黒崎凪は不純物である 作:三世
−2 黒崎凪は憶えている
あの日は、確か雨が降っていた。
梅雨特有のジメジメとした空気の中、母と共に兄を迎えに来ていた。
空手の道場の中は汗臭く、けれど余り不快感もない、人が頑張ったあとの香りがした。
兄は女の子と話していて、私たちに気が付くとぱあっと笑顔になり、女の子に別れを告げるとこちらへと駆けてきた。
兄は少し泣き虫であり、空手の道場ではよく泣いてばかりだと聞いたことがあったため、自分たちに見せてくれるこの笑顔が、私は好きだった。
お揃いの雨合羽を着て、母を道路側に立たせないように二人で守りながら歩いたあの道は、今でも思い出せる。
車から跳ねた水の塊で2人揃って濡れてしまったが、兄は母を守れたからか、嬉しそうに笑っていた。
そんな時だった
道路を横切った先の河川敷、傘も差さずに小さな女の子が佇んでいるのを見た。
兄と目が合い、2人して道路を横断する。道路の横断は危険だとよく学校でも注意されていたけれど、その時はそんな事、全くと言っていいほど考えていなかった。
きちんと記憶しておけばよかったと、今でも後悔している。
先に河川敷にたどり着いたのは兄だった。兄は女の子に話し掛けようと近づく、その時だった。
見たこともないような大きさの、見たこともないような顔をした化け物が、女の子の後ろにいた。
兄はそれに気付いて居ないのか、女の子へとどんどんと近づいていった。
兄の名前を叫ぶ声が聞こえた。
其れが母の声だと気付くのに数秒掛かった。
兄を呼ぶ、返事は無い。
母を呼ぶ、声は届かなかった。
雨は、雨合羽のフードを煩く叩いていた。
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母の葬式の時の記憶はほとんど残っていない。
覚えているのは、死んだような顔をした兄と、声を押し殺すかのように泣く2人の妹。
あの日の3人を思い出すと、今でも罪悪感で胸が張り裂けそうになる。
──あの時自分が止めていれば
──あの時河川敷に行かなければ
──あの時、自分が一緒に行くと駄々を捏ねなければ
母は、死ななかったのだろうか
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その日から、不思議な夢を見るようになった。
兄と同じ蜜柑色の髪を持った、優しそうな青年が様々な物を護るために戦う夢だ。
何故あの時にこの夢を見たのかは分からないが、私はこの夢をどこかで見たような、知っていたような気がしてならなかった。
普段の自分であれば、たかが夢と笑っただろう。
けれど、その時だけは違った。
夢だろうと何だろうと、その時の私は縋ることしか出来なかったからだ。
️例えそれが、地獄への道であろうと。
短くてごめんなさい