜けて2人入ってるというフリーダム。

 

 まあ、過激なストリートスタイルを売りにしている集団だけあって、『社会規範』に則らないことこそ信条としている人たちだから。

 

 僕がいつもメールのやり取りしている『営業担当さん』も、顔も声も知らない人だ。とはいえ、今『S&D』の目玉は『Diana』のデザインだから、その僕が急に抜けるのは流石に困るので、辞めるときは猶予期間をおこう。

 

 っと、思考が『S&D』に行ってしまった。たしか一丸さんのネットショップの話だったはず。

 

 

 「それは興味深いですね。その雑誌とかはこのマンションにあるでしょうか」

 

 「一階のエントランスの待合室にはあるかもしれないね。載ってる雑誌について聞かなかったから、むしろ明日にでも本人たちに聞いたほうが早いかも。一緒にいく?」

 

 うん、そのほうがいいかもしれない。それにしても相変わらずルミねえのデザインへの反応は淡白だなぁ。

 

 「そうですね。もし時間がありましたら、お昼にでも。お嬢様、私はそうしたいのですが、お許しいただけますか?」

 

 「え? 朝陽一人で行くつもりだったの? 私も行くよ、ハルコさんのデザインに興味あるもの」

 

 「分かった。一丸さんに伝えておくね」

 

 明日が楽しみになった。正直、1週間遅れの初授業というのは、なんだかバツが悪い感じがするので、足を運ぶのが少々気が重かったのだ。

 

 エストさんの話によると、僕が体調を崩していること、もともと体が弱いことをは紅葉がクラスメイトには説明しているらしい。それ自体は僕の外見からの印象となんら変わることはないので納得されると思うが、主人より体が弱い従者というのもなぁ…… 情けないことこの上ない、はぁ。

 

 

 「そういえば、私たち以外の学科ってどんな感じなのかルミネさんご存知?」

 

 「ん? んー、服飾デザイナー科は一応学院長が注目してるだけあって、突発的なイベントが挟まったりするらしいけど、それ以外は概ね似たようなものじゃない? アトレさんの美容科も、九千代さんの調理科も雰囲気は良かったけど、特別厳しい授業じゃなかったって話だしね。でもなんで急にそんなこと聞くの?」

 

 「いや、一部の科……というかパティシエ科とデザイナー科には、特別編成クラスってあるじゃない。まぁエストさんもそうだから、批判する訳じゃないけれど、元々あるデザイナー科はともかく、なんでパティシエ科もかなっていう、ちょっとした疑問」

 

 衣遠伯父様曰く、創業時の資金不足を補うための苦肉の策であり、今も続いているのは日本らしい前例踏襲の弊害とのこと。それでもたしかに、それなら何故新しく作られたパティシエ科にも特別クラスが作られたんだろう。

 

 

 

 「ああそれね………… 聞きたい? 大人の都合満載のお金にまつわる話だけど。それにあんまり理事長の娘がペラペラと話をしていい内容でもないから、私としても話しづらい」

 

 「汚いお金の話は歓迎、どんどん話して。私と貴女の仲じゃない、水臭い話はなしでお願い」

 

 八日堂さんとルミねえ、本当に相性いいなぁ。そしていいんだろうか、学院の裏話みたいなこと聞いちゃって。

 

 ふとエストさんを見ると、そんなに興味なさそうな表情をしている。

 

 「私も興味ありますね! 華やかな学院の裏話! 私も友達ですよねルミネさん!」

 

 いや、かなり興味津津だった。僕と違ってあんまり露骨に表情に出さないからなぁ、エストさん。

 

 「わかった、けどオフレコでお願い。それじゃあ話すね。お養母様(かあさま)曰く

 

 『は? そんなもの金に決まっているでしょう金。あのですね、他学科……特に音楽部門の科なんて金食い虫もいいところですよ。設備も楽器もとにかく高いあの学科だけで他の全部門と同じくらいの費用かかってるんです。だから、どこかで資金調達しないと赤字確定、破産一直線なわけです』

 

 とのこと」

 

 わぁ身も蓋もない。

 

 「ふぅん、なんとも世知辛い理由ねぇ。でもたしかに音楽ってすっごくお金かかりそう。特にピアノ科なんてすごそうじゃない? 弦楽器も相当っぽいし」

 

 「確かに、クラシカルな部門になればなるほど、楽器一つの単価も高そうですね。実家にピアノみたいな高い楽器はなかったので、相場はわかりませんが。オルガンならありますけど」

 

 それはなんともアイルランドの家らしいですねエストさん。

 

 

 「うん、実際ピアノは高いよ。安いものでも50万、高いものだとそれこそ1千万レベル。私の部屋にあったやつはたしか150万くらい。それを生徒の人数分揃えた上で、防音完備の個室も作らなきゃいけないんだから、そりゃあね。音楽部門だけ学費は高い設定だけど、それでも赤字みたいだね」

 

 「でもそれなら、音楽部門に特別クラスを…… あ、無理なんですね」

 

 「エストさんご名答。そう、服飾部門と調理部門が、それ以外の3つの部門と違う理由がそこだね」

 

 「そりゃそうよね。私の女優科で言えばメイドに演技してもらってどうする、ってことだもの」

 

 ああ、僕にも分かった。服飾部門と調理部門は、成果物が『私たちが作りました』的な表示をしない限り、誰が作ったかはわからない。だから、メイドに手伝ってもらうことも可能になる。

 

 でも、美容部門、音楽部門、芸能部門はすべて『本人がその場で』やる分野だ。演技、演奏、メイク、それぞれをメイドや付き人にやってもらったところで、本人の成果にならないし、何よりなんの意味もない。

 

 

 「それでお養母様の言葉を続けると

 

 『それで、世の中知らない頭お花畑なお嬢様が“なんとなくいいなー”って選びがちなのがデザイナー科とパティシエ科なんですよ。実際その世界に行こうとすれば地獄&体力勝負なところですが、それぞれ“なんちゃってデザイナー”、“なんちゃってパティシエール”気分に浸るためには最適な場所なんですよフフフ。まあそんなわけで、それで浮いた費用を腐れ赤字音楽部門につぎ込んでるわけです』

 

 だって」

 

 「なるほど。他3部門は特別編成クラスの設立は無理、というより無駄。その上で一般家庭の生徒が入れるような学費設定では音楽部門は経営できない。だからどこかで黒字部署を作って補填、ということね」

 

 「その槍玉に上がったのが、元々あったデザイナー科に加えて、調理部門のパティシエ科ですか。実際にデザイナー科の特別クラスにいる身としては複雑ですが、よくわかりました」

 

 ものすごく悪い言い方をすれば、パティシエ科とデザイナー科は、資金調達のために世間知らずのお嬢様を釣る餌ということになる。なるほど、これは確かにあまり話せない大人の都合だ。

 

 伊瀬也さんとその従者の人みたいな、服飾に興味を持たない人がなぜあんなにたくさんいるのか疑問だったけど、たくさんいるってことはりそな叔母様の“撒き餌”は成功しているわけだから、良いこと、なのかな?

 

 

 「うちの親族の一人なんかピアノ科にいるんだけど、その人ときたら『いやぁ、その2学科の子達には足を向けて寝れないねアハハ』なんて、いけしゃあしゃあとしたものだけどね。ま、あの人みたいな縄文杉の根っこばりの神経持ってる人も少ないだろうし、こんな話聞かされたら音楽部門の子が気分良く学べないだろうから、ここだけの話にしてね」

 

 「話すとしても、壺の中だけにするわ。勝手に反響しないやつを厳選するから安心して」

 

 「私も、この子に誓って他言しません」

 

 「あ! しまった、私も姫に懸けて誓えば良かった! ぐぬぬ、この八日堂朔莉一生の不覚」

 

 「わ、私も他言しませんので、ご安心くださいルミネお嬢様」

 

 「まあここにいる皆がベラベラ話す人じゃないのは分かってるよ。でも万が一他言した場合、朝陽さん以外は、どんなに清潔にしててもひと吹きするだけでハエが集る、魔法のエッセンスを吹き掛けるから」

 

 どんな過程で生まれた製品で、どんな用途に使うんだろうそれ。あと、えこ贔屓は良くないよルミねえ。

 

 ちなみにエストさんと八日堂さんは顔を真っ青にしていた。大丈夫です、言わなければいいんです。

 

 

 「じ、じゃあ最後に私のデザイナー科の……『あーー! 白い子いた!』

 

 エストさんが話題を変えようとしたところへ、その言葉を遮る様な大声が響き渡った。どこかで聞いたことある声だ。

 

 

 

 「もう、探したんだよ。今日学院に行ってもアーノッツの子しかいなかったし、マンションで待ってても白い子いないんだから。2人揃ってないと意味ないでしょ」

 

 あ、たしかパリのジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェさん。今日も素敵な髪ですね。

 

 それに私服も見事だ。アンガシャント袖のプレーリーブラウスに、ボタンド・カフスのアンダーを合わせている。白に白を合わせている形だが、上着はエクリュ、アンダーはホワイトと、ブルベースとイエローベースでメリハリをつけている。

 

 スカートは淡いグリーンのサイドプリーツスカートで、大きめのバックルにバイアスチェック柄のベルトが際立っている。

 

 そして毛皮のペルリーヌが彼女の出身と立場を示している。

 

 うん、パリの貴族として見事なコーディネートだ。

 

 

 「ほんと、どこいってたの白い子。私ずっと貴女に見せたかったんだけど」

 

 「こんばんわ、ラグランジェさま。申し訳ありません、私は体が弱く、体調を崩して入院しておりました」

 

 「え? そうなんだ、それはかわいそだね。もうだいじょぶなんだ?」

 

 「はい、なんとか。皆様に、特に主のエストお嬢様に大変お迷惑をおかけしてしまいました」

 

 「まあ、従者がいきなり入院は良くないね。でもアーノッツの子は認めてるんでしょ? ならいいじゃない。それより私の服だよ、ちょっと待っててね。行くよカトリーヌ」

 

 「は、はい」

 

 なんというか、彼女は見事なほどに『貴族』としての教育をされているらしい。細かい些事は自分の与り知るところではない、下々のもので計らえ、という考えがよく伝わる。

 

 僕はそれが嫌いじゃない。というか好き。一本筋の通った生き方というのは、接していて心地がいい。僕の周囲の人、とくにルミねえも朔莉さんなども、タイプは違えど一本筋が通ってる。

 

 それに何と言っても、お母様がそうだから。貴族らしくて、背は低めで、デザインの才能は抜群で、うん、やっぱり素晴らしいと思います。

 

 

 「朝陽さん、今あの小さな子のこと、ラグランジェって言ったよね。もしかしてフランスのラグランジェ旧伯爵家の人間?」

 

 「はい、そうです。どうやら私のことを探していたようで」

 

 「ふーん、何かあったの?」

 

 「入学式の際に、服装のことで少々」

 

 その場、その人にとって『相応しい衣装』について、彼女とは無言の語り合いをした。彼女はその際自分の失態を認め、そのまま去っていってしまったのだ。

 

 しかし、先ほどのあっけらかんとした物言いからすると、とても前向きでエストさんとはまた違った高貴さを持った性格の人のようだ。

 

 あの私服を見た瞬間、それを感じた。彼女に対する印象がかなり上方修正。

 

 「ラグランジェ家の人か……」

 

 あれ? ルミねえ、ラグランジェ家の人に何か関わりがあるのかな? 思案顔で顎に手を乗せている。

 

 「おまたせ、どう? 私の服は」

 

 「い、いかがでしょうか」

 

 ルミねえの様子を見ていたら、パリの主従が戻ってきた。主人のジャスティーヌさんは、制服に着替えている。

 

 

 「……! そのボタンは」

 

 だが以前とは細部が違う。ボタンが指定のものではなく、アンティークのものに変わっている。これはおそらく……

 

 「アールヌーヴォーの品…?」

 

 エストさんにも分かったようだ。これは18~19世紀でフランスを中心とした芸術文化で生まれた品。このあとに続いたアール・デコと違い、アール・ヌーヴォーは一点物が多く、貴族文化の影響を色濃く反映している。

 

 「模様はユリの花…… フランス王家の紋章」

 

 まさにフランスを示す品物だ。これを付けて許されるのは、フランスの貴族においてほかにいない。

 

 それに袖口もベルシェイプド・カフになっている。スカートのプリーツもよく見ればナイフ・プリーツに変わっている。

 

 「お見事です……」

 

 「ふふん、そうでしょ」

 

 僕の素直な感想に、当然とばかりにジャスティーヌさんは鷹揚と頷いた。まさに彼女はパリの貴族たる装いを証明している。さらに

 

 「カトリーヌの服も良いでしょ?」

 

 「はい、確かに」

 

 彼女の従者のメイド服も、これぞパリ、という逸品だ。

 

 まず、メイド服のエプロンの帯の結び目は、普通は腰の後ろ部分に来るのが常識だ。

 

 だが、その常識を打ち破るのがパリである、彼女の結び目はなんと正面に持ってきている。

 

 その上、細めのストライプ生地が使われており、それが上着の飾り布と一体化しているようなデザインに仕上げられている。

 

 上着にはさらに赤いラインのパイピングが施され、赤い宝石のカフリンクスに繋がる。

 

 その上で彼女のワンピースの色は、僕や壱与に九千代、さらに他の生徒のメイドのそれが紺や黒であるのに比べて、青に近い色合いになっている。

 

 そうなると、彼女のメイド服を構成する色は、赤、白、そして濃い青ということになる。フランスを表す3色だ。

 

 うん、素晴らしい。彼女とその従者はこれでもかというほどにパリを、フランスを示す服装をしている。

 

 よく見れば、従者の方の腰部分には、さりげなく細いチェーンが何重にも飾られている。なるほど。

 

 

 「シャネル・スーツも盛り込みましたか」

 

 「そうだよ。あなたたちのシャムロックに対抗するには、これくらいしないとね」

 

 「おみそれしました。パリのジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェさま」

 

 「貴女のその言葉が聞けたから満足。ね、私も座るね」

 

 僕の態度に満足したのか、彼女はあっさりとした態度で席に着いた。 

 

 

 「でもね、こんなに頭を使って悩んで服を作ったのって、もしかして初めてだったかも知れない」

 

 と思ったら、彼女はすぐに僕にまた話しかけてきた。他のお嬢様方を差し置いて僕だけ話すというのも恐縮だけど、3人は特に文句なく見守ってくれているようなので、このまま続けて良いということだろう。

  

 「ジャスティーヌ様は、欧州のコレクションで多くの賞をとってらしたと聞いていますが」

 

 「うんそうだよ。でも、私とくに苦労した覚えないんだよね。周りの人たちは私を天才だって呼んでたし、実際私は天才だよ。だから私のデザインは受賞した」

 

 それは僕にも分かる。僕が『Diana』として出したデザインは、どれも自然に出たもので、“苦労して”考えたデザインは一枚もない。当たり前に、当然のごとくに描いたものだ。だからジャスティーヌさんもそうだったのだろう。

 

 「だけど、貴女に指摘されて自分の失敗に気づいたとき、初めて『服を着る』ということを深く考えたの。皮肉だよね。私は天才だから、今までそんなことすら考えずにデザインしても入賞できたの。でも、今回本当に頭を悩ませて『私が着るべき』『カトリーヌが着るべき』服を考えたんだ。もうほんとに考えたよ、それで服が完成するのに1週間もかかった」

 

 元々のメイド服や制服を改良するのに、それほどの時間はいらないだろう、だから多くの時間を割いたのは、デザインの改良の方。

 

 

 「服は、人が着て初めて意味を持つ、なんて、そんなことをじっくりと考えたの初めてだった。私ね、日本に来たのは、尊敬する伯母さまに言われた『私に足りないなにか』を見つけに来たんだけど、貴女のおかげでそれが何なのか、なんとなくわかってきたと思う。ありがとね」

 

 それは僕がお父様から何度も聞いたことだ。それに、最初に服を作った時も、『あの子』に似合う服を精一杯考えた。けれど、このお嬢様は、その天賦の才と最先端の芸術が溢れ流れてゆく芸術の街に生まれたが故に、その原点を見逃したまま来てしまったのだろう。ある意味パリならではの、まさに盲点というやつだ。

 

 コレクションで評価されるだけのデザインでは、それはただの『芸術』であり、人間が着て初めて意味を成す『服』ではない。彼女は、そのことに気づいた。これからの彼女のデザインは、一層輝かしいものになることだろう。

 

 「お礼を言われることはしていません。答えを模索したのも、見出したのも全て貴女です。その貴女の伯母さまも、ジャスティーヌお嬢様のことを誇りに思われることでしょう」

 

 「えへへ、そう思う? あなたいい人だね。綺麗だし、可愛いし、今後パリへ来なよ、歓迎するよ」

 

 「ありがとうございます。私は体が弱いので、あまり外出は出来ませんが、行ける時がありましたら、お言葉に甘えます」

 

 「うん、そうしなよ」

 

 「パリのお嬢様に私の姫が独占されて寂しい。私も会話に加わってよろしいかしら、挨拶くらいはしておきたいから」

 

 僕とパリのお嬢様の会話がひと段落したところへ、八日堂さんが会話に加わってきた。

 

 「あ、いいよ。貴女の名前は? てゆうか変わった髪だね」

 

 「私は八日堂朔莉。イトウ・サクリとしての名前の方が有名だと思うけれど、よろしくねパリのお嬢様」

 

 「イトウ・サクリ…… あ、知ってる。へー、映画のときは黒髪だったよね。それ次の役のために染めたの?」

 

 「これは私が好きで染めているの。私はそちらの姫に憧れているから」

 

 「姫って白い子のこと? うん、綺麗だよねー。でもだからといって貴女には似合わないよ。ふつーに黒髪の方が良いと思う」

 

 「こぉぉの貴族様、ちよぉぉぉっと物言いがストレートすぎぃぃぃない?」

 

 「どうどう」

 

 ジャスティーヌさんの指摘で、いつも泰然としている八日堂さんがなんとも面白い表情になってる。それをルミねえが落ち着かせているようだけど、馬じゃないんだから。

 

 でも、実は僕も八日堂さんは黒髪が似合うと思います。

 

 

 「私はエスト・ギャラッハ・アーノッツです」

 

 「いや、アーノッツの子とは教室で挨拶したからもういいよ」

 

 エストさんは悲しげな表情になった。でもきっとジャスティーヌさんに悪気は全くないと思うので、気にしない方がいいと思います。

 

 僕はそのことをエストさんに小声で伝えて励ますと、彼女はありがと、と言って立ち直ってくれた。早い。

 

 「あ、私の番? 大蔵ルミネです」

 

 「オークラって、あのオークラ? 大富豪の? 知ってるよ」

 

 「その大蔵であってます。そして私もラグランジェ家のことは知っています。でもそれとは別にちょっと気になったことがあって、質問いいですか?」

 

 「ん、別にいいよ」

 

 「貴女の親族に、リリアーヌ・セリア・ラグランジェという方はいらっしゃる?」

 

 「リリアーヌ! それ私の伯母さまの名前! あなた伯母さまのこと知ってるの?」

 

 おおぅ、意外だ。ルミねえとジャスティーヌさんに共通の知人がいるとは、どんな関係だろうか。

 

 

 「知ってます。うん、知ってます。実は私の養母(はは)大蔵りそなは、貴女の伯母さまのリリアーヌ女史と、学生時代からの友人でして」

 

 「へぇ、そうなんだ。あ、でもそっか、だから伯母さまは『日本に行けば貴女に足りないものが分かります』ってこの学院を勧めてくれたんだ」

 

 へぇ、そうなんだ。そういえばりそな叔母さまって、フィリアパリ校の出身なんだっけ。

 

 「ということは、貴女のお母さんって、パリの学校で学んだ人なの?」

 

 「そうですね。だからあの人、結構パリの街が好きみたいで、余暇の多くはフランスに行ってますよ」

 

 「へぇ、日本人なのにあの街で学んで、今もパリが好きなんだ。貴女のお母様もいい人だね」

 

 「まあ、極悪人ではないですね。まあそんなわけで、うちの養母がパリに行くように、貴女の伯母さまも日本にいらす事があるんですよ。それで、その際はウチに宿泊されるので、その時にお会いしています」

 

 なるほど、そうしたいきさつがあったのか。

 

 「貴女から見て、私の伯母さまはどう見えた?」

 

 「綺麗な人でしたね。『パリの貴婦人』を絵に描いたようなような方でした。………ワイン3本空けるまでは

 

 ん? ルミねえが後半小声でなにか言ったようだけど、小声すぎて聞こえなかったな。

 

 「そうでしょそうでしょ! わたし貴女のことも気に入ったよ。オークラの子もこれから仲良くしようね」

 

 「はい、親世代同様のお付き合いをしたいですね。………素面状態の

 

 また後半小声で何か言ってる。珍しいな、ルミねえがあんな感じになるなんて。

 

 そして未だに悔しがっている八日堂さんと「アーノッツの子のことも好きになってください」と言っているエストさんをスルーしながら、ジャスティーヌさんは彼女の従者の紹介に入った。カトリーヌさんというらしい。

 

 彼女はこの1週間主人の代わりに教室に通っていたらしいが、まだ日本語が不自由な彼女は、苦労しているようだ。

 

 というか、あの教室で欧州の留学生は2組いるが、片方は主人が2日目から休み、片方は従者が2日目から休んでいるということになるのか。なんかごめんなさい。

 

 「あ、それなら私がフランス語に翻訳した資料あげますよ。服飾部門の樅山先生とは知っている仲だし、予定表くらいは聞いてあげることが出来るので」

 

 「ほんと? ありがとー。よかったねカトリーヌ」

 

 「あ、ありがとうございます。オオクラのお嬢様」

 

 「まあリリアーヌさんの姪御さんのメイドさんだもの、このくらいはね」

 

 あまり他人には興味をもたないルミねえにしては珍しい。リリアーヌという人に、よほどお世話になっているのだろうか。

 

 ともあれ、そんなこんなで、今後はパリのお嬢様たちとも良い関係を築いていけそうだ。出来ればエストさんも交えて仲良くしたい。今後はアーノッツの子のことも忘れないであげてください、ジャスティーヌお嬢様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「止めたほうがいいんじゃない?」

 

 その後、2階の僕の部屋でルミねえやアトレたちを交えて、エストさんに話していないことを全てを言うかどうかの相談をしてみた。

 

 ルミねえは反対らしい。

 

 「わたしは、若がそれで良いのでしたら、言ったほうが良いと思いますが…」

 

 「私も九千代さんと同意見ですね」

 

 九千代と壱与は賛成してくれている。ありがとう、君たちはこういう時必ず僕の意思を尊重してくれるね。

 

 これで反対1、賛成2になる。となると残りは。

 

 「……ルミねえさまの反対の理由は、なんでしょうか」

 

 アトレの意見だけだが、彼女は自分の意見を言う前に、ルミねえの反対理由を尋ねた。

 

 「エストさんが聞くのを躊躇する理由って、簡単に言えば聞くのが怖いからなわけでしょ? 重たい事情をこれ以上聞くのが」

 

 「そんな感じのこと言ってたね」

 

 「うん、それで私も改めて聞くんだけど、それって結局は才華くんの身体のことに行き着くわけだよね。そうでしょ?」

 

 「あ……」

 

 『…………』

 

 九千代はルミねえの言葉でなにかに気づいたようにハッとした表情になった。壱与とアトレは沈黙している。

 

 

 「確かに、女性の部屋に男性がいるのは、世間一般的に見れば危ないことだね。でも、それはどうして危ないことなの?」

 

 ああ、つまりはそういうことか。

 

 「若のお体は、その『危険な行為』を出来るはずがないということですね」

 

 壱与は最大限ぼかした話し方をしてくれている。これは、病人の僕のほうが体力も力もなく体格も小さいので、エストさんの身に何かできるはずがない、ということ。

 

 だけではなく。

 

 

 「才華くんに、その『機能』はあるの?」

 

 ルミねえが代表して言いづらいことを言ってくれた。そう、僕にはその機能がない。

 

 「ないよ」

 

 「…………」

 

 だから僕もとくに感情を乗せずにそう言い放つ。でも、となりの彼女にとっては中々無心でいられることでないらしい。うん、そうだよね。僕も内心はそうだよ。

 

 どうやら僕が思っていたよりは、重い話だったようだ。やはりルミねえたちに相談して良かった。

 

 

 

 「僕の身体は、2つの病気のために、2次性徴をまともに迎えることができなかった」

 

 声変わりもしない、骨格の変化もない、なにより男性器の機能が発達していない。

 

 アメリカでの主治医の間霧子先生曰く、それは僕の体の一種の自己防衛なのだそうだ。

 

 僕の肌は日光に当たれないので、骨を作るビタミンDが圧倒的に不足している。子供の頃から“くる病”のリスクが高く、骨端線閉鎖が完了した今でも骨軟化症は常につきまとう。

 

 この状態で身長が伸びよう物ならどんなに良くても骨粗鬆症は確実だと言っていた。その上で肺の機能が常人の数分の一なので、他の栄養素の組成も常に不足気味。おまけに消化機能も効率も決して良くない。

 

 体が成長しないのは、成長した体を維持するための機能が僕には無いからと、そうアメリカ指折りの名医は診断した。親に庇護される子供と同じ身体のままでないと、生きることすらままならないのだと。

 

 つまり、僕は一代限りの命。種を残すための遺伝子の組み合わせとしてだけ論ずるなら、まごうことなき出来損ない。僕は戸籍分類は男性になるけれど、生命としての雄の機能はない。

 

 だから、桜小路の血をつなぐ役目は、彼女に任せる他ないんだ。

 

 

 「今のこの場の雰囲気が答えだよ。一層重い事実は、アクシデントか何かで知られるまで、教えないほうがいいんじゃないかな、本人もそう望んでいるわけだし」

 

 「わたしも、そう思います。ルミねえさまに賛成です」

 

 ここで、アトレが初めて意見を言った。彼女は、きっと初めから反対だったんだろう。

 

 

 「じゃあ、エストさんには言わないということで、決定にしよう。いいね」

 

 「お兄様、ルミねえさまはこうおっしゃっていますが、良いですか?」

 

 「うん、いいよ」

 

 この妹は、自分から僕を否定するような意見は決して言わない。だから、ルミねえに説明され、僕自身が納得するまで意見を言うのを待った。

 

 昨日まで入院している間も、壱与も九千代もお見舞いに来てくれた。とくに九千代は涙ながらに謝りながらで、そんな彼女になだめるのにかなりの時間がかかったほどだ。でも、そんな九千代に僕は毎度癒されている。

 

 けれど、アトレは一度も来なかった。僕のために。

 

 彼女は妹だから、そして僕は兄だから。

 

 僕の気持ちを、彼女はずっと見てくれている。

 

 

 

 ………僕の気持ちは揺れている。このままエストさんと共に在る道を進む方が良いのか。

 

 いや、きっとその道を行くのがいいんだ。祖母も、両親も、伯父様も、壱与に九千代も、ルミねえも、そしてなによりエストさんも、みんなそう思ってる。

 

 だけど、そのためにはどうしても必要なことがある。どうしても、一人の心を無視しないといけないことになるから。

 

 だからその決断が出来ないでいる。簡単にできるはずもない。

 

 アトレ、僕は君の―――

 

 

 

 「この話は、上の伯父様にもきちんと相談したほうがいいだろうね。私から言っておこうか?」

 

 僕が自身の考えに沈んでいると、ルミねえの言葉によって現実に戻された。

 

 「ううん、僕から話すよ。自分の身体に関わることだから」

 

 「そう……」

 

 どうしたんだろう、ルミねえにしては歯切れが悪い。なにかこの話題を僕から伯父様に話させたくない理由があるんだろうか。

 

 その答えは、その後に伯父様に相談した際に判明した。

 

 いやはや、なんとも、本当に淒い姉を持てて、僕は幸せ者だと思う。彼女は、ルミねえは、僕以上に僕の身体のことを把握していた。

 

 僕の心を理解しようと努めてくれている妹に、身体の状況把握の完璧に努めてくれている姉。

 

 両親身内に、これ以上なく恵まれている自分の幸運に、ますます感謝しなくてはならない。

 

 ………そして逆に言えば、それほどの幸運に恵まれていなければ生きられないのだ、この弱い身体は。

 

 今までならば、こういう時に『彼女(さいのう)』が猛っていた。この理不尽に憤っていた。

 

 だってそう、こんな理不尽なかなかない。2つの病で成長出来ないだけじゃなくて、時限式の爆弾まで埋め込むなんて、神様はなんて意地悪なのだろう。

 

 でも今は、それでも彼女のことを想えば、彼女の側にある日々を想えば、その蟠りは小さくなっていく。

 

 エストさん、僕は、貴女と共に在りたいと、思っています。祖母の故郷の薫りを、緑色の風をこの荒れた心に吹き込んでくれる、貴女と。

 




沈黙を守らねばならない時とは、どの様な場合でしょうか?
実は白い妖精にはもう一つ秘密があったのです。この時はまだ、本人すらも知らなかったままの。
それを知る人はとても少なく、知ってしまえば悲しまずにはいられない、三番目の訪問者が。


※22~25話は原作ヒロイン毎の話が多く、1話あたりの文量が多めになります。
(原作ではルート分岐にあたる時期を、小説媒体なので一本道に統合しています)



 おまけ

 「空気が重くなったから話題を変えるね。さっきのラグランジェのお嬢様について」

 「わ、急にどうしたのルミねえ」

 「私があのお嬢様と話していた時に呟いた小声、聞こえてた?」

 「ううん、というか、そのリリアーヌという方に、ルミねえなにか借りというか恩みたいなのあるの? 随分カトリーヌさんに親切だったけど」

 「まあね。リリアーヌさんが来られると、大抵うちの養母の愚痴の聞かされ役にされるの。それが申し訳なくてね」

 「へぇ、そんなことが」

 「ただね……」

 「ん? なぁに」

 「ワインが3本空く頃になるとね、2人揃って『桜小路ルナを罵る会』が始まるんだ……」

 「え? な、なにその意味不明な名称の会合。というかなぜお母さまを?」

 「あの2人ね。すごく仲いいの。魂の絆の友って上の伯父様は言ってたけど、ようは失恋仲間なんだよね」

 「し、失恋仲間? つまり2人とも……」

 「ウチの養母は、相手が自分の兄と知らずに恋して、リリアーヌさんはすでにルナさんという恋人がいると知らないで恋したの。2人とも下の伯父様、遊星さんにね。だから一緒にいられても絶対に結ばれない養母と、もしかしたら婚約者になったかもしれないリリアーヌさんは、ルナ小母さまにひとかたならぬ感情を抱えているってわけ」

 「それがお酒のチカラで吹き出てしまう、と」

 「流石にあの醜態は、あの可愛らしいパリのお嬢様には伝えられないね。私にも人の心はあるから」

 「そ、そこまでなんだ」

 「三十路過ぎた女2人が、半裸で酒瓶かついで大声で騒ぐ姿、見たい?」

 「結構です」


悲報:ウチの白い子は18禁ゲーム主人公適正が絶望的なまでにありませんでした
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