──―人々の苦しむ声が聞こえる。弱者たちの嘆く声が聞こえる。
この半終末の世界、人々の絶望、嘆き、悲しみの声が世界中で響き渡っている。
彼らを救わなくてはならない。救済しなくてはならない。安楽死という救済を持って!
こんな苦しい世界で頑張る必要などない。安楽死こそが彼ら弱者にとっての最大の幸福である。
ガイア連合などに苦しむ彼らは救えない。彼らは自分たちのことにしか興味がないのだから。
そう、彼らを救えるのは私だけだ。
──―幸福こそ万物の救済なり! 呪わしき日々を終わらせよう! 幸福に死のう!!
イザナミとキクリヒメの情報を得た静はさっそく自殺者の統計を調べ始めていた。
正直、この悪魔の跳梁跋扈する世界では、何らかの理由で自殺する人たちなど非常に多い。いちいちそんな不審な自殺者など調べてはいられないという感じだ。
だが、確かに奇怪な自殺が増えているというのは聞いている。それは、明らかに首を括った痕跡があるのに、どこにも縄が存在しない不可解なものだ。
しかも、その人々はこれ以上ないほどの幸福な表情を浮かべているということである。それを元にして、警察などに調べてもらうことを依頼し、上がってきた報告書を静はペラペラと捲っていく。
「ふむ……。確かにかなり増えていますね。魚沼でこれなのですから、新潟、そして日本全国でこれが増えているとなると……」
静は警察に対しても強い権限を持っている名家の力を利用して、静はここ近辺の不審な自殺についての情報を調べていた。確かにこの不審な自殺が全国規模で行われているとなれば、かなりの魂が裏で糸を引いている悪魔に集められていることになる。
これらの大量の魂が日本神以外にかすめ取られているとなれば、イザナミの怒りも理解できる。
神は数あれど、自殺を司り、自殺を推奨する神は少ない。大抵の宗教では自殺は禁忌とされているからである。
「自殺を奨励している首吊りの神……。となれば数は非常に少ない、というか絞りこむことはできる。
マヤ神話の女神『イシュタム』。自殺を司る女神。死者を楽園に導く役割を持ち、首つりを行った人々を楽園へと導くことができるとのことだ。恐らくはこの神が黒幕だろう」
「なんでマヤ神話の神が日本なんかでウロウロと……。メキシコにでも戻ればいいのに……」
思わず静はそんな事を愚痴るがそれは凍矢も同じである。
やりたいのならメキシコで好きなだけやればいい。なぜわざわざ日本でやってこちらに迷惑をかけるのか。それが二人の本音だった。
とはいうものの、これも運よく気づけただけであって、あのまま放置していたら、怒り狂ったイザナミが黄泉から地上に降臨することになりだす可能性すらある。こんな厄ネタは早めにどうにかしなくてはならない。
「ちなみに、メシア教が何かしているようなことはない……よね?」
「メシア教は自害は禁止されているのでこういうことは行わないのでは? ……いやまぁそんな禁止されてるからやらない、というのならメシア教があんな状況になるわけはないのですが」
思わず静も凍矢も苦々しい顔になってしまう。一神教で禁じられている教義でメシア教が止まるのなら過激派があんな事を行わないだろう。大量殺戮、洗脳、人体改造、人体実験、どれも一神教で禁じられていることを平然と行うのがメシア教である。
しかし、遺体にはメシア教特有の極端なロウのMAGもないし、桜子に探ってもらったが、穏健派も過激派も動いている形跡はないようである。
「ともあれ、これを放置したらどんどん加速度的に自殺者が増えていくでしょう。ただでさえ世情悪化で不安やら悪魔の犠牲者やらが多発して、一般人の間に絶望が広まっていってます。どんどん自殺者が増えてイシュタムの力が増すのも、イザナミが怒るのも止めなければなりません」
これからどんどん未覚醒者にとって冬の時代がやってくる。そうすれば、絶望からなる自殺者も増えていくことだろう。そうすればイシュタムの力も加速度的に増加していくことになってしまう。
噂を利用して陰でこそこそ動き回っているのは、自分から死を望む人たちに対して救済を与えたつもりになっているのか、それともペルソナ関係の噂システムを利用しているのかは不明だが、どちらにせよ厄介な事になる。噂というものはそう簡単に消えることはできない。彼女を一度倒してもまた容易く復活してしまう可能性もある。
「まあ、さっさと元凶のイシュタムを倒すしかないですね。これから先、一般人にとっては冬の時代でしょうから。私たちも何とか努力はしますが……」
名家の人間にとって「悪魔退治の前に多少の一般人の被害は仕方ないこと」と考えるのが普通である。
そんな彼らが一般人の生活レベルまでどうこう考えるはずもない。それを聞いて、凍矢もぽりぽりと頭をかく。
「ガイア連合でもさすがに、未覚醒の人間を今までの生活をそのまま続けるのは無理だろうなぁ……」
「ちょうどいいですが、凍矢様的にはどう考えているんですか? シェルターで一般人を守っても仕事がないとどうにもなりませんよね?」
静の問いかけに、凍矢は顎に手を当ててふむ、と考え込む。
「とりあえず、新潟や魚沼には結構ロボ部の工場があちこちにできたから、覚醒した一般人はそこで働いてもらう予定。これである程度の雇用はカバーできるけど……。あくまである程度だからなぁ」
覚醒したばかりの人間をいきなり悪魔に戦わせるなど無駄な犠牲が増えるだけである、それならば、貴重な人材はロボ部の工場で働いてもらったほうがいい。
だが、ここでも悪魔を人工筋肉化したりオカルトアイテムに携わるのにも、覚醒している事は大前提となる。
未覚醒の人間ではロボ部の工場では働くことはできないため、彼らに対する雇用を作らなくてはならない。
「後は、サクヤ米の簡易結界で越後平野や各地の田んぼは確保できると思うから、そこで未覚醒者たちは農作業かなぁ。少なくとも、越後平野だけは絶対に守護する事は黒札たちの間でコンセンサスが取れている」
越後平野を守ることができたのなら、そこで大規模な米つくりや農作業が再開できるため、食糧確保的にも雇用作成的にもここを守るのは新潟の黒札の共通認識になっている。
結界で守られた農地での農作業ならば未覚醒の人間でも行えるので、彼らに対して大きな雇用になるだろう。(結界で守られているとはいえ、外で働くのは嫌がるかもしれないが)
幸い、ロボ部の協力により終末後でも動くトラクターやコンバインなども作成してもらえるため、その辺の技術者雇用も期待できるところである。
その他には、佐渡で鉱山採掘の仕事もあるが、さすがに今まで肉体労働をしてこなかった人間たちにいきなり鉱山夫はきついだろう。
大量の未覚醒の人間でもできる仕事といえば、農作業ぐらいしかないのが実情である。
「大量の未覚醒の人間でもできる仕事となるとなぁ。後は取れた農作物の加工、援助物資のパッケージング作業ぐらいしか浮かばないなぁ……」
ノロイ米やノロイ酒の加工作業なども考えたが、未覚醒の人間にノロイ米を触らせたら死亡者多数という事態にもなりかねない。
戦術甲冑 震電でガキを倒して未覚醒の人間を覚醒するのもできるが、覚醒できるのはおよそ五分五分なうえに、終末後だと予約が数年後という事態にもなりえるだろう。
「ああ! そうだ! それこそ漫画王国である事を生かせばいいんじゃん。ガイアアニメーションとかと連携して面白い漫画や小説を書いた人たちにガイアポイントとか個人シェルターとか渡せば素人の漫画家たちもやる気出すだろ。黒札は大抵アニメや漫画大好きだし、お気に入りの漫画家とか保護してくれれば大助かりやん」
新潟は豪雪地方である事から冬は家に閉じ籠る事が多い。そして、冬の間こたつに入りながら、絵を描くという文化が大量の漫画家を生み出す一因になっていると考えられている。
黒札は漫画やアニメが好きな人たちが多いので、それを生み出す漫画家や小説家なら未覚醒でも嬉々として保護してくれるはずである。
「でもそれもごくごく一部だけで到底大勢の未覚醒の人たちを救うには至らないですよね?」
「それは……まあ、はい。」
この欠点は、黒札はお気に入りの作者は救うがその他の面白くない作者は容赦なく切り捨てられる事だ。
出版社でプロデビューするより遥かに難しいだろう。
しかし、それでも必死になってイラストの訓練や小説の訓練を行う事で、紙やペン、インク、もしくはタブレットなど様々な需要を産み出せるはずである。
ともあれ、終末後の話を考えるよりも、今はとりあえずイシュタムを倒さなければ話にならない。
それにはイシュタムを引っ張り出して叩きのめす必要がある。
イシュタムは、最低だとLV21だがこれだけの事を行えるほどの存在が、そんなに低レベルのはずはあるまい。LV70、LV80代を覚悟すべきである。
LV70はあるガチ神霊のくせに何でそんなに姑息に立ち回っているんだか……。いや、逆か。それだけ慎重に立ち回っているからこそ、ガイア連合の網にも引っかからずに魂を集めることができているのか。レベル70ものガチ神霊クラスが慎重に立ち回っていることに脅威を覚えるべきである。
「いやぁ、参りましたわ~」
ふよふよふよと浮かびながらキクリヒメが彼らの元へとやってくる。
「ツテを頼って他の冥府神たちの動向も探ってきましたが、皆揃ってブチのギーレェでしたわ~。日本だけじゃなくて世界各地でも同様の噂が広まりつつあるようで、特に海外の住民たちなんか喜び勇んで首吊りを行う人たちが多発しつつありますわ~。さっさとケリをつけないとまずいことになりますわねこれ」
それはそうだろう。ロシアやアメリカなどまさに生きるだけでいっぱいいっぱいで絶望に捕らわれた人間たちこそそれこそ山のようにいる。そんな人間に自殺した後は幸福になれますよ、となどと甘い噂が広まれば、喜び勇んで死亡する人たちが山のようにいるだろう。
冥府神たちはハデスを筆頭にクソ真面目で誠実な事が多い。死者たちを正しく管理し、彼らの業を判断して正しい冥界へと送る、あるいは輪廻転生させる。それが彼らの役割である。
自然死や寿命、事故死などはともかく、自ら命を絶つという行為に対しては非常に否定的なのが通常の冥府神だ。
自ら命を絶つのを肯定し、その魂を奪いとるというのは、冥府神からしてみれば許しがたいものなのだろう。
「とりあえず、冥府神たちと話をつけて彼らからマッカを貰ってきたので何とかしてくれ、とのことですわ。あとはこれは『呪殺無効』のスキルカードですわ。正直カードがしょぼい分、マッカはそれなりにかっぱらってきましたわ。これで採算取れるでしょう~」
ありがたい。これは助かる。いかにイザナミが怒り心頭だからといってもタダ働きなど赤字もいい所だからだ。ただでさえ借金を抱えている中で赤字仕事はできるだけ勘弁してほしいところだ。
このご時世、冥府神はショタおじレベルの忙しさだろうから、わさわざスキルカードを用意する余裕などない。
その分をマッカ上乗せでカバーしているのだろう。借金を抱えているこちらとしてはありがたいが。
ともあれ、色々なアイテムを買い込んで、対イシュタム戦に備えることにした。
凍矢たちは、イシュタムを引っ張り出すべく、自分の根拠地を離れ、近くの学校の体育館で言われた通りの呪文を唱えてみるが、全く何も起きずにしん、と静まり返る。
「どうやら、高MAGの元には表れない仕組みのようですね。絶望した低レベル、もしくは未覚醒の人間にしか現れないのでしょう。高MAG、高レベルの人間の前だと返り討ちに合う危険性もありますから」
とりあえず、高LVの人間の前に出ないというのなら、静を通して未覚醒の人間に体育館あたりで呪文を唱えてもらい、縄が現れた所で睡眠の秘石で睡眠状態になってもらう。
未覚醒の人間が魅了されて暴れられても縄に突撃して首をくくっても却って始末に困るからだ。そして、体育館の天井から吊り下がった絞首刑用の絞縄の輪っかには明らかにハピルマやらマリンカリンやらの魔術の波動が感じられる。こんなものが目の前に現れては未覚醒の人間は一たまりもあるまい。
しかし、これからどうしたものか。さすがに首を吊るわけにはいかないし。と考え込む凍矢に対して『破裂の人形』は単純明快な回答を出す。
「ふむ。とりあえず……引っ張ればいいのでは?」
の、脳筋発想~!! だが、とりあえず何かをしてみないと話にならない。
凍矢は『破裂の人形』のその言葉に従ってみることにした。
「よし、皆掴んだな。行くぞ!!」
凍矢や『破裂の人形』、キクリヒメたちは、おーえす! おーえす! と現れた絞首刑の縄を縄引きよろしく皆で引っ張り始めた。
LV60代の強者たちが引っ張っても千切れもしない特殊な縄。縄引きよろしくその猛烈な勢いで引っ張られたその縄はいきなり切れたように猛烈な勢いで亜空間へと巻き戻されていった。
「うわぁあああ!! 皆、手を放すなよ!! このまま相手のところまで突っ込むぞ!!」