月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~   作:トライアヌス円柱

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才華の内には『彼女(さいのう)』がいて、常に囁き猛っています。
そして同時に、いつも才華に付きまとう『(やまい)』は、静かに吐息で誘う。

7話 裏タイトル 【プロデューサー、その路線売れますか?】


睦月 灰雪の季節
7話 ミステリアス美女系神秘乙女~儚さを添えて~


 

 日本に来てから、2ヶ月と少しが経った。

 

 今は1月の真冬の只中。都内でも雪が降る日が稀に見られる。ニューヨークより肌寒い東京の冬だけれど、僕はあまり嫌いじゃない。

 

 冬の早朝の透明な空気を吸うのは気分が良いし、冬の弱い日差しは、夏の照りつける激しさはなく、僕の肌を焼くこともない。もちろん、長時間当たるのは無理だけど。

 

 それでも薄曇りの空の下、庭の散歩をすることも出来た。思えば、以前住んでいた屋敷なのに、幼い日々の記憶の中には、庭を散歩したり遊んだ記憶はない。もしかしたらお父様に抱かれて庭を廻ったことはあるかもしれないけど、残念ながら覚えていない。

 

 「若、今日はこちらでしたか」

 

 「うん、今日も曇りだからね。東京の空は僕に優しくて好きだよ」

 

 後になって知ったことだけど、今年の冬は特に曇が多かったらしい。天気が僕の帰国をお祝いしてくれたんだろうか。ありがとうお天道様、そのままお休みしていてくださって構いませんよ。

 

 

 「若がそうして庭を散策されるお姿は、本当に絵になりますね」

 

 「ありがとう壱与、でも褒められても、何も出ないよ」

 

 「というよりも、奥様がいた頃を思い出させてくれます。奥様も、こういう天気の日は旦那様を伴って散策されていましたから」

 

 「へぇ…… お母様も」

 

 「今の若のお姿は、より一層若い頃の奥様を思い出させてくれます。私も、気分だけでも若返っちゃうくらいに」

 

 「壱与はまだまだ若いよ」

 

 「ま、若ったら気遣い乙女」

 

 「そうだね、今の僕は乙女だね」

 

 今の僕の服装は女性用。ネイビーのレースブラウスに、同じくネイビーのフレアスカートで、黒で統一されたデザイン。これに黒のコートを羽織れば統一感はより強まるけれど、コートの色だけは濃グレーにして、少しアクセントを。全体的に重い配色だけれど、僕自身の肌と髪が白なので、総合的に見ればモノトーンの仕上がりになっている。

 

 日本に来て、伯父様と叔母さま(伯父様が説得してくださった)の協力が得られることが決まって以来、僕はその計画に向けて訓練を始めた。

 

 やるべきことは主に3つ。

 

 

 1.女性らしさを磨く。

 

 2.使用人としての振る舞い。

 

 3.学校に通えるようになるくらいに、体力強化。

 

 

 その内、「1」はそもそもやる必要がなかった。女性らしさを上げるというのは、逆に考えると、自然に出てしまう『男性らしさを』を隠すためということになる。

 

 それに対して僕は、これまできちんとした男性の姿で外出したことがなく、家ではほとんどナイトガウンやネグリジェで過ごしてきたから、女性らしさを磨く以前に、男性らしかったことがない。

 

 なので、ただ女性物のファッションを纏い、僕が僕らしく過ごすだけで、僕を男と思う人間はいない。それは、あの空港での周囲の反応が証明している。

 

 日本だと長髪の男性は欧米よりずっと少ない。だから身長153cmの華奢な体型で、腰まで届く髪の男性なんて、まず想像できないだろうから。これは日本に来て学び実感できたことだけれど。

 

 僕と壱与が並んで庭を歩きながら、屋敷に戻ろうとすると、九千代と一緒に門からこちらへ歩いてくるお客様の姿が見られた。

 

 

 「こんにちは、才華くん、今日も可愛いね」

 

 「ルミねえ、いらっしゃい」

 

 「いらっしゃいませ、ルミネお嬢様」

 

 「八十島さんもこんにちは。いくら最近曇りの日が多いからって、あんまり外に出てばかりはダメだよ」

 

 「そんなに頻繁には出てないよ。というより、僕に会うたびに『可愛いね』って言うけど、ルミねえはナンパ師でも目指してるの?」

 

 再会以来頻繁に聞かされているが、もはや口癖、というかルーチンワークになってはいないだろうか?

 

 

 「そうは言うけど、どうも才華くんって、自分の容姿、さらには周りが自分をどう認識しているのか、という意識が弱い気がするんだよね。だから、私が毎回こうして指摘して、そういう認識を染みこませているの。感謝してね」

 

 まあ、たしかに外出といっても屋敷の庭だけで、本当の意味での外出は日本に来て以来一度もしていない。僕が自分の姿を衆目の前に晒したのは、NYの空港と日本の空港の2箇所だけ。NYでも外出したのはお父様と一緒に病院に行っただけだったし。

 

 「私としては、若の容姿は綺麗系だと思いますけど」

 

 「うん、そうだね八十島さん。顔の系統としてはたしかに綺麗系。でも、全体的な雰囲気としてはかわいい系だと思う」

 

 「それは、留美音さまの、個人的な感情に起因するものではないでしょうか。若は、美しいです」

 

 あ、九千代も会話に入ってきた。以前から思っていけど、九千代、やっぱりルミねえに厳しいよね。

 

 どうも九千代の視点からだと、ルミねえが僕のことを子供扱いしてるように思えるようだ。彼女にとって僕は仕える主なので、主を子供扱いされては面白くないのだろう。

 

 

 「それは否定しないよ。私にとって世界で一番可愛い存在は、才華くんだから」

 

 気持ちを一切隠さない姿勢は、素直にすごいと思う。ルミねえが僕に対してお父様並とまではいかないけど、相当に過保護なのは、やっぱり幼少期の体験によるものだろうか。まあ、ことさら尋ねることでもないけど。

 

 「その服もすごく似合う。立ってるだけで絵になるもの」

 

 「それは同意いたします」

 

 うんうんと頷く九千代。

 

 「変に小細工するよりは、そのまま自然体の方が、ずっと素敵だと思う」

 

 「それにも激しく同意いたします」

 

 さらに高速で首を縦に振る九千代。大丈夫? 痛くない?

 

 僕が女性の姿をする際に、喋り方や仕草をどういう風に変えようかと相談していたところ、4人が4人とも「特に気にする必要はない」と言ってくれた。

 

 下手に付け焼刃で覚えても襤褸が出るので、丁寧な言葉遣いさえすれば違和感を持たれることはないと、4人ともに太鼓判を押されている。

 

 なので、僕は女装するという意識は実は希薄だ。究極的に言ってしまえば美しいファッションというものに男も女もない。昔は男性しか着なかったものを今は女性が着ているし、その逆もある。なので僕の意識としては『女性が好んで着る服を着ている』となっている。

 

 お父様が昔話をしてくれている際、僕が実際に『小倉朝日』の姿を見たいとお願いした時も、お父様はすぐに着替えてくれて、その姿がとても似合っていらしたから、というのも、僕が女装するのに抵抗がない一因かもしれない。なぜかその時お母様が「私のときはあれほど説得が必要だったのに…」と悔しがっていたけど、なんだったんだろう?

 

 変に意識するからこそ襤褸が出る。これもまたファッション、と思えば、服飾を志す者として、違和感を持つことはない。

 

 現に、お母様の友人のユルシュール・F・ジャンメールさんの従者の方は、そうした意識で女性の衣服を着ていたはず。

 

 それに、自然体でいるほうが僕の負担が少ないと、4人は思っていてくれたのだろう。僕は『理想的な女性』になりたいわけじゃない。接する人が僕を男だと思わなければ、それでいい。

 

 余分なことにまで凝るほどに、僕に余裕はないのだから。

 

 

 

 

 「どうぞ、ルミネお嬢様。お口に合えばよいのですけれど」

 

 「ん、おいしい。文句なしの100点」

 

 「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄です」

 

 「その笑顔は200点」

 

 「それは…… ありがとうございます?」

 

 ルミねえに採点してもらった紅茶が合格点をもらえた。しかし、彼女はなんだかとても僕に甘いので、ちょっと心配。とはいえ、アトレ、九千代、壱与にも同じ評価をもらっているから大丈夫と思いたいけど。

 

 皆で屋敷に入った後、僕は「2.使用人としての振る舞い」の練習成果をお披露目することにした。とはいえ、僕の練習したのは、お茶の淹れ方と簡単な洋菓子と料理程度のもの。

 

 それ自体は、NYの家で、僕の調子が良い日にお父様とやっていた事があるので、ある程度は慣れていた。でもやっぱり壱与や九千代のようなプロに習う方が覚えがいい。

 

 ……‥と思っていたんだけど、なんだかお父様の方が教え方が上手かったような気がする。でもお父様とお母様の馴れ初めは、お父様が使用人として雇われたことから始まったのだから、さもありなんといったところかもしれない。身体に染み付いているんだろうなぁ。

 

 そういえば、そもそも壱与と今ここにはいないもう一人の『メイドとしての先輩』はお父様だったっけ。

 

 お父様の主観だと『厳しいけれど為になった』らしい子供時代の使用人としての教育は、実際のところ『厳しい』で済んだものだったのだろうかと疑問に思うが、まあ過去のことなので僕が気にすることじゃない。とりあえずお父様はなんでもできるすごい人。尊敬してます大好きです。でもちょっと愛が重いです。

 

 

 「どうだろう壱与、今のルミねえのような言葉に対しては、どう返したらいいかな」

 

 「そういう場合は、笑顔のまま無言で会釈が無難でしょうか。主である方と親密になれたら『高級な葉よりも私の笑顔ですか?』くらいの返しをしてもよろしいかと」

 

 「でも若ほどの綺麗さなら、あまり愛嬌を振りまかない方が、好感を得られそうな気もします」

 

 「そのあたりはさじ加減ですね。九千代さんの言うとおり、若の普段の雰囲気通りに、ミステリアス美女な従者というのも、一定の距離感を保ててよいかもしれません」

 

 「わたしは、その方向性を推します」

 

 え? 僕って『ミステリアス美女系従者』な雰囲気持ってるの? どんな雰囲気だろう、それ。

 

 

 「たしかに。旦那様のお若い頃は、まさに清純乙女で、振りまかれた愛嬌で誰をも魅了されていましたが、若は奥様そっくりですから、やはり神秘乙女の方がピッタリね」

 

 「そうですそうです」

 

 うんうんと頷く九千代。神秘乙女……? どうすればいいんだろう、ソレ。

 

 「あ、若、なにも心配ありませんよ、若が気負わず、相手に敬意をもって丁寧に接すれば、自然と神秘乙女になれますので。無理にはりきり乙女になる必要はありません」

 

 そうなんだ。それならいいけど。結構簡単だね神秘乙女。納得していいのかはわからないけど、本職の使用人の2人が太鼓判を押してくれているんだ、大丈夫だろう。

 

 「じゃあ僕は、気負わずに『ミステリアス美女系神秘乙女従者』になるよう頑張るね」

 

 自分で言っててなんだが、いったい僕はなにを目ざしているんだろうか。でも周りの3人ともうんうんと無言で頷いているんだから、きっと大丈夫だろう。

 

 

 「でも、才華くんの一番の魅力である『儚さ』は盛り込んでおきたいな」

 

 「そうですね…… 神秘さの中に薫る微かな儚さ…… それはまさにユニコーンに祝福された純白の乙女のよう…… ありね!」

 

 「完璧ですね、ルミネお嬢様はできる方だと信じていました」

 

 九千代のルミねえ評価が上がって何よりだけど、いよいよ持って僕はなにものを目指せばいいんだろうか、総合すると『ミステリアス美女系神秘乙女~儚さを添えて~』になるんだけど、なんだろうこのちょっと洒落たお店のメニューのような存在は。まあでも、大蔵のお嬢様も太鼓判を押しているんだ、多分大丈夫だろう。

 

 「お母様にとっての紅葉のような立場になれれば望ましいけれど、そこまでの好条件が揃わなかったら、やっぱりそのフォローは九千代に頼むね」

 

 これは、伯父様にも念を押されていたこと。お母様はフィリア学生1年目の際の付き人はお父様(女装)だったけど、2年目で男子部が創立されてお父様が移籍して以降は、樅山紅葉という使用人を雇い、学校での付き人にしていた。

 

 この紅葉という女性は、今ではフィリア学園の服飾科の講師をしており、予定通りに行けば僕の担任になってくれる人。彼女にも僕の計画は伝えており、協力の了承ももらっている。

 

 僕にとって彼女は大変ありがたい存在だ。両親に近況を報告する際に、桜屋敷で紅葉に服飾を学んでいる。と説明できるから。形としては、彼女がその日に学園で授業した内容を、僕が桜屋敷の家の中で教わる形になる。

 

 紅葉にとっては学校で生徒に教えたあと、夕方からさらに家庭教師をやるようなものだが、学生時代も学校ではお母様の隣で服飾を学び、屋敷ではメイドとして働いていた(とはいえ、メイドとして力量はお父様の1/10だったとか。情報ソースはお母様)らしいので、そこまで無理と言うわけでもない……と両親は認識してくれるはず。

 

 

 「お任せ下さい! この山吹九千代、粉骨砕身で若のお役に立ちます!」

 

 「お役に立つべき対象は、僕の雇用主になってくれる人なのを忘れないでね」

 

 「むぅ…… それは分かっているのですが、やはり桜小路才華ともあろう方が、誰かの使用人になるなど、わたしはやはり納得しきれません」

 

 「あろう方が……って、僕はまだ何も成していない人間だよ。王族でもなければ、英国の貴族のように爵位を持っているわけでもない。ただの桜小路家の才華くんだ」

 

 「うう…… ですがアトレお嬢様は、招待されたパーティで、実際にそうした方々から『遜色ない気品の持ち主』と言われています。若だって出席していればまちがいなくそう言われていたはずです」

 

 へぇ…… アトレはそんな風に評価されていたんだ。もちろんリップサービスが多分に込められたセリフだろうけど、それでもそれが嫌味にならないくらいには、アトレや王族貴族に遜色ない対応や存在でいれたということ。

 

 知ったからには褒めてあげたいところだけど、ヤブヘビになるからやめておこう。

 

 

 「その答えは、フィリアに通う日になったら分かるでしょう。特別編成クラスには良家のお嬢様ばかりですから、その時に若は正当に評価されます」

 

 ありがとう壱与、君こそ気配り乙女だよ。

 

 「九千代さん、ちょっと無神経じゃない? 私たちはみんな知ってるからいいけど、もし事情を知らない人がいた場合、才華くんがパーティをわざと欠席したみたいに聞こえる」

 

 おーぅ、残念ながら壱与ほど気配り乙女になれない人がいたようだ。でも、ここ2ヶ月で判明したけどルミねえはこと僕のことになると容赦しないからなぁ。

 

 だけど普段やほかのことだと充分気配りできる人です。

 

 「も、申し訳ありません! 若!」

 

 「いいよ、今までどのパーティも欠席している不良息子なのは確かだしね」

 

 そういうことにしておいて、と目配せ。九千代は素直なだけで、勘が悪い子じゃない。

 

 「はい……」

 

 でもやっぱり素直な子だから、シュンとした表情を隠せずにいる。なんだか垂れた犬耳や尻尾が幻視されそうな感じだ。

 

 

 ………お母様の幼少時代も、公的な場への参加はしていなかった。それは桜小路のお祖母様の過剰な心配に因るものだったが、実際には室内であればお母様は参加できた。

 

 いやいや、中々世の中というのは奇天烈なものだ。桜小路のお祖母様の配慮は、僕相手であれば過剰にはならなかったのだから。

 

 「そういえば、アトレさんは?」

 

 空気を悪くしてしまった自覚があってか、ルミねえが話題を変えてくれた。そう、ルミねえはやっぱり気遣い出来る人なのだ。

 

 

 「アトレお嬢様でしたら、受験勉強の真っ最中です。これまでお嬢様は美容関係についての専門的な勉強はされていませんでしたから、今は鬼気迫る勢いで学習中です」

 

 「へぇ、偉いね」

 

 「ルミねぇは、余裕そう」

 

 「うん、余裕だよ。だって過去問題みたけど、あれくらいのことならお養母様(かあさま)にもっと小さい頃に叩き込まれているから。『私が学生時代の頃は、これぐらい出来てないと兄のような鬼に屑呼ばわりされましたよ』って隣でネチネチ言われながら」 (※当然ながら、兄とは“上の兄”を指す)

 

 それは鬼のような兄、ではないだろうか。いや、それでもなかなかにキツイ言い様だけれど。なんだか僕の中の叔母さまのイメージが崩れていく。叔母さまへの尊敬度が1下がりました。

 

 「こと仕事や勉学に関しては、衣遠様はまさに鬼教官でしたからね」

 

 現場証人であろう壱与が言うのだからいよいよ間違いない。となると、やはり例の『厳冬期草むしり事件』の信憑性が一段と増してしまった。叔母さまへの尊敬度が3上がりました。

 

 

 「落ちることのない受験より、才華くんの顔見に来る方が100倍大事で有意義だから」

 

 「アトレが聞いたら嫉妬しそう」

 

 「嫉妬するのはこっち。だって私は一緒に住んでないもの。いつでも顔を見に行こう思えばすぐに見れるアトレさんのほうが、羨ましいよ」

 

 有難いけど重たい愛情はお父様で慣れているけれど、ルミねえの愛情も中々重い。これはむしろ育ての親であるりそな叔母さまの影響だろうか?

 

 

 「お話を初めに戻しますが、若は一度覚えたことを忘れない方なので、教える方としては大変楽です。ですので、雇用先で不興を買うことはないでしょう」

 

 「むしろこのままだと、追い抜かれそうで怖いです」

 

 落ち込まないで九千代、僕には九千代のように仕事することはできないんだから。

 

 なんだか雑談が多くなってしまったけれど、僕の使用人としての最低限の教育は上手くいっている。

 

 なので、問題は最後のひとつ。

 

 

 「それで、一番大事な体調はどう? 見たところ悪くはなさそうでけど」

 

 「うん、主治医の間先生のいいつけをちゃんと守って、日々精進してるよ」

 

 僕がフィリア学園に従者として通うために必要な最大の障害、それは僕自身の健康。陽の光に当たれず、胸の病持ちである僕は、本来なら補助を必要する特別編成クラスのお嬢様の条件の方に合致する。

 

 けれど、それではダメだ。僕はどうしてもお父様が歩まれた道で、お母様の栄光を勝ち取りたい。それに挑みたい。

 

 アメリカで僕の主治医をされていた間霧子先生はまさに神業的な名医で、あの人のおかげで僕の容態は随分良くなった、

 

 先生に処方された薬を飲み、先生に言われた睡眠時間を守り、先生に言われた食事メニューを摂っている。

 

 いや、最後はあまり守れていないかもしれないけど、それでも幼い頃に比べればこうして屋敷内を歩き回れるようになったのだから、大いなる進歩と言える。

 

 

 「若は、頑張っておられます」

 

 「はい、わたしたちも精一杯お助け致します」

 

 僕の身体のことになると、2人は多くを語らない。

 

 「そっか、それなら、うん。でも何かあったときは直ぐに言ってね」

 

 「それは伯父様からきつく言われてるので、ご心配なく」

 

 「無理、心配」

 

 ありがとうルミねえ、ルミねえが常にこう言ってくれるおかげで、僕は無理をできなくなる。どうしても、僕は自分の身体がどこまで出来るかの線引きが下手になってしまうから、注意深く見れて、遠慮なく言ってくれる人がいてありがたい。

 

 

 「あ、それならルミねえも付いてくる?」

 

 「ん? 何に?」

 

 「そろそろね、本格的な外出をしようと思うんだ。だから時間があるのな「行くよ」ら……」

 

 シンキングタイム0.01秒の即答だったね。でも口調は気軽そのものなのは見事としか言いようがない。

 

 

 「ですが、若とルミネお嬢様の2人連れというのも、少々気がかりなところがありますね。2人ともお綺麗ですから、声をかけてくる人が出てくるかもしれません」

 

 「そうですね。ナンパ目的だけでなく、芸能関係の方なんかからも声をかけられそうですし」

 

 「あ、それなら大丈夫。衣遠伯父様も同伴してくれるから」

 

 「え」

 

 「おや、そうだったのですか。それならば安心ですね」

 

 「うん、というか僕が外出するときは、伯父様の許可なしじゃダメ、というのが条件の一つだから」

 

 「衣遠さま、流石です」

 

 「う~ん、上の伯父様と一緒かぁ……」

 

 あれ、どうしたのルミねえ、衣遠伯父様のこと苦手だったっけ。というかその呼び方なに。もしかして下の伯父様は僕のお父様だったりする?

 

 

 「お養母さま以上に厳しい教育を課してくるのが、上の伯父様だからね。そりゃ苦手意識にひとつやふたつも持つよ。『お前はりそなの次を担う者。それを自覚するならこの程度は出来て当然だ。出来なければ凡愚としての己を自覚し、ひっそりと生きるがいい。止めはせん』なんて具合に。そんな風に言われたら気合も入るけど」

 

 負けず嫌いなのは、やっぱり叔母さま似なのかなぁ。今のルミねえを見たらお父様やお母様は何と言うだろうか。

 

 「まあ、私も行くよ。才華くんとお出かけしたいし。なんだかんだで上の伯父様も頼りになるからいてくれたほうがいいし」

 

 「ん、ありがとう。約束は17時からだから」

 

 「日が落ちてからだね。了解」

 

 僕が外出するのは、女装に違和感がないからかどうかを確かめに行くため……ではない。

 

 単純に、長期間の外出に耐えうる体力がついているかを計るためだ。従者として務めるならば、そういう事態もあるだろう。もちろん、九千代や壱与に頼めば動いてくれるだろうけど、それでは意味がない。限界ギリギリまでは自分でやりたい。

 

 初めての外出ということもあり、心なしか僕も心が浮き立っている。アメリカで外出するときは、たいていはお父様と一緒でほとんど車の中だったから。自分の足で街を歩くのは新鮮だ。

 

 まあ、今回も保護者同伴なのは変わらないけど。

 

 

 

 

 外出までの時間は、壱与たちのメイド講座が終わったあとは、自室に戻って服飾の勉強に取り掛かる。

 

 実際は、『Diana』としての仕事になるけど、これも立派な服飾の勉強だ。日本に来て以来、あの子のおかげで新しいデザインがどんどん湧いてくるので、評判も好調。日本に来てからこれまでに描いた中で選び抜いた50枚のデザインには、すでに『売約済』のマークが付いている。

 

 けれど、この2ヶ月で、僕の投稿したデザインは50に届くが、反面直接手がけた服は3着。本格的な衣装のオーダー並みの数だが、実際の作業日数自体はもっと少なく、僕の体力的な問題というわけでもない。

 

 僕は基本的に『Diana』として発表したデザインの注文者から、アレンジの要求があった場合は自分で衣装は作らない。だからこそ『Diana』謹製の衣装はレアだと評判も立っているのだが、これは何もそうしたプレミア価値を上げるためにやっているわけじゃない。

 

 『Diana』としてデザインは、僕の内面を叩きつけるごとくに生み出したもの。だから、僕は、いや『彼女(さいのう)』はそこに他人の手が加わるのを、他人の意見が入るのを厭う。

 

 むろん、他人に意見を取り入れてよくなる事もあるだろう。だが、『彼女(さいのう)』はそれを選ばない。

 

 これは、デザイナーとしての矜持、というより目指すべき形がそういうものであるからだ。自分の内より湧き出したデザインで、見るものを圧倒させるものを生み出す。圧倒させるからには、余計な口など挟ませない。圧倒とはそういうことだ。

 

 

 世界に名だたるデザイナーであるお母様に比肩し得るためには、それくらいの傲慢さと不遜さを持たなければ不可能だ。だからこそ、『Diana』のデザインに余計な独自アレンジを加えようという者ならば、勝手にしろ。ただし自分は作らない。そういうスタンス。

 

 『Diana』が所属する『S&D』は、実際の店舗を持たないネットアパレル。ここは、構成員は全員が全員自分の世界を持ってる上に、表社会に反発するアウトローたちの巣窟。今は纏まっているが、何かのきっかけですぐ解散してもおかしくない無頼のあつまりだ。直接話したことはないけど、メールのやり取りだけでもそれは伝わる。

 

 そんな『S&D』がまがりなりもこうして続いているのは、『Diana』のデザインあってこそだという自負はある。良いものは、人を圧倒するのだから。

 

 だけど、扱うジャンルがストリートやパンク、マッドファッションであるだけに、注文客も拘りと自己主張の塊のような人間ばかりだ。それもわざわざデザインから発注して、実際に完成するまで時間がかかる注文服をネットで買うような人たちならば、特に。

 

 ちょっと背伸びがしたいだけのファッション目的ならば、実際に扱う店舗に行けばいいし、既製服もネットで即日発送で扱っている。ということはやはり、『S&D』に注文するような客は、拘りの塊の如き人種だ。

 

 だからこそ、『Diana』のデザインであろうとも、独自アレンジを施そうとする。それは分かる、実際にその人ならではのアレンジでよくなる事もあるだろう。

 

 だが、それでは一流のデザイナーになれないと『彼女(さいのう)』は断ずる。そんな拘りの客すらも、『これが最高』と有無を言わせぬデザインを示してこその一流なんだ。お母様がそうであるように。自分の色で染め上げる、覇道とはそういうもの。

 

 客の事情に寄りそうならば、パリに居る従姉妹叔母のメリル・リンチさんの方向性になるけど、『Diana』が目指すのは彼女の道じゃない。

 

 『彼女(さいのう)』が目指すのは、自分の感性で最先端を行き、特に気に入ったデザインは実際に自分で作って、これこそがファッションだと示すデザイナー。

 

 直接手がけた衣装が3着というのは、一切のアレンジなしを了承した客の人数が3人ということであり、圧倒できたデザインは、3/50であったという事。やはり未熟、まだまだだ。

 

 だからこそ、妥協はできない。小手先のアレンジなど吹き飛ばすデザインを生み続けるのだと、今日も『彼女(さいのう)』は猛っている。

 

 

 ―――昂ぶる炎の燃料たるにはあまりにも脆く儚い器を、内から壊してでも外に出たいと叫ぶように。




その頃の桜小路家

 「おい夫、君が才華に送ったメールが、私のアドレスに送られてきたぞ」

 「あ、そうか。家族グループに間違えて送っちゃったんだね」

 「まあ家族内のメールなので、問題ないミスだが」

 「仕事のアドレスでは、間違いなんかしないよ。それに、対外的なメールは一応湊や部下の人たちに見てもらってるからね」

 「我がブランドの『顔』は君だからな。イメージは大事だ。おかげで我がブランドの雰囲気もイメージもすこぶる良好。真に大事なものは人柄と人徳というわけだ」

 「そう思うなら、ルナも少しは前に出ればいいのに」

 「嫌だ。面相臭い」

 「もう」

 「いやまあ、本当に必要なら吝かではないが、社交辞令だけの場はどうしてもな」

 「わかってるよ。ルナが気分だけで行きたくないと思ってるわけじゃないことも」

 「理解ある夫で助かる。助かるのだが…… 流石にあのメールはどうかと思ったぞ」

 「え? なにか問題ある内容だったとは思えないけど」

 「ああ、親として子を心配するまっとうなメールだ。しかし……」

 【才華へ。お元気ですか? 体に大事ありませんか? もしも何かあったときは直ぐに衣遠お兄様に相談してくださいね。
 貴方が我が家を離れ、日本へ赴いてから我が家にも色々な変化がありました。
 一つは、貴方の髪の手入れをすることがなくなったので、整髪料を使うことが減ったこと。もう一つは、貴方がいないので卵雑炊を食べる回数が減ったことです。
 今は紅葉に勉強を見てもらっているそうですが、くれぐれも無理をしないでくださいね。
 春には一度顔を見せに帰ってきて欲しいですが、長期間の飛行機移動は貴方の身体に負担となるでしょうから、親としてはワガママを言えません。でも、いつも貴方のことを想っています】

 「この内容を見た瞬間、思わず『Mother!』と叫んでしまったぞ。画面に向けて大声をあげるなんて失態をさせてくれたツケをどう払ってくれる」

 「いや、親として当たり前の内容しか書いてないと思うけど」

 「完全に『母親』として当たり前の内容になってることに気づいてくれ。当の母親はこんな愛情あふれるメールなど送ったことないぞ」

 「それはルナの方にも問題あると思う」

 「まったく、やはり才華は私ではなく君が産んだんじゃないか? 本当にだんだんそんな気がしてきた……」

 「過去の記憶を改竄しないで」
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