月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
2話 裏タイトル 【イタリアは別にゲ○天国ではないので注意】
目が覚めた。
身体が重い。昨日はいつになく身体を動かしたからか、どうにも身体の動きが鈍くなる。疲れは取れているとは思うけれど、それでも僕の朝はそもそもからして倦怠感との戦いから始まるのだから、いつもよりちょっと重い程度で、なんということはない。
時計を見ると、朝の6時。いつもどおりに僕が起きる時間帯だ。主治医の間先生の言うことには、僕は陽の光を浴びられない上に食が細いので、体内時計が常人とは異なり、睡眠活動が不規則とのこと。だから成長ホルモンが足りずにこの身長。おのれ。
身支度を整えるのに1時間として、7時ならば壱与がもう朝食を用意してくれている頃だろうか。
「若、ご起床されていますか」
「うん、もう起きているよ」
コンコン、というノックの後に、九千代が入って来た。その後九千代を伴い、お父様が最後まで別れを惜しんでいた浴室で汗を流して髪を整え、用意されていた服に袖を通して準備完了。
「おはようございます、若。さっぱりされていますね」
「おはよう壱与。うん、昨夜はそのまま眠ってしまったから、サッパリしたよ。あ、アトレは昨日お風呂に入ったの?」
「はい。お嬢様は昨夜に入浴されていますよ。やっぱり乙女ですもの、寝る前に身体を綺麗にしておかなくちゃ」
「どう? 壱与から見て、アトレはちゃんと乙女になった?」
「それはもちろん、今のお嬢様は、若い頃の旦那様を思い起こされます」
「ふふ、そこ、お父様なんだ」
「あらやだ私ったら。でも、嘘ではありませんよ。若はご存知でしょうけど、若い頃の旦那様は、誰もが見蕩れるような完璧乙女でしたから」
「お母様よりも?」
「それは私の口からはなんとも。ただ、奥様のご友人の花ノ宮瑞穂様は、『日本最後の大和撫子』だと力説されていましたね。あの時の瑞穂様はそれはもう情熱乙女でしたわ」
「まあ、お母様に『乙女』は少し似合わないかもね、壱与」
僕らは笑い合いながら、食堂へ向かう。正直なところ、お母様を『乙女』とは評しづらい、『貴人』であることは確かだけれど。あの凛とした佇まいのせいだろうか。
それにしても『日本最後の大和撫子』とはまた、お母様秘蔵の写真・画像コレクションの中のお父様はメイド服やドレス姿(お母様デザイン)がほとんどで和服はなかったけど、瑞穂さんにはそう見えていたのかな。それとも大和撫子とは見た目ではなく心ということだろうか、奥が深い。
となると、普段から瑞穂さんの作った和服に、叔母さまのアレンジがされた服を身につけたアトレは、瑞穂さん評価ではどういう扱いになるのか、ちょっと気になった。
まあ、お母さま曰く
『というか瑞穂は、単に朝日(これはメイド服姿のお父様のこと)に心底惚れ込んでるだけだったな。入れ込み具合が半端じゃなかった。まったく、我が友人ながら困ったものだったよ』
とのことだが、それをあなたが言いますかお母様、と思ったのは内緒だ。
「ひと晩眠って疲れも取れたようだな。気分はどうだ」
朝食が終わったあと、食堂で伯父様とのお話となった。本来なら昨夜に積もる話をしておきたかったけれど、それは伯父様本人に止められた形に。
「はい、お気遣いありがとうございます」
「それと、お前には申し訳ないが、アメリカの弟夫婦の近況については、昨晩のうちに本人から聞いている。そのあたりのことは話す必要はないぞ」
ああ、やっぱりそうだったのか。でもそうだよね、多分お父様から電話があったんだろうな。
「お兄様がお休みになられた後、私もお父様とお話しました。お兄様がもうお休みだと言うと、ほっとされていた様子でしたよ」
ああ、お父様の愛が重い。重いけど嬉しい。
「まったく、奴のお前の配慮は、息子へのソレではなく、娘へのものだな」
「全くですね、本当の娘がここにいるのに、失礼なお父様です」
当然、お父様はアトレのことも心配されているよ。まあ、この妹もわかっていての軽口なのだろうけど。
「しかし、娘、娘か……」
口元に笑みを浮かべていた伯父様が、ふと真剣になって僕の姿を改めた。なんだろう、僕の姿におかしなところがあるかな。
今日は薄いブルーのボタンダウンシャツに、ブラウンのパンツ、部屋着だからノータイ、という上下だけど、特におかしな組み合わせではないはず。
「才華、お前は昨夜のあの格好で、空港内を歩いていたのか」
「はい、それがなにか……」
どうやら伯父様が気になったのは、今の僕ではなく昨日の僕だったようだ。いやでも昨日の服も特におかしなところはなかったと思うけれど。
「……ジャケットは着なかったのか」
「10時間も同じ姿勢だったので、身軽にしておきたかったのです」
「まあ、それは仕方ないが、しかしな」
「伯父様、僕は服飾の道を志す者です。服のことで問題があったのなら、容赦なくご指摘ください」
「では確認するが、多くの観衆、とくに男の視線を集めただろう。違うか?」
「はい、すれ違う人はもちろん、離れた場所から遠巻きに見る人もいたように思えます」
空港では、随分と視線を集めていた。あの時は僕の髪と肌、そしてアトレの和服が珍しいと考えていたけれど、違ったのだろうか。
「私の肌や髪、アトレの和服が目を惹いたのだと思っていますが……」
だからそのまま口にしたのだけれど、伯父様の返答は予想外のものだった。
「いや、それもあるだろうが、それだけではない。簡潔に言えば、お前の服装が色気がありすぎたから、人目を惹いたのだ」
……はい? 色気?
え、え、え、どういうことだろう。だって昨日の僕の服装は、駿河さんを参考にしたとてもシンプルな装いのはず。当然僕は肌の露出を多くなんてできないし、貴金属や香水の類もつけてない。
いったいぜんたい、どういうことだろう。
「クク、腑に落ちないという顔つきだな。だが、昨日のお前の、いや今日の装いもか。あれは遊星が縫ったものか?」
「いえ、これは自分で縫ったものです」
僕の返答に、伯父様の目が見開かれた。この方のこういう目は、驚きではなく感心を表現するものだということを、僕は知っている。
「ほぉ、これをお前がか…… なるほど、やはりお前は父の才を十二分の引き継いでいるようだな、シャツはシンプルであるがゆえに、十分にフィッティングさせるのには技術が要る。それを既にここまでこなしているとは」
僕を賞賛してくれている伯父様の瞳の中には、しかし喜びや楽しみといった感情以外のものが混じっていることを、僕は知っている。そんなことにすぐ気付いてしまう自分を、僕は好きになれない。
「見事だ才華。………が、此度はその見事な技術が仇となった形になる」
「どういうことでしょうか?」
「ふむ、そうだな。アトレ、お前にはなんとなく分かるのではないか?」
「え、わ、わたしですか」
急に水を向けられたアトレはやや戸惑ったものの、すぐ落ち着きを取り戻して語ってくれる。え? アトレは分かってるの?
そういえば、昨夜空港でアトレと九千代は、何か言いたげに僕を見ていたっけ。
「シンプルな装いであるが故に、お兄様の美しさをそのまま表してしまった、ということではないかと」
僕の美しさをそのまま? ……ちょっとわからない。たしかに僕の顔はお母様と瓜二つだから美しいことは理解できるけど。
「服とは、着飾ればいいというものではない。装飾が過多になればなれば却って下品となる。それはわかるだろう?」
「はい」
もちろん、それは分かります。服飾を志す者として、組み合わせが悪いゴテゴテしたコーディネートは、許容できない。装飾も過ぎれば、それはただのサーカスのピエロでしかない。
「だが、逆に装いがシンプルでありながらも品を保つことができれば、それは着手本人の魅力を最大限に引き出す効果を齎す。これのさじ加減は難しい。品が保てなければただの無頓着やだらしさなさを表すことになるからな」
お父様やお母様の普段着や部屋着を思い出す。……うん、2人とも上品でありながらくつろぎがあり、本人の魅力をひきたてていた。
いや、それは僕でも分かるのです。シンプルでも上品に着ればそれは十分ファッションであると。でも
「しかし、色気、というのは分かりません。自分で言うのもなんですが、私の身体にそういう要素があるようには思えませんが……」
僕は肉付きがよくないし、同じような体型であろうとも、女性であるお母様のように身体に丸みはない……と思う。男性でも女性的な曲線を持っている男性もいるけど、それは多分特殊。
「自分に色気がないと思うか」
「はい、私は男性ですし、お父様のように太ももからお尻にかけて見事なラインを描いている体型でもありません」
お母様曰く『神が与えた奇跡』であり『私の特等席』らしい。お父様の膝枕で眠るお母様を何度も見たことがある。りそな叔母さまは『気味悪い体型』と評したらしいけど。
それと申し訳ありませんお母様。貴女の特等席、何度も僕が無断使用してしまっています。
「色気、と一言でいうが、色気にもまた種類がある。単に異性の気を惹くことだけが、性的興奮を促すものだけが色気ではないのだ。例えば、ギリシャの女神像は硬い大理石で出来ているが、あれに官能を覚えるのはおかしなことか?」
「……いえ、固く冷たい石で出来ていながら、女性の優美な線を表現してある姿からは、たしかに『色気』を感じますね」
「そうだ。そして、お前が手がけたシャツもパンツも、お前の寸法ピッタリに仕上がったもの。お前の姿を見たものは、ほぼ全員がお前の裸体を、か細い可憐な少女の柳のような肢体を想像したことだろう」
ええええ!? か、可憐な少女!? そんな風に見られてたの!? しかも裸を想像されていた!?
「そ、そんなはずはありません! 寸法ピッタリとはいえ、別に肌に張り付いているわけでも、身体のラインが見えているわけでもなかったのですから!」
「いや、それが見事な服の魔力なのだ。見る者に想像力を掻き立て、感動を与えるもの。そうした意味では、お前は自分の服を誇っていいぞ」
それは、素直に誇れません…
「複雑です……」
「俺も同じだ。お前の美しい肢体を、そのあたりの蒙昧が勝手に想像するなど許せん限りだよ。とはいえ、まだ日本で良かったと言えるがな。これが欧州、とくにイタリアだったらと思うと、この俺ともあろう者が、身震いを覚える」
「イタリアだったら、なにかあるのでしょうか」
「あの国は同性愛と両性愛の巣窟だ」
…………………
沈黙がその場を支配した。
「ああ、わたしたちの生まれがこの国で良かったですねお兄様! わたしは今日ほど日本人に生まれたことを感謝したことはありません!」
同感だよアトレ。まあ、ぼくたちクォーターだけどね。
「遠慮と謙遜が美徳とされているこの国ならばともかく、あの国やフランスは男も女も直接的に愛を語る。さらに、欧州ではジャケットなしの姿でピッタリのシャツやパンツ姿は、まさに裸も同然だ。才華、お前の外見ならば男も女も群がってきていたことだろう」
「日本人の気質に感謝致します」
「まったくだ。欧州の人間を無差別に粛清などするはめになりたくないからな」
伯父様の冗談はオーバーだなぁ。
「そういうわけで才華。今後外出する際は、必ず上着を羽織れ。ジャケットが重いなら、ベストでもいい」
「はい、今後は絶対にそういたします」
それにしても欧州基準なら裸同然で歩いていたとは、服飾生としてあるまじきことだ、猛反省しないと。
「まあ、そうしょげるな。こういうことは実際に体験して初めて分かること。座学では身に付かんよ。俺も、そうしたことを肌で感じるために若い頃に欧州に渡ったのだからな」
ありがとうございます伯父様。でも妹に分かっていたことを分からなかったのは、未熟の至りです。
………実際の経験、か。たしかに僕には圧倒的に足りていないな。
その後、話題が2転3転したあと、僕たちの進路に関わる話となった。
さあ、ここからが本番だ。
「伯父様、アトレ、僕の進路の話には、壱与と九千代も入ってもらってもいいでしょうか」
「ああ、かまわんぞ」
「はい、わたしも異存はありません」
そして皆に集まってもらったところで話を切り出す。
……正直なところ、ここが正念場だ。この場で伯父様の協力を得られない限り、なにも始まらない。
僕はなんでも一人でできる超人じゃない。伯父様のように単身で欧州に渡るような真似も、お父様のように単身で身分を隠して生活できるような順応力も持っていない。
助けが必要な存在だ。僕は弱い。その事実を受け止めない限りは、一歩も前へは進めない。無論、自分の弱さなんて骨身にしみるほど分かっているし、隠すようなこともしていない。桜小路才華が弱いというのは、もはや家族親戚一同の共通認識だろう。
だけど、それは暗黙の了解といっていいものだ。実際に言葉に出してそれを話に交えるのは、やはり相応の勇気がいる。
「それで才華、アトレ。お前たちはこうして日本に帰ってきたわけだが、弟夫婦の話によると、才華はこの屋敷で家庭教師から服飾を学びたい。そしてその教師を樅山を指名したとのことだが」
「はい、お父様たちには確かにそう話しました」
「ふむ、ではアトレは」
「わたしは、お兄様をお支え出来るなら、どの学校でも構わないと思っています」
「その心構えは立派だが、姪よ、お前は『どういった形で』兄を支えるつもりだ?」
アトレの言葉に対する伯父様の言葉が、いつになく厳しい。家族の中でも特にアトレに甘いのが常の伯父様なのだけれど。
伯父様は基本とても厳しいお方だが、年下の家族、親族には甘いところがある。けれど、僕に対して、さらには僕に関わることに関しては、見方が厳しめになる傾向が見える。これは僕が勝手に思ってることだけど。
「それは……」
伯父様の厳しい視線に晒され、アトレは言葉を告げない。少し酷な言い方だし、それをお前が言うのかと言われること間違いないが、アトレの『支え』を、僕はあまり必要というわけじゃない。世話役としてならば使用人である九千代のほうが優秀だし、アトレに服飾の才能はないので、その面でも僕を補助できるわけでもない。
「支える、助けるという心の在り方は立派だ。俺も伯父として誇らしい。しかし、言葉のみで述べるだけでは、その重みは浮遊している風船のごとくだ。何を、どのようにして、才華を支えるのかという明確な目標はあるのか」
「…………」
妹は気の毒なほど落ち込んでいる。それなのに、僕は一切の助け舟を出せない。出したところで藪蛇になるだろうけれど、正直なところ、僕はこのやりとりの向かう先が気になる。
「肉体面、生活面での補助ならば、本職である八十島や山吹の姪のほうが優秀だ。であるならば、お前にしかできない何かで、才華を支える必要があるが、アトレよ、お前に服飾の技術はあるのか」
「………ありません」
ここが妹の何よりの泣き所だ。僕は服飾の道を志していて、その才能も両親より引き継いでいる。けれど、同じ両親から生まれた妹には引き継がれなかった。
とはいえ、アトレにもまだ開花していない、させていない才能があることは間違いない。今現在で言えば、とても気立ての良い良家のお嬢様、と言える程の雰囲気をアトレは有している。上流階級のお嬢様学校に通えば、一躍輪の中心になれる存在ではないだろうか。おそらく、お父様が持っている対人関係の才能を、妹は引き継いでいるように思える。
だけど、『僕を支える』という目標に、その才能が発揮されるとは思えない。なにしろ、僕は外出することもなければ、これまで学校にすら通っていない。僕とアトレの才能は、まさに真逆なんだ。
だというのに、妹は『僕を支える』ことを自身の人生の目標としている。けれど……
「お前が、真に兄の役に立ちたい、兄の支えになりたいというのなら、才能がなかろうと服飾の技術を取得しようとしなければならなかった」
伯父様の厳しい言葉は続く。以前お父様は同じようなことを優しく諭すようにアトレに言っていた事があるけれど、やはり優しい言葉というのは響きづらいものなのか、というよりもお父様がそういったことに向いてなさすぎる。
それに対し、伯父様の言葉は苛烈で峻厳。今日この場は、ある意味でぼくたち兄妹の今後を決める重要な話し合いなのだから、伯父様も心を鬼にして、僕たち兄弟に甘えを許さないスタンスを取っている。
「しかし、弟夫婦からお前が日頃から針糸をもって作業しているという話は聞いていない。たしかにデザインは何より才能がモノを言う。型紙の作成も同様だ。だが、縫製に関しては愚直に研鑽することによって身につくもの」
ええ、確かにその通りなのです伯父様。ですが、何事にも例外というものはあって。
「これにもたしかに才能が必要だが、それは時間で埋められる差だ。デザインのような、いくら時間をかけようとも埋まらない差ではない。兄が服飾の、デザインの道を志していることを知っていながら、お前は唯一兄の役に立てる縫製の技術を学ぶことを怠った」
大蔵衣遠は苛烈。姪に対する一見容赦のない攻撃も、愛があってこその説教。とはいえ、実際にそれを受ける立場のアトレは、これまでにない伯父の説教に、何も言葉を返せないまま、俯いている。よく見れば、その瞳には涙が滲んでいるのが見える。
これは、決して怒られたから、伯父様が怖いから、という理由の涙じゃない。妹は、指摘された自らの不甲斐なさを恥じて、悔し涙を流している。
だから、ここで妹に手を差し伸べるのは、兄である僕の役割だろう。何より、僕にはそうしなければならない責任がある。
「お待ちください伯父様。アトレは、私の役に、支えに十分になっています。彼女が何も努力をしてないような物言いはお止めください」
そう、アトレはとても感受性が強い。生来の気質はもしかしたら違ったかもしれないが、僕という兄を持ったことで、そう育ってしまった。
そして、愚直に縫製の腕を磨くという道を、アトレに許せなくしてしまったのもまた僕だ。『彼女』が、凡百の秀才如きが針を入れることを嫌い、なのに『彼』が、『彼女』の傲慢な増長を許さない。
感受性の強いアトレは、きっと『彼女』の気配を何かしら感じ取っている。具体的な言葉には出来なくても、それを直接、僕に問うことも仄めかすこともなくとも。
だよねアトレ、僕たちは、そういう形の兄妹だから。
「ほう、この伯父に真っ向から挑むか。よかろう、意見があるのなら言ってみろ、才華」
言葉は厳しいけど、伯父様の瞳に敵意や怒りといったものは見られない、これはきっと、伯父様なりの甥の成長を測る試金石といったことだろうか。
とはいえ、ここで伯父様の威に負けていては何もならない。まずは第一関門といったところか。
「妹は、アトレは、ただ側にいてくれるだけで、私の何よりの力となってくれています」
これは間違いのない事実だ。僕にとってアトレという存在は何より大きい。もしかしたら、お父様やお母様以上に。ううん、きっと。
「そしてアトレは賢しい子です。両親の会社の従業員の様子から、縫製担当の人員は多く、誠に失礼な物言いではありますが、替えの効かない人員となると、やはりほんのひと握りの才能の持ち主か、数十年も技術を研鑽した方に限られるということも理解しているはずです」
前者の才能は、残念ながら無かった。後者の時間は、アトレの努力ではどうしようもない事情で叶いそうにない。それは、きっと伯父様にも分かっているはず。
「………続けろ」
やはり分かってくださっていた。よし、ここはどんどん畳み掛けよう。アトレが常に僕を見ていたように、僕だって常にアトレを見ていた。
「妹は、あらゆることに挑戦しながら、自分に合うこと、かつ私の支えになれることを模索している最中なのです。妹には時間があります、どうか長い目で見てあげてください」
今、僕が言えるのはこれだけだ、けれど、これだけで伯父様ならば分かってくれるはず。
「…………いいだろう。アトレに関しては、まだ為すべき道を模索中ということで様子を見よう」
「ありがとうございます。お優しい衣遠伯父様」
「だが、それもこれからの3年で見つからなければ、総裁殿と相談した末に、こちらで進路を決めさせてもらうが、その覚悟で挑め、アトレよ」
「はい、そのお言葉心に刻みます」
アトレは神妙な面持ちで頷いた。悲しげな妹の表情を見るのは、僕も悲しくなる。僕は、アトレに不幸になってほしくはない。だけど、同時に妹への複雑な感情も消すことはできない。本当に情けない、どうしようもなく不甲斐ない自分に呆れ果ててしまう。
こんな兄でごめんね、アトレ。
「では、次はお前だ才華。お前の希望は樅山に服飾を学ぶということだったな。それは、樅山がフィリアで行っている授業の内容を学びたいということか? それはたしかに可能だろうが、少々樅山の負担となるな。まぁ奴はお前のためならば喜んでやるだろうが、こちらで負担を軽減させる方策は必要となるだろう」
「申し訳ありません伯父様。私は両親に嘘を吐きました。そう言わなければ、お父様は日本に戻ることに了承していただけないように思ったので」
お父様は、僕に対してとても過保護だから。それはとても嬉しいことだし、いや本当に嬉しいことなんだけど、それでもこのままじゃいけないとも思う。
「嘘だと?」
あ、やはり伯父様の目が険しくなった。それでもアトレに向けられていたものよりはまだ鋭さはないけれど。お父様の話だと、むしろこの目つきが若い頃の伯父様のスタンダードだったとか。怖い。
でも、お父様はこの目つきの伯父様を正面から受け止めて、硬化していた伯父様の心をその無償の愛で溶かしたというのだから、お父様はすごい。
そしてこの目の伯父様に対して、僕と同じ肌というハンデを持ちながらも一歩も引かずに正面から立ち向かい、ふざけるな、と啖呵を切って勝利したというのだから、お母様はすごい。
両親に感心してばかりもいられない、今その伯父様と対峙しているのは僕なんだから。
「はい、私は両親が通ったフィリア学院に通いたいと思っています」
「…………」
伯父様が長考に入った。でも、いったい何を考えているのかまでは、僕程度ではわからない。
「フィリアの、服飾科か」
「はい」
「そうか、ならばまずデザインを見せてみろ。今は俺の手を離れたとは言え、あれは俺と友人が創った学び舎だ。才能無きものを通わせることは出来ん」
おおっとそうきたか。学院の制度的にいろいろと矛盾している言葉だけど、とても逆らえるような迫力じゃない。
「九千代、僕の部屋からデザインノートを持ってきて」
「はは、はい! ただいま!」
九千代も今まで見たことがない伯父様の迫力にすっかり萎縮していたのか、胡瓜に気づいた猫のようなリアクションで飛び上がり、駆け出していった。
「ど、どうぞ」
昨日僕の荷解きをしてくれたのは九千代だから、どこに何があるのかを僕以上に知ってる。ノートを持ってくるのもすぐだった。
「ふむ…… なるほど」
それは、僕が去年1年の間に書いて、お母様やお父様にも見せたデザインを集めたもの。ペラペラと中身を捲る伯父様は、先程までの目つきの鋭さはやや薄まっていてくれた。僕たちの心臓もやや回復。九千代なんて伯父様の威に打たれて顔が真っ青だよ気の毒に。
でも、横の壱与はなんか懐かしそうな表情で伯父様を見てる。ああ、やっぱり往年の『大蔵衣遠』の厳しさは、こんなものじゃなかったんだろうな。この調子だと、りそなおばさまが言ってた『真冬に桜小路庭園草むしり事件』も本当っぽい。あれ、叔母さまの鉄板ジョークだと思ってたんだけどな。
「たしかに非凡ではないデザインだが、突出したものではないな。最先端の流行を取り入れ、絵のタッチも見やすく秀麗だ。が、それ以上のものが見れない上、母のデザインを意識しすぎている嫌いが出ている」
やはり見抜かれてしまうか。どうしてもお母様のデザインに頼ってしまうのは、僕の泣き所でもある。
「さらに、去年見たものからの進歩があまり見られない。一昨年から去年までの進歩が10としたら、去年から今年の成長はせいぜい6か7といったところだ」
お母様とまったく同じことを仰ってる。本当にお二人の感性は似通ってるんだとつくづく思わさせる。でもそれに感心してる場合じゃない。
「それは、去年はデザインより衣装作成の技術の進歩の方に重きを置きましたので」
「それは分かっている。今お前が着ている服を見れば一目瞭然だ。ふむ、デザインは『良』。パターン及び縫製も『優』か…… たしかにこの出来ならば、フィリアに通うことを止めるわけにもいくまいな」
「では伯父様」
「ああ、だから才華、お前はニューヨークへ戻れ」
「え?」
どういうことだろうか?
「フィリア日本校の服飾部門の男子部は、来年度から新規の生徒募集はなくなったのだ。だから、お前がフィリア日本校に通うことは不可能となった」
おやおや、そうだったのか、でも、それも仕方がないことなのかな。なにしろ……
「そうだったのですか……まあでも、分かるような気もしますが」
僕の返答が予想外だったのか、伯父様はどこか楽しげな表情へと変化した。
「ほぉ、もっと驚くと思っていたが、意外と平坦だな。しかし、分かるような気がする、とはどういうことだ?」
「はい、なにしろ、フィリア日本校の男子服飾部の専門的に取り扱っていたのが……」
「なるほど、そこまで調べているならばそう反応するのも頷ける。お前の言わんとするように、フィリア日本校男子服飾部がメインで扱っていたのは、クラシックスーツだった」
人類の歴史的に、服装を派手に着飾るのは、多くが女性だった。古代ローマからの伝統で、男性は質実剛健を旨とする文化は根強い。
中華王朝でも、インド王国でも、やはり極小数の権力者階級以外の男性は、着飾る者に軽蔑の視線を投げかけていた。女性が光り物を身につけるのはいいが、男が身に付ける光り物は、鎧か剣だとされてきたのだから。
鎧と剣の時代が過去となった今でも「着飾るのは女性」という意識はなくなっていない。女性の服装はそれこそ千変万化だが、男性服装は一定の法則が決まっていて、とくにフォーマルな場で着飾る人間は、まず信用されない。
それでも、近年はカジュアル服やモード服で男性のファッションの幅も広がってるけど、それでも立場が上になればなるほど、必要とされるのは伝統に裏打ちされたクラシックスーツ。
フィリア日本校では、男子部でそれを専攻的に教えていた。
「ですが、クラシックスーツは、本場のイタリアやイギリスでも、後継者不足が問題となっているほどなのですよね」
「その通りだ。ロンドンのサヴィル・ロウ、イタリアのミラノにナポリ。クラシックスーツの聖地とも言える場所でさえそんな有様だ。それがスーツを仕事用でしか着ない日本ともなれば、募集人数が集まらなくなるのも必然だ」
僕と同じ年代の若い世代が服飾専門校の門をたたくのならば、当然カジュアルやモードの、華やかな世界を夢見てくるだろう。しかし、そんな彼らの期待を裏切って、待っていたのは伝統に則ったといえば聞こえはいいが、非常に地味な技術の研鑽の毎日。
これでは話が違うと、中途退校する生徒が後を立たず、募集人数も年々減っていったそうだ。
「それでも、卒業した生徒たちは、即戦力となるほどの力量となり、後継者不足で喘いでいた欧州で今も躍進している。ここが欧州なら技術の保全の名目で、廃止を防いでいただろうが、残念ながら日本人にそこまでスーツに対しての関心はないからな」
日本で技術保全をされる服飾技術は、当然和服の分野になるだろう。そういえば、瑞穂さんもそんなことを言っていたような気がする。
でも、だとすれば気になることがる。
「あの、伯父様。今更ながら疑問に思ったのですが、どうして日本校ではクラシックスーツを専攻されていたんでしょうか?」
カジュアルが旺盛なアメリカのNY校や、パリ・モードの本場であるパリ校がそれぞれの分野を教えるのは分かる。けど、先ほど伯父様も言われていたとおり、日本人はスーツに対する造形も浅く関心も薄いのなら、どうして日本校がそうなったのだろう。
「そうだな、ナポリやミラノに近いローマ校がクラシックスーツを教えるのは理に叶うし、実際教えている。だというのに日本校でそれを教えていたのは、ある事情による」
なんだろう? クラシックを教える学校が1つではいけないということだろうか。
「日本校男子部創立、記念すべき1年目のフィリア・コレクションで準グランプリに輝いた作品が、見事なクラシック・スーツの3つ揃いだった。それを見た服飾業界関係者の中の、クラシックスーツの伝統を保全しようとしている団体が、『これほど見事に伝統を再現させる学校が、日本にあるとは』と驚き、これからも支援しようと確約し、それが継続されたがゆえ、日本校男子部はクラシックを学ぶ場となったのだ」
へぇ、そんな経緯が……ってあれ? 男子校に初年度のコレクション? それって……
「あの…… それはもしかして、お父様が初めて男子部で参加されたコレクションなのではないでしょうか?」
僕の代わりに妹が言ってくれた。そうだよねアトレ、そしてその時お父様の作品が準グランプリになったはず……
というか、お父様はそれとは別にお母様の衣装も手がけていたはず。でも、お父様の席があるのは男子部。男子部での作品も、当然出さなくてはいけない。なにしろ初年度ということもある、目玉となる作品は、学院側としても必要だったのだろう。
「その通りだ。ならばお前たちも知っていよう、そう、お前たちの父遊星が単独で手がけた作品が、それ以降の日本校の在り方を決めたのだ」
「それは、はじめて知りました……」
お父様は、デザイナーとしての才能は持ち合わせなかったから、まさか単独での作品がそこまで…… いやそうか、クラシックは伝統の忠実さと技術こそが物言う世界、最先端のファッションの導入や独自のアレンジはむしろ枷になる。
驚いたし、考えたこともなかったけど、お父様、桜小路遊星という方は、クラシック・スーツの道に進んだ場合、一人で大成される方だったんだ。
改めて父の偉大さを噛み締める。そしてそんな方が、天衣無縫とも言えるデザインの才能を持ったお母様の服を作るのだから、まさに向かうところ敵なしだ。
「改めて、すごい方を父に持ち、その父から溢れるほどの愛情を受けている自分は幸せ者だと理解しました」
だけど、申し訳ありませんお父様。そんな素晴らしいあなたの愛情が、弱い僕には辛いのです。これはあなたの問題ではなく、僕の問題。
だから僕は、挑むのです。あなたの愛情を素直に受け止められることが出来るように。
それが、あなたの心を乱し、心労を掛けることになろうとも、です。
不孝をお許し下さい、お父様。
お母様は、「面白い、やってみろ」とあの気高い笑みで告げてくれるでしょうけれど。
「そんな名誉あるフィリア日本校男子部だったが、流石に入学希望者が定員の半分以下、卒業生となると、片手の指ほどの人数となるに至っては、学院経営者としては、整理対象とせざるを得ん」
「今いる生徒たちは、そのままに?」
「いや、むしろローマ校と統一という形になり、生徒たちはローマ校への編入となる。これはあくまで学院側の都合である故に、生徒たちの負担を極力減らすことは必要条件となるがな」
なるほど、本場のローマ校ですら後継者不足に悩んでいるのだから、日本校の生徒は喉から手が出るほど欲しいことだろう。それに、本場の教師や生徒との交流は、先輩たちの士気も技術も一段と向上させるはず。
「今のところ、全員がローマ校編入に賛成している。まぁ、少なくとも厳しいと評判の男子部の1年以上授業を耐え抜いた者たちだ。技術の吸収に貪欲なものたちばかりで、実に頼もしい」
伯父様は笑っている。後進の活躍が嬉しいのだろう。才能至上主義の彼からしてみれば、中途半端に「服飾学校卒業」の肩書きと技術をもった人間が大勢いるよりも、確かな才能と技術、そして熱意をもった人間が片手の指ほどの人数いるほうが、好ましいはずだ。
「とはいえ、そうした理由で男子部が日本校から無くなった以上、お前はフィリア学院日本校に通うことはできん。今いる在学生が卒業するまでは存続する形であったならば、お前の技術であれば飛び級で2年生から入学する便宜も図れただろうが……」
ああ、もしそういうことであれば便宜を図っていただけたのですね。ありがとうございます、お優しい衣遠伯父様。
ですが、僕は元々男子部に行くつもりはなかったのです。
「それに、お前が通うのがニューヨーク校である方が、遊星も安心できるだろう。その方が良い」
「いいえ、伯父様。私の思いは何も変わっておりません。フィリア学院日本校に通う意思は、今も変わらず揺らがないのです」
「なに?」
伯父様が怪訝な目つきで僕を見る。その険しさはさっきよりもっと鋭く、アトレに対して詰問していたものと同じになっていた。
なるほど、これは厳しい。アトレが涙し、九千代が脅えてしまうほどの眼光をうけるのは、なんと勇気がいることだろう。
けれど、ここで怯んでいはいけないし、怯んでいられる余裕は僕にはない。
「服飾以外の学科を選ぶということか? たしかに多くの分野に接することは、デザインを生み出す源泉となる。しかし、それは専門的に学ぶまでの必要はない。往々にして時間を無駄にするだけだ」
いいえ、そんなつもりはありませんし、そもそも出来るとも思いません。それに僕のデザインの源泉は、今も昔も一つだけ。
だからさぁ、宣言しよう。妹以外に誰にも打ち明けていなかった、この半年間考え続けてきた計画を。
「私、桜小路才華は、父遊星と同じく使用人として入学し、その上で母ルナと同じくフィリア・クリスマス・コレクションでグランプリを獲りたいと思っています」
父と同じ立場で、母と同じ栄華に輝く。父母を超えたいと思う気持ちもあるが、ただただ彼らと同じ場所へと行きたい、立ちたい。対等になりたい。
それこそが、僕が僕を認められる唯一の道であると、信じているから。
その頃の桜小路家
「なあ夫、君は『Diana』というデザイナーを知っているか?」
「『Diana』? 確か古代ローマの女神の名前だよね。それもたしか『月の女神』。そんな名前のデザイナーがいれば、すぐ気付くだろうけど、今まで聞いたことはないかな」
「そうだな、なにしろ『Luna』はギリシアの月の女神だから、つまりは私と同じ名前ということだ」
「うん、だからこそ、一度見たり聞いたりすれば印象に残って忘れないと思う」
「ふふん、流石だ夫、愛しているぞ。まあ気づかなくとも無理はない、ファッション記事や雑誌ではあまり取り扱われないジャンルのデザイナーだからな。……うん、これだ、これが『Diana』のデザインを扱っているネットアパレルのHPだ」
「へぇ…… なるほど、パンクロック系や、過激なストリート系、それにフリークス・スタイルも含まれているのか。たしかに、表には出づらいデザインだね」
「ああ、確かにそうしたデザインは私の求める方向性とは違うから、今まであまり注目しなかったが……」
「この『Diana』のデザインは、気になる? というか、どうやって知ったの?」
「きっかけは、休憩中の社員の会話だ。若い彼女たちはこうした分野にやはり興味があるのだろうな。そこで『Diana』の名前を知った」
「その子達は、『Diana』のデザインをなんて言ってた?」
「ベタ褒めだったよ。まあ服飾学校を出てすぐの世代だから、こうした反逆的なデザインに惹かれるものもあるのだろうが、実際にデザインを見て、私も感心した」
「どれどれ、『Diana』の作品は、と。 ………うん、たしかに、とても迫力があるデザインだね。このデザイナーは、すごい才能だ」
「パターンを引いてみたくなるか?」
「そうだね、やったことがないデザインだし、興味がある」
「君にそう言わしめるのなら、やはりこの『Diana』は大したものだ。もしかすると、こういうジャンルを表に出すほどのカリスマになるかもしれんな」
「うん、何が流行るのかは未知数なのが、ファッションというものだし」
「ああ、私と同じ名前の彼女、いや、もしかしたら彼なのかな? どちらでもいいが、一度会ってデザインを競ってみたいものだ」
「ただ……」
「ん? 何か他に気になることがあるのか?」
「この『Diana』という人は、心にすごく重くて昏いものを抱えてるね。そこが、君とは大きく違う」
「………確かに、人生に満ち足りているのならば、こうしたデザインは生まれないだろう」
「この人の心に、いったい何があったんだろう、そう思わせるデザインだね」
「ふむ、なんというか、実に君らしい着眼点だな。だがそうだ、人より生み出された被造物は、その製作者の人格を反映する」
「だからこそ、ルナなんか界隈から『惚気デザイナー』って言われているんでしょ? どんな時でも必ず、対となるパートナー用のデザインもするから」
「我がテーマは『信頼と愛』『伴侶との愛』。ふふん、ああ惚気だとも、我が伴侶が世界一だと公言して何が悪い。朝日かわいい」
「いやそこはちゃんと遊星にして」