リトル・ヤタガラスは妖怪を狩るようです ~正義の妖怪ヒーローが往く退魔怪奇譚~   作:小村・衣須

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其の陸拾肆 手繰る縁、手繰った縁

 熱い。

 暑い。

 篤い。

 

 全身が燃えているかのような感覚と、気が狂いそうになるほどの痛みを覚える。

 

 朦朧とする意識の中で、九十九はただ苦悶に襲われていた。

 何故、自分がここに寝かされているのか。そこまでの経緯を、彼はそこまで詳細に覚えていない。

 

 神ン野に必殺の一撃を打ち込み、それでもなお痛痒を与える事ができなかった。そこまでは、概ね覚えている。

 問題は、そこで心身に限界が来た直後、お千代に掴まれてからの記憶が不明瞭なのだ。

 

 覚えている事と言えば、ふんわりと金木犀の香りがする布のようなナニカに全身を包まれ続けていた事。

 そこから解放された時、自分の体はよく使い慣れた布団の上に転がされていた、という事くらいだ。

 

 無論、これはお千代によるものである。

 自身の体内に九十九を収容した彼女は、そのまま八咫村邸の2階の窓から彼の自室に侵入し、姫華が手早く敷いた布団の上に九十九の体を寝かせてやった。

 そうして四十万たちによる手当てを受けて、現在に至る。

 

 だが、それら一連の出来事は、今布団で寝かされている少年の知るところでは無かった。

 

「……っ、……く、ぁあ……!?」

 

 彼にとって今まさに重要なのは、全身を焼く激痛と苦痛。

 そして心の底から湧き上がる、悪夢にも似た倦怠感と酩酊感だ。

 

 特に、右腕。

 正常な思考すらロクにできない状況下だが、自分が己の肉体を酷使し過ぎた事はよく理解している。

 

 強敵を前に逃げなかった。その愚行に対するささやかな代償が、これだ。

 九十九の右腕は最早、骨どころか神経や筋繊維の全てがグチャグチャに千切れ、砕け切っていた。

 

(くる、しい……苦しい……。自分が今起きているのか、悪夢の中にいるのか、判別がつかない……)

 

 あまりに静か過ぎて、四十万は「よく眠っている」と判断して去ったのだろう。

 だが、実際のところはそうではなかった。目も口も、僅かにすら開けられないほどの痛みと苦しみが彼を襲っていただけだ。

 

(起き、なきゃ……起きなきゃ、起きて、なに、を……僕は、何を……するんだ……? 何を、僕は、誰を……誰に、何を……どうして、起きる必要、が……)

 

 いくつもの理性的な思考が、それを上回る激痛によって凌辱される。

 くるくる狂々(くるくる)と流転する意識は、身体の回復に務める筈だった妖気の流れをも狂わせていく。

 

 吐息を発する事さえ億劫になって、眠るという選択肢すら失いながら。

 少年はただ、明瞭ならざる意識の中で苦痛に喘ぐという行為のみを延々と──

 

 

「なんやなんや、えらい湿気た顔しとんなぁ。グズグズになってもうた八ツ橋くらい、なっさけないツラやのう」

 

 

 無作法な動作と力加減と態度を以て、自室の襖が開かれる。

 電灯の柔らかい光が廊下から差し込んできて、薄暗い部屋の中をほんのりと照らす。

 

(誰、だ……? 知らない、声だ……)

 

 突如として投げ込まれた音と光の群れが、熱を帯びていた九十九の思考に微かな冷たさを取り戻させた。

 そうして起きた変化に彼が意識を割くよりも早く、ズカズカと部屋の中に押し入ってくる乱暴な足音。

 

「けどまぁ、同時に戦士のツラや。負けて悔しい。名誉の傷が本当は痛い。今すぐにでも泣き喚きたい。グースカ寝とるようやけど、そういうんはよぉ分かる。なっさけない足軽のツラや」

 

 聞いた事の無い男の声が、不躾極まりない言葉を吐きながら近付いてくる。

 タン、タン、タンという足音も徐々に大きくなっていって、やがて止まった。

 

 そこで、九十九の顔に影が差す。

 廊下の光が、何かに阻まれた。直後に肌を通して感じる、人の気配。

 どうやら部屋に入ってきた何者かは、布団に寝かされているらしい自分の隣まで来て、そっと座り込んだようだ。

 

「せやけどな、そういう奴が一番かっちょええねん」

 

 ふわりと漂う、()()()()()

 

 直後に布団が軽く剥がされ、胸の上に何かが乗せられた。いや、何が乗せられたかは感触で分かる。

 手だ。男の手のひらが、仰向けに晒された胸部へと添えられている。

 

「これはボクの持論なんやけどな」

 

 一体、何をするつもりなのか。

 そう問いたくても問えない状況下をある事を知ってか知らずが、男は独りでに語り出した。

 

「“運命”とか“縁”っちゅうのは、妖気と似たようなモンやねん。どっからかポコポコ湧いてきよって、誰にも見えへんけど空気中を漂っとる。ほんで知らん()に体に絡みついて染み込んで、磁石みたいに禍福を引き寄せとんのや。ま、あくまで持論やけどな?」

 

 何を言っているのかサッパリ分からない。

 なんとかして口を動かそうとした矢先、男の手のひらを通して胸の中に妖気が流れ込んでくる。

 

 決して不快ではない、それどころか毛布のような温かさを纏った妖気の流れ。

 その温もりがじんわりと体を温めていく中、九十九は同時にまったく異なるナニカを感じ取った。

 

「せやさけ、そういう“縁”みたいなモンに糸ぉ括り付けて“たぐる”とな、意図的に“福”を呼び込む事ができんねん。言うたかて、額面通りに都合の良いモンでも無いねんけどな。できる事と言えば精々、金運とか……あとは、()()を招き寄せるくらいや」

 

──糸

 

 細く、長く、しなやかで、同時に丈夫な、絹の糸。

 そのように形容できる感触が幾本も、妖気に紛れて体の中へと入り込んできた。

 

 それらの糸はしかし、こちらを害そうという気配を見せてはいない。

 むしろ、体の奥底に溜まったドロドロのナニカを絡め取り、引き抜こうとしているではないか。

 粘ついたヘドロのようなそれらが抜き取られる度、痛みに由来する熱は徐々に収まり、代わりに心身を癒す熱が高まっていく。

 

「“悪縁”を“たぐって”抜き取って、代わりに“良縁”を“たぐって”引き寄せて。その後は、自分のガッツ次第や。運は人の背中を押すものであって、決定打にはならへん。背中を押されてどうするかは、そいつにかかっとんのや」

 

 妖気の温もりと糸の動きが体に熱を与え、解きほぐし、その熱が逆に理性の冷たさをもたらした。

 ひんやりと落ち着いた思考を取り戻す中で、九十九はようやく、薄っすらと目を開く事に成功する。

 

 薄目で世界を認識してみれば、男は今まさに胸部から手を離し、立ち上がろうとしているところ。

 声を出そうと唇を震わせた直後、サングラスをかけたその男は人差し指を立てて「しー」とだけ呟いた。

 

「気張りや、八咫村の。自分が戦う為のお膳立ては、ボクらがなんぼでもやったる。けど、本丸討てんのは自分しかおらんのや。80年前の大戦だってそう。結局のところ、ボクにできるのは裏方だけ。せやから裏方なりに、かっちょええ足軽の背中を押したるさかいな」

 

 それだけ言い残して、男は立ち去っていった。

 襖が閉じられ、廊下の光が遮られた後、部屋には再び薄暗い闇が戻ってくる。

 

 けれども九十九は、その薄暗さを不愉快なものとは思わなかった。

 ぽかぽかと心身を温める熱が、心地よい微睡みへと(いざな)っていく。

 

(……やっぱり、知らない人だった。けど……)

 

 柔らかい闇に包まれるようにして、少年はもう1度目を閉じる。

 

(どうして、だろう……何故か、安心できる人だったような……)

 

 

 

 

「……うん。成る程、成る程ね?」

 

 一方その頃、1階の居間にて。

 イナリたちの静止も聞かずに2階へ上がっていった瀬戸は一旦放置して、残された者たちは情報交換──という名の、五十鈴に対する説明会を行っていた。

 

 妖怪とはどのような存在で、今この街を襲っている脅威が何なのか。

 八咫村家の秘密、そして『現代堂』との長きに渡る因縁と、九十九がどのような戦いに身を投じようとしているのか。

 それを一通り聞いたのち、五十鈴は神妙に頷きを繰り返した。

 

「妖怪は江戸時代よりずっと昔からこの世界にいて、この街で悪さしてる連中は妖怪の過激派テロリストどもで、この家のご先祖様も妖怪で、私たちは妖怪の血を延々と継いでいて、妖怪の力に覚醒した九十九はそのテロリスト妖怪たちと殺し合ってると……」

 

 アッツアツのお茶で満たされた湯呑みを両手で丁寧に持ち、中身を軽く啜る。

 温かなお茶の味と香りを喉の奥に流し込み、ホッと一息。いつ飲んでも、この家のお茶は安心する味だ。

 臓腑に落とした熱をじんわりと楽しんだ後、湯呑みをそっとちゃぶ台の上に置いて……

 

──ダンッ!!

 

「なによそれぇぇぇぇぇえ!?!?!? 今聞いた事全部、今まで全っっっっっ然知らなかったんだけど!? 何? 何なの!? ウチって実は妖怪横丁とか霊界探偵みたいな事やってる家だったの!?」

 

 両手をちゃぶ台に叩きつけて、半ば立ち上がった状態で叫ぶ24歳女性。

 苛立ちを込めた渾身のシャウトを前に、祖父は白い髭をしごきながら「ふむ」と呟いた。

 

「“ちょいす”が古いのう……。何度か“りめいく”されているとはいえ、どちらも20世紀の漫画じゃぞ」

「そういう問題じゃないでしょお爺ちゃん! 皆が私に隠してた事もそうだけど、問題は課長がなんでひとっことも話してくれなかったかよ!」

「その、先ほどから度々言っておられますが、本当にあのガキンチョ……じゃない、あの男から何も聞いておりませんの? あいつと関わっている以上、妖怪について触り程度は知っているものかと……」

「お千代さん……だっけ。すみません、なーんにも聞いてないです、ハイ。あのクソ上司、私がどんだけ聞いても『直に見て直に聞いた方が信じられるやろ~?』って半笑いで言いやがってですね。もうフラストレーション溜まりっぱなしだったんですよ」

「「あ~……あいつはそういうのやりますね」」

「やるんだ……」

 

 召使いたちが口を揃えて断言した事に、驚き半分呆れ半分の声を漏らす姫華。

 その様子に少しだけ冷静さを取り戻しつつ、五十鈴は咳払い混じりにそっと座り直す。

 

「姫華ちゃん、でいいのよね。あなたの経緯(いきさつ)も大体聞いたけど、ごめんね? ウチの家族……特に弟がアホで。あいつ、物静かな割に向こう見ずで跳ねっ返りが強くてさー。そっちにもだいぶ苦労かけてるでしょ」

「いえ、そんな……。むしろ私は、九十九くんに迷惑をかけてる側ですから。……私、彼に何度も助けてもらって……でも、何も返せてないんです。今回だって、九十九くんのピンチに私は何もできなくて……それで、あんな有り様に……」

「こーら」

 

 ピシッ、と。

 鈍い痛みが額に走って目を白黒させた少女は、ちゃぶ台を挟んで座っている女性が自分にデコピンをしてきたのだと気付いた。

 彼女は頬杖をついてニンマリと笑い、労るような声をかけてくる。

 

「男が女の為に見せる度胸はね、見返りなんて求めてないのよ。女の前でいいカッコしたいからやってんの。それで怪我しても血ィ吐いても男の責任。助けられた側が笑顔で『ありがとう』って言ってくれるだけで、十分報われるわよ」

「……そういうもの、なんですか?」

「そういうものよ。やー、まさか九十九に見栄(おとこ)張れるだけの女の子が見つかるなんてねー。人生、何があるか分かったモンじゃないわ。昔っから執着心だけは人一倍強かった癖に、それをおくびにも出さないで仙人みたいに過ごしてたからさー。心配だったのよ」

 

 やー、良かった良かった。そう繰り返しながら、再び手に取った湯呑みからお茶を飲む。

 その振る舞いと言動に、姫華は暫し呆気に取られていた。

 

 彼女としてはてっきり、九十九が命がけで戦っている事を非難したり、やめさせようとしようとするのではないかと思っていた。

 しかし、蓋を開けてみればどうだろうか。なんとも竹を割ったような、カラッとした人物ではないか。

 

 本当に、九十九の姉なのだろうか。

 五十鈴に対してそのような感想を抱くのも無理は無いだろう。

 

「……その、お姉さん」

「やーね、そんな他人行儀な。九十九の友達なんだから、五十鈴で良いわよ」

「じゃあ、えっと……五十鈴さん。その、九十九くんが戦ってる事に……妖怪たちと、命がけの殺し合いをしてる事に、思うところとかは無い……んですか?」

「ん? めちゃくちゃハラワタ煮えくり返ってるけど?」

 

 ヒゥ、と呼吸が詰まる。

 その反応を見て、即座に「違う違う」という否定の言葉が返ってきた。

 

「私が苛ついてるのは敵に対してよ。まぁ話を聞いてみりゃ、確かに九十九が戦うしか無いかーってなるし、あんまりにも九十九しか戦える奴いなくね? ご都合悪くね? とは思うけどさ。だからって、姫華ちゃんは巻き込まれた側だし、なんも悪くないじゃん」

「……九十九くんだって、巻き込まれた側じゃないですか」

「確かにそーね。あいつだって妖怪になりたくてなった訳じゃないし、誰かを殺したくて殺してる訳じゃないでしょう。そりゃ私だって、九十九が無理やり戦わされてるとか、洗脳されてるとかだったらキレてたかもしれないわよ? でも」

 

 コンッ、と湯呑みが置かれる。

 意図的に音を立てながらのそれは、この場の空気を切り替える為のものであるように思えた。

 

「九十九は、嫌なものはちゃんと嫌って言うわよ。例え相手がパパでもママでも、お爺ちゃんでも、私相手でもね。だから今、あいつがあんな風になってまで戦ってるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを非難する姉が、この世界のどこにいますか」

 

 嗚呼。

 五十鈴の言葉に目を見開くと共に、感嘆と納得の息が自然と漏れた。

 

(この人は、強い)

 

 単純な武力ではなく、心根が強い。

 鋼のように頑丈では無いだろう。傷つく事はあるだろうし、それによって心がへし折れる事も、へし折れた事もきっとあるだろう。

 

 けれども彼女は、根っこがしっかりと太く長く伸びている。

 どれだけ心が折れたとしても、根っこが無事である限り、必ず復活してみせる。

 

 そういう強さだ。

 誰に責められたでもなく、ただ内から生じた無力感だけで自らの心を折ろうとしている自分とは違う。

 

「胸ぇ張りなさい。あなたが今ここにいるのも、あいつがああして戦ってるのも、全部“縁”ってヤツよ。あいつがあなたを助けて、あなたがあいつに報いたいと思う。その“縁”がきっと、九十九の足を動かしたんだわ」

 

 だからこそ、こんな風にニカッと笑える彼女を目の当たりにしたからこそ。

 姫華は、心の中で強く思うのだ。

 

(私も、この人みたいになりたい)

 

 きっと、それが強さなのだから。

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