後年、キザノハヤテについて語っているような感じ。
──もう録音始まってるの?
あ、はい。んじゃまぁアイツの思い出を語っていくけど。
そうだな、最初から話そうか。
まずあの馬、キザノハヤテの第一印象はパッとしない馬だった。
生まれは零細牧場で、血統的背景は薄く、馬体も貧相。
強いて言えば葦毛という特徴があるくらいか。その毛色だって菊花賞が終わるまではほとんど黒かったから、あの当時は殆ど特徴のない、平々凡々な馬だった。
この馬は良くてオープン馬だろうと思っていたし、テキだって最初に見た時は俺と同じようなことを思っていたらしい。
正直、期待していなかったんだ。
ところがいざ乗ってみたら驚いた。
あれはまさに、空気を切り裂く
名馬の乗り心地は雲に乗るようと例えられることがあるけど、その感覚はこういうことかと納得した。
軽く走らせるとさながら滑るように動く。上下運動の少ない、蹴った力を無駄なく推進力へ変換する効率的な走り。
それでいて反応も良く、先頭でも、好位でも、後ろからだって競馬をできる柔軟性をも合わせ持つ。
あれほどの逸材には俺はもう会えないだろうって確信してるよ。
ハヤテは普段は大人しく、滅多なことでは暴れない物静かなヤツだった。図太い性格で、悠然とした感じがあったね。
馬の群れの中での立ち位置としては、群れることを好まない変わり者だったな。でも別に臆病ってわけじゃないんだ。
唯我独尊というか、自分から距離を取って、他の馬も不思議とあまり近づかない。でも、いじめられている子はかばう優しい馬で、群れからは一目置かれてた感じだった。
そう、優しい馬だった。調教中に俺が落馬しても独りでに戻ってきて、落馬した俺の足や腰回りを気遣う仕草までするんだ。あんな馬、ハヤテ以外に見たことがない。
そして物分かりが非常を通り越して異常に良かった。調教も同じことを二度三度やれば全部覚えてしまう。ゲート試験だってすぐに通ったくらいだし、レースがどんなものかもわかっていたと思う。ある程度言葉を理解していた節もある。とても利口で、乗りやすかった。
当時の俺の成績はあまり良くなかった。
騎手としては既に10年以上やっていたが、いいとこ中の下。
特にハヤテに出会う前の数年は成績が振るわず、若手にどんどん抜かれていく立場になっていた。羽田厩舎以外の馬になんて、ほとんど乗っていなかった。
だからハヤテと接する機会は多かった。
そうやって接していると、ハヤテは割と気まぐれで頑固なヤツだということが分かった。
自分がこうしたいと思ったときには、俺たちの指示なんて聞きやしない頑なな性格。
調教中にその頑固な一面を出すこともあった。
特にデビュー前に併せ馬をしたときによく暴走してた。暴走を始める前はなんとなく上の空だったり、逆に張り切りすぎていたりするんだ。それでいざ走らせてみると、大逃げをするように走ったり、逆に脚をためて最後に差したり。
今から思えば、頭の良かったハヤテのことだ、アイツなりに色々試していたのかもしれない。
これを無理に矯正させようとすると、しばらく拗ねて機嫌を悪くする。
機嫌が悪い時はそっぽを向いて、静かに尻をこちらに向けてくるんだ。蹴られたら大変だから俺たちは距離を取らざるを得ない。人に向けて蹴ったことは結局一度もなかったけど、ああすれば俺たちを遠ざけることが出来るって学習してたらしい。
機嫌を直すために近くのスーパーへ好物の梨を買いに行くこともよくあったよ。
それでいて、暴走する時こそアイツはかなりいいタイムを出すから困ったものだった。
そんなこともあり、暴走中は極力、ハヤテの好きなように走らせる、というのが滝澤オーナーと羽田厩舎の方針だった。
そんなキザノハヤテの強みはスピードを出すための瞬発力だった。
静止状態からでも1秒そこらでトップスピードまで持っていける、瞬発力に優れた筋肉がある。調教中にハヤテにスパートの指示を出したとき、あまりの加速力に振り落とされて何度も落馬した。さながらでかい波が体にぶち当たるようだった。
幸いにして大きな骨折とかは一度もしないで済んだけど、当時は体中あざだらけになったよ。あのおかげで大分受身が上手になったね。後々交通事故にあった時に大怪我しないですんだのはそのおかげかも知れないな。
兎も角、尋常ではない加速力はスタートダッシュや差し足のキレに直結した。特にスタートは本当に上手だった。
新馬戦に行く前から、もしかしたら行けるとこまで行けるのでは……と思っていたよ。新馬戦前にもなれば暴走癖も全然出さなくなっていたし、初戦の心配は全くしていなかったな。
調教を施していき、ハヤテの新馬戦が決まった。8月10日の新潟芝1000mだ。
初めてのレースで緊張したのか、パドックで立ち上がったり、急にすごく発汗したり等かなりイレこんだ様子を見せた。かと思えば、その後はぼーっとしていたり。暴走癖が出そうな雰囲気だとは思った。だが、それでもなお、走り出してしまえば圧勝できると思っていた。
新馬戦は最初から飛ばすつもりだった。だからスタートはその加速に耐えられるよう身構えていた。
ところがゲートが開いてもあの暴力的な加速はなかった。
そう、やっぱり暴走癖が出た。
よりによって新馬戦で暴発させるとは、と思ったものだ。あの時の『暴走』は完全に走る気が無かったみたいでなぁ。よそ見をしていたくらいだった。
何を見ているのかと思えば、パドックからずっと気にしていた馬、ライスシャワー号を見続けていた。
今になって思えば、アイツはあの時からライスシャワーに何か運命的なものを感じていたのかもしれない。
終盤も終盤になってからやっと走る気になったハヤテの加速力に振り落とされそうになりつつも、初戦は終わった。
ふがいない結果に終わった俺を、滝澤オーナーは難なく許した。
尊大な口調が目立つ滝澤オーナーだったけど、馬への愛情は本物で、本業の隙間を見つけては自分の馬の下へ行っているようだった。厩舎内で何度も鉢合わせたことがある。
それゆえに馬の性格も、ともすると騎手である俺以上に把握していた。
ハヤテの暴走癖も既に知っていて、それが発揮されたときには「ハヤテの好きなように走らせてやれ」と言うことが常だった。だからこそ今回暴走したハヤテを、過度に追うことをしなかった俺を信頼してくれたらしい。
騎手としてはなんだかなと思うところもあったが、強い馬に乗れる機会をみすみす逃すはずもなく、俺は晴れてキザノハヤテの主戦騎手になった。
次戦からはまるで馬が変わったかのように、真剣にレースに取り組んでいたし、俺のやりたいレースをやれた。
まず、やり直しの新馬戦では逃げ切り勝利した。
最も内側の枠を引けたってのもあるけど、新馬戦の中に一頭だけ古馬を入れたかのようだった。もはや他の馬に申し訳なくなるくらい。大楽勝だった。
1か月ほど時間をおいて挑んだ3戦目のききょうステークスでは、テキからの指示で作戦を変更して道中は馬群の中に控え、最終直線で差し切る競馬を試した。が、これも難なく1着になった。周りを囲まれても道中かかることもなく、スパートの指示に素早く反応して最終直線でぶっちぎり、3馬身差の圧勝。あそこまで着差を付けるつもりはなかったんだけど、あれでもまだまだ余力がありそうだった。
あまりに強くて、もう笑うしかなかった。
翌日関係者が集まって飲めや食えやの大騒ぎをしたよ。ハヤテも果物がいっぱいもらえて嬉しそうだったね。
ききょうステークスを勝ったあの時、俺はこう思ったんだ。
キザノハヤテはこんなところで留まる馬じゃないって。
コイツに相応しい栄誉は
てなわけで、ききょうステークス勝ちました。
1991年9月29日9R ききょうステークス 中京芝左1200m 晴、良馬場 5頭立て
1着 キザノハヤテ 1:09.8
競馬にわかなので描写になんか変なところがあったら申し訳ない。