リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~   作:小村・衣須

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今日2話目の投稿です。ご注意ください。


其の拾漆 助けてほしいと願うなら

「はぁっ……はぁっ……はぁ……っ、く、うっ……!」

 

 走る。走る。ただ走る。

 自分以外に誰もいやしない暗がりの商店街を、姫華はただ1人走り続ける。

 

 逃げる拍子に放り捨てた鞄など、もう回収しようにもどこに置き去ってしまったかすら分からない。

 唯一、灰管の手から奪還できた手鏡だけは、元通り服の内ポケットに隠している

 これが無ければ、自分の心は既に折れていただろうという不思議な確信があった。

 

「なんっ、で……こんな、こんな事に……っ」

 

 その呟きに明確な答えを返してくれるものなど、誰もいない。

 それを分かっていながらも、呟かざるを得なかった。弱音でもなんでも、口にしなければ心が壊れてしまいそうで。

 何故ならば。

 

「ケッケケケケケ……! どこだァ……? どこにいるのかなァ……?」

「……ひっ……!? もう、来てるっ……」

 

 遥か後方に仄かな熱を感じて、姫華の背筋にゾクゾクと怖気が走った。

 走りながら振り向けば、遠く暗がりの奥から赤い灯が2つ、ゆらゆらと奇妙に揺れ動きながら近付いてきている。

 それが人魂などというチャチなものではない事を、少女はよく理解していた。

 

「よ、妖怪……なんて、いる筈が無い……無い、のにっ……!」

 

 荒い呼吸に混ぜて、そんな言葉を口にする。

 妖怪はいない。オバケは子供の内に卒業するもの。心霊現象なんてあり得ない。妖怪はいない。妖怪なんて誰も信じない。

 姫華たちが信じていた現実性は、この30分で粉微塵に破壊された。

 

「いいのかァ……? いいのかァ……? そんなにトロトロ走ってちゃァ、楽しい『おにごっこ』はあっという間に終わっちまうんだよなァ。そしたら、お前の肉がおれの夕飯なんだよなァ……!」

「~~~っ……!」

 

 恐怖を駆り立てる囁きに、限界を超えつつある足の筋肉を更に酷使した。

 

 あのチョウチン・ネコマタを名乗るネコの化け物が「おにごっこ」を提案してきてから、かれこれ30分ほど。

 一目散に逃げ出した灰管と取り巻きその2がどこで何をしているのかを知る術は無い。

 

 そもそも、自分が今走っている場所さえ不確かな状況だった。

 姫華の知る限り、このシャッター街はこんなに長く、どこまでも続くような場所では無かった筈だ。

 にも拘らず、途中で横道に飛び込んだりはしたものの、どこまで走っても商店街の出口は見えやしない。

 

 スマホに至っては、いつ圏外になったのかさえ分からない。

 よしんば警察に通報できたとして、こんな非現実的な状況を信じてくれる保証は無かった。

 いや、警察官の拳銃程度でトラックほどもあるネコの化け物を倒せるなんてとてもじゃないが思えない。

 

「お、婆ちゃん……お婆ちゃんっ……。パパ、ママ……皆っ……」

 

 涙が流れる。ボロボロと溢れた涙は、風に乗って後方へ消えていく。

 足がズキズキと痛み、息は切れ、肺と心臓が破裂するのではないかと思う。

 それでも姫華は、自分の命を奪い得る死神から必死に逃げ続けていた。

 

 けれど、そんな逃走劇にも終わりが訪れる。

 

「……!? どけっ!」

「きゃあっ!?」

 

 曲がり角に差し掛かった矢先、その向こう側から飛び込んできた灰管と鉢合わせする。

 灰管は目の前に現れた姫華を突き飛ばそうとして、しかし勢い余って互いに激突し、その場にもつれ込むようにして転がってしまった。

 

「痛っ……あ、足が……」

 

 不意に感じる足首の痛み。

 どうやら、ぶつかって転んだ衝撃で姫華は足を捻挫してしまったらしい。

 鈍い痛みが神経を蹂躙し、少女から走る力の一切を奪い去っていく。

 

 足を押さえて苦しむ幼馴染を見てなお、灰管は悪態だけを残して立ち上がった。

 

「チッ……姫華のせいで余計な時間を食っちまった。早く逃げないと……」

「あっ、待って道人さん! 置いてかないでー!」

 

 そこにようやく取り巻きその2が追い付いてきて、しかし視線の先に見つけた赤い灯を前にして「ひぃいっ!?」と情けない声を上げる。

 彼らがその場で制止してしまった間、赤く光る死神は刻一刻と獲物に近付いていた。

 

「あ、あの灯だ……! 佐藤を喰った化け物のっ……! みっ、道人さん、助けっ」

「うるせぇぞ田中(タナカ)! 俺が逃げられねぇだろ、さっさとどけっ!」

 

 自分に縋り付いてきた、頼ろうとしてきた取り巻きを、何の躊躇いもなく赤い灯の方へと突き飛ばした。

 強引に突き飛ばされた取り巻きその2は、自分が何をされたかも分からないままに地面をゴロゴロと転がり、やがて……

 

「ターッチ。肉の方から喰われに来るとは、最近の人間は進んでるんだよなァ」

「ひ、ぃいっ……!? たっ、助けっ、道人さっ、なん、で──」

 

 最後まで言い切る事なく、取り巻きその2は頭から喰い千切られた。

 断末魔を残す事すら許さずに少年の頭部を噛み砕き、暗闇の中からチョウチン・ネコマタがその巨体を露わにする。

 

 咀嚼の過程で口の中に溜まった鮮血をボトボトと吐き出しながら、それでもなお哀れな獲物の捕食を続ける。

 グロテスクな食事を目の当たりにして、取り巻きを押し退けてでも逃げようとしていた灰管すら、あまりの恐怖に足が竦んでいた。

 

「あァ……やっぱり人間の肉はうんめぇよなァ。それも、絶望をこれでもかと腹ン中に詰め込んだ弱者の味は格別だよなァ。恐怖の感情ってのは、じっくりコトコト熟成させてこそなんだよなァ、やっぱ」

「にっ、逃げなきゃっ、な、なんでっ、俺の、あ、あああ、足がっ、動けっ」

「あァあ、もう動けなくなっちまったか。1時間も走ってないのに、もう音を上げるのかァ? もうちょっと頑張ったらさァ、出口だって見えてくるかもしれないんだよなァ」

 

 取り巻きその2だったモノをほとんど食い尽くして、チョウチン・ネコマタの体がのそりと動き出す。

 2つの尻尾は妖しく動き、先端の提灯がおどろおどろしさを煽るように赤く光っていた。

 

幽世(かくりよ)って知ってるかァ? 外の世界から切り離された空間の事でさァ、そこでは内部の広さどころか、時間の流れすら外とは違うんだよなァ。つまりお前らがおれから逃げられないのは、ここがおれの幽世(かくりよ)で、幽世(かくりよ)を生み出すのがおれの妖術だからなんだよなァ」

「よっ、妖術って……わ、訳の分からねぇ事をっ、言うんじゃねぇっ!」

「そうだよなァ、お前ら人間は何も知らねぇんだよなァ。この迷路は太陽の光に弱くてさァ、朝まで逃げ切れば脱出できるんだよなァ。でもなァ、この迷路の中では外の3倍の早さで時間が流れるんだよなァ。つまり、1時間逃げても外じゃ20分しか経ってないんだよなァ」

 

 恐ろしい怪物の突きつけた真実に、少年少女2人の顔が強張った。

 そんな筈は無い。そう断言したいのに、理性がそれを阻んでいる。目の前の化け物が語る言葉を、ただのハッタリと言い切れない。

 

「それがおれの妖術、《行燈とおりゃんせ》なんだよなァ。ものの30分で走れなくなるようなお前らは、もうおれから逃げられないんだよなァ」

「でっ、デタラメ──」

「デタラメかどうかは、おれに喰われながら考えるといいんだよなァ」

 

 ネコマタの前脚がアスファルトを踏み据え、ズシンと重い振動を起こす。

 それはまるで、獲物を前にして少しずつ追い詰めるかのような歩み。

 

「もう『おにごっこ』はおしまいみたいだし、その使い物にならなくなった足からバリバリ貪ってやるんだよなァ。そうすりゃ即死できないから、長く苦しみながら生きてられるんだよなァ。ケッ──ケケケケケケヒャヒャヒャヒャヒャッ!!」

 

 牙を剥き、弱者を嘲るような高笑いが妖気の迷路に木霊する。

 それが、哀れな少年少女たちに突きつけられた「チェックメイト」を意味している事など、最早論ずるまでもなかった。

 

「さァ……まずはどっちから喰わせてくれるんだよなァ? ガッシリ喰い応え抜群の男からかァ? それとも柔らかくて甘い女からかァ?」

 

 妖怪チョウチン・ネコマタが、すぐそこまで迫っている。

 自分が助かる道は無い。姫華にそれを確信させるには、十分過ぎる材料が揃っていた。

 故に彼女は、その直後に起きた事に抵抗できず、また抵抗する事も無かった。

 

「ひっ、姫華ぁっ! お前が、おっ、囮になれっ! 俺が逃げる時間を稼げっ!」

「え──あっ?」

 

 姫華の両肩を掴んで押し倒し、灰管は彼女の体を思いっきりネコマタのいる方へ押し出した。

 突然の事に驚きながらも抵抗する事無く、華奢な体はそのまま転がるようにして怪物の足元へと投げ出される。

 

「おやおやァ? おれの前に獲物を差し出すとは、まるで供物を捧げるみたいだよなァ」

「……ぁ、あ」

 

 ペタンとその場に座り込み、しかし立ち上がる事もできず、ただ妖怪の殺意を真っ正面から受ける少女。

 その胸に宿る感情は、ただ1つ。

 

(……そっか。死ぬんだ、私。ここで)

 

 どうしようもない、諦観。

 そうして瞳から光を失った幼馴染を他所に、彼女を生贄に捧げた男は脇目も振らずに逃げ出そうとして……

 

「い、今だっ! あいつが喰われてる間に──」

「逃がす訳が無いんだよなァ?」

 

 空間が捻れ、歪み、法則が狂う。

 姫華をネコマタの前に投げ出してまで逃げようとした灰管は、迷路の壁を構成する廃店を寄り集めて作られた巨大な壁の前に足を止めた。

 どうにか手にした筈の淡い希望は、ものの数秒で泡に還る。

 

「え、ぁ……あ?」

「言ったんだよなァ。この幽世(かくりよ)《行燈とおりゃんせ》は、おれが妖術で生み出したもの。なら、その構造はいくらでもおれの好きなように作り変える事ができるんだよなァ」

「そ、んな……」

「だからその気になれば、お前らを閉所に閉じ込めて逃げ場を無くしてから喰う事もできたんだよなァ。お前らは、最初から詰んでたんだよなァ!」

 

 それは紛れもない嘲笑だった。

 鼻先に垂らしたニンジンを取り上げるかの如く下品な呵々大笑。

 そうしてその場に膝をつき、灰管は絶望する以外の行動を取る事ができなくなった。

 

「あ、ぁあ……あぁぁあっ……!?」

「でもなァ、その馬鹿馬鹿しい健気さに免じてやるんだよなァ。お前を喰うのは最後にして、まずは……この細くて柔らかそうな女から先に喰ってやるんだよなァ」

 

 ネコマタの顔面が、腰を抜かして座り込んだままの姫華へと向けられる。

 ネコの化け物が大きく口を開けば、不気味に生えた無数の牙が露わになった。

 灰管たちの取り巻きを捕食した事で貼り付いた血脂と、喉の奥から湧き出る生臭い呼気が、少女の顔をぶわりと汚していく。

 

「恐怖しろ、絶望しろ。自分ではどうにもならない現実があると理解して、打開を諦めろ。心のどこかで死を受け入れながらも、死ぬ事への嫌悪で心を湧き立てろ」

「……」

「お前らが負の感情を煮え滾らせれば滾らせるほど、それはおれたち妖怪の力となる。夜の闇を畏れる感情が強まるほど、昼の光は穢れていく。お前らの死と怨嗟と慟哭で、人間文明の牙城を崩せ」

「……」

 

 姫華は、何の感情も出さなかった。

 光の消えた瞳で、ただチョウチン・ネコマタをじっと見つめるのみ。

 鈍い痛みが刺し続ける足首さえ、彼女の感情を揺るがす事は無かった。

 

「……だんまり、もう壊れたんだよなァ。これはつまらない、とてもつまらない。足の1本でも折れば、もう少し無様に鳴くんだよなァ?」

「……」

「もう、助けを呼ぶ気すら起きないんだよなァ? 叫びが届く筈が無いのに、慟哭が伝わる筈が無いのに、それでも『誰か助けて』とありもしない希望に縋る陳腐な絶叫。それすらも無いとは、とってもとってもつまらないんだよなァ」

「……ぁ」

 

 瞳が、微かに揺らいだ。

 

 恐るべき妖怪の突きつけた「誰かに助けを求める」という選択肢。

 それが、既に絶望で塗り固められていた彼女の心を、ほんの僅かに揺るがした。

 

 それはネコマタの言う通り、叫んだとて叶わない選択肢。

 ただ自分の喉が枯れるだけで、何ももたらさない。よしんだ誰かが助けに来たとして、尋常の人間ではこの化け物を倒す事などできやしない。

 

 だから、無駄。無意味。無謀。希望なんてひとつも無い。

 妙な可能性に賭けるよりも、さっさと諦めて死んだ方がいい。

 

 でも。

 

『もし、今回みたいな事があったら……ちゃんと「助けてほしい」って言ってほしい、かな』

 

 あの時の、彼の言葉が不意に蘇った。

 

(……来て、くれるのかな)

 

 どうして、そう思えたのかは分からない。

 普通に考えれば、彼がここに来たとして何になるのだろうか? そもそも、彼が姫華の危機を知覚できる訳が無い。

 そもそも、自分を助けてくれるだろう人間を挙げる中で、わざわざ彼をピックアップする事自体が意味不明だ。

 

 けれど今日の夕方、灰管たちに詰め寄られた自分を助けてくれた、あの時みたいに。

 あの時は恐怖と痛みで声なんて上げる余裕も無かったけれど、もしも彼の言う通りに。

 

『もし「助けて」って声が聞こえたら……できる範囲で、どうにかするから』

 

 もしも、自分がハッキリと助けを乞うたなら。

 

「とりあえず、どう喰おうかなァ。足からバリバリ喰うか、腕を中途半端に噛み千切るか。あァ、耳や鼻を的確にむしり取るのも……」

「……て」

「あァん? 何か言ったんだよなァ?」

 

 だから、これは。

 白衣 姫華という少女が、断末の際に放つ最後の抵抗のようで。

 

「助けて……八咫村くんっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──助けるよ、絶対」

 

 

──BANG!

 

 

「ッ!?」

 

 その瞬間、チョウチン・ネコマタが自身に降りかからんとしていた攻撃を正確に認識できたのは、ほとんど偶然と言っていいだろう。

 目の前の少女を噛み砕く選択肢を即座に投げ捨て、後ろに向かって全力で飛び退いた。

 

 直後、ネコマタがいた場所の真上から飛来した弾丸が、アスファルトの地面を穿ち砕く。

 炎の力を帯びた弾丸は、着弾地点を砕くだけではなく真っ黒に焼き焦がした。

 

「なっ──今の、まともに喰らえばおれが死ぬ威力だったんだよなァ……!? それに、今の攻撃が来たのは……」

 

 自分の命を奪い得る一撃に戦慄を覚え、縦長の瞳孔は上方を見上げた。

 この空間は妖術によって構築され、外界から隔絶された幽世(かくりよ)。上を見上げれば空が広がっている事もあるが、それでも「概念的な天井」とでも言うべき到達点は存在する。

 

 その概念的な天井が破られた結果、空間を引き裂いて作った穴のようなものがポッカリと浮いているではないか。

 これはつまり、外部からこの幽世(かくりよ)を知覚し、的確かつ強引に突入したという事であり──

 

「よし……上手く行った! 突破できたよ、イナリ」

「あのね? 坊ちゃん。確かにわては幽世(かくりよ)について教えやしたし、侵入するには妖気を的確にぶつけて穴を開けるといいとも言いやしたよ? でもね、それは最大火力の鉄砲で無理やり吹き飛ばせって意味じゃないんでやすよ? 聞いてやすか? ねぇ?」

 

 空間の穴から飛び降りて、姫華の目の前に着地した影ひとつ。

 時代錯誤な火縄銃を手にし、肩にはぬいぐるみのようにちっちゃなキツネが1匹。

 そしてその首には、漆黒のマフラーが妖しく靡いていた。

 

「ぁ……あなた、は」

 

 姫華の瞳に、薄っすらと光が灯る。

 勘違いかもしれない。見間違いかもしれない。だって、目の前に立っている彼の顔が、どうしても認識できないから。

 でも、この直感が正しいならば。

 

「八咫村、くん……?」

「……もう、大丈夫だよ」

 

 果たして、彼は答えなかった。

 けれど、姫華には強い確信があった。

 だってあの時、夕暮れを背後に立つ彼のシルエットと、あまりにも同じだったから。

 

「必ず、助ける。その為にも、まずは──あいつをぶっ倒す!」

 

 火縄銃を手にした黒マフラーの彼こそ、八咫村 九十九なのだと。

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