「ハヤテ、次の往復が最後だ! がんばれ!」
プールサイドからトレーナーさんの檄が飛ぶ。
言われずとも頑張っているけど、不思議と応援されるともっとがんばれるような気がしてくる。
ぃよーし、やってやろうじゃねぇかぁ! ラスト100m、全力で泳ぎ切ってやらぁ!
僕は気合を入れて水を蹴る脚に力を込めた。
プールから上がると、バスタオルを持ったトレーナーさんが近づいてきた。
「おつかれ様。まずはよく体を拭いて」
「うぃ」
今日は午前に授業、午後はトレーニングの日だ。アプリのスタミナトレーニングにも映ってたあの屋内プールに来ていた。僕ら以外にも何組かプールトレーニングに励んでいる。
僕は次のレースも近づいてきているので、練習にも身が入るというものだ。
手渡されたバスタオルを受け取り、ガシガシと頭全体の水気を取る。
「あぁ、もっと丁寧に拭かないと。髪の毛ボサボサだぞ?」
「どうせくせっ毛ですし、別にいいですよ」
「はぁ。ちょっと貸して」
貸してと言いつつ、トレーナーさんは有無を言わさずに僕の手からバスタオルを強奪した。あー、僕のタオルー。
そしてタオルでポンポンと軽く叩くようにして水気を取っていく。さらにはドライヤーに櫛なんかも使って僕の髪型を整え始めた。どっから取り出したんだそれ。
というか女の子(前世と前々世は男だったけど)に対してちょっと距離が近すぎでは? 僕を友達か何かと勘違いしてない?
……はっ、もしかしてトレーナーさんが僕に惚れていて、さりげなくボディタッチしたいがために距離感が近い可能性が!?
僕だってウマ娘の端くれ。大多数のウマ娘の例に漏れず、今世の僕は前々世の基準からするとかなり素材は良い。
ただ、今世は十数年ぶりの娯楽の数々に感動して夜更しばっかしてることもあり、素材をかなり台無しにしているのだけど。
隈の取れない目に、美白を通り越して青白い肌。髪の毛をセットすることもないしプール大好きなので塩素で髪の毛は荒れ放題。さらには身体は痩せぎすでおっぱいもほぼ皆無。
極め付きにウマ娘として十数年過ごしてなお、前世前々世の影響で女性らしい所作がちゃんとなっていないこの内面の残念さ加減。
女性的な魅力は皆無だというのが僕の自己分析だ。
しかしこの体で過ごしてみると、意外にもこんな僕を厭らしい目で見てくるような変質者もいるのだ。
うわぁ、トレーナーさんもそんな変質者の仲間だったとは……ドン引きである。
折角髪整えてもらったけどちょっと距離とっておこ。
「……何か変なこと考えてないか?」
「何故バレたし」
「ハヤテはすぐ雰囲気に出てわかりやすいからね。何考えてたかまではわからないけどさ」
「トレーナーさんは変質者だなって思ってただけですよ」
「君には言われなくないなぁ……」
なにおう、僕は変質者じゃないわい。無言で不服を訴えるためにトレーナーをジト目で睨む。
「いやだって初対面の時からして」
「あ、あれはトレーナさんの勘違いじゃないですか」
模擬レースを走るライスさんの邪魔にならないように、『風景に溶け込んで』ひっそりと応援していたところを不審者と勘違いされ、表に引き釣り出された。僕はただ応援していただけだというのに、だ。
それがちょっとした騒ぎになったせいで、折角模擬レースで1着を取ったライスさんへの注目度が下がってしまった。その後しばらくした後にライスさんが無事トレーナー契約できたから良いものの、一歩間違えばライスさんがどうなっていたことか……
トレーナーさんには切に反省していただきたい。
「だってどう考えても段ボールは風景に溶け込んでな、ったぁ!?」
バシーン!
態度を改める様子がないので渾身の尻尾ビンタを食らわせてやった。
最近躱されることが多かったので当てられて満足。腰さばきを鍛えたかいがあったぜ。
プール上がりの水気を含んだ尻尾だから威力も申し分ない。
いい音が鳴ったのでプールで練習してた他の面々の注目を集めてしまったが、ウチの生意気なトレーナーさんを矯正する方が大事である。
「くっ、油断した……ハヤテ、それはやめなさいと前も言っただろ……」
「でもウマ娘の力で足や手を使うのは危ないですし。尻尾ならその点そこまで危なくないでしょう? 僕ってばすごくトレーナーさん思いなウマ娘だと思いません?」
「いやそういうことではなく」
「あ、ビンタじゃなくて前やったみたいに尻尾で優しくお尻ぺんぺんした方が良かったですか?」
「いやもっとダメだろ、どうしてそうなる」
いい歳こいてお尻ぺんぺんされるのがよほど屈辱と見える。
でも前世の僕なんてレースのたびに何千何万人もの前でお尻ぺんぺんされてたんだよ? 今世では少しくらい叩く側に回ったって罰は当たるまい。
というか、トレーナーさんはそもそも僕が尻尾ビンタしないで済むように言動に気を付ければよいのでは?
「で、今日はこれでトレーニングは終わりでしたっけ?」
「……あぁ。ここ数日はハードだったからな。明日の追い切りに向けてしっかり身体を休ませてくれ」
トレーナーさんもなんか疲れた表情だね。何か心労でも抱えてるのかな? まぁ僕には関係ないけど。
さてと、時計を見上げれば現在時刻は15時前。
ふむ。
「了解です。あ、少し散歩するくらいはいいですよね?」
「あぁいつもの……はぁ、迷惑になるようなことはしないで、ちゃんと休むんだぞ?」
もちろん、しっかり英気を養いますとも!
──・──・──
制服に着替えた僕は学校内を歩いていた。
トレセン学園のウマ娘たちは毎日17時くらいまでの練習は当たり前。しかし僕はそれよりも早く練習が終わった。
となればやることは一つ。トレーニングに励むライスさんを見守ろう!
ライスさんを見てるだけで疲れなんて吹っ飛ぶからね、英気なんざ一瞬でチャージできるのさ。
てなわけで校舎の屋上へ向かうため、廊下を歩いてるところだ。
屋上はいいぞ。
トレセン学園は学園全体がレース仲間であると同時にレースでのライバルだという関係性もあり、屋上は割と敵情視察のために誰かしらがいたりする。
そんなところだから僕が行っても不思議がられないし、何より、グラウンドまで距離があるから走っているライスさんに余計なプレッシャーや騒ぎを与えないで済むという利点がある。
そしてウマ娘も含め、人ってのは頭上への警戒が薄い生き物だ。長らく空に天敵がいない生き物だからね。
なのでより高い位置から見守るというのは、相手に警戒感を与えないという意味でも、とても理にかなっているのである。「高所から見守る」というのは、初心者からプロまで使える見守りの基礎であり、基本テクニックだ。
さて、僕作成のマル秘ノートによれば、今日のライスさんは第2練習トラックのダートAコースでトレーニングをしているはず……だったよな? ちょっと確認しておこう。
胸ポケットから件のノートを取り出す。えーっと今日のライスさんの予定は……
と、よそ見をしたのがいけなかった。
「うわっ」「ぎゃあ!」
僕は階段へ足を進めたところで勢いよく階段を降りてきた誰かとぶつかってしまった。
もつれるように床に香れてしまい、誰かが僕の上に重なるように倒れてきた影響で動けない。
「ほらもー、師匠が前も見ずに走ってるからだよー。そっちの葦毛のキミ、ケガは無い?」
半角カタカナ味のある特徴的な声が聞こえてくる。
彼女が師匠と呼ぶ相手ということは今、僕の上にいるのは……
「イテテ、ごめんな大丈──ぎゃああああ!」
「人の顔見て『ぎゃああ』は流石に酷くありませんかねターボさん、まだ何もしてないじゃないですか」
僕の上に倒れていた人物が飛びのいたことでようやく僕は体を起こすことができた。
そして出会った二人に視線を向ける。
やっぱりツインターボとトウカイテイオーだ。
ターボさんは目に悪そうなビビットブルーの髪をツインテールにし、ぐるぐるおめめとギザ歯を持った元気いっぱいちびっこウマ娘である。属性多すぎ。
テイオーさんは前々世でアニメ2期の主人公格でもあったウマ娘。ポニテにクソガキ感のある不敵な表情が印象的。しかしその不敵さは実力の表れでもある。背丈こそターボさんと同じくらいだけど、強者のオーラが溢れ出てる。
「えーと、知り合い?」
おっと、そういやテイオーさんとは初対面だ。
「お初にお目にかかりますテイオーさん。僕はキザノハヤテといいます。ターボさんとは……最初に出会ったときに少し脅かしちゃいまして。ほら、こんなナリですから」
「あー……」
こんなナリで通じる僕の外面の悪さよ。
まぁ目元のクマといい色白な肌といい痩せぎすな体つきといい、幽霊みたいな外見だからね。幽霊嫌いなターボさんにそおっと話しかけたのが悪かった。
それ以降いい反応してくれるものだから僕もちょっと悪戯心が出ちゃったのも悪かった。
「テイオーバリア!」
「わわ、なにするのさー! うーん、キザノハヤテ、ってどっかで聞いたような」
今ではすっかりターボさんに怯えられてしまい、今もテイオーさんの後ろに隠れて警戒される始末。
ぶつかった衝撃で落とした僕のノートを拾い、よっこらせと立ち上がる。そして特に体を痛めていないことを確認。
僕らウマ娘にとっては不意の事故で突然走れなくなったらシャレにならないからね。軽く体をほぐして、うん、大丈夫そうだ。
「すいません、よそ見をしながら歩いていたので。ターボさんの方も、その様子なら大丈夫ですかね」
「お前に心配されることないもん!」
「はい、ターボさんが元気そうなら何よりです」
「ぐぬぬ」
こんなに避けられると僕だって流石に傷つく。
最近は僕もこれまでの行動を反省してターボさんと歩み寄るべく、ターボさんにはいつもの3割増しで丁寧な対応を心がけているのだが、今のところ改善の兆しはない。悲しみ。
「あ、思い出した。破廉恥って噂の……って、ボクたち急いでるんだった。ほら行くよー」
「んあっ、そうだった! キザノハヤテ、今度レースで走る時はターボがコテンパンにしてやるからな!」
二人は廊下を駆けて行った。
……なんか今テイオーさんが変なこと口走ってなかった?
え、僕が破廉恥? なぜ?
なんだか変な噂がたっているらしいけど、まぁおいおい確認すればいいか。
今はそんなことよりライスさんを一秒でも長く見守ることの方が大切である。
階段を上って扉を開ければ初夏の日差しが肌に突き刺さる。この良すぎる天気を嫌ってか、今日は屋上に人影は見当たらない。これなら思う存分ライスさんを探せるぞ。
グラウンドがよく見える方へ移動する。
えーと……あ、ライスさん発見!
「あぁやはり。この黄雀風はあなたのものでしたか」
「ほえっ」
突然声をかけられて思わず声が出てしまった。
視界に入っていなかっただけで屋上には先客がいたらしい。そしてこの声と語り調子は僕の知り合いだ。
「ゼファーさん、いたんですね……」
「えぇ。ここは良い風が吹きますから」
ヤマニンゼファー。
腰まで届きそうな大きなおさげと、ちょっと天然が入ったゆるふわな雰囲気が特徴的なウマ娘だ。あと胸が大きい(重要)。
前世では天皇賞(秋)で一緒に走った仲である。
あと、風の名前仲間でもあるので、何かとウマ娘のゼファーさんは僕を意識していらっしゃるようなのだが……ちょっと言葉が難解で、僕はなんと言われているのか正直よく分かってない。
「そういえばハヤテさん、ご存じでしたら教えていただきたいことが」
「あ、はいなんでしょう」
今までは春疾風とか雲雀東風とか夕凪とかに例えられることが多かったけど今回のこうじゃくふう(?)ってのは初耳だぞ。どういう漢字で書くのすらわからない。どんな意味なんだ……!?
「その、尻尾ハグとは何でしょうか?」
「ぶふっ」
ゼファーさんの言葉を読み解こうとしていたところに思いもよらぬ言葉を投げかけられて吹き出してしまった。
「えぇーと、突然どうしたんです?」
「先日ネイチャさんとイクノさんに教えていただいたのですが、意味を分かりかねているのです。ハヤテさんなら、知っておいでかと」
「あぁ最近、ドラマで話題になってたんでしたっけ」
そういやアプリでもそんなイベントあったね。
ウマ娘になって僕も早十数年。この世界の知識というか常識はそれなりに分かっているつもりだ。
聞かれたからにはきちんと教えてあげるのが良いと思うのだが……うぅ、これ説明するの恥ずかしくない?
「えぇとですね、尻尾ハグは……ありたい体に言えばウマ娘が親愛を示すものですね。人相手でもウマ娘相手でもやりますけど、こう、相手の体に巻き付けるのが一般的なやり方です。人によっては尻尾で相手の体に触れるだけでも尻尾ハグとみなしたりします」
「それは聞き及んでいるのですが、イクノさんとしようとしたら悪風を吹かせてしまったようで。何がいけなかったのでしょう」
「あー、その、もっと特別な親愛というか、もう少し踏み込んだ感じなんです。だから尻尾ハグは、ち、ちゅーするようなもんですよ」
「まぁ、なんと」
「ですから恋仲になりたい相手とかならともかく、友達相手にするのは、ちょっと。それにそういう間柄でも人目のあるところでやるのはかなり大胆と見られるかも……」
「……なるほど、そういうことだったのですね」
うぅ、こういう純情を真面目に語るのは僕のキャラじゃないんだよ。
慣れないことして顔が熱い。
前々世では全く縁がなく、前世ではそもそも選択の余地がなかった。
そして今世では、精神は体に引っ張られるっていう転生モノ定番の影響か、僕もまぁ人並みには尻尾ハグをするようなプラトニックでロマンチックな恋というものに憧れはある。
まぁ今んところ憧れがあるだけで、全くもって僕の周りにそんな気配はないのだが。
いつかそんな青春をしてみたいもんだね。
「ありがとうございます。雲が晴れ、清風が吹いたような心地です」
「いえいえ、お力になれたようでしたら幸いです」
「それと……ハヤテさんのことは陰ながら応援させていただきますね。私一人では、追い風にはなれないかもしれませんが」
?
なんか応援してくれるらしい。え、どゆこと?
まぁ悪いことではないだろうし、好意はありがたく頂戴しておこう。
その後はゼファーさんと難解な風言語を交えた他愛もない会話を楽しみつつ、ライスさんを見守ることでしっかりと英気を養うことができたのだった。
ぃよーし、次のレースも頑張るぞー!