月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
フィリア学院に女帝ルミネ君臨す
23話 裏タイトル 【世が世なら乙女ゲーの主人公だったはず】
どうぞう様、誤字報告ありがとうございました!
「なるほど、そんな経緯でお店を開かれたのですね。一丸さんの行動力は素晴らしいです」
「いやまあ、そんな感じですけど、そんな褒められることはしてないですよ」
「謙遜すんなよぅー、まぁこんな美少女に褒められたら悪い気しないのもわかるけどなー」
「銀条さんだって十分に可愛らしいですよ」
「たははー、言われたのがメイドさんじゃなきゃ『え、そっすか?』って有頂天になるとこだけど、比較対象がなー。あ、私のことはパル子って呼んでください」
「私のこともマルキューでいいです。みんなそう言うんで」
「では、私のことも朝陽と」
「でもうちらの中ではメイドさんで定着しちゃってるんだよなぁ」
「んだ、最初のインパクトが大きかったかんな」
「それならば、一丸さんのことは弓さん、銀条さんのことは春心さんと、名前呼びにすることで如何でしょう。私のお嬢様と同じ呼び方ですが、お嫌でなければ」
「やっぱお貴族様はちげえよきゅうたろう。お付の人からしてこの丁寧さにこのオーラだぜ。やっぱあたしら庶民がおいそれと付き合っちゃならん感が半端ねぇ」
「そだな、つか私としては、今まで会った人の中でメイドさんがわりかし、一番お姫様っぽいと思ってるよ」
「そ、そうでしょうか。私としてはエストお嬢様こそが、姫や令嬢と呼ばれるのに相応しい方と思っていますが」
「うん、ギャラッハさんもまちがいなくお偉いオーラ全開ですよ。でもそれとはまた違うオーラをメイドさんは発しているんですよ」
「言ってることは意味わからんけど、言わんとしてることはなんとなく分かる」
「はぁ、そうなのですね……」
今はお昼休み。場所は学院の一般食堂。
ルミねえの手引きによって、銀条さん改め春心さんと、一丸さん改め弓さんと食卓を囲み、彼女たちのブランド、『ぱるぱるしるばー』の設立経緯を聞いていた。
彼女たちが以前いた学校に被服科があり、そこで元々服を作る才能があった春心さんと、服作りはそれほど得意ではなかったけど、マネジメント能力が長けていた弓さんがコンビを組んで、ネットアパレルを立ち上げたとのこと。
そうして事務的な作業や営業に関わることは弓さんが全て担当し、実際の服のデザインと制作を春心さんが行っている。まだたった2人の同人サークルのようなブランドだけれど、すでに幾つかの雑誌で春心さんの作った服が取り上げられているようだ。
ちなみに彼女たちとの交流の場を作ってくれた当のルミねえは、少し離れた席で八日堂さんと食堂のうどんについて熱く談義している。『やっぱりうどんは香川だね』『でもその会社の本社はわたしの故郷岡山よ』という会話を、大富豪と大女優がしている。
「でも、本当に良い服ですね。とくに私はこの苺を前面に出した服が、まとまりがあって好きです」
「おおー、おめが高い。それ作るのに苦労したんですよ」
「ただ、スカートの裾はギャザーではなくフリルにしたほうが良かったとは思いますが……」
「上げて落とされた!」
「いや貴重な意見だろ、ちゃんと聞け。今までデザイン的なアドバイスしてくれた人なんていなかっただろ」
「ありがてぇありがてぇ」
「すみません、こいつこんな感じですけど、ちゃんと感謝はしてるんで」
「いや、春心さんの人柄は伝わっていますから大丈夫ですよ」
「メイドさんはいい人ですなー」
いや、多分僕はあまりいい人じゃないよ。今こうして僕が彼女たちに好意的なのは、彼女たちが真剣にやっているからこそだ。
雑誌に載った春心さんの服も、弓さんによって作られた『ぱるぱるしるばー』のHPの出来も、どちらも本気で取り組んで作られたものだと感じられたから、僕は彼女たちに好感を持っている。
現に、午前中の授業の休み時間の際に、特別クラスの生徒の同級生(名前は覚えてない)が、僕に授業でわからないことがあったので教えて欲しいと言ってきた一幕があった。
一瞬、何を言われているかが分からなかったので、「それはご自分の従者にお聞きください」と当たり前に答えたところ、「貴女に教えて欲しい」と意味不明な答えが帰ってきたので、その次はしっかりと答えた。
「分からないことがあれば樅山先生に聞いたほうがよろしいです。そして失礼ながら、我が主の断りもなしに、他家の従者に要求をするのは、我が主に対しての礼を欠いておられます」
そうはっきりと告げると、言われた当人は慌てたようにエストさんに確認を取ったが、本当に何を考えているのか分からない。
その後「私は良いですよ、朝陽、教えてあげて」とエストさんが快く許可を出してくれたので改めて質問内容を吟味すると、再び頭の中が疑問符で埋まった。
なのでやはりそのまま思ったことを口にした。
「なぜ予習復習をされていないのですか」
「この程度のことは、むしろ入学前に把握して然るべきものです」
「貴女の隣の従者は、服飾の勉強の補佐のためにいるのではないのですか」
「ここは服飾の専門学科で、貴女はその生徒です。その自覚をお持ちください」
とくに厳しい口調で言ったつもりはないし、これといった敵意も無く、ただ純粋に疑問に思ったことを口にしただけ。あの程度のことを、他家の従者に聞きに来る意味がわからない。
そうすると、その生徒は沈んだ様子で自分の席に戻っていった。そうしたらエストさんはひっそりと『彼女は、貴女と話したかったんだよ』と耳打ちしてくれたが、いっそう意味が分からない。
僕に話があるのなら、まず主であるエストさんを誘い、その上で席を設けて歓談すれば良い話だろう。あれは教室内で専門校に通う服飾性がする質問じゃない。例えるなら、ハイ・スクールの生徒が一桁の足し算について聞くかのような質問内容だ。
あの一幕だけで、全ては測れないが、どうもあの教室で学べることも、交流する意義も少なそうだと感じた。僕には体力が限られている、無為に過ごす愚は犯せない。
自分の時間を奪うな、と僕の中の『
尚エストさんによると、教室の生徒の多くは僕の外見に興味を惹かれているらしい。けれどあいにく、僕はあまり彼女たちに興味は持てない。
それよりも、ずっとこの『ぱるぱるしるばー』の2人の方に興味を惹かれる。
「いやでも、先週はマジでやばかった。もう女を捨ててたもんあたしら」
「あれはマジすまんかったー。反省してます、ほんとしてます」
「次やったらようしゃせんからな」
「すませんした」
「しかし、よく間に合いましたね。構造がワンピースとは言え、あれだけの装飾が施されたものを、3日で仕上げるなんて」
今まで食事中だったため話に加わっていなかったエストさんが入ってきた。彼女は一人より食べる量が多くて、よく味わって丁寧に食べるので、人より多く時間がかかる。
一方の僕は食堂の料理人の方には申し訳ないけど、栄養ゼリーで済まさせてもらった。食欲がないんです。
「いや自分でもよくやったと思いますよ。絶対もうやりたくないですね。つかこの子はやり始めれば早いんですよ。手を付けるのが致命的に遅いだけで」
「どうしようもない女です」
「間に合ったのですから、どうしようもなくはありませんよ。それでルミネお嬢様からもお話されているかと思いますが、今後人手が足りないときは、私たちにも手伝わせてくれると助かります」
私たち、とは僕とエストさんの主従だ。やはり現場の仕事ほど経験になるものはないし、あの教室で基礎の基礎を復習するよりは、ずっと有意義な時間を過ごせるはず。
「あーうん、事前に言ってくれればまぁ、なんとかなる、かな」
「いいじゃねえかよきゅうたろう、わたしらだけじゃヤバイ時頼っても、正直私、大勢で服作りしてみたいんだー」
「んー、お前がそう言うならこっちが準備するよ」
「ありがとなぁ」
とはいえ、相手の都合もあるし、仮にも弓さんは一つの城を預かる人だ。こちらの要望ばかりを押し付けるわけにはいかない。
「細かい折衝はルミネお嬢様が担当してくださるようです。弓さんとは同じクラスですし、話しやすいと思うのですが」
ルミねえは美人過ぎて話かけづらい人だけど、認めた人物に対しては気さくだよ。そのあたりは僕と似た気質かも知れない。
「そろそろ時間だね。それにしても朝陽、お二人と話している時の貴女はとても楽しそうだったよ。いつもは控えめにしか笑わない貴女なのに、ちょっと妬けちゃうかな」
「流石にお嬢様方の前で、大口を開けて笑うというわけには参りませんので…… とはいえ、心が浮き足だっていることは否定しません。あのお二人は、話していて、とても楽しい気分にさせて下さる方々ですし」
めずらしく自分の気持ちが高揚しているのを感じる。どうも僕は、『ぱるぱるしるばー』という場所に、強く惹かれているようだ。
この気持ちは、ネットショップということは同じでも、『S&D』からは感じたことがない。
『Diana』としてデザインを『S&D』のHPに載せ、場合によっては衣装を手がけていた僕だけど、すべて僕だけで完結していたことであり、『商売』『事業』という印象は全くない。
でも、目の前の『ぱるぱるしるばー』の2人には、頑張って店を盛り上げていこうという意欲が感じられて新鮮だ。この人たちと一緒に服を作ってみたいという感情が沸き立つ。
『Diana』としても僕は、あくまで自分の行き場のない感情と才能をぶつけられる場所を必要していたのであり、我ながら薄情な話ではあるが、『S&D』という場所にこれといった愛着や未練は感じていない。
やはりそこには『顔』がなかったからだろう。『S&D』の他のメンバーの本名も名前も知らない上、電話という声を介したやり取りすら行っていないのだから。
それに、『S&D』という組織は不安定だ。個性と我欲の塊のような人たちの集まりなので、人員の出入りが激しい。奇しくも、未だにそんな『S&D』が存続しているのは『Diana』という強烈な個性的デザインによる。
なんともおかしな話だ。最も『S&D』から遠い『Diana』が、未だに『S&D』を存続させているのだから。
けれど、だからこそ、そろそろ止め時なのだと思う。このままでは『S&D』の人たちは『Diana』の添え物という扱いで終わってしまう。自らの存在を世界に強調したい彼ら彼女らにとって、それは屈辱だろう。
………やはり、こうしたものは伝播するものなのだろうか。『Diana』のデザインは僕の心に根付く病とこの体に対する鬱屈した感情から生まれたもの。だから、それに長く触れる者たちに、そうした感情が伝染していっている。
今の『S&D』の人たちも鬱屈しているものがあるのを感じる。証拠は特にないが、一切『Diana』にプライベートの接触をしてこないのが、ある意味で証拠だろう。
もう1年以上の付き合いになるが、最初の頃はメールの中にもどぎついジョークや世間話も挟まっていたが、ここ半年は事務的な最低限の文章だけ。きっと、僕との関わりをシステム的なものにすることで、感情を抑えているのだと思う。
よし、やはり以前から考えていたとおり、結果はどうあれ5月の『あの賞』が発表されたと時をきっかけに、『S&D』を辞めよう。『Diana』のデザインについても、それがいい節目になると思う。
それに、結果はどうあれ、なんて言っているが、僕は自分のデザインが受賞することを疑っていない。あの気持ちで描いたデザインが公的な賞で受賞できるのであれば、自分に対する、『Diana』に対する思いを断ち切れるだろうと思うから。
放課後、僕とエストさんは2人の男性と出会うことになった。どちらも、知っている女性からの紹介で。一人は意図的に、一人は偶然に。
意図的に出会った方は、山県大瑛という、ピアノ科の2年生の人。そして意図したのはルミねえ。彼とルミねえは軽口を言い合うくらいの仲らしい。
どことなく雰囲気が駿我さんに似ているなと思ったら、まさにその駿我さんの年の離れた弟だった。となると、僕にとっても親族になる。そういえば同世代の親類がいることは知っていたけれど、その詳細までは知っていなかった。正確には、知ろうとしなかった、であるのだけど。
「こんにちは、ピアノ科2年の山県大瑛です。いやあ、本当に雪の妖精のようだね。もしくはラ・カンパネラの真っ白な真珠のイメージかな」
「今日この人を紹介した理由はね。どうもこの人が朝陽さんに一目惚れしたらしいからなの」
「わぁ」
「はぁ」
一目ぼれと言われてもピンと来ない。自分は到底恋愛対象になるはずのない存在だろう。男としても、女としても。
「ちょっとルミネさん、それ語弊があって誤解されるよ。僕はね、ただ純粋に君の美しさのファンになっただけさ。君を見ていると、色々な曲のイメージが沸いてくるのでね」
ああ、つまりは僕は彼にとっての“ミューズ”になったということか。僕に、というより『Diana』にとってのミューズがあの子であるように。
「なるほど、そういうことでしたか。分野は異なれど、芸術の世界に身を置くものとして、そういう発想は良く分かります。改めてご挨拶を、小倉朝陽と申します、こちらのアイルランドのアーノッツ子爵家のエストお嬢様に仕える者です。どうぞよろしくお願いします」
「私の従者の綺麗さは、誰もが認めることですので、目を奪われても仕方がないことですね。エスト・ギャラッハ・アーノッツです。ヤマガタさん、どうぞよろしく」
「ご丁寧にどうも、よろしくね。アーノッツさん、小倉さん」
僕たちの挨拶は朗らかな雰囲気で終わったが、それに釘を刺してきたのがルミねえだった。
「まあ、本人たちはこうなるとわかっていたからいいんだ。私としても仲良くしてもらうのは嫌じゃないし。でも大瑛くん、なんで私がこの子と貴方を引き合わせたのか、わかるよね」
「ああ、まぁうん。そこはちゃんと分かってるよ。毎度口うるさい『叔母さん』に小言をいわれたんじゃあ、たまったものじゃないし」
「ちゃんと男らしい甲斐性みせてね『叔父さん』」
「あはは」
「ふふふ」
ど、どうやら彼ら2人のやりとりはいつもこういう調子らしい。言葉の節々からは毒を感じるけれど、お互いにそれを楽しんでいるようだ。こういう関係もいいなぁ。
「中々、独特な関係のようだね」
「はい、わたしも今そう思ったところです」
エストさんも同意見だったようだ。ルミねえは八日堂さんともこういう雰囲気で話しているけれど、親族ゆえの気安さからか、いつもより5割増で刺が多い。
「でも、男の甲斐性とはどういうことですか? 朝陽に告白するというわけでもなさそうですが」
「ああ、それねエストさん。この人さ、見た目と外面だけはいいじゃない? だから、それに騙されて群がる人も多いんだよ」
「人のこと言えるかなぁ」
「え? なに? 晩餐会来る?」
「ごかんべん」
ちなみに、晩餐会というのは、大蔵の一族がそれぞれ都合を合わせて一同に会して食事会をする事を指す。昔は堅苦しく重苦しい席だったらしいが、今は和気あいあいとした雰囲気になっている……
というのは1次会までで、お酒が入る2次会以降は、親世代による愚痴&思い出話のオンステージになるらしい。アトレは若い頃の(いまでも十分に若いけれど)お父様に似ているせいか、お酒に弱いメリルさんが、女装していたころの『朝日さん』と間違えられて、5時間延々とパリでの昔話をされた経験がある。
どうも、この山県先輩も、アトレと似たような経験をすでにしているようだ。相手は誰だろう。駿我さんかな? アンソニーさん? それともりそな叔母さま? 衣遠伯父様ではないと思う。
ちなみに、ルミねえは晩餐会のことを『酔っぱらいの介護』と呼んでいる。それでいいのか大蔵家。
「あの、それでヤマガタ先輩が女性にモテることと、私の朝陽に何の関係があるのでしょうか」
「ああごめんね。さっきこの人自身が言ったように、この子の美しさには惚れ込んでいるけど、それは有名絵画や彫刻の美しさを見るような感覚……でいいんだよね?」
「ちょっと違うかな。有名作家の楽曲を聴いている時の気分さ。特にクラシックの巨匠。チャイコフスキーなんかが特にそうかな」
「あ、そう。まあそんな感じなわけで、恋愛的な話ではないんだよね」
「人が折角音楽家の卵っぽいこと言ってるのに、ひどくない?」
「私、その手の感性死んでるので」
「いつもそれが免罪符になると思わないで欲しい」
2人のやり取りを見る限り、むしろ恋愛関係と見られるのはルミねえの方じゃないかな。でも叔母と甥の関係かぁ、複雑。
「どちらかと言えば、ルミネさんとの仲の方が疑われるのではないのですか?」
やっぱりエストさんもそう思うよね。
「ああ、その点は大丈夫。私初日にピアノ科いって『ウチの叔父います? 山県って言うんですけど』って乗り込んだから」
「そして僕が『やあルミネ叔母さん!』って大声で挨拶したんだ。その後2人で熱く見つめ合ったんだけど、誰も僕たちをそういう関係だとは見なかったよ」
それは、見つめあったのではなく、睨み合ったのではないだろうか。
「ううん、それは確かに、仲の良い兄妹くらいにしか思われませんね」
「実際私、音楽科の人たちには『大瑛くんの可愛い妹』みたいな扱い。一応年下だし」
「物事を正確に表すなら『大瑛くんの小生意気な妹』だね」
「うふふ」
「あはは」
確かにこの雰囲気に、恋愛を感じさせるものはなさそう。僕は恋愛関連には疎いというか、まったくわからないけど、そんな雰囲気じゃないのは分かる。
「つまり、朝陽がヤマガタ先輩の片思いの相手として誤解される方がいるということですか? そしてその人たちがなにか朝陽に干渉するかもしれないと」
「それを未然に防ぐためにこうして釘打ってるの。ちゃんとしてよね大瑛くん。貴方がはっきりとした態度をとらないと、この子に、迷惑かかるかもしれないんだから。もしそうなったら10時間コースも辞さないよ」
なんだろうその10時間コースって、さっきの晩餐会と関係のある話だろうか。
「OKOK、ちゃんと話すよ。僕は彼女の美しさに惹かれるけど、恋人になって欲しいわけじゃないことを、みんなに話すさ」
「でもどうでしょう。それで分かってくれるでしょうか。私自身は恋愛経験はありませんが、そうすんなりと引き下がるとは思えなくて」
「エストさんの危惧もわかる。女と小人は養い難しというものね」
「それを女性の君が言う?」
「じゃあ、ヤマガタ先輩が朝陽に告白して、振られたということにするのは」
「わぁ僕がすごくカッコ悪い。アイルランドの女性は綺麗だけど手厳しいね」
「あんまり良くないかな。それはそれで朝陽さんが逆恨みを受けそう」
「ああ、うん、確かにそういうことも起こりますね…」
なんだか僕をおいてけぼりに話が進んでいく。でも実際あまり話についていけてないので仕方ない。
「いや、あんまり深く考える必要ないと思うよ」
「え、なんで?」
「ピアノ科にいる子ならこう言えば大丈夫さ『あの白い綺麗な子は、大蔵ルミネがご執心の相手だよ』ってね」
「ああ、それもそうですね!」
「ちょっと待ってエストさん、なんでそれで納得するの」
「え? なんでと言われましても、ルミネさんを敵に回すのは絶対に嫌ですから。怖い」
「そうだよね、怖いよね」
「いつの間に友人から恐怖の対象として見られていた自分がいる。なんで」
「そして僕が『だから僕も近づけてもらえない。近づけたとしてもいつも小姑に見張られるのは敵わないよ』って続ければ、もう安心」
「それは安心ですね!」
「だからなんで」
よくわからないが、山県先輩へのファン対策の方法は決まったらしい。よくわからないが、ルミねえのおかげらしい。
よくわからないけど、なんとなくお礼を言っておく。ありがとうルミねえ。
「ありがとうございます、ルミネお嬢様」
「いろいろ言いたいことがあるけど、この子に免じて水に流す。でもまあ間違ってもいないしね。私はこの子に執心してるのは事実なわけだし」
庇護対象、という意味だけどね。
「ま、面倒事の方針も決まったことだし、改めてこれからよろしく二人共。ピアノ科、というか音楽部では時折リサイタルやったりするんだ。そのときはよかったら見に来てね」
「分かりましたヤマガタ先輩。機会がありましたら是非」
「お嬢様と一緒に、伺わせていただきますね』
「そのときは小姑も同伴だから、覚悟して」
山形先輩とはそこで別れた。今日初めて出会ったのだけれど、口調や雰囲気が駿我さんに似ていたから、とても話しやすい人だった。
彼のピアノというのも、一度は聴いてみたいと思うし。
ただ、やはり彼は男性だった。細身だけど、しっかりとした首筋や、大きな手が印象に残った。
「やぁハニー、君がベイビーが熱を上げている相手だね。いや、彼女の思いはそういうものじゃあないことは分かるけど、そう錯覚するほどに、君の髪は綺麗だ」
そしてもう一人は、大蔵アンソニーJrさんだった。彼の隣にはアトレがいる。
僕たちがこの2人に遭遇したのは、ルミねえの時と異なり偶然だ。ルミねえたちと別れて下校しようとしている際に、ばったりと出くわしたので挨拶をしたところ、先ほどのJrさんの発言となった。
ちなみにアトレのことをベイビー、僕のことをハニーと呼んでいるようだ。
「アトレお嬢様が、大変お世話になっているようで。今はエストお嬢様に仕えている身ですが、アトレお嬢さまにも良くしていただいていますので、私としてもお礼を申し上げます」
この妹は、常に僕のことを見てくれている。今の僕はエストさんを何よりも優先するべきだが、その例外が、この妹だ。
「ああ、俺としても君の髪を一目見て惹かれた。当然自分でケアさせくれと頼みたいところだが、このベイビーが、俺以上に惚れ込んでいるみたいだからね。その熱量には勝てないと尻尾巻いて、今は師匠役をさせてもらってるよ」
「じ、Jrさん!」
「HAHAHA、そう照れるなってベイビー。このハニーの雪のような白い髪は、誰だって恋しても仕方ないさ。それが同性だろうとなんだろうとね。まあこの国では同性愛は許可されていないから、本気ならステイツに戻るしかなさそうだHAHAHA」
「わ、わたしはただ」
「わかってる、そう本気にするなよベイビー、ただのジョークさ。とはいえ、君はしたたかな性格だと思っていたけど、彼女の前ではウブな一面も見せるんだな」
「か、彼女はわたしにとって特別なんです。もちろん、恋愛的な意味ではなく」
今日は、何かと親族と恋愛に縁がある日だ。
それにしてもアトレに恋愛か…… きっと今まで彼女はしてこなかっただろう。しても誰も責めないのに。
今だって、アンソニーJrさんという男性として魅力的な要素が多い人と隣にいても、遜色ない組み合わせとして見ることができる。彼女はまっとうに健康で、まっとうに少女なのだから。
「なんだか今日の朝陽はモテモテだね。このまま学園中を虜にしちゃいそうな勢い…… 朝陽?」
「え…… いかがしましたお嬢様」
「なんだか、浮かない顔。具合が悪いの?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ、アトレお嬢さまに同性愛の疑惑を持たせてしまい申し訳なく思っただけです」
「そう…… うん、それならいいの」
エストさんはそれ以上追求しなかった。ありがとうございます、我が貴き人。
僕たちのやりとりは小声だったためか、Jrさんとアトレには聞かれなかったようだ。
「まあそんなわけで、ベイビーの指導はビシバシやるから、その髪の手入れは、これから心配する必要はないぜ? これでもステイツではちょっとは聞こえた腕前だったんだ、その俺仕込みの成果は、しっかりと堪能してくれ」
「はい、ありがとうございます。楽しみにさせていただきます」
「ああ、そうしてくれ」
「はい」
「……………」
「…………‥」
一瞬、Jrさんが真剣な眼差しで僕を見た。僕の髪や顔だけではなく、全体像を測るような視線だ。
もしかして、彼は気づいているのだろうか。いや、きっとそうなのだろう。
彼の弟子は桜小路アトレ。僕の見た目は桜小路ルナ、つまりはアトレの母にそっくり。そして僕とアトレは普通の仲じゃない。
彼は色々と敏い気質の人のようだ。その上で、何も言わないでいてくれる。その上陽気な雰囲気で場を明るくさせてくれてもいる。
良い人だ。こうした部分は、父親のアンソニーさんの良い部分を受け継いだのだろうな、と強く思う。
「ハニーのご主人様のブロンドの美しさにも惹かれるんだが、ブロンドは向こうで何度も触ってきた。あいにく今はブルネットの気分でね」
「あら失礼な方ですね。ブルネットに興味があるのに、朝陽の白い髪に浮気なのですか?」
「おおっと、これは痛いところを突かれた。でも仕方ないだろ? 目の前に白いダイヤモンドが輝いていたら、見ないふりは決め込めないのが人間だ。もっとも、大抵はショーケースに入って守られてるから、触れることが出来ないんだがね。ちょうど今の俺のように」
「アイルランド製のショーケースは硬いですよ?」
「まったく、先客はいるし、硬いガードはあるしで、俺の恋は始まる前から終わっちまったぜ。まあ恋の終わりは新しい恋の始まりだ。誰がいい人がいれば紹介してくれないかい?」
これはきっと恋愛的な意味ではなく、興味が惹かれる髪の人物のことを聞かれているのだろう、この人は口調こそ軽薄だが、性格はとても真摯かつ紳士だ。
「そうですね…… 綺麗な黒髪と言えば…… あ! 同じ大蔵の人の、ルミネさんはどうですか? すごく綺麗な黒髪ですよ」
うんうん、エストさんの言うとおり、ルミねえの髪はそこいらに人に比べたら…… ってあれ? Jrさんの顔が若干ひきつってる。なにかあったのだろうか。
「いや、ルミネの姉御は別カウントで」
「え?」
いやいったい何をしたのルミねえ。アトレも驚いてるじゃないか。
「あ、あのJrさん、ルミねえさまといったい何が……?」
ありがとう妹よ。僕もそれが聞きたかったよ。
「いやさ、大蔵の一族になったとき、現当主に挨拶に行ったわけよ。それで当主の娘であるルミネの姉御も当然そこにいたわけで…… 形式どおりに挨拶を交したまでは良かったんだが、その次にあの人なんて言ったと思う?」
「な、なんと言ったのでしょう」
「『私はこの養母の次に当主になる身です。なので、貴方は将来私の傘下に入ることになりますね。仲良くしましょう。私も将来の部下は大事にします』だぜ? いやもう面食らったね。おもわずポカンとしたあと、となりの当主さまといっしょに大笑いしたよ」
ああ、なるほど。これまで認知されていなかったJrさんを歓迎するための、ルミねえなりの冗句だったのか。
おそらくいつもどおりの真顔かつ真面目な口調のまま言ったんだろうな。
そっけない風で懐が深い、あの人らしい。
「まぁ…… なんともルミねえさまらしい」
兄妹そろって同じ感想になってしまった。でも、それ以外に言いようもない。
「そんなわけで、初対面の時から、ああ、この人にはかなわねえな、って思ってる相手なんだ。いくら綺麗でもあの髪には恋できないなぁ」
「むぅ、そうなると…… う~ん、大蔵アンソニーJrさんをうならせるほどの黒髪の人は、他に思いつきませんね」
エストさんも色々な人を思い浮かべたようだが、降参になってしまったみたいだ。僕も思い浮かべてみよう。
春心さんや八日堂さんは染めているし、弓さんは僕が手入れしたいし、ジャスティーヌさんはエストさん同様に綺麗だけどブロンドだし……
他に黒髪の人は何人か思いつくけれど、すでに一定の評価を受けているらしいJrさんをうならせるほどの黒髪は、残念ながら僕も思い浮かばない。
ただ一人を除いて。
「アトレお嬢様は、綺麗なブルネットですが」
お父様譲りの髪を持っている妹の髪は、その眼鏡に適わないとは思わない。
「ベイビーは弟子だからね。弟子に恋はできないよ」
でも、彼は職業に確かな誇りを持つ人だった。それゆえ自分の信条に沿わない事はしない、ということか。
「ご立派ですね」
「大したことじゃないさ。君だって、君のご主人様だってきっとそうだろう?」
自身が目指す分野に対してストイックであること。それは確かに、僕らに共通していることかもしれない。
僕は改めて、彼に好感を覚えた。
長身の、広い肩幅を持つ、逞しい男性の体を持つ彼は、その姿に相応しい心をもっていた人だった。
マンションに帰った後は、65階の部屋でいつもどおりの流れで、エストさんのアトリエで服飾の勉強をする。
とはいえ、今日から僕は別のことに取り組もうと思っている。今までは2人でデザインの勉強をしていたが、今日持つのはペンと紙ではなく、針糸と生地だ。
「朝陽? もしかして服をつくるの?」
「はい、春心さんたちに触発されたというわけではないのですが、作りたい衣装が出来たので」
「ふぅん、でも普段着っぽい生地じゃないね。コレクション用?」
「ええ、かなり凝ったデザインに挑戦する形になります」
「なるほど、技術を高めようというわけなんだ」
その意図もないわけではないが、どちらかといえば僕の気持ちの区切りの問題だ。
僕が病の身を押してここにいるのは、今後の自分の人生を見つめ、決めるため。この衣装は、その最後の決め手になる、そんな気がする。
「そっか、朝陽も本気でなにかやろうとしてるんだね、……うん、私も頑張らなきゃ」
エストさんもなにか思うことがあったのか、その後僕は衣装製作、エストさんはデザインと、黙々と真剣に取り組んでいるうちに、飛ぶように時間が過ぎていった。
気づけばもう17:00。そろそろ夕食の準備をしないと。キッチンに向かおうとしたら、軽い立ちくらみに襲われた。でもこのくらいはいつものこと。
「朝陽、大丈夫?」
いつものことなのだけど、それを見逃さない人が側にいた。うーん、僕としては全然大したことないんだけど、上手く伝わるかな。
「いえ、このくらいは平気です」
「でも、帰ってきてからあまり調子良さそうじゃないし、まだ病み上がりだから無理はさせられない。今日は1階のレストランのルームサーヴィスを使いましょう」
よく見ている。ルミねえ並みによく見ている。たしかに、帰宅してから僕の調子は良くはない、でも、それはどちらかといえば精神的なものに起因することで、肉体的な不調というわけじゃない。
………今日出会い。親睦を交した2人の男性。山県大瑛さんと、大蔵アンソニーJrさん。僕と同年代の2人。僕の親族に当たる2人。
立派な男性の身体だった。特にJrさんの体格は、モデルと言われても通用するだろう、僕とは30cmも差があるのだから。
彼らの姿を見ると、やはり鏡を見るのが嫌になる。現実を認識するのが億劫になる。まったく、今更だというのに、何を羨ましがっているんだ。考えても詮無いことなのに。
どうして、同じ大蔵家の親類なのに、僕だけが、なんて。
だから気持ちを切り替えるために、衣装製作に没頭したが、この人にはお見通しだったようだ。とはいえ『健康な身体がうらやましかったんです』など言えるわけもない、空気が重くなるだけだ。
「申し訳ありません。やはり、まだ本調子にはなりませんでした」
そういうことにしておこう、これも全くの嘘ではないわけだし。
「素直でよろしい。さあ、連絡は私がするから、料理が来るまで一休みしましょう」
「はい」
そうして主人のご厚意に甘え、僕はソファに身を任せることになったのだった。
その後、夕食を採り終わった後、僕は2階の部屋に戻ろうとしたが、ご主人様から「ここで休んだほうがいいんじゃない?」と声がかかった。
どうしよう。ここで断る理由は特にないけれど、2階に戻れないほど調子が悪いわけでもない。
うーん………
エピソード:エスト
「では、お嬢さまの言うとおりにさせていただきます」
「どうぞどうぞ」
しばしの間悩んだ結果、才華はエストの言うとおりに、このフロアで休むことに決めた。
もとより、性別に関するわだかまりなど持っていないし、エストに対して相当の信頼をすでに寄せている。同じフロアに泊まることに抵抗はなかった。
自分用の寝室が用意されたその日のうちに、予備の寝具やネグリジェ類もすでに運び終えている。もうこのフロアは『2人用』の空間に改装済みだ。
ちなみに、『わぁ、綺麗で可愛いネグリジェだね、朝陽』とは、改装時の主人の言である。誰がどう客観的に見ても、『女性2人』が住む部屋になっている。
大蔵ルミネが才華に忠告した通り、何かアクシデントで知られる時か、あるいは全てを話す決断をした時まで、性別に関する身体の秘密はそのままに。
「なら、就寝までにもう少し作業を進めますね」
自分の部屋に戻って眠支度を整える手間がなくなったので、才華は時間と体力が許す限り衣装を作るつもりになる。ただその姿を見たエストは、ふと疑問に思ったことを口にした。
「もしかして、なにかの賞に応募したの?」
「正解です。お嬢様は、クワルツ・ド・ロッシュをご存知ですか?」
「日本のファッション雑誌の賞だっけ。あまりよくは知らないのだけれど」
彼女は少しだけ嘘を吐いた。クワルツ賞のことは知っているし、応募しようとも思ったが、その時はまだ自分のデザインを出す決意が出来ていなかったから、結局応募を見送る形となった。
しかし、この小さな白い従者に助けられたあの時から、考えを変えている。教室でこれまでの自分のデザインを出すつもりはなかったのだが、『この従者の主として相応しくありたい』と思った結果、デザインの授業で本来の自分のデザインを出していた。半ば無意識のまま。
彼女にとってはまさに晴天の霹靂だ。自分が長年思い悩み、実行しようとしていたことを、自分で止めてしまったのだから。
それでも、やはり長い期間を経て蓄積された懊悩は、すぐさま消えるわけでもない。彼女は未だに、双子の姉との『双子デザイナー』の構想を捨てきれないでいる。
とはいえ、今ではそれが自分に出来る自信も、薄らいでいた。他ならぬ、この幼気な従者のために。
まだ2月の頃の話、ふとしたことで聞いてみたのだ。
『まったく違う2つのデザインを描くことって、出来ると思う?』
と、そう自身の悩みを、それとなく尋ねた。長年彼女を苦しめてきたその問題に対し、エストは白い少女の口からも当然難しい反応が返ってくると思っていた。しかし
『簡単ですよ』
その可憐な口から紡がれたのは、まったくの予想外の言葉。
『本来のデザインはそのままに、他の有名デザイナーの亜流にアレンジを加えればいいのです。模倣にならないレベル、あくまでリスペクトの範囲で』
その時のエストは、少女が何を言っているのかよく理解できていなかった。
『そのために、複数のデザイナーの要素を盛り合わせれば、模倣には見られませんね。そうしたヴァリエーションを組み合わせれば、2つも3つも変わりありません』
まるで、“普段から自分がそうしてる”ような淀みない口調で、なんのことはないように、少女は語る。
『絶対に崩れない自身のデザインさえ確立していれば、その基本骨子の中にそうしたほかデザイナーのエッセンスを“装飾”として加えるだけで、別のデザインのように見えます。まぁ、この場合この第2第3のデザインは、2流レベルの評価までしか受けられないでしょうね』
自身の中で誇る“1流”のデザインさえあれば、“2流まで”のデザインは簡単に出来る、と少女は断言した。
そして、ふと気づいた。“今の彼女のデザインはどっちだ”と。
白い少女のデザインのレベルは、アメリカで賞を幾つも獲った自分と比べても遜色ないものだ。だが、それが彼女の語ったような“亜流”のデザインでしかなかったら?
考えてみれば、彼女のデザインには桜小路ルナの影響が見られる。しかし、あくまでそれはいみじくも彼女が言ったように『リスペクト』の範囲内だ。
―――この子は、恐ろしい程の天才ではないだろうか
エストの中で、その疑問は常に渦巻いていた。そしてそれは、普段はおとなしく控えめな彼女が、服飾のことになると厳粛なストイックさを見せることからも、垣間見ることが出来た。
そうして、自分にはそれほどの才能はない、と思い知らされることにもなった。自分が思い描いていたことは、彼女のような天才でなければ不可能だという現実も。
また、同時にそれとは別に思うことも生まれた。
この白い少女は激しい服飾への意欲とは別に、とても穏やかな愛情、特に祖国に対する愛情を見せている。いや、むしろいつも見せているのはその顔だ。だからこそ、エストは彼女を愛しく感じているのだから。
控えめで儚く、祖国愛を感じさせる一面と、服飾に対する激しく真摯な一面。この少女は2面性を持っている。エストはこの3ヶ月共にいることで、それに気づいていた。
だが、その上で思う、自分がこの少女に求めているのは、前者の顔だと。
後者の一面もまた彼女なのだろう。だが、エストはなぜかそこに強い危惧と脅威を感じていた。そして先日その正体が分かったのだ。
あの服飾に対して激しい姿は、彼女の体を蝕ませるものだ、と。それを知った。
だから、彼女が真剣に服飾に打ち込むのは、正直気が進まない。
………筈だったのだが、どうしてか、今日部屋で衣装を作る彼女の姿からは、今まで感じていたそうした危険性は感じられなかった。
その理由は分からない。わからないから、聞いてみた。
「朝陽、その衣装は、貴女が着るの?」
「いいえ。これはお嬢様に着ていただきたい衣装です」
「え」
「まだ短い期間ですが、お嬢様とともに暮らせて、色々なものをいただきました。そんな貴女との日々を思い浮かべてデザインした衣装です」
「そう、なんだ……」
「はい」
作業を進めながら、白い少女は華のように微笑んでくれた。
その微笑みを見て、エストの中で疑問が氷解した。ああ、彼女は変わりつつある。
今まで2面性として別個にあったそれぞれの面が、ひとつになろうとしてる。それとも、彼女が危ういと思った面が消えようとしているのか。
それはこの子にとっては辛いことかもしれないけれど、自分と共に在るためにそう変わってくれたのだとしたら。
――こんなに嬉しいことはない。
「ちょっとお手洗いに行くね」
エストはそう言って席を立った。今の顔は、従者に見せる主人の顔としては相応しくないから。
だからちょっとの間離れさせて。戻ってきたときは、貴女の主として相応しい戻る。いや成りたいから。
彼女が自分と共にあろうとしてくれるから、自分もまた古い鎖をちぎらないといけない。そう思うエスト・ギャラッハ・アーノッツであった。
エピソード:アトレ
そして、次の日の晩。
2日連続は流石に良くないと思ったためか、次の日はきちんと2階の部屋に戻ってきた才華であった。実のところ、この部屋を使う頻度もこのところ随分と減っている気がしないでもないので、使ってあげないと、という謎の使命感も、才華の中で働いている。
忍者屋敷のごとき隠し扉を通り、九千代とアトレの部屋に入る。この扉を通り際には、コンビニエンスストアのように音がなるので、入ったことは住民にすぐ分かる仕様になっている。
「あ、若、お帰りなさいませ」
「うん、ただいま九千代」
九千代にとって、やはり才華が帰る部屋はこの2階、即ち自分たちの傍という認識が強いのだろう。そうした無邪気さは、才華を明るい気持ちにさせてくれる。
山吹九千代という存在は、才華にとって妹のアトレとはまた異なる意味で特別な相手である。親代わりの八十島壱与とは違い、彼女は立場も年齢も才華より下の存在だ。
彼が妹と同じような健常な身体で生まれれば、あるいは九千代と男女の関係になる未来もあったかもしれない。それほどの近い距離を、長いあいだ過ごしてきた。
九千代と他の屋敷の使用人、伯母の八千代や壱与、それら“大人”と異なる点は、純粋に才華を尊敬し、尽くして仕えているところにある。
やはり赤子のころから病弱な才華を見て来た大人たちでは、無意識の内に才華を『保護』ないし『看護』しようとしてしまう。それは必要なことだとは分かっていても、当の才華にとっては心の棘が抜けきれない。弱い自分を実感させられてしまうから。
だが、九千代にそういうところはない。彼女は純粋に桜小路才華という少年に献身し、その才能の凄まじさに感嘆する。つまり、彼女は才華を『弱い存在』と見なしていないのだ。大人たちにどうしても混じる憐憫の眼差しを、才華は九千代から感じたことはない。
だから、この少女と一緒にいると心が癒されるような気持ちになる。九千代はむろん才華の病気のことも全て分かっているが、むしろ『病人だからすごい』と思っているのだ。重い病気でありながら、服飾に関して驚くほどの才能を示している才華を、彼女は心から尊敬している。
そんな彼女と一緒だからだろうか、こうして心から和やかに話ができるのは。
今ここにいるのは才華、アトレ、九千代の3人。才華とアトレだけなら、やはりどこかにぎこちなさが出てしまう。
「そっか、調理科は、本当に和気藹々とした雰囲気なんだ」
「はい、元々なにかを競い合う分野ではありませんし、ギスギスした雰囲気で食事しても美味しくありませんから」
「それはそうですね。わたしの美容科の方は、やっぱりコンテストはありますから、そういう競争意識は強いです。わたしはまだまだ初心者ですから、そのラインに立ててませんけど」
「いえ、お嬢様なら、すぐに皆さんが認めるような腕前になれますよ」
「ありがとう九千代。でもやっぱりフィリア学院に来るくらいの人たちなので、正直授業に付いていくのが精一杯です。Jrさんには本当に感謝してもしきれないくらいに」
「ああ、そういえばJrさんとは、どういう経緯で知り合ったの?」
「Jrさんのお父様のアンソニーさんから、わたしが入学することは聞いていたみたいで、それとなく気にかけてくれていたみたいです。それで、わたしが教室でクラスメイトと話している最中に声をかけてくれて」
「そのあたりは、やはりアメリカンなのですね。女性の集団の中に堂々と声を掛けるというのは、日本人男性には難しいと思うのですが」
「そこは人それぞれじゃない? 少なくとも僕は気後れしないよ」
「若の場合は、むしろ同性の方に声を掛けたほうが、複雑になると思います」
「あ、そうだね。僕の見た目はお母様そっくりだから、女性が男性集団に声を掛ける形になっちゃう。っとごめんアトレ、話の途中だったね」
「はい、そこでJrさんと親戚ということがクラスの皆さんにも知られて、Jrさんとお近づきになりたいと思っていた人たちが、わたしの元に殺到するようになりました。おかげで、今はクラスの女子達とほとんど仲良しになっています」
「流石はお嬢様です。以前のスクールでも、アトレお嬢様は人気者でしたからね」
「ううん、あれはお母様やメリルさん、偶に叔母さまから送られてた服のデザインのお陰ですよ。わたしから特にアプローチすることは稀でしたから」
「でも、きっかけを掴んで交流関係を深められるのも、大事な才能だと思うよ。実際、前のスクールの友達とはずっと仲良かったんでしょ?」
「はい、今でもメールのやり取りはしてますね」
「じゃあフィリアでも、友達100人目指す?」
「以前のスクールでもそんなにはいませんよ」
「お嬢様なら出来ると、この山吹が保証します!」
「そういう九千代は親しい友人は出来たのですか?」
「わ、わたしですか。えーっと、となりの朝倉さんはとても親切な人で、良くしていただいてますが」
「そっか、九千代にも友達が出来ているんだね。よかったよかった」
こうして、何気ない世間話を、普通の家庭のように話せてるのは、ここに山吹九千代がいるからだ。彼女を挟んで初めて、桜小路の兄妹はありふれた家庭の兄妹のような会話ができる。
現に。
「アトレ」
「はい」
「無理は、しないでいいんだよ」
「わたしがやりたくて、やっているだけですから」
「そう」
「はい」
九千代が離れ、2人きりになった途端、このような雰囲気になる。今は、アトレがJr氏からの手ほどきの成果を見せるため、才華の髪を手入れしているところだ。
この兄妹は、とても深く通じ合い、そして誰よりも遠く離れている。互いを見つめ合いながらも、肝心なところで目線をそらす、そんな生き方をしていた。
今日Jr氏と会った時も、アトレは才華の心情を察していた。同じ血族でありながら、男性らしく逞しいJr氏を見て、才華の心がどう揺れたか、アトレにはわかっている。だが、それを話題にすることは絶対にしない。
彼女はわかっている。兄がそれに触れられたくないことを。わかっているけれど口にしない。
才華もわかっている。妹が自分の心を理解してくれていることを。わかっているが、感謝するわけにはいかない。
やはりこの関係のままは辛い。どこかで区切りをつけないといけないことなのだ。才華にとっても、アトレにとっても。
才華もそのためにエストと一緒にいる時間を増やそうとしている。心に浮かぶ緑の国の郷愁に心を寄せることが出来れば、この妹のことを普通の妹、まさに九千代のように見ることが出来るのではないかと期待している。
桜小路アトレという少女は、先ほどの会話でもわかるように、生来の気質はごく“普通”の少女だ。特出した才能はないが、当たり前に友人との会話に華を咲かせ、当たり前に遊びに出たい年頃の少女。
そんな彼女が修行僧のような心境で暮らしているのは、才華という兄がいるから。そんな状態から、当たり前に戻してやりたいと思う気持ちが才華にもある。
だが、同時に、それはこの妹の心をもう見ないということであり、これまでのアトレの人生を無為なものにすることも、意味するのだ。
だから、才華は思い悩む。愛の国へと心を寄せ、その道を進むことが最善だと理性では理解しているが。
感情の原点と言える部分で、アトレを見ないでいられることが出来そうにない。
そうであるがゆえに、今日はこの2階へ戻ってきたのだ。兄として、妹の練習の成果を見てやるために。
彼の行くべきは緑溢れる愛の国への道か、それとも『
その答えは、まだ出ていない。
ルミネ、大瑛、アンソニーJrという新世代トリニティは、“才華とアトレ”という同世代親族に影響を与える人々です。(衣遠、りそな、駿我の決断により変化した人間関係)
経営者、ピアニスト、スタイリストとそれぞれに将来に繋がる“タレント”を持っており、それに合った才能を有している。
今までは親族という括りでしたが、フィリア学院の“同じ学生”という立場を得たことで、桜小路の兄妹から新たに見えるもの、感じるものがそれぞれあり、やがては二人の決断にと。
その頃の桜小路家
「なにはともあれ、才華が無事でなによりだ」
「そうだね。万全の体制を整えてくれていた、お兄様に感謝しないと。持つべき物は頼りになる兄だね」
「いやまあ君、そうは言っても才華が入院してると聞いた瞬間、パスポート持って空港行こうとしたじゃないか」
「心配なものは心配だから」
「才華本人から来なくても大丈夫と言われなかったら、本気で向かっていただろうな、君は」
「もちろん」
「即答か…… 君な、こういう時父親というものはどっしりと構えているものだろう」
「では、御子息の安否を気遣うメイドになります。それでは日本に向かいますので、少々お暇を頂きます」
「待ていそのカチューシャどこから出した、いつの間に付けた。いや、君も随分強かになったものだ。瑞穂といい、大和撫子は年を取ると肝っ玉母さんになってしまうのか」
「先ほど私を父親と言っていましたのに、今度は肝っ玉母さんと呼ぶところに、ルナ様からして、私を父親扱いしていないように思えます」
「揚げ足を取るな、そしてカチューシャは取れ。はぁ、【朝日】を使いこなすようになるとは、女装を嫌がり、照れていた君は、今や思い出だな」
「あの子が笑ってくれるなら、女装することも過去の失敗談をすることも、全然大したことじゃないからね。というか、今の話のようなこと、そういえば以前才華からのメールであったな」
「カチューシュが君にとって朝日⇔遊星のスイッチなのか。で? どんな内容のメールだったんだ?」
「お父様とお母様の夫婦関係を、逆にしたら普遍的なイメージの理想の夫婦になりますね、って」
「む、どういうことだ、私と君を逆転?」
「つまり、ルナが男性で世界を牽引するデザイナーで一家の大黒柱、僕が女性でそんな君を陰日向に支える妻、という感じ、かな」
「んん~? なんだかあまり普段の私たちと変わりないような。いやそれは君の外見に因るところがなにより大きいんだが、なあ【朝日】」
「スッ(無言でカチューシャを付ける音) はい、現に一家の大黒柱はルナ様ですし、ルナ様は常に誇り高く堂々としておられる、精神的なアニムスが強い御方です。そういう部分を、お子息は父親的だと評されたのでしょう」
「だんだん面白くなってきた。その逆に、君は精神的なアニマがとても強い人だ。子供たちが私より君に母性を感じるのも、ある意味当然だな、【遊星さん】」
「スっ(無言でカチュ-シャを外す音)、僕で遊ばないで。実際、ルナが父親役、僕が母親役でバランスが取れているからね我が家は。才華がそう思うのも仕方ないよ」
「だが、そうなると、我が家はどっちなんだ?」
「どっちって?」
「亭主関白か、かかあ天下か、どっち寄りだろうか」
「それは…… 我が家は君を柱に成り立っているから、かかあ天下になるんだけど……」
「しかし『女房役』は君だ。なら我が家は亭主関白になるのか?」
「うーん」
「むぅ」
「………」
「………」
「………考えるだけ、無駄だね」
「………だな、無理に既存の枠組に当てはめる必要などない、それを新しく作ることこそ、デザイナーの本文だ」
「じゃあ女性の亭主関白で、『女太閤』あたりにしておこうか」
「なんだか昔の時代劇のドラマ名みたいで嫌だな……」