加えてたくさんの感想ありがとうございます!
本日も投稿しますのでお付き合いください……。
洞窟を全員が抜ける頃、勝手に自爆して誰よりも恐怖を楽しんでいた殺せんせーがゼーハーゼーハーと息を切らしながら涙ながらに今回の肝試しに巡らせていた策謀を語っていた。
殺せんせーの目的は俺の考えた通り、あまりにもスキャンダラスな話題が乏しい俺たちにヤキモキした結果とのこと。
「要するに、怖がらせて吊り橋効果を狙ってたと。いや、そんなことだろうなとは思ってたけど」
「まあ、怖くは無かったよな。怖がらせる前にくっつける方に力が入りすぎて狙いがバレバレだったし」
前原たちが口々に感想というか、問題点を指摘するとうつ伏せていた殺せんせーがクワッと顔と声を上げた。
「だ、だって見たかったんだもん!手ぇ繋いで照れる2人とか見てニヤニヤしたいじゃないですかぁっ!上手くいきそうだったペアも居たのに最後の最後で冷静になってイチャイチャやめちゃうし!何なんですか、乃咲くん!枯れてるんですかぁっ!!?」
「うわっ、泣きギレ入った。ゲスい大人だ」
「つか、乃咲に流れ弾飛んでるし」
「てか。乃咲のペアって倉橋だったよな?なんかあったん?」
「いや、別に」
木村からの問いかけに顔を逸らしながら答える。いろいろあったが、ここで答えるとさらに面倒な展開になりそうだ。
疑わしそうな視線を受けつつ、いまだに泣きギレしながらチラチラと俺たちの様子を見ている殺せんせーに呆れる。
「殺せんせー。そういうのそっとしておいてあげなよ。うちら位だと色恋沙汰つつかれて嫌がる子多いよ?」
「そーそ。みんながみんなゲスい訳じゃないんだからさ。どーしても気を遣いたいならさりげなく一緒に居させるとかさ。そのくらいがちょうど良いんだって。殺せんせーは過剰すぎんのよ」
「うぅ………。わかりました……」
片岡と中村さんの説教が聞いたのか、泣く泣く返事をして立ち上がり、姿勢を正す殺せんせー。
ようやく話がまとまったと思い、晩飯に向けてホテルに戻ろうとしたその時、脅かし役の殺せんせーがいなくなり、もはや所々に奇怪なオブジェクトが鎮座しているただの薄暗いだけになってしまった洞窟からキャンキャンと騒がしい声が響く。
「何よっ、結局誰も居ないじゃない!怖がって歩いて損したわっ!!なんなのよ、もうっ……!」
「だからくっつくだけ無駄だと言っただろ。徹夜明けにはいいお荷物だ。さっさと離れろ」
洞窟から歩いて来たのは烏間先生に絡み付くビッチ先生。2人も参加してたのかと思いながら皆の視線が2人に向くと、それに気付いたらしいビッチ先生がそそくさと烏間先生から離れる。
「……なぁ、うすうす思ってたけどビッチ先生って」
「……うん」
ビッチ先生が離れると早速興味を失ったみたいにつま先の向きを変えてさっさと歩き去る烏間先生。
その後ろ姿を流れるように自然と目と顔で追うビッチ先生を遠巻きに見ながらみんなが思案顔になる。
「……どうする」
「明日の朝、帰るまで時間あるし……」
「「「くっつけちゃいますか!?」」」
——結局、みんなゲスかった。
ビッチ先生が覗かせた烏間先生への淡い恋心。
悲惨な過去を持った女暗殺者が仕事先で実直さと堅実さを兼ね備えた防衛省の傑物と出会い、プロとしての矜持を貫く為にアピールを続け、いつしか本気に変わり、自分が恋に落ちる。ここだけ切り取ると映画が作れてしまいそうな内容だな。
「意外だよなぁ〜。あんだけ男を自由自在に操れる癖に」
「自分の恋愛にはてんで奥手なのね」
「仕方ないじゃないのよっ!アイツの堅物ぶりったらワールドクラスよ!!私にだってプライドがある。男をオトす技術だって千を超える。でも、そのどれもカラスマには一切通じなくて、悔しくてムキになって、本気にさせようとしてアレコレしているうちにそのうちこっちがオチちゃったのよ……」
「「「うっ……」」」
顔を赤らめ、俯き、照れながら、何処か恥ずかしそうに言葉を尻すぼませながら呟いたビッチ先生に男子何名かが反応。
「かわいいと思っちまった」
「なんか屈辱」
「なんでよっ!?」
ギャイギャイしながらもハンカチを噛み、悔しそうにしているビッチ先生。マジで烏間先生にオチたらしく顔は満更でもなさそう。そんな彼女を見てクラスメイトたちの心は決まった様で。
「俺らに任せろって!2人の為にセッティングしてやんぜ!」
「あぁ。作戦決行は夕食の時間だ。作戦立てないとな!」
乗り気な前原。彼に続くように学級委員2人も声を上げ、ワイワイと烏間先生をオトす為の作戦会議が始まる。
その様子にビッチ先生も流石に嬉しくなったのか、一瞬、心底嬉しそうな顔をしたが、『やーん、南の島の夕食で告るとかロマッチック〜!』と黄色い声が聞こえた瞬間に苦笑に変わった。
そう、みんな応援しているのは本当だろうが、他人事だから楽しんでいるの紛れもない事実である。
さっきまで殺せんせーの下世話に説教垂れてた連中が掌返して楽しんでいるあたり、結局みんなゲスいのだろう。
「それでは恋愛コンサルタント3年E組の会議を始めます」
「ノリノリね、タコ……」
「同僚の恋を応援するのは当然です。女教師が男に溺れる愛欲の日々……。甘酸っぱい小説が描けそうです」
「明らかにエロ小説を構想してるっ!?」
「でも殺せんせーが書いたら最終的に触手が登場しそうだよな。ビッチ先生の属性的にエロ小説書くなら触手に喘ぐ女アサシンって展開の方がリアリティとエロスを両立させた妄想でこそのロマンがあると思うんだが。どう思う?竹林」
「どう思う?じゃねぇよ!久しぶりに出たよっ!?乃咲の特殊性癖……。その触手への飽くなき興味はなんなの!?」
「いいじゃないか。空想でしかあり得ないロマン。やはり女は三次元ではなく、二次元や空想上のものに限る」
「竹林!?」
あちこちからツッコミを貰いながら会話を続ける。烏間先生がビッチ先生にオチない理由を全員で挙げて行く。
「ビッチ」
「尻軽」
「年増」
「露出至上主義」
「キス魔」
「誰だ今年増っつったの!?まだ20歳だわっ。どいつもこいつも舐め腐りおって、死ねクソガキ共!」
もはや罵倒に近いマイナス要素の列挙に先生激怒。拗ねそうになった所でビッチ先生の愛弟子からフォローが入る。
「まあまあ、まずは潰せそうな問題から潰して行こうよ。今挙がった中で改善できそうなのは……服の露出かな?」
「あ〜。確かに。それなら手早くどうにかできそう」
「だな、まずさぁ。ビッチ先生。服の系統が悪いよ。センスじゃなくてあくまで系統の問題な?」
「そーそー。とりあえず露出しときゃいーや的な感じがするっていうかさぁ。ハニートラップ使いとしてどーなの、それぇ。オトしたい相手の好みに合わせて格好を替えるのってハニートラップ以前に恋愛の基本じゃない?」
「うっ……くぅ………。一理あるわね」
岡野からの正論にぐぅの音も出ない様子で頷く。まあ、露出した時の色気を使った暗殺ばかりして来たからそういう感覚が乏しくなっているのかもな。いわゆる職業病の一種か。
「烏間先生みたいなお堅い日本人の好みじゃないと思うよ?大和撫子なんて言葉もあるくらいだし、典型的な日本人が好ましく思うのはやっぱり清楚系なんじゃないかな?」
「む、むぅ……。清楚系か」
「清楚っつたらやっぱり神崎ちゃんか。昨日着てた服、乾いてたら貸してくんない?ちょっとこの人に着せてみようよ」
「あ、う、うん!すぐ持ってくるね!」
パタパタと小走りで取りに行く神崎さん。
数分とせずに戻って来ると、服を受け取ったビッチ先生はトイレに引っ込み、そう間を置かずに出て来た。
「ど、どうよ?」
「「「なんか、逆にエロい!?」」」
胸元から溢れんばかりのパイ乙、さらりと伸びた色白の手足、あと数センチ上がったら下着が見えそうな丈の裾。
すげーな。神崎さんが着るとめちゃくちゃ清楚に見えるのに、着る人が違うだけでこんなにエロくなるのか。
「ある意味才能だな」
「そもそも全体のサイズが合ってないっての」
「神崎さんがあんなエロい服を着てたと思うと……!」
思わぬ形でダメージを食らった神崎さんが羞恥に耐えるように顔を覆い、背中を向ける。岡島の邪な呟きにめざとく反応した杉野が無言でどつき、一同考え込む。
「ダメだな、何をやってもエロくなる未来しか想像できない。この人からエロを取ったら何も残らないぞ」
「もーいーや。エロいのは仕方ない!大切なのは乳より人間性とか相性でしょ!そっちに切り替えよう」
大切なのは乳より人間性という岡野の言葉に茅野が殺せんせーもドン引きな超スピードで頷いた。
「ていうかさ、そもそも烏間先生のタイプって?」
誰かの呟きにみんな静まり返る。
「烏間先生の好みを知っている人は挙手!」
殺せんせーの言葉に手を挙げるものは無し。うん。ものの見事にだーれも烏間先生の女性関係を知らない。
「……まじかよ、難攻不落すぎねぇ?」
「つけ入るスキが無さすぎるだろ。乃咲は?烏間先生と一番長く接してるのはお前だろ?そういう話しねぇの?」
「しないな、あの人との会話で女性に関する話題なんて職員室で一度あっただけだ。矢田さんも居たよな?ほら、いつだったかの昼休み、職員室のテレビ見た時にさ」
「あったね、私はビッチ先生に、乃咲くんは自主練のお願いについて職員室に行った時だよね?確か……あっ!このCMの女の人を見てすっごいベタ褒めしてたよね!?」
話しているとホテルの大きなテレビにあの時みたCMが映る。思わず指差した矢田さんの指先を追うように音を立ててその先をみる教師2人と生徒たち。その先には警備会社のCMで活躍する霊長類最強の女性の姿があった。
「確か烏間先生にして珍しいくらいにベタ褒めしてたよな。『彼女はいいぞ。顔つきも、体つきも理想的だ。————おまけに3人もいる』とか凄く物欲しそうな顔で」
「「「理想の戦力じゃねーか!!?」」」
「いや、単純に強い女が好きって線もあるだろうけど、そうなるのとなおさらビッチ先生の筋力じゃ絶望的だね」
クラスメイトたちのもっともな反応に冷静に状況分析する竹林。烏間先生の場合、本気でその路線が考えられそうなのが恐ろしい所だ。確かに弱いより強い人を好みそうではある。
「確かにな。烏間先生の場合、ある程度の線引きをしてるって言うか。少なくとも、精神面でも、腕っぷしでもあの人と対等で居たいなら人並み以上の強さは必要だろう。必要だと思う。これまで接してきた印象的に、あの人にとって弱者は対等な相手ではなく、守るべき対象でしか無いだろうから」
「そうかな?烏間先生、僕らには対等に接してくれてるじゃん」
「そうだな。でも、あくまで仕事上での話だ。プライベートではその限りじゃないだろ。今までプライベートで烏間先生と遊んだとか、どっか行ったとかそういう奴はいるか?いないだろ?そこには友情も恋愛感情もない。目的や仕事に必要だと思うから応じてそうしているだけ。その対等な関係の名前は『ビジネスパートナー』って言うんだぞ、渚」
言い切る俺に他の面子が目を丸くする。
なんか変なことを言ったか?自分の発言を顧みて、思案すると杉野が苦笑しながら言ってくる。
「なんか、少し言い方冷たいぞ。らしくないんじゃないか?」
「……そうか?」
「今のは俺も杉野に同意。いつもの乃咲なら『烏間先生は強い人が好きだろうけど、腕っぷしだけの問題じゃないと思う』とかフォローしそうな所なのにな」
……俺らしくない、か。多分、さっき意図的に意識を切り替えた影響なんだろうな。昔の俺ならこう言うだろうとエミュレートし、口がいつの間にか動いていたようだ。
「……しかし、合理的な考え方ではあります。確かに烏間先生はプロとして、仕事として我々との関係に一線を引いているのは事実。それは決して、彼が表面だけ、仕事だからそうしているだけという訳ではないですが、烏間先生に一個人として意識させるのなら、彼の引いた一線に飛び込む必要があります」
殺せんせーからのフォローが入る。
彼の言葉にほぼ全員が納得したようで思案顔になる。
そんな中で、ふと奥田さんが思いついたように手をポンと叩き、上擦った声で浮かんだアイディアを出す。
「て、手料理とかどうでしょう?夕食は確かに豪華ですけど、そこをあえて烏間先生の好みに合わせた物を用意して、一線に踏み込むんです」
「……でもさ、烏間先生って基本的にカップ麺とかハンバーガーくらいしか食べてるの見たことないぞ」
「なんかそれ、ビッチ先生と烏間先生だけ不憫な絵面にならない?私ら豪華ディナー食べてる横でカップ麺とハンバーガーを齧る教師2人。いたたまれなくて食事が進まなくなりそう」
「だな。しかもあの烏間先生がたかが食事の話題で盛り上がるタイプとも思えないし。質素な食事と弾まない会話、その横では豪華なディナーを食べる生徒……。なんか、控えめに言って地獄」
みんながついに沈黙した。腕を組み、眉間に皺を寄せ、唸り、首を捻り、やがて項垂れると声を揃えて一言。
「「「つけ入るスキがなさすぎる!!」」」
「なんか、烏間先生の方に問題があるように思えて来たぞ……?」
「でしょ!?でしょ!?」
「ぅぅ……。先生のおふざけも何度、無情に流されたことか……!」
「確かに堅すぎるんだよなぁ……。鷹岡レベルとまではいかなくても、もうちょい気安く接してくれてもいいのに」
「うーん。打つ手を無くしてとうとう烏間先生がディスられ始めたぞ。流石に理不尽じゃないか、この展開」
思わずぼやく。だが、皆で知恵を振り絞っても答えが出ない……というか、そもそも答えが存在しているかすら不明なので、考えるだけ無駄な類の命題だと思うのだが……。
言うだけ野暮ってもんか。みんなで楽しんでるんだし、水を差して邪魔をする必要もないだろう。
気配を消して、気付かれないようにみんなのもとを離れて、自販機に向かい、水を買う。ちょっと離れた位置でテレビを見ながらみんなの様子を見守っていると、結局答えが出なかったらしく、殺せんせーがとりあえずの指示を出した。
「と、とりあえずディナーまでに出来ることは整えましょう。女子は堅物の日本人が好むようにスタイリングを。男子は2人の席をムード良くセッティングです!気合い入れていきますよぉ!」
「「「はーい!」」」
うん、みんなやる気があるようで何よりだ。これなら俺が手を出す必要もないだろう。2人の席をセッティングとか言っても、やるのは机の運び出しとロケーションの確保程度。5人も男子がいれば終わる仕事だ。
今回、俺の出る幕はない。適当に会話に混じるフリをしながら作業を見守ることにしよう。
結局、俺はみんなに混じりつつも一言も話すことはなく、黙々と作業を続けて、適当な所でフェードアウトした。
そして、すっかり日は沈み、夕食。
ホテルのレストランに来た烏間先生は中村さんや岡野による教師いびりを受け、ビッチ先生の待ち受けるみんながセッティングしたテラス席にめちゃくちゃ困惑した様子で向かった。
烏間先生がこちらに背を向け、ビッチ先生の対面に座ると同時にレストランで大人しく席に着いていた連中が素早く2人を観察できる位置に移動し、彼らの様子をよく言えば見守る。事実をそのまま言えば野次馬していた。
「……?圭一、いかないのか?」
皆が席を立つ中、黙々と食事を続ける俺に磯貝が気付き、不思議そうな様子で言葉を投げかけて来る。
「………あ、そうか」
言われてようやく思い当たる。E組の俺としてはこの場でみんなのノリに合わせて野次馬しに行くのが正解だったか。
席を立ち、磯貝たちの元へ向かう。
いつものメンバーが集まっている。彼らの後ろからぼんやりと食事を進める先生2人を眺める。
「あの2人、上手くいくかなぁ?」
「どーだろ。上手くいって欲しいとは思うよね」
口々に勝手なことを言い出すみんなから意識を外し、何気なく離れた位置で何かを話しているビッチ先生たちに集中する。
——色々あったな、この旅行は。
また無意識に異常な聴力を発揮する。倉橋さんの心音を聞いたり、大して大きくない矢田さんの呼び声が耳が壊れるんじゃないかってくらいの轟音に聞こえたり、今日一日だけで普通では考えられないような異変が俺の身体に起こっていた。
今、こうしている間にもビッチ先生の波長がこの位置からでも伝わってくる。烏間先生に声をかけられて心臓が少し跳ねた。
不意に話しかけられて、少しドキッとした反面、水を向けられたことに微かな喜びを覚えている。
ビッチ先生、本当に烏間先生に気があるのだろう。彼女の意識が目の前の堅物のあらゆる仕草を追っているのが手に取るように伝わって来る。これが誰かを好きになった人物の意識なのか。
——だが、収穫もあった。思わぬ形だが、生徒たちに基礎が身に着いていることが証明できた。この調子で二学期中に必ず殺す。イリーナ、お前の力も頼りにしているぞ。
いつもと変わらない烏間先生の言葉。真っ直ぐで誠実に一人一人に公正な評価を下し、期待を込めて、それをしっかりと伝える。不器用だけど仲間として、プロとしての信頼の言葉。
けど、そこにはビッチ先生とは明らかな温度差があった。
彼の目に映っているのは、イリーナ・イェラビッチという1人の女性ではなく、ロヴロさんから紹介されたハニートラップの達人で、殺し屋のイリーナという仕事仲間なんだ。
ビッチ先生の心臓の高鳴りが落ち着いて行く。楽しげだった波長はどこか悲しげで、寂しそうな波に飲まれていた。
烏間先生に悪意があるわけじゃない。ビッチ先生を見ていないわけでもない。ただ、ある程度の棲み分けがあるだけ。
……うちの親父も。かつて手を挙げてしまった頃の彼もそうだったんだろうか。彼は言った。今も昔も期待していると。俺にそれが伝わらなかったのは、彼のそういう棲み分けみたいなものを推し量ることが出来なかったからなんだろうか。
——どうした?
黙り込んでしまったビッチ先生に烏間先生が問い掛ける。そこにあるのは確かな心配の色。やはり見ていないわけじゃない。
そんな心配をよそに彼女はゆっくりと静かな波の中から浮上させるようにソレを言葉として吐き出した。
——少しだけ昔話をしてもいい?私が初めて人を殺した時の話。まだ12だった時よ。
吐き出したのは殺し屋としてのルーツだった。
唐突な過去の話に烏間先生は少し狼狽えた様子を見せるが、何か言葉を絞り出すでもなく、話したければ話せ、と言わんばかりに口を閉ざし、ビッチ先生に意識を傾けていた。
——うちの国は民族紛争が激化しててね。ある日、私の家にも敵の民兵が略奪に来た。親は問答無用で殺されて、敵は私の隠れたドアを開けたの。殺さなければ殺される。父の拳銃を至近距離から迷わず撃ったわ。
ビッチ先生の行った初めての殺人。殺したかったから殺したのではなく、そうするしかないからそうした。12歳、日本でいう小学6年生か中学1年生の子供が体験した初めての人殺し。
——敵の死体を地下の蔵に押し込んで……。敵が去るまで死体とスシ詰めになって難を逃れた。一晩かけてぬるくなっていく死体の温もり。よく覚えているわ。
彼女の過去は凄惨だった。たった一日の間に起こった様々な事象。初めての殺人、死体と過ごした夜。
人を殺す恐怖も、死体と過ごす心細さも、目の前で親を失う悲しみも俺には理解できない。
だけど、死の恐怖は今回の旅行で知った。本当の恐怖とは感情ではなく、寒さであることを知っている。
まだ幼かったビッチ先生はあの心の底から凍てつく様な寒さに耐えたんだ。何時間も、人を殺した感触と消える死体の温もりや親を失った喪失感を抱えながら。
「……ビッチ先生、強かったんだな」
「ぇ……?」
人に歴史あり。そんな言葉の意味をしみじみと考えながらつい、無意識に溢れていた感想に反応した倉橋さんが顔を上げるが、それに気付かないフリをして、2人の様子を見守る。
——カラスマ。「殺す」ってどういう事か本当にわかってる?
短い問い掛け。だが、その問いかけは俺が今まで生きてきた中で聞いたどんな質問よりも重いものだった。
思い返せば、この旅行の暗殺直前。海上レストランに入る時に彼女は俺たちに何か言いたげな顔をしていた。
もしかするとあの顔の下にあったのはその問い掛けなのかも知れない。本当に殺すって意味を分かっているのか。
俺たちが凶器を向けている相手は、誰よりも俺たちを見ようとしてくれている人で、いつの間にか当たり前に笑い合う様になった相手で、俺たちにとっての恩師。
ビッチ先生で置き換えるなら、彼女がロヴロさんに笑顔で殺意を向けているのと同義。
そりゃあ、一言くらい言いたくなるだろう。壮絶な過去を背負ったプロの殺し屋として、覚悟と意味を問いたくなるだろう。考えさせたくなって当然だ。彼女にとって俺たち生徒だけでなく、烏間先生ですら、人を殺したことのない平和な国に生まれた恵まれた人種に過ぎないのだから。
——湿っぽい話しちゃったわね。それとナプキンを適当に付けすぎ。………好きよ、カラスマ。おやすみなさい。
いつの間にか告白紛いな言葉を残したビッチ先生が食事を切り上げ、こちらに歩いて来る。ツカツカと足音を立てながら、壮絶に頭を抱え、告白するつもりが、殺白してしまったと自分の言動を顧みて子供の様に身悶えている。
「なによ!今の中途半端な間接キスは!?」
「いつもみたいに舌入れろ、舌ぁ!」
「あーもー!やかましいわガキ共!!大人には大人の事情があんのよ!!大体覗き見がバレバレなのよ、パパラッチ共!」
戻ってきたビッチ先生に飛ぶ野次。彼女は彼女でそれに反応し、いつもの様に軽い小競り合いに発展。
ギャイギャイと騒ぐ彼らを見て思う。争いは同じレベルでしか起こらないという。その理屈で言えば割と沸点が低くてすぐにみんなと口喧嘩になるビッチ先生の精神年齢は幼いということになるが、そんな彼女がこの場にいる誰よりも命の重みを知っている大人なのかもしれないと。
「……飯食って寝るか」
けどまあ、今、そんなことを思ったところで意味はない。もう間も無く、俺には関係なくなることなんだから。
みんなを尻目にすっかり冷めた豪華なディナーに手を伸ばす。数時間前まで当たり前に加わっていた喧騒から離れて食べる晩餐は不思議と味がしなかった。
あとがき
はい、あとがきです。
圭一の迷走感……。加えて意図せず意識の波長が見えるようになるわ、聴覚が異常に鋭くなるわ。今の彼は知覚能力がやばいことになりかけてます。
それはそうとビッチ先生の過去がやっぱり重すぎる……。あんな過去があって日常だとあんなコミカルなキャラになるとかメンタル強すぎ問題。この人、英語教師じゃなくてスクールカウセラーとかでも充分やって行けそうですよね。
今回もご愛読ありがとうございます!