歴史の修正力()的な話
私の名前は……まぁまだ名乗るほどのものでもない。
私は一大スクープをぶち上げ、世界に真実を届ける……予定の、週刊誌記者だ。今はまだ上司の顔色を窺う日々を送る、しがない下っ端である。
「今日は取材を受け入れてくださり、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
私は今日、美浦トレセンの羽田厩舎の取材に来ていた。
早速羽田調教師が出迎えてくれたので名刺交換をする。予定では担当厩務員も一緒に、との話だったが、その担当厩務員は少し遅れてくるらしい。
この厩舎には以前より個人的に注目していた。
すでに引退してしまったが、カタフラクトという馬がいた。
私が競馬を担当するようになったばかりの頃に、数カ月交際していた恋人に振られたことがある。その際に、やけになって買った未勝利戦の単勝馬券1万円を、約60倍にして返してくれた思い出の馬だ。
その後も重賞勝利こそ得られなかったが、最後まで垂れずに掲示板圏内に突っ込む姿には幾度となく「あとちょっと!」と思わされたものだ。
その思い出の馬が、ここ羽田厩舎所属馬だった。
こう言っては悪いが、羽田厩舎は実績に乏しい厩舎であった。競馬の花形である中長距離で活躍する馬を輩出できず、勝率も良くない。私もたまたま思い入れのある馬がいたから知っていたものの、そうでなければ存在を認知していなかっただろう。
しかしそれも過去の話。『とある馬』のお陰で、羽田厩舎は大きく名をあげることになる。
「コイツがキザノハヤテです」
「おぉ、この馬が……」
今回の取材のお目当ては、そう、キザノハヤテ。
羽田厩舎に所属し、昨年のクラシック戦線を賑わせた立役者の一頭だ。前走のオールカマーでは久々の一着に輝いており、天皇賞(秋)でも有力候補と見られている。
馬房の中には細く引き締まった白い馬体があった。今はどうやら壁の隅にある水飲み場で水を飲んでいるようだ。
と、思ったらキザノハヤテは顔を上げ、振り返って数秒間じっと私を見つめてきた。まるで値踏みされているかのような、深い知性を感じさせる視線。
私は無事キザノハヤテのお眼鏡にかなったのか、キザノハヤテは「ぶふっ」と鼻息をついた後、また水を飲み始めた。
「プール調教を済ませてきたところなので、機嫌はいいはずです。おやつでもあげてみますか?」
「えぇっ、よろしいんですか?」
羽田調教師に人参をスティック状にしたものを渡されたので、恐る恐る差し出すと、ゆっくり首を突き出してポリポリと人参を食べた。
とても大人しい。そう感じた。
私が頭を撫でても特に反応を返さない図太さを持った馬だ。
キザノハヤテと言えばレースで爆走する姿が印象的だが、普段はこんな感じで物静かな馬らしい。
初対面の相手こそ警戒するが、顔を覚えてしまえばとても人懐こい一面も持つのだとか。
そして人の指示には従順で、黙々と調教をこなしてみせる。
総じて関係者を困らせることはあまりないそうだ。
「育成牧場でも聞き分けはいいとの評判だったんですがね、入厩したときはそれ以上に線の細さが悪目立ちしまして。正直、そこまで期待はしてなかったんです」
そのエピソードは知っている。血統背景が弱く、生まれも零細牧場。見劣りする体つきに誰もその素質を見出すことはできなかった。
こんな馬が勝てるわけがない、と。
だが。
「しかしキザノハヤテは強かった、と」
「えぇ、コイツは私たちが想像していた以上に強い馬でした」
「素人目にですが、初めての重賞で危なげなく勝利した時、この馬はひょっとしてダービーを取るんじゃないかと思いましたよ」
「ラジオたんぱ3歳ステークスですね。私たちもあのレースから、本格的にクラシックを見据えるようになりましたね」
キザノハヤテはそんな想像を、実力で飛び越えた努力の馬なのだ。
下馬評を覆し、キザノハヤテはクラシック競走が始まるまでに目を見張る成果をたたき上げ、クラシック初戦の皐月賞では、ミホノブルボンと手に汗握る勝負を繰り広げた。
その結果は僅かハナ差7cm。双方の実力が拮抗していることは誰の目にも明らかだった。
ほとんどの競馬ファンがダービーでの再戦を望んだことだろう。
評論家の意見は真っ二つに割れたが、私の主観では僅かにキザノハヤテに軍配を上げる評論が多かったように思う。
私も一競馬ファンとして、キザノハヤテとミホノブルボンによるダービーを楽しみにしていた。
だが……
「しかしライスシャワーがいたばっかりにケガを」
怪我によってダービーは無念の回避。
リベンジに挑んだ菊花賞ではまさかの降着。頭角を現し始めたライスシャワーに勝利を譲る結果となってしまった。
その上、再度故障によって休養を余儀なくされてしまう。
「ライスシャワーがいたばっかりに、とは……」
羽田調教師は眉をひそめて少し首を傾げた。
まさか中央の調教師たるものが、あの馬の対戦相手のその後を知らないのだろうか。
「ご存じありませんか? ライスシャワーは周りに不幸をまき散らす馬なんですよ。キザノハヤテに始まり、ミホノブルボン、サンエイサンキュー、つい最近ではメジロマックイーンまで怪我を──」
「あいえ、ちょっと待ってください、そのお話はここでは……」
「あぁ、すいません。確かに誰が聞いているかわからないですからね」
羽田調教師は目を泳がせて私の言葉を遮った。
一応は知っていたらしい。ただ、同じ美浦トレセン所属だけあって大っぴらに批判はできないのかもしれない。
不思議と辺りに季節外れの冷気を伴った緊張感が満ちる。
羽田調教師はやけに馬房の向こうを気にしだした。その方向は……ライスシャワーを管理する飯山厩舎のある方向か?
そう、ライスシャワーと一緒のレースで走った馬は、その後怪我をしてしまうことが多いのだ。
世間はこの事実に注目していない。
だから私はここにスクープの臭いをかぎ取った。スクープはいつだって人々の盲点から生まれるものだ。
それに、この題材はかなり話題になるだろうと、私は半ば確信している。
ちょうど景気が上向いた時期に『地方からの成り上がり』という夢を体現して見せたオグリキャップのように、その時の社会情勢を踏まえた題材を打ち出せば、世間で話題になりやすい。
先行きが不安定になりつつある現代では『圧倒的なヒーロー』の話より、『巨悪とそれに立ち向かう苦労人』の話の方がウケるだろう。
ライスシャワーという現役最強馬はその
きっと今回の記事は競馬ファンのみならず一般層まで大きな反響を得られるはず。
ただ、現状では状況証拠のみで偶然だと言われてしまいかねない。なので、関係者の話として筋書きを補強する言質が欲しい。
なので私は少し小声にしつつも、この話題を続けた。
「ただ、どうしても思わざるを得ないんです。いわば疫病神のライスシャワーと何度も戦うことになるとは、キザノハヤテは何とも可哀そうな馬だなと──」
そう口にした瞬間。
心臓を握りつぶされるような威圧を感じ、全身からドバッと冷汗が出た。
こ、殺される……
「は、離れて! こっちへ!」
慌てた様子の羽田調教師に手を引かれ、馬房前から厩舎の事務所へ。
膝に手をついて肩で大きく呼吸する。バクバクと心臓が脈動し、私に生の実感を与えてくれる。
一体全体、今のは何だったのか。
「……初めに、はっきりと、申し上げれば、よかったのですが」
羽田調教師の顔色は白い。きっと私も同じような顔をしているだろう。
息を整え、咳払いをしてから羽田調教師は言葉をつづけた。
「ハヤテの前では、絶対に、ライスシャワーの悪口を言わないでください」
「……は、はぁ?」
「その、ハヤテはとても賢い馬なので、自分の……えー、友達を、悪く言われているのが分かるんです」
「と、友達??」
「えぇ。たぶん、友達です。ハヤテはあれで根に持つので、今日はもう近づかない方が良いでしょう」
話を聞けば、キザノハヤテとライスシャワーは友達、というか、キザノハヤテがライスシャワーに片思いしているような状態らしい。
遅れてやって来た担当厩務員も交えて話をすれば、数々のライスシャワー関係のエピソードが出てくる出てくる。
ライスシャワーのことを話題に出せばそわそわしだす? 新馬戦が不甲斐ない結果に終わったのはライスシャワーに一目ぼれしたから? ライスシャワーと一緒の併せ馬では終始ご機嫌だった? 今日は取材が来るから外したが、いつもは馬房にライスシャワーのポスターを飾ってる?
なんだそれは。
そんな……面白い話題があったとは!
寡聞にしてそんな話は聞いたことがなかった。厩舎側もこんな「変な話」はこれまであまり表に出していなかったという。知っているのはキザノハヤテの関係者、そしてライスシャワーを管理する飯山調教師と担当厩務員、あとは常盤支署の数人くらいだろうと。
これはスクープだ!
ライスシャワーの対戦相手が不幸になりやすいなんて話題は、そもそも競馬で故障なんて日常茶飯事で、単に間が悪かっただけでしかない。
それにわざわざ社会情勢が暗い時に陰険な話題を出すなんて私は何を考えていたのだろう。
今、世の中に必要な話題は、そう、『愛』だ!
ライバルでありながら、オス同士でありながら、それでもなお、想ってしまう。これを真実の愛と言わずしてなんというのか。
こんなネタを世に広めることができるのは私だけだ!
今回の記事は『キザノハヤテ秘めたる恋心~気になる彼は高嶺の花~』特集。これで決まりだな!
歴史の修正力(が敗北した)的な話。
引き換えにハヤテ君が後世においてホモ馬扱いされるようになりました。記事が出た当時はそんなに話題にはならなかったけど、後のネット社会で発掘されて……ってやつです。