リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~ 作:小村・衣須
「──お千代さん! 誰か見つけた!?」
「いいえ、それらしい影は見当たりませんわ。逃げ遅れた者がいたとして、恐らく既に……」
「……っ。じゃあ、もうちょっと奥に」
「なりません。これより先は炎の勢いがより強くなっていますわ。如何に妖気を手繰れると言っても、肉体が熱に耐えられる限界はありましてよ。更に奥へ向かうより、別の場所を見て回った方が得策ですわね」
「わ……かった。なら、あっちに行こう!」
現地に到着した姫華は、ビルの鉄筋コンクリートを炎が舐め、人体に害を及ぼすほどの黒煙が道路を這う地獄のような光景を目にしていた。
九十九と路地から見た際は街全体が火の海に包まれているように錯覚したが、実際は繁華街一帯が炎に呑み込まれている程度らしい。
それでも、甚大な被害である事には変わりない。
空から逃げ遅れた人を探すお千代と二手に別れ、姫華は高熱の道路を駆け回って要救助者を探す事にした。
今のところ、それらしい人影は見える兆しが無い。だが、だからと言って探すのをやめる訳にもいかないのだ。
「姫華様。今日覚えたばかりで使い慣れていないところ恐縮ですが、今の内に認識阻害の術を使っておいた方がいいですわ。いつどこで誰が見ているやも分かりません、ご自身の正体を隠しておくに越した事は御座いませんことよ」
「認識阻害……うん、分かった! えと、確か……」
妖怪ならざる
それでも、自身に手繰れる妖気を使った最低限の術──例えば、自身の正体を“ごまかす”装束を生成する程度ならばできる。
昼間にレクチャーされたそれを実践するに当たって、まず想起したのは九十九の姿だ。
彼が
上手くイメージできたら、次はそれを「掴む」事を強く意識する。そしてそのまま、掴んだ妖気を体外に引き摺り出して──
「よしっ……できた!」
そうして現出したのは、1本の眼鏡だった。
真っ白いフレームが形作るのは、逆三角形に近い輪郭を持った楕円。俗に言うボストン型の眼鏡である。
姫華の妖気から形成されたそれは、彼女の顔にすっきり収まり、どこか知的な印象さえ醸し出している。
なお、あくまで妖気を眼鏡の形状に固めただけのものである為、レンズは嵌め込まれていない。所謂、伊達眼鏡というやつだ。
「……うん、練習の時に作った妖気のマフラーより綺麗にできたかも」
「あら、眼鏡ですか。中々悪くない“ちょいす”ですわね」
「昔、お婆ちゃんが新聞を読む時によく使ってたのを思い出したの。妖気はイメージ、ってこういう事だったんだね」
「それはいい気付きでしてよ。では正体を悟られぬよう、その姿の時は……そうですわね、姫様とお呼び致しましょうか。先を急ぎますわよ、姫様!」
「うん、急がないと──っ!?」
頭上から木霊する派手な爆発音が、次の句を掻き消した。
思わず見上げれば、もうもうと空を汚していた黒煙が、空に生じた爆炎の勢いで吹き飛ばされていく様が見える。
赤と黒の交じる夜空に咲いた一輪の紅蓮は、宙を踊るいくつかの影を一瞬なれども露わにする。
距離が距離なだけに正確な目視こそできないが、何やら奇っ怪な異形と相対する黒色の人型は見て取れた。
戦っているのだ。今、あの場所で。
「……私は、私にできる事をする。だから……」
どうか、無事に勝ってほしい。
その一言だけは喉の奥に追いやって、姫華の足は焼けた路面を再び走り出した。
◆
「ゲヒャヒャッ──とっとと消し炭になりなァッ!!」
ヒトウバンの操る妖気はたちまちに炭へ、炎へ変転し、爆発を伴って撃ち放たれた。
炸裂した炭火の散弾は多少の拡散がありつつも、ほとんどは軌道の先にただ1人の獲物を捉えている。
迫り来る脅威を前に、九十九は何度目かの冷や汗を垂らす。
強い熱が生み出す上昇気流に漆黒のマフラーがはためいて、彼の体を更に上へと押し上げた。
炭火の弾道上から逸れるや否や、間髪入れずに火縄銃の先端を直下へと向ける。
「分かっておりやすね? 大技は極力控えるように!」
「りょーかいっ! 威力を落として、弾丸の出力も……そして連射性を、上げるっ!」
右肩に乗ったイナリの助言に応じて、瞬きほど素早い呼吸を1回。
妖気を操るイメージに少しばかりのアレンジを加えて、引き金を引く。
銃口から飛び出たのは、米粒大の赤い弾がいくつか。銃の形状も合わせてまさに散弾銃の如く、弾丸のシャワーを降らせた。
如何に米粒ほどに小さい弾丸とて、妖気を捏ねて生成されたものには間違いない。
即ちリトル・ヤタガラスの妖術である事には変わりなく、彼の足元を通り過ぎていこうとする炭に着弾したそれらは、一斉に小さな爆発を起こす。
爆竹が破裂したかのようないくつかのラップ音は、数の暴力によって炭の爆発を促し、更に爆炎を噴き上げた。
複数の爆発とそれに伴う黒煙が引いた後、その場に残ったのは爆風に煽られて火の消失した炭の欠片が1つ。
その上に着地した九十九は、一瞬の内に足裏の妖気を点火し、それを蹴り飛ばす。
足場代わりに、かつ射出装置代わりに用いられた炭は、彼の靴から迸った火の妖気を受けて誘爆。
その勢いと、蹴った時の反動を利用して水平に射出された黒衣のカラスが、そのまま真っ直ぐにヒトウバンへと殺到した。
「ほー、やるじゃねェか! 80年ぶりに楽しめそうだぜ!」
「どうかな。今日が、お前にとって最後の日になるかも……ね!」
慣性を捻じ伏せる形で体勢を変え、腰を引いて両足と銃口を前方に向ける。
即座に放たれた銃弾は、異形の生首がそっと右に逸れるだけであっさりと回避されてしまう。
「トロいねぇ、アクビが出ちまうぜ! 攻撃ってのはなァ、こうやるんだよォッ!」
再び、燃え盛る炭の群れが強襲を図る。
これまでのようにある程度、彼我の距離が空いた状態での攻撃ではなく、今回は九十九の方から接近している中での攻撃だ。
当然、彼の側にそれを無傷で回避する手段は限りなく少ない。
結果、当然の事が起きる。
真っ向から衝突した炭の弾幕は、哀れで愚かなヤタガラスの肉体をいとも容易く食い破る。
炎熱を帯びた散弾の暴威をまともに受けては、如何なる妖怪だろうと致命打は免れず──
「……ァあ?」
迫り来る炭火に体を撃ち抜かれ、蜂の巣になったかと思われた直後、九十九とイナリの姿は泡沫のように消失する。
本来撃ち抜くべき相手を見失い、しかし本来そこにいた筈の相手へと喰らいついた事で、役目を終えた炭が次々に破裂した。
その破裂が起こす衝撃によって、泡沫の如き幻影はやはり揺らめいて崩れ去っていく。
後に残ったのは、最初から何も存在していなかったと言わんばかりに火の粉だけを漂わせる虚空のみ。
そこに、相対していた筈の『敵きゃら』はどこにもいない。
「どこに──いや、
それは直感か、或いは火の気を操る妖怪であるが故の特性か。
僅かながらに揺らいだ熱気から敵の居場所を感知して、ヒトウバンは自らの直下に目を呉れた。
邪悪な眼差しが射抜く先には、何も無い。ただ、燃える街が一望できるだけだ。
けれども、決してそうではない事を知っている者がそこにいた。
「──っ!? 気付かれ……いや、このまま行く!」
イナリの術によって認識を“ごまかし”、敵の真下に回り込んだ九十九。
それを怪物じみた直感を以て看破された事には若干の動揺を覚えたものの、妖気の充填は既に終わっている。
焦る必要は無い。焦れば、それだけ照準に誤りが出る。
そう自分に言い聞かせると共に、引き金を強く押し込んだ。
「妖術、《日輪・曙》ッ!」
緋色に燃えながらも、細く鋭い針を思わせる弾丸。
速度と貫通力にリソースを割り振られたそれは、“ごまかし”の幻惑さえ貫き破って真上を目指す。
焼けた空を穿って上昇する針弾を目視した時、ヒトウバンにできたのは反射神経に全霊を込めて、ほんの少し体を横にズラす事だけだった。
──バ、キィンッ!
「ぐ──ぅ、ぉおっ!? 熱ィ!? 熱に強い筈の体が焼けちまいそうだ……ッ!」
激しく回転する鋭利な弾丸が、異形の側面──掠めた右頬を削ぎ落とすように傷付けて、遙か空に消えていく。
焼き削られた頬は陶器の性質を併せ持っていたようで、滲み出かけた血ごと焼き固められた表面には細かなヒビ割れが生じていた。
肉の焦げる音が白く細い煙を生み、より一層の苦痛と苦悶で神経を刺激する。
不揃いの牙を食い縛り、熱を孕んだ痛みに耐える。そうして口の隙間から一筋の血が垂れた後、ヒトウバンの額に青筋が立てられた。
血走った目で
「テェェェン、メェ……! よくもやってくれたなァ……!!」
「冗談キツイね。頬を削られた程度、この街が受けた被害に比べればまだ軽いよ。……お前の『げえむ』は、ここで終わらせる。そのふざけたツラ、粉々に砕き切るまで容赦してやらないから」
「ハッ、それこそ冗談だぜ! その薄っぺらい
怒りで出力が高まる癖でもあるのか、ヒトウバンの頭部が激しく熱を発し始めた。
妖気を吸って、吸って、吸い上げて、吸い上げてなお足りないと言わんばかりに熱量を求める灼熱は、その余波として大量の火の粉を撒き散らす。
今のヒバチ・ヒトウバンは最早、生きた火山に例えたとしても、そうズレた表現ではないだろう。
「よォォォォォッ、術ゥ!! 《
その狂乱がもたらした現象は、「火山弾」以外のどのような形容詞が相応しいだろうか。
辛抱堪らんと噴き荒れた炭火の数は、黒焦げた空を埋め尽くすほどに多く、そして巨大だった。
1つ1つが岩と遜色ない大きさの炭に、尋常ではない温度と勢いを宿しながら炎が纏わりついている。
たった1つでも着弾すれば、一般的な住宅程度ならば一撃で粉砕する事が可能だろう。
それほどの殺傷力、出力、威力を携えた炭砲弾が、次から次へと迸っている。
圧倒的な熱量を有する火炎の雨が、その字義通り「雨」のように降り注ぐ。
それは見える広範囲全てを焼き払う為の力であり──その結果、九十九のみを灼き尽くして終わるとはとても思えなかった。
だって、彼らの目下には金鳥市の繁華街が広がっているのだから。
「~~~~~ッ! イナリ、今から滅茶苦茶な飛び方するから気合で耐えて!」
「えっちょっと待ってくださいやし坊ちゃんもしかして今からこれ全部撃ち落うぉおぉぉぉぉおオォォォォォオォオァアアアァァアアアアァアアア!?!?!?」
まず取った行動は、超スピードで思いっきり決行した真下へのダイブだった。
フリーフォールなんて目じゃないレベルの風圧が1人の少年と1匹のキツネを襲い、10を数えるよりも早く地上が迫る。
あわや激突──の直前、妖術を交えた強引極まりない減速によって、全ての勢いを殺しての静止を実行。
己の内蔵がひしゃげ潰れなかった事に関して、イナリは自らが妖怪である事に心底感謝した。
「ぐぇほぉっ!?」
「四の五の言ってらんない……! ここまで広範囲に術を飛ばせるなら、取るべきは耐久戦じゃない……速攻だ!」
強く、強く、強く、強く妖気を銃身に注ぎ込む。
時間が足りない。リソースも足りない。作戦を考える余裕なんて無い。
強引でも無理やりでも、兎に角妖気を片っ端から込めて、捏ねて、丸めて、弾丸にする。
「吹っ飛べ!」
その一撃は、打ち上げ花火を思わせた。
きっかり真上にかち上げられた銃口から、馬鹿デカい爆発を起こして弾丸が飛び立つ。
真っ直ぐ上昇を果たした真っ赤な火の玉は、今にも街を砕こうと落下する炭の1つに着弾し──
──KAAA-BOOOOOM!!
局地的な大爆発を引き起こした。
爆炎は近くを通過しつつあった他の炭を巻き込み、巻き込まれた炭は引火によって爆発し、その炎と衝撃が更に誘爆を招く。
花火。そう表現できれば、どれほど幸運だったろうか。
街の空に咲いた無数の灼熱が断続的に繰り返され、爆音が幾多にも重なって木霊する。
「──あっっっつぅぅぅっ!?」
「我慢して! イナリじゃ壊せないでしょ、あの術!」
「はいはいはいはい“ごまかし”しか能の無ェ戦闘能力皆無ギツネで申し訳ありやせんねぇ!」
その灼熱の中を突っ切って、九十九は空高く飛翔した。
無理やり加速を乗せた事で爆炎の幾分かは吹き飛んだものの、残った熱波の煽りを受けて肩のイナリが悲鳴を上げる。
けれども労っている暇は無い。まだ、巻き添えや誘爆を免れた炭は残っている。それらは未だ、地上を狙って落ちている真っ最中なのだ。
(1つ1つ撃ち抜いている暇も無い! クソッ、とんだセルフジェットコースターだ!)
最も近い炭に向かって猛進し、近付くと同時に体勢を反転させる。
先ほどヒトウバンに突貫した時と同じ要領で炭を蹴り飛ばすと、その際の勢いで爆発させつつ、爆風を利用して次の炭へ。
余裕があれば、炭を踏み締める時間を少しばかり伸ばし、他の炭を銃で撃ち抜く事も忘れない。
当然、装填と照準の調整は飛行中に終わらせておくものだ。
あまりに高度な技術だが、九十九がそれに疑問を抱く事は無い。
疑問を抱いている暇が無いとも言うが、彼はこれらの行いが人智を超えた精密さが前提にある事を認識していなかった。
ともあれ、一連の人間空中ピンボールによって、全ての炭は爆発四散した。
最後の炭を蹴り飛ばした後、火縄銃を構え直して目指すはヒバチ・ヒトウバンの懐へ。
「──ンだとォ!? オレサマの術が、全て防がれたァ!?」
「あれだけ大規模な術、そう連発はできない筈だ! 今度こそ──」
その確信を胸に、ヤタガラスは飛ぶ。
奇襲への対応が為されるより早く、異形のど真ん中を狙って引き金を──
「隙ありィッ!!」
その時、九十九は自分の身に何が起きたのかまったく理解できなかった。
ただ分かっているのは、ヒトウバンめがけて真っ直ぐ飛んでいた筈の自分が突如、下方から来た
……否、殴られたという表現すら不適切だろう。それは武器や徒手空拳ではなく、砲弾のように飛んできて、ぶつかってきただけなのだから。
しかして、結果は変わらない。
下方からすっ飛んできたそれは九十九の体を打ち据え、軌道を大きく改変する形で盛大に吹っ飛ばした。
直進に用いられていた加速と勢いは全て、真横に吹き飛ぶエネルギーに転用され、その負担が矮躯の体に強くのしかかる。
「ぁぐっ──!? ったい、なんの……っ、げ、ぼぉ……っ!?」
「坊ちゃ──って、なんじゃこりゃぁ!? わてらの体にベタベタ貼り付いてこれ……油ぁ!?」
彼らの快進撃を食い止めたモノ、その正体は油だった。
何も難しい話ではない。人間大の油の弾丸が放たれて、
如何に液体とはいえ、人間に等しい質量が物凄い勢いでぶつかってくれば、それは一種の兵器となる。
問題は……
「……あァ~ン? なんだありゃ。なんでアイツら、勝手にぶっ飛びやがったァ? ……いや、待てよ。まさか」
それを目論んだのも、成し遂げたのも、ヒトウバンでは無いという点だ。
「どこのどいつだァ!? オレサマの『げえむ』に水を差しやがったのは──」
「へっへっへ……水を差した、なんざとんでもねぇ話だ。あっしはただ、ちょいと手助けしてやっただけさぁ」
そうして、見つける。
彼らが戦っていた場から、ほんの少しだけ離れた場所。今はもう使われなくなった、古い古い電波塔の頂上に。
痩せぎすで、猫背で、薄汚く、小悪党じみた顔を持ち、古臭い瓢箪を携えた、妖しげな男のシルエットを。
「この戦いを通して、あっしを馬鹿にしてきた連中全員に、あっしの有用性を証明する。ヒバチ! お前の『げえむ』は、その為に目一杯利用してやるよ!」
妖怪ヒョウタン・アブラスマシ。
この場の誰もが予期していなかった、乱入者の登場である。