でもそれは、あなたが思う世界だ。
「キノ、本当にこっちであってる?」
「何度も確認したじゃないか、エルメス……勘だよ」
「うん、知ってた」
木が見当たらない草原の、舗装されていない土の上を、一台のモトラド(注・2輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っている。
見渡す限りの靴の高さほどの草が、走り抜ける道の脇を埋め尽くしている。
「五日前に道を間違えて、修正したと思ったらまた迷って……。工房にも腕の余りってやつだね」
「……弘法にも筆の誤り?」
「そうそれ!」
とっくに太陽は傾き始め、そろそろ国に入らなければ野宿というところだ。
「ところでさ、本当にこっちであってるの?」
「地図がボクを裏切らなければね」
「森林が広がっている……って書いてあったけど、目の前には岩山だよ?」
霞んでいた岩山が近くなってきたが、森は全く見えてこない。
「岩山の中に森が埋まってたりしないかな」
「……自然生成でそれは難しいと思うけど」
「見てもないのにあり得ないということは、想像力の少なさだよ。エルメス」
ゴーグルを岩山の方に向けたまま、キノは呟く。
「……変なこと言ってるけど、さてはお腹が空いてるね?」
「そゆこと」
やがて、岩山の麓までやってきた。
*****
「ようこそ旅人さん、我が国へようこそ! 暗い中よく来られた。ささ、どうぞどうぞ」
外にいた国の人が持つランタンに照らされながら、キノは不思議そうに辺りを見回した。
「え、と……入国審査なんかは」
「そんなものありませんよ! 旅人さんが持ってるモトラドとか銃とか、好奇心旺盛な我が国民へ紹介してあげてくださいな! ああ、殺人だけは止めてくださいね?」
ギギ、と音を立てながら大きな木の門が開いていく。
「ほらね? エルメス、国があったでしょ?」
「看板があったとは言え、岩山の中に突っ込んでいくキノの思考は理解できないよ」
「ちょっと暗かっただけじゃないか。確かに中に入ってから結構走ったけど、道路も舗装されていたし、ちゃんと国はあった」
「大統領暮らしってやつだね」
「……灯台下暗し?」
「そうそれー」
そうして入った町は——
「……」
天井が岩山で覆われた、電気だけが光る真っ暗な空間だった。
「灯台すらなかったね、キノ」
まず宿を探すことにしたが、これはすぐに見つかった。なんでも訪れる旅人は多いそうで、門のすぐそばに大きな館があった。宿という規模ではなく、旅館と言えるほどだった。
次にモトラドの修理工房を探したが、これもすぐに見つかった。修理されるだけでなく、かなりの部品を眺められていた。エルメスが「見知らぬ人に丸裸にされる人の気持ちがよくわかった」と言っていた。
「配管が泥まみれで危ない状況だったってさ」
「エルメス、そこは頑張ってよ」
「走らせてるのはキノなんだけどなー」
街の至る所についた時計が、夕刻を指していた。
街明かり以外に光を発するものがないため、体内時計か時計か、どちらかでしか時間を確認できなかった。
国の中でそこそこと言われる、充分美味しそうな匂いを醸し出すレストランに入る。
「いい匂いだ。お肉もあるけど、どうやって飼育してるんだろう」
「と言うと?」
席に着きながら、キノは疑問を口に出す。
「人工の光があるとはいえ、動物がそれで美味しくなるとは思わないんだ。太陽の光を浴びるのが1番だと思うんだよね……あ、特大ステーキで」
注文しながらエルメスに聞く。ちなみにエルメスは入店を許可された。なんでも喋るモトラドは滅多に見ないらしい。
「やあ旅人さん。わが国へようこそ」
すると、店に入るなりこちらに向かってきた1人のおじさんが声をかけてきた。
「俺はこの国で長を務めている者だ。よろしく」
気さくに挨拶すると、彼も注文しだした。
「え? え?」
「どうしたモトラド君。あ、私は同席しない方がよかったかい?」
キノはじっと国長を見つめると、
「話は食べ終わってから」
フォークを動かし始めた。
「ごめんねー、キノはお腹が空いてるんだ」
「ははは! 構わんよ、いっぱい食べな!」
しばらくの間、美味しそうに料理を食べるキノを国長は見ていた。
「食べ、た……」
「食べ過ぎだよ、キノ。そんなんだからレストランの料理長が来るんじゃないの?」
あのあと数回のおかわりを挟んだキノは、料理長に声をかけられデザートをタダでプレゼントされていた。
「目の前の命は大事に……うっ」
「まあまあ、ガツガツ食えるのは若い時だけだからな。今のうちに満足しとけ」
ガハハと笑う国長は、キノたちと一緒に宿まで来るらしい。
「ふう……それで、お話とは?」
ようやく落ち着いたキノは国長に聞くと、国長はしばらくどこかを見た後、口を開いた。
「……この国がここにある理由、かな」
キノは前を向いたまま、エルメスは何も喋らず、ただ一直線の道を歩いた。
「そうだ! ちょっと寄っていかねえか?」
国長はとある建物を指差した。そこには何人かの人が集まっている。
「ずいぶん丸い建物だね、これは?」
「知ってるかな? 人間の技術で出来た投影、プラネタリウムだよ」
「国民西会館」と名付けられた建物に入ると、20人ほどの人が集まっていた。子供から老人まで老若男女がそこにいた。
「おお、旅人さん! 今日のプラネタリウムに参加するのですか?」
「はい、その予定です……これって有料ですか?」
「いえいえとんでもない!」
建物の管理者だろうか、スタッフと書かれたプレートを首にかけたお兄さんが、満面の笑みで答える。
「世界でここだけしか、かつての夜空を見上げられないんですよ? 無料ですとも!」
キノは首を傾げながら、部屋に入っていた。
「暇だなー」
エルメスはポツンと、建物の前で待っていた。流石にここはダメだったらしい。1時間の予定と聞いているが、それまで薄暗い町を見渡すくらいしかやることがない。
「おや?」
「……やあ、モトラド君。ちょっとお話ししないか?」
「エルメスって名前があるからそれで呼んでね、国長さん。それと、中に入らなくていいの? キノにばれるかもしれないよ?」
その問いには答えずに国長は道の隅に座ると、暗い空を見上げる。その手は岩肌に向かって伸びている。
「さて、何から話そうかな」
「んー……じゃあ、なんで国長はここに来たの?」
国長は苦笑しながら話し始めた。
「……綺麗だったな」
キノはそう呟きながら建物を出ると、脇に1台のモトラドが停まっていた。
「やあキノ、乗ってく?」
「町中では押した方がいいでしょ。それに、もう夜も遅いし」
キノは一直線に続く街明かりの下を、ゆっくりと歩いていく。
「プラネタリウムはどうだった?」
「そうだね……なんというか、技術って凄いなって思ったかな」
「へえー、キノが素直にそういうなんて珍しい」
すれ違う人に会釈をしながら、キノたちは宿に向かう。
「人間が作るものでボクが普段お世話になってるものは、パースエイダーとかエルメスとか、保存食とかでしょ?」
「まあそうだね」
「それも美しいとは思うけど……なんというか、ただ見るだけのものなのに、それでいて綺麗と思えるものが新鮮だったってことかな」
翌朝。太陽の光がない部屋で時間通りに目を覚ましたキノは、空撃ちでパースエイダーを使った日課をこなした。
「キノの体内時計は正確だねー」
「そうでないと、緊急事態に対処できないって師匠が言ってた」
「師匠さんが言ってたなら正しいねー」
パースエイダーの点検を終えたキノは、昨日とは違う店に入ると朝食を取った。宿でも朝食を食べられるのだが、宿の人が外で食べた方がいいよと言ってきたので、キノはそれに従っている。
「とても美味しい」
「さいですか」
「食い溜めしておかないと」
「お腹の中にはたまらないと思う」
「さて、ちゃんと話をしようか」
朝の支度を終え、特にやることもなかったキノたちが広場に行くと、そこには国長がいた。
「ちなみに内容は薄いよ、キノ」
「おっとエルメス君、お話にネタバレは禁物だよ?」
国長はそう言い笑うと、どこか遠くを見ながら話し始めた。
「君たちは西の門から入ってきたはずだ。岩山に入る前には何が広がっていたかな?」
「えと……ただの草原ですね」
「そう、何もない草原だ。しかしそれは、何もかもなくなってしまった草原だってことだ」
キノは聞く。
「なくなった……戦争ですか?」
「ああ、そうだ。突然空から大きな船がやって来て……そのままドカンと」
国長は両手を広げ、船の大きさを表現した。
「爆弾で、全部吹き飛んだんですか?」
「……ああ、数万人いた国民の、8割を巻き込んでな」
「で、岩山に避難したと?」
エルメスは確信を持って質問した。
「いや、違う」
「ええ? 今に流れ的にそうじゃないの?」
「ははは、世の中そんなに単純じゃないってことさ」
国長は首にかけていたネックレスを取り外すと、吊り下がっていたものを見せた。
「これは嫁の肩身だ。戦争のあと何もなかった土地に残ってた、ただ一つの遺産だ」
「じゃあ奥さんは……」
「ああ、何も残ってなかったんだ。もちろん悲しかった。だが、これを見て知ったんだ」
そう言うと、国長はキーホルダーを開ける。中から小さな紙切れが出てきた。
「何か文字が書いてある……?」
「ああ、偶然この開発中の山に残っていた、我が国の技術で見たんだ。なんて書いてあったと思う?」
「さあ……エルメスわかる?」
「ちっとも分からないよ」
国長は紙切れを中に入れ直しながら答える。
「この山の中に、資源はある。そう書かれていたんだ」
「ん? と言うことは、奥さんは戦争の結末を知っていたんですか?」
「どうなんだろうね。知っていたのか、知らずに持っていたのか。妻は10年くらい前にこの国にやって来た旅人だったから、旅の遺産だったのかもしれねえな」
「別に、居心地が悪い国ではないんだ」
「そうだね」
「でも、どこか悲しい匂いがする」
「安住の地なはずなんだけどね」
「でも料理は美味しいんだ」
「精一杯作ってるんだろうね」
「だからちょっとだけ、悲しんであげようかなって」
キノはそう言いながら、レストランに入って行った。
3日目の午前中、何人かの国民と話をした。
暗闇の中、彼らはとても輝いていた。
「俺はこの国1番の大工だ」
「私は1番優秀な教師よ」
「わしは語り部としてこの国の歴史を繋ぐものじゃ」
「僕は大きくなったら国長になるんだ!」
彼らはまるで、岩の中から発掘されるような原石のようだった。
「この国の大多数の人は、洞窟で生まれて……そのまま亡くなるんですか?」
「ああ、そうだ。彼らは空を知らない。でも、知らないままで幸せなのだから無理に見せる必要はないよね」
入国した門とは反対にある、別の出入り口の門の近く。エルメスは喋らず、キノと国長だけが会話していた。
「我が国民は、閉じ込められていることを知らない。でもそれは、外からの攻撃を守るためにやっていることさ」
「……」
「旅人さんは今、解放しようって思ってるのかな?」
「いえ、そうではないです」
「ほう。なら、なんで泣いてるのかな?」
足元に落ちる雫を霞んだ視界で捕らえながら、キノは答える。
「知らなくていいことを知らずに生きれるって、幸せですね」
「……キノ」
「エルメス、僕は大丈夫だ」
落ちるものは無くなった。落ちたものは染み込んだ。
「……よく旅人がやってくるって言いましたよね? その時に不自然に思った旅人が、国民に真実を言うことはないんですか?」
「あるとも。でもうちの人たちはみんなこう言うのさ。『青い空? ははは、冗談を。空が見えるのは、このプラネタリウムだけさ』ってね」
キノは、エルメスのハンドルを無意識に握り直す。
「僕の世界は、この洞窟の外にあります」
「俺の世界は、洞窟の中に閉ざしている」
「後悔は、ないんですか?」
「ないとも。幸せなのだから」
是非を言わせぬ肯定。
「この国は、夜空で完結している。だから、上を見るときは暗くていいんだ」
岩山を出る頃には、すでに夜になっていた。地平線の際まで無数の星が見え、月明かりが足元の花を、静かに照らしていた。
「僕は……あの国を出た時には既に、自分の世界を壊していたんだね」
「どうだろうね」
岩山の間を疾り抜ける、冷たい風の音が響く。
「壊す壊さないにこだわる必要はないよ、キノ。キノが選んだ道は、その道でしかないんだから」
「……」
「だからさ、キノ」
「……なに? エルメス」
「僕を道に沿わせて、前を向こうよ」
キノは答えず、帽子を深く被るとエルメスに跨った。
「……行こうか」
「燃料満タン! 次の町まで余裕で行けるといいねー」
「エルメス」
「なーに?」
「ありがとう」
「……どういたしまして」
欠けていない月が、モトラドの進む道を、指し示していた。