「ふぅむ……、【開かずの魔導書】を開ける女の子、のう……」
――トリステイン魔法学院・学院長室
帰還した生徒たちの報告を聞きながら、部屋の主、オールド・オスマンが
机の上に置かれた学院の秘宝をまじまじと見つめ直す。
その真剣な表情に気押されつつも、
報告者であるルイズが、おずおずと口を開いた。
「あの少女……、プリマ・プラムとか名乗っていましたけど、
一体何者なんでしょうか……学院長?」
「知らん。
って言うか本当にこれ、魔導書じゃったの?
しかも女の子が開けちゃったって、ワシ、凄い自信なくしちゃうんじゃけど」
「え……? いや、何が書かれているか知らなかったって、
それじゃあなんで、これが【開かずの魔導書】なんですか?
傍目には年頃の女の子の日記帳、くらいにしか見えないのに……」
「そこはほれ、もしもこれを『秘密のダイアリー』とか名付けちゃったら、
そんなもん可愛らしいモンも開けられないワシが、すっごいバカみたいじゃろ?
学院の体裁にも関わってくるし……のう?」
あっけらかんとしたオスマンの言葉に、
傍らのコルベールを含めた一同が、ガックリと肩を落とす。
周囲の白けた空気を感じ、コホン、とオスマンが咳払いをする。
「いや、この本の名前も由来も判らんと言うのは、しょうがない事なんじゃ。
と、言うのも実は、この本はワシの所有物ではない、
これはラ・ヴァリエール公爵夫人、つまりミス・ヴァリエール、
貴方の母君のカリーヌ殿から学院に預けられていた物なんじゃ」
「え……? お母様が……、どうして?」
学院長の意外な言葉に、呆然とルイズが呟く。
「うむ、詳しい話は聞いておらぬが、
曰く『古い友人の忘れ物』で『こちらのメイジには無用の長物』と言っておった。
勘違いした物取りにでも盗まれたら困ると言うので、
学院の宝物庫で預かる事にしたのじゃが、
よもやこんな事になろうとは、いや、夫人には本当に申し訳ない所じゃった」
「……そう、だったんですか」
「と、言うワケでのう、ミス・ヴァリエール。
宝物庫が現状の有様では、その本を管理する事もままならん。
折をみて夫人にお返しできるよう、そなたに預かっていてもらいたいのじゃが?」
「分かりました。
母様には帰郷の時にでも言伝しておきます」
言いながら、再び手元へと戻ってきた学院の秘宝に目を落とす。
国一番の識者であるオールド・オスマンなら、
昼間見た魔法の謎に迫れるかとも期待していたのだが、
何やら物語は、随分と妙な方向へと転がり始めていた。
「――それで、オールド・オスマン。
ミス・ロングビルから、何か連絡は?」
「フム――」
傍らのキュルケの質問に、室内の空気がやや固くなる。
「残念じゃが、未だ何の情報も入っておらぬ。
貴族の名を失ったとは言え、彼女もメイジの端くれ、
やすやすと遅れをとったとも思えぬが……」
「……フーケに思惑があって、彼女を拉致したのなら、学院に何らかの連絡があるハズ、
それが何も無いと言うのは、恐らくはミス・ツェルプストーの推測通りなのでしょう」
オスマンの話を引き継いだコルベールの言葉に、ルイズが眉を曇らせる。
昼間、ユリーシアを嗜めてくれたあの優しさが、偽りであったとは思いたくなかった。
「ともあれ、随分と厄介事に巻き込んでしまったが、諸君らは見事、任務を果たしてくれた。
今宵は待ちに待ったである『フリッグの舞踏会』じゃ。
開催の時間まで、十分に体を休めておきなさい」
オールド・オスマンの声を合図に、三人が学院長室を後にする。
だが、ルイズの表情はいまだ冴えない。
「な~に、ヴァリエール? まだロングビルの事を気にしてるの?
貴方が気に病んだってどうしようもないじゃない?」
「……違うわよ、私は、そうじゃなくって」
と、ルイズはそこで短く言葉を切ると、誰にも聞こえないような声で、そっと呟いた。
「プリマ、プラム……、
確かにどこかで聞いた事があるのよね……?」
・
・
・
「ふりっぐの、ぶどーかい、ですか?」
聞きなれない言葉に、ユリーシアがきょとんと首を傾げる。
想像力逞しい少女の脳裏には、
フリッグ農園でぶどう狩りに勤しむ学生たちの姿が、ありありと思い浮かんでいた。
一方、話し相手のシエスタは、メイド服の乱れを鏡で確認しながらそれに応じた。
「ええ、そうよ。
学院に通っている貴族たちの皆さんの、ええっと……、
年に一度の、パーティー、って言えば伝わるのかな?」
「ぱーてぃー!」
ようやく聞き覚えのある単語が出てきたのか、
パーティーと言う言葉の響きに、ユーリの表情がたちまち華やぐ。
「そう、パーティー、ね。
ユーリちゃんが考えているのとは、ちょっと違うかもしれないけど、
思い思いに着飾った貴族の子弟が集まって、
高級料理の数々を前に、談笑に華を咲かせたり、
高名な楽士達の奏でる曲をバックに、優雅にダンスを踊ったりするの」
「へえぇ~!」
「特にミス・ヴァリエールは、この国一番の伯爵家のご令嬢だし、
元々器量もいいから、さぞや豪華なドレスが映えるでしょうね」
「うっわぁ~、ステキステキ~!」
シエスタの説明がさぞや魅力的だったのだろう。
ユーリはその瞳を大粒のサファイアのように輝かせ、すっかり乙女モードに突入していた。
「シエスタさん! わたしもその、ぶとーかい、に……」
「あっ、でも、
舞踏会はあくまで貴族のための催しだし、使い魔を連れてくる生徒もいないから、
ユーリちゃんはこのままお留守番、かな」
「ふぇ……」
すっかり出来上がっていた乙女の輝きが、シエスタの一言で無残にも打ち砕かれる。
じわり、と少女の目が潤む。
「そんな事よりユーリちゃん、ミス・ヴァリエールのお仕事について行ったんですって!
こっちは随分と心配したんだから」
「はい……」
「無事だったから良かったものの、メイジ同士の戦いに巻き込まれでもしたら、
ケガだけじゃ済まない事もあるんだよ!」
「うん……、ごめんなさい」
「生返事はダメよ、自分の身はもっと大切に……」
ユーリの異変に気付き、シエスタの説教がはたと止まる。
すでにパーティーに出れる気満々だったのだろう。
ユーリは心ここにあらずと言った感じで、瞳を潤ませながらぼんやりと中空を見上げていた。
(……あちゃ~。
どうしたものかしら、私もこの後、給仕に出なきゃいけないし)
ふうっ、とシエスタがため息を付く、
今の状態のユーリを、主のいない一人の部屋に返すのは気が引けたし、
かと言って、非番の同僚に面識のない少女を預ける事にもためらいがあった。
シエスタはやがて、きりりと眉を上げ、何やら一人で頷くと、ユーリの正面に顔を寄せた。
「ねえ、ユーリちゃん。
これからは絶対に危ない真似はしないって、私に約束できる?」
「……え? は、はいっ!」
「そう……、それじゃあこれは、乙女の友情ね」
そう言いながら、シエスタはすっくと立ち上がると、
自室のクローゼットをバンッと開いた。
「ここから先は二人の秘密、だよ。
今日はユーリちゃんに、私が『魔法』を見せてあげる」
・
・
・
「ヴァリエール公爵が息女、
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~り~」
主賓の到来を告げる衛士の言葉に、アルヴィースのホールがざわりと揺れる。
ややあって、純白のパーティドレスに身を包んだ、
まさしく大貴族の令嬢の体現が、うやうやしく舞台に姿を現した。
寂しげな胸元は棚に上げるとして、その姿と立ち居振る舞いは、
口さえ開かなければ一流と言って差し支えない美貌である。
「ふぇ~、ルイズさん、本当にステキ……」
そんな麗しき令嬢の姿を、遠く壁の端っこで眺める、
どこかいかがわしい乙女の姿があった。
皐ユリーシア、
いや、この年頃の姿の時は、プリマ・プラムと呼ぶべきであろう。
いつもの誇り高きプラム・クローリスの制服姿ではない。
今はシエスタとお揃いの、トリステイン魔法学院付きのメイドの姿に身をやつしていた。
「あん、もう見えなくなっちゃった」
たちまちに群がる男どもの姿に、ユーリはがっかりと肩を落とし、
たちまちキョロキョロと周囲の見学を再開した。
なるほど、シエスタが言っていた通り、そこはユーリの想像を凌駕した世界であった。
鮮やかなドレスに身を包んだ、社交界の未来の華たち、
嫌味にならない程度に豪奢に飾られた吹き抜けのホール。
そしてテーブルに溢れるは、ユーリの見知らぬ絢爛豪華な料理の数々……。
「うっ、だ、ダメなんだもん!
メイドさんがつまみ食いなんてしてちゃ不自然なんだから」
一人ごとを言いながら、ユーリの足がじりじりとテーブルに近づいていく。
「ユ、ユーリ大人だもん、ちゃんと我慢できるんだもん」
言いながらもその足は、キラキラと光るスイーツのテーブルへと惹かれていく。
「で、でも、手にとって見るだけだったら」
ふらふらと幽鬼の如く、その指先が細工の利いたケーキの皿へと伸びて――。
――ガシィッ!
「は、はぅっ!?」
そして、その手首を思い切り掴まれるに至り、ようやくユーリは我に返った。
「はわわわっ!? ご、ごめんなさいシエスタさ――!」
「…………」
本能的に謝りかけた声が凍り付く。
そこにいたのはシエスタではなく、上品な黒のドレスに身を包んだタバサであった。
「…………」
自らに向けられた懐疑の視線に、思わず戦慄する。
右手の杖をトングに持ち替えてなお、彼女は一流の戦士であった。
視線だけでユーリを制しつつ、空いた右手を鮮やかにテーブルに走らせる。
目の前にモリモリと盛られていくハシバミ草の山に、ユーリが恐るべき拷問を覚悟する。
「――もぐ!」
「!?」
喰った!
左手でユーリを捕え、一切視線を外さぬまま、大口を開けてハシバミ草を放り込む。
その鉄面皮を変える事なく、あくまで無表情で、じっくりとよく咀嚼してゴクリと呑み込む。
(……もしかして、食べ終わるまで、待てって事なの?)
じわり、とユーリの背に汗が噴き出す。
彼女の皿が空くまでの間、ユーリにはまだ反抗の猶予があると言う事だ。
ならばいっそ、先制攻撃を仕掛けてしまうのはどうか。
いかに優秀なメイジとは言え、今は体格では勝っているし、相手は杖すら持ってはいない。
彼女の使い魔に対してしたように、いきなりレードルを出して不意をつけばどうだろう。
(けど、周りにこんなに人がいたんじゃ、誰にも見られず済ませるなんて……)
――カラン。
空の取り皿に落とされたフォークが、非情にもタイムアップを告げる。
恐ろしいまでの食欲を前に、ユーリの顔が絶望に歪む。
両者に緊張が走る中、タバサの空いた右手がゆっくりと動き……、
――ガッ!
と、テーブルに置かれた大皿を、再び勢い良く手元へと引きつけた。
「……えと、タバサ、さん?」
「なぜ、私の名前を知ってるの?」
「ハッ!?」
今度こそユーリが瞠目する。
ここまでの一連の奇行は、全てこの不用意な一言を引き出すための囮だったのだ。
もはや仕掛けるしかない、
彼女の頭を叩くチャンスは、再び料理の山と格闘を始めた今しかないのだ。
「も~う、タバサったら、
せっかくの舞踏会だってのに、いつまで料理の山と遊んでいるのよ」
後ろからの聞き知った声に、ユーリは最後のチャンスが失われた事を悟った。
「……って、あなた、もしかしてプリマ・プラム!
あの後はどこに行ってたの? みんな、貴方の事を心配してたのよ」
「プリマ・プラムですって!?」
最悪であった。
タバサ、キュルケ、そして男どもの輪を掻き分けてやってきたルイズ。
衆人環視の中、三人の頭をバレずに叩くなど不可能である。
頼みの綱のシエスタも、現状の事態に気付いていない。
「ねえ貴方、こんな所で何をしているの?
ご丁寧にも本物のメイド服まで用意して?」
「……スパイ?」
「はうっ!? ち、違います! わ、私は、その……ユーリ、の……」
「……ユーリ、ですって?」
再び不用意に漏らしてしまった一言に、ユーリの顔がさっと青ざめる。
キラリ、とルイズの瞳がきらめく。
「そう、そう言う事だったのね」
「……ルイズ、なに一人で納得しているのよ?」
「ようやく繋がったのよ、全ての真実が」
「あ、あわわ……」
ピシリ、と勢い鋭くルイズが人差し指を突き付ける。
「プリマ・プラム!!
あなたの正体は、私の使い魔、皐ユリーシア――」
(も、もうダメえぇぇ―――――ッ!?)
「――の、お姉さん、皐ローザさんねッ!!」
「………… …………え?」
ぽかん、とユーリがルイズを見つめる。
当のルイズはと言えば、両腕を組んで何やらうんうんと一人で頷いている。
「え、なになにルイズ? あの子にお姉さんなんていたの?」
「最初の晩にあの子が教えてくれていたのよ。
自分の国の事と、二人の姉の事。
次女のエレーナさんは、マジックアイテムの精製を得意とする職人。
そして長女のローザさんは、プリマ・プラムの称号を持つ、
国内でも優秀なメイジだ、って」
「……確かに、言われてみれば顔立ちもそっくりね。
ずいぶん育ちが良いとは思ってたけど、本当に凄いとこの生まれだったのね、あの子」
「あ、あの、ええと……」
しばしの間、キュルケは目を丸くしてユーリを見つめていたが、
やがてふっ、と態度を軟化させ、うやうやしく一礼した。
「ふふっ、あらためまして、お会いできて光栄ですわ、ミス・サツキ。
昼間にお目にした魔法の力……、確かにその若さで称号まで持っているのも頷けますわ」
「わわっ、い、いいいえ、こちらこそよろしくです!!」
「けれどもサツキ、
貴方、なぜ学院のメイドの制服を……?」
「ひゃあ、そ、それは……」
「――ミス・サツキは私がお連れしたんです。
何やら火急の用事のようでしたので」
輪の外から投げかけられたその一言に、一同の視線が集まる。
視線の先にいたのは、今度こそ本物の学院付きのメイドであった。
「あなた、シエスタじゃないの、二人とも、知り合いだったの」
「彼女がミス・ヴァリエールの部屋の前に居るのを見つけて、私が声をお掛けしたんです。
今夜は舞踏会で遅くまで戻られないだろう事を告げると、
今日、ここを発つ前に、何とか話を通しておきたいとの事でしたので……、
差しでがましい真似をした事、どうかお許しください」
「それは別に構わないけど……、火急の用事って、まさかユーリに関する事?」
「はい、
ミス・サツキが仰るには、ロバ・アル・カリイエに戻るには、色々と準備が必要なので、
支度が整うまでは、引き続きユーリちゃんを学院で預かってほしい、と。
今日はそのお願いのために、ミス・ヴァリエールを訪ねていらっしゃったらしいんです」
「ふえぇ……」
出来る女オーラを拡散させながらトントン拍子で話を進めるシエスタの勇姿に、
知らずユーリの口から感嘆の吐息が漏れる。
「……でも、計算が合わない。
皐ユリーシアが召喚されたのは三日前、
わずか三日の内にサハラを超えて、彼女がここまで辿りつけるとは思えない」
「え、あっ、それは……」
「ひゃあ、ひ、秘密なんです!
『ろばあるかりえ』の魔法の秘密は、こちらの人たちには明かせない決まりなんです」
「魔法……」
隠し事のできないローザの言葉に、一同が呆れつつも驚愕する。
彼女の言葉はつまり、東方にはわずか三日の内に行方不明となった少女を探索し、
広大なる道程を越えてトリステインに辿りつけるほどの魔法が存在する事を意味していた。
(つまり、昼間はユーリから私達の話を聞いて、助力に駆けつけてくれたってワケなのね。
……性格はちょっと、思っていたのと違うけど、優秀なメイジって言うのは本当なんだ。
ユーリが憧れるのも分かるわ、性格は思っていたのと違うけど……)
「――分かりました、ミス・サツキ。
つまり帰還のための魔法が整うまでの間は、
引き続き、こちらでユリーシアちゃんをお預かりすればいい、と言う事ですわね?」
「あ、そ、そうなんです。
その、帰りの準備にはまだまだ時間がかかるかもしれないので、
ルイズさんにはまた、ご迷惑をおかけする事になっちゃいますけど」
「迷惑だなんて! ――元々今回の件は、私の魔法が招いた事態ですから。
ミス・サツキにもユリーシアちゃんにも、
多大な不安を与えてしまい、誠に申し訳ありません。
私に協力出来る事があれば、何でも仰って下さい。
ラ・ヴァリエールの家名に賭けて、支援は惜しみませんわ」
「はわわ、ほ、本当にもう大丈夫ですから、あ、頭を上げてください!」
一流のドレスに身を包んだ大貴族の謝罪に、あわあわとユーリが首を振るう。
だが、内心では一つ、ほっと胸を撫で下ろしていた。
怪我の功名ではあるが、ユーリの姉、ローザがトリステインに現れた事と、
ユーリを故郷に帰す手筈を告げられた事は、
ルイズの心の重荷を、幾分か取り除いてくれるであろう。
「と、言う事で、給仕がこれ以上、貴族の皆さんとお話していては不自然ですから、
私たちはここで一度、外させていただきます」
「あっ、そ、そうですよね! し、失礼します」
シエスタに促され、ユーリがそそくさと場を後にする。
だが、物影に連れ込まれた途端、猛然とシエスタの詰問を受けるハメになった。
(ど、どどど、どう言う事!?
どうしてみんなして、ユーリちゃんの今の姿を知ってるの?)
(ひゃあっ、ご、ゴメンなさい! なんて言うか、話の流れで)
(うわあああ、い、今ので大丈夫だったかな? 後で何か大変な事になったりとか……)
(お、落ち着いてください、さっきのシエスタさん、凄くステキでした)
(じゃないよ! もう……、と、とにかく、私も出来る限りフォローするから、
ボロを出さないよう、ユーリちゃんも言動に気を付けて)
(ハ、ハイ!? がんばります!)
(あと、今のユーリちゃんは『ローザお姉さん』だよ!
間違えて自分の名前を口走ったりしないでね)
(わ、わかりました! お姉ちゃんの『めーよ』に賭けて)
手短に打ち合わせを終え、二人が会場へと戻る。
再び給仕へと戻ったシエスタを見送り、ユーリはしばし、会場の隅で縮こまっていたが、
その内に周りが静まり、ホール全体に軽い緊張感が溢れだしたのを感じ、顔を上げた。
「あ、あの~、
キュルケさん、これから何が始まるんですか?」
「あら、それは『舞踏会』ですもの、やる事なんて一つだけ、ですわ」
ほどなく、楽士達が流麗な調べ始め、ホールを包む空気が緩やかな動へと変わる。
流れるリズムに合わせ、着飾った子弟たちがパートナーと優雅にステップを踏む。
「うわあ~、素敵です!」
「ロバ・アル・カリイエには、こう言った趣向の催しはないの?」
「ええと、ダンス、自体はありますけど、でも、こんな風なパーティーは初めてです」
「へえ……」
キュルケは何やら、いやらしげにニヤリと笑うと、急に声色を明るくして言った。
「それは丁度良かったわ!
こちらのミス・ヴァリエールは、何を隠そうトリステイン随一の踊り手と評判ですの。
今日はぜひ一つ、手ほどきを受けてはいかがかしら?」
「ふえっ、そうだったんですか!?」
「はあっ!? と、突然何を言い出すのよ!」
唐突に話を振られ、壁の花を決め込んでいたルイズが抗議の声を上げる。
「あ、あんたバカじゃないの!
伝統あるフリッグの舞踏会で、女の子同士、
しかもメイド服の子と踊るとかありえないでしょうが?」
「あら、名門ラ・ヴァリエールの一人娘も随分と器が小さいのね~?
命の恩人のささやかな希望ぐらい、叶えて差し上げてもバチは当たらないのに」
「そ、そこまで言うんだったらアンタが踊ればいいでしょうが!」
「ふふん、残念ながら私、先役でいっぱいなのよね~、
それじゃあ二人とも、ごゆっくり~」
糾弾の声をさらりとかわし、キュルケが颯爽と男どもの輪の中へと消えていく。
「タバ……!」
救いを求めて振り返った首がガクリと落ちる。
頼みの綱の青髪の少女は、食卓から梃子でも動くつもりがないらしかった。
「あ、あの~、どこか調子が悪いなら、今日は無理をしなくても……」
そう言い、下がりかけたユーリの肩が、がっしりと捕えられる。
心なしか空気が重い。
「……無理なんて、そんな事はありませんわ、
私でよろしければ、ダンスの事、手取り足とり教えて差し上げます」
鳴呼――。
ダメな時のルイズさんだ、ユーリはそう咄嗟に思った。
・
・
・
「ええ、ゼロのルイズは今度は何を始めたんだ?」
「って言うか相手の娘、なんでメイド服なの?」
「あんな娘、学院にいたっけ、結構いいじゃん」
中央を陣取ったラ・ヴァリエール家令嬢の奇行に周囲の好奇の視線が集まる。
ユーリが不安げに辺りを見回す。
そこかしこからざわつきが聞こえる度に、
どんどん目の前の少女の醸し出す空気が重くなっているようで、正直気が気でならない。
「とりあえずミス・サツキ、まず私が合図をしたら……」
「あ、えーっと、その前にルイズさん」
「……何?」
「私の事は、ユ……ローザで構いませんよ。
こう見えて私の方が年下ですし、敬語も必要ありません」
「へ、へえ~、そうなの、こう見えて、私の方が年上、なのね」
ピシリ、と空気に亀裂の入る音がする。
しばしの間、ルイズは自分と相手の胸元を見比べながら震えていた。
(ううっ……、な、何だか分からないけど、逆効果になっちゃったみたい)
「そ、それじゃあローザ、ダンスなんてそう難しいものでもないわ!
曲に合わせて私が合図を出すから、そしたらお互い、まずは右足から踏み出すわよ」
ごくり、ユーリが生唾を呑み込む。
あくまで優雅なミュージックを交えながら、二人の間には、
あたかも一足一刀の間合いににじり寄る剣士のような緊迫感が張り詰めていた。
「――今ッ」「ハッ――!!」
ルイズの合図を皮切りに、両者がダンスにあるまじき勢いで踏み込む。
――ゴッ!
「クハァ!」「ひゃあっ!」
……敗因としては、踏み出す足順に気を取られ過ぎたようであった。
勢い良く飛び出した二人の頭部が空中で派手にバッティングし、瞬間、目から火花が飛ぶ。
どっ、と周囲が沸き返る。
「~~~~~ッ!! い、いくら初心者だからって……」
と、言い掛けたルイズの抗議が止まる。
おそらく両者の身長差のせいで、下からカチ上げられた方がダメージが大きかったのだろう。
当のユーリは思い切り無様にひっくり返り、未だ起き上がれないでいた。
「ううっ、こ、転んだーっ!
あう、み、見ないでくださ~い!!」
顔中真っ赤にしながら、わたわたとローザが両腕を振るう。
そのおどけた仕草に、ルイズの肩の重みがフッと抜ける。
(ユーリは尊敬するメイジだって言ってたし、
実際に凄い魔法の使い手らしいんだけど……、
なんて言うか、彼女、こう言う時の姿は本当に姉妹なのね)
そう思ったとき、自然、ルイズの手はユーリに向けて差し出されていた。
「ほら、もういいから起きて、ローザ」
「……あ」
「こうなったらもう、周りの事なんて気にしなくていいから、
私たちは私たちなりに、楽しくやりましょう」
・
・
・
それからしばしの間、二人は夢中になって踊った。
ユーリのステップはたどたどしいままだったし、
相変わらず周囲は何事か囃し立てているようだったが、
その内容は、あまり二人の耳には入ってこなかった。
どれほどの時間が流れたのか、
さすがに息の切れた二人は、夜気でほてった体を冷ますべくバルコニーへ出た。
二つの月が見下ろす満天の星空に、自然、ユーリが歓声を上げる。
「ふふっ、最後の方は、中々サマになってたんじゃない、ローザ?」
「ハイ! おかげさまで今夜は、うーんと素敵な思い出ができました」
「あなたが喜んでくれたなら、私も嬉しいわ。
でも、本当はこの光景、ユーリにも見せてあげられたら良かったんだけど」
「あ……、で、でもほら、ユーリはいい子ですからっ!
ちゃんとルイズさんの言い付けを守って、今頃は部屋でおとなしくしてますよ」
「ええ、そうよね、本当にユーリは良い子……」
ふっ、と寂しげにルイズが笑う。
ひんやりとした夜の空気が、ルイズの心の熱気まで奪い取っていくかのようであった。
「今回の件、本当にごめんなさい、ローザ」
「……? なんです、また、改まって」
「ユリーシアの事。
あの子は本当にあなたの事を尊敬してて、
あなたのような立派なメイジになるのが夢だって言っていたから」
「ああ……」
じっ、とルイズが瞑目する。
隣の国に留学に行く途上だったと言うユリーシア。
彼女がトリステインで浪費している時間は、
人生と言う長いスパンで見れば、僅かなものであるのかも知れない。
だが、いかに風俗が異なるとはいえ、
彼女のような年端の行かない少女を留学させると言う事が、
どれほどに重大なイベントであったのかは、言われずとも理解できる。
失われてしまったチャンスの大きさが、
一流を目指す者にとって、どれほどの痛手であるかも、だ。
「今回の周り道が、ユーリの夢を大きく後退させてしまったならば、
私は彼女にどう償っていいのか分からない。
けれども今の私に、あなたやユーリに対して何ができるのか……」
「私たちの世界の【魔法】は――」
「……えっ」
はっ、とルイズが顔を上げる。
相変わらず夜空を仰いだまま、清々しい笑顔でユーリが言葉を紡ぐ。
「私たちの世界の魔法は、使い手の心の揺らめきに大きな影響を受けるんです。
心の成長によって、それまで使えなかった言葉が使えるようになったり、
あるいは逆に、積み重ねてきた力を失ってしまったり」
「…………」
「だから、魔法の知識を深める事や、毎日の練習も、もちろん大切なんですけど、
それ以上に、日々、色んな出来事を経験し、感動する事も大切なんです。
きっかけは、単なるアクシデントだったのかも知れませんけど、
でも、この国で見た物、出会った人、感じた事……、
それら全部がユーリの力に変わっていくんです」
ユーリはそこでくるりと振り向くと、ややはにかんだ表情で、軽く舌を見せた。
「な~んて、これは全部、私の先生に当たる人の言葉なんですけど、
でも、それって凄くステキなお話ですよね!」
「……ええ、私も、そう思うわ」
「――ユーリの事は、本当に何の心配もいらないんです。
今は少し、戸惑っているかも知れないけど、大切な事はちゃんと分かってますから。
だからルイズさんは何よりも、自分の事を大事にして下さい。
ルイズさんが毎日元気でいられたなら、それがユーリにとっても幸せなんです」
「ローザ……」
じんわりと、暖い想いがルイズの胸に満ちる。
それを言葉にしようとして、うまく形にできないままで話題を逸らす。
「さすがに喉、乾いちゃったでしょ?
何か飲み物を取ってくるわ」
「あ!そんなのは私が……」
「ううん、あなたはゲストだもの、そこで待ってて」
言いながら、ルイズがホールへと消える。
一人バルコニーに残ったユーリを、一陣のひんやりとした風が吹き抜ける。
「……なんか、色々と大変な一日になっちゃった。
ふふ、今日の事は、私だけの思い出にしちゃおう」
爽々しい表情で、ユーリが改めて天空を見上げる。
故郷フィグラーレとなんら変わる事のない、
広大な星空、そして月下に瞬く、ひとすじの流れ星――。
「――って、えっ!?」
ユーリがそれと気付いたとほぼ同時に、
薬指のルビーがきらめき、一直線に光の道を走らせる。
星のしずくが降る。
あわあわと左の手の平で指輪を覆い、慌てて周囲を見渡す。
「おまたせ、ローザ」
「ル、ルイズさん! あの、ごめんなさいッ! 私、もう行かないと……!」
「えっ、そうなの……? ずいぶん急なのね?」
問いかけながら思い出す。
シエスタの話では確か今夜、ローザはここを発つと言っていた。
夢中になって踊っている間に、時間を使い過ぎたのかもしれない。
「あ、じゃあ、ちょっと待ってて、夜道は危ないから、誰か……」
「い、いえ! 本当に大丈夫ですから」
言いながら、ユーリがあせあせと欄干によじ登る。
「ちょっ!? ロ、ローザ、アンタ何を!」
「ルイズさん、今日は本当にありがとうございました。
私、今日の事、一生忘れません!」
「じゃなくて、ここ二階……!」
伸ばしかけた手をすり抜け、ユーリが背後の闇へとジャンプする。
慌てたルイズが少女の行方を見下ろす。
「……あ!」
ルイズの視線の先で、柔らかな光が一瞬煌めき、少女の体がふわりと浮きあがる。
いつの間にか取り出した銀色のスプーンにお尻を預けながら、ユーリがにこりと振り返る。
無邪気にぶんぶんと片手を振るう姿は、外見よりも遥かに幼く見えた。
(――お仕事をする時のお姉ちゃんって、本当にかっこいいんだよ!
大空をキラキラって飛び回って、その魔法の力で、国中の人々を笑顔にしてあげるの)
ふっとルイズの脳裏に、いつかの少女の声が甦る。
――プリマ・プラム。
――星空を飛び回る魔法使い、ロバ・アル・カリイエの少女達すべての憧れ。
――あわてん坊でおっちょこちょいで、どこか世間知らずの女の子。
「――でも、確かにちょっと素敵ね、ユーリ。
あなたの国の『魔法』も、あなたのお姉さんも……」
二つの月と、きらきらと瞬く星々の間を駆け上っていく少女の姿を見つめながら、
ルイズがポツリと呟いた。
皐三姉妹について
長女のローザさんは、言わば健康なカトレアさんとも言うべき、完璧と紙一重の不憫なポジにいる大人の女性です。
一方、頭脳労働担当の次女・エレーナさんは、三女から全力で慕われているエレオノール姉さま、とでも言うべきおいしい立場にいます。
二人とも本編では殆ど描写がなかったため、
プロットの段階では出演予定がなかったのですが。
構想を長らく寝かせている間に、たかみ先生が漫画版でキャラ付けしてくださったため、ユーリのスピニアおさらい講座、と言う形で登場してもらうことにしました。
皐三姉妹にスポットをあてたSSが増えればいいなあ……。