――ニューカッスルを巡る攻防より二日が明けた。
ルイズ達一行は、脱出と同時にアルビオンを離れ、
今はラ・ロ・シェールの地にあって王都トリスタニアへの帰途についていた。
帰途……。
しかしながら、王女アンリエッタに任務の報告に向かうルイズ達と、
未だ彼の白の国に多くのものを残してきたウェールズとでは、向かう先が違う。
ラ・ロ・シェールの郊外にて、一行は今生の別れともなりかねない別離の時を惜しんでいた。
「……さて、短い間ではあったが、
諸君には、ずいぶんと世話をかけてしまったね」
自ら探し求めた粗末な皮鎧を身に纏い、
薄汚い麻袋をこれ見よがしに担いだ傭兵崩れ風の男、
ウェールズ・テューダーが、皇太子時代と唯一変わらぬ笑顔を一同に向ける。
世を忍ぶ仮の姿、などと言い張れば立つ瀬もあるが、
生来あけすけなこの青年は、元よりこの手の「悪戯」が大好きなのであろう。
「殿下はこれから、どうなさるおつもりなのかしら?」
キュルケからの問いかけに、ウェールズが含みのある笑いを向ける。
「空賊ごっこをやっていた頃の名残でね。
こちらの大陸にもお粗末ながら、いわゆる我らの隠し砦、とでも言うべき場所がある。
非戦闘員こそ逃したものの、脱出したイーグル号と僅かばかりのクルーは
未だその地に隠匿しているはずさ。
まずは彼らと合流して、今後の計画を練らせてもらうとするよ」
「……本当に、トリスタニアにご同道しては頂けないのですか?」
二人の会話を遮って、俯きがちにルイズが口を開く。
ウェールズをアルビオンより無事に脱出させる事が出来た事、
自身の力量を鑑みれば、それ自体は最大の成果と言っても過言ではない。
だが、ここまで来て恋人たちの再開が叶わないとあっては点睛を欠く。
「僅かな手勢のみでアルビオンの奪還を目指すのは、
いかに殿下と言えど無謀に過ぎます。
今はアルビオンの王族として、アンリエッタ様の協力を得るのが最上の……」
「アルビオンの皇太子、ウェールズ・テューダーはもう死んだ、だろう?」
取りつく島も無く、ウェールズがさらりと笑って肩を竦める。
ルイズもこれには返す言葉もない。
ウェールズが恥辱とも言える脱出行に賛同してくれたのは、
あくまで未熟なルイズ達を守るためであり、
渦中のアンリエッタに余計なトラブルをもたらすためではないのだ。
「なに、そう心配してくれる必要は無い。
皮肉な話ではあるのだが、
貴族の名を捨てた今だからこそ、出来る戦い方もあると言う事さ。
せっかく今日まで生き延びた同胞たちの命。
あたら無駄に散らせるつもりなど、今の僕にはないよ」
「ウェールズ様……」
「アンリエッタには、ウェールズは生きている、と、それだけ伝えてほしい」
「……! 伝えます、確かに伝えますっ!
ですから殿下も、どうか御無事で」
「短い間でしたけれど、次にお会いする時には、
もっとゆっくり、他愛ないお話ができると信じておりますわ」
「同じ武門に名を連ねる者として、殿下のご武運、陰ながら祈っております」
ルイズの必死の返答を契機に、一同が短く別れの言葉を重ねる。
思い思いの挨拶は、ついに最後尾のユリーシアの番まで回ってきたが、
当人はどこか思いつめたように俯いたままであった。
「……ミス・サツキ?」
「ローザ、どうかしたの?」
二人の問い掛けに対しても、ユーリはしばし無言であったが、
やがて、意を決したように顔を上げた。
「ルイズさん……、
少しだけ、王子様と二人だけでお話しさせてください」
慮外の申し出に、思わず二人がぱちくりと顔を見合わせる。
間髪いれず、背後より喜声が上がる。
「やぁ~ん、略奪愛ね!
ステキよローザ、貞淑なんてクソ喰らえよっ!
ここが女の正念場よ、私はもちろん貴方を応え……」
「無粋」
一人乗ってきたキュルケを引き摺り、タバサとギーシュが後背に消えてゆく。
ルイズはしばしきょろきょろと、互いの顔を見合わせていたが、
その内に、ひとつ笑ってため息をついた。
「……分かったわローザ、私たちは向こうで待ってるから、
殿下へのお話が終わったら合流しましょう」
「ルイズさん、ありがとうございます」
ウェールズに深々と会釈をした後、ルイズもまた踵を返した。
四人の姿はやがて見えなくなり、渓谷には王子と少女のみが残された。
「……何だか、ずいぶんと不思議な気分だよ、プリマ・プラム」
「ふぇっ、何がですか?」
「初めて向かい合って話したのは、ほんの三日ばかり前の事だ。
けれども今は、まるで君が数年来の知己であったかのように懐かしく感じられるよ」
「それはきっと、お別れが近いからですよ。
短い間でしたけど、この数日、本当に色んな事がありましたから」
妙に大人びたユーリの言葉に、ウェールズも寂しげに笑って頷く。
もしも今後、ウェールズの人生に奇跡が起こり、
アルビオンを無事、仇敵の手より奪還できた暁には、
あの魔法学院の少女たちや、懐かしのアンリエッタとも再開できる日が来るかもしれない。
だがそれでも、この東方から来た少女とだけは、
今日が今生の別れになるのであろうと言う直感が、彼の中で渦巻いていた。
「ミス・ヴァリエールと学院に戻ったら、そのあと君はどうするつもりなんだい?」
「私もまだ、何も決まってはいないんですけど……、
でもきっと、近い内に故郷に帰る事になると思います」
「ロバ・アル・カリイエへ、か。
ミス・サツキ、故郷は良い所なのかい?」
「はい。
こちらの国みたいに、便利な魔法があるわけではないですが、
けれど平和で、みんな良い人たちばかりで……」
そこまで言いかけた所で、思わずハッとユーリが口をつぐむ。
一方のウェールズは、静かに笑って首を振るう。
「素晴らしい事ではないか。
このハルケギニアでは、誰もが平和を望みながら、
それでも多くの時代において、人々は戦禍に塗れてきた。
国を思う立派な先人たちが手を取りあわねば成せぬ事、
君もまた堂々と胸を張って、彼らの偉業を継ぐべきだ」
「……はい、あ、ありがとうございます」
「故郷へ……、か。
ロバ・アル・カリイエは遠い。
やはり君とは、今日が別れの日となるようだね」
「……あ」
きゅっ、とユーリがスカートの裾を強く握りしめる。
異国の王子との別れの寂しさ、それもある。
だがそれ以上に強く、最後の仕事を果たさねばならないと言う、
ある種の強迫観念が、今の少女を締め付けていた。
「今回の件では、君には本当に大切な事ばかり教えられた。
本来ならば、何か一つでも、君に恩返しをするべき所なのだろうが
と言って、今の非力なこの身で、君に対して何を送れたものか……」
「……一つだけ、お願いがあります。
王子様にしか出来ない事、ううん、絶対にしてもらわなきゃならない事」
ユーリの思わぬ強い口調に、ウェールズは一瞬目を丸くしたが、
すぐにその面立ちを満面の笑みへと改めた。
「聞かせてくれるかい?
今の僕が、どのようにすれば君の力となれるのか」
ウェールズの言葉に頷くと、ユーリはひとつ深呼吸をして、
やがてゆっくりと顔を上げた。
「王子様に全てをお話しします。
そうしたら……、全部、忘れてほしいんです!
私の事も、フィグラーレの『魔法』の事も!」
・
・
・
――そして一つの物語が終わり、平穏な魔法学院の日常が戻ってくる。
日常、と言っても、何もかもが旅立つ前のままと言うワケにはいかない。
皐ユリーシアとは何者であるのか、その由来は、
魔法学院に戻った最初の夜に、彼女自身の口からルイズへと打ち明けられていた。
フィグラーレとレトロシェーナ、星のしずく、そしてステラスピニア――。
少女の口から語られる異世界の物語は、
アルビオンで様々な神秘を共有したルイズにとっても、驚くべき話ばかりであったものの、
それによってルイズの信頼が揺らぐことは無かった。
最も重要なポイントは、ユリーシアがハルケギニアの常識を超えた力を持つ事ではなく、
その力を彼女自身が、正しい事に使おうとしている、と言う一点のみである。
ルイズにしてみれば、ロバ・アル・カリイエからやってきた女の子のプロフィールが、
ほんのちょっぴり、更に遠い国に変わったと言うだけに過ぎない。
アルビオン行で過ごした濃密な時間が、そう思えるだけの信頼をルイズにもたらしたのだ。
ただ、ひとつだけ大きく変わった事がある。
毎日の授業を受けるルイズの傍らから、ユーリの姿が消えた事だ。
「いずれフィグラーレに戻る事になる前に、どうしてもやっておきたい事がある」と、
ある夜、ユーリがルイズに告げ、ルイズもまたそれを承諾したためであった。
元よりメイジではないユーリが授業を受けるメリットは薄いし、
使い魔だからと言って四六時中、主人の傍に居ねばならないと言う訳でもない。
無論、年端のいかない少女の事ゆえ、学院の外に出ない、と言う条件で彼女の行動は許可され、
以後、魔法学院の敷地内では、休憩明けのメイドと何事か話し込んでいたり、
いつの間にか学院に居着いた黒猫を引き連れ、
周辺を散策している少女の姿が散見されるようになった。
ユーリの言う「やりたい事」とは一体何なのか。
主人のルイズとしても興味が尽きぬ話であったが、
彼女にもまた、そこにかまけているような時間は存在しなかった。
一連のアルビオン行の中で強く意識するようになった彼女自身の資質。
その正体を求めるには、彼女には時間がいくらあっても足りぬようであった。
足しげく図書館に通い、自らの魔法に関連するような蔵書を読み漁る。
あるいは経験豊富な教員たちに、系統魔法の「例外」的な事例がないかを教わりに行く。
細かい務めを継ぎ合わせて繰り返される日常、
だがその成果は中々に芳しいものとは行かないものであった。
元よりルイズの資質とは、侯爵家付きの名だたる教師達が一様に首を捻り、
ただ一言、失敗、と断じる事しか出来なかった、全く未知なる現象である。
全容を解明するのに相当な時間が掛かるであろう事は、ルイズ自身が覚悟していた事だ。
その代わり、と言う訳でもないが、
変わり者と名高い教員のコルベールが、一つ、興味深い提案をしてくれていた。
ルイズの力が失敗ではなく、意識して制御できるものなのだと言うのならば、
まずはその力を、小さく使う練習をしてはどうか、と。
ルイズの力のルーツが何であれ、その力の押さえ方のコツさえ掴めたならば、
周囲に無用の迷惑をもたらすことも無くなるし、
爆発の範囲と位置を絞って放つ事が出来るのならば、それは単に破壊の力のみならず、
何か有用に用いる機会も増えるのではないか、とも言った。
以後、早晩の人のいない時間を見ては演習場に顔を出すのがルイズの習慣になっていた。
目標との距離を正確に測り、爆発の規模を明確に意識して杖を振るう。
その結果はしかし、やはりルイズのイメージ通りにはいかない。
元々どんな詠唱を唱えればよいかも分からない現象である。
アルビオンの時のようにそう何度も都合よく、と言う訳にもいかない。
常と変らぬ爆発の跡を見据えながら、
やはりこの力は人の身には余るものなのではないか、と言う不安がよぎる事がある。
だが同時に、それでもなお、現在の自分が置かれた状況は、
使えもしない魔法を唱え、無暗矢鱈に杖を振るっていたかつてよりも、
遥かに清々しく風通しの良い毎日であるように、今のルイズには感じられてならなかった。
無論、彼女をゼロと罵る周囲の声が改まった訳ではない。
変わったのは彼女自身の意識だ。
今までの自分は、確かに周りの言うように「ゼロ」であったし、
そう呼ばれないようにするための努力を今は重ねている。
「彼女」の強さを、その一途さを知ったニューカッスルでの夜より、
いつの間にか周囲の雑音は、ルイズの気に止まるほどの事件では無くなっていた。
・
・
・
「……え?」
ある日。
いつものように自室へと戻ってきたルイズは、意外な室内の光景に驚きの声を漏らした。
「あ、おかえりなさい、ルイズさん」
「え、ええ、ただいま、ユーリ」
他愛ない挨拶を交えつつ、目の前の少女の格好を、まじまじとルイズが見つめる。
背中まで伸びた新緑のロングヘアーに、クリームイエローとピンクを基調とした愛らしい制服。
その日の少女は、アルビオンからの帰還以来およそ一月ぶりとなる、
プラム・クローリスの正装、プリマ・プラムの姿へと身を変えていた。
「ユーリ、今日は一体どうしたの、その恰好?」
「えっと、何て言うか、胸騒ぎがしたんです。
何だか今日、星のしずくがトリステインに降るような気がして。
それで、居ても立ってもいられなくなって、先にお薬を使っちゃいました」
「星のしずく……って、確かあなた達の国の、
秘薬の元になる貴重な材料、だったわね。
あなた達スピニアって、そんな細かな気配まで探れるものなの?」
「普段はこんな事、本当にないんです。
けれど、今日の夕焼け空を見ていたら、何だか心が落ち着かなくって」
「夕日を?」
ユーリに促され、ルイズも窓の外をあらためて見つめる。
確かに今日は晴天と言う事もあり、遠い山の向こうに落ちていく太陽が、
天地を鮮やかなオレンジに染めてこそいたものの、
それはルイズの目には、別段いつもと変わらない日常の光景に映った。
「…………」
だが、本当にそうだろうか?
人は普段、夕日などいつでも見れるものと軽視しがちであるが、
今日のように鮮やかな夕焼け空を、改めて意識して見つめる機会など、
本当は人生に何度ある事だろうか?
そう言った、日常の中に時折顕れる感性の細やかさ。
あるいはそれこそが、彼女たちステラスピニアの持つ才能なのではないだろうか?
「……やっぱり!
ほら、見て下さい、ルイズさん!」
「あっ!?」
両眼を大きく見開いて、ルイズが前方に差し出されたユーリの右手を見つ直す。
二人の見つめる指先で、少女の真っ赤な指輪から一瞬、閃光が室内へと拡散し、
やがて一条の光に凝縮されて天空へと走り始めた。
「星のしずくが今、このハルケギニアに降ったんです。
この光は、しずくの気配をレードルが探知して、その向かう先を導いてくれているんです」
ユーリの説明を受け、ルイズが光の示す方向を食い入るように見つめる。
だが、どうした事だろう?
光はやがてふっ、と中空に掻き消えてしまった。
「光が……、どうなってるの、ユーリ?」
「わ、私もこんな事は初めてですが、
たぶんこれは、星のしずくが、ずっと遠くに落ちたんだと思います。
光の導きが届かないほど遠くに」
そう受け答えしつつ、ユーリが短く詠唱を唱え、レードルを杖の形へと変える。
「……それでもユーリは行くつもりなのね、星のしずくを取りに」
「はい、今の私には、どうしてもあの星のしずくが必要なんです」
きっぱりとしたユーリの態度に、ルイズが戸惑いがちに眉を歪める。
そろそろ日も落ちる刻限となる。
年端もいかない、それも土地勘に疎い少女が学院の外に出る事など、
彼女の保護者としては、当然認める訳にはいかない。
その一方でルイズは、ここ数週間のユーリが、何事かの勉強を進めていた事を理解している。
今日ここで星のしずくを得る事が、彼女の夢の前進に繋がると言うのであれば、
何とかしてそれをサポートしてあげたいと言うのも、偽らざる本心であった。
だが、ルイズが返答を下す前に、解答はユーリ自身の口より発せられた。
「ルイズさん、私と一緒に、星のしずくを取りに行きませんか?」
「え……、私も?」
「私、ローザお姉ちゃんみたいにうまく出来るかは分かりませんけど、
それでも一度、ルイズさんに見てもらいたいんです。
私たちステラスピニアの本当のお仕事、星のしずくを採る所を」
思わぬユーリからのお誘いを受け、ルイズの心がたちまち波打つ。
そんな心境を知ってかしら知らずか、不意にユーリが苦笑を見せた。
「あ……、でも、今から行っても帰りはきっと、凄く遅くなっちゃいますから、
明日の虚無の曜日の予定は、台無しになっちゃいますね」
「……それでも今のあなたには、星のしずくが必要なんでしょ?」
愛嬌溢れるユーリの笑顔に、ルイズのまた笑って肩を竦める。
「それならやっぱり、私が行かない訳にはいかないわよね。
いいわ、案内してちょうだい、ユーリ」
「はい! ありがとうルイズさん」
・
・
・
――飛行の言葉『アラ・ディウム・メイ』
その言葉は、水と交われば容易く消えてしまう星のしずくを、
いち早く採取するための移動手段として、
また、空を飛び回ると言う、しずく共通の特徴への対抗手段として、
プロのスピニアならば修得が必須の言葉であり、
ゆえに他の基本的な言葉を差し置いて、
広く一般に、ステラスピニアのイメージを象徴する言葉となっていた。
実際、これまでにルイズが最も目にする機会が多かったのもこの魔法である。
最初に見た時は、訳も分からないままレードルに乗せられ大変な目にあった。
次に見た時は、二つの月の間に消えていく少女を、幻想的な光景として見送った。
最後に共乗りした時は、真っ暗な雲の中で、互いに心を寄せ合いながら風に揺られていた。
プリマ・プラムとの思い出は、常にこの魔法が付いて回ると言っても過言では無かった。
「……初めの頃に比べると、随分とうまくなったようね、ユーリ」
「ふぇ?」
今宵、トリステインの夜空にこぼれたルイズの呟きに対し、
ユーリはしばし、きょとんと目を丸くしていたが、その内に「ああ」と、笑って首を振った。
「た、大した事じゃないですよ~。
ほら、今は移動用にレードルを変化させていますから。
アルビオンの時にはほとんど力を使い果たしていましたけど、
ある程度スピードを落としてあげれば、二人乗りでも安定して飛べるってだけなんです」
「あら、その判断も含めた上で、上達したねって私は言ってるのよ?
力の制御って言うなら、私も今、似たような事をやってるんだけど、
こっちの方はまだ、全然うまくいってないんだから」
「そ、そうなんですか?
けど、今の私の魔法も、本来の力から考えればズルみたいなものですから」
「本来の、力?」
言葉の意図がいまいち掴めず、オウム返しにルイズが尋ねる。
「ええっと、私たちの使う魔法なんですけど、
こちらの世界では、二つの月の影響で、
本来の実力よりもずっと強い力が出せるみたいなんです。
そうじゃなかったら私、後ろに誰かを乗せて飛ぶなんて芸当は出来ません」
「へえ、そうなの? 確かに言われてみれば、
初めの頃は魔法をうまくコントロール出来てないみたいだったわね」
「けど、これからはもっともっと勉強して、
それでいつか、向こうの夜空でも、ルイズさんと二人乗りできたらいいなって思います」
「向こう……って、フィグラーレの空で、と言う事?」
とくん、と、一瞬ルイズの胸がざわめく。
分かり切っている話ではあるが、ユーリとの共同生活は永遠には続かない。
それが遠い未来か近い将来かまでは判断がつかないが、
いずれにせよユーリは元の世界、フィグラーレへ帰る事となる。
けれどその地は、ロバ・アル・カリイエなどよりも遥かに遠い、正真正銘の異世界である。
今のユーリが語るように、軽々しく行き帰りの出来る場所などではないはずだ。
だが……。
「……うん、決めた。
グリフォンか、ドラゴンか、マンティコアか、やっぱり空を飛べる奴が良いわよね?」
「ふぇ、一体何の話ですか?」
「私の使い魔。
シルフィードみたいに大きくて、翼の生えた子にする。
そうすれば、フィグラーレでもハルケギニアでも、二人一緒にどこだって飛べるわ」
「……あ!」
だが、今はまだ二人、ふたつの月の下にいる。
ささやかな夢を重ね合わせる時間は、まだ残されているはずだ。
「えへへ、それじゃあ二人、どっちが先に夢を叶えるか競争ですね」
「ええ、私だって負けないわよ、ユーリ」
ユリーシアが笑う、ルイズも笑う。
やがて、互いの夢へと隔たれて行くであろう、残された時間の大切さを知るが故に。
「……それにしても」
ルイズが大きく辺りを見渡す。
日没前に寮を出たはずの二人であるが、すでに月は中天に高い。
ユーリも幾度か休憩を挟み、都度、光の方角を確認して来たものの、
未だ星のしずくは、その落ちた先すら定かとなっていない。
「そろそろガリアとの国境も近いはずよ。
星のしずくの落ちた先って、まだ先なのかしら?」
「うーんと……、星のしずくは、水に引き寄せられる性質があるんです。
例えば井戸とか、沼とか湖とか……。
しずくの行く先には、きっと水に関係する何かがあるはずです」
「沼や、湖……!」
「あっ!?」
ルイズの思考が一つの答えを導き出したのと、
ユーリが驚きの声を上げたのはまさに同時であった。
鬱蒼と生い茂る針葉樹を掻き分けた先に、広大なる水平線が二人を出迎える。
月の恵みを水面に受けて、ぽっかりと開いた湖面が神秘的な光を放つ。
「ルイズさん、海、海が見えます!?」
「ううん、違うわユーリ、あれは海じゃないの」
興奮で浮足立つユーリを制し、ルイズが静かに首を振るう。
「あれはラグドリアン湖。
トリステインとガリアの国境に広がる、大陸最大の湖よ」
・
・
・
緩やかに湖畔に降り立った二人を、神秘を纏った静寂が出迎える。
月明かりを反射してきらめく波の音、だがその湖面は底深き青を携えて、
少女たちの詮索を阻むかのようであった。
「どう、ユーリ?」
「……うん、はっきりとは分かりませんけど、
星のしずくの気配、確かに感じます」
「そう……、でも、これだけ広いと……」
ルイズがゆっくりと辺りを見渡す。
先ほどユーリは海が見えると驚いていたが、その表現は決して誇張ではない。
この広大な内海より、望みのひと雫を探し出すとなると、
それはもう、サハラの砂の中から砂金の一粒を求めるにも等しい行為であろう。
ユーリはしばし、形の良い唇に人差し指を当てて、何事か思案に耽っているようであったが、
その内に、にこりと笑って顔を上げた。
「大丈夫ですよ、ルイズさん。
私たちスピニアの魔法は、星のしずくを掬い上げるためにあるんですから」
「ユーリ、何か対策があるの?」
「えっと、ごめんなさい、水の精霊さん。
湖、少しだけ騒がしくしちゃいますね」
ユーリは湖面に向けてちょこんと一礼すると、両手で握ったレードルを正面にかざした。
『――リペリオ・ルーメン』
ユーリが『言葉』を使う。
ほどなく、水底よりきらめく光の粒が湧き上がり、燐光をなしてゆっくりと湖面に広がり始める。
「わぁ……」
ルイズの口から感嘆の声が漏れる。
光の群れは湖全体を満たし、広大なる水面に光の舞台を作り出す。
やがて、光の一部が一点へと集約をはじめ、そこに光球の形を彩り始めた。
今やすっかり燐光をまとい、その姿を露わとした星のしずくが、水底より躍り出て中空へと舞う。
(そっか……、この魔法は本当は、こう言う風に使うものだったんだ)
ルイズの脳裏に、かつてラ・ロ・シェールの渓谷で見た光景が甦る。
あの時はただ、奔放な光の渦に戸惑うばかりであったが、今、輝く湖畔を前にした少女の姿は、
かつての風景よりも遥かに幻想的なものに映った。
「今日のしずく、ずいぶん恥ずかしがり屋さんだったみたいですね」
「……ええ、そういう子だっているわよ」
「それじゃあルイズさん、私、行ってきます」
「あ……、ユーリ!」
不意に一抹の寂寥感に捕われて、思いの他、強い口調でルイズが呼び止める。
「私……、私はどうすればいいの?
どうすればあなたの力になれるのかしら」
「見ていて下さい、私の事」
短く、だが真剣な想いを込めて、ユーリがきっぱりと言い放つ。
「私、まだまだ見習いのスピニアだから、一人じゃきっとうまくできません。
けど、ルイズさんが、傍で応援してくれてるんだって、
そう思えるだけで、私はずっと、ずっとずう~っと頑張れるんです!」
「……そう」
少女の回答を、寂しさを交えた微笑みでルイズが受け止める。
「分かったわ、私はここで待っているから。
だから安心して行ってらっしゃい、ユーリ!」
「はい!」
見送るルイズの笑顔に、ユーリもまた、お伽噺の勇者のような強い気持ちで応える。
『――パディス・アクア・オムニス』
短く詠唱を唱え、黄金色に輝く舞台へと一歩を踏み出す。
ピンと伸ばしたつま先から、溢れる魔力が波紋をなして水面を走る。
湖畔の中央に揺れる迷子のしずくを目指し、羽毛のような軽やかな足取りで少女が駆ける。
まっすぐに差し出された銀色のレードルをかわし、キラキラとしずくが揺らめく。
あっと驚く少女の鼻先をすり抜け、追い駆ける細い指先を避け、さらにその背へ……。
水底から天空へ上る魔力の煌めきと、夜空から降り注ぐふたつの月の輝き。
暗闇に照らし出された銀盤の上で、柔らかな光をまとった両者が、くるくると舞い踊る。
「……きれい」
知らず、ルイズの口から溜息が洩れる。
ユーリ自身が言っていたように、彼女の動きはひいき目にみても不格好でぎこちない。
未熟な少女が奔放なしずくに振り回されているのか、
臆病なしずくが無邪気な少女から逃げ惑っているのか、
優雅とは言い難い二人の動きは、しかしルイズとユーリの繰り広げたワルツのように、
生命の情熱を伴って月明かりのステージを飾る。
「あ……!」
執拗な少女のレードルを逃れ、しずくが上空へと跳ね上がる。
パートナーを見失い、ユーリの体がくるりと一回転する。
「上よ、ユーリ、あなたの真上!」
ルイズの声に呼応するかのように、少女の指先は動き始めていた。
『――ルーチェ・ルヴィ・アヴィス』
はるか上空のしずくに呼び掛けるように、少女が優しく『言葉』を紡ぐ。
杖先より生じた淡い光の粒たちが、虹色に煌めいて天空に踊る。
光の兄弟に導かれるように、しずくは優雅に赤や青の輝きをまといながら宙を巡り、
やがて遊び疲れたかのように湖面に降りると、差し出されたレードルの窪みにちょこんと座った。
『――プルヴ・ラディ』
静かに瞳を閉じて、少女が星を紡ぐための言葉を唱える。
レードルより溢れる輝きに共鳴するように、周囲の燐光が一瞬、湖畔を白色に染め上げて、
やがて光の消失と共に、湖面には、月明かりに浮かぶ少女の姿のみが残された。
――パチパチパチ、と。
たった一人の観客席より、湖上の少女に向けて喝采が浴びせられる。
「今夜はお招きありがとう。
最高のステージだったわ、プリマ・プラム」
来賓の公爵家令嬢から最大級の賛辞を受け取ると、
プリマ・プラムはスカートの端をつまんでちょこんと一礼した。
が、その内、不意にあどけない童女のように表情を崩し、
「えへへ」と恥ずかしげにはにかんだ。