月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

34 / 39
それは、(ディアナ)に身を焦がし、(才能)に灼かれる道を選んだ少年の夢
孤高の白夜は誰とも寄りそうことなく、最愛の妹すらも呑み込んで輝きを高めていく
我は無謬の太陽なれば、己を取り巻く有象無象、惑星、衛星、星屑、その全ては等しく塵芥なり

30話 裏タイトル 【兄より優れた妹など存在しない】

ケミヤ様、どうぞう様、誤字報告ありがとうございました!


30話 白日夢

 

 桜小路才華はその夜、夢を見た。

 

 其は、胡蝶の夢なるか、それとも、邯鄲の夢なりや。

 

 自分であって自分でない、誰かの人生を丸ごと追体験するような。とても、とても長い時間を揺蕩うようで、目が覚めてしまえば刹那に過ぎないような、そんな夢を。

 

 

 

 

 「君が望んだ姿は、こういうことだ。だからアトレ、君はこれから僕の言うことに従い、僕のために尽くし、僕のために生きろ。君の生まれた意味はそのためなのだから」

 

 「はい、お兄様」

 

 

 

 夢の中で、彼は傲岸不遜な男だった。その己が才能に対する自尊心は、彼が愛情を向ける人間に対しても例外なく発揮され、愛する両親、尊敬する伯父、頼りになる従姉妹に対してですら、『自分に及ばぬ存在』とし、ごく自然に下に見ていたほどである。

 

 彼にとって人間の価値は才能の絶対値であり、彼の基準に届かぬものは、一人の例外を除いて人間としてすら見ていない。存在そのものを無視していた。

 

 その顔に浮かぶ表情は常に笑顔。だが、不敵さと傲慢さを含ませる、まさに彼の母ルナと同様、いやそれよりもその色を濃くしたものを、常に浮かべ笑っている。

 

 そんな夢の中の才華は、自分こそがこの世で最高の才を持つ者であり、無才の人間はそんな自分に尽くすのが当然、いやそれ以外に無才の者たちに価値などないと断じてすらいるのだ、そんなもうひとりの自分の姿に、才華は驚き、そしてどこかで納得していた。

 

 

 

 「そうだ九千代、君はただ安心して僕を崇拝し、尽くしていればいい。ああ、いいぞ、『(さいのう)』の声がよく響く」

 

 

 

 この姿は、『彼女(さいのう)』を受け入れ、その生き方を望んだ果ての形なのだ。

 

 才華にとっては『彼女(さいのう)』であった『Diana』が、彼にとっては『(さいのう)』。己そのものが才能の塊という凄まじいまでの自負と思い上がり。

 

 この世の理不尽に対する憎しみと怒り、憤怒と憎悪を凝縮した末に、至った境地は『傲慢』の極地。七つの大罪の内のもっとも重いものであり、堕天使が犯した罪である。

 

 彼は周囲の人間からよく『天使』と評されていた、ならばこの夢の中の彼はまさに『堕天使』と呼ぶに相応しい。その中でも最高位のルシファー、明けの明星の如きの振る舞いをしている。

 

 そして、彼は『天使』とは別にまた『月の化身』とも評される、母ルナの名がギリシア神話の月の女神の名を冠したものであるから、彼もまた自分の才能の擬人化の存在を、ローマ神話の月の女神ディアナから、『Diana』としたのだ。

 

 緑の国の少女を主とし、共に生きる未来を選んだ以上は、もはや重荷となった『Diana』。それをこの夢の男は逆に完全に自分と同化、いや昇華させることにしたのだ。

 

 そうなった彼はもはや『月の化身』ですらない。月は所詮は太陽という恒星の光の反射でしか光を発せれないのに対し、この傲岸な男は自分こそが恒星だと言わんばかりの不敵さで満ちている。

 

 

 己はもう夜に輝く月などではない、夜の訪れない白夜の化身だ、と。

 

 月のような小さな衛星ではない、明星たる金星でも役不足、そう、自分は太陽である。その光こそが自分を灼くとしても、そもそも恒星というのは常に自分が燃えているではないか。ならば自分が焼けることこそ当然なのだ、なんの疑問が有るという。

 

 ゆえに、彼は平気で日光の下に自分を晒した。反対する者に対しては

 

 ―――自分以上の成果を上げてからものを言え

 ―――『(さいのう)』の時間を奪うな、クズが、豚小屋から出てくるな

 

 と突き放す。自分は自分以上の存在以外からの言うことは、命令であろうと諫言であろうと、ましてや懇願などは、総じて聞くに値しない。

 

 陽の光に焼かれ、全身に火傷を負いながらも、それでも彼は白光の中に生きる。

 

 

 

 「なるほど、こういう風に見えるのか、新たなインスピレーションが湧いてくる。君は僕の役に立つよエステル、大変に気分が良い」

 

 

 

 才華が今作っているエストに贈るための衣装ですら、白夜の化身にとっては自分の才能を量るための道具にすぎない。夢に映るその光景を、才華は遥か遠くを眺める気持ちで見ていた。

 

 そう、言えるはずがない。その言葉は憧れではあったけれど、『(やまい)』という巨大な脅威に晒され続けた自分だったら、絶対に。

 

 けれど彼は、薄笑みを浮かべたまま平然と言ったのだ、“気分が良い”と。

 

 才華の眺めるその中に、会ったことがないエストそっくりの女性がいる。その外見は主のエストと瓜二つだが、その内面は彼が好むものは何もなかった。

 

 彼女にあるのは双子の妹への劣等感、そして自分を高める努力を諦めたその在り方に、才華はひとかけらの好意も持ち得ない。間違ってもこの人物のために作りたい服など浮かばなないし、エストのために作った服を着せるなど論外だ。そもそも似合うはずもない。

 

 だが、この白夜の化身はそれを敢えて行う。エストをイメージしながら作った衣装にも関わらず、それをその人物に着せて、そして満足な納得を得ていた。

 

 実際、才華が眺めるその女性は、衣装に似合っていた。“似合わされていた”と評したほうがいい。デザインにモデルが呑まれ、モデルはデザインを輝かせるための道具でしかないという主張が聞こえてくる。

 

 彼が目指すものは『誰が着ても等しく圧倒するデザイン』。故に、『顔が同じ』程度の類似性があれば、同等の衝撃を見るものに与えて当然なのだ。白夜の男が目指す究極系は、動くマネキンが着てすら、すべてを圧倒するデザイン、双子ならば同様の完成度になって当たり前。

 

 彼にとってそのエストそっくりの女性は、最高の『生きたマネキン』でしかなかった。彼のデザインを飾るための道具なのだ。エストではダメだ。彼女は自身の美しさの主張がある。だがそれが無く中身が空っぽでありながらも外見だけは美しい女性は、最高の動く衣装スタンド。

 

 

 

 「従わせるための、魅せるための衣装は出来た。後は、僕自身の着るべき衣装だけ」

 

 

 

 彼は、もはや才華とは違う。基礎に有る考えは『着て喜ばれる服』というところは共通なのに、その根底は正反対。

 

 才華のそれが、父遊星の教えのとおりに『自分の服を着て喜んで欲しい』と思いを込めたものであるに対し、白夜の彼のそれは、『自分の服を着られたのだから喜んで当然』という上から目線だ。

 

 むしろファッションとはすなわち自分のデザインしたものであり、それ以外はただの布の集合体、原始人の毛皮も当然だと言って憚らない。

 

 そして、その傲慢が許される存在に、彼は成っていた。世界中のファッション雑誌が彼を特集し、彼のデザインを掲載している。既存の有名デザイナーなど過去のもの、自分こそが最先端であり、自分の服を着ないものは野生に帰れとのたまう。

 

 どこまでも自信にあふれ、その輝きは全てのものを魅了してやまない。彼がデザインし作った服は、いっそ洗脳に近いほど、一種の社会現象にまでなり、老若男女を夢中にさせた。

 

 

 

 「では行こうか、(太陽)乙女達(とりまき)。お披露目の刻限だ」

 

 

 

 夢の場面が変わり、あるひとつの光景が映し出される。それは、この白夜として生きると決めた男が、決定的に世界に羽ばたいた瞬間の映像である。

 

 フィリアの生徒として近隣のショーやコンクールを総嘗めした彼は、学院長のラフォーレにある提案をする。それは学院主催のショーを開いてほしいというもので、それもラフォーレの人脈を使った大々的なものがいい、と。

 

 その実それは、彼のデザインを披露するためのファッションショーを開けという要求だったが、それは受け入れられた。

 

 すでに彼の才能を見、惚れ込んで、新たな信仰対象を見つけた気持ちになっていたラフォーレは、それを実行する。そして、白夜の化身は、ファッション界の大物が集うそのショーの場で、4着の衣装を披露した。

 

 

 1着目は、多くの動物の毛皮をパッチワークのようにしたもの。その継ぎ目は精巧にして細緻であり、その技術力に誰もが瞠目した。着ているのはエストそっくりの女性、彼女は完璧に『美しい生きたマネキン』としての役割を果たしていた。

 

 2着目は、茶色でデコレートされたプリンセスドレス。ドレスに茶色というもの珍しく、またその模様や微細な色使いは、木材を見る者に連想させた。着ているのは山吹九千代。彼女こそは才華の才能を素直に賞賛した最初の人物であり、白夜の崇拝者としてこの上ない人物。

 

 3着目は、いくつもの青で折り合わされたマーメイドドレス。しかし基調となるのは穏やかな水面を連想させるような鮮やかさなブルーではなく、むしろ重く藍に近いブルー。そこに装飾されたフリル、レース、ギャザーなどはむしろ荒れる波を表現しており、そのドレスは嵐なのだと理解できるものとなっている。

 

 要となるその衣装を着ているのは妹の桜小路アトレ。それは、彼女こそが、夢の中の白夜の生き方を選んだ才華にとっても、超えるべき『嵐』であったからかもしれない。

 

 

 そして、その最後には彼、桜小路才華自身が登場する。身にまとうは簡素な絹。古代ギリシアやローマの服装の如く、ごくシンプルで、身体を覆う布面積も少ない服。

 

 しかし、最上質の絹の質感が、シースルーとも言える透明さで、シンプルゆえの高貴さを気品、そして妖艶さを醸しているが、それすらもあくまで付属品にすぎない。

 

 もっともその場で輝いているのは、桜小路才華、彼自身。奇しくも彼のポリシーのように、『全ては自分という至高の存在を輝かせるためにある』と言わんばかりの簡素さ。そして、それは見るもの誰もが圧倒され、そう“分からされて”いた。

 

 彼が身につけるは、絹の衣装にわずかな金の腕輪と首輪程度、だが、多くの人間が目を惹いたのは、そのシースルーの衣装に透かされて見える彼の素肌の美しさであり、その銀糸の艶の華麗さ。

 

 そして、それと相対するように主張する、両腕と両足の“見事”な火傷。そう、それは本来痛ましい無残なものであるはずなのに、これこそが『ファッション』であると、この白夜の男は不敵に笑う。

 

 

 ―――彼の身体は雪のように白く、また薔薇のように紅かった―――

 

 

 会場の誰となく、その言葉を発し、それはたちまち伝播する。

 

 

 ―――頭髪は羊毛のごとく白く輝き、その瞳の光はすべてを明るく照らしていた―――

 

 

 旧約聖書の『エノク書』の、ある人物を評した一節である。それを知った上で今まで流れてきた衣装を見れば、このショーのコンセプトは瞭然だ。

 

 毛皮のパッチワークは、彼によって助けられる動物たち。だから彼に『輝かせてもらった』女性が着た。

 

 茶色のプリンセスドレスは、彼がつくった方舟。だから彼に奉仕、奉納する人物に着せた。

 

 青のマーメイドドレスは、襲い来る大洪水。だから彼の最大の関門であり、踏破すべき存在であった妹に着せた。

 

 

 そして雪と薔薇の肌を持つ彼こそは、神の怒りがもたらした大洪水を乗り越えた、偉大なる聖者ノア。ノアの肌は雪のように白く、薔薇のように紅いと記述されたのは、まさに今の自分のようであったからだと、彼はその衣装で表したのだ。

 

 ノアは、聖書の伝承によると、今を生きる全ての人間の先祖であり、また全ての生物の生命の恩人である。この桜小路才華は、『我こそはノアである』と、世界に対して叩きつけたのだ。

 

 自分が異常なのではない。自分こそがオリジン、人が取るべき、いや本来あるべき姿。今地表を蠢くお前たちは惨めな失敗作であり、我に届かぬ哀れな泥人形なのだ。

 

 

 「与えてやろう、これが僕の愛だ。噎び泣き、拝跪してこの最高の美を受け取るがいい」

 

 

 その大胆不敵な宣言に、見る者誰もが圧倒された。その姿のあまりの美しさに、その意志のあまりの豪胆さに。

 

 それが彼が世界へと飛翔したデビューの舞台。一夜にして世界を彼に振り向かせた出来事。その後も彼は世界に衝撃と感嘆を振りまき、誰もが彼の服を求めた。

 

 まるで物語のサクセスストーリーだが、その『根源』を、元は同じ人物であるからこそ、俯瞰者として眺める才華には理解できる。

 

 

 ―――良く終わるために、駆け抜けている―――

 

 

 この白夜の化身のデザインの根底に有るのは『死』、それも『美しき死』なのだということを。

 

 彼自身も経験したことだが、この理不尽な世界にあって、『死』こそが唯一絶対の平等。人は死ねば皆同じ、腐り、溶けて、大地に還る。

 

 ならばこそ、満足して死ぬことこそ、人が求める極致である。『生』あってこその『死』ではない、『死』あってこその『生』なのだ。

 

 

 だから彼は主張する。『人間は、美しく死ぬために生きるべきだ』と。

 

 

 つまるところ、彼のデザインは全てがその実『死装束』であり『喪服』である。不慮の事故で死んだとしても、この服を着ているのなら胸を張って死ねる、笑顔で死ねる。『自分は綺麗に死を迎えられる』と安堵できる。

 

 彼の服はそうであるがゆえに、世界の人を熱狂させた。誰しも、安らかに死にたいのだ。人種も性別の区別なく、皆が彼の服を求めた理由はそこにある。

 

 誘蛾灯に群がる虫のように、誰もが『綺麗な死』に魅了された。

 

 まるで伝承の妖怪桜のように、安らかなる死の吐息の魅力に、抗える人間など存在しない。

 

 そしてその衣装たちは、すべて彼、桜小路才華の『死』を飾るための華であり花。彼は世界で誰よりも綺麗に死ぬために、服を作る。

 

 

 

 ―――ああ、彼は死を選んだのだ―――

 

 

 

 才華は、もうひとりの自分、異なる自分の人生を眺め、それを理解し、そして悼んだ。

 

 才能を封じ、苦痛と隣り合わせでありながらも、大切な人と穏やかで慎ましい生き方を選んだ自分に対し、

 

 もうひとりの自分は、華々しく才能を輝かせ、誰よりも綺麗に死ぬことを選んだ。

 

 自分は苦しい『生』を、彼は美しい『死』を。まさに正反対、鏡の裏側、対存在。だが、そうした道も、確かにあったのだ。

 

 自分の中の『一番』を、アトレにした場合は。

 

 

 

 そんなもう一人の才華の傍らには、常に妹のアトレの姿があった。ああ、彼女に世界で一番輝いた兄の姿を焼付けさせ、そして去るのだ、この男は。

 

 皆が輝きに灼かれた後の世界に、大切な妹を残すことになろうとも。

 

 月は満ち欠けをくり返し続けるのに対し、白夜の後に訪れるのは、一切の日光のない極夜。そして彼に訪れる極夜とはすなわち『死』にほかならない。まさに、一瞬の閃光のような命、年数にして20という歳に届くはずはなかった。

 

 だがそれは『兄』のあり方を貫いた姿。だからこそずっと『彼』と表していた。誰よりも繊細で美麗でありながらも、誰よりも過激で苛烈、そして凶暴なその姿は、どこまでも男性的。

 

 

 ―――じゃあ、わたしは?―――

 

 

 ならば、それに対し自分はどうだろう。彼女に『兄』としての姿を見せることは出来るのか? この道を、美しくも極短い、けれども雄々しい人生を選ばなかった、今の自分に?

 

 そんな考えと共に、眺めていた景色がぼやけて来た。どうやら、夢の世界から覚めようとしているらしい。

 

 きっと夢は、生きる選択をした自分に、彼女に対する己の今後を理解するために、その事実を咀嚼するために見たのだ、と思いながら、意識は現実の世界に帰還していく。

 

 

 

 

 

 

 

 『死』を選んだもう一人の自分は、たしかに誰よりも美しかった……

 

 けれど、それを納得できるのは当人だけ。死とはどこまで行っても一人で受け取るものだから。

 

 だから、自分は選んだ『生』の道を後悔しない。その果てに迎える死でも、そこに輝かしい美はなくとも、「ああ、楽しかった」、と想いは残るのだから。

 

 




―――願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃―――

それが、「我が生涯に一片の悔い無し」と、何も遺さなかった彼に贈られた辞世の対句

(才華)は如月の頃、春を待つ季節に永遠に消えぬ望月となった。ああ願わくは、輝いた才能の華の下で、春もまた死の眠りにつけますよう

厳かなる死に、(ディアナ)と白夜の洗礼を

詠み手となった乙女、(アトレ)に関わるその後について、語る者はいない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。