皐ユリーシアは子供ではない。
少なくとも学院の代表、プリマ・プラムの姿でいる時だけは、一人前とはいかずとも、
一流を目指すスピニアの卵として、誇りある行動ができると言う自負がある。
が、惜しいかな、フィグラーレの魔法は、
その存在を他の世界の住人に知られる事は絶対のタヴーとされている。
人前で『言葉』を使えないのでは、ユーリは所詮、年相応の子供に過ぎない。
――だが、本当にどうしようもないのだろうか?
ヒントはかつてレトロシェーナで見た、女の子向けアニメ番組の中にあった。
フィグラーレとは異なる『魔法』が常識的に存在するハルケギニアならば、
そして、本来の彼女の姿を欺ける変身薬を用いたならば、
あるいは、フィグラーレの存在をごまかしたまま、
スピニアの力を振るえるのではないだろうか?
そして今、ついにその時は来た。
ルイズが、キュルケが、タバサが、そして敵であるゴーレムまでもが唖然とする中、
その緑髪の少女は、銀色の杖の上で高らかと名乗りを上げた。
「わ、私は通りすがりの魔法使い、プリマ・プラム!
双つの月とお星さまに代わって、悪いゴーレムさんを成敗、しますっ!」
口上と同時にレードルを廻し、ぴしりとゴーレムに向き直る。
キマった、完全にキマった。
これまでの行動がフィグラーレの『秘密』に抵触していないか、内心ドキドキだったし、
トチって時代劇のお殿様の決めセリフが混じってしまった気もするが、
とにかく誇り高きプリマを名乗った以上、動揺を表に出すワケには行かない。
「プリ……マ……? っじゃない! ア、アンタ一体何者よッ!?」
そんな少女の必死の決意は、ルイズのリアクションを前に粉々に打ち砕かれてしまった。
「わ!? わわ私はっ、通りすがりのまほ」
「聞いたわよ! でもそれ、何にも名乗ってないのと一緒じゃない!
って言うかアンタ、なんで私の名前を知ってンのよッ!?」
「はうっ!? はわわ、そ、それは……?」
謎の少女とピンク頭が中空で漫才を始めるのと、
凍りついた戦場の時間が動き出すのはほぼ同時であった。
「――!
あぶない、呆けないで!!」
「……え、きゃあっ!?」
キュルケの叫びで我に返ったユーリが、頭上からの巨大な拳をかろうじて避ける。
一拍遅れの旋風がざわりと頬を撫で、本能的に恐怖を感じたユーリが踵を返す……が!
「う、ウソッ! あ、上がらないいぃいぃぃ――ッ!?」
「いやあああああああああ――!!」
パニックで連続で、ユーリは色々な事を忘れていた。
例えば二つの月の存在。
いかに日中で目立たなかろうと、
月の影響でユーリの力が暴走気味に高まっている事に違いはない。
加えて初めての二人乗り、と言うより、
そもそもレードルは他人を乗せて飛ぶものではない。
本来ならば、猫やぬいぐるみと言った、
小さなお供を肩に乗せるのがせいぜいと言った所であろう。
さらにユーリは現在、向い合ったルイズに視界を塞がれ、前が見えない。
後向きに一直線にぶっ飛ばされ、ルイズの周りの風景が、
未だかつてない速度で後方に流されていく。
「ひゃ、ひゃあああーっ!?」
「あイタッ! あだだだだだだだだ!!」
旋回も上昇もままならぬままに二人が藪林の中に突っ込んでいく、
一歩間違えばクラッシュ直前の状況、
かろうじてルイズをかわしたユーリの視線の先に、猛然と大木が迫る。
「ク、クローチェ――ッ!」
無我夢中でレードルを引き起こし、杖先を垂直に立ち上げる。
直後、レードルはあたかも幹に沿うかのように天空へ向けて爆走する。
「お、おごおおおおお!?」
ユーリのヘッドバットを腹部に受け、朝食がまるごと吹き飛びかねない衝撃の中、
ルイズの視界から大地がみるみる遠ざかっていく。
一方のユーリはと言えば、再びルイズに眼前を塞がれ、状況が把握できない。
「ル、ルイズさん!? 胸が顔に当たって……、硬くて痛いですぅぅぅぅッ!!」
「余計なお世話よおおォォ―ッ!!」
「くううぅっ!?」
遮二無に減速を掛けながら再びレードルを返す。
慣性のまま、空中でぐるんぐるんと四回転し、そこでようやく二人が静止した。
「はあっ! はあっ! はぁ……!」
大きく肩で息をついて、ルイズが眼下を見下ろす。
先ほどの森林はおろか、
間近では巨体であったゴーレムすらもミニチュアに等しいこの光景。
コモン・マジックより早く、風竜よりも鋭い。
これが果たして、いかなる力であると言うのか……?
「ふ、ふう……、と、とにかくこれで一安心です」
「えっ?」
「逃げましょう、ルイズさん!
ここまではさすがにゴーレムさんも追ってはこれません。
わ、私の飛行は不安定ですが、シルフィ……、
あの青いドラゴンさんの力を借りれば逃げられます」
ちらり、とルイズが指先を見ると、確かに彼方より近づいてくる風竜が目に映る。
いかなゴーレムの巨体であっても、手の届かない相手を襲う事はできない。
一旦射程を逃れた今、彼女の言うとおり、退却する事は容易いハズ、ではあるのだが……。
「……いいえ、ダメ、ダメなのよ!」
「な、なんでですか!?」
「あいつの狙いはこの【開かずの魔導書】よ!
たとえ一度逃げおおせたとしても、きっとあいつは盗賊の名に賭けて、
何度でもこの本を狙ってくるハズよ。
学院で余計な被害を出さないためにも、
絶対に、ここであいつを叩いておかなければならないわ!」
「そんな……って、えっ、ええ!?」
ルイズが高々と掲げた『それ』に、ユーリの視線が釘付けとなる。
魔導書などと言う仰々しい名前とは裏腹に、
あたかも年頃の女の子の使うダイアリーのような、柔らかな赤色の手帳。
あらゆるメイジの力を受け付けないと言う、おもちゃのような可愛らしい鍵に、
おそるおそるユーリが指先を伸ばす。
「ちょっ、アンタ、何を……え?」
「やっぱり、これは【レシピ】」
咎めようとしたルイズの視線が、今度はユーリに釘付けとなる。
あたかもそうするのが自然であるかのように、
魔導書は少女の手の平で静止し、触れもせずに鍵が外れる。
パラパラとめくれるページに合わせ、薄緑の柔らかな光が広がり、
見知らぬ異国のルーンが映像となって、二人の周辺でぐるぐると螺旋の渦を刻み始める。
「な……何! アンタ、何をしたの!?」
「すごい、こんな……、でも、どうして……?」
ルイズの当然の詰問も、もはやユーリには届かない、
ただ少女は一心不乱に奇妙な文字の羅列を追いかけていく。
――レシピ。
それは、フィグラーレのステラスピニア達が使う、魔法の言葉を刻む本である。
スピニアは一人につき一冊、専用のレシピを持っており、
本人の心の成長に合わせ、ふさわしい『言葉』がページに浮き上がる仕組みになっている。
それらの言葉を使い分けながら、スピニアは星のしずくを汲み上げる事となる。
そして、今、手の内にあるそのレシピは、
ユーリがこれまで目にした本の中でも、最も完成度が高いと言える代物であった。
ユーリが密かに国一番のスピニアと慕う、
彼女の姉、ローザのレシピですら、ここまで細やかに言葉を刻んではいない。
「こんなにも力の違うスピニアさんのレシピ、
普通なら、私の実力じゃ拒まれてしまうハズなのに……?」
あるいはこれも、二つの月の影響で、一時的に魔力が上がっているからなのか……?
そこまで思い及んだ所で、ハッとユーリが顔を上げた。
今は運命の巡り合わせに思いを馳せている場合ではない。
この見知らぬ先人のレシピならば、
クロワに預けっぱなしになっているユーリの本の代わりに、
一種の教本として活用できるハズである。
今のユーリには、とにかく状況を打開できる言葉が必要な場面であった。
「ちょっと、アンタ、人の話を聞いてんの!」
ルイズの抗議を無視してページを捲る。
知らない『言葉』はひとまず無視して構わない、
いちいち効果を調べている時間は無いし、どの道、未熟なユーリに扱える魔法ではない。
必要なのは今、この窮地を打開できるような言葉。
しずくを追いかけるための言葉の中に、戦いに使えるような力は存在しないハズだが、
それでも使いようによっては、キュルケ達を援護する事くらいは出来るだろう。
そう考え、見知った単語を探すユーリの指先が、ページの中央でピタリと止まる。
「あ……これ、なら!」
・
・
・
『 ルーチェ・ルヴィ……、アヴィス! 』
少女の凛とした声が中空に響きわたる。
ハルケギニアの魔法に属さぬ詠唱を耳にし、
タバサが急行の手を緩め、風竜を大きく旋回させる。
「なに……? ルイズ達、一体何をやったの?」
「分からない……けど」
距離を大きく広げ、二人が状況を俯瞰する。
詠唱とともに生じた、なにやらキラキラとした光の粒が、
舞うようにゴーレムの周囲に降り注いでいく。
「……きれい」
タバサが場違いな呟きを漏らした直後、それは起こった。
拡散した光の粒達が一斉に発光を始め、
ゴーレムを中心に、突如として強烈な閃光が広がり始める。
あたかもそこに、巨大な太陽が現出したかのような圧倒的な白。
もはや暴力と揶揄されるべき痛烈な光を前に、シルフィードの翼が大きく揺らぐ。
「きゅ、きゅいッ!?」
「――つッ!」
片手で視界を遮りながら、パニックを起こしかけた使い魔をかろうじて抑える。
聞き知らぬ魔法に距離を取るカンの良さがプラスに働いた。
無造作に突っ込んでいれば、今頃は成す術もなく墜落していたところである。
「くぅ~っ!? な、なんなのこの魔法は!」
瞼越しになお突き刺さる強烈な閃光を前に、キュルケが音を上げる。
「こんな強力な爆発、四系統をどう組み合わせればなせるって言うの!?
これほどの威力、まさか伝説の虚無だとでも言うんじゃないでしょうね」
「……違う」
「えっ?」
あくまで片手を差し出したまま、タバサがうっすらと瞳を開ける。
少しづつではあったが、光は徐々に収束に向かいつつあった。
「熱は無い、音も……、おそらくは破壊も、
きっとこれは、単なるこけおどし……」
「な、なんなんですか~、この光は!?」
「アンタの使った魔法でしょうがあああぁぁッ!!」
一方、
状況を全く把握できていない二人組は、
レードルの上で大きく揺られながら閃光に耐えていた。
想定外に凄まじすぎた光を前に、ユーリがぼやく。
「うぅ~、こ、こんなハズじゃあ……!」
―― ルーチェ・ルヴィ・アヴィス
それは闇夜を照らし出す、柔らかな光の粒を生み出すための言葉である。
直接的な殺傷能力は、無論、皆無であるが、
夜を活動の舞台とするスピニアにとっては、基礎とも言える力。
熟練者ともなれば光の大きさを調整しながら、星のしずくを誘導する事すら可能とする。
シンプルでありながら術者の力量が試される、奥の深い言葉であった。
無論、日中、太陽の下で放った所で効果は薄い。
が、魔力が高まっている今の自分ならば、
いつもより強い光が生み出せるハズと、ユーリは考えた。
正体不明の光を囮に使えば、ゴーレムを攻撃するキュルケ達のサポートになるし、
うっそうと生い茂る森林を十分に照らせたならば、
潜伏しているフーケ本人を見つけられるかも知れない。
そう考えたユーリは、その光の言葉を『最大限』の力で解き放ったのだ。
「くぅ~っ よ、予想とはちょぴり違うけど、
でもこれなら、きっと予想以上に効いたハズ……!」
うっすらとユーリが瞳を開ける。
未だまばゆい光の中心には、呆けたように微動だにしないゴーレムが佇立している。
やはりフーケはあの周辺にいて、現状、ゴーレムを操れない状況に陥っているのだ。
(……え?)
ふっ、と視界の端に捉えた影の行方を目で追い掛ける。
うっそうとした木立の中、
強烈な光に映し出された『彼女』の姿を、ユーリの目がはっきりと捉える。
「あの人……って」
「な、何だか良く分からないけど……、要は今がチャンスって事よね!」
束の間の思考を打ち破り、ユーリの耳許で、ルイズが反撃の気勢を吐く。
止める間もなく、ピシリ、と杖を振るう。
「喰らいなさい、ウィンドブレイクッ!」
――ドワォッ!!
醒めきらぬ光の中、今度は本物の『爆発』が巻き起こる。
ルイズの『失敗』はゴーレム本体ではなく、
その足元の岩盤に炸裂し、巨大な右足が大きく空中に跳ね上がった。
「タバサッ!」
キュルケの意図に気付き、タバサも即座に動いていた。
シルフィードをゴーレムの正面に急行させながら、短く詠唱を完成させる。
金属よりも脆い土くれでゴーレムを作るメリットは大きくふたつ。
力を『錬金』に大きく割かずに済む分、サイズを大きくとれる事と、
作りがシンプルな分、再生が容易い事だ。
だが今、ルイズに地盤ごと吹き飛ばされたゴーレムのつま先は、
再生する気配を見せていない。
敵がゴーレムを制御できていない今ならば、
十分な衝撃を加えさえすれば、あの巨体を倒しうるはずである。
同時に放たれた火球と烈風が、ゴーレムの頭部を強く『押す』。
いかに重量があるとは言え、
片足立ちでバランスを崩している土人形にはそれで充分だった。
天秤が傾き、ゴーレムの巨体がドウッとばかりに崩れ落ちる。
自重の大きさがもたらした衝撃に、
ゴーレムの五体はバラバラに崩れ去り、そのまま沈黙した。
・
・
・
「……完全に、土に還っている。
おそらくはフーケも、もう近くにはいない」
「いや、見事だったわ……、正直あなどっていたわ、ヴァリエール。
見直したわよ、貴方の、その……『ウィンドブレイク』?」
「…………ッ」
キュルケからの初めての讃辞を受け、
ルイズが顔面の筋肉を引きつらせながら無理やり笑う。
静かに小刻みに震えるその様は、さながら噴火寸前の活火山のようであった。
「きゃ~! やりましたぁ! ルイズさんステキです!」
「~~~~ッ! じゃないわよ!! アンタ、一体何者なのよ!?」
「ふぇ! えっえ!?」
天真爛漫、かつ無神経な謎の少女の抱擁に、ルイズ山はいとも容易く爆発した。
「プリマ……プラムとか言ったわね? アンタ、何で私の名前を知っているのよ」
「そ、そそそそ、それは!?」
「それだけじゃないわ、アンタがさっき使った魔法、アレは何よ?
学院の先生たちが誰一人として解呪できなかった
【開かずの魔導書】を、なんでアンタが……」
つ、とそこでルイズの眼前に杖が差し出され、タバサが間に割って入る。
「今は、そんな事を話してる場合じゃない」
「え……、何かあったの?」
「……さっきからユーリちゃんが見当たらないのよ、
シルフィードの様子も何だかおかしかったし、あるいは……」
「――あっ! あうっ!?」
突如、謎の驚声を上げた謎の少女に、一同の視線が集中する。
「何、アンタ、何か知ってるの!?」
「え! ええええ~と、ユーリ……じゃなくてッ!
小さな女の子だったら、さっき上空から姿が見えたような……」
「本当!? それはどの辺、案内してっ!」
「はうっ、こ、この辺りですよ~!?
私、ちょっと森の方を探してきま~す!」
「あっ、ちょ、待ちなさいよ!」
ルイズの静止も聞かず、少女はすばやく詠唱を唱えると、杖に跨り森の中に消え去った。
「行っちゃった、何なのよ、アイツ……?」
「――とにかく、私たちも手分けして、ユーリちゃんを探してみましょう」
・
・
・
周囲に人目が無い事を確認し、茂みの奥に分け入る。
ほどなく、淡い光が枝葉の間よりこぼれる。
光が消えた時、謎のプリマは元の小さな女の子の姿へと戻っていた。
「ふうっ」
大きく息をついて辺りを見渡す。
本来ならすぐにでもルイズの下に戻らねばならない場面ではあったが、
その前にユーリには一つだけ、確認しておきたい事があった。
(……空から彼女を見つけたのは、確かこの辺り、
タバサさんの話どおりなら、もうこの場にはいないのかも知れないけど)
――と、
不意ににゅっと喉元に刃物が突き出され、ユーリの足がぎくりと止まる。
同時に背後の気配が口を開く。
「動くんじゃないよ」
「…………」
ユーリは微動だにしない、ただ、息を止めて、声の主が動くのを待つ。
やがて、背後の空気が、ふっと緩くなるのを感じた。
「……何だと思ったらお嬢ちゃんか、仲間とはぐれちまったのかい?」
「ええと、ロングビル、さん」
すっと刃が外され、ユーリが背後を振り向く。
そこには、先ほどよりもややサバけた印象の、ロングビルの姿があった。
「その表情、どうやら察しはついてるようだね
まあ、出るタイミングを逃しちまったから、当然と言えば当然だが」
「えと……、ロングビルさんが、土くれのフーケ?」
「ご明当、けど、ここで、嬢ちゃんに出くわすって事は、
私にもちょっとは運が残ってたって事かね?」
「運……ですか?」
まじまじと、手元のナイフを弄ぶフーケを見つめる。
先ごろまでの上品な大人の姿とのギャップに、どうしてもイメージが重ならない。
「ああ、さっきはあのプリマだか何だかのせいで、随分とエライ目にあったが、
おかげであの魔導書の力は確認できたからね。
後はどうやってアレを奪い返すか考えていた所だったのさ」
「……でもあの本に、そんな大層な力なんて」
「――あん?」
一瞬、鋭く目元を細めたフーケに、ユーリの背がビクリと震える。
しばしフーケは、品定めをするかのようにユーリを見つめていたが、
やがてフゥーっと息を吐いて、気持ち圧力を緩めた。
「……何だい、思わせぶりに、言いたい事があるなら言ってみな」
「ハ、ハイ!」
ぎゅっと胸を抑え、ユーリが深呼吸する。
真実を語るわけにはいかないが、その場しのぎの嘘はたちまち看破されてしまうだろう。
次の言葉は十分に選ばねばならない場面だった。
「あの本は、私の故郷の魔法使いさん達が使う、その、メモ帳のような物なんです。
覚えた言葉……、ええと、えいしょう、を記録しておくための」
「……ふむ」
「本には一つだけ、私たちの国の魔法がかけられています。
本を開けられるのは、本の持ち主か、同等の力を持った魔法使いさんだけ、だから……」
「なんでお前みたいなチビが、それを知っているんだい」
「それは、私もその魔法について勉強しているからです。
もちろん私はまだ見習いだから、あんな凄い力は使えませんし、
あの本を開く力もありません」
細い顎に指先を当て、フーケが言葉の意味を推し量る。
少女の話は、素直に信じるには荒唐無稽に過ぎたが、
少なくとも嘘と分かるような淀みは無かった。
(開かずの魔導書、国一番の識者であるオールド・オスマンにすら解けない、
未知の施錠が施された魔法の本。
……そしてこちらは、あのヴァリエール家の令嬢に、
遥かなロバ・アル・カリイエから呼び出されたと言うお嬢ちゃん、か)
ロバ・アル・カリイエ。
人類の仇敵、エルフの治めるサハラの更に東方を示す地名。
かのエルフ達に、メイジとは理の異なる『先住魔法』があるように、
見知らぬ東の果てに、ハルケギニアの人間の知らぬ魔法があったとしても不思議ではない。
ロバ・アル・カリイエから来た少女と言う、
少女のプロフィールを信じるならば、と言う話だが。
「……つまり、こう言う事かい?
【開かずの魔導書】を開けられるのは、東方で魔法の修行を積んだメイジのみ。
そしてあの本を開けられる力量の人間ならば、
本が無くても呪文さえ知っていれば魔法は使える。
いずれにしろ、本自体にはさしたる価値がない……、と」
「は、はい! そう言う事なんです!」
「ふーん」
ほっ、とユーリが胸を撫で下ろす。
本に価値が無い事が十分に伝わったならば、これ以上、両者が争う理由は……、
「……ま、いずれにしたって、こっちのやる事は変わらないがね」
「え……?」
再び突き出されたナイフに、ユーリが言葉に詰まる。
ふっ、とフーケが苦笑を漏らす。
「ロングビル……、さん」
「ふふっ、
【開かず魔導書】の真価はともかくとしても、
あのオスマンの老人が認めた『箔』だけは変わらないって事だからねえ。
魔法学院の至宝と言う肩書だけでも、十分に販路はある。
今すぐに第二のゴーレムを繰り出す余力は無いが……、
嬢ちゃんが人質になってくれるってなら、話は別だね」
「そ、そんな、そんなのダメだよっ!?」
「――ハッ!」
ギロリ、と少女を一瞥し、フーケが高らかと吐き捨てる。
「甘ちゃんが仲良しクラブのつもりかい?
盗賊に何を期待しようってんだ!
目的を達成するためだったら、こっちは手段を選んだりはしないのさ」
「そうじゃなくって……!
あ、ううん、盗みも暴力もいけない事だけど……けど!」
「けど? 何だッてんだ!? ガキが世の中舐めてんじゃないよ!」
「――けど、自分の気持ちに嘘を付く事は、もっとダメな事だから!」
「!?」
ぎょっと、思わずフーケがナイフを引く、その分だけ、一歩ユーリが踏み出す。
「おい! 正気か、お前……?」
「だってロングビルさん、ユーリの事、一番に心配してくれたじゃないですか?
勝手に付いてきた私の事、ちゃんと叱ってくれたもん!」
「あんなのはこっちの都合さ、
風竜を使って逃げられたんじゃ、計画がブチ壊しだからね。
あれはお前の存在を利用して、小屋から竜を遠ざけただけ……」
「嘘だもんッ!!」
ぐっ、とフーケが歯ぎしりする。
いつまでもこんな問答を続けていては、たちまちルイズ達が駆けつけてしまうだろう。
それは本来望む所で、計画通りに目の前の少女を捕えてしまえばよいだけなのだが、
今のフーケには、何故だかそれがためらわれた。
一方、涙目で頬を膨らませるユーリの脳裏には、
姉・エレーナから初めて講義を受けた時の記憶が浮かんでいた。
『いい、ユーリ?
勉強を始める前に、一番大事な事を話しておくよ』
『ユーリも知っての通り、
ステラスピニアの使う言葉って言うのは、当人の心の力に左右されるんだ。
その時の本人の心の在り方によって、急に力が高まったり、
昨日まで使えてた言葉が、うまく使えなくなったりね』
『だから、スピニア達を支えるステラウェバーは、心の動きに敏感でなければならない。
相手が何を望んでいるのか、何に心を痛めているのか、
彼女たちの心の機微を理解できなければ、最適な処方は行えない。
技術や知識なんてのは、あくまでその後の問題に過ぎないんだよ』
『まあ、まだユーリにはちょっと早かったかな?
要は、周りに気を使える人間になりなさいって事よ。
わがままばかり言って自分の事だけ考えてたんじゃ、
立派なステラウェバーになれないんだからね』
姉・エレーナの言葉、あの時は理解できなかった。
今は、少しだけ理解できる。
貴族しか狙わないと言う謎のメイジ、土くれのフーケ。
先刻ユーリに、大人の義務というものを教えてくれたロングビル。
確信などという立派なものでは決してない。
ただ今のユーリは、後者こそが彼女の真実であるという、
都合のよい妄想を願っているだけだ。
「お前……」
ナイフを握る指先に力を込める。
少女は一歩も引かない、ただ涙目で頬を膨らましフーケを睨み付けている。
(嫌な目だ……)
フーケが小さく舌打ちする。
目の前の少女がこれほどまでに彼女を苛立たせるのは、
少女が世間知らずの小娘だからではない。
フーケが愛して止まない家族とそっくりの瞳の色で、
盗賊に身を窶した自分を見つめているからだ。
盗賊、と言う生き方に対して、疑問を抱く余地はなかった。
特権階級の座を追われ、養うべき者のためには先立つ物が必要だったし、
得意の魔法でスカした貴族どもの鼻を明かしてやるのも痛快だった。
だが、目の前にいる少女は貴族ではない。
故あってトリステイン一の大貴族の令嬢に保護されてはいても、
立場としてはむしろ被害者、権力者たちの勝手な都合に振り回され続ける、
自分たちの家族に近い。
そして怪盗・土くれのフーケは、これからそんな少女を欺き、脅して巻き上げた金品で、
そ知らぬ顔して大事な家族を養うのだと言う……。
「……はぁ、ガキ相手に何やってんだか」
「ロングビルさん!」
急にがっくりと意気消沈したフーケに、ユーリが驚きの声を上げる。
「ああ! もう負け負け、私の降参だよ。
まったく、うるさいガキだね」
「ロングビルさん……そ、それじゃあ!」
「私はもう、あんたらにも学院のお宝にも手をださない。
そして嬢ちゃんはここで何も見なかった……、それでいいだろ?」
「ハ、ハイ!」
「盗賊相手にかしこまるんじゃないよ! 分かったらとっと帰んな」
「あ、あの……、ありがとうございます!」
「~~~っ、いいから帰れ!
ガキがいつまでも保護者に迷惑かけてんじゃないよ!」
フーケの剣幕を受け、ユーリが慌てて踵を返す。
10メイルほど行ったところで、ユーリが深々と頭を下げ、再び振り返ろうとしたが……、
「あ」
転んだ。
とっさに差し出しかけた右手を持て余し、フーケが居心地悪そうにそっぽを向く。
しばらくした後、ユーリはゆっくりと起き上がり、パンパンとスカートの裾を払うと、
ちらりと照れ笑いを見せ、再び木立の中へと消えた。
「……潮時、かねぇ?」
無人となった森の中で、ポツリ、とフーケが呟いた。
場違いな工芸品。
とりあえずフィグラーレで一番チートな物をご用意いたしました。