月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
………一つの光景がある。
それは現実では有り得ない状況であり、いわば異なる可能性の抽象化のようなものだ。
だから才華は躊躇し、陽の光が届かぬその場所から動けず、妹の下へ行こうと思うも、足は動いてくれない。
その躊躇は、すなわち決意の有無だ。お前に「陽の光の中に行けるのか」という心の声に従えるかどうか。
常人とは異なり、才華にとって陽の光は灼熱の炎に等しい。
それはいわば、火事で焼ける家に駆け込むか、硫酸で満ちたプールに飛び込むか。
気が付けば、そんな才華を呼ぶ幾人かの声がする。声の主は皆知っている人々であり、才華の身を案じる人たちだ。
「才華ちゃん、行っちゃダメ」とルミネ。
「姫、無理はしないで」と朔莉。
「それ以上進むのは許さんぞ」と衣遠。
そして何より。
「そこは貴女に厳しいから、ここに戻ってきて、私の朝陽」と愛する主人。
さらには両親、壱与、九千代と、自身を心配する多くの人々の声に、才華は逡巡しながらも引き返し、日光と妹に背を向けようとした。
その時
―――ひとりの人物と、すれ違った
―――その人物の肌は雪のように白く、また薔薇のように紅かった
―――頭髪は羊毛のごとく白く輝き、その瞳の光はすべてを明るく照らしていた
自分と全く瓜二つの姿でありながら、同時に何もかもが違うと感じさせる”男性”を、才華は見送った。
自分には出来ない強く激しい決意の光を瞳に宿し、自分がしたこともない堂々とした歩みで、“男性”は一切の躊躇なく陽光に身を投げ進んでいく。
その“白い男”はそのまま力強い足取りで妹の元へ向かう。日に灼かれながら、されど雄々しく、誇り高く。
まるで母ルナの背中を見てるような心持ちで、才華はその“男性”が自分を一顧だにせずに、自分は行けない光の中を去っていく様を見守っていた。
光に灼かれながらも妹の元に歩んだその“男性”は、妹を従えさらに歩みを進める。まるでそんな彼を祝福するように、降り注ぐ光は一層強くなり、その強さは眩さのあまりに目を覆ってしまうほどで、世界のどこよりも輝いているようだった。
その光にやはり“彼”は灼かれていく。それでも“彼”は苦痛に表情を歪めることなどなく、むしろ愉快げに口元を歪めているのだ。
そうする内に、“彼”の背中は眩いばかりの輝かしい光に溶けるように見えなくなっていく。その姿に才華は憧憬と哀愁を同時に感じるという、不思議な想いに囚われる。
自分は、行けなかった。
そう思う才華へ、「朝陽、貴女が行かないで良かった」、という主人、エストの声が響いてくる。
その声で才華は気づく。ああ、自分は“朝陽”なのだと。
控えめで、儚い彼女の従者。その姿を望まれて、そしてその姿を是しとしたのが自分なのだ。
そして振り向くといつも間にか周囲には才華、いや“朝陽”を気遣う大切な人々、エストやルミネをはじめとする者たちが集まっており、皆優しい表情で朝陽を迎え入れる。
その中には先ほど確かに“白い彼”と共に光の中に消えていったはずの妹の姿もあった。
そしてその妹は、憂いのない表情で朝陽に笑いかけるのだ
お姉さま、と。
その声を認識したその瞬間、朝陽は自分の姿がもはや男性のものではなく、少女の装いをしていることを理解するのだった。
“才華”は進む、自らを灼く光の道を。
“朝陽”は留る、穏やかな月下の元に。