ぼ喜多の小説(仮題) 作:百合を継ぐもの
憧れと恋心が別のものだということに気が付いたのは、それでも比較的早い時期だったと思う。恋愛経験がない喜多郁代には、当初はその二つの区別というものはあっていないようなものだった。路上ライブでベースを弾く彼女を見た時に感じた強烈な何か。それは脳を焼く恋のようだった。事実として、彼女――山田リョウの友人になりたいのではなく特別な存在になりたいと感じていた。友人よりも密に、深く。
相手に尽くしたいと思うこの感情はきっと恋だろうと確信していた。確信していたというと、一度考えて判断したみたいになってしまうけれど、考えてすらいなかった。
それを考えさせられたのは、もう一度焼かれた時だ。
網膜から光としてやって来た強烈なもの。耳朶を叩き脳に染み込んできたような、そのまま脳の皺に絡まるようにして離れなくなったもの。
そういった五感すら超越して、直接胸の奥を内側から支配されてしまったその瞬間。
結束バンドの初ライブの時、もう駄目だと思った。辛くて怖くて、寒かった。
だからこそより強く焼かれたのだ。
網膜に焼き付けられた。鼓膜があなたの音に一度震わされた。恋を知ってしまった。
山田リョウへの恋心だと思っていたものを憧れだと知って。
新たに感じたこの感情こそが恋なのだと知って。
喜多郁代は後藤ひとりに恋をした。
☆
練習中に、ふと視線を横へ向ける。ベースで練習していた頃に比べれば当たり前なのだけれど、ギターというものは思った以上に早く弾けるようになるものだ。
身体が覚えている通りに勝手にギターを鳴らすのに任せた。
ひとりは常に俯いてギターを弾いている。下を向いているから、二重顎気味になってしまっているけれど、それはそれで可愛らしいと思った。
後藤ひとりの魅力を上げろと言われたならば、喜多はそこそこ答えられると思う。見た目が可愛いと言うのはもちろんあるし、ギターが上手いところも必ず挙げたい。いざという時に頼りになるし、それ以外でも、変わったところはあるけれど、基本的に優しくていい子だ。
今は、ひとりの顎が気になって仕方がない。二重顎といえばそれはあまり可愛らしい印象を感じないかもしれないけれど、あの顎が柔らかそうなところを想像してみれば、急に愛おしく思う。あの顎に触れてみたい。顔を上げた時は、輪郭を太ましいと思わないし、ただ単に肌が柔らかいのだと思うから。
さりげなく腕なんかに触れた時はサラサラとして綺麗だったから、今度は顔に触れてみたい。これから寒くなり始めるから、露出は減るし、自然に触れる機会は減っていく。
そう言えば、以前リョウがひとりを撫でていた。まるで猫にするように、顎から首にかけてのところをなでなでと。あの時のひとりは可愛かったなと考えてしまえば、その時はリョウにそうしてもらえているひとりに嫉妬していたことを思い出して、複雑な気分になる。
今、もし目の前であの時と同じ光景を見せられた時に、自分は一体どちらに嫉妬するのだろう。
自分が好きなのはひとりであるのだから、リョウに対して嫉妬するべきなのが確かだろうに、想像上ではどちらに対しても嫉妬してしまっている気がする。まるで両方に気があるみたいで、自分に軽蔑した。
☆
練習が終わって、喜多はすぐにひとりから視線を向けられていることに気が付いた。ふとした時に常にひとりの方へ注意を向けているから、気が付くのは当たり前だ。
話せる機会が少しでもあるというのは嬉しい事だけれど、なるべく何でも無さそうに声をかけることを意識する。
「なぁに? 後藤さん」
「あっいやなんでも!」
普段の友達とする会話と比べてしまえば、こんなものは何も話していないのと変わらない。けれど、それでも楽しいと思えた。たったこれだけで。
「ラッ、ライブ少しでも盛り上がるといいですね」
このまま会話が続くことはないかと思っていたけれど、ひとりの方から続けてくれた。
「絶対楽しんでくれるわよ。皆後藤さんにびっくりしちゃうかもね!」
「えっいやそれは……」
ひとりの格好いいところは喜多が一番知っているつもりだ。すぐ真横という特等席で、直接その身を焼かれたのだから。
「絶対するわよ。だって、後藤さんは凄く……誰よりも……」
そこまで言いかけて慌てて口を噤んだ。それから葛藤する。
「…………………」
ほとんど無意識に言いかけていた言葉を止めたから、最早喜多本人にもこの後に続くべき言葉が何だったのかわからない。けれど、改めて考えて言うことは出来る。
格好いい、とても頼りになる、可愛い、ギターが上手い、特別な輝きを持っている。そんな風に魅力を語ることは出来たけれど、そんな風に魅力を頭の中で列挙していると、好きという気持ちが溢れてしまいそうになって。
「ううん! なんでもない! がんばろーね!」
喜多はそう言いつつ、誤魔化すように微笑んだ。
まだ、決意は固まっていない。山田リョウという一度好きだと思っていた相手。その感情が違っていたと知った時の恐怖の方が勝っている。
だから先程のように不誠実極まりない考えをしてしまうのだ。
リョウのことが好きだと思っていた時のように、もしもひとりの事が好きだと思うこの気持ちすらも間違いだったら。なんだか綺麗なアクセサリが砕け散ってしまうみたいな気がして、怖くてたまらない。
喜多は絶対に誰にも聞こえないような小声で。
「すぐにわかるはず」
波立つ心に、希望を語って静寂を。
☆
観客に向かってダイブした結果気絶してしまったひとりを見下ろしながら、喜多は今度こそある確信を得ていた。初めてのライブの時からずっと考え続けて、ようやく得た答え。
喜多はどうしようもないくらいにひとりの事が好きなのだ。
「私が、ひとりちゃんを支えられるようになるから」
目を覚ましたひとりの手を握り締めて言う。
とめどなく溢れる思いを抑えることなんてできない。なるべくそれが恋慕から来た言葉だと知られないように、想いを伝える。この言葉だけならば、特別な意味合いは含まれていないはずだ。
いつか、ひとりの横に並び立てた時に、気持ちをそのまま伝えたい。それまでは、ひっそりと想うだけにしておこう。
でも、こうやって少しだけ、溢れた分を言葉に変えて伝えてしまっても許されるはず――――――だなんて言う油断が良くなかった。
「喜多さん、ありがとうございます。でも、私は大丈夫です」
この言葉を拒絶ととらえるのはひねくれていると思われるかもしれない。遠回しな拒絶だと捉えることは出来ても、きっぱりとしたものではないはずだ。
それを言ったのがひとりでなければ。
消極的な彼女にしては、充分に強いその言葉が、喜多とひとりとの心の距離を明白にした。
踏み込むことを許さないというその強い意志は、ようやく確信をもって火をともしたばかりの幼い恋心には、あまりにも冷たい。
「あ、あれ? 喜多ちゃん?」
気が付けば、外で待っていた皆の前を通り過ぎようとしているところだった。ここまでどうやって歩いてきたかすらもあやふやだったけれど、大切な結束バンドの人たちの顔を見れば、いくらかものを考えられるようになってくる。
「伊地知先輩……」
喜多の様子がおかしい事には全員気が付いているのか、不思議そうなそれでいて心配そうな顔をして。
「郁代? 何かあったの……」
普段そんな風に表情をゆがめることの稀なリョウが、強く心配した様子でそう聞いてくるのだから、喜多はよほどひどい顔色をしているらしい。
「だ、だいじょうぶです……! あっ、きょ、今日は約束があるので!!」
リョウからそんな風に心配された事への僅かな喜びが、傷んだ心にさらに追い打ちをかけた気がする。ああ、こんな風にならなければ。最初からひとりの事だけを見ることが出来ていたのならば、何かが違っていたのではないかと。
最近ぼ喜多いちゃいちゃのSSばかり読んでたんですけれど、そのあとにこれ書いてるとなんか何書いてんだろ早くいちゃつかせたい。
だのに、あと一話か二話はシリアスっぽくなりそう。胃が痛い。