ぼ喜多の小説(仮題)   作:百合を継ぐもの

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序:後藤ひとりは喜多郁代に恋をした

 きっかけはいっぱいあるけれど、どれが最初だったかはわからない。

 指先の努力に気が付いた時。名前を呼んでこちらに笑いかけてきた時。放課後誰もいない、誰も来ない暗い教室で並んでギターを弾いた時。ライブの時の力強い歌声を聞いた時。

 その時々で未知の感情が積もり山となり、あるいは器に注がれて溢れ出したと表現した方が近いのかもしれない。

 

 あ、好きだ。と思った。

 

 

 後藤ひとりは、喜多郁代に恋をした。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 放課後のいつもの練習の時に、何か違和感のようなものを感じた。漠然とした楽しいという感情の中に、その柔らかくも暖かい感情の中に埋もれていた何か。鋭く差すように激しくて、触れることのできないほど熱いもの。本当はこの時には既に気が付いていたのかもしれないし、本当に気が付いていなかったのかもしれない。

 

 ライブハウスでのいつもの練習の時に、強い知らない感情を覚えた。確かに感じる楽しさの中に、それでも強く叫び声をあげる醜い感情。彼女のかき鳴らすギターの和音と声の調和。その心地良さに酔いしれていた時にふと、彼女が山田リョウに対して向ける表情を思い出した時に感じたもの。

 

 楽しい楽しい楽しい恋しい、愛おしい。

 楽しい楽しい楽しい苦しい、羨ましい。

 

 ライブ活動の楽しさに埋もれて、あるいは埋めて。

 ひとりはまだ大丈夫だった。

 

 ある日の放課後。

 向かい合ってギターを鳴らしていた時に。

 真剣な表情をする喜多を見ていた時に。

 整った鼻梁を視線でなぞって、大きくて輝かしい瞳を見て、ストロークの度に揺れる毛先の繊細さに触れてみたいと思い、小さく色づいた唇に目を奪われた。そしてふと、それまで気づけなかったのが嘘みたいに。もしくは、いよいよ無意識に隠していたものを隠せなくなったのか。

 

 どちらにせよ何かが剥がれ落ちるように、ひとりはある日突然、自分の感情に気が付いたのだ。

 

 気が付いてしまったのなら、もう駄目だった。

 

 

 

 

「ぼっちちゃん? 今日、どうかした?」

「あっ何でもないです! あっごめんなさい今日は……ミスが多くて……」

 伊地知虹夏に声をかけられて、ひとりは慌てて首を振った。

 

 上の空になってしまっていた。今は練習中だというのに、別の事ばかり考えてしまっていて、少しも集中できていない。

 

 そんな風に考えてから、そもそも何かほかのことを考えてすらいなかったことに気が付く。喜多の事で思い悩んでいるのかと思えばそうではない。思い悩むことが怖くて、別のことを考えてしまっていても喜多の事に行きついて、だからそもそも何も考えないようにしていた。

 少しでも頭を働かせてしまえば、喜多の笑顔と日ごろの可愛らしい声と、力強い歌声とが脳を満たす。それはすぐに炎をより猛々しくする薪となる。

 

「いったん休憩にする?」

「す、すみません…………」

 

 虹夏はひとりが何に悩んでいるのかなんて、当然知らないだろう。それでもこうして気を使ってくれて、申し訳なかった。本当にいい人だと思う。とても優しい人だ。

 だからこそ、こんな醜い感情を気づかれたくない。見られたくない。

 

 そして。

 

「……? ぼっち?」

「あっなんでもないです」

 

 ついリョウをじっと見つめていた。可愛らしく小首をかしげる様は女の子らしいけれど、そのあと目を細めてペットボトルの水を煽るその横顔は凛々しく、いつだか喜多の語っていたユニセックスな見た目という言葉を思い出す。

 訂正するべきだと思う。

 

 両方持っていてずるいのだ。中間にいるのではなく。

 

 ひとりは、気づかれないように喜多を見た。喜多はひとりの方を見てはいなかった。ギターの弦を指で押さえたり、リズムを取って練習をしているふりをしながら、リョウを見ていた。

 

 

 ☆

 

 

 

 結局その日はまともに練習にならなかった。誰もが気にするなとは言ってくれたけれど、この問題がすぐに解決するものでないとひとりは分かっている。

 

 誰かをここまで強く想ったことは初めての経験で、そのこと自体に混乱を感じている。

 その相手にはすでに想い人がいて、その想い人は同じバンドメンバー。漫画でありそうな話で、自分のことなのに現実味がない。

 

 炎が収まらない。心を無にして、焼き尽くされて灰になるのに任せても、バンド活動を続けるだけで燃える何かが足されていく。そもそも、灰になってもこの炎はなくならないと確信していた。

 

 恋慕の炎と悋気の炎。お互いを燃料にして、より強くなり続ける。

 

 

 それでも永久で無いのは知れていた。

 どれだけ嫉妬しても、ひとりはリョウには勝てない。リョウを恨むことも嫌いになることもできない。とっても大切な仲間なのだ。

 どれだけ恋焦がれても、ひとりは喜多の心は手に入らない。だからといって簡単に諦めることもできない。こればかりは理屈じゃないのだから。

 

 それでも永久じゃない。嫉妬するのが馬鹿らしくなるほどに二人の関係が深まるだとか、嫉妬する気力も失せるだとか。より喜多の事を愛するようになって、純粋に彼女の幸せだけを願い始めるだとか。

 

 いつだか、二人の幸せを心から願う日が来るのかもしれない。今はまだそのことを考えると泣きそうになるけれど、その日は遠くないはずだ。

 

 ひとりは鏡で自らの顔を見た。普段そんな習慣はないけれど、ふと、今の自分の表情を確認したくなった。

 おそらくは、普段とそれほど変わらない。顔色はよくないけれど、いつもの事だ。

 

「喜多さん……」

 

 気持ちを込めて名前を呼ぶ。

 どんな感情を込めたのか、ひとりにもわからなかった。




 たぶんそのうち続きます。
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