リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~   作:小村・衣須

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其の肆拾陸 縁を紡ぎ、(まじな)いと成す

「今のあなたを突き動かしているのは、あの妖怪から喰らった術なんでしょう!? あいつは、九十九くんが倒してくれた! だから、あなたもきっと正気に戻れる筈!」

()……()()()()……嗚呼嗚呼嗚呼嗚()()()()()……っ!」

 

 心を蹂躙する魔の激痛に悶え、暴れるテカガミ・ジョロウグモ。

 その痛みを抑え込み、和らげられるように、姫華は彼女を抱き締める事を決してやめはしない。

 

「あるじ……離して、欲しい。わたしは、あるじを害さんとするわたしを……此れ以上、止める事が叶わない……!」

「嫌っ! 私がここであなたを諦めたら……もう2度と! 私はお婆ちゃんにも……あなたにも誇れる自分でいられないの! 絶対に離さない!」

 

 その決意を現すように、巨躯の妖怪を抱き締める力は強く、より強くなっていく。

 仮に引き剥がそうと無理やり振り払われたとして、彼女は決して目の前の女怪を離そうとはしないだろう。

 

 もしも離してしまえば、自分とジョロウグモの繋がりはそこで失われてしまう。

 そんな確信が炎を灯すように、姫華の心を強く突き動かしていた。

 

「こうしてる今も、私は九十九くんたちに迷惑をかけてる。全部、私の自分勝手な我が儘でしかない。でも、それでも言わせてほしいの! お願い……これ以上、誰も傷つけないで! 私は、あなたにそんな悲しい顔をしてほしくない……っ!」

「……っ!」

「私の事は、いくらでも傷つけてくれていい! 私はあなたに、それくらい酷い事をしたって思ってるから。それでも私……私、はっ……!」

 

 抱擁に注いでいた力を僅かながらに緩め、姫華はジョロウグモと目を合わせる。

 綺麗な顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、頬にできた傷からは血が滲んでいた。

 

「あなたに、笑顔でいてほしいからっ! 私が、お婆ちゃんが想いを込め続けてきた、大切な宝物(ともだち)のあなたに──!」

()……! ()()()()()()()()()()()……っ! あぁ、るじ……わたし、はぁっ……!」

 

 振り払う選択肢を意識の外に投げやって、恐るべき情愛に濡れていた筈の女怪は、途端に頭を抑え始めた。

 その表情は明らかな苦痛に狂い歪み、噛み締め過ぎた歯茎から血が溢れ出る。

 姫華のように哀しみと激情から涙を流すのでなく、内から神経を凌辱する苦痛によって、大粒の涙が次々に溢れていく。

 

 ジョロウグモが己の内から滲み出る悪意に抗っている事は、誰の目から見ても明らかだ。

 そして、その原因が何なのかも分かっていた。その上でなお、無力な少女にはただ抱き締めるしかできない。

 今、彼女の手の内に残っているのは、使い道がまるで分からない札がたった1枚のみ。

 

(私には、(まじな)い師の才能があるんでしょう!? こういう時に覚醒しないで、どこで役に立つって言うのよ!?)

 

 苦しみに喘ぎ藻掻く白塗りの少女を抑え込むように抱き留めながら、心の内で無能な己に唾を吐く。

 こうしている今も、自分に殺到しつつある糸の群れを九十九が弾いてくれている。けれども、それだって無限に続く訳ではない。

 

 打開策を、この場で編み出さなければならない。他ならぬ、姫華自身が。

 クラクラと眩む頭を制御しようと意識を巡らせる中で……ふと、ある言葉を思い出した。

 

『確かに、妖術を扱えるのは妖怪だけでしょうや。ですが、単に妖気を操るだけであれば、素質のある人間にも可能でありやす』

 

『彼らにできるのは妖気を手繰り、その流れを自分の都合のいい方向にほんの少しだけズラす事くらい。ですが彼らは、護符や数珠などの……言わば外付け回路を利用して、妖気を変質させる術を身に着けやした。その最高峰が、俗に言う『陰陽師』でさ』

 

 自分にそこまでの才能があるかは分からない。分の悪い賭けそのものだ。

 けれども、賭けるならばこの手しか、そして今この時しかない。

 

(外付け回路がどういうものかは分からない。……けれどもし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がそれになり得るのなら──!)

 

 小さく素早く息を吸い、覚悟を決めてジョロウグモを抱擁する。

 これまでのように我武者羅に抱き締めるのでなく、腕や体を通して彼女の体をより意識するように。

 

 妖気ならば散々浴びてきた。

 チョウチン・ネコマタとの「おにごっこ」からこちら、ガキツキに襲われ、フデ・ショウジョウに拘束され、先ほどまではテカガミ・ジョロウグモに絡め取られていた。

 おまけに自分を助けてくれた九十九たちだって妖怪だ。ここまで妖怪と関わった以上、自分だって妖気の存在を感知できる筈なのだ。

 

「ご都合主義でもなんでもいいから……なんか使えて! 私っ!!」

「無駄……だ、あるじ……っ。其の様に、都合の良い結果が来る……などっ、有り得る筈が──」

「──いや。それが案外、あり得るかもしれやせんぜ?」

 

 ストンと、ちっちゃな四肢が少女の頭の上に乗る。

 もこもこもふもふの尻尾が箒の如く逆立って、中に溜め込んだ妖気を手早く練り上げた。

 

「【(コン)()(コン)()(コン)(コン)(コン)()(コン)(コン)】……!」

 

 不可思議な祝詞が頭上で紡がれた直後、姫華の体に異変が起きる。

 少しばかり心臓の鼓動が強まったかと思うと、途端に肌を撫でる不気味な感覚。

 ざわざわと産毛をくすぐる不愉快な空気に、少女はすわ何事かと顔を強張らせ……気付いた。

 

「これ……この、感覚は……!?」

 

 感じる。これまで感じた事の無い、奇妙なナニカを。

 肌を撫で、髪を揺らし、心をざわつかせるだけではない。まるで1つの流れであるように、体を巡る力のルートを。

 そして──今、自分が抱き締めているジョロウグモの体の奥底、彼女の魂魄にへばりつく悪意の流れを。

 

 そのような変化を一瞬にして起こした存在は、少女の頭上でニヤリと牙を剥いてみせた。

 

「わてがただの幻惑使いだと思ったら大間違いでやすぜ。人の認識を“ごまかす”事ができるなら、このように──()()()()()()()()()()()を“ごまかす”事だってできるんでさ!」

「イナリさん……!? なんで──」

 

 何故、イナリはこちらに来たのか。どうして、自分のやろうとしている事を汲み取ってくれたのか。

 そもそも、彼がここに来てしまって、九十九の方は大丈夫なのか。

 その答えを探る為に首と目線だけを後ろにやれば、果たして。

 

「わたくしにこっちへ来いと言ったり、白衣様を追う必要は無いと言ったかと思えば、今度はキツネを向こうに飛ばしたり……。坊ちゃまもご当主(ダーリン)に似て、召使いの使いが荒くなって来ましたわね」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「ええ、是非ともそうしてくださいまし!」

 

 パタパタと翼を忙しなく上下させて滞空するお千代。

 彼女がちっちゃな足で掴み上げている者こそまさしく、火縄銃を構えた九十九その人だ。

 

 彼の右足は振り上げられ、その足裏に微かな炎の残滓が残っている。

 状況から見て恐らく、彼はイナリを乗せた右足を振り抜いて、その勢いでここまで飛ばしてきたのだろう。

 

 こちらを一直線に見据える黒い瞳には、一分の陰りも見えはしない。

 彼が、姫華のやろうとしている事を正確に理解してくれたのか、それとも別の要因による直感の類いなのか。

 それは分からない。けれど、分かる事はある。

 

「僕が、僕たちがサポートする! だから姫華さんも、全力で!」

 

 九十九は、全身全霊でこちらの後押しをしてくれている。

 ならば、それに応えずして何をする。

 

「──ありがとう!」

 

 それが、誰かの足を助けられてばかりな自分との、決別になるのなら。

 

(私の体を流れる妖気と、ジョロウグモちゃんの体を流れる妖気……それを知覚できるようになった今なら、きっと!)

 

 深く、深く息を吸う。呼吸すればするほど、気の巡りがより加速する感触を覚える。

 

 (まじな)い師は妖術を使えない。妖気を手繰り、捻じ伏せ、練り上げ、ひとつの異能へと昇華させる事はできない。

 けれども彼らは、妖気を操る事ができる。大気中に、己の体に宿る妖気を掴み、手繰る()()はできる。

 

()()……()()……嗚呼嗚呼……っ! あ、嗚呼、あるじぃいい……!!」

「……待ってて、ジョロウグモちゃん」

 

 己に眠る(まじな)い師の才と、己と最も縁深い手鏡を核とする妖怪。

 それらが今、共にこの場にあるならば。

 

「今、私が助けるからっ!」

 

 妖気を、掴む。

 字義通り、手でモノを掴んだ訳ではない。比喩として、姫華は妖気の流れに介入する事に成功した。

 

 果てしなくぶっつけ本番で、ノープラン以上の何物でもない。

 いくら才能があるからと言って、初見かつ土壇場で成功してみせたのは奇跡そのものだ。

 実現したのはただ、テカガミ・ジョロウグモという妖怪が彼女と特別縁深い存在だったからに過ぎない。

 

 けれど、彼女は成功した。自分の体を介して、苦しみ狂う女怪の中に意識を飛ばし、魂魄に手を届かせて。

 そうして見つけた、どす黒く渦巻く悪意の妖気を──狂わせた妖気の奔流で、殴り飛ばす。

 

「この子の中から、出ていけ──ッ!!」

【ぐ──ぐギャァッ!?!?】

 

 ズルリ、と。

 やかんから吹き出す蒸気のように、禍々しいナニカがジョロウグモの体から剥離する。

 

 不快なほどに真っ黒い靄を思わせるそれこそ、たった今姫華に殴り飛ばされたモノの正体。

 フデ・ショウジョウが魂魄に打ち込んだ、精神を狂わせる妖気そのものである。

 

「何か……出てきた!」

「あれが彼女を苦しませていた要因、って訳ですわね。先ほど坊ちゃまが術者……ショウジョウめを倒した事で、白衣様の力でも追い出す事ができるほど弱まっているのでしょう」

 

 解説と共にお千代がじぃと睨みつけている今も、悪意の靄は弱々しく宙を踊りながら揺らめいている。

 

【お、のれェ……おのれ、よくもォ……! よくもワシの肉体を、滅ぼしてくれましたねェェエエエ……!】

 

 おどろおどろしく蠢く妖気は、やがて朧気なシルエットを構築する。

 果たしてそれは、フデ・ショウジョウの姿に似通ったものだった。

 倒された本体がこの世に残していた、妖気の残滓。そう考えるに十分過ぎる光景だ。

 

「こいつを撃ち抜いてくださいやし、坊ちゃん! それで、全部終わりでさ!」

「──うん!」

 

 銃身に妖気を込める。あれだけ撃ち尽くしてなお体に残っている微かな妖気さえ、限界を超えて掻き集める。

 目が眩む程度は何も問題無い。必要なものは速度。威力を重視する段階ではない。

 

 掻き集めて、掻き集めて、それでも足りないからこそぎ落として、ようやく練り込めた炎の弾丸。

 照準は既に終わらせている。後は、引き金に添えられた指を動かせるだけの力があればいい。

 

「これで終わりだ、ショウジョウ! 妖術《日輪・曙》ッ!!」

 

 それこそが、この戦いを終わらせる号砲だった。

 

 凄まじい速度を持ったか細い弾丸は、寸分の狂いもなく直線上を飛翔する。

 イナリにも、姫華にも、ジョロウグモにも被害を及ぼす事なく、漆黒の残滓のみを標的として。

 

 そのようにして迫る弾丸の速度を、何人たりとも妨害できる訳が無し。

 勝利をもたらす真っ赤な針弾は、靄のど真ん中を正確に貫いた。

 

【グゲッ、グギャァアアァァアアァアアァァァアアアアアア!?!?!?】

 

 下品な絶叫の最中、ぽっかりと空いた赤い穴から炎が迸る。

 妖気の炎は瞬く間に燃え広がり、薄く朧気な靄など敵ではないと言わんばかりに呑み込んでいく。

 年老いたサルの残滓を、3本足のカラスが喰らい尽くしていく。

 

【きっ……消えるっ! ワシの、意識がァ……っ!? こ、これでワシは……『げえむおおばあ』と……そういう、事、なのです……ねェェェェェ……──】

 

 徐々に薄れゆく声が、明確な死の訪れを内外に知らしめる。

 隅々まで焼き尽くされた悪意と狂気の靄が、最後の一欠片を失ったその瞬間、無様な断末魔もまた完全に途切れる。

 そしてそれこそが、妖怪フデ・ショウジョウの完膚なき敗北を意味していた。

 

「や、った……倒せ、た……」

「あっ、ちょ、坊ちゃま!?」

 

 今度こそ敵を排除できた事を確認して、お千代に引っ張ってもらっていた九十九は、とうとう気力を失ってその場に尻餅をつく。

 その手から零れ落ちた火縄銃が床に落ち、ガシャン! という音を夜の天文台に反響させる。

 と、それと同時に。

 

()……()()っ……」

「ジョ、ロウグモ、ちゃ……っ!?」

 

 姫華は、己の体に負荷をかける行為を強行した結果として。

 ジョロウグモは、その身に宿す妖気のほとんどを喪失して。

 それぞれの理由から、2人の少女もまた力尽きるように崩れ落ちた。

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