リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~   作:小村・衣須

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其の陸拾 絶望的な実力差

 敵に向かって駆け出す最中、八咫村 九十九(リトル・ヤタガラス)は己の心が震えている事を自覚した。

 

(あいつを……神ン野を見ていると、目がチカチカするみたいだ)

 

 心臓が張り裂けそうなほどの鼓動に乗せて全身を巡る妖気が、血管を内側から削いでいるような感覚に襲われる。

 視界は明滅を繰り返し、眼前の敵を直視したくないと本能が叫んでいる風に錯覚する。

 両腕を軋ませる鈍い痛みが、逆に自らの正気を維持してくれている始末だ。

 

 心のどこかが呟いた。

 このまま、銃身を下げてはどうだろうか。引き金に指を添えるのをやめてはどうだろうか。

 踵を返して、銃を捨てて、イナリを見捨てて、どこか遠くへ飛び去って、逃げてしまえばどうだろうか。

 

 虚ろな甘言を奥歯で磨り潰しても、その度に怖気が走り、力が抜けてしまいそうになる。

 目に見えない力で背後から肩を掴まれ、そのまま後ろへ引き摺り倒そうとしている何者かがいる。素直にそう思えれば、どれほど楽だろうか?

 

 分かっている。これは別に、神ン野の持つ恐ろしい妖術でも、誰かから妨害を受けている訳でも無い。

 分かっている。これら一連の不快感の原因と、ここまで己の心を揺さぶるモノの正体を。

 

(僕は──神ン野が、怖い)

 

 恐怖。

 生けとし生ける存在が持つ情緒の中で、最も原始的なモノ。

 

 敵への恐怖。脅威への恐怖。窮地への恐怖。恐ろしいモノへの恐怖。

 そして何よりも、死への恐怖。

 

 このまま馬鹿正直に神ン野へ突っ込み、攻撃を仕掛けても、自分は容易く殺されるだろう。

 その確信から来る死への恐怖が、九十九のあらゆる機能を狂わせようとしていた。

 

 分かっている。彼ら悪しき妖怪たちは、人の恐怖を求めている。

 そして、九十九は人間である。如何にヤタガラスの力に目覚めれど、その身に流れる血は確かに人間としてのものだ。

 九十九が神ン野を、妖怪に恐怖するとは即ち、意図せずして彼らに利する形となってしまう。それは、分かっているけれど。

 

 

──恐怖が、ここまで心を震わせるものだなんて思わなかった。

 

 

 初めて妖怪を見た日。カタナ・キリサキジャックの殺戮劇に見舞われ、己も殺されそうになった時。

 あの時でさえ、ここまでの恐怖が本能を駆り立てる事は無かった。

 その事実こそが、神ン野という妖怪の持つ強さと圧を実証していた。

 

 どこからかカラスの鳴き声が聞こえ、舌の根に強く力を込める。

 そうでなければ、気合を入れる為に歯を食い縛ろうとした拍子に、自分の舌まで噛み千切ってしまいそうな気がしたからだ。

 

(震えるな……! 恐れてもいいから、震えで体を鈍らせるな!)

 

 全身の筋肉にそう言い聞かせ、銃口を前に突き出す九十九。

 痛みと恐怖が綯い交ぜになった指先に上手く力が入らず、強引に引き金を押し込んだ。

 

──BANG!

 

 銃声を引き連れて飛び出したのは、バスケットボールよりも更に一回り大きな火球だ。

 妖怪ヤタガラスとして帯びる火の妖気を詰め込み、濃い緋色に膨れ上がらせた灼熱の弾丸。

 

 その一撃は、かつて3体の妖怪を焼き焦がし討滅してきたそれよりも遥かに大きい。

 直撃しようものなら、尋常の妖怪であれば決して無事では済まないだろう。

 

「……火の妖気。それも我ら妖怪が持つような、夜と闇を司る(いん)の気ではなく、昼と光を司る(よう)の気。成る程……確かに木っ端の者ならば、己が持つ陰の気を食い潰されて焼き尽くされるだろう」

 

 尋常の妖怪で、あれば。

 

「だが、妖気の質が低い」

 

 薙刀が、真横に振り抜かれた。

 一切の曇りを見せない刀身は、軌道上の塵や埃すら引き裂いて虚空を滑る。

 その煌めきが向かう先には、今にも己へと迫る灼熱の火球があった。

 

 

──さくり

 

 

 火球が、左右にブレて見える。仮にそう認識した者がいたとすれば、その者の認識は誤りである事を告げなければならない。

 ブレているのではない。丁度ど真ん中を水平に切断された火球が、上下それぞれの半球型に分裂しているのだ。

 

 それを成したのは神ン野であり、それに用いられたのは水平に薙ぎ払われた薙刀である。

 振り抜かれた得物の先端、たった今しがた灼熱の塊を切り裂いた筈の刀身には、焦げた後など1つも見受けられない。

 

 術の核をパックリと分割された炎の弾丸は、標的に着弾する事なく、瞬く間に炎の勢いを衰えさせて消滅。

 その射線上にあった砂埃だけが、火球が存在していた証明として、焦げた匂いを甲冑に浴びせていく。

 

「よもや、今のが必殺の切り札では無いだろう。これで終わりなど──ふむ?」

 

 そこで、気付く。

 視界の内に、九十九がいない。

 向こうに見えるバケギツネが術を展開した訳でも無いようだ。彼は生きてこそいるようだが、倒れ込んだまま動いていない。

 

 どうやら今しがたの一撃は、半ば目眩ましの用途も兼ねていたらしい。

 巨大で、真っ赤で、爛々と強い光を放つ弾丸。それに対処しようと行動すれば、必然的にその背後の射手から視線は逸れるものだ。

 

 では、彼はどこに?

 先ほどまでの流れから、ただ逃げただけとは考え辛い。

 であれば──

 

「死角か。不意を討つ気だな」

「なんで気付くかなぁ……!」

 

 右側面。そう当たりをつけて、ガシャリと首元を揺らす。

 果たして振り向いた方向に九十九はいた。こちらに向けて火縄銃を構えた態勢で。

 

 左足を大きく側面へ広げた姿は、恐らく加速した状態で神ン野の死角に回り込み、足の裏で強引なブレーキを効かせたが故の結果だろう。

 彼の構えから薙刀を横に薙ぐ事を察知し、その死角になるだろう場所として右側面を選択したのだ。

 

勝負勘(せんす)はあるようだな。鍛錬による結果……いや、本能に由来するものか。貴様が覚醒(めざ)めたテッポウ・ヤタガラスの血は、よほど濃いらしい」

「詳しくは知らないし……お前に勝った後、ゆっくりと考えさせてもらうよ!」

 

 神ン野は言った。傷の1つでもつけてみよ、と。

 それを満たせればこちらの勝ち……などと都合の良い発想をする気は無い。

 けれども、かすり傷さえ負わせられないのならば──彼が、こちらを認める事も無いのだろう。

 

 だから、選択する。

 この場において適切な弾種を。適切な妖術を。

 

「妖術……《日輪・曙》ッ!」

 

 発砲音ののち、鋭い弾丸が咆哮を上げた。

 

 ショウジョウとの戦いで編み出したこの術弾は、得てして通常の《日輪》よりも汎用性が高い。

 威力こそ落ちるものの、重視したのは貫通性と発射速度。妖気によって銃身内部に生成した螺旋(ライフリング)が、それらの性能をより向上させる。

 

 その速度は、先ほどの火球とは比較にもならない。

 暗闇さえ貫いて、緋色の針は標的へと一直線に走り抜けた。

 

──POW!

 

 炎の炸裂する音が聞こえる。

 

(貫い──)

 

 そこで、思考が止まった。

 九十九の目に、彼の常識では凡そ信じ難い光景が飛び込んできたからだ。

 

「単一の威力よりも、装甲の突破に重きを置いた術か。発想としては悪くない。だがやはり、妖気の練り込みが甘いな」

 

 あれは、なんだ? 何が、摘まれている? あいつは、何を摘んでいる?

 いや、その正体も目の前で起きている事も、全てを理解できる。ただ、理解したくないだけだ。

 

 少年の脳は、数秒ばかり認識を拒んだ。

 超高速で放たれた筈の弾丸を、()()()()()()()()()()()()()()()()()など、とてもじゃないが認識したくは無かった。

 

 敵の装甲を、防御を、阻むモノ全てを貫く突破する為に生み出された妖術《日輪・曙》。

 神ン野はそれを、薙刀を握っている右手を少しばかり動かして、親指と人差し指のみで受け止めている。

 

「見ろ。弾丸そのものが脆くなっている。これでは俺ではなくとも、砕くかへし折るか、どちらにしても力を持つ妖怪であれば破壊は可能だ」

 

 ベキリ。

 シャーペンの芯を指先で折り砕くような気軽さで、貫通性を高めた針の弾丸は呆気なくへし折れた。

 そのまま炎の残滓を残して消え去るが、それを成した指先は焦げてすらいない。

 

「そ、んな……こんな、簡単に……」

「貴様の欠陥は、練度不足の1点に尽きる。如何に才を持とうとも、それを十全に練り上げ鍛える機会と意思が無ければ、それは宝の持ち腐れというものだ。()()()()潤沢な妖気を持つ程度で驕り高ぶった、ヒョウタン・アブラスマシのようにな」

 

 足がほんの1本、前に出る。

 無骨な巨甲冑がこちらに少し近付いただけで、まるで途方も無く巨大な壁が迫っていているかのような恐怖を錯覚してしまう。

 ガシャ、ガシャと鎧から音が鳴り、面頬の隙間から光る視線が1人の少年を見据えた。

 

「次は、こちらから行くぞ。耐えてみせろ」

 

 

──次の瞬間、神ン野は九十九の目の前に立っていた。

 

 

「は──」

 

 すっ惚けた声が漏れるよりも先に、薙刀が天高く振りかざされている事実を認識する。

 それは別に、チョウチン・ネコマタのような幽世(かくりよ)による時間感覚への干渉でも、テカガミ・ジョロウグモのような転移を可能とする何かしらでもない。

 

 ただ、純粋に、事実として、神ン野の駆けるスピードが尋常でなく速かっただけの話だ。

 

 呆然と、薙刀が己へ振り下ろされてゆく一連の動作が、スローモーションのように遅く見える。

 だから、九十九が足裏に発破をかけて大きく後ろへ飛ぶ事ができたのは、彼にとってこれ以上無く幸運な出来事だっただろう。

 

「──ほう」

 

 地面が抉れ飛ぶ轟音の中、少年の小さな体躯はバックステップを決行していた。

 ただの跳躍ではない。彼は戦闘時、足裏に溜めた火の妖気を炸裂させ、その衝撃による加速を常套手段として用いている。

 そのやり方が、無意識下に刻み込まれていた。故に、呆けながらも回避行動に移る事ができていた。

 

 だが、そこまでだ。

 彼の行動に不足があるならば、回避行動に移るタイミングが遅かった点である。

 一瞬の判断ミスが命取りになる事象は数多く存在し、これもまたその1つだ。

 

 ほんの僅かに遅れたバックステップは、確かに薙刀そのものの直撃を避ける事ができた。

 しかし、薙刀が地面に叩きつけられた際の衝撃と、それによって撒き散らされたアスファルトの瓦礫を避ける事はできなかった。

 

「ぎゃぁ、くぅ……っ!?」

 

 至近距離から特大の風圧を浴び、かち上げられた瓦礫たちに体を打ち据えられて。

 後方に跳躍した際の勢いもあって、九十九は想定していた勢いがより増した形で大きく吹っ飛んだ。

 

 ガツン! と地面の上でバウンドした矮躯が、接地の衝撃を再び全身に刻まれる。

 赤い赤い血の跡が、薄暗いビル街にあって爛々と路面を汚していた。

 ズキズキと苦痛に喘ぐ手足を動かそうとすれば、代わりに口から血を吐いた。体内のどこかにもダメージが入ったらしい。

 

「今のを避けるか。反射神経はそう悪いものでは無いようだが、如何せん対応が遅い。判断がもう少し早ければ、そこまでの傷を負う事は無かっただろう」

 

 攻撃を終えたままの態勢を解き、体幹を整える。

 吹っ飛ばされた事で彼我の距離は広がったが、彼にとっては欠伸混じりに接敵できる程度のものでしかない。

 

 いつも通りの戦闘であれば、このまま近付いてトドメを刺せばそれで終わりだ。

 だが、神ン野はそうしない。相手を侮っている訳でも無い。これは単なる死合いではなく、リトル・ヤタガラスという妖怪を見定める為のものだからだ。

 

 故に、動かない。体だけを向けたまま、じっと見据える。

 視界の向こうで、血塗れの体を押して立ち上がろうとする小さな戦士の姿を。

 

 そう、彼は立ち上がろうとしていた。

 八咫村 九十九は、まだ戦う意志を持っていた。

 

「まだ、起き上がるか。その気概は善い。後は、それがただの蛮勇で無い事を願うだけだ」

「ど、う……かな。ゲホッ! ……案外、蛮勇のたぐ、い……かも、ね。そうで、なか……ったら……そう、だな……ゲホ、グッ……或いは、意地……かも」

「……意地」

 

 ゴン、と薙刀の石突を地面に置く。

 武器の持つ重量が、それをただ置いただけに終わらせず、いくつかのヒビをアスファルトに残した。

 

「そうか、意地か。戦いの場においては、あまり利口とは言えない感情だな、それは」

「……そう、かもね」

「だが、殊更(ことさら)に悪いものでもない。気概無き者に、戦いの場に立つ資格は無い。そういう意味では、貴様もまた(さむらい)と呼べるだろう」

 

 しかし。

 そこで言葉を切った後、仄かに眼光を細める。

 絢爛とした兜は今、目の前の少年ではなく、彼の腕に注目を傾けていた。

 

「貴様の心は強くとも、貴様の体は限界のようだな」

 

 その言葉に言い返せるほど、九十九は阿呆では無かった。

 

 アブラスマシの油玉による破裂を真っ向から受けてよりこちら、彼の両腕には負担しかかかってこなかった。

 ただでさえ破裂を間近で受けた事でボロボロだったのだ。そこに妖術を用いた銃撃を2回行い、今しがた吹き飛ばされた際には全身に衝撃が叩き込まれた。

 

 如何に銃の扱いに長けているとはいえ、反動と無縁ではいられない。

 (いわん)や、彼の用いる弾丸は妖気から生成したもの。それを放つのだから、一定以上の反動と負担が腕にかかって然るべきなのだ。

 

 それがこれまで露呈しなかったのは、ひとえに今回ほどのダメージを腕に受けてこなかったからに尽きる。

 だが今回、九十九は何よりも腕に重点的なダメージを受け続けてきた。そもそも神ン野との戦いを選ばずに逃げていれば、彼の傷はまだマシな程度に収まっていただろう。

 

 数え切れないほどの傷が刻まれた両腕の内、特に酷いのは利き手である右腕。

 己の脳内でつけた見立てが正しければ、恐らくは──

 

「あと、1発。妖術弾をあと1発撃てば、貴様の右腕は折れる」

「……!」

 

 果たして、神ン野の見立ても同じものだった。

 

 言わずもがな、九十九は妖怪である。

 適切な手当てを受け、妖気を体に巡らせて自己治癒力を促進すれば、常人よりも早く傷を癒す事ができるだろう。当然、折れた腕を治す事だってできる。

 

 だがそれは、この場での継戦が可能である事を意味していない。

 仮に腕がへし折れたとして、それを即座に治癒し、即座に戦闘を再開できるほど妖怪は都合の良い存在ではない。

 

 それは神ン野や、他の妖怪たちとて同様だ。

 しかし、今この場において先の文言に該当するほど負傷した者は、九十九を除いて誰もいない。

 

「仕舞いだ。心根は評価に値する。だが、力量はそれに値せず。この先、『げえむ』に挑んで命を落とすくらいならば、()くこの場から逃げるがいい」

 

 薙刀の切っ先が、向けられる。

 これ以上立ち向かうならば、切り捨てる。そう、言外に告げているのだろう。

 

 目の前の大敵を屠るには、悲しいくらいに実力が足りない。

 その実力不足が故に、妖怪リトル・ヤタガラスは敗北を決定づけられた。

 

 だから。

 

「ぁ」

 

 

 バサリと、翼のはためく音がした。

 

 

「……何故、銃を構える」

 

 著しくノロノロとした動きを伴って、腕が持ち上がる。

 傷口から血が止めどなく溢れ出すのも厭わず、腕の筋肉を動かす。

 両腕を切り落としたくなるほどの痛みが迸っているにも拘わらず、火縄銃を構える。

 

 息は荒く、目は虚ろに半開きで、血の気すら引いている。

 ガクガクと歪んだ動きを繰り返す足は、正常なバランスを取る事すらできないらしい。

 

 だというのに。

 

「……お前を、撃つ為だ」

 

 瞳孔を炎に変えて、瞳の奥を揺らめかせながら。

 八咫村 九十九は、神ン野を狙撃する構えを取っていた。

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