暗殺教室 不良児は認められたい   作:ZWAARD

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それから誤字報告と修正ありがとうございます!
全くと言っていいほど気付きませんでした(苦笑い)


6話 カルマの時間

 

「すみませーん。タコくださーい」

 

「あいよっ! いいの上がってるけど、どれにする?」

 

「そっちの色ツヤ良い方で」

 

「坊ちゃん見る目あるね! まいど!」

 

 こんな所で何してんだろ、俺。そんなことを考えながら魚屋に出向き、わざわざタコの目利きをしている喧嘩友達を眺める。

 ちなみに、ここで買ったタコは殺せんせーへの嫌がらせで使うのだとか。

 正直、ふつーに勿体ないと思うし、嫌がらせならこんな新鮮なのじゃなくて腐りかけのヤツを置いたほうがダメージデカくないか? 

 

「いやー、買えた買えた。結構良い感じの入ってて悩んじゃったよ〜」

 

「……そうか」

 

「どした、乃咲クン? お腹でも減った?」

 

「どっかの誰かに電話で叩き起こされた挙句、朝市に付き合わされてるからな」

 

「そかそか、タコでも食べる? 生だけど」

 

「タコは苦手だ」

 

「ざーんねん」

 

「何でタコ? しかもわざわざこんな所まで来て」

 

「へ? 嫌がらせの為に決まってるじゃん。手間暇惜しまないってのが嫌がらせの極意だよ〜」

 

「あ、そう」

 

 マイペースな友人に呆れる。

 今、俺の隣を歩く赤髪の男子は赤羽業。ちなみに、業と書いてカルマと読む。基本的に自他共に認めるボッチの俺が友人と言い切れる数少ない同級生である。

 まあ、出会い方はロクでもなかったけど。

 

 なんでコイツと朝市なんかに来てるのか。それは昨日の5時間目終了直後、停学明けで遅刻登校して来たコイツと殺せんせーの初対面時まで遡る。

 

⬛︎

 

⬜︎

 

⬛︎

 

「烏間先生、ちょっと怖いけどカッコいいよねー」

 

「ねー! ナイフ当てたらよしよししてくんないかな〜!」

 

 烏間先生に対して結構好意的な反応を示すクラスの女子たちに何となく口には出さずに同意しながら歩く教室への道。

 俺たちの後ろでまたまた殺せんせーに絡まれてる烏間先生を尻目に歩いていると、いつだったか杉野が座り込んでいた足階段を登った先に見知った赤い髪と好戦的な笑顔が印象深い男が立っていた。

 

「カルマくん……帰って来たんだ」

 

 いち早く気付いた渚が驚いた様に呟く。

 

「よー、渚くん。久しぶり〜」

 

 親しげに笑うカルマに驚く。コイツら知り合いだったのか。いや、同じ学校なんだし、不思議ではないんだが、少し意外だ。

 何処か小動物じみた渚と肉食獣そのものなカルマ。2人の特徴を側から見るとあんまり相性は良さそうには思えないけど。

 

「乃咲クンじゃん。おひさー」

 

「ああ、久しぶり」

 

 顔見知りなので適当に返す。

 それにしてもそうか、カルマの停学明けは今日だったのか。完全に失念してたわ。

 

「わ、アレが例の殺せんせー? すっげ、本トにタコみたいじゃん」

 

 新しいおもちゃを与えられた子供の様な顔で殺せんせーを見ると、俺たちから興味を無くしたカルマが先生に気さくな雰囲気で近付く。

 それを見送っていると渚、茅野、杉野、磯貝に前原、片岡、岡野が近づいて来た。

 

「カルマ……。停学昨日までだったんだ?」

 

「あの問題児がなぁ」

 

「問題児? ねぇ、渚。知り合い見たいみたいだけど、彼ってどんな人なの? 私、E組来てから日が浅いから分からなくて……」

 

「うん。カルマくんとは1年と2年が同じクラスだったんだ。E組(うち)に来た理由は素行不良。2年の時に続けざまに暴力沙汰で停学食らったんだ。そういう人もE組には来るんだよ」

 

「えっと、乃咲みたいな感じってこと?」

 

「まあ、そうなる。もっとも、俺よりアイツの方が断然成績がいいけど」

 

 茅野は引き合いに俺を出したが、事実、カルマがここに落ちた理由の半分は俺と丸っ切り同じだ。

 アイツは教師を殴った。

 もともと喧嘩っ早い性格をしていたが、彼の中にあった彼なりの価値観に基づいて考えた結果、担任が無価値になってしまったとか。

 まあ、俺が知ってることはそんくらいだけど。

 

「乃咲は? カルマとはどんな知り合いなの?」

 

「喧嘩仲間っていうか、喧嘩の師匠というか……」

 

「け、喧嘩の師匠?」

 

「2年の夏だったかな。買い物してたら他校の生徒に絡まれて喧嘩になってな。ボッコボコにされてる時に助けてくれたのがカルマだ。その時は特に何もなく、助けてくれてありがとうって終わったんだけど」

 

「ヤンキー漫画の序盤にありそうな展開だな」

 

「しかもボッコボコってそれも意外な」

 

「もともとそれなりの優等生だったからな。喧嘩なんてしたことなかったし」

 

「て言うか、そこからどう喧嘩の師匠になるのよ」

 

「また絡まれてる所にカルマが来たんだわ」

 

「お前、絡まれすぎじゃねぇ?」

 

 確かに当時はめちゃくちゃ絡まれた。不良たち曰く、俺の目付きが気に食わなかったとか。

 ただ、殴り合いとか嫌だったし、最初はヘラヘラして誤魔化してたんだけど、それが返ってアイツらを刺激したらしく、一方的に殴られるハメに。

 んで、殴られて蹲ってる所に割って入ってくれたのが当時のカルマだった。

 

「まあ、不良たちにも色々あるんだろう。知らんけど。んでまあ、流石に一方的に絡まれてると嫌気も差すし、頭にも来る。殴られたら殴り返して……とかやってたら周りからも不良認定される様になったと」

 

「嘘……。あたし等、今まで乃咲が一方的に殴ってるんだとばかり思ってた」

 

「それもあながち間違いじゃないんだけどな。不良扱いされる様になってからは、手を出される前に恐喝して、それで退かなかったらやられる前にやるって先手を取って殴る様になったから」

 

 そう言えば最近は街中を歩いていても絡まれることは無くなった。コンビニ前の不良の溜まり場を通りかかったり、道を塞いでズカズカ歩いてる連中の前を通ると道を開けてくれる様になったし。

 不思議に思って声をかけるとこれまでのことに対してなのか、急にペコペコと頭を下げてくる始末。

 お陰様でしばらくは平和に過ごせてる。

 

「んで、そんな感じで喧嘩してると偶にカルマと遭遇する訳よ。『お前、赤羽の仲間か?』とか『コイツ赤羽と同中だぜぇ』とかそんな連中に絡まれるから必然的に。んでんで、話してみると意外と気が合ったんで、友達になったと」

 

「珍しいな、お前が友達って言い切るの」

 

「ま、絡まれてる時に助けてくれたことに関しては素直に感謝してるからな」

 

「そっか」

 

 ちなみに、カルマが喧嘩の師匠ってのはアイツ公認ではない。あくまで初めて殴り返した時に参考にしたのがカルマの動きだったってだけ。

 だから、実際にカルマを師匠呼びしようもんなら『はぁ? なにそれ、乃咲クン。厨二?』とか言われて揶揄われるのだろう。

 

 友人との出会いを振り返っていると、カルマと殺せんせーはファーストコンタクトを終えたらしい。

 

「へぇ。本トに速いし、本トに効くんだ? このナイフ。おもちゃみたいだから疑ってたんだけど」

 

 殺せんせーの触手が一本、破壊されてた。

 その光景に皆が絶句している。

 

「……カルマくんは、この今、この場だと誰よりも優等生かもしれない」

 

「渚、どういうこと?」

 

「凶器とか、騙し討ちの『基礎』なら多分、カルマくんは群を抜いてると思うから」

 

「そりゃそうだ。足元にガラス瓶が落ちてたら叩き割って武器にするし、相手が材木持ってれば奪い取って殴るし。喧嘩とか殺し合いだとか、あと嫌がらせならカルマの右に出る奴は居ないだろ」

 

 触手を失い、思わず後退した殺せんせーと、その反応を見て舐めた態度でおちょくりまくるカルマ。

 暗殺を積極的に狙っていく生徒や彼らをサポートする側に回りがちな他の連中にとってカルマは心強い味方になるだろう。だって、カルマは教師(先生)って生き物が根本的に嫌いだから。

 

 その日は、6時間目が歴史の小テストだったのだが、そのテスト中にもカルマは嫌がらせというか、当てつけの様にというか、殺せんせーに攻撃を仕掛けては執拗におちょくり、解答用紙を一足先に埋めると俺たちよりも一足早く颯爽と下校して行った。

 

⬛︎

 

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⬛︎

 

 そんなこんなあり、カルマの復学と殺せんせーとの邂逅があった翌日の朝、つまりは今朝なのだが、朝の5時半にカルマからの鬼電で俺の安眠は妨害され、人生で最も幸福感を覚える時間を奪われた。

 

『タコ買いに朝市行くんだけど、乃咲クン暇だよね? 一緒に行かねぇ?』

 

『暇じゃない。眠い』

 

『んじゃ、駅前で待ってるねぇ〜』

 

 そんなやり取りの後、ぶつ切りされた電話片手に何度欠伸を噛み殺しつつ登校の準備をしたことか。

 お陰様で朝食抜きである。

 

「乃咲クンはさぁ。殺せんせーに暗殺したの?」

 

「烏間先生と変わる前の体育の時間で何回か。基本的に座学中の暗殺は勉強を妨げるって理由でNGだけど、体育は身体を動かしてなんぼってんで身体を使う暗殺ならOKだったんだ」

 

「へぇ〜。ヤれそう?」

 

「無理だな。掠りもしない」

 

「マジ? 乃咲クンに無理なら俺も無理かなぁ」

 

「正面から触手破壊した奴が何言ってんだか」

 

「キミも触手だけなら一本ヤったんでしょ? 渚くんから聞いてるよ」

 

「アレは殆ど偶然みたいなもんだけどな。渚が作ってる殺せんせーの弱点メモのお陰だ」

 

「そんなんあるんだ? 今度見せて貰おっと」

 

 市場で買ったタコを片手に登る本校舎の裏山。

 本校舎から約1km離れた隔離校舎に着いた頃には始業時間ギリギリだった。

 恐るべし、朝市。軽く足を運んだだけでこんなに時間が経つとは。

 

「あ、カルマくんに乃咲。一緒に来たんだ?」

 

「うん。ちょっと殺せんせーについて聞きたくてね。皆んな、おはよー」

 

 教室に入ると我らE組のマスコットの片割れ、渚が出迎えてくれた。十中八九、不良2人の組み合わせに対する心配だろう。

 そんな彼やクラスの連中に爽やかな挨拶をするとカルマは流れる様に殺せんせーの教卓まで歩き、買ってきたタコを置くと、タコの眉間に何処からか取り出したナイフを突き刺した。

 流れ作業の様な嫌がらせ。プロだな。

 

 しかも、雑にタコを刺した様に見せかけて、眉間を1発で貫き、貫かれたタコの体色が白く染まっていくところを見るに、ちゃっかり締めてやがる。

 無駄に手慣れてるな、オイ。

 

「あれ? 皆んな座んないの?」

 

 呆気に取られる俺たちを軽く小馬鹿にしたような態度でヘラヘラと眺めるカルマ。

 

「……座るぞ、渚。カルマの嫌がらせにいちいち反応してたら身が保たないし、時間の無駄だ」

 

「う、うん……」

 

 にしても、タコ。意外と生臭いな。  

 

「皆さん。おはようございま…………す」

 

 クラスの全員がタコにギョッとしつつ、席に着いた頃にやって来た殺せんせーはカルマからの嫌がらせに眉を顰めると、時間経過と共に身体が満遍なく白く染まったタコを抱える。

 どんだけ精度の高い締め方したんだ、カルマ。

 普通、タコ締めるなら眉間だけじゃなく、触手とかも何度か刺すだろう普通。

 

「ごっめーん。せんせーと間違って殺しちゃった。捨てとくからこっち持ってきてよ」

 

「…………ふむ」

 

 タコを持った先生は一瞬だけ姿を眩ますと次の瞬間には触手の先をギャルルルと音を立てて回転させるドリルに変え、職員室に飾っていた小型ミサイルを一緒に抱え、戻ってきた。

 予想斜め上の荷物の登場に驚いているとミサイルの尻から火が噴き出したので再度驚かされる。

 このミサイル、まだ生きてるのか。ちょっと衝撃を与えたら直ぐにドカンといきそうだな。

 

「カルマくん。先生は暗殺者を無事では帰しません。キミに見せてあげよう、このドリル触手の威力と自衛隊から奪っておいたミサイルの火力を」

 

 凄まじい勢いで殺せんせーのドリル触手がミサイルの火の上を行き来する。目で追えないほどの速度の触手を動かすこと数秒。カルマが唐突に何かに対して熱がりだした直後、ポカンと開けていた俺の口の中にも何か熱い塊が放り込まれた。

 熱い、だが、口の中から香ばしい匂いがする。朝食を抜いたから尚更そう感じる。

 

「た、たこ焼き?」

 

「正解です、乃咲くん。キミもカルマくんも今朝は顔色が良くない。朝食を食べていないのでは?」

 

「まあ。カルマに誘われて朝市に行ってたから」

 

「ほうほう。となると、このタコは実際に選んだんですね。ちなみにどちらが?」

 

「カルマです」

 

「なるほど、いい目を持ってますねぇ」

 

 感心した様に頷くとタコ焼きを六個入れたパックを渡される。ひとまず口の中にぶち込まれたのを食っておくが、驚く程に美味かった。

 見た目と小さい頃に食べた印象で苦手意識を持っていたが、時間が経ってみると結構普通に食えるもんだな。殺せんせーの腕の問題か? 

 

 腹が減っていたので貰ったタコ焼きをぱくついてるとカルマが殺せんせーに挑発されているところだった。

 

「先生は暗殺者を無事では帰しません。手入れするのです。錆びて鈍った暗殺者の刃をね。今日一日、本気で殺しに来るがいい。その度に先生はキミを手入れする」

 

 殺せんせーの言葉にカルマが悔しそうに音を立てて歯軋りした。随分と澱んだ殺意を込めて。

 

「放課後までにキミの心と身体をピカピカに磨いてあげよう」

 

 宣言した殺せんせー。

 その笑み、その声音、その立ち姿から分かった。容易に感じ取ることが出来た。

 ああ、今日のカルマは弄ばれるな、と。

 

⬛︎

 

⬜︎

 

⬛︎

 

 カルマは今日一日でさまざまな暗殺を試みた。

 だが、それらは一つとして殺せんせーにダメージを与えることは叶わず、アイツは失敗する度に尽く徹底的に手入れされた。

 銃撃すれば銃を抜く前にネイルアート。

 家庭科の調理実習ではファンシーなエプロンやバンダナを頭に巻かれて。

 仕込みナイフで仕掛けようとしたら、触手一本で身動きを封じられた挙句に髪を七三分けにワックスで固められた。

 

 そんな光景を眺めてるうちに一日が終わる。

 

 結局、カルマは何も出来なかった。

 当然だ。相手はマッハ20のモンスターで、素人とは言っても26人をこれまで相手取って余裕をかましていた超生物なんだから、協調なく単独で闇雲に仕掛けてるカルマが勝てる訳がない。

 

「…………」

 

 負け続けていじけたのか、爪を齧りつつ隔離校舎裏の崖から本校舎を見下ろすカルマ。

 その姿を渚と一緒に眺めていた。

 

「カルマくん。皆んなでヤろうよ。本気で警戒してる殺せんせーに一人で勝てるわけがないよ」

 

「ヤだね。俺がやりたいんだ。変なところで勝手に死なれる方が一番ムカつくもん」

 

「お前の教師嫌いは筋金入りだな。そんなに教師を殺したいのか?」  

 

「……教師ってのは、勝手に死ぬもんだろ」

 

 カルマはやさぐれていた。

 まあ、気持ちは分からないでもない。カルマはどちらかと言えば教師嫌いではなかった。むしろ担任には懐いていた節すらある。

 だが、まあ、それなりに嫌うにはそれなりの理由があるわけで。きっと、カルマの中で元担任が無価値になってしまった理由ってのが今の『教師は勝手に死ぬ』ってことなのかも知れないな。

 

「さて……カルマくん。今日は沢山手入れされましたねぇ」  

 

 顔を緑のしましまにした殺せんせーがこちらに近づいて来る。これは見慣れたナメてる時の顔だ。

 

「まだまだ殺しに来ても良いですよ? 先生がもっとピカピカに磨いてあげます」

 

「一つ確認したいんだけど……殺せんせーって先生なんだよね?」

 

「……? はい」

 

「じゃあさぁ、先生ってさぁ。命をかけて生徒を守ってくれる人?」

 

「もちろん。先生ですから」

 

 カルマが何か良くないことを考えてるのは理解した。何をしようとしているのかは想像出来なかった。

 奴は徐にエアガンを抜くと殺せんせーに向けながら笑った。今日一の爽やかな笑顔だった。

 

「そっか。安心した。だったら……殺せるよ」

 

 次の瞬間、カルマが飛んだ。俺たちとは逆方向。崖の方へ向かって、タン、と軽やかに。

 躊躇いなく飛んだカルマ。銃を構えたままに飛び降りたと言うよりは、倒れる様に落ちていったカルマの動きがスローモーションに見える。

 

「カルマ!?」

 

 奴が崖から落ちたと脳が理解した瞬間。ドクンと心臓が一度、大きく跳ねた。

 

 カルマはゆっくり、ゆっくりと落ちる。俺の視界ではまだ、カルマは崖からは完全には落ちてない。いま、俺たちの立っている地面と奴の踵が水平に並んだところで、嘘みたいにゆっくり落ちる。

 

 走って手を伸ばせば追いつける。まだ間に合う。

 

 思考と現実の速度感が狂い出す。

 見える、間に合う、助けられる。

 だと言うのに、身体が酷く重い。

 

 スローモーションの視界に反して普段通りに巡る思考。そんな思考に反して思い通りに動かない身体。身体が本当に重い。

 液体の中で動いている様な、まるで硬い粘液の中で動こうとしている様な感覚。

 いや、正確に言えば動けない。動けていない。

 

「————」

 

 声すら出せない。必死に声帯を震わせ、落ちゆくカルマに駆け寄ろうと身体中の筋肉を酷使した結果、踏み出せたのはたったの一歩と、絞り出せた一音。

 

「カ————!』

 

 何が起きている? どうなっている? 

 遅い。自分の思考以外の全てが遅い。

 

 これまで生きて来た中で一度たりとも感じたことのない感覚に戸惑っていると、ふと、俺たちの頭上を何かが通過した。

 

「こ————」

 

 殺せんせー。彼だけがこの時間が止まってしまった見たいな世界で動いていた。

 動いていたのだが、なんだか、妙に遅い。一歩だけ踏み出すのに精一杯な俺と比べたら月とスッポンレベルで彼の方が速いのは確かだが、妙なことにその動きを目で追えた。

 

 だが、その動きがカルマの落下する速度よりも遥かに速く、落ちて行くアイツを確実に助けられるスピードであると理解できた。

 理解した途端、急激な目眩を伴って緊張の糸が切れたみたいに身体が崩れ落ちた。

 

「カルマくん、乃咲!?」

 

 渚が駆け寄ってくる。倒れる寸前に彼が支えてくれたお陰で膝を着く程度で済んだ。

 

「か、カルマは?」

 

 俺が聞くと崖を見下ろせる位置まで行くと渚は大丈夫だとジェスチャーした。

 胸を撫で下ろす。地球滅亡なんて世紀の大事件が目の前にあるにも関わらず、友人の死という事件の方が心臓に悪かった。

 

 そこで冷静になった思考が気付く。

 世界が元に戻ってる。あのスローモーションの焦ったい世界ではなく、いつも通りに身体が動き、話したいことが話せる世界に。

 さっきの景色を見た後だと、今見えている光景は普段通りの筈なのに、世界の全てが少しせっかち過ぎる様に思える。

 

 目眩が落ち着いた頃にやっと立ち上がれた。

 

「大丈夫?」

 

「……たぶん。ごめん、驚かせた」

 

 念の為、数回瞬きし、強く目蓋を閉じて、開けて、現実を見る。うん。大丈夫そうだ。

 なんだったんだろう、今のは。

 

「乃咲って貧血持ちだった?」

 

「いや、別に。友達が崖から落ちたりしたら誰でもそれなりにショック受けるだろ」

 

「……それもそっか」

 

 適当に誤魔化すと崖の下からカルマが殺せんせーに抱えられて戻って来る。

 彼の顔を見て驚いた。なんだか、さっきまでの澱んだ殺意が形を潜めているのだから。

 毒気を抜かれた様な表情ってのが今のカルマの様子を表すのに最も適した表現かも。

 

「ぅわぁ……。改めて見るとすっごい高いぃ……。カルマくん、平然と無茶したね」

 

 少し落ち着いてから渚とカルマが飛び降りた崖の下を覗き込むが、はっきり言って興味本位で覗き込んだことを後悔した。

 めちゃくちゃ高い。立って覗き込むだけで股間の辺りが縮み込む様な感じがする。

 

「別にぃ……。今のが考えてた中で一番殺せる策だったんだけどなぁ、これはしばらく大人しくして計画の練り直しかな」

 

「できれば投身自殺みたいな手法はもう勘弁な、見てて心臓に悪いから」

 

「それはね、流石に懲りたからやらないよ。俺がどんな手で殺しにかかっても教師としてのこの人は殺せないって分かったし」

 

 すっげぇ。あのカルマが丸くなってる。

 さっきまで爽やかなのは挨拶するだけの尖ったナイフみたいな奴だったのに今のコイツは素直に負けを認める潔さ見たいなのを身につけている。

 心境に余程の変化があったのだろう。もしくは投身をした時の恐怖で一時的に自分を見失ってるとか。一応、病院に連行しとくか? 

 

「おやおや、もうネタ切れですか? キミを手入れする為の道具ならまだまだあるのですがねぇ」

 

「……殺意が湧く」

 

 ナメてる時のしましま顔で最後まで惜しみなくカルマを煽る殺せんせー。そんな彼にムッとした顔で青筋を立てるものの、やはり、纏う雰囲気が飛び降りる前とは明らかに違っていた。

 殺意が湧くだなんて物騒なことを言っているカルマ。飛び降りる前なら胡散臭い笑みを浮かべて揶揄うように吐き捨てたんだろうけど、今のカルマは素直に感情を顔に出している。

 

「殺すよ、明日にでも」

 

 首を親指で掻き切る仕草で言い放つカルマの顔は明るい。本当にさっきまでの彼とは違う様だ。

 どうやら、殺せんせーの勝ちらしい。一人の不良への手入れが終わったと言うことなんだろう。満足そうに顔に朱色の丸を描いて微笑んでいた。

 

 

 




はい、後書きです。

今回、ようやく目に見える形でタグ回収柄できました。
『集中力チート』とは今回、カルマが身投げした時に起きた、『世界がスローモーションに見える状態』などを指します。
それってどんな力なのって言うと簡単に言うと『火事場の馬鹿力』だったり『ゾーンに入ってる』状態です。

ハーメルン作品でよくある奴だと『魔法少女リリカルなのは』が原作タグになっていて、『とらいあんぐるハート3』がサブタグに入ってる作品によく出てる『御神流・神速』みたいなもんだと思って下さい。
許してください。恭也兄貴が好きなんです。
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