「ひひぃーん!(ここから出してよぉ!)」
「ハヤテ、ちゃんと安静にして。怪我を治さないと」
宮尾君のいうことは分かる。
わかるけどさぁ!
明日はダービーをやるんだろ!? 僕を差し置いて!!
「びぃーん(く゛や゛し゛い゛よ゛ぉ~)」
悔しくて悔しくてたまらない。
ことの始まりは皐月賞の翌日にさかのぼる。
皐月賞は僅か9cmでの決着だったと聞いて、悔しかったが、同時に僕は日本ダービーでならばミホノブルボンに勝てると確信した。
皐月賞を通して分かったことがあったのだ。
一つは良くないこと。最高速度は僕の方が速い……ことはなく、僅かに負けていた。
最終直線の競り合いで、僕らは抜きつ抜かれつゴール板前を駆け抜けた。
予想では僕の方が上だと思っていたのだけど、最高速度は差し返された分だけブルボンの方が速い。僅かな差だが、絶望的な差だ。
あれ以上速度は出せない。
出せたとしても、無事では済まない。それは僕だけではなく、ブルボンもそうだろうけど。
レース前に感じた『差』は、このスピードの差だったのだろう。
だから末脚勝負をするべきではなかったのだ。
もう一つは良いこと。スタミナ的な余裕は僕の方があった。
予想以上の粘りを見せつけたブルボンだったが、ゴールの後はそれはもう息も絶え絶え、全力を振り絞っていつ倒れてもおかしくないんじゃないかって感じだった。
途中で僕が競りかけたことで史実以上のタフなレースになったことも一因だろうけど、今はあのあたりがブルボンのスタミナギリギリの距離なんだと思う。
対する僕は、確かに疲れはしたが、やろうと思えばあと200mくらいはあの速度を維持できたように思う。もしもスパート位置が200m前であったら……
まぁ、結局たらればだけどね。
しかしたらればでも、具体的に勝機が見えたのは大きな収穫だった。
少なくとも皐月賞の段階では、僕の方が中長距離に適応できることが分かった。
これが秋になるとどうなるかはわからない。坂路調教で元の才能を上回れるほどに鍛え上げる時間ができてしまうから。
つまり皐月賞から然程間を置かない日本ダービーこそが、ブルボンを打ち破る絶好の機会と言えた。
ライスを救うことが、ヒールにしないことが出来るかもしれない。
それが現実味を帯びてきていた。
僕は日本ダービーで絶対にブルボンに勝つべく、皐月賞の翌日から早速厳しいトレーニングに身を投じた。
もうやる気であふれてたからね。
僕だけじゃなく、僕の周りにいる人たち──馬主の滝澤さんに始まり、澤山さん羽田さんに宮尾君、そして普段はあまり関わりのない羽田厩舎所属の他の厩務員さんや騎手さんたちでさえも「ダービーでは勝つ」って気合入ってたからね。
レースの疲労が抜けきらないうちにいけいけどんどんと厳しいトレーニングを積み続けたんだ。
しかし皐月賞で僕は全力を振り絞って走っていた。
それこそ、自分の限界を超えた走りだ。
思い返せば皐月賞の翌日の時点でなんか前脚に違和感があるような気がしていたのだ。
でも、目の前に転がり込んできた目標達成のチャンスに目が眩んで、僕はそれを我慢してしまった。
ここで以前似たようなことがあったなと、思いとどまれていれば回復が間に合ったんだろうけど……僕は多少の無茶を押してでもトレーニングを積み続けた。
毎日走り続け、違和感はやがて痛みへと変わり、それでもダービーでは勝たねばと走り続け──
──遂には歩くのがつらいほどまでに足の痛みがひどくなってしまった。
特に傷んだ右前脚なんかは腫れていた。そこまでいけば言葉の伝わらない人間にも気づかれてしまうもので。宮尾君がお医者さんを呼び、僕は骨膜炎との診断を受けてしまった。
そして僕の関係者が集まって協議した結果、日本ダービーを回避して回復に専念することになったらしい。
そのことは当初僕には知らされなかった。
まぁ冷静に考えれば、馬相手にわざわざ言うことはないってのは分かるんだけどさ。
なんか宮尾君を筆頭に態度が急に軟化したというか、何が何でも勝ってやるって気迫がなくなり、僕をいたわる母性にまるっきり取って代わったものだから、不思議だったんだ。
ふと僕の様子を見に来た滝澤さんが「お前が走るダービーを見たかった」と呟かねば気付けなかった。
僕は怪我してもなお、日本ダービーに出るつもりだったから滝澤さんのその言葉の意味を理解して激怒。
大きく嘶き、馬房の中で立ち上がり、ドスンと前脚を着地させた時に骨膜炎の痛みに悶絶し、しかし鼻息を荒くしながら滝澤さんを睨み付け、しきりに今の言葉の真意を(馬の言葉で)問いただし続けた。
当然僕の言葉が伝わるはずもないから、「足が痛くて荒れているんだろう」と変な受け止め方をされてしまったけど。なんだか滝澤さんたちに裏切られたような気がして、その日は一晩中泣いてしまった。
そんなこんな出来事があったのがもう3週間ほど前。
遂に明日は日本ダービーの当日なのに、僕は未だに美浦トレセンの羽田厩舎の馬房でのんびりすることを余儀なくされている。
「ひぃん……(しかしこれは不味いことになった)」
「お、急に落ち着いた? ほらハヤテ、ご飯だぞ。お腹減ったろ? な?」
僕が不出走になれば、ブルボンは順当に明日のダービーを勝つはずだ。
ダービーの2着馬はライス。皐月賞で見た限りライスの実力はブルボンには遠く及ばず、僕にさえ追いついていない。あそこからダービーまでに鍛えられたとしても、史実を超えることは非常に困難だろう。
僅かな可能性として、僕との関わりの中で覚醒イベントが何かしらあれば……いいや、あったとしてもダービーで追いつけるほどの覚醒を遂げられるとは思えない。
無事ダービーを優勝したブルボンは、無敗三冠という夢を人々に与えてしまうことになる。
つまりだ。
ライスがヒールと呼ばれるようになる、その舞台装置が出来上がってしまう。
不味い。
ライスを救うため、ライスをヒールにしないために走って来たのに。もうその状況にリーチがかかることになる。
僕は……何も変えられないのか?
いいや、そんなことはない。皐月賞でブルボンに肉薄した2着馬なんて前世の史実ではいなかったはずなのだから。僕が行動すれば未来はきっと変わる。それにまだ菊花賞まで時間はある。
考えろ。ライスを悲劇の馬で終わらせないために。僕に出来ることを。
――・――・――
『残り400m切る! ここからはブルボン未知の世界!』
『マーメイドタバン! 外の方からマヤノペトリュースやってきた! しかしまだ2馬身から3馬身!』
『残り200だ! ブルボン先頭、ブルボン先頭! おそらく勝てるだろう、もう大丈夫だぞ!』
『ミホノブルボン! 2400mを3馬身から4馬身、5馬身リードで逃げ切った! 6戦6勝、去年のトウカイテイオーに続いてまたもや無敗の二冠達成ー!!』
クラシック前半はこれで一区切り。
なのでちょっと充電期間に入らせていただきます。書き溜めを全面的に手直ししたい。
その間に、後年ヒト息子回想話と、ウマ娘編を挟んで……本編再開は3月半ばくらい?
でもその時期はリアルが忙しいので確かなことは言えないのです。年度空けて連休近くになるかも。その点ご了承をば。