ぴゅあ×ぜろ★みらくる   作:いぶりがっこ

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ラッパスイセンの花言葉:「尊敬」「心づかい」「あなたを待つ」「報われぬ恋」


第九話「もうひとりのおうじさま」

――ウェールズ・テューダー。

 

始祖ブリミルの開闢以来、六千年の歴史を誇る『白の国』、

浮遊大陸アルビオンの皇太子にして現艦隊司令官。

個人としてはトライアングルの実力を有した風系統のメイジであり、

行動力と、下士官からの人望に秀でた軍人でもある。

 

そんな尚武の器が、長じて政治謀略にも通じた真の英傑となるのか、

あるいは辺境の武偏者のまま生涯を終えるのか。

厳正なる史家の筆はしかし、彼に対して正当な評価を下せる日は永劫に訪れないであろう。

 

城外には聖地奪還を謡い、『奇跡』の力にてアルビオンの王国軍を打ち破り、

大いに武威示す貴族派、【レコン・キスタ】の大軍、合わせておよそ五万――。

 

そして城内には、その奇跡の煽りを喰らい、裏切りと内乱で惨めな敗走を繰り返しながら、

それでもただ、敵に最後の意地を見せると言う執念だけで踏みとどまった、

王党派の精鋭、およそ三百――。

 

将来有望たるウェールズ青年の輝かしい未来は、

本人の秘めた資質が何ら寄与せぬ所で、大方、摘み取られてしまった後であった。

 

 

 

ニューカッスル・執務室。

 

既にその役職に『悲運の』と言う冠が付く事を運命づけられた皇太子は、

現在、王国を訪れる最後の外交使節となるであろう二人を前に、

深いため息を漏らしていた。

 

「……お待たせした、トリステインからの大使どの、

 さあ、これが約束の手紙だ」

 

「これが、アンリエッタ様の……」

 

差し出された封筒に伸ばしかけた指が、ふっ、とためらいがちに止まる。

ルイズの目の前に差し出されたのは、

かつてアンリエッタよりウェールズ皇太子に送られたと言う青春の残滓。

ゲルマニアとの連合を目指し婚姻政策を推し進めるトリステインにとって

急所となりかねないジョーカーのような、その恋文を回収する事により、

アンリエッタより託された秘密の任務は、表向き、完遂したと言う事になる。

 

だが、手紙を見つめるルイズ・フランソワーズの瞳は暗い。

アンリエッタの真意が本当に単なる小間使いであったと言うのならば、

隠密行に不慣れなルイズは必要ない。

いや、辣腕で知られる宰相『鳥の骨』に仔細を丸投げしてしまえば、

そもそも極秘任務などと言うリスクを負わず解決できた案件に違いないのだ。

 

それを切れ者の大臣でもなく、有能なる魔法衛士隊長でもなく、

私的な友人に過ぎないルイズに託した意味。

こうしてアルビオンの地を訪ね、今、ウェールズの人となりに触れるに付け、

ルイズはアンリエッタの真意を思わずにはいられなかった。

 

「ウェールズ殿下、どうしても、お考え直し頂くわけには参りませんか?」

「――トリステインへの、亡命、かい?」

 

やや辟易としたようにウェールズが苦笑する。

その相貌を捉え、ルイズが身を乗り出して声を張る。

 

「アンリエッタ姫様は、窮地の貴国を見捨てられるような御方ではありません!

 殿下への書状の中には、亡命を勧める旨がしたためられていたのではございませんか?」

 

「…………」

 

「殿下、今はどうか王家の血筋をを存続する事をお考えください!

 トリステインへ落ち伸び、力を蓄え、両王家が手を取り合ったならば……」

 

「……そして、我々の追討と言う大義を得たレコン・キスタは、

 早晩、トリステイン領の侵入に動くだろう。

 今日までの君たちの働きも、あっけなく水泡に帰す事となるだろうな」

 

淡々と、あくまで笑みを崩さずウェールズが言葉を継ぐ。

 

「現王朝の国体を否定する彼奴等が、

 いずれは大陸の領土をも蚕食するであろう事は想像に容易いが、

 いかに無法な連中であったとしても、

 他国に戦争を仕掛けるにはそれなりの手続きが必要だ。

 ゲルマニアとの連合を目指すトリステインにとって、

 その時間の重要性と、我ら三百騎の援軍とでは、とてもではないが釣り合いはすまい」

 

「殿下、ですが……」

 

「トリステインにはトリステインの思惑があるように、

 我らにも我らなりの考えがあって、この地に留まっているのだ。

 自分が誰に仕えているのかを忘れてはいけないよ、ミス・ヴァリエール」

 

「…………」

 

まるで危うい実妹でも嗜めるかのようなウェールズの声。

尚も言葉を紡ごうとするルイズの肩を、傍らのワルドが無言で叩く。

確かに今のルイズの行動は、トリステインの大使と言う公を大きく逸脱するものだ。

責任ある貴族たらんと志すルイズにとって、絶対に許されざる行為であった。

 

ぱん、ぱんとウェールズ二つ手を叩き、湿っぽい空気を払わんと声を張る。

 

「――さて、二国間のきわめて重要なる会談も、これでお開きだ。

 そろそろもう一人の客人をお迎えしたいのだが、よろしいかな?」

 

返答に戸惑うルイズに代わり、ワルドが無言で頷く。

ほどなく執務室の扉が開かれ、

待ちぼうけをくらっていた緑髪の少女がおずおずと顔を見せた。

 

「あ、えーっと……、みなさん

 お話の方は、もうよろしいんですか?」

 

まるで小動物のような落ち着かない少女の姿に、ふっ、と微笑がこぼれる。

 

「ええ、あとはもう貴方へのご挨拶だけですよ。

 アルビオン王国へようこそ、ロバ・アルカリイエの聖女どの」

 

「ふぇ、せいじょって……、わ、私がですか!?」

 

「ふふ、まあ、そう言う事にしておいてほしい。

 部下たちにとっても、明るい話題が大いに越した事はないからね」

 

そう言って、ウェールズが屈託の無い笑みをユリーシアへと向ける。

無論、もしもアルビオン王国が平常の体制であったならば、

東方の名も知らぬ国から来た少女、などと言う馬の骨が、

一国の皇太子に対し目通りが叶うハズもない。

だが今や情勢は既に絶望を超え、

ニューカッスルの城内は、ある種、清々しいまでの活達さに溢れていた。

何せ早晩、国が滅ぶ事だけは確定しているのだ。

やっておいて損な事など何一つ無い。

今の彼らならば、たとえ最後に訪れたのが火事場泥棒であったとしても、

平然ともてなすに違いないだろう。

 

「さて、故国がこんな有様でさえなければ、名所の一つでも案内したい所なのだが、

 なにぶん我々も立て込んでいてね、変わりと言っては何だが、

 レコン・キスタとの決戦を前に、今宵はささやかながら宴の用意をしている。

 諸君ら大使御一行にも、是非とも参加していただきたい」

 

「宴……、ですが殿下、私たちは」

 

「長らく昵懇の付き合いをしてきた隣国の大使どのを、

 無下に帰すわけにはいかないよ。

 それに、東方の女神どのが幸運を運んできてくれたとなれば、

 兵士たちの士気もおおいに奮い立とうと言うものだ」

 

ちらりとウェールズが瞳を向ける。

傍らの老兵うやうやしく一礼し、彼の案内に従い、ユーリもまた部屋を後にする。

ルイズもまた、二人に続いて席を外そうとしたが、

 

「……え?」

「おや? 子爵どの、まだ私に用がおありかな?」

 

立ち上がりかけた肩を抑えられ、ルイズが思わず動きを止める。

ちらり、と去りゆくユーリの姿を横目で確認すると、やがてワルドは重々しく口を開いた。

 

「――恐れながら、殿下に伏してお願いしたき儀がございます」

 

 

――アルビオンの夜は、醒める事を知らないかのようだった。

 

老王も、家臣たちも、貴夫人も、老いも若きも、上も下もなく、

大いに飲み、食し、笑い、吠え、

簡易な玉座が置かれたホールは、華やかな笑顔と喧騒に満ち溢れ、

戯曲の終盤を飾るに相応しい舞台を描き出していた。

 

もとより、ここから先に残るのは、勝つとか負けるとか言った筋書きではない。

長い内乱の中で、運の無い者は死に、目端の利く者は奔り、逃れんとする者は去り、

後には戦って死にたい者が残っただけなのだ。

今さら宴に傾く事に、水を差そうと言う者などいない。

 

ゆえに、そんなバカ騒ぎに巻き込まれたトリステインからの大使一行も、

それはそれは手厚い歓迎を受けるハメになった。

今の彼らならば、庭先に鳩が下りれば幸福の使者だと言うだろう。

鬼火が出れば先人よ照覧あれとでも叫ぶであろう。

ましてやそれが、友人のために危険も厭わずやってきた東方の少女ともなれば、

おお、我らが奇跡の女神よ、と言う事になる。

 

当のユリーシアはと言えば、それはもう、ただひたすらに翻弄され続けていた。

人々が満面の笑みを浮かべながら、あるいはその勇気を讃え、あるいは銘酒を携え、

あるいは目頭に涙を浮かべて固い握手を求めてくる。

目も回るような手厚い歓迎の中、少女はただただ振り回されるしかなかった。

 

もちろん、今の彼らが置かれた心境を、ユーリが理解していないワケではない。

アルビオンの危うい情勢については、船中でワルドやルイズから十分に聞かされていたし、

それでも尚、滅亡を控えた城内に留まらんとする貴族の生き方についても、

ユーリはより身近な例をもって理解してはいた。

 

だが、かつての姉の言葉通り、

理屈の上で分かる、と言う事と、真理として共感できる、と言う事は全然違うものなのだ。

 

貴族、内乱、聖戦、裏切り、敗走、矜持――。

いずれをとっても、この地に来て半月にも満たぬ少女にとっては、文字通り遠い世界の出来事だ。

悲劇を正しく悲劇として理解できず、ただただ困るしかない。

がんばれと言えばいいのか、無理はしないでと言えばいいのか、

結局は何も言えず、適当に笑い返すしかない。

 

「……あ」

 

人ごみの中、ユーリの瞳がルイズの姿を捉えた。

トリステインの名門貴族の令嬢ならば、こう言う場合にどのように返すのであろうか?

興味深くユーリが瞳を走らせる。

 

(……え?)

 

ふっ、と一瞬、ルイズと目が遭ったように感じた。

遠目にした主の顔は、何やら酷く寂しいものに感じられた。

とっさに何か声を掛けようと、踏み出しかけた足が再び人の波に押し返され、

ルイズの姿も人波の向こうへと消えてしまう。

少女たちの心を置き去りにして、熱狂の夜は果てる事なく続いていた。

 

 

「ふぅ……」

 

熱気に包まれた宴席を離れ、ようやくユーリが安堵の息をつく。

テラスから眺めるホールは、老王を中心として宴もたけなわと言った所で

まるで舞台劇のワン・シーンでも望むかのように遠い世界に見えた。

 

ちらと夜空を見上げる。

天空に最も近い大陸と言う空想がそう思わせるのか、二つの月明かりに描き出された星空は、

トリステインで見た時よりも、幾分澄んでいるかのように感じられ、

今、それを語らう相手が傍らにいない事が、ひどく寂しい事のように感じられた。

 

(……えっ?)

 

何気なく視線を泳がせて、ようやくユーリは、そこに先客が居た事に気が付いた。

 

ウェールズ・テューダー。

本来なら、本日のパーティーの主催を務めるべき青年が、

ほの暗い観客席から、眩いばかりの舞台をまっすぐに見つめていた。

万歳三唱の響く大団円のホール、その煌めきに照らし出された皇太子の笑顔が、

何故か今のユーリには悲しいものに感じられた。

 

「あ、あの……、王子、様?」

 

――そして、そう思った時には、ユーリは行動に移っていた。

 

「……やあ、誰かと思えばプリマ・プラムか、

 どうだい女神どの、パーティーの方は楽しんでいるかい?」

 

「その、王子様……、は」

 

「えっ?」

 

「王子様は、その、お元気ですか?

 パーティー、楽しめていますか?」

 

そこまで声にして、ハッ、とユーリが口をつむぐ。

今日の宴は、城内の人間にとって今生の別れに近いものだと分かっていたハズである。

近々三百もの部下を冥府に導かねばならない司令官に、

宴を楽しめる余裕などあるワケもない。

あまりに考えなしの発言を恥じ、ユーリが内心で頭を抱える。

 

一方、当のウェールズはと言えば、しばしきょとんと目を丸くしていたが、

その内に悪戯がバレた少年のように苦笑を見せた。

 

「……っと、これは参ったな。

 今の僕は、そんなに情けない顔をしていたのかい?」

 

「えっ?」

 

「いや、忠告痛み入る、東方の聖女どの。

 だが今の話は、どうか皆には内密にしておいてほしい。

 武門の柱たる指揮官がこのザマでは、部下たちにからかわれてしまうからね」

 

照れ隠しに片目をつぶる皇太子に対し、今度はユーリが驚きの視線を向ける。

貴族の矜持がどう言うものであるのか、決して心の底より共感は出来ないにしても、

その在り方については、主であるルイズを通じて理解しているつもりだった。

その誇りゆえに、あのホールに留まった人々は、

誇り高き勇者たらんと宴に酔いしれていたハズである。

 

で、あるならば、今の王子の弱気とも取れる態度は、

滅びゆく王党派の指導者としてふさわしいものではない。

絶対に他人には見せられぬハズのその姿を、

なぜに今更、異邦人の少女の前で曝け出そうと言うのだろうか?

 

しばし逡巡の後、ユーリは「王子様が舞台から降りてきてくれたのだ」と考える事にした。

あるいはウェールズもまた、今のユーリと同じように、

広大な夜空の下で、人恋しくなっただけなのかもしれない。

 

ただ、今の差し迫った状況下で、

指導者たるウェールズが心情を吐露できる人物など、ほとんど限られている。

例えばそれは、国家と言う立場や肩書を取り払って語り合う事ができ、かつ、

弱音を吐く事が許されるほどに、今の皇太子と縁が遠い人物……。

この城内で言うならば、

「たまたま大使の個人的友人としてくっついてきた、名前も知らぬ遠い国の女の子」

くらいが精々と言った所であろう。

 

ゆえにユーリは、目の前の王子の厚意に全力で甘え、

迂闊でお喋りな皇太子と、不躾で無遠慮な田舎娘の会話を続ける事にした。

 

「あの、王子様もやっぱり、戦うのが怖いものですか?」

 

「いいや、こちらは物心ついた時から、

 貴族の義務と使命について、骨の髄まで教え込まれてきた身さ。

 事ここに至ってしまえば、戦う事や死ぬ事よりも、

 これまで当然のように重ねてきた義務を放棄してしまう事の方が恐ろしい」

 

小心者なものでね、とウェールズが肩をすくめる。

だが、その瞳はすぐに真剣な色を宿らせる。

 

「だが彼ら、

 王家の不明に巻き込んでしまった家臣たちについては、もはや詫びのしようもない。

 今さら言っても栓無き事とは言え、本当はもっと良いやり方があったのではないかと、

 どうしても不毛な事を考えてしまう」

 

「……本当に、もう、どうしようもないんでしょうか?」

 

「……明日の夕方、イーグル号がこの城より最後の出航をする。

 城内に未だ留まっている非戦闘員たちを乗せて、ね」

 

寂しげな瞳を、そっとアルビオンの闇に流しながら、ウェールズが言葉を紡ぐ。

 

「一たび虎口を逃れれば、いかにレコン・キスタであっても、

 強いて追撃をかけようとは思わないだろう。

 だが、その間、城中に留まって持ち堪えるための役は必要だ。

 貴族の本懐……、と言うワケさ、

 今さら逃げ出すわけにはいかないな」

 

「…………」

 

「――それに、聞くところによると昨今のトリステインは、北からの脅威に抵抗するべく、

 水面下で隣国ゲルマニアとの連合を模索している最中なのだという。

 従兄妹どのの婚姻をテコにしてね」

 

「結婚……、お姫様がですか?」

 

ユーリがはっ、と驚きの声を上げる。

魔法学院を訪ねてきた夜の、憂いに満ちたアンリエッタの顔。

目の前のウェールズが見せる寂しげな横顔。

様々なピースがユーリの中で、カチリと音を立てては重なり合っていく。

 

「もしも今、この身が国外に逃れたならば、

 レコン・キスタはそれを口実として、他国に対し寧猛な牙を剥くだろう。

 いずれにせよこれ以上、僕が生き延びた所で、

 いたずらにアンリエッタを惑わせるに過ぎ……」

 

「あっ! そ、それは違いますッ!」

 

「……プリマ・プラム?」

 

少女が初めて見せた意志の強さに、ウェールズが独白をやめて振り返る。

ぐっ、と息をのみ込み、ユーリが気持ちを言葉へと変える。

 

「王子様が生きていたら迷惑なんて、そんな事はありません。

 きっと、きっとお姫様が願っているのは、そんな大それた望みじゃないんです」

 

「ミス・サツキ……、ならば、彼女は何を?」

 

「会えなくたって、そばに居られなくたって、

 それでも、大好きな人と同じ空の下にいるんだって思えたら……、

 もう一度、再開できるかもしれないって希望が持てたら、

 きっとお姫様は、その想いだけで、

 どんな辛い出来事だって乗り越えていけるんです!」

 

「――!」

 

「こんな事を言うのは、無責任かもしれないですけど……、

 でも、お願いですから、最後まであきらめないでください!

 自分が生きていてはいけない人間だなんて、そんな風に思わないでください!」

 

今度こそウェールズは息を呑み、

かすかに震える少女の面立ちを、まじまじと見つめ直した。

一陣の熱気を孕んだ風が、二人の間を通り過ぎていく。

 

ユリーシアにとってハルケギニアは、どこまで行っても遠い世界だ。

国家間の思惑も、貴族の矜持も使命も、

真の意味で彼女に理解できる日は訪れないであろう。

 

だが、ただ一つ、恋する女の子の気持ちだけは分かる。

 

自分とレトロシェーナの『王子様』が再会できる望みは、

果てしなく薄い事であろう事を、幼いながらもユリーシアは知っている。

その上で、もう一度逢えるかもしれないと願う事が、どれほど強い勇気をくれるのかも。

 

家族に愛され、友人たちに恵まれて生きてきたユーリでさえそう思う。

ましてや宮中で孤独に苦しむアンリエッタにとって、

ウェールズへの尽きぬ想いは、どれほどの希望である事か。

 

長い沈黙の果て、やがてウェールズは目を細め、静かに口を開いた。

 

「……ミス・サツキ、君は、不思議な目をしているな」

 

「目、ですか?」

 

「君の瞳を見ていると、随分と昔の事を思い出すよ。

 ラグドリアン湖のほとりで出会った頃のアンリエッタの、

 純真無垢で、奔放な輝きを宿した瞳の色を……」

 

「私が、お姫様と同じ……」

 

「っと、子供に比較されたなどと、気を悪くしないでほしい。

 きっと人は皆、誰しも瞳に輝きを宿して生まれてくるのだと思う。

 けれど、社会の中で現実を知り、いくつもの壁にぶつかる内に、

 いつしかその輝きは失せてしまう。

 たとえそれが、どんなに立派な人間であろうともね」

 

ウェールズが寂しげに笑う。

彼もまた少年の頃には、瞳に無限の輝きを宿した勇者であったのかもしれない。

 

「現在のアンリエッタもおそらくは、あの頃の瞳を宿してはいないだろう。

 今の彼女は絶望に暮れるあまり、自分を慕う人々の姿が見えてはいまい。

 けれどトリステインにも、すばらしい人間は大勢いる。

 あのミス・ヴァリエールのようにね」

 

「……はい」

 

「ミス・ヴァリエールもまた、君に近い純粋さを持った女性だ。

 けれど今、彼女はその純粋さゆえに、我々の身勝手な正義に対し深く傷ついている」

 

「えっ!? ルイズさんが、ですか?」

 

意外な一言に驚きの声を上げるユーリに対し、ウェールズが静かに頷く。

一瞬、ユーリの脳裏に、パーティーで見た寂しげなルイズの瞳が思い出された。

 

「彼女は近い将来、アンリエッタの孤独を支えてくれるであろう大切な人だ。

 プリマ・プラム、今は貴方の優しさで、どうか彼女を支えてあげてほしい。

 貴方の純粋な眼差しは、我々にではなく、どうか彼女達のために――」

 

そう言い終わると、ウェールズはユーリへと向き直り、深々と頭を下げた。

思わずユーリが息を呑む。

一国を代表する皇太子が、素性も知れぬ田舎娘に頭を下げる。

公の立場ならば無論、許されるような行為ではない。

だが今、ウェールズが少女に託したものは、立場や肩書を超えた個人的な願いに過ぎない。

 

「あの、王子様……、

 私なんかが、どこまで役に立てるか分かりませんけど、

 でも、ルイズさんのために、私にできる事を、精一杯頑張ります!

 だから、だから王子様も……!」

 

「……そうだね。

 東方の聖女の助言、不明たるこの身にも染みたよ」

 

すっ、とウェールズが顔を上げる。

その笑みに先ほどまでの寂しさの陰りはない。

 

「今さらこんな事を言っても、全ては手遅れなのかもしれないが、

 だが、それでも最後の時が訪れるまで、私も決して望みは捨てまい。

 最後の最後まで生き延びる努力を忘れぬ事を、今日のプリマ・プラムとの友誼に誓おう!」

 

「はい、私も、王子様と『約束』します!」

 

溌剌とした表情で、ユーリがおもむろに小指を差し出す。

ウェールズは思わずぎょっと目を丸くしたが、やがて苦笑交じりに自らも小指を立てた。

 

 

ホールへ戻るウェールズと別れ、ユーリは一人、夜の廊下を歩いていた。

 

その脳裏によぎるのは、パーティーで垣間見た寂しげなルイズの横顔だ。

宴席には、すでに彼女の姿はなく、尚の事、王子の忠告が胸に刺さった。

間取りを知らぬ薄暗い城内、知らず焦燥感が少女の心を締め付けていく。

 

「……あ」

 

ユーリの足がぴたりと止まる。

廊下の先、開いた窓から差し込む月明かりを浴びて、ルイズはそこに立っていた。

何か思いつめたかのような横顔は、美しさを飛び越え、いっそ儚げに見えて、

思わずユーリは、はっと息を呑んだ。

 

一瞬、声をかけるのをためらい、だが、それでもここに来た意味を思い直して、

ユーリが一歩、歩を進める。

 

「あの、ルイズさん?」

 

つとめて平静にユーリが声をかける。

振り向いたルイズの悲しげな瞳が、ユーリに二の句をためらわせる。

 

「え、えっと……、どうしたんですか、こんな所で?」

 

「……ローザ」

 

「パーティに戻りましょう、きっとみんな、ルイズさんの事を待ってますよ」

 

「……戻れない」

 

「えっ? ルイズさ――!」

 

ふっ、と呼びかけが途切れる。

突然胸元に飛び込んできたルイズに、足がもつれ、ユーリがどん、と壁を背負う。

 

「ル、ルイズさん!?」

 

「……して」

 

「えっ?」

 

きっ、っと顔を上げ、ルイズが弾ける。

大粒の涙が溢れて零れる。

 

「どうして、ローザ?

 どうしてあの人達は死を選ぼうとするの!?」

 

「――ッ!」

 

「恋人が逃げてって言っているのに……、

 愛する人の、残される人の気持ちなんて、そんなにも軽い物なの?」

 

――鳴呼。

 

胸元で悲痛な叫びを上げるルイズを見下ろし、ユーリが己の愚かさを呪う。

皇太子の慧眼は、やはり正しかったのだと、

 

貴族の在り様、その気高さを事ある毎に示してきたルイズの事である。

今回のアルビオンの悲劇も、事態の本質が理解できない自分とは違い、

貴族として避けては通れぬ道と、

彼女の中で割り切れるものなのだろうと、そうユーリは勘違いしていた。

その自身の安直さが今は恨めしい。

 

彼女は確かにトリステインの『今』を生きる少女だ。

このハルケギニアの事象を、所詮遠い異世界の物語にしか思えないユーリとは違う。

誰よりも誇り高き貴族たらんと、自らを必死に型に押し込めてきた少女が、

二律背反する現実を前に、簡単に割り切れようはずがなかったのだ。

 

ずしり、と今更になって、ユーリは現実の重さを実感しつつあった。

あの気のいい酔いどれたちも、朗らかな老兵も、素敵な優しさをくれた王子様も、

いずれ数日の内に、その全てが失われてしまう。

そう思うと、じくりと心臓がいたんだ。

 

知らず目頭が熱くなり、思いの丈が溢れそうになる。

この気持ちを嗚咽に変えて漏らしたならば、あるいは目の前の少女と悲しみを分かち合い、

その痛みを幾分かでも癒す事が出来るのであろうか――?

 

ぶんぶんと頭を振るい、弱い気持ちを必死で追いだす。

小指に絡めた温もりの残滓が、ユーリのやるべき事を教えてくれる。

幼いユリーシアにしか選べない選択肢があるように、

『皐ローザ』だからこそかけられる言葉もあるのだ。

例え言葉が足りなくとも、気持に余裕が持てなくとも、

今のユーリは姉・ローザならばかけられたであろう優しさを以て、

ルイズに接しなければならない場面であった。

 

「――ルイズさん、トリステインに帰りましょう」

 

ゆっくりと、ユーリが口を開く。

震える気持ちが伝わらぬよう、スカートの裾を強く握り閉めて。

 

「私、うまくは言えないんですけれど、

 きっと、どんなに強い魔法があっても、できない事はあると思うんです」

 

「…………」

 

「別々の国に生まれて、いろんな人たちがいて、いろんな生き方があって

 その中で、どうしても叶えたい強い気持ちがあって……、

 例えそれが、私たちに理解できないものであったとしても、

 それを力づくで捻じ曲げるような魔法は存在しないし、

 たとえあったとしても、それは絶対に使っちゃいけない魔法なんだって思うんです」

 

「……ローザ」

 

「……この国で起きた事は、悲しい出来事ばかりだったし、

 何もかも、うまく行ったわけじゃなけれども、

 でも、一度請け負ったお仕事は、最後まで責任を持たなきゃダメですから」

 

「ローザ、でも、私……」

 

「ルイズさんが無事に帰るだけで、救われる人もいっぱいいます。

 お姫様も、シエスタさんも、キュルケさん達も、それにもちろんユリーシアも。

 みんなきっと、首を長くしてルイズさんを待ってます!

 だから……ねっ?」

 

濡れそぼったルイズの二つの瞳が、ためらいがちにユーリを覗き込む。

だが、それ以上の想いはうまく言葉に変える事はできず、代わりにユーリは必死で祈った。

 

今の自分が、うまく笑えていますように、と。

 

 

――翌日。

 

アルビオン王国最後の熱狂の夜が明け、ユーリが全ての支度を整え終えたのは、

すでに日も高くなろうかと言う刻限であった。

ほどなく、部屋の扉が叩かれ、同じく帰り支度を済ませたワルド達が姿を見せた。

 

「おはよう、プリマ・プラム

 ここを発つ準備の方は、すでに終わっているようだね」

 

「はい、私の方はもう大丈夫です」

 

「うむ、それで、予定の方は聞いていると思うが、

 今日の夕刻、この城より非戦闘員を乗せた最後の船が出る。

 君はそれに同乗し、一足先にトリステインに戻ってほしい」

 

「えっ、先にって、ワルドさん達は……?」

 

きょとんと目を丸くしたユーリに対し、ワルドが大げさに肩をすくめる。

 

「残念ながら、我々にはまだ大使としての公務が残っていてね。

 どうしても君と一緒に帰る事は出来ないのだよ」

 

「あ、あの! それなら私も残って……」

 

「お願い、ローザ。

 ワルドの言う通りにしてちょうだい」

 

と、そこでルイズが顔を上げ、二人の会話に割って入った。

 

「アルビオンの情勢は、日一日と悪化しているわ。

 ローザ、あなたは半日でも早くキュルケ達と合流して、

 今の状況を魔法学院に伝えてちょうだい」

 

「ルイズさん、で、でも、私……」

 

「あなたには、一歩でも早くユリーシアの許に戻って、

 私たちの無事を伝えてあげて欲しいの。

 あの子の事、少しでも早く安心させてあげたいから」

 

「あ……」

 

そう言われ、ユーリが反論に詰まる。

自らの使い魔を思うルイズの思いやりに、返す言葉などあるはずもない。

ユーリの沈黙を受け、ワルドが笑ってその肩を叩く。

 

「ふふっ、何もそう暗い顔をする事はないさ。

 大丈夫、ルイズの事は許婚者の僕が、一命に変えても守り抜いてみせるよ」

 

「……はい、よろしくお願いします」

 

「さて、出航まではまだ時間がある。

 君は今の内に城内を回って、挨拶を済ませておくといい」

 

 

ワルドの勧めに従い、ユーリが一人、慣れぬ城中を歩く。

さすがに決戦前と言う事もあり、通れる場所も限られてはいたが、

かと言って人々が皆、部外者であるユーリに厳しく当たるワケでもない。

 

滅亡間際のアルビオンを訪れた『東方の聖女』の二つ名は、

当人が思っていた以上に兵士たちの受けが良かったようである。

熱狂に溢れた昨晩の歓待とはまた異なり、皆が気さくに声を掛けてくる。

 

ユーリもまた、今日は自然体でそれを受ける事が出来た。

声をかけてくれた相手、一人一人に丁寧に、時間をかけて挨拶を返す。

残されたわずかな時間、一つ一つの場面を心に刻み込むように。

 

城内をゆっくりと一回りした後には、すでに日は、ゆっくりと傾き始めていた。

ルイズ達との約束に従うならば、

そろそろ船着き場へと向かわなければならない刻限が迫っていたのだが……。

 

 

『――敵の狙いは初めから、私たちの足止め……、戦力の分断にあった。

 恐らくはアルビオンにもアイツらの仲間がいる。

 私たちが再合流する前に、もう一度仕掛ける腹積もりでしょうね――』

 

 

先日のキュルケの忠告が、じくり、とユーリの胸を刺す。

あの言葉が単なる杞憂であれば良いのだが、疑念をどうしても拭う事ができない。

 

日中、ユーリが見聞した限りでは、城中に不信の影は見られなかった。

元よりすでに城内は寡兵、守る者全てが気心の知れた顔見知りと言った状態の場所に、

間者の入り込む余地があるとは思えない。

 

で、あるならば、キュルケの言う『敵』が仕掛けてくるのは、

ニューカッスルを離れたルイズ達が帰路に着く、まさにその途上なのかもしれない。

それを思うと、どうしても今、ルイズ達を残しアルビオンを離れる決心が付かなかった。

 

「おやおや、これはプリマ・プラム、

 こんな所でいかがなされましたかな?」

 

「ふぇっ?」

 

聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは、

先日ユーリ達に城内を案内してくれた、パリーと言う名の老兵であった。

 

「そろそろ船着場より、イーグル号の出る刻限ですぞ。

 道に迷ったのであれば、私がご案内いたしましょうか?」

 

「あ、いえ、そうじゃなくって、わ、私……」

 

パリーの申し出に対し、ユーリは困ったように周囲を見渡していたが、

やがて意を決し、次の言葉を放った。

 

「あの、パリーさん……、

 王子様とルイズさん達がどちらにいるか、ご存じありませんか?」

 

「ほう?

 ミス・サツキは、お二人とは別行動でお帰りになるとお聞きしておりましたが?」

 

「はい、確かにルイズさん達には、先に帰るように言われていたんですけど、

 けど私、今は出来る限りルイズさんの傍にいてあげたいんです。

 どうしても三人の邪魔になるって言うなら、それでも構いません。

 せめてお部屋の外で、護衛の兵士さんたちをお手伝いさせてもらえないでしょうか?」

 

「……ふむ」

 

慮外の申し出を受け、アルビオンの老臣はしばし、まじまじとユーリを見据えていたが、

その内にふっ、といつもの好々爺に戻って一笑した。

 

「ふふ、これは参りましたな。

 実は今、ミス・ヴァリエール達は、式の準備の最中なのですよ。

 ウェールズ皇太子を媒酌人に据えた結婚式のね」

 

「結婚式……って、ふぇ、ええっ!?

 もしかして、ルイズさんとワルドさんの!?

 で、でも私、何も聞かされて……」

 

「……きっとミス・ヴァリエールは、

 貴方を危険に遭わせたくなかったのでございましょう。

 何ぶん外の連中との決戦を間近に控えた状況ですから、

 今は一刻も早く、この城を離れるに越した事はありませんからな」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「ですが、貴方さまがそうまで留まると仰られるなら構わないでしょう。

 御三方はそろそろ、礼拝堂に向かわれている頃合いです。

 人生の門出に、参列者が一人もいないでは寂しい。

 どうぞ、お二人の祝福に行って差し上げてください」

 

「は、はいっ、ありがとうございます!」

 

 

『結婚式……?

 ワルド、あなた、こんな時に何を考えているの?』

 

『おや、ルイズは今の僕では不満なのかい?』

 

『それは、でも、わ、私は……』

 

『……真面目な話をするとね、今の皇太子は君の進言を無下にした事に対し、

 内心は心苦しく思っているはずさ。

 我々に対し、何か残せるものが一つでもあると思えたならば、

 その心労を幾分かでも取り除いて差し上げられると考えるのだがね?』

 

『そう、なのかしら?』

 

『ああ、それと彼女、プリマ・プラムには……』

 

『ええ、あなたの言う通り、内緒にしておくわ。

 こんなこと聞いたら、彼女は絶対に残るって言い出すでしょうから……』

 

 

 

 

 

 

「――新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド」

 

やや固いウェールズの声が礼拝堂に響き渡り、束の間のルイズの思考が打ち破られる。

雑念に気を取られる内に、式の方は随分と進んでいるようであった。

 

「汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とする事を誓いますか」

 

「誓います」

 

一瞬の迷いもなく、重々しいワルドの声が届く。

幼い頃より、ずっと自分の味方だった、『王子様かもしれない人』の声だ。

だが今、その誓いの前にルイズは、ただただ戸惑うばかりであった。

 

「――新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

 

何がここまで、自分の気持ちを波立たせているであろうか?

不確定な心の欠片を、ルイズが一つ一つ丹念に拾っていく。

 

ワルドと会えなかった時間の長さ、確かにそれはある。

ワルド自身の強引さも、それに拍車を駆けるのであろう。

そして、レコン・キスタの差し迫る、この状況の異常性、

家族や周りの人間に、何一つ説明できぬまま話を進める事、

それらしい要因ならばいくらでもある。

 

しかし、同時に今のルイズには、胸中を覆う深いもやについて、

何かもっと、根源的な原因が自分自身の中にあるように感じられていた。

変わったのはあるいは、自分の意識ではあるまいか?

ならば自分を変えたものは、一体なんであったのだろうか、と……。

 

 

「――新婦?」

 

俯いたままの新婦に対し、ウェールズが訝しげな表情を向ける。

そっ、とルイズの肩を、ワルドが優しく叩く。

 

「緊張しているのかい、ルイズ?

 大丈夫、今はまだあくまで儀礼的なものだが……」

 

「……違う、違うのよワルド、

 ごめんなさい、今はまだ、あなたの誓いを受ける事はできないわ」

 

新婦の口から聞こえたはっきりとした拒絶の声に、男二人が思わず顔を見合わせる。

つとめて声を荒げぬよう、ワルドが静かに口を開く。

 

「今はまだ、と言ったね、ルイズ。

 それはつまり、君の中で、何か引っかかっている事があるというワケだ」

 

「…………」

 

「察するにそれは、君の可愛らしい使い魔に関する事なのかな?」

 

「ええ、そうね、確かに彼女にも関わる事だわ」

 

ほう、と一つ息を吐いて、ワルドが安堵の笑みを向ける。

 

「なるほど。

 確かにあの幼い使い魔の将来を思えば、責任感の強い君の心は定まらないだろう。

 だが、その少女を助けるために彼女の実姉、プリマ・プラムはやってきた。

 君の使い魔の事は彼女、ミス・サツキに任せれば何の問題もない、そうだろう?」

 

「……いいえ、

 それだけじゃないのよ、ワルド。

 以前、あなたが教えてくれたでしょう。

 彼女たちと、私の魔法についての考察を」

 

思いもよらず少女の口から飛び出した『魔法』の二文字。

思わず鼻白んだワルドに対し、ルイズがさらに言葉を重ねる。

 

「あの仮説と関係があるのか、今はまだ分からないけれど、

 でも今の私は、もう一度、自分の可能性を信じてみたいと思っているわ」

 

「……自分の、可能性?」

 

「ええ。

 今さらこんな事を考えるのはきっと、彼女たち、ユリーシアやローザと出会ったから。

 まっすぐに夢を信じる強い意志の力や、

 私たちの知らない、未知の魔法の存在を知ってしまったから……。

 

 憧れ……、ううん、

 それは本当は羨望や嫉妬みたいな、浅ましい感情なのかも知れない。

 でも、確かに私は彼女たちを知って、

 心の底から希望を、自分自身の願いを取り戻したいと思うようになった」

 

ウェールズも、ワルドも一言も発しない。

広い礼拝堂に、彷徨える花嫁の独白が続く。

 

「今はまだ、何をすれば良いのかも分からない。

 ただきっと、こんな半端な気持ちのまま、貴方に頼ってしまったら、

 きっと私、一生『ゼロ』のままになってしまう。

 勝手な事を言っているのは、自分でも判っているのだけれど、

 でもお願い、せめて魔法学院を卒業するまでは……!」

 

ぱち、ぱち、と――、

ルイズの言葉を遮って、ワルドが拍手を響かせる。

 

「素晴らしいよ、ルイズ。

 君が自分自身の可能性について、そこまで深く考えていたと言う事、

 僕は心の底からうれしく思う」

 

「ワルド……、ありがとう」

 

屈託のないワルドの讃辞に、ほうっとルイズも安堵の息を吐く。

だが直後、不意にワルドの表情に影が刺した。

 

「……それだけに残念だよ、

 君がこれから、自分の意志でどのように成長していくのか、

 その可能性を待つだけの時間が、すでに世界には残されていない事が」

 

「……えっ?」

 

「もはや、アルビオン王国は早晩滅ぶ。

 始祖ブリミルに連なる王朝の一つが滅んだならば、

 それだけで『虚無』はいずこかへと流れ、動乱の時代が幕を開ける事になる。

 その激動の中で、未熟な君の成長を待っているだけの時間は、僕には無い」

 

「し、子爵、君は一体、何を……!」

 

動揺する二人の声を遮って、ルイズの両肩を抑えながら、

何者かへと豹変したワルドが天へと吠える。

 

「世界だルイズ! 僕は世界を手に入れるッ!!」

 

 

「……えっ?」

 

不意に彼方より響いてきた声に、ユリーシアの足がぴたりと止まる。

言葉の中身は聞き取れなかったが、その声色が穏やかならざる事だけはたちまち理解できた。

とくん、と震える心臓を抑え、声のした方角へ歩を早める。

 

果たしてユーリが辿りついたのは、パリーより教えてもらった、件の礼拝堂であった。

わずかばかりに開いた扉の先から零れる声が、

近づくほどに明確に、尋常ならざる雰囲気へと変わっていく。

 

意を決し、扉の奥をそっと覗きこむ。

ヴァージン・ロードの彼方、祭壇の前で三人の男女がもみ合っている。

ユーリの良く知る三人、おそらくは、ルイズ、ワルド、ウェールズだ。

何かしらの怒号を上げて、ウェールズとワルドがもつれ合い、

傍らのルイズが悲痛な叫びを上げる。

皇太子を振り払い、高々と掲げたワルドの杖先が光を放つ。

 

――刹那、交錯。

 

一瞬の静寂を置いて、皇太子の体が、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

状況が、正しく状況として理解できない。

ユーリの両足が、まるで別の生き物ように小刻みに震え、

本人の意思に背いて、指一本動かす事も、瞳を逸らす事も叶わない。

 

ルイズが何事か滅茶苦茶に喚きながら、杖を構えようとする。

悠然とワルドが振り向くと、室内に暴風が舞い踊り、周囲の祭具を薙ぎ払いながら、

少女のか細い体を容赦なく壁面へと叩きつける。

 

「――ッ! クローチェッ!?」

 

その光景を目の当たりにした瞬間、

今度こそユーリは、バネで弾かれたかのように飛び出していた。

ゆっくりとワルドが振り返り、乱入者に対し冷徹な瞳を向ける。

頭の中が真っ白になり、刹那、ユーリはまるで運命に導かれるかのように、

その『言葉』を口にしていた。

 

 

 

『ティム・フォールナ……、メイッ!!』

 




今まで本筋の表裏をちょろちょろしていたユリーシアですが、
次回あたりから大きく物語が動き出す……予定です。
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