リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~   作:小村・衣須

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今日2話目の投稿です。ご注意ください。


其の肆拾伍 前へ!

 姫華の華奢な体が宙を舞い、床へ落ちようとしている様を、その場の誰もが目撃した。

 ひらりと空中に投げ出された少女は、喉から込み上げる恐怖を歯で噛み潰しながら、ただ1体の妖怪のみを見据えている。

 

「雄々……ある、じ。わたしの、あるじ……!」

「今そっちに行くから、そこでじっとしてて!」

 

 決死のダイブの末、ふらつきながらも何とか着地に成功する。

 そうして前を見てみれば、一面に広がっているのは死を纏った糸の嵐。

 ジョロウグモ本人にすら制御し切れていないような暴威の中に飛び込んで、無事でいられるとはとても思えない。

 

(そ、んな事──分からない訳無いでしょう!?)

 

 目の前を縦横無尽に行き交う白い怒涛が、どうしようもなく恐怖を煽る。

 

 自分がどれほど馬鹿な事をしているのか。それはきっと、姫華自身が想像しているよりもずっと酷いものだ。

 力も無い。覚悟も無い。素質も無い。そこまでする理由も、彼女がそうするべき必要性も無い。

 

 この行いが利に傾く保証すら、限りなくゼロに近い。

 無意味に足を引っ張っているだけ。強い心を持っているだけで打破できる状況など、この世に1つも存在しない。

 

 けれど、それでも、そうだとしても。

 

『妖怪。我らの事は、そのように呼ばれます』

 

『うん……わかった! ひめかね、神様とおともだちになる!』

『あらあら、それは楽しみねぇ。神様とお友達になった姫ちゃん、お婆ちゃんもいつか見てみたいわぁ』

 

『有難う、あるじ。わたしは、あるじが愛してくれたが故に妖怪と成った。此の様に語らい、触れる事が叶った。わたしは、此の時を待ち望んでいた』

 

 1度、裏切った。

 あれだけ信じていた妖怪を、唯一信じてくれた祖母を、託された筈の手鏡を。

 

 祖母が亡くなった後、誰も信じてくれる人がいなくなったから。周りの全てが、姫華に「常識」を押し付けてきたから。

 姫華は1度、妖怪を裏切った。妖怪なんていないと、嫌いだと言い聞かせて、周りの嘯く「常識」に迎合した。

 街を色濃く照らす夕日すら、言い伝えを忌避するあまり嫌悪を抱いてしまったほどに。

 

 でも、彼女は「真実」を知ってしまった。この世には妖怪がいて、自分の大切な手鏡すら妖怪になるのだと知った。

 妖怪を裏切った自分の前にもう1度、否定して追いやった筈の「非常識」が現れた。

 

 だったら。

 

(ここで逃げたら──もう、お婆ちゃんに胸を張って生きられない!)

 

 爪先にグッと力を込めて、一目散に走り出す。

 

 理屈とか、道理とか、常識とか、現実とか、一般論とか。

 そんな()()()()()()()()()()()など、今は至極どうでもいい。

 

 今の白衣 姫華は、自分が胸に抱ける「納得」こそを求めていた。

 

「友達に、なりたいから! 私は、もう1度──ッ!」

 

 故に、彼女は「無謀」を選べた。

 

「何やってんでやすか、あの嬢ちゃんは!? お千代! 急いで彼女を──」

「──いや」

 

 ガチャリと、火縄銃を強く掴んだ際に立つ小さな金属音。

 その音を立てたのは当然、現在進行形でイナリが引っ張っている真っ只中の九十九だ。

 

 銃口が睨むのは、姫華が突っ込む先、暴れ回る糸の群れが織り成す死の嵐。

 全身を襲う倦怠感と疲労感の中にあっても、彼の腕は狙いを外すという妥協を己に許す気はほとほと無い。

 

「彼女を、援護する!」

 

 果たして少女の体が暴威に呑まれるよりも早く、撃たれた弾丸が標的に到達した。

 しかしジョロウグモの妖術が暴走している現状、全ての糸は鏡面を通して無作為な物質の転移を繰り返している。

 糸を弾く為に放たれた射撃も、あえなく吸い込まれて明後日の方向に消えるのが本来の道理だ。

 

 であれば、対策は簡単。

 着弾する直前に、弾丸を爆発させてしまえばいい。

 

──BOMB!

 

 標的への接触と、それによる爆発。それが起きるべきタイミングよりも、コンマ数秒ほど直前。

 射手の意思に従って自発的な炸裂を起こした弾丸は、小規模な炎と風圧で糸を殴りつける。

 

 真っ直ぐに突き進み何もかもを貫き砕く筈の蜘蛛の糸が、爆風の煽りを受けて()()()

 そしてその()()()が、数秒後には無惨に切り裂く筈だった姫華の体を避け、おかしな方向へと破壊の切っ先を向ける。

 

 それは、九十九に己の意図が成功した事を確信させるには十分な光景だった。

 

 

──BANG! BANG! BANG!

 

 

 絶えず、引き金を引き続ける。

 元より弾込めの必要は無く、妖気さえ尽きなければ幾らでも弾丸の生成と射出は叶う。

 

 放った弾丸を着弾寸前で爆破し、その風圧で糸を吹き飛ばす。

 それが、今の彼にできる精一杯の援護だった。

 

(……っ! クソ、目眩が……)

 

 目の前が霞む。今までに感じた事の無い、意識の眩みを覚える。

 体の中から、立って歩く為に必要な力が抜けていくような、疲労感とも違う違和感。

 

 きっと、これが妖気の尽きる感覚なのだろう。

 力加減をセーブしながらとはいえ大量のガキツキを掃討し、フデ・ショウジョウとの戦いでは多大なリソースを払った。

 端的に、戦える限界が近付いてきている。どんなマラソンランナーでも、走り続ければやがて体力が尽きて走れなくなるように。

 

 ()()()()()()()

 

「男じゃ、ないだろう……!? ここで、やらなきゃ!」

 

 理屈などという()()()()()()()は捨ててしまえばいい。

 ここで意地を押し通せないような自分を、九十九は「八咫村 九十九(リトル・ヤタガラス)」として認める事などできなかった。

 

 だから、弾丸を装填し続ける。妖気が底をついてなお。

 だから、引き金を引き続ける。痺れさえ覚える指先で。

 だから、狙いを外す事は無い。目眩に歪む意識の中で。

 

 込み上げる吐き気と胃酸を奥歯で捻じ伏せて、ただただ愚直に弾幕を張る。

 銃口から炎を絞り出し、唸りを上げる糸の狂乱をひたすらに裂いていく。

 

 全ては、姫華が突っ走る道を切り開く為に。

 

「行って、()()()()! 真っ直ぐ──君の、やりたい事を!」

「──うんっ。ありがとう、九十九くん!」

 

 だから、姫華は突き進む事ができた。何も振り返る事なく、ただ前へ。

 

 いつしか、彼女を引き裂く筈だった糸の群れは、その全てが弾き飛ばされていた。

 少女の行く手を阻むものは、何も無い。

 

「嫌、だ……止めろ、止めてくれ、あるじ……! 此方に、来ないで欲しい……っ!」

「それこそ嫌よ! 私、私は──」

 

 甲高い慟哭を伴って、ジョロウグモの直上から新たな蜘蛛糸が生成される。

 その切っ先は姫華を貫くべく、こちらに向けて真っ直ぐ迸っていた。

 

 このままであれば、少女の心臓を糸が貫き殺傷する事は自明の理。

 姫華にそれを回避する手段が無い以上、九十九は糸を弾く為に火縄銃を握り締め──

 

「あなたに、言わないといけない事があるんだからっ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 これまでの彼女からは考えられない挙動を目の当たりにして、引き金にかけた指先が思わず硬直する。

 

 それはきっと、やろうと狙ってやった事ではなく、無意識に体が動いた結果のものなのだろう。

 それでも結果として、少女は宙を舞った。滞空していた時間こそほんの僅かだが、地に足をつける事なくひらりと跳躍してみせて。

 

 そうして彼女の足は、たった今自分の足元を通り過ぎていった蜘蛛糸の表面へと乗せられる。

 軽やかな足取りで着地するや否や、一連の現象に戸惑いを見せる事もなく再び前へ。

 

 自分が何故、人間の域を超えた跳躍を成せたのか。何故、凶器に等しい糸の上を走れるのか。

 そんな()()()()()()()を考えている暇は無いと言わんばかりに、姫華はもう1度足の裏に力を込めた。

 

「や、ぁあああああぁあああああっ!!」

 

 再度の跳躍。

 足場扱いしていた糸を蹴り飛ばし、自らの行きたい場所へと一直線に。

 もう、何も彼女を邪魔できない。障害の全てが消え去った、空白の道を飛び抜けて。

 

「ジョロウグモちゃんっ!」

「ある、じ──っ!?」

 

 驚異的な跳躍の果て、姫華は真っ正面からテカガミ・ジョロウグモに抱きついた。

 元より、か弱い人間の身でこちらに向かってくる事自体が予想外だったのだ。(いわん)や、馬鹿正直に突っ込んできた挙げ句、自分を抱擁しにかかるなど想定できる訳が無い。

 抵抗する暇も無く抱き締められた女怪は、心の奥底から顔を覗かせる「“あるじ”への害意」に歯を食い縛った。

 

 そしてそれは、姫華の側も理解していた。その体に直接触れた事で、彼女の筋肉が強張り、内側から湧き出す力に抗おうと震える様を知覚する。

 故に、チャンスは今しかない。喉を込み上げる言葉と感情を、迷う事なく舌の上に乗せて吐き出した。

 

「──ごめんなさい! 私は、妖怪(あなた)を信じ切れなかった!」

 

 それは、どうしても伝えたかった謝罪の言葉だった。

 

「皆に否定されて! 馬鹿にされて! 誰にも信じてもらえなくて! 私は……私はっ、妖怪(あなた)の前から逃げたの! 唯一信じてくれたお婆ちゃんからも目を逸らして……私は妖怪を、オカルトを信じないっていう()な道に逃げてしまった!」

「あ……るじ……」

「でも、今度はもう逃げないっ! 私とお婆ちゃんが注いだ愛に報いてくれた……大切な手鏡(あなた)を! 絶対に……絶対に、否定したりなんかしないからっ!」

 

 涙が溢れる。マグマのように昂った感情が、姫華の瞳を涙で滲ませる。

 こんな言葉だけでは何の証明にも償いにもなりはしないだろうが、それでも伝えずにはいられなかった。

 

 こんなに怖がりな女の子(ジョロウグモ)を、2度も拒絶する訳にはいかないから。

 その強い想いが、ちっぽけな少女の全身に気力を迸らせていた。

 

「私は……友達(あなた)に手を伸ばしたい! それが、白衣 姫華なんだぁっ!!」

 

 叫ぶ瞳に、仄かな光が灯る。

 果たしてそれは、誰にも気付かれないほど薄く淡いもの。

 それでも光は、少女の意思を反映するかのように、ゆらゆらと揺らめいていた。

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