――少女が、いた。
パッと見、ようやく十を数えたかと言ったくらいの、愛らしい小さな女の子だった。
大きな黒のリボンを結わえた新緑色のボブカットは、
微妙なクセッ毛を伴って豊かに膨らみ、自然、少女の幼さを強調する。
春らしい淡いピンクのワンピースに、胸元に映える真っ赤なリボン。
大きく膨らんだミニスカートの裾から伸びた細い脚は、
太腿を覆う黒のニーソックスに、そのか弱さを一層強調され、
見る者に強い保護感情をもたらす。
そして、その整った面立ちに宿るつぶらな瞳は、
それこそ生まれたての小鹿のように大きくうるんで、
真っ直ぐにルイズを見つめていた。
(――じゃ、ないわよ! 何を考えているのよ、私は)
「こ、これは、どういう事……?」
ようやく、と言った風に、薄桃がかったブロンド髪の少女、
ルイズ・フランソワーズがうめきを漏らす。
程なく、彼女の呟きを契機に、周囲から安堵の息が漏れ、
やがて、どっとした嘲笑が一斉に巻き起こった。
「おいおいルイズ、平民の女の子なんか呼び出してどうする気だ?」
「流石はゼロのルイズ、使い魔のセンスも一流だな!」
心無い罵声に、きゅっ、と唇を噛みしめながらも、ルイズが思考を巡らせる。
メイジにとって、生涯のパートナーを見出す神聖な儀式である、サモン・サーヴァント。
それは同時に、長い伝統を誇るトリステイン魔法学院において、
初等教育の成果を確認する重要なカリキュラムでもあった。
名門貴族の一員として生を受けながら、
生まれてこの方、まともに魔法を成功させた事の無い少女、
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、
それこそ昨晩、人知れず眠れぬ夜を過ごしていた。
強いて意識すまいと、固く瞳を閉じて尚、
自分は使い魔を呼び出す事が出来ないのではないかと言う、
漠然とした不安にその身を包まれていたのだ。
だが、それにしたって、これ程の事態は考えてはいなかった。
人間の使い魔、それも平民、更にあろう事か、あんな年端もいかない、いたいけな少女を、
まるで人攫いのようにホイホイと召喚してしまうとは……!
「あの…… ミスタ・コルベール?」
「ん、ああ……」
助けを求めるようなルイズの口調に、儀式の引率者であるコルベールは、
何ら気の無い返事で短く応じた。
実際、彼自身、内心では非常に困惑していた。
人間の使い魔が召喚されたこと自体、それまでに前例のないケースであったが、
それ以上に彼を戸惑わせたのは、彼女をこの地へと導いたゲートの形状であった。
通常、使い魔を呼び出すゲートは銀色の鏡のような形を成して、召喚者の前に現れる。
だが、少女は常とは異なり、
空間をパックリと断ち切ったかのような、眩い光の扉の中から現れた。
はたして少女が、ルイズの求めに応じて呼び出された存在なのか、
博識でなる彼にすら、判断がつかなかったのだ。
「まあ【契約】してみる、しかないんじゃない、かね?
彼女が君の使い魔なのか、あるいは何かしらのアクシデントでここに現れたのか、
とりあえず、君がコントラクト・サーヴァントを試してみれば分かるだろう」
「あの、で、でも! ミスタ……」
「勉強家の君なら知っているだろうが、サモン・サーヴァントは
やり直しの許されない神聖な儀式なんだ。
こうして彼女が君の前に現れたのも、
きっと、始祖ブリミルの思し召しがあっての事ではないのかな?」
「……っ!」
やんわりとたしなめるコルベールの言葉を、
何とも言えない微妙な表情で聞いていたルイズであったが、
やがて深い諦観と共に、大きく息を吐いた。
神聖な儀式に例外を残すわけにはいかないと言う、彼女自身の生真面目な性格からも、
また、使い魔の召喚に失敗すれば進級が出来ないと言う現実的な理由からも、
少女との【契約】は、避けようのない事態であった。
だが、そのためにはまず、目の前で生まれたての小鹿のように震える彼女との距離を、
何とかして縮めなければならなかった。
「どうしたんだよ、ゼロのルイズ! そんなちっちゃな女の子とも契約できないのか?」
「黙りなさいよ! この子が怯えてるのが分からないの?」
予想外の方向からのルイズの反撃に、観衆の罵声がピタリと止まる。
もともと、【ゼロ】のルイズがどんな使い魔を呼び出すかは、
クラスメイトの間でちょっとした話題のタネであった。
そういう意味では、ルイズはまたとない、恰好の使い魔を呼び出してしまった事になる。
だがそれでも、ここでクラス全員から『幼女の敵』の烙印を押されてまで、
ルイズを罵倒し続けようなどと言う猛者は、さすがにこの場にはいないようであった。
ふぅ、と一つため息をついて、ルイズが再び少女へと向き直る。
先の剣幕に驚いたのか、少女はきょとんと目を丸くしていたが、
少なくともそこに怯えの色はない。
とりあえず、ルイズが少女の敵ではないと言う事だけは、分かってもらえたのだろう。
「あ、あ、あっ! わ、わたっ、ここは、えと」
「あのね、大丈夫だから、少し落ち着いて……」
「え? ふ、ふぇ、ク、クロワァ~~」
(……うぅ、しょうがない、わよね?)
胸中の罪悪感を噛み殺し、ルイズが決心を固める。
これだけ動揺をきたしている少女が相手では埒が開かない。
このまま彼女をさらし者にし続けるくらいなら、
多少強引でも、通過儀礼と割り切って儀式を進めるべきだと考えることにした。
「――五つの力を司るペンタゴンよ――」
「……ふぇ?」
少女の呟きを無視して、ルイズが一心に詠唱を紡ぐ。
一体何が始まるのかと、再び顔色を曇らせる少女の顔へ、
呪文を終えたルイズが口元を近づけ――。
「!?」
「…………」
――そして、唇を重ねた。
・
・
・
「――ぷはっ!」
十分に儀式を遂行した事を確信し、ルイズが距離をとる。
少女の唇を奪うと言う行為に、少なからぬ抵抗感はあった。
間違いなく今の自分の顔は真っ赤に染まっている事だろうと思う。
だが少なくとも、コントラクト・サーヴァントの儀式は滞りなく終了したのだ。
あとは、使い魔の証が刻まれさえすれば、全ては丸く治まるはずであった。
ゴクリ、と固唾を飲んで一同が見守る。
本来なら、ルイズの動揺を笑い飛ばしても問題ない場面であったが、
ルイズの瞳に満ちたただならぬ緊迫感が、その場を完全に支配していた。
そして、変化は起こった。
しばしの間、少女は何が起ったか分からないかのように、呆然と中空を見上げていたが
やがて何かに気づいたように瞳を丸くして、ビクンと両肩を震わした。
驚きはやがて理解に変わり、吸い込まれるような大きな瞳に、
今にも零れ落ちんばかりの大粒の涙が溢れる。
大きく歪む表情、固く喰いしばった奥歯の奥から、ひぐっ、という嗚咽が漏れる。
(――ヤバイ?)
ルイズがそう思った時には、既に遅かった。
「 う わ あ あ ぁ あ あ あ あ ぁ あ ぁ ぁ ~ ん !! 」
……泣いた。
泣かせた。
――幼女の敵は、ルイズだった。
「 ふ え ぇ え え ぇ ぇ え ぇ え ぇ ぇ ~ ん !! 」
「あっ! ちょ、ちょっと待って!?」
ルイズの制止など、もはや少女の耳には届かない。
パニックとなった少女は、猛スピードで泣きじゃくりながら、明後日の方向へとひた走る。
自然、彼女の向う先で、潮が引くようにさっとギャラリーが割れる。
「ちょ、ちょっと! アンタら、何で避けるのよ!?」
即座にルイズの罵倒が飛ぶが、それも無理からぬことであった。
居合わせた一同は、少女が奇妙な形のゲートから現れたのを目の当たりにしている。
先ほどは一笑に付したものの、
少女が得体の知れない何かではないかという、漠然とした不安は漂っていた。
それがあんな風に、突然絶叫と共に突っ込んできたとなれば、避けない方がどうかしていた。
「んもう! 何やってんのよ、マリコルヌ? 千載一遇のチャンスじゃないのよ!」
「な、何だと! お前、僕を何だと……」
「ヘタレッ!!」
級友に理不尽な罵声を浴びせつつ、ルイズが少女の後を追う。
我に返ったコルベールが、慌ててルイズに声をかける。
「ま、待ちなさい、とりあえず、この場は皆で……」
「あの子は私の使い魔です、私が何とかします!」
コルベールの諫めも聞かず、ルイズの姿もまた、砂塵の彼方へと消える。
――そして広場には、微妙な空気だけが残された。
コホン、と一つ咳払いをした後、コルベールがたどたどしく口を開く。
「……えぇ~、まぁ、彼女も無事に召喚に成功したようですし、
とりあえず、この場は解散するとしましょう」
・
・
・
いつしか少女は茂みの中、大きな木の根元に座り込んで泣いていた。
「うう、どうして……、お姉ちゃん、クロワ……」
力なく、大切な人たちの名前を呼ぶも、応えは無い。
どうしてこんな事になったのか?
今にも不安に押しつぶされそうな少女の胸では、冷静に今の事態を鑑みる事が出来ない。
『いい、ユーリ?
お利口さんなあなたなら、ちゃんと分かっていると思うけど、
これからの事、もう一度だけおさらいしておくよ』
孤独な少女の脳裏に、旅立ちの時の姉の言葉が漠然と甦る。
『これからあなたの向かう【レトロシェーナ】では、
私たちの住む世界、【フィグラーレ】の存在は、絶対に秘密にしなければならないの。
『レトロシェーナの人達に、自分の正体を話す事はもちろん、
魔法を使って【星のしずく】を採る所を、向こうの人達に見らてもダメ。
『特にユーリはまだ子供なんだから、あっちに着いたら、
ちゃんとクロワの言う事を聞かなきゃダメだよ』
フィグラーレの秘密。
それは少女はもちろん、異世界に赴く者ならば、誰もが守らねばならない不文律である。
だからこそ、二つの世界の行き来には、大きな制限が課せられるし、
ゲートをくぐる際も、レトロシェーナの人達に知られぬよう、万全を期して行われるのだ。
初めて少女がレトロシェーナへ渡った時は、お伴のクロワが万全の手配をしてくれていた。
一度、彼女とはぐれてしまうというアクシデントこそあったものの、
その時は、たまたま通りがかった優しい男の人が、少女の事を助けてくれた。
だから少女は、二度目のレトロシェーナ行きについても、何ら心配をしてはいなかった。
レトロシェーナで待つクロワには絶大な信頼を置いていたし、
何より、永遠に失われたと思っていた大事な夢を、
もう一度取り戻すチャンスを姉たちがくれた事、
その強い希望の光が、少女の中の不安の種を消し去ってくれていたのだ。
それに、レトロシェーナに行けば、もう一度『彼』に会えるかもしれない……。
そんな淡い期待も、少女の胸の内で、静かに脈づいていた。
――だが、今回は、前のようにはいかなかった。
ゲートをくぐった途端、少女の耳元を襲った爆音。
光の先にあった、先日のレトロシェーナとはまるで異なる光景。
突如として自分に向けられた、人々の嘲笑、罵倒――。
――そして、
「見つけた!」
聞き覚えのある女性の声に、はっ、と少女が顔を上げる。
はたして視線の先には、薄桃色のロングヘアーが特徴的な、件の女の人がいた。
「ひっ!」
反射的に、少女がその場から後ずさる。
その表情からありありと窺える恐怖の色に、どうしたものかとルイズが頭を掻く。
「えと、あのね、お願いだから、わたしの話を聞いて」
す、と差しのべられたルイズの手を、いやいやと少女が押し返す。
「ねえ、大丈夫よ、もう何もしないから」
「……嘘」
「嘘なんかじゃないわ、だって私達は――」
「嘘だもん! だって、だって……」
ひぐっ、と、少女の喉の奥から嗚咽が漏れる、思わずルイズもぎくりと身構える。
「だってわたし、初めてだったんだもんッ!!」
「――ッ!?」
「それなのに……、ひどい、ひどいよ! お姉ちゃん」
突き刺さるような少女の悲鳴に、ルイズの心臓がどくりと跳ねる。
こんなにも幼い少女が、ファースト・キスを失った事で、
ここまで深く傷ついていると言うのも、いささかショックではあったが、
それ以上に、少女の叫びが示すもう一つの意味が、ルイズの意識をいたく動転させた。
(この子は、コントラクト・サーヴァントの意味を知らない)
茫然とルイズが呟く。
幼い平民の少女が契約の儀式を知らないと言うのは、別段おかしな話では無い。
だが知らずとも、彼女がルイズの使い魔であるならば、
あれがどう言うものなのか、本能的に理解が及ぶ事であろう。
それを目の前の少女は、ただ唇を奪われただけ、としか思っていない……。
心中の動揺を抑えながら、泣き続ける少女の姿をまじまじと見つめる。
印は無い。
手にも、首筋にも、太腿にも、顔にも。
おそらく、服を脱がせて調べたとしても、結果は同じであろう。
(私は、使い魔の召喚に、失敗、した……?)
ルイズの視界がぐらりと揺らぎ、足元も見えぬほどに暗転する。
自分は落第だ、
あれほど頑張ったと言うのに、
ついにメイジの基本たる、使い魔の召喚すらも果たせなかった。
家族には一体何と言えば良いのか。
いや、その失敗の挙句、こんな赤子のような少女を抱え込んでしまって、
これから自分の人生はどうなっていくと言うのか。
自分がまともに立てているのかも分からぬ中、ただ泣きじゃくる悲鳴だけが、
ルイズの嚢中をガンガンと揺さぶる。
「……やめて」
「うわあああん!」
「お願い、だから……」
「もう、やだよおぉ」
「……泣くのは」
「クロワ、どこ? クロワァ……」
ぷつり、と
ルイズの中で、何か大切な糸が音を立てて切れる。
――刹那、ルイズは叫んだ。
「私だって……私だってッ は じ め て だ っ た ん だ か ら ァ ―― !!」
「……ふぇ?」
突然過ぎるルイズの謎の告白に、泣くのも忘れて目をパチクリさせる少女。
耳まで真っ赤に染め上げ、大きく息を荒げ茫然とするルイズ。
間。
間。
間。
――ひどい事になった。
「――ハッ!」
ようやく我に返ったルイズが、自身のあまりに間抜けすぎる言動に頭を抱える。
(バカ! バカ! 私の馬鹿ッ!!
こんな小さな女の子相手に、一体なにを口走ってんのよぉ~!!)
たちまち、ちんまりとした小動物のようになってしまった桃色頭に、
いたたまれなくなった少女が、おずおずと声をかける。
「あ、あの」
「…………」
「こういう時は、深呼吸したらいいんじゃない、かな?」
「え、ええ…… そうね」
「すぅー はー すぅー はー」
「すぅー はー すぅー はー」
つい先ほどまで泣きじゃくっていた少女に気を使われるルイズ。
深く考えると、あまりの情けなさに涙が出てきそうな状況であったが、
ともあれ、少女と打ち解けると言う、当初の目的は果たせたようだった。
「あの、さ こんなところで話し続けるのも何だから……」
「……ユーリ」
「え?」
「あの、わたしの名前、皐(さつき)ユリーシアって言います。
だから、ユーリって呼んで下さい」
「そ、そう」
ルイズが自らの迂闊さを恥じる。
ようやく泣きやんだ少女は、思っていたよりも随分としっかりとした性格のようであった。
「ごめんなさい、挨拶が遅れたわね。
私はトリステイン魔法学院のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
「えと、とり……ど、ら、ば……?」
「……まあ、私の事もルイズで良いから。
あ、それと、コレ」
「あ……!」
差し出された物にユーリが驚きの声を上げる。
ルイズの右手に握られていたのは、
フィグラーレを離れる際、姉より手渡されたポシェットであった。
「来る途中に落ちてたから…… これ、あなたのでしょう?」
「は、はい、そうです。
あの…… ありがとう、ルイズさん!」
出会って以来はじめて目にした、溌剌としたユーリの表情に、ルイズがドキリと面喰う。
間近で見た笑顔は、召喚の際に少女から感じた得体の知れなさを払拭するのに、
十分な魅力を秘めていた。
その段になって、ようやくルイズは手順を間違えていた事に気が付いた。
まずは少女を安心させ、彼女の置かれた状況をしっかり説明する。
契約の話など、少女が冷静に話を聞ける状態になってからでも充分だったのだ、と。
「あ、じゃあ、とりあえず、私の部屋に行きましょうか、立てる?」
「はい……、え?」
「……ん、どうかしたの?」
茫然と眼を見開いたユーリに、ルイズが問い掛ける。
ユーリは答えず、差し出されたルイズの手を握り返しながらも、
その視線は遥かな上空を追っていた。
「月が…… ふたつ?」
・
・
・
――夜。
学院内のルイズの自室では、ようやく打ち解けつつある主従?の
コミュニケーションが行われつつあった。
「どう、少しは落ち着いたかしら?」
「はい! ココア、ごちそうさまでした」
空になったカップをテーブルの上において、ユーリが満面の笑みを見せる。
コロコロ変わる少女の表情に、思わずルイズが苦笑する。
「えっと、と、ところでね、ユーリ……」
「はい」
「あのね、その……、どこか、ケガとかしてない?
体のどこかが痛いー、とか、ヤケドするように熱い、とか……」
「え……、ううん、何で?」
「あ、ううん、無事ならいいのよ! アハハ……」
笑ってごまかしながらも、ルイズの内心は複雑なものであった。
(やっぱり、ルーンは刻まれていないのかしら……?)
元より、彼女が自分の使い魔ではない可能性は覚悟していた。
が、改めてそれが現実味を帯びてくると、言葉にしがたい焦燥感がルイズを包む。
少女の体に契約の証がないか、
できればすぐにでも調べたい衝動に襲われたが、それが出来る筈もない。
そんな事をすれば、眼前のおませな少女との間にようやく築いた信頼関係が、
砂上の楼閣のように崩れ落ちてしまうだろう。
「それで、ユーリはどこの国からやって来たの?」
「はい、私はフィ……!」
「フィ?」
「い、い、いえ! す、すごく遠い所、だと、思う……」
「…………?」
まるで要領を得ない発言と、ユーリの妙に慌てた態度に、
ルイズが訝しげに小首を傾げる。
(サツキ・ユリーシア…… 『皐』
この辺りの国では、まるで聞いたことも無いイントネーションだったわ。
それに、姓を名前の上に持ってくる風習は、多分、ハルケギニアに住む民族のものでは無い
おそらく、それは例えば、風聞に聞く東方の氏族とかの……)
ルイズはしばし、少女の整った顔立ちを訝しげに見つめていたが、
やがて、意を決したように口を開いた。
「ねぇ、もしかしてユーリは、
【ロバ・アル・カリイエ】の何処かからやって来たの?」
「え、ろ、ろば? あ、うんと、あの……」
(……なんか、微妙な反応ね、あるいは東方の出身だからこそ、
こちらで自分たちの国がどう呼ばれてるか知らない、とか?)
何やら曖昧な少女の態度から、ルイズが想像力を働かせる。
ハルケギニアのはるか東、広大なサハラの先にあるロバ・アル・カリイエ。
時折、このトリステインの地にも、東方ゆかりと謳われる品々が市場に出回る事があったが、
両大陸の中間点となるサハラの一帯が、長らく人類の仇敵である、
エルフに占拠されていると言う事情も手伝い、
その実情は、文化や風俗のほとんどが世間には知られていなかった。
(……うーん、故国の名前も場所も分からないんじゃ、帰してあげようがないんだけれど
あまり深くつっこまない方がいいのかしら?)
そこでルイズは、ひとまず出身地の詮索は諦め、質問の切り口を変えてみる事にした。
「それじゃあ、ユーリのご家族は、兄弟とかはいないの?」
「あ……」
ルイズは一瞬、今度の質問も、曖昧に拒まれるかと思った。
だがユーリは、たちまち表情をほころばせ、明るい声でそれに答えた。
「は、はい! 私には、二人のお姉ちゃんがいます。
それで上の姉、ローザお姉ちゃんは、プリマ・プラムもつとめた、
国内でも有名なステラスピニアなんです!」
「へ? プリマ、ス……なに?」
「あ!? あの、え~と、そうじゃなくて……!
そう、ローザお姉ちゃんは、この国の魔法使いさんみたいなお仕事をしてるんです」
「え、メイジ!?
ユーリ、あなたって、貴族の家の出なの!?」
「え、えと、それは……」
言い淀むユーリの前で、ルイズが驚きの声をあげる。
少女の幼い出で立ちから、ルイズはてっきり、彼女が平民の生まれであると思っていた。
だが、年端もいかない少女、それも、こちらとは風習の異なる東方出の人間が、
正式なメイジの格好をしていなかったとしても、何ら不思議では無いだろう。
再びむっつりと思案に入ったルイズに対し、取り繕うようにユーリが声を上げる。
「あの! お仕事をする時のお姉ちゃんって、本当にかっこいいんだよ!
大空をキラキラって飛び回って、その魔法の力で、国中の人々を笑顔にしてあげるの」
「……そう言えばユーリ、さっき、上の姉は、って言ってたわよね」
「はい! もうひとりのエレーナお姉ちゃんは、えと……、しょ、職人さんなんです。
魔法使いさんのための杖を作ったり、
ローザお姉ちゃんの集めた材料で、魔法のお薬を作ったりとか」
「職人……」
ユーリの言葉を口中で反芻する。
トリステインの貴族にも、厳しい領土経営の支えにと、
秘薬の精製や錬金を商売にする輩は多い。
だが、マジックアイテムの製作のみで身を立てるメイジとなれば、
それこそ一部の高名な術者に限られるだろう。
水か、土か……、少なくとも彼女の姉が、
高度な魔法を修めたメイジである事だけは間違いない。
(それにもう一人のお姉さん、ユーリの話からすれば、
国中を回る巡察官、と言ったところかしら……?)
それにしても、と、
安堵の息を一つついて、興奮冷めやらぬ眼前の少女を見やる。
「ユーリはお姉さんたちの事が大好きなのね」
「うん!」
表情をはなやかせ、満面の笑みでユーリが答える。
「お姉ちゃんたちは私の憧れで、
私もお姉ちゃんみたいなステキな魔法使いになりたいです。
それで、その魔法の勉強のために、えと、隣の国に行くところだった……、の」
「……そっか」
その先は聞くまでも無い。
隣国への移動の最中、ルイズの魔法に巻き込まれてしまったというわけだ。
ふっ、と、わが身に降りかかったアクシデントを思い出し、ユーリが窓を見る。
宵闇に輝く満点の星空、そこに見える月はふたつ。
(ここがレトロシェーナだったら、フィグラーレと裏表の世界のはずなのに……)
学園対抗戦を行うため、彼女が赴くはずだったもう一つの世界・レトロシェーナ。
ふたつの世界は、魔法の意味合い、それに『かがく』の在り方が違い、
自然とその歴史、文化も大きく異なるらしい。
だがそれでも、天空にきらめく月の数が変わったりするはずはない。
(この世界は、レトロシェーナ、ではないの……?
でも、こんな世界の存在は、お姉ちゃんたちも、クロワも、
プラム・クローリスの先生たちも教えてはくれなかった)
一体、自分の身に何が起こってしまったというのか。
不意に漠然とした不安にかられたユーリは、
おもむろに小さな両手を、顔の前へと持っていき……。
「ぎゅうぅぅぅ~っ」
「ユ、ユーリ!」
と、思いきり自分の頬をつねった。
「うう…… 夢じゃない」
「ええと、気持ちは分かるけどね……」
つぶらな両目いっぱいに涙をためたユーリに、ルイズが苦笑する。
だが、その空笑いもすぐに陰る。
(――これから私は、どうすれば良いんだろう?
ユーリの言葉が正しければ、彼女は優秀な貴族の家系、しかも……)
しかも、彼女たちの国に、サモン・サーヴァントの儀式は無い。
――神聖な儀式の際に起こったアクシデント、なんて言い訳は通じないだろう。
(こ、これって、もしかして、誘拐?
い、いいえ、そうじゃない! トリステインの名門、ヴァリエールの人間が、
他国の高名な貴族の令嬢を攫ったりしたら……)
――拉致監禁、外交問題、武力衝突……。
無論、名前も知らない、国境も接していないような国と、戦端が開かれようはずも無いのだが、
思考がワヤになった今のルイズには、そんな常識すらも判断できない。
悶々としたルイズの脳内で、負の妄想がたちまち暴走を始め、そして……、
「ぎゅううううううぅぅ~っ!!」
「ル、ルイズさん!?」
「……夢、じゃ、ないわね」
――そして今度は、ルイズが泣く番だった。
「あ、あの! 大丈夫です、ルイズさん」
「……ふぇ」
涙目のルイズを慰めるように、ユーリが明るく声を張る。
「私が目的地に着いてない事は、クロワ……
私のお供が気づいて、家族に連絡してくれてるはずだから、
だから、すぐにみんなが探しに来てくれるはずです」
「……でも、あなたの家族って、ずっと遠くの国にいるんでしょ?」
「それでも、それでもお姉ちゃん達だったら…… きっと……」
徐々にか細くなっていく声に、ルイズも口を閉ざす。
いかに彼女の家族が優秀なメイジとは言え、この事態を容易に解決できるとは思えなかったが、
かと言って、遥かな東方にいると言うユーリの家族を捜す術は、今のルイズには無い。
何より、今の状況に最も不安を抱えているのは、眼前でか細い肩を震わしている少女なのだ。
これ以上、余計な事を言って、彼女を苦しめるわけにはいかなかった。
「だから、あの……、
家族が迎えに来てくれるまで、ここに置いてください!」
「えっ!?」
「お願いします、こんなことを頼めるの、ルイズさんしかいないから……」
「も、もも、もちろんよ!」
不安そうにスカートの裾を掴む少女の両肩を、ルイズが慌てて抱きとめる。
「こんな事態に巻き込んだのは、元はと言えば私が原因だもの!
大丈夫、何の心配もしないで、ずっとここに居てくれればいいから」
「ルイズさん……!」
「……あ、でも」
「……?」
きょとんと首を傾げたユーリに、ルイズが昼間の事を話す。
もしもユーリとの間に【契約】を結べなかった事を知られれば、
ルイズは学園を去らねばならない、と。
「こんな事になってしまった以上、本当は、私は実家に帰って、
あなたの家族を捜すべきなんでしょうけど……」
「そ、そ、そんなのダメだよ!
あの、私も、あんまり目立ったら良くないと思うから、
だから、ここにいる間は、私がルイズさんの使い魔をします」
「本当!? ありがとう、ユーリ」
救いの言葉を受け、瞳を輝かせたルイズが、少女の緑色の髪の毛を優しく撫でる。
ユーリはしばし、照れくさそうな笑みを浮かべていたが、その内に、やや表情を曇らせた。
「あの…… でも、私なんかが使い魔の代わりをしてたら、
途中で正体がバレたりはしない、かな?」
「ええ、本当は契約に成功した場合、
使い魔の体にはその証として、ルーン文字が刻まれるはずなんだけど」
「え!? わ、私、そんな証なんて、体のどこにもついてないよ!」
「うん……」
ルイズはそこで言葉を切ると、何事か考えるようにうつむいていたが、
やがて静かに顔をあげ、自分に言い聞かせるように強い口調でいった。
「大丈夫、私が何とか、何とか…… してみせるわ」
「ルイズ、さん……?」
・
・
・
――翌朝
「おお! そうか、
コントラクト・サーヴァントには成功していましたか!」
学び屋からやや離れた、ほったて小屋のような研究室の入り口で、
昨夜の儀式の引率者、コルベールは、ルイズの報告に喜びの声を張り上げた。
「おめでとう、ミス・ヴァリエール。
昨夜は色々とありましたが、ともあれ、これであなたも無事に進級ですね」
「ええ…… ありがとうございます、ミスタ・コルベール」
ルイズの言葉に、コルベールはまるで我が事のように頬を緩ませる。
お人よしの教師である彼は、魔法の才こそないものの、影で人一倍努力しているルイズの事を、
ひそかに気にかけていたのである。
一方、快事を成し遂げたはずのルイズの表情は奇妙に暗い。
傍らにいるユーリはと言えば、漠然とした不安に、きょろきょろと辺りを見渡している。
「それで……、ミス・ヴァリエール」
やや声のトーンを落とし、コルベールが言葉を続ける。
生来コルベールは、他人から変人と揶揄されるほどの研究の虫である。
胸のつかえが下りた途端、彼女の従える小さな使い魔に、知的好奇心を揺さぶられたのであろう。
「彼女の体に現れた契約の証を、この場で見せてもらえないだろうか?
いや、何せ彼女は、古今に類を見ないタイプの使い魔だからね。
どんな形のルーンが刻まれたのか、今後のために記録しておきたいんだ」
「……その事なんですが、少しお耳を」
やや怪訝な表情を浮かべるコルベールの耳元で、ルイズが囁く。
「契約の証は……彼女の……の……間に……」
「えっ、え、ええ!? そ、そそ、そんなところに……!」
「――ッ!?」
ルイズの放った爆弾発言に、男やもめのコルベールがドギマギと頬を赤らめる。
いや、彼だけでは無い。
傍らで聞いていたユーリも、まるで顔面に爆撃を受けたかのように、顔中真っ赤に染めていた。
「もちろんこの場合、
ミス・シュヴルーズにでも確認してもらうのが筋かと思ったんですけど、
この子、その事で深く傷ついてしまって……
昨日の契約の後も大変だったし、もう私、どうしていいのか」
「う、う、うむ! そ、そ、そうか……!」
動揺を隠す事もできぬまま、コルベールがちらりとユーリを見やる。
両目に零れ落ちんばかりの涙を貯え、ユーリがひぐっ、と後ずさる。
「い、いいいや、いい! わわ分かった、分かった! 事情は理解した。
この事は内密にしておくから!
学院長には、彼女のルーンを確認した、とだけ伝えておこう……!」
「ありがとうございます! ミスタ・コルベール」
「う、うむ! それでは早く部屋に戻って、明日からの授業の準備をし、しておきなさい」
よっぽど気まずかったのか、別れの言葉もそこそこに、コルベールがそそくさと私室に戻る。
パタン、とドアが閉まるのを確認し、ルイズが大きく息を吐く。
「ふぅ、とりあえず、何とかなったわね」
「…………」
「あらためて、これからよろしくね、ユーリ」
「…………」
「……ユーリ?」
ルイズの再三の問い掛けに、ユーリは応えない。
何事かと、ルイズが顔を近づけた瞬間、ユーリが爆発した。
「わっ! わたしっ! そんな所に印なんかないもん!?」
「え、ええ、えええええ!?」
「う わ あ あ あ ぁ ぁ ん !!
ルイズさんの ば か あ あ あ あ ぁ っ !!」
弁解の余裕も無い。
まるで昨日の再現のように、ユーリが泣きじゃくりながら爆走する。
「ま、待って!? ユーリ、そんなに走ると……」
「ひゃあ!?」
――転んだ。
まるで漫画のような見事なヘッドスライディングで、ステンと転んだ。
「ユ、ユーリ! 大丈夫!?」
「ふぇ…… こ、 こ ろ ん だ あ あ あ あ ぁ !!」
昨夜に垣間見せた芯の強さもどこへやら、
再びわんわんと大泣きを始めたユーリの姿に、ルイズはがっくりと肩を落とした。
「こ、こんなんで、これからやっていけるのかしら…… 私」
ルイズの言葉に答える者はいない。
ただ、うららかなトリステインの春の空に、少女の泣き声が響くのみだった。
今さらですが、本作はツン少なめのルイズお姉ちゃんで行きたいと思います。