リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~   作:小村・衣須

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今日2話目の投稿です。ご注意ください。


其の弐拾漆 舞台裏で嗤う者たち

 ゴクリ。

 唾を呑む音が自分の喉から聞こえたのは、決して気のせいでは無いだろう。

 

「その……私は、ちょっとご遠慮……」

「いえいえ、何も躊躇う必要は無いのですよ? ただ、少しだけ墨を塗るだけ。それ以外に、何かを強いる事はありませんから」

 

 畳み掛けるような声色が、姫華の返答を押し潰す。

 こちらをずっと見定めて離れる事の無い老爺の眼差しは、判断力の鈍った彼女にとって激しく恐ろしいものに思えて仕方が無い。

 

 店中から降り注ぐ無数の視線も、それに合わせて激しく強く、訴えかけるように鋭いものに変わっていた。

 心を許していた友人たちでさえ、一体どうかしたのかと訝しげに見つめてきている。

 

 無論、これら全てが姫華の思い過ごし……という可能性も、十分にある。

 むしろ、そうであった方が彼女にとってこれ以上無い幸いだ。ただの考え過ぎで終わってしまえた方が、どれだけ気も楽になるだろうか。

 

 このお爺さんはただのいい人で、善意で占いをしてくれようとしているだけで、このお店もごく普通の骨董品店で。

 アクセサリーに墨を塗る占いにもちゃんと意味があって、手鏡の事を見抜いた事だって年の功みたいなものだから。

 

 妖怪なんていない。オカルトなんてあり得ない。妖怪なんていない。いない。いない。

 

「わ……私、は……」

 

 グルグルと思考が回転して、空回って、それでも結論なんて出なくて。

 

「さぁ」

 

 年老いたサルの如く裂けた笑みが、ただの少女に返答を強要する。

 全方位から放たれる姿無き圧力が、ただの少女に行動を強要する。

 

 鼻を甚振るカビ臭さと、青さの交じる甘ったるい香りが、ただただ思考を鈍らせ続けていた。

 そうして少女の鈍り切った思考は止まり、指先が自然と制服の下に──

 

 

──助けるよ、絶対。

 

 

「……ぇ?」

 

 数瞬、瞼を上下させる。

 不意に脳内を駆け抜けた朧げな光景が何なのかを、姫華は正確に理解できなかった。

 

 どれだけ意識を巡らせても、その光景を鮮明に蘇らせる事は叶わない。

 それでも、虚実さえ不確かな謎の景色を想像すればするほどに、心に小さな温かさを感じるのだ。

 じわりじわりと広がる、太陽にも似た温もりが、周囲から迫る視線や不快な香りを跳ね除けてくれるとさえ思える。

 

 改めて正面に向き直る。

 ネバネバとした目つきでこちらを見る老爺を前に、ポカポカとした太陽の光が言葉を紡ぐ勇気をくれた。

 

「……すみませんが、私は遠慮させて頂きます。とても……とても、大切なものですから」

「そうですか……ヒッヒッヒ、それなら仕方ありませんな」

 

 思いの外あっさりと引き下がった男に拍子抜けしたものの、間髪入れずに友人たちにも頭を下げる。

 

「ごめんね、美季、弥生。私の一番大切なものは、本当に傷つけたくないものなの」

「そっかぁ。じゃ、しゃーないね。そんだけ大切なものならあーしらも無理強いはできないぜい」

「そうね。譲れない一線があるなら、それを尊重するのがいい友達ってものよ。お姉ちゃんもそう言ってたし」

 

 うんうん、そうだそうだと肯定し合う2人の友人。

 彼女たちが否定の意を示さなかった事に感謝の念を抱きながら、姫華は申し訳無さそうな表情を浮かべる。

 

「じゃあ、私たちはそろそろ行きますね。2人を占って頂いてありがとうございました」

「いやいや、それがワシの仕事ですからね。あなたも、また占って欲しくなったらいつでも来てくださいね」

「……はい、その時は」

 

 そこで小さめの会釈をすると、姫華は「行こう」とだけ言って店の出口に向かっていった。

 友人たちもそれに習い、それぞれの言葉で老爺に感謝の言葉を伝えたのち、彼女を追って店の外に消える。

 

 彼女たちが店を去るまでを、老爺はカウンターに座ったままずっと見続けていた。

 やがて錆びた蝶番の軋む音が聞こえ、古ぼけた入り口のドアが開いて閉まる。

 

 その瞬間、店内の空気は様変わりした。

 

「……おやァ、おや。いいのかい? あの娘っ子にも()()()()()()()()()さァ」

「ヒッヒッヒッヒッヒ。心配はご無用ですよ……我らが長、山ン本」

 

 ヌラリと、途端に店内を満たしていく甘ったるい煙の香り。

 粘つく青臭さが充満する内装に目をやると、とあるボロっちい木棚の上に、1人の男が座っていた。

 

 腕と同じくらいの長さを持つ煙管(キセル)を握り、プカプカと煙を湧き立たせて煙草を()む和装の枯れ男。

 まさしく妖怪集団『現代堂』を統べる魔王の2代目、妖怪キセル・ヌラリヒョンこと山ン本の姿に相違無い。

 

 気が付けば、乱雑に転がっていた骨董品の数々は妖怪としての本性を現していた。

 それぞれが下卑た気配と笑い声を発しながら、カウンターの前に座る老爺へと遠慮の無い視線を投げつける。

 

「ワシの妖術を仕込んだ者たちは、既にそれなりの数になっております。後は、適当な頃合いを見て一斉に()()させるだけ。ヒッヒッヒ……術の試運転がてら、派手な騒ぎと恐怖を演出してみせましょう」

「ヒヒヒヒッ……そいつァ、さぞかし素敵な光景だろうさァ。けれどねェ──」

「それでも、あの娘を見逃すのは頂けませんね」

 

──ベベンッ

 

 煙まみれの空気を揺るがす三味線の音色。

 妖怪たちが音の根源を探して見上げてみれば、山ン本の腰掛ける木棚の向かい側で、もう1つの木棚の上に佇むキツネ耳の女性を認める事ができた。

 

 9つの尻尾を揺蕩わせながら三味線を鳴らす彼女こそ、『現代堂』の幹部である信ン太。

 その縦に長い瞳孔を金色に光らせながら、老爺を上方から()めつけている。

 

「分からないとは言わせませんよ。今しがたの娘、僅かに妖気の香りがしました。あなたの()()()()と違って、本物の(まじな)い師としての才能を持つのではないのですか?」

「ヒヒヒッ、まさか今の世に(まじな)いの素質を持つ人間がいるとはねェ。三ツ葉葵の幕府が潰れた頃には、とっくに絶滅したものだと思っていたよォ」

「だからこそ、ですよ」

 

 信ン太の吐いた溜め息はいやに大きく、彼女の瞳は対面の山ン本にも矛先を向けた。

 しかし、どれだけ部下からギラリと睨まれても、空虚に嗤う男から煙管(キセル)を弄ぶ勢いが削がれる事は無い。

 それをよくよく分かっているからこそ、金色の瞳孔は再び足元の老爺を捉える。

 

「如何に弱く貧相な娘でも、(まじな)い師の才を多少なりとも持つのであれば、その生き肝は特上の餌となる。ならば、見逃す手は無い筈でしょう? あなたの仕込みを考慮すれば、尚更に」

「……これは、なんともせっかちな物言いですね。これでも、たった2日で脱落したチョウチンの奴よりは上手く事を運んでいるつもりですが」

「残念ながら、ウチはそう思いません」

 

──ベンッ!

 

 強く、力を込めて弦を弾く。

 乾いた楽器の音色が響き渡り、空気をピリリと引き締めた。

 

「あなたが『げえむ』の『ぷれいやあ』に指名されてより早2週間。『昼』の側には未だ被害の1つ、犠牲者の1人も出ていない。いい加減に盤面を動かさないようであれば……『げえむ』の進行役として、あなたに『ぺなるてぃ』を裁定する事も考えねばなりません」

「おやァ……『げえむ』2回目で、もう『ぺなるてぃ』かい? ヒヒヒヒッ……こいつァ、お前さんも気を付けた方がいいよォ」

 

 ヌラリとした視線が虚空を踊り、そのドロドロとした眼光を降り注がせた。

 強く濃く、冷や汗が老爺の顔を伝う。彼らが長と称える大妖怪の目つきは、虚無と夜闇に濡れて空っぽな恐怖を心に刻み込む。

 

「あいつ……神ン野は強い。ここにいる誰よりもねェ。だからあたしは、あいつを『げえむ』の審判役に据えたのさァ……ヒヒヒヒヒッ」

「……承知しておりますよ。奴から仕置きを受ける事だけは御免です。では、ワシも本腰を入れるとしましょうか……」

 

 やれやれと言った風に立ち上がった老爺は、そのまま店の奥に歩を進めた。

 1歩先さえ確かめる術の無い暗闇が彼を飲み込んで、やがて姿が見えなくなる。

 

 その様を見送って、山ン本は甘ったるい煙を吐き出してケラケラと嗤う。

 彼の真正面では、信ン太が面倒くさそうに首を振りつつ三味線を弾いていた。

 

「ヒヒヒッ。どんな妖怪でも、神ン野の()()()()は怖いって訳だねェ」

「最初からそれだけのやる気を出せば済む話でしょうに……はぁ。珍しく呑ン舟が口を挟んでこなかったので、これでもサックリと話が進んだ方ですよ」

【んごォオ……フゴッ!? なんだぁ……? 今の今まで寝てたんだけどよぉ、信ン太の姐さん、今オイラを呼んだかぁ?】

「……いいえ、ちっとも。丁度いいので、そのまま永遠に眠って頂けるとウチは嬉しいです」

【ギャハハハッ! そいつぁ無理な相談ってモンだぜ姐さん! オイラがくたばっちまったら、大将たちも困るだろうからさ!】

「嗚呼……喧しいったらこの上無い」

 

 空間のどこからか響いてくるどら声に、くらくらと痛む頭を抑えて三味線を掻き鳴らす。

 そんな信ン太と呑ン舟のやり取りを山ン本は軽薄に嗤い飛ばし、煤だらけで向こう側の見えない窓に意識を馳せた。

 

「さァて……今回も首を突っ込んでくるのかい? 八咫村の小倅」

 

 そんな呟きの真下で、むわりと立ち込める煙草の煙が、おどろおどろしく木棚の輪郭を這いずり回っていた。

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