暗殺教室 不良児は認められたい   作:ZWAARD

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加えてたくさんの高評価、感想ありがとうございます!

今回も投下しますのでお付き合いください……!


196話 圭一の時間 Ⅵ

 

 足を動かしながら頭も回転させる。

 今の俺には選択肢が提示されていた。

 

 恩人を殺すか、恩人を助けるか。そんな重たい選択肢じゃない。単に、限界まで走ってみたいか、もうやめてしまうのか。たったそれだけのこと。

 

 みんなは俺と一緒に走ってくれている。とっくに限界を超えてるはずなのに、俺が走るのを止めるまで、彼らは止まるつもりがない。だが、そこには俺が背負うべき責任はないという。

 みんながやりたくてやってることだから。みんなが勝手にやってることだから、俺が責任を感じる必要はない。

 

 理屈としては分かる。

 言いたいことは理解できる。

 

 でも、だからって本当に気にしないでいられる奴がいるだろうか?息を切らし、足取りは乱れ、いつ倒れてもおかしくない状況で、自分と一緒に走ろうとしてくれる友人を、アイツらがやりたくてやってることだから、と見て見ぬフリをできる奴が本当にいるのだろうか。それをしてしまえる奴を、友人と呼べるのか?

 

 これがもし、俺がみんなに頼んでいることなら。例えば、俺が止めるまでみんなも走ってくれ。なんて言ったのだとしたら。その言葉を守ろうと走り続けている彼らにもう止めろ、なんていうのは失礼だと思う。

 でも、これは違う。口では何と言っていても、アイツらは俺の為に走っている。なら、そこに責任を感じるのは当たり前の感性なんじゃないのか。そこには、俺が自分の能力を把握しきれていないとか、そんな理屈は関係ない。基準がおかしいとか、そういう話じゃないだろう……!?

 

 やりたいことをやれ。

 

 そんなこと言ったって、自分がやりたいことをやった結果、周りに迷惑を掛ける。例えみんながそれを迷惑だと思っていなかったとしても、そうなる結果を視野に入れ、それを当たり前のことだと思わず、感謝や申し訳なさを感じること。それは、そんなに悪いことなのか……?!

 

 みんなは俺に信頼される為に走っている。

 俺が心配する必要がないくらい強いんだってことを証明する為に、今、必死に走ってくれている。

 

 みんながやりたくてやってることに責任感を感じること。それはみんなを馬鹿にしていることになるのか?みんながやりたいからやってることに、俺が責任を感じる。それは、みんなを頼りないと感じてることになるのか?

 

 人が周りを心配する理由はなんだ?

 頼りない?それもあるだろう。でも、それだけじゃない。危ないと思っているから、何が起きるか分からないから。例え信頼していても、本人に起因しない事故というのは存在する以上、信頼する=心配しないという式は成り立たない。

 

 では、心配すること=責任なのか?

 

 俺が責任を感じる理由はなんだ?みんなが自分のために動いてくれているからだ。みんなが俺の為に走り続けて、危ない目に合っているからだ。端的に言えば、心配しているから。そうなるだろう。でも、それは頼りないと思っているからじゃない。

 

 ……なら、どうして俺は、責任を感じるんだろう。

 

 みんなが頼りないと思っている訳じゃない。

 みんなのことが心配だからだ。

 信頼する=心配しないということではない。

 でも、同時に頼りないと思っていないのなら、心配する必要もないのは事実でもあるわけで。

 

 だったら、俺が責任を感じる必要はないのも事実だ。

 

 だったら、責任を感じる=頼りない、となるのか?

 

 例えばみんなに助けて貰わないといけない状況に陥ったとしよう。みんなに助けを求めて助けて貰えたとしよう。みんなに過労を掛けてしまった。これに責任を感じるとして、そこには感謝と申し訳なさがある。頼りないと思っている相手に、そんなことを感じるだろうか?

 

 分からない。

 

 ……だけど、もし、立場が違かったら?

 

 例えば体育祭の時だ。俺たちは悠馬を助けたかった。だから、手を尽くした。考えつく範囲で作戦を練り、学秀の戦術を見抜き、できることをやった。

 少なくとも、あの時の俺はそれを面倒だとは思わなかった。悠馬の為なら、と手間には思わなかったし、迷惑だとか考えもしなかった。むしろ申し訳なさそうにしていたアイツに説教した側だった。覚えすらある。

 

 悠馬の時だけじゃない。俺は、その時々で自分にできることはやってきた。前原が馬鹿にされた時の仕返し、普久間島での潜入作戦、竹林のE組への帰還、偽殺せんせー事件、イトナが暴走した時や、綾香ちゃんへの授業、2代目との出会い、雪村の触手事件。振り返ってみると、4月から12月に掛けていろんな驚く程に事件があった。

 

 そのほぼ全てに俺は密接に関わって来た。もしかすると、俺が知らない事件もあるかもしれないが、出会った出来事の一つ一つで頭を抱えて思い悩むことはあっても、仲間に対し、面倒臭いとか、なんでコイツのためにとか、思ったことはなかった。

 

 みんなもそうなのかな。

 

 俺がそうだったように、みんなも同じことを思っているのかな。棒倒しの時、悠馬に言ったように、みんなも同じことを思ってくれているのかな。

 

 いや、違うな。

 かな?じゃなくて、思ってくれているんだな。

 

 俺だってこれまで散々やらかして来た。倒れて、泣きギレして、強化人間だと暴露して、いろんな秘密を抱えて。今のE組の空気を使った要因には、間違いなく俺も関わっている。

 

 それなのに、みんなはなんだかんだ、こうやって態度で示してくれている。渚の意見を強く否定したのに、アイツは俺の力が必要だと言ってくれた。もう少年漫画のように殴り合って気持ちをぶつけるようなことは、できない。俺たちがぶつかり合うにはもう、言葉しかないんだと教えてくれた。カルマは、俺が背負った、背負おうとした責任を一緒に背負ってくれようとした。

 

 渚とカルマ。彼らの今日の口論の理由は俺と殺せんせーだ。だが、何のために怒ってくれたのかと言えば、俺の為なんだろう。カルマなんかは特にそうだ。そして渚もカルマに言われっぱなしではないんだぞ、と意地を見せつけるように俺たちに食らいついて来た。一見すると無謀で、常識的に考えれば不可能な作戦に俺たちの力を求めている。力を求めるだけで終わらず、その覚悟は決して半端ではないのだと。

 

 そうか、思えば、そうかもしれない。

 

 E組が始まってから、今日まで。いろんな奴が色んなことに巻き込まれ、周りの奴らも少なからずその影響を受けた。危ない目にあったり、やるせない思いをしたり、危ない目に合わせたり、そして笑ったり、怒ったり。

 みんな、責任を感じていないわけでなかった。申し訳なさを感じてない訳でもなかった。それでもしっかり前に進むことを選んだんだ。今の俺でいう、走り続ける選択肢を選んだんだ。

 

 そして、今は俺と一緒に走ってくれている。

 

 ありがたくない訳がない。申し訳ないはずがない、責任を感じずにいられない。それは極々一般的な感性で、自分の力を自覚したとしてもきっと、捨ててはいけない感覚だ。

 

 責任は感じるべきだ。

 なら、次の問題は何の責任をどう背負うのかだ。

 

 みんなは好きでやっている。そこに対し、俺が責任を背負うことは間違っているのかもしれない。

 

 何故なら俺もそう思うからだ。仮に誰が危ない目に遭ったとして、それを助けるために俺が動いたとする。その時に怪我をしたとして、怪我をした責任は誰ものだ?

 

 事件を起こした奴か?危ない目にあった奴か?そんなもの、考えるまでもない。俺の責任に決まっている。事件を起こした奴が悪いのは間違いない。だが、そこで怪我をするのは俺自身の実力不足だ。自分が強ければ、上手ければ、怪我なんてしないで済む。それだけの簡単な理屈だ。

 

 仮に誰かの指揮の下で指示通りに動いて想定外があったのなら、それは自分だけの責任ではないだろう。だが、やりたくてやっていることなら話は別だ。

 

 ………ゾーンを使えるようになってから、一つ、他人に求めないようにしていたことがある。

 それは、自分ができるんだから、周りにも出来るだろうという考え。こと体を動かすことについては出来るだけ、極力周りに自分と同レベルを求めないようにしてはいた。

 

 "自分にできるんだから、周りもできる"

 これは難しい考え方だと思う。周りへの信頼がないと出てこない発想であるのと同時、自分の能力を自覚しないで当たり前だと思い、周りに同じレベルを求める傲慢さもある。

 

 "これは自分にしかできないこと"

 これだって同じだ。やるべきことを認識して、自分の能力を把握し、理解してなければ出てこない言葉であると同時、自身の能力を過信して周りには出来ないと、期待していないようにも聞こえてしまう、危うい言葉だ。

 

 自覚と傲慢のバランスは紙一重だ。

 行き過ぎれば周りを壊すことになるし、足らなくても周りを危険に合わせてしまう。だから、間を取らなくてはならない。

 

 ……前々から分かっていたことだが、俺はどうにもドツボにハマりやすい思考をしてしまいがちだ。

 

 ついさっき、殺せんせーは言ってくれた。仲間たちが認めてくれた。乃咲圭一は思考力の天才なのだと。

 

 確かにそうなのかもしれない。みんなが考え付かなかったこと、結びつけられなかったことを頭の中で整理して答えを出せているのだから、その分野で周りより秀でていることは事実として間違いないのだと思う。

 

 でも、思考力があると言うのは、判断力があるということではない。それば自分に対する分析だ。判断力が自分にあるのなら、こんなドツボにハマることはないだろう。

 

 俺の中には0か100かしかないのかもしれない。

 考えるとなれば、答えを出すまで動き続ける。

 考えないようにとなれば、本当に何も考えないようにする。

 

 まぁ、性格的に本当に何も考えないことはできないのだが、それでも、目的の為に何かに固執せず、適度に頭を働かせながら、考えすぎないようにする。というバランス調整ができない。

 

 思考はできる。分析はできる。

 でも、実行できるかは別だ。

 

 思考力の天才であっても、実行力の天才ではない。

 

 俺のゾーンは、その実行力や判断力を補うことができる才能なんじゃないのか。それが、俺の強みなんじゃないのか。

 

 思考力の天才の自分に、時間感覚を引き延ばせる才能がある。

 判断力がないのであれば、周りを"見て"自分なりに考えて、判断できる材料を見つけ、頭の中で切って貼って、調理して確信を持って行動に移せる状況にするしかない。

 実行力がないのであれば、実行に必要な手順を考え、迷う要素を排除し、万全の状態を作り出して、行動する。

 

 それでも、自分でできない時、自分1人では手が足らない時に仲間を頼る。俺と同じ結果や精度は難しいかもしれない。でも、着いてこようとしてくれる奴がいる。なら、そいつらが自分と同じ結果を出せるように考える。それが周りからしても出来る、出来ないの範疇にあるのか。それを仲間と擦り合わせる。

 

 これが、他人と関わる場合に俺に求められる役割なんじゃないのか。1人で抱え込まず、みんなと一緒にと言うなら、これくらいして見せるのが、俺の責任なんじゃないのか?

 

 もし、1人で背負うなら、それこそうじうじと悩まず、考えず、誰の目を気にすることもなく、殺せんせーを殺せって。俺が第三者だったら思うかもしれない。

 

 みんなと一緒に考える、みんなと一緒に殺せんせーの結末を選ぶ。そう決めたのなら、これこそが俺の果たすべき責任だ。

 

 みんなの責任を背負うのではなく、みんなで背負う責任の一端を担う。それが仲間として正しい在り方なんじゃないのか?

 

 今、クラスは一丸となっている。俺が走り切るまで止まらない。そんな気持ちをみんなで共有している。

 

 正直に言えば、それでもやっぱり心配だ。

 止めてくれるなら、そうして欲しい。

 

 でも、みんなが俺と一緒に走ろうとしてくれている。

 

 今、俺が走るのを止めたら。それはみんなの信頼を裏切るのと同時、みんなへの信頼を捨てるのと同義なのかもしれない。

 

 そんな義務感、責任感があるのは否定できない。

 でも、それだけじゃない。そんな強迫観念染みた想いだけでなく、みんなの気持ちに応えたいと思う部分もある。

 

 シャトルランそのものは、別に俺の限界を測り切れるものではないだろう。息は切れるだろう、疲れない訳ではないだろう。でも、俺の限界には程遠い。自分の限界に挑む、なんてかっこいいものではない。ここまでは出来ると言う再確認だ。

 

 シャトルラン247回完走。それは前人未到の大記録かもしれない。俺の行動は、そんな記録への挑戦に見えるかもしれない。でも、俺はそんなことより、みんなの気持ちに応えたいと言う気持ちの方が強かった。

 

 信頼とは、甘さや気遣いではない。

 信頼とは、信じて、頼って、任せること。

 

 みんなが俺に走り切ることを望んでいる。それに対して、俺が応えたいと言うエゴを出すなら。みんなを気遣って止めるのではなく、みんなを信じて走り続けること。

 

 それが、人類最強の超人、乃咲圭一としてではなく、今の俺が背負うべき3年E組の乃咲圭一としての責任であり、俺自身が果たしたいと願っている責任だ。

 

 みんなの為に走るんじゃない。

 みんなに応えたいと思ったから走る。

 

 みんなの責任を背負うんじゃない。

 俺がやりたいと思うことを背負う。

 

「ッッ……!!!」

 

 頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 思考はお世辞にもまとまっているとは言えない。

 

 今の結論を出せたのも、いくつか並べている並列思考の一つに過ぎない。きっと、考えるべきことはまだ沢山あるし、考えたいことだってまだまだ出てくるだろう。

 

 それでも、今は走りたい。そう思った。

 

 だから、ほんの少しだけペースを上げる。

 早く走ったから、早く終わる訳ではない。それでも、俺の意思は周りに伝わるだろう。余裕を持って折り返しに間に合う。

 

 気がつけば、もう190回。ここまでくると一般的な女子の全力疾走とほぼ変わらない速度で走らなくてはならない。最終的には50mを9秒で走破するペースになるんだったか。

 その程度の速度ならまだ余裕だ。でも、余裕を持って走りたいわけではない。俺と一緒に走ってくれてるみんなに恥ずかしくないように走りたい。だから、無駄に消耗しないように、でも、手は抜かないで走る。20メートル地点での折り返し、これさえクリアできればシャトルランは苦痛ではない。

 

 思考を抜けて、走り続ける。

 俺のスピードが上がった時、みんなの方からほんの僅かに笑う音が聞こえた。往復する時、みんなを見た時、彼らが苦しさの中で僅かに笑みを浮かべているのが見えた。

 

 俺の気持ちはみんなにしっかり伝わっただろうか。

 あるいは、こんな考えもみんなに失礼なのかな。

 

 影を落とす不安を抱えながら走る。

 

 俺なりに走ると決めたあたりからだろうか。ほんの少しだけ視野が広がったような気がする。

 みんなの走り方、疲労具合が手に取るように分かってしまう。特に拾ってしまうのは、乱れた呼吸とカヒュカヒュと特訓に限界を超えた息遣い。この二つが鼓膜を叩くたびに思考に焦りが生まれる。自分の中に恐怖が生まれる。

 

 俺が早く走っても、シャトルランが終わるわけでなはい。確かに走ると決めたのに、内心では早く終わってくれと思ってしまう。耳に届く苦しそうな声を聞く度に自分の走るという選択肢が正しかったのかと思わず疑いたくなってしまう。

 

 怖い。

 

 背筋が冷たくなる。

 

 気持ち悪くなる。

 

 走っていると、みんなの姿がよく見える。正面から見る奴らの顔は既に疲労困憊で苦しさに顔を歪めている。中には焦点が合ってないやつもいる。後ろ姿が見える奴らは、その足取りが見える。時折り足がもつれて転びそうになったり、膝から崩れ落ちそうになっていたり、足がしっかり立ち上がらず、地面と擦れてバランスを崩したり。

 

 それでも、誰1人として転ばず、止まらず、足を動かし続けた。もう、殆ど歩いてるのと変わらないスピードになっていても、本人はそれに気付かない。バタバタと余計に疲れそうな程にフォームが崩れても、フラフラと体を揺らしながら、走り続けていた。顔は正面を向いていた。

 

 見ていて苦しい。

 

 もういいんだと声をかけたい。

 

 ありがとうと言って終わらせたい。

 

 でも、それを誰も望んでない。そして、俺自身がみんなを信じて走ると決めた。だから、こんなところではやめられない。止めたくないわけではない。でも、止められないし、止める理由にしてはいけない。

 

 仲間から視線を外して自分の正面を見る。

 

 折り返し地点の側に雪村がいた。

 みんなを心配そうに見て、そして俺を見ていた。

 

 声が聞こえてくる。みんな頑張って!と応援することしかできないことへの悔しさが滲んでいる声で。

 雪村は一緒に走っていない。でも、一緒に走りたいと思ってくれているのが手に取るように分かった。

 

 そうか。俺たちは、走りたくても走れない彼女の分まで背負わなくてはいけない。雪村だけでなく、彼女のスマホから声を飛ばしている律の気持ちも、俺たちと一緒にあるのだから。

 

 さらにスピードを上げる。

 

 走って、走って、走り続けて。

 回数は既に230を超えていた。

 

 流石に息が切れる。当然だ。さっきの50メートル走の感覚を思えば、本来ならひとっ飛びの距離を無駄に足を動かして往復しているのだから。程よくゆっくり動くくらいなら疲労感は薄い。でも、必要以上にゆっくり動くのは余計に疲れるもの。

 車だってゆっくり動いてるからと言ってガソリンを消費しない訳ではない。むしろゆっくり動かしすぎると逆に内部の寿命を縮めることすらあるのだと吉田がバイクについて話している時に語っていた。

 

 それでも、まだ余力はある。

 

 なら、そんなもの、使い切ってしまおう。

 

 更にスピードを上げる。早く走ったから早く終わる訳ではない。みんなと同じ疲れを感じたいとか、そんな殊勝な心遣いでもない。ただ、もう2度とこんな機会はないだろうからと、思った。今後の人生でシャトルランを走り切ることはないだろう。公的な記録に残らないからこそ出来る、無茶。

 

 もう50メートルを0.2秒なんて記録を出す余裕はない。だが、普通に年相応の速度で全力疾走をする程度には力がある。

 残り17回。距離にして340メートル。全力疾走して走り切るにはちょうどいい距離だ。

 

 ますますスピードを上げる。

 

 シャトルランのカウント、聞こえてくるリズム感を置き去りに、走る。合図と共に駆け出し、折り返し地点で止まって次の合図を待ってからまた走る。そんなことを繰り返す。

 

 次第に余裕がなくなる。

 

 だいたい、50メートルを5秒で走るくらいのスピードで走り続け、回数が進むごとに焦燥感が生まれる。

 あと何回、あと何回。カウントが聞こえる度にそんな焦りに似た思考が過る。息が上がる。荒れると言う段階を超して、既に乱れている。ぜぇ、ぜぇ、カヒュカヒュと喉の奥から音がする。

 

 あぁ、懐かしい感覚だ。

 

 まだ暗殺を始めたばかりの頃。体力作りの走り込みでよく聞いていた音だ。喉の奥から鉄の臭いがする。懐かしい。いつ振りだろう。こんな風に息を切らすのは。

 

 疲れる。今すぐ止まって息を整えて水を飲みたい。

 こんな風に思うのは本当に久しぶりだった。

 

 体を思いっきり動かす。もはや、ある程度疲弊した状態でなければ叶わないことだ。こんな状況でもなければできないことだ。誰かに危険が迫っている、だからやらなきゃいけない。そんな状態ではない。目的自体はあるが、誰かしらの命が掛かっていない状態でこんな風に体を動かせたのは、……夏休み明け以来か。

 

 夏休み明け、フリーランニングを覚えた頃にやった暗殺ケイドロ。あれ以来だな。

 

 学園祭の時も散々駆け回ったが、あれとは疲れるのベクトルが違う。

 

 ケイドロの時は必死さがあった。烏間先生に追いかけ回されることへの恐怖。ただ悲鳴と愚痴を上げながら逃げてるだけなのに、勝手に上がっていく俺への評価に戦々恐々としながら必死に逃げていた。

 

 そして追い詰められるゴキブリが翼を広げて遥かな青空へ飛び立つが如く、追い詰められた俺は、壁を走ったんだったか。

 

「……ふっ」

 

 あったなぁ、そんなこと。

 今の例えだと、俺が完全にゴキブリと同格だけどな。

 

 思わず笑ってしまった。

 

 すれ違ったヒナがギョッとしたような顔をしたが、そのあと、やっぱり顔が少しだけ緩んでいた。

 

 あのくらいが一番楽しかった。

 

 思いっきり走って、みんなより少し身体能力が高いくらいだった頃。既に命懸けの事件を経験したあとではあったけど、誰かの命が掛かっている訳でなく、自分も危ない目に遭っている訳でもなく、せいぜい捕まれば数学のドリルをさせられるくらいだった、最も気兼ねなく色んなことが出来ていた頃。

 

 忘れていた気がする。

 

 命懸けで何かをする場面が多すぎて、それを背負うのが当たり前だと、そんな風に思うようになっていたのかもしれない。いつの間にか、何かをする=誰かの危機みたいな式が頭の中にあった。動くのには、毎回何かしらの理由がないといけないと思うようになっていた。

 

 体を動かすのは、楽しいことだった。

 

 倒すか、助けるか、殺すか。体を動かす理由がいつの間にかその3択になっていた。

 

 みんなでやる暗殺も、遊びのようだった訓練も、A組に勝つ為に真剣にやっていた時も、みんなで何かをするのは楽しかった。

 

 それこそが殺せんせーが作ろうとしていた空気なんじゃないのかな。

 

 このまま、殺せんせーを殺すとか助けるとか。そんな話をして、みんな楽しいと思えるのかな。

 

『247』

 

 カウントが止まる。

 シャトルランが終わった。 

 

 疾走をやめ、緩やかにペースを落としてみんなを見る。俺が走るのをやめたのを見れる奴らは『えっ、終わったの?』という反応をしたあと、同じくペースを落とし、シャトルランのカウントが聞こえないことを確認して『終わったぁぁあ……』と安堵の顔を浮かべる。一方、竹林たちはまだ終わったことに気付いてないらしく、まだ動き続けていた。

 

 あぁ、周りの音が聞こえないくらい必死なんだ。

 

 察して、そのまま彼らに近づき肩を叩く。

 

「の……さぁきぃ…………?」

 

「ありがとう、もう走り切った。みんなのおかげだ」

 

 他のみんなも殺せんせーが補助しながら終わったことを書いたらしく、みんな音が聞こえないことを確認すると、疲れたぁ!と疲労を見せるのではなく、『やり切った……!』と喜びを露わにしていた。

 

 みんな、言葉にならない言葉を交わしながら、それでも意図は伝わっているらしく、お互いに称え合っていた。

 

 みんな、俺が終わるまで走り切った。

 頭の片隅で、厳しいだろう、流石に無理だろう。そう思っていた部分を彼らは見事に否定し、吹き飛ばしてくれた。

 

 フラフラしてる竹林に肩を貸し、倒れそうになるヒナを支えながら、俺は思った。ようやく、思った。

 

【あぁ、みんな俺に着いてきてくれるんだ。みんな、信頼して、任せて、必要以上に心配する必要はないんだ】

 

 なんとなく、勝手に背負って、勝手に肩の荷が降りた。

 そんな気がした。

 

 みんな、俺が思う以上に強かったんだと。




あとがき

はい、あとがきです。

圭一もようやく少し進めるかなぁ……。
圭一が周りを頼らなかった原因のひとつは、殺せんせーの言う通り、周りが自分についてくることができないと思っていたから。
実際に、同じペースでは走れなかったけど、今回はみんな走り切ることはできた。一緒にやり切ることができた。だから、ようやく周りが自分に着いて来てくれる、ついて来ようとしてくれることを理解できたと。

はてさて、その上で圭一は何を思うのか……。

今回もご愛読ありがとうございます!
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