月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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序章の続きとなります

地球の生き物は、彗星のウィルスの突然変異との共存から始まったという説、なんかロマンを感じて好きな今日このごろ
遺伝子の二重螺旋もウィルスも、愛憎の共依存のように絡み合って離れない

4話 裏タイトル 【Diana】

単純思考様、誤字報告ありがとうございました!


4話 (やまい)彼女(さいのう)、闇と咎

 

 月明かりのみが差す部屋で、少年と男が対峙している。

 

 対峙、というよりもむしろ抱き合うような距離感であるが、二人の間には強い緊張が走っているため、そう評する他ない。

 

 そして男、大蔵衣遠は、甥に問われたことの答えを口にする。口にする日が来なければいいと思っていた、おそらく彼だけが察しているだろう甥の真実を。

 

 

 「才華…… お前は……」

 

 「はい」

 

 「自らを蝕む死病。それを否応なしに持たされたこと。己が持ちえる輝かしい才能を、それがために活かせない不条理。自分の存在を許そうとしない世界すべてを、お前は恨んでいるのだろう」

 

 衣遠は語った。甥が抱えている葛藤の、その根源を。

 

 

 

 

 

 

 桜小路ルナとその夫、遊星の間に生まれた一人目の子供。

 

 多くの人々の祝福のなかに生まれたその赤子は、二つの常とは異なる点を持っていた。一般、普通…… そうした範疇から外れてしまった点を、生まれながらに二つ持っていたのだ。

 

 

 一つ目の違いは、受け入れられた。たしかに、父とその兄以外は、その赤子の姿を見て一瞬でも息を呑んでしまったことは事実だ。「残念だ」という思いもあっただろう。だが、赤子の誕生を心から喜び感謝する遊星と衣遠の姿を見て、皆がその心を改め、祝福した。

 

 白磁の肌。それは母、ルナから太陽を奪ったもの。息子である赤子も、その遺伝子を引き継いでしまった事実を、残念がるのも当然だろう。だが、そんなことは関係ない。桜小路ルナの存在が、彼女がそれまで歩んできた人生が、そんなことは不幸ではないと、誰よりも証明している。例えこの赤子が母と同様に太陽の下を歩けなくとも、太陽よりも温かい愛情を持った父、遊星がいる限り、赤子に不幸が訪れることなどありえない。

 

 感謝の涙を浮かべながら赤子を抱きしめる遊星を見て、周囲の人間は誰もがそう確信し、そしてそれは揺るぎない事実であった。

 

 雪のように白い髪、脈が透けるほどの肌、そして赤い瞳。

 

 母と瓜二つのそれらの要素は、赤子を不幸にさせるものではなかった。少なくとも、この赤子の周囲に祝福する大人がいる限り、彼は幸福に生きられただろう。

 

 

 だから、問題は2つ目である。

 

 生まれた瞬間に判別できた1つ目とは異なり、それが発覚したのが赤子の時期を過ぎた幼年期、桜小路才華が3歳の頃だった。

 

 先天的な胸の病。――それも、重症化すれば命を奪うほどの。

 

 沈痛な表情を浮かべる医師からその言葉を聞いたとき、母であるルナは言葉を失った。だが、隣にいる遊星の様子は尋常のものではなかった。どんなときでも諦めない心をもっていたはずの遊星の体から力が抜け、その場で自失したほどに。

 

 もしも、その場に3歳の才華にとっては伯父である衣遠がいたら、医師に掴みかかっていただろう。叔母であるりそながいれば、遊星同様に自失していたかもしれない。

 

 大蔵家に纏わる事柄の当事者ではないルナですら相当の衝撃であったその事実。だが、当事者である遊星たちにとってすればその重さは計り知れない。

 

 なにしろ、才華に巣くっている病は、遊星の母と同じものであったのだから。彼は、祖母の病の遺伝子を受け継いで生まれていた。

 

 

 隔世遺伝

 

 

 遊星にとっての母、才華にとっては祖母にある女性は、元来体の弱い女性だった。

 

 患いは胸にあった。彼女は度々肺炎を起こし、床に伏せることが多かった。この病状がとくに悪化したのは、遊星を生んでからである。産後の肥立ちが悪かったのか、それとも出産によって体質が変わり病状が悪化したのか、それは分からない。

 

 むろん、彼女にとって息子は宝であり、自らの生きがいそのものであったことは揺るがない。むしろ、こんな体の自分に子を授けてくれたことを、神に感謝したほどである。

 

 そして、息子の遊星が自分のように病弱ではなく、健康そのものの体をもって生まれてくれた。彼女にとって、それ以上を望むことなどなく、ただ息子が健やかに生きてくれることだけが全てだった。

 

 だから、誰も悪くなどない。子を思う母の真摯な願いは天に通じ、息子遊星はその特殊な家庭環境のため多くの苦労をすることになったが、母から貰った愛情と、『友人』に教わった生き方を胸に、それを貫き幸福な未来を手に入れた。それは彼だけではなく、彼の周囲をも幸せにする結末となった。

 

 

 その、はずだった。

 

 

 繰り返す、誰も悪くなどない。祖母が悪いわけでもなく、父である遊星も、母であるルナも悪くない。たまたま、偶然、運命のいたずらと言ってしまえばそれまでのこと。

 

 それでも、事実として才華は、祖母の命を奪ったその死病を、生まれながらに持って生まれてきてしまった。祖母が本格的に発症したのは、彼女が死ぬ1年ほど前だったが、それを才華は僅か3歳の時に発症した。

 

 祖母の例に倣うならば、余命1年と宣告されてもおかしくないほどの、重度の肺の病を。

 

 その日から、遊星は変わった。もともとが愛情深い人であることは疑いないが、才華へ向ける愛情や配慮は、ほかの誰より優先されるようになった。むろんのこと、だからといって他の家族への愛情や配慮が少なくなったかといえば、そんなことはありえない。

 

 妻ルナへの愛も、もうひとりの子供である娘のアトレへの愛情の大きさも変わっていない。だが、それでも優先順位はゆるぎないものとなった。彼は、どんな時でも才華を優先する。もう2度と奪われることは嫌だったから。

 

 

 

 桜小路ルナは、外の世界に出ることを許されなかった。白磁の肌と髪は、彼女から昼と外を奪ったが、室内にいる限り、彼女は自由だった。普通の人間にとってはそれだけでも不憫だったが、彼女は室内で学び、思考することに不自由はなかった。太陽の光が刺さない場所では、彼女に枷はない。夜になれば月の光の下で歩くこともできた。

 

 だが、才華には母には与えられた安息も与えられなかった。外に出られないのは当然としても、室内にいてすら病魔が彼を襲う。例え部屋で安静にしていても、彼を蝕み苦しめる。世界のどこにも彼の安息の場所は存在しなかった、死神は常に彼のとなりに居り、油断すればその鎌を振るわんとしていたのだから。

 

 室内ばかりにいては気も沈むと、夜の散歩に出向くことが出来ない。散歩中に発作が起きれば一大事ゆえに、部屋で安静にしている他ない。

 

 桜小路才華は、月の光の下でさえも、輝くことを許されなかった。

 

 これが一般家庭に生まれていれば、彼は子供の頃に死んでいた可能性が極めて高い。劣悪な環境ならば、赤子の頃に死んでいる。

 

 幸い、彼が生まれた桜小路の分家は裕福であり、父の実家は屈指の富豪ということもあって、常に最先端の医療を受けられた。それによって彼の病状は小康状態を保ち、今日まで何とか生きられている。だが、逆を言えば、最先端の医療をもってしても、彼から病気を取り除くことは出来なかったということでもある。

 

 これだけであれば、可哀想な子供の物語で終わりだろう。どうか彼の病状が悪化しないように安らかに生きて欲しい、と願われておしまいだ。そこに劇的な物語は発生しない。

 

 けれど、桜小路才華は、両親から2つの病とは別に、受け継いだものがもう2つあった。

 

 それは、才能。才華の伯父衣遠がなによりも奉ずる概念であり、優先するもの。才華は、両親が持っていた才能を2つとも完璧に受け継いで生まれてきた。

 

 即ち、母ルナのデザイナーの才能と、父遊星のパタンナーの才能。この2つを過不足なく継承していたのだ。

 

 

 幼い才華は、常にベッドの上の住人だった。完璧に空調が効き、優しい使用人たちによって常に清潔が保たれた部屋で、それでも彼は伏せていた。

 

 古来、「子は7つまで神の子」と呼ばれてきた。子供は免疫力が弱く、医療が発展していなかったつい150年前ほどまでは、5人のうち3人が7歳までに死ぬのが珍しいことではなかった。

 

 その例に漏れず、7歳までの才華は非常に危うい存在だった。この頃の才華は、妹のアトレよりも背が低く、体重も少なかったほどに。

 

 それでも7歳という峠を越えたあたりから、才華もベッドから降りられるようになり、屋敷の中だけであっても歩けるようになる。そうして体の自由が利くようになったのならば、子が真似するのは当然親の行動だ。

 

 才華は、両親の真似をしてデザインを描き、布を縫ってみせた。それは子供のまねっこ遊びであり、周囲の大人は出来がどうであろうと「上手だね」と褒める、どこの家庭でも見られる一幕になるはずだった。現に、妹のアトレが行ったときは、概ねそうした状況となった。

 

 

 ……兄よりも妹が先に「家庭の当たり前」を行ってしまったあたりに、才華の背負ったものの大きさが測れるとは言えるだろうが、本題はそこではない。

 

 

 才華の描いたデザイン、縫い合わせた布の縫い目が、7歳の子供のものとは思えないほどの出来栄えだったことが、周囲の人間を驚愕させた。まちがいなく、才華は両親の才能を受け継いでいる。それも、こんなに早く開花させようとしている。

 

 喜ばしいことのはずだ。息子に才能があったことを喜ばない親などいない。………その息子が重病を抱えていない限りは。

 

 せっかく持って生まれた素晴らしい才能。誰もが羨む先天的なギフト。

 

 けれど、それを発揮させる身体がない。

 

 どれだけ才能があろうと、病身の才華では、それを活かせる余裕がない。

 

 才華自身も、自分がただの病人であれば、納得できた。たしかに自分は難病を2つ抱えて生まれたが、その代わりに裕福な環境と、素晴らしい両親に恵まれている。そう思って日々を生きることができただろう。穏やかに人生を過ごす未来もあっただろう。

 

 しかし、持って生まれた才能がそれを許さない。自分には出来ることがある、やりたいこともある。でも出来ない、身体が付いていかない。

 

 ……軽自動車に、F1のエンジンを積んでいるようなものだ。エンジンの出力に車体がついていかない、制御ができずに暴走するだけ。他者が羨む輝かしい才能さえも、才華を蝕む一因となった。

 

 病魔は常に彼の体を蝕み、才能を持っているのに活かせない不条理が、彼の精神を蝕む。

 

 桜小路才華のこれまでの人生は、常に肉体、精神の双方を蝕まれてきたものだった。

 

 

 

 通常ならば、彼は歪んだ人格となっていただろう。こんな状況で、そうなってしまっても誰も彼を責められなどしない。

 

 だが、そうはならなかった。彼の父遊星は、常人とは桁違いに愛情が深く、壊れない心を持っている人だった。

 

 彼はどんな時でも、例えファッションショーの受賞の栄冠に輝く時でさえ、才華の容態が少しでも悪くなったと聞けば、なによりも才華のもとへ行くことを優先した。

 

 殺人的な制作スケジュールの中にあっても、必ず1時間は才華のために時間を割いた。かつて屋根裏のあの部屋で、母が自分にしてくれたように才華に接した。抱きしめ、頭を撫で、昔話を聞かせ、子守唄を歌い、全身全霊で、「君が大事で仕方ない」と語り続けた。

 

 父の愛の偉大さが、才華に健全な精神を与えた。肉体は少しも健全ではなかったが、精神はとても健やかに成長したのだ。

 

 才華に安息の場所はない、と前述したが、それには「父が桜小路遊星でなければ」という前提がつく。彼の安息の場所、それは父遊星の柔らかく温かい胸の中だった。彼にとっての太陽とは、放射光を放つ恒星などではない、安らぎを与えてくれるその場所こそが、彼の「おひさま」だったのだ。

 

 母親のルナは、起業したブランドのトップデザイナーという立場もあり、遊星のように才華のそばにはいられなかった。だが、どんな時でも颯爽と、威風堂々としている母の姿に、才華は憧れた。自分と同じ外見でありながら毅然と立つ姿を目標にしたいと思った。そうした想いは自然と形になる。才華が髪を伸ばし始めたのも、少しでも母のようになりたかったからだ。

 

 

 ……そこには、母のようになれば、病気の苦しみもなくなる、という幼い願望もあったのだろう。

 

 

 才華が髪を伸ばし始めてからは、遊星がその髪の手入れをするようになった。しかし、幼く儚い体を抱えながらも、頭脳は両親譲りで明晰であった才華は、自分でも出来るようになりたいと父に願う。自分のよりも人の髪を手入れするほうが上達が早いことを知っている遊星は、才華にそれを伝えたところ、幼い才華から「なら、おとうさまの髪の手入れがしたいです」と言われて――

 

 ――髪を伸ばすことにした。そうして長髪になった彼の容姿は、在りし日の「小倉朝日」そのものであったことは言うまでもない。

 

 また、その日より髪の手入れを互いにすることは、親子の何よりのスキンシップになったため、今日でも遊星の髪は長いままだ。

 

 

 

 彼は人より不幸な境遇で生まれた。けれど人より恵まれた両親を持った。禍福の天秤は釣り合っている。才華自身もそう思い、父の愛と母への尊敬を大事に胸にして生きていこうと思っていた。思いたかった。

 

 それでも、身体の病みと心の闇は彼を放してくれなかった。

 

 両親も、周囲の人間も自分を愛してくれている。自分の世界は屋敷内で完結し、外にいる彼らとは関われない。自分は待っていることしかできない…… それでも不自由ないのだから、これ以上は贅沢になる。

 

 でも、心に奥には針のように刺さるものがあり、それは決して抜けてくれない。それどころか年を経ることに大きくなっている。

 

 大きくなった針の傷は穴となり、ぽっかりと広がる闇となる。彼は、その闇をじっと見続けていた。病に伏せるたびに、自分の胸のなかに広がる闇を見つめ続けていた。

 

 

 

 どうして

 

 なんで

 

 ぼくだけが

 

 

 そんな思いが、決して消えない。その原因を、幼いながらも聡明な彼はもう分かっていた。分かっていたから、長い間目を背けてきた。

 

 でも、それにも限界が訪れる。訪れたからこそ、彼はこれから『無茶』をやろうとしてるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 生まれながらに抱えた2つの疾患。それがために才能を発揮できずにいる苦痛。それを自分に強いる世界の不条理。

 

 それをお前は憎んでいると伯父に言われ、桜小路才華は静かに肯定した。

 

 「そうです伯父様、僕はこの世界が嫌いです。僕に外の世界を許さない世界。僕をベッドの上でも安心させてくれない世界。なのに身体に合わない分不相応な才能を与えて苦しめる世界。全部、全部大嫌い」

 

 世界を否定する言葉を、呪いを吐き出すように紡ぎながらも、才華の表情は静かなまま。だが心の奥底の本音を絞りだしているためか、一人称は目上の人間に対して畏まる「私」ではなく、私的な「僕」に変わっている。

 

 

 「でも大好きなんです。誰よりも僕を愛してくれているお父様。いつも誇り高い姿を見せてくれるお母様。僕を大事にしてくれる屋敷の皆、全部、全部大好き」

 

 その言葉は、まるで泣き笑いのようだった。

 

 世界を憎んでいる、でも世界を愛している。そんな矛盾に、少年は挟まれている。

 

 

 「伯父様は、『Diana』というデザイナーをご存知ですか?」

 

 「Diana……」

 

 話の流れを変えるような唐突な問いに、衣遠はやや気色ばむも、その問の内容に頭を向ける。少々の時間内に答えは出た。その名前は、彼の記憶に領域にたしかに記されているものだったから。

 

 「ジャンルで言えば、パンクファッション系統のデザイナーだろう。より過激なストリート、ロック、さらにはフリークス・スタイル。そうしたデザインを専門にしている人物のはずだ。だが、この手の分野のデザイナーとしては珍しく表だった活動は一切しておらず、ネット店舗でのみの受注販売で、作品を手に入れるためには通信販売の他ない」

 

 「驚きました、よくご存知ですね」

 

 「この大蔵衣遠、一線は退いたとは言え、常にデザインの最先端には目を光らせているつもりだ。『Diana』は去年あたりからネットの中で騒がれるようになったため、俺もHPに展示されている作品を見た」

 

 「流石です伯父様。それで、伯父様から見て『Diana』の作品はどうでした?」

 

 「俺が目指した方向性とは、逆の感性の作品ゆえに、単純には測れん。俺が求めたものは、正式な場で評価される正統のデザイン。しかし『Diana』の描くデザインは、そうしたものを真っ向から反逆するような作品だ。評価が難しい」

 

 「伯父様の眼鏡には適わなかった、と?」

 

 「いや、確かな才能を感じた。むしろ、専門外だからこそ、響いてくるものがある。そのデザインに込められた熱意、気迫、なにより才気…… 見るものを圧倒させるに足るものがあることを認めよう」

 

 「お母様の作品よりも?」

 

 「桜小路のものとか…… 言ったようにまるでジャンルが違うから比較が成立しない。ただ、感じられる才能の大きさで言えば、桜小路すら凌駕しかねない可能性を秘めている」

 

 「もし、そのデザイナーと会う事があれば、どうなさいます?」

 

 「そうだな…… 俺自身は引退した身ゆえ、直接指導はできんが…… 知人に預けて才能を伸ばそうとすることは確かだな。誰がよいかは熟慮する必要があるが…… この分野ならばサーシャ、いやいっそラフォーレという手も……」

 

 「私です」

 

 「む?」

 

 「ですから、『Diana』は私、桜小路才華です」

 

 「な――」

 

 

 衣遠は絶句した。このような口を開け硬直するような様を身内であろうと晒したことは数える程しかない彼であっても、今放たれた才華の告白は、受け止めるのに紅茶1杯分の時間は必要だろう。しばしの硬直の後、衣遠は先ほどまでとはより口調を重くして、甥に問うた。

 

 

 「あのデザインを、まちがいなく、お前が」

 

 「はい」

 

 「そう、か……」

 

 才華の返答は一切の淀みがなかった。それゆえに衣遠は理解した。やはり自分の懸念は正しかったのだと。

 

 衣遠自身が言ったように。『Diana』のデザインは、パンク、ロック、ストリートといった、世の中に反抗する若者向けのファッションだ。それも、若者にありがちな「理由なき反抗」、思春期特有の反抗期のようなものではない。

 

 本当に世界を憎むような気迫、確かな経験からでしか決して生まれない、昏い情念が込められたものであり、だからこそ『Diana』のデザインは、そうした今の世の中、世間の常識、といったものを嫌う人間の心に刺さる。

 

 デザインを出してわずか1年程度なのに、『Diana』の衣装を来たパンクバンドは、必ず有名になる、とまで言わしめているほどに、アングラ界隈に浸透している。

 

 だが、そのデザインが才華から生まれたものとなると…… 衣遠は納得できる。出来てしまうのだ。

 

 この甥からは、常にどこか危うさを感じていた。自分と同様に、「生まれ」から来る不条理に対する憤り、怒りの発露。自分が「大蔵家の掌握」という野望実現にそのエネルギーをぶつけたように、才華の場合は、デザインにその憤りをぶつけた結果が『Diana』となったのだろう。

 

  

 「ふん……」

 

 それを踏まえて衣遠は考える。この甥はすでに界隈が限られるとは言え、世に認められるデザインを描いている、それはすでにひとつの成果だ。だが、どうやら才華はそれに納得していない。納得していれば、ただそのまま続ければいいだけの話であり、先ほど聞いた「無謀」をする必要はない。

 

 だというのになぜ? デザインの方向性が、母とは異なるものだから? 母に憧がれる身でありながら、そうしたデザインを書く自分を恥じている? 

 

 いや、そうではないだろう。この問題はもっと根が深い。

 

 その疑問を証明するように、才華は先程までとは表情を変えて語りだす。先程までの余裕さはない、苦渋を飲んだような表情で。

 

 

 「ファンレターが、来ました。電子メールなので正確にはファンメールというのでしょうか。その方は『Diana』が作った衣装を着てバンドの舞台に立ったシンガーです」

 

 「待て、『Diana』が作ったと言ったか? デザインした、ではなく」

 

 「はい、その衣装は僕……『Diana』が直接手がけたものです。とくに気に入ったデザインは、どうしても自分で作ってみたくなるのは、お父様譲りでしょうか」

 

 「そう、だな。桜小路の渾身のデザインは、常にヤツが手がけるものだが……」

 

 ルナそっくりの見た目の才華のデザインを、遊星の息子でもある才華が作りたくなる、という状況に、衣遠は一度見たことがある光景を思い出す。起業したブランドが好調になり、遊星以外にもパタンナーを雇うようになった頃、ルナは生み出した傑作のデザインを、いつものように夫に渡すのを止めた。それも本人の目の前で。

 

 【さて、いつもなら君にデザインを渡すところだが…… 今度雇ったパタンナーの実力を見るために、今回のデザインは新人クンに担当してもらおうかな】

 

 その瞬間、遊星はこの世の終わりのような表情をしていた。ルナとしては愛情表現の意地悪のつもりだったが、遊星にとって、ルナのデザインを手がけることは、人生の土台に一つとなっていたのだから、そのデザインを自分以外の者に、というのは衝撃が大きすぎただろう。

 

 【待て、違う、泣くな。冗談だ、冗談だとも。私が君以外にデザインを預けるはずがないだろう。ああ、もうまったく仕方がないやつだな君は。そんなに私のデザインが好きか。もう結婚して何年になると思ってるんだ】

 

 たまたまそこに居合わせた衣遠は、こうして夫婦の惚気をまざまざと見せ付けられる羽目になったが、つまるところ、才華は母ルナ、父遊星の才能をともに受け継いだこともあり、気に入ったデザインは自分で形にしたくなるのであろう。

 

 それは現役時代の衣遠もそうだったので、よく理解できる心境だった。

 

 

 「父譲りというより、自分で服を作れるデザイナーはそうしたものだ。お前の母やジャンのような、天が二物、いや三物を与えなかった場合はそうではないがな」

 

 「ああ、そういうものですか。すみません伯父様、僕は母と父と、それと伯父様以外に大成した服飾の方をよく知らないので……」

 

 才華の声に影が過る。それは彼の常にはないものではなく、彼の境遇からすれば相応のものといっていいものなのかもしれない。

 

 「話を遮ってしまいましたね、続けます。僕はご存知のように体力がないので、縫える衣装の数も多くなかったのですが、そのうち一着を来て舞台に立った方からの手紙を読んで、僕は怖くなったのです」

 

 「怖くなった、だと? まさか自らの才能が恐ろしい、などという戯言でもあるまいに、いったい何に恐怖したというのだ」

 

 「その手紙の方、彼女は女性なのですが、どうやら心と身体が一致していないことを自覚している人でした。彼、と評すべきかもしれません」

 

 

 「解離性性同一障害か」

 

 「詳しくは分かりません。ただ、制作の途中で『男性のシルエットになるようにお願いしたい』というメールを受けたので、少し疑問に思いましたが、そういうパフォーマンスか、芸風のバンドなのかと、そのときは安直に思っていました」

 

 「寸法自体は、女のものだったのか。にも関わらずシルエットが男に見えるようにか、なるほど」

 

 「そうして完成した衣装を送り、彼女、いえ彼と言ったほうが良いのかもしれませんが、ライブの成功と、それ以上の感謝を綴られた手紙をもらったのです」

 

 「それ以上の感謝というのは、己の性に関わる葛藤について、というわけだな」

 

 「……驚きました。伯父様は、本当になんでもお見通しなんですね」

 

 「大蔵総裁の秘書をしていれば、これくらいは当然だ、と言いたいところだが、そうではない。俺とて服飾に深く関わった者だ、一枚のデザイン、一着の衣装で人生が変わるような体験をした人間を、何度も見ている」

 

 俺自身も含めてな、と衣遠は意を含めて語る。彼の弟も、妹も、彼の周囲の多くのものが、そうした『本物の一着』と出会うこと、または作り出すことによって。大きく人生を変えてきたのだ。その手紙の主の気持ちはよくわかる。

 

 逆に言えば、才華が作った衣装は、『そうしたもの』であったという証拠だろう。

 

 

 「その手紙の主は、さしずめお前の衣装を着たことで、決心がついたというところではないか」

 

 「ほ、本当にみんなお見通しなんですか? あれ、もしかして以前話したことありましたか?」

 

 「落ち着け才華。少なくとも経験だけは多く積んでいるからな、多くのことは過去の体験から想像できる。年寄りとはそういうものだ」

 

 「は、はぁ。で、でも伯父様はまだまだお若いですよ! 年寄りだなんてそんな」

 

 「言葉の綾だ。まずは落ち着け」

 

 「はい、すみません。お見苦しいところを」

 

 「許すとも、お前はかわいい甥だ」

 

 衣遠に頭を撫でられて少し拗ねたような表情をする才華からは、先ほどのような妖艶な雰囲気はなく、年相応の少年の姿がそこにあった。先程までの芝居がかった姿は、彼なりの緊張を隠すための処方だったのだろう。自分には余裕があると、言い聞かせていたというわけだ。

 

 月明かりしか光源がない室内であっても、脈が浮かぶほど白い肌は、紅潮の具合が非常にわかりやすい。今の才華の顔は真っ赤だ。

 

 そうとわかれば、先程までの余裕さも、むしろ微笑ましくなってくる。おそらくは母を真似たのか、緊張を緩和するために、自分が思い描く「動じない」人物を参考にしたのだろう。それがまったくの模倣ではなく、自分らしくアレンジしたというところか、実にデザイナーらしい。

 

 余談だが、先程までの才華が演じていたキャラクターは、母の自信満々な態度に、父の色気を足して配分した結果らしい。

 

 幻想世界の妖精から、等身大の少年に印象がもどった才華は、伯父の胸の中で一息ついて落ち着きを取り戻したあと、心の燻りを照らし返す作業に戻る。

 

 

 「改めて、話を続けます。僕は『Diana』として活動する際に、一応パンク系ファッションショップ『S&D』のデザイナーという形で所属していますので、ショップのHPに僕が描いたデザインを数点掲載し、そのデザインを注文されたお客様のサイズや希望する点などのやりとりをメールで行ったあと、制作に取り掛かります」

 

 「それ自体は通常の店舗と大差ない。どこのテーラーでもアパレルでもやっていることだ」

 

 「それで、その際に僕の思い描いていたイメージと異なるアレンジをされる注文主の場合は、他の縫製担当の方に任せていました。ほとんどの場合がそうでしたね」

 

 「フ、まあそうなるか。パンク、ストリート、そうしたファッションを纏うからには、相応の我の強さ、自分なりのこだわりもあるだろうから、デザイナーのイメージと離れることはある。これが本当にデザイン学校の生徒が始めた店舗だったなら、そうした客の注文に対応して経験を積むのも大事だろう。だが、お前の母やこの『Diana』ほどの才能となると、そんな必要はない。その客のアレンジは、完成品を損なう愚行にしかならんだろうから」

 

 断言する衣遠の言葉に、才華はルビーの瞳を見開き、また可愛らしく頬を紅潮させた。尊敬する母と同等の才能を持っていると、これまた尊敬する伯父に言われたことが内心とても嬉しかった。

 

 いや、もしかしたら人生で一番嬉しかったかもしれない。

 

 「え、あ、う」

 

 そのためか、二の句を告げなくなってしまっている。もとより心の奥にしまっていた自分の秘密を話すつもりでいたから、相応の覚悟で対話に臨んでいた才華だが、意外な方向からの不意打ちで、心が散々に乱されてしまっている。

 

 ――自分には母に匹敵する才能が有る。そう思っていても、実際にそう評されると、なんと言っていいのかわからない。

 

 

 「才華?」

 

 自分の放った何気ない一言が、甥の心にクリティカルヒットしたとは露知らず、真っ赤な顔であわあわとしている甥の様子に衣遠は訝しんだ。どうやら才華は衣遠が思っていたよりずっと初心な面があったようだ。

 

 「なな、なんでもありません。でも、伯父様、そういう不意打ちは卑怯ですよ」

 

 「俺の言葉に気に障ったのなら、その点をちゃんと指摘しろ。俺としては瑕疵がない言葉と思っているのだから、指摘されんと改善できん」

 

 事実を述べるなら、同様の評価はすでに父、妹、叔母、屋敷の使用人たちからされていた。しかし、それらの言葉には常に「病人に対する気遣い」が込められていたことを、才華は感じ取っていた。しかし、今回の衣遠の言葉には、話の文脈からもそうした雰囲気を感じされるものはなかった、だから才華はここまで動揺したのだ。

 

 とはいえ、動揺してばかりもいられない。

 

 「ああ、もう!……いえ、この件はなかったことにしてください。それより話を続けます」

 

 「お前がそれでいいというのなら、そうしよう。デザインの解釈の話だったな」

 

 「はい、お客様とのデザインの解釈違いがあった場合は他の人に衣装の製作を任せましたが、特にアレンジの注文がない、僕のデザインそのままでいいという場合は、僕自身が衣装の制作に務めました」

 

 「だが件の客の場合は、そのアレンジ注文があったのにも関わらず、お前が制作した」

 

 「そのアレンジ内容が『男性のシルエットになるように』ということだったので、興味を惹いたのです。元々男性でも女性でも着られるようなデザインでしたが、体型が女性なら、当然シルエットは女性のものとなります。そこを敢えて男性の、という点が、どうしても気になった」

 

 そう言いながら、彼は端末を操作し、一つの動画サイトの画面を衣遠に示した。

 

 

 「その衣装を着たライブの様子です。正面に写っているボーカルの方」

 

 画面の中には中性的な風貌の人物が、件のデザインの衣装に身を包み、世の中に反逆するような、全力で否定するような歌詞の曲を、大歓声の中で絶唱している様子が写っている。

 

 中性的、とは評したが、どちらかと聞かれれば、男、と答えるような、そんな人物。

 

 そしてなにより、その人物と衣装は完全にひとつとなっていた。この人物と曲だけでは、ここまでの大歓声は得られまい。曲と歌手と衣装が、完全に融和し、相乗効果を奏でたからこその、大歓声だ。

 

 単なるパフォーマンスではない。本当に世の理不尽に怒りを叩きつけるような『本気』の迫力があるからこそ、それを見るもの、聴く者を熱狂させる。

 

 見事という他ない。これほどのものは、パリやミラノのショーでもそうそう見かけられない、と衣遠は感じている。だが、それは同時に才華の心の奥にある怒り、憎しみ、そういった感情の大きさを物語ってもいる。

 

 この場合、歌手と作曲者は同一人物だろう。だから曲と歌手の融和がされているのは当然だ。しかし、そうではない他人が作った衣装がこれほどまで溶け込むのだから、つまりはその衣装の作り手も、歌手と同様の感情を有している、何よりの証拠。

 

 繰り返すが、見事という他ない。だが、そのまま口にするのは躊躇われる。なにしろ、それは憎しみの大きさを賞賛することになるのだから。

 

 そして、この甥は悩んでいる、苦悩している。これだけ見事な衣装を完成させていながら、それを誇るような様子がない。むしろ、この衣装の完成度は、彼の心を惑わし乱している。

 

 「このライブの後に送られたメールには、衣装の完成度を賞賛する言葉と、なによりも強い共感の想いが綴られていました」

 

 

 ――今回ほど衣装と一体感を覚えたことはない。だから、きっと貴方も自分と同じような想いを抱えているのだと思う。だから貴方には明かしたい。自分が抱えてきた葛藤を――

 

 

 そうした言葉から始まった内容には、この人物が生まれた時から抱えていた、自分の身体に関する違和感、周囲の人間が自分に強要する圧力、お前は女なのだから、女なのにそんなことを、と言われ続けてきた人生があった。

 

 彼女は女として生まれたが、心は男だった。だが不幸にして社会の上流に属していた彼女の周囲は、昔ながらの観念と宗教を奉ずる家系であり、当然両親もそんな彼女の姿を認めるはずもない。

 

 それでも彼女は努力したが、周囲の無理解は強まる一方であったため、長年の忍耐の末に彼女はとうとう爆発し、身一つで家を出て、堂々としたストリートミュージシャンとなったのであった。

 

 「その内容を読んで、僕は思ったんです。【僕は、この人のように徹底できるだろうか】と」

 

 「……そうか、そういうことか」

 

 

 

 そこまで聞ければ衣遠には理解が出来た。つまり才華は、果たして自分は件の歌手が思うような人間かどうかで、悩んでいる。

 

 手紙の内容は、どこまでも衣装の賞賛と、同じ悩みを抱える人間への共感で溢れていたのだろう。たしかに、件の人物と才華の環境は同一ではないが、生まれながらの疾患、という点で苦しんでいるという点では、まちがいなく同じだ。

 

 だが、決定的に違う点がある。それは、この歌手は確実に両親を嫌い、憎んですらいるのに対し、才華は両親を深く愛している、ということ、

 

 歌手の周囲の人間たちは、皆彼女に理解を示さなかったが、才華の周囲の人間は、皆が彼を支えようとしている。

 

 数値的な面で物事を測るのならば、才華はこの人物に負い目を感じるようなことはない。性自認が異なろうとも、自分の力で生きていくことはできる。だが才華の疾患は、他者の助けがないと死に至るものなのだ。

 

 『死』という絶対的な暴威に直面しているかいないかという点で言えば、才華とこの歌手を同一の視点で語ることはできない。

 

 だが、人の心というのは数値で測れるものではない。測れるものであれば、世界はもっと理路整然としていただろう。

 

 

 「才華、お前の、『Diana』のデザインの根源は、自分の身体に対する不条理への怒り。そしてそれはこの歌手も同じ」

 

 「でも、彼女はすべてを捨てて新しい自分を作り、その上で反逆の歌を歌っているのに対し、僕は与えられた恵まれた環境の中で、世を呪うデザインを描いている」

 

 自分が所属していた世界、それは即ち家族、友人関係、いままで積み上げてきた学歴…… そうしたものすべてを捨てて、『男性歌手』になろうとしている人物と比べ、自分はなんと惨めなのか…… 才華はそう痛感してしまったのだ。

 

 「正直な話、それまで『Diana』として認められることは嬉しかったです」

 

 先ほどの伯父様の言葉ほどではありませんでしたけど…… という想いを飲み込みながら、才華は自身の瑕を衣遠に晒し出す。

 

 「そうして認められると、次はもっと、その次は、と思うのは自然でしょうか、それとも僕が浅ましいだけでしょうか」

 

 「人間としてあるべき姿だ。自己肯定力が無く、野心を持たぬ者に成長はない。それは決して恥ずべきことなどではないぞ」

 

 「ありがとうございます。でも、そんな『Diana』のデザインの源泉は、痛み、苦しみ、それを自分に齎すこの世界への怒り、恨み、憎しみという、人として恥ずべき感情です」

 

 衣遠には言葉がない。彼もまた若き頃はそうした想いを原動力に、野望を達成させようとしたのだ。多くの人間を踏みにじろうともやり遂げる、と誓っていた。だが……

 

 「お父様の愛情を受けながら、なんとも卑しいことだと、自覚したとき、とても自分が恥ずかしかった。でも、すべてが僕なのです。お父様の愛情を心から感謝しているのも僕、自分の肉体を憎み、恨み、健康な人を妬んでいるもの僕、両親を誰よりも尊敬していながら、同時に誰よりもこんな体に産んだことを恨んでいる! ……それも、僕なのです。」

 

 そう、そんな野望を挫いたのが、弟、遊星の無心の愛情だった。当然、その愛を受けて育った才華に、そのことがわからないはずもない。

 

 

 

 (…………これは、どんな皮肉だ)

 

 衣遠は強くそう思う。自分や例の歌手のように親の愛に恵まれなければ、野望に燃えたまま茨の道を選ぶことが出来る。だが親の愛に恵まれたからこそ、それをすることを禁忌としている。

 

 その上、生まれ持った病魔は、そんな茨の道を進むことを許さない。そんな道を進めば、遠からず死が訪れる。

 

 それでも才華は葛藤しているのだ。彼は、醜い自分の心を直視し、許容できずに持て余している。

 

 (誰も責めないというのに)

 

 生まれながらに持った不自由、病。それを理由に世の中を、そう産んでしまった両親を恨もうとも、だれが責められようか。こう産んだのはお前たちなのだから、自分を生かすのは当然だ、と開き直ることもひとつの道だ。

 

 だが、衣遠すら認めるデザインを生み出すのも、その世を恨む感情からなのだ。人はもっとも強い感情からこそ、もっとも素晴らしいものを作り上げるのだから。

 

 衣遠がそうした想いを抱き考えている間に、当の才華は沈んだ泣きそうな面持ちとなっていた。さらに、呼吸が荒くなっている。短期間のうちに感情を大きく揺さぶったせいだろうか、その負担が身体にかかったようだ。

 

 

 

 ……そう、彼の身体はかくも儚い。

 

 今の才華の姿に、かつてアントワープで慟哭した若き日の自分が重なる。重なるからこそ、違いがわかる。

 

 衣遠にあったが才華にはない、単純にして絶対の違い。

 

 それが、身体の強さというもの。生命として強いか、弱いか。この世で最も単純な真理の一つだけに、何とも残酷な適者生存の大原則。

 

 あのとき自分がしたような殺人的なスケジュールを才華が行えば、冗談抜きに彼は死ぬだろう。

 

 衣遠には、どんな困難にも抗う気力があった。決意があった。そして、それを実現させる頑丈な肉体があった。だが、才華にはない。誰よりも何よりも『それ』を欲しているのに、与えられていない。

 

 

 (あの時、俺は窮地の底にいると思っていた。欲しいものがなにも手に入らない自分が不甲斐なかった。だが、あの時の俺は、才華が欲しいものをすべて持っていたのだな)

 

 

 本当に、どんな皮肉だ、と衣遠が思案している横で、才華の語りが続けられる。

 

 「……このまま『Diana』を続けていけば、僕はきっと呑まれてしまう。そう思いました」

 

 「己の野心、いや、お前の場合は憎しみに、か」

 

 衣遠の場合は野心だったが、才華の場合は異なるものだろう。その中でもっとも適当と思われるものは、憎悪という感情だった。

 

 「憎しみ…… そうなのでしょうね。そして『Diana』として作品を出し、認められていけば、僕は自分を大事にしてくれている人たちを、すべてそうした目で見るようになる。彼らの存在を、『Diana』のデザインを生み出す餌としか見なくなってしまう。そんな未来を思い描いてしまったんです。だって、その憎しみの気持ちもまた、僕なのですから」

 

 才華の言葉は悲痛に満ちていた。それを聞く衣遠も、その言葉を否定できない。遊星に止められなかった自分は、まちがいなく本物の悪鬼になっていただろう。誰も信用せず、愛さず、かつて何よりも奉じた芸術すらも、大蔵家総裁の立場を守る道具としか見なくなる、そんな最悪の未来の可能性。

 

 それと似た結末を、甥である才華は恐怖した。自分が受けた愛情を、憎悪の糧にしかできなくなる自分が怖くなった。悩み、惑い、苦しみもがいた。

 

 

 「お父様を、お母様を、そんな風にしか見なくなってしまう、そしてなにより……」

 

 「いや、いい。それ以上は言う必要はない」

 

 才華が言おうとしていたこと、その存在を口にさせる前に、衣遠はそれを遮った、それを口にするのは、才華にとって辛すぎるし、毒にしかならないと判断したからだ。

 

 彼もまたそうだったから、それがよくわかる。最も目に入るところにいるからこそ、直視できない存在というものが。

  

 

 「それで、お前は考えたのだな」

 

 そうして自らの闇に向き合い続けた結果、彼が出したこと答えはある種単純。

 

 『Diana』のデザインを描き続けるのならば、例の歌手と同等の立場になりたい、すなわち、親の庇護の下から飛び出すということを。

 

 そのために選んだ手段が「両親を捨てる」ではなく「両親に並び立つ」というものになったのは、ある意味桜小路ルナの息子らしいと言えるかもしれない。

 

 「僕なりに考えた末の答えです。もし、僕が両親の年齢の時に成し遂げたこと以上のことができたなら、その時は胸を張って、自分に才能に投資しろ、と言えると」

 

 可哀想な子供だから助ける、のではなく、自分たち以上の才能を無駄にしないために、全力でサポートしろ、と言えるようになる。こんな才能を病気のために失うなどあってはならない、と傲慢になれる。その決心ができる。

 

 そしてそれが達成できなければ、『(やまい)』に敗れたならば…… 素直に両親の庇護の下で、彼らの愛情に甘えよう。その代わりに自分の中の『彼女(さいのう)』を封印しよう。

 

 

 「このままでは僕はどこにも行けない。悩み迷ったまま終わってしまう。それが分かっていても僕は僕であることをやめられないのです。そう思ったから、今回の計画を決めました」

 

 幼い時に、苦しむ自分を癒すために、父が語った昔語り、父の楽しかったこと、嬉しかったことを息子に話すことで、その苦しみを少しでも遠ざけてやりたい一心で、彼は才華に毎夜のように語った。

 

 それこそ、洗いざらいを。母と同じ病で苦しむ息子のためならば、自分の恥部を晒すことなど意に介さないのが、遊星という人物である。

 

 彼は才華に、ルナとの馴れ初めは女装がきっかけであったこと、『小倉朝日』というメイドのこと、あの輝かしい桜屋敷での日々を全部才華と共有した。そうすれば、息子の表情は和らぎ、呼吸も落ち着いてくれていたから。

 

 だから、才華は両親の青春をすべて知っている。知っているから、挑む決心をした。

 

 

 「お父様は、僕を生かしてくれる命綱と言える方。だからこそ」

 

 父と同じような立場で、2人が成し遂げた栄誉を超える、という目標に。

 

 所詮自分は自分でしかないのならば、せめて在りたいと願う自分でありたいと思うから。

 

 才華の告白を聞きながらも、やはり衣遠は若き頃のアントワープの聖堂を思い出す。大蔵衣遠はどこまでも大蔵衣遠であるがゆえに、自分の心境を他者に吐露することはなかったが、その代わりに「神」に、高みにあるものへと宣言したのだ。

 

 才華は、しかし自分ひとりではなにも成せないと分かっている。誰よりも弱い自分の体を知っている。とはいえ、自らの心の瑕を隠さずに明かすというのは、相当の決意と懊悩があったことだろう。

 

 そんな才華を、衣遠が助けない筈もなかった。もとより情熱的で、生来の気質は情に厚い男なのだ。生まれ落ちた環境がそれを許さなかったために、随分と回り道をしたが、彼が認める家族たちのおかげもあり、もはや彼が彼らしく振舞うことに枷はない。

 

 

 

 「お前の決意は理解した。これより俺は全面的なお前の支援者になろう。どんな無理難題だろうと、お前のためならば叶えてみせる」

 

 この甥を、衣遠は他人とは思えない。条件は違えど、葛藤する根源は同じ「生まれと育ち」なのだから。かつての自分のような迷妄することがないよう、導いてやりたいと心から思う。

 

 その返事を聞いた才華は、瞳から涙を溢れさせる。その姿は、とても美しかった。

 

 「ただし、これから言うことだけは守れ。そうでなければ、俺は俺自身の意思に反してでも、お前を両親の元に帰すことになる」

 

 だが、それでも譲れないものが衣遠にもある。彼本人は才華に協力する気があろうとも、愛する弟夫婦のために、不義理をしてはならない。

 

 「毎日必ず、医師に処方された薬を飲み、その記録を俺にメールすること」

 

 「はい」

 

 「次に、学院に行くまでの練習期間に外出することがあるときは、必ず俺に連絡しろ。学院に通ったあとでも、住居から3km以上移動する際には、連絡しろ」

 

 「はい」

 

 「お前が発作を起こして倒れた場合は、1度だけならば看過しよう。だが、2度目があった場合は、何があってもお前を入院させる」

 

 「……はい」

 

 「最後に、この一年で満足を得られる結果に終わらなかった時は、必ず両親のもとへ帰ること」

 

 「………はい」

 

 衣遠の診たてでは、才華の身体の状態で、使用人として学校に通うような無茶が出来るのは、半年が限界だ。1年というのは、むしろ最大限の譲歩の結果だろう。そして才華自身もそのことは誰よりも分かっていたが、改めてその事実を思い知らされるのは、楽しい気分にはなれない。

 

 

 

 「以上の厳守を約束するのであれば、この大蔵衣遠、1年間は何者からもお前を守ると誓おう」

 

 「本当に、ありがとうございます、伯父様……」

 

 才華は、先程のような演技がかった様子ではなく、心の底からの信頼を込めて伯父に抱きつき、衣遠はその細い肩を壊れないよう抱きとめた。その感触が儚いと、心から感じながら。

 

 華奢で、悲しいほどに軽い。15を超える齢を経た甥の身体であるはずなのに、あまりにも。

 

 月明かりが射す部屋の中、2人のシルエットは再び重なった。

 

 そして伯父の腕の中で、才華は長年の疑問を口にする。それはおそらく、無意識のうちに出たものだろう。彼自身意図した言葉ではなかったのだから。

 

 

 「伯父様は、僕の中に誰を見ていらっしゃるのでしょう………」

 

 衣遠は、遠いマンチュスターの風景を思い浮かべながら、沈黙を守るほかなかった。

 

 

 

 

 

 

 こうして2人の話は終わった。結論から言うと、伯父は甥のすべてを受け入れ、甥のために全力を尽くすことを誓う。弟夫婦には内密だが、これは弟のためを思えばこそ。

 

 遊星に、この事実を受け止めさせるのは時間がかかるだろう。

 

 衣遠はそう確信する。

 

 




原作主人公(スピンオフ含む)と、ウチの才華のパラメータ簡易比較

     才能 環境 肉体  総合点
遊星    7  4  6   17   悪い環境を改善していく物語
才華    6  8  4   18   安心して楽しめる物語
衣遠    8  4  10   22   下剋上に挑む物語

才華(病)  9  9  1   19   

⇒改善のしようがない問題ゆえに、心の在り方にしか答えがない物語
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