菊花賞前のあの時。
キョウエイボーガンが出ると聞いて、俺は勝利への自信を深めていた。
距離が延びれば伸びるほど、俺とライスシャワーに有利に働く。
その上でミホノブルボンがキョウエイボーガンと競り合いスタミナを消費すれば、もはや勝利を阻む障害ではない。
残された懸念と言えば皐月賞でハナ差2着のキザノハヤテくらいだろうが……同じ美浦所属ということもあり秋競馬が始まる前に併せ馬をしたことがある。その時こそ届かなかったが、今のライスシャワーのポテンシャルはあの時をはるかに凌駕している。
さらにライスシャワー自身も、周りの人の様子から大きな勝負が近いことを感じ取っていたらしい。日に日に気合が高まっていた。
勝てる。
菊花賞は、俺とライスシャワーが勝てる。
そう思っていたんだ。
レースが始まって、俺は驚いた。
(キザノハヤテが逃げた!?)
キョウエイボーガンとミホノブルボンが逃げるのは予想通りだ。しかし、なんとキザノハヤテも逃げてハナを取りに行っているではないか。
キザノハヤテはスタート巧者であるから、確かに戦法としてはあり得るだろうが……競り合いながら3000mを逃げ切れる訳がない。
いや、よく見れば鞍上の澤山が慌てている。かかったのか。
(キザノハヤテは終わったな。唯一の懸念がなくなった。この勝負……もらった!)
最終直線で、俺は思い知らされていた。
(どこにこんな体力があったんだ!?)
一瞬抜いたはずだった。
だが、すぐに差し返された。
その後ふらつき、俺たちの前をふさぐように斜行しながらも、しかしライスシャワーを上回る速度で走り続けるキザノハヤテ。
おそらく進路妨害との判定でライスシャワーが繰り上がり1位になるであろうとは思った。しかし、実際ライスシャワーに乗っている俺にはわかった。わかってしまった。
たとえ斜行していなかったとしても、ライスシャワーはもうキザノハヤテに追いつけない。
ライスシャワーはもう限界だ。現に失速し始めている。
ミホノブルボンを抜くまでは織り込み済みだった。ミホノブルボンを抜くためにスパートをかけた。しかしその先にもう一頭がいることなど想像だにしていなかった。ましてや、そのもう一頭に、差し返されるだなんて。
想像を超える馬とはよく言ったものだ。
最終的についた着差は1.5馬身。俺たちは完膚なきまでに、キザノハヤテに負けた。
ゴール板を駆け抜けた後もキザノハヤテはしばらく速度を落とさないまま走り続け、そして外ラチにもうすぐ当たろうかというところで澤山騎手を投げ出して倒れた。
鳥肌がたった。恐ろしかった。
あの走りは命を削ってやっていたものだった。最初のスタートから、自分が勝つためにはこれしかないと『馬自身』が判断し、そしてそれをやって見せたんだ。
なんという執念。
なんという狂気。
いったい何がそこまであの馬を駆り立てたというのか。
今でも時々、あの時のことを夢に見る。全てを投げ打ってライスシャワーを差し返すキザノハヤテの狂気を思い出す。
馬というものは、人には計り知れない何かを抱いているのだと、つくづく思い知らされた。
キザノハヤテは自分がレースで騎乗したわけではないが、騎手人生の中でも特に影響を受けた馬だった。
結果的にライスシャワーは菊花賞で優勝することになったが内容は完敗だった。レース後の優勝者インタビューはいっそ屈辱的だった。
一部報道で言われたことは的を射ていた。菊花賞の俺たちは勝利をキザノハヤテから奪った盗人だった。結果が結果だけに、オーナーやテキと謝罪に出向き、治療費の肩代わり等を打診したほどだった。
その協議結果は「お金云々より、ライスシャワーと会わせてやってほしい。どうしても物で納めたいというならライスシャワーの等身大の写真をくれ」ということになったのだが。
そうすることでキザノハヤテは元気が出るのだと、向こうの担当厩務員がやけに力説していたのを覚えている。聞けばあの時に撮った写真はキザノハヤテの馬房に貼られていたらしい。
その後キザノハヤテとミホノブルボンが長期休養に入ると発表があり、ライスシャワーはライバル不在の中、有馬記念に挑戦することになった。
ライスシャワーにとって、初めての古馬混合戦。
しかし、あのミホノブルボンやキザノハヤテとやりあったライスシャワーが古馬に劣っているとは思えない。事前の調教結果もよく、今度こそ俺たちだけの力で1着をもぎ取って見せると意気込んでいた。
有馬記念当日はトウカイテイオーが1番人気で、ライスシャワーは2番人気だった。
実際、直前のジャパンカップで勝利したトウカイテイオーが一番の実力馬であることは間違いない。だからこそトウカイテイオーをマークしようと考えていた。
だがそう思ってゲートを抜けた先、トウカイテイオーはいなかった。探せば俺たちよりも後方に位置どっていた。
やられた。これではマークしづらい。
そう思いながら視線を前に戻したとき、先頭を駆け抜けていく『キザノハヤテ』と、競りかける『キョウエイボーガン』が目に入った。
(っ!? ……いや、あれはメジロパーマーとダイタクヘリオスだ。でも、もしかしたら)
ぞわっとあの狂気を思い出して寒気がした。
それからはもう、俺は前しか見れなくなっていた。
「並み居る古馬を押しのけ、見事1着を掴みました。今の気持ちをどうぞ」
「ほっとした気持ちが強いですね。実力を証明できたと思います」
有馬記念を優勝しても、喜びは小さかった。
ライスシャワーが一生懸命走ってくれたからこその勝利なのだから、騎手の俺が喜ぶことがそもそもお門違いと言えばそうなのだが、だがそれ以上に、当時の俺には脳裏によぎるものがあった。
──もし、キザノハヤテが有馬に出てきていたら?
あの『狂気の馬』に勝てたか?
あいつが復活した暁には、ライスシャワーとのコンビでリベンジを果たしたい。
そう、強く思った。
──・──・──
『残り200!
パーマー粘る! ライスが追う! 追いつくか!
2頭並んで、いや差し切ったぁあ! ライスシャワー、差し切って見事優勝ー!
文句なし!
今度は、文句なぞ言わせません! その実力は紛れもない本物でした!!』
「ひひん!? (勝ったぁ!?)」
「おぉ、まじか。お前のライバルすごいじゃないか」
宮尾君とラジオを聞いていたら、なんと有馬記念でライスが優勝した。
え、あれ? ライスって有馬勝ったことなかったよね? 僕の記憶違いだっただろうか? いや、ライスのGⅠ勝鞍は菊花と天皇賞(春)×2だけだったはず。有馬はナリタブライアンの3着が最高位だったと思う(うろ覚え)。
歴史が、変わった……!?
クラシック後半は多大に否定的意見もあるかと思いますが、これにてクラシック編、完!
次回本編更新まではまたちょっと期間を置きます。
その間に閑話を投稿しつつ、ぼちぼち感想を返していこうかと。