井川葵の友達やってます   作:嘘ドタキャン束縛カニカマ犬こんにゃく

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お腹を痛めて産んだ子(話)です。難産でした。



第九話 ダンス少女と衝突

 

 

 新鮮な気持ちが体を包む。相も変わらず馬鹿騒ぎを続けていた俺と井川はあっという間に小学校を卒業し、気付けば中学生になっていた。

 

 ちら、と自分の身体を見れば黒い制服が目に映る。小学生だった頃とは違うその服装に、俺はなんだか大人になった気分でいた。

 

「僕たちも中学生か」

「なー」

「あっという間だったね」

「なー」

 

 同じく白を基調にした制服に身を包んで井川が言う。

 君が来てから時間が経つのが早かった気がするよ、なんてあいつは笑っていた。

 みーとぅー、と返して大きく息を吸えば春の香りが体を満たす。めぐりめぐって季節は春。桜吹雪が舞っていた。

 

 服装や肩書きこそ変わりはしたが、案外俺の中身はちっとも変わっていなかった。好きなものは好きなままだし、嫌いなものは嫌いなままだ。同様に井川との仲も健在だった。

 むしろ変わったのは井川の方だろう。

 去年のとある事件をきっかけに通うようになったアイドルの養成所で、井川は瞬く間にアイドルとしてのデビューを果たした。

 

 LizNoir(リズノワール)、通称リズノワ。

 

 それが井川が活動しているグループの名前だ。

 メンバーは現在中学一年生の井川と、高校三年生の神崎莉央さんという人の二人。

 え、メンバーの人めっちゃ年上じゃん、なんてビビっていた俺のことなどつゆ知らず、井川は高校生相手にも臆することなく接しているようだった。

 当時、どんな人だった? と様子を聞いた俺に「なんか重たい人だったよ。でも実力はあったかな」なんて堂々と言い放った時は困惑を通り越して尊敬の念を覚えた程だ。余裕の笑みを浮かべる井川に後光が差していたのを俺は確かに見た。

 こういう時、こいつの図太さが羨ましく思う。少しくらい俺にも分けて欲しかった。

 

 そんなこんなでデビューを果たしたリズノワは、それはもう順調にアイドル街道を突き進んでいた。

 

 今の時代、アイドル業界にはVENUSプログラムなるものが存在している。なんでもAIがアイドルの実力を判定してランキング化するシステムらしく、その頂点に立つ4組のアイドルはBIG4なんて呼ばれて崇拝されているらしい。

 そんなVENUSプログラムの中でも新人アイドルの頂点を決めるNEXT VENUSグランプリという大会があって、LizNoirはそれの次回優勝候補なんて言われていた。それくらい彼女たちは圧倒的な実力を持っていた。

 

 特にアイドルという分野に興味を抱いてなかった俺だったが、そこに友達がいるとなれば話は別だ。ネットに公開されているリズノワのライブ映像には全て目を通していた。

 あの時の衝撃は鮮明に覚えている。

 黒紫のドレスを身に纏い、華麗なステップでステージを穿ち、力強い歌声で空気を裂く。

 溢れんばかりの歓声も、煌びやかなスポットライトも、まるで別世界みたいで。あんなに画面に齧りついたのは人生で初めてのことだった。

 

 後日、興奮のままにカッコよかっただのすごすぎるだのと感想をぶちまけた俺に対し、井川はため息を一つ零した。

 

「あのね、それどころじゃないよ。君も見たでしょ? あのライブ衣装。あれじゃ踊りにくくてたまらないよ」

「そうか? あんなに似合ってるのに。それにバリバリ踊れてたじゃん」

「それは僕の努力の賜物だよ。次はもっと踊りやすい衣装にしてもらわないと。僕が辞めかねない」

「ならサインください。今のうちに」

「くすっ、抜かりないね」

 

 それからもスカートが落ち着かないだの、僕にふりふりした服は似合わないだの小言が止まらなかったから、俺は苦笑い一つで返事をしておいた。

 

 あいつは納得していないようだったが俺は本当に似合ってると思ったし、何より井川葵という存在が世間に広まっていくのが誇らしくて仕方なかった。

 だからその後もしつこく賞賛の言葉を送っていれば、諦めたのか井川は呆れつつも満更でもなさそうに笑っていた。そんなあいつを見て俺も笑った。まるでアイドルみたいな笑顔だった。

 

 

 

 ●

 

 

「よっ、おはよ」

「おはよう」

 

 軽く手を振る挨拶を交わし、並んで朝の路地を行く。

 

 選んだ学校が家からそこそこ近いということもあって、俺と井川は一緒に登校することが多かった。

 とは言ってもそれはそうしようと決めている訳じゃなくて、俺が井川の家の近くを通るとたまたまこいつと出くわすからという理由だった。それでも今のところ皆勤賞である。

 

「また髪の毛跳ねてるぞ、お前」

「直して」

「自分で直せよ……しょーがないな」

「……ん」

 

 文句を混ぜつつ手櫛で髪を梳かしていく。

 前も祖父の家で寝癖を遊ばせてたっけ、なんて回想と共に髪を撫でれば、あいつは満足そうな表情をしていた。

 

 思うが、井川はこういうところに無頓着すぎる部分がある。

 一応アイドルなんだから身なりには気を使うべきなのでは? と思うと同時、まあこれが井川らしさか、なんて受け入れている自分がいて。

 結局、なんだかんだこうして素直に言うことを聞いてしまう程度には井川に対する判断基準が甘かった。

 

 しばらく歩いていれば景色は流れ、路地から大通りの方へ出た。

 

 通学の時間は色々なことを話す。学校のことだったり、アイドルの仕事のことだったり、趣味のことだったり、家族のことだったり。

 大抵は取り留めもないような内容だが、好きな時に好きなことを喋るこの時間が俺は好きだった。

 

「そうだ、聞いてよ如月」

「ん?」

「この前さ、ライブの時にファンの人が叫んでたんだ。葵ー、可愛いー、って。おかしいよね。莉央に言うならわかるけど、僕が可愛いなんてさ」

 

 名前を間違えたのかな? なんて真剣に首を傾げる井川を見て、俺は反射で答えた。

 

「そりゃ好きなアイドルにはそう叫びたくなるのがファンってもんだろ。名前間違えたなんてことないと思うけど」

「うーん……余計にわからないな。如月もそういう気持ちになったりするの? って、君はアイドルに興味ないんだったね」

「ふっ、まあな」

「なんで誇らしげなのさ」

 

 実際、俺はアイドルには全く興味を抱いていない。ライブ映像を見たのだってリズノワだけだしな。

 ただ、リズノワだけは初めて見たあの日から新しい映像がネットで公開される度にチェックしていた。

 

「それは興味あるって言えるんじゃないの? 一応、僕もアイドルなんだけど」

「いや、アイドルっていうよりお前がいるから見てるだけだよ。全然違う」

「……ふーん、そっか……うん。なら、君はそのまま僕を見てるといいよ」

 

 見てて気持ちのいいパフォーマンスを披露してあげる、なんて、井川は自信満々に笑った。

 世間では感情が表情に出ないだの、実力は申し分ないけどクールで淡々としてるだなんて言われているが、俺はそうは思わなかった。

 

「またすぐにライブがあるんだ。いつか君を招待してあげるよ。特別にね」

 

 だって、こんなにも楽しそうだ。

 

 よくアイドルとしての仕事やレッスンに文句をつける井川だが、それも含めて充実したアイドルライフを送っているらしい。

 晴れやかなこいつの表情を見ればすぐにわかる。こいつはみんなが思っているよりよっぽどわかりやすいやつだ。

 

 だから、その表情に一瞬影が差したのを俺は見逃さなかった。

 

「どうした?」

「……霧子から連絡が来てさ、今週末は雑誌の取材の仕事を受けたから行きなさい、って。勝手だよね」

 

 その日は君と遊ぶ約束だったのに、なんて、目に見えて井川は落胆する。

 突然勝手に受けられた仕事とはいえ、断ることはできないのだろう。以前から聞いている霧子さんというマネージャーの様子からそれは容易に想像できた。

 

「バンプロってブラックなんだな」

「らしいね」

「訴えるか。なんたら法違反で」

「あはは、今回ばかりは冗談じゃ済まないかもね」

 

 二人して苦笑いを浮かべた。

 

 改めてアイドルって大変なんだなぁ、なんてことを考える。

 休みの日の仕事だけでなく、ここ最近井川は放課後も歌やダンスのレッスンに行っていた。

 

 井川がアイドルとして成功するほど、LizNoirとして有名になればなるほど、それに比例して俺たちの遊ぶ時間は少なくなっていった。

 残念に思う気持ちはある。何処か寂しく思う気持ちだって、多少はある。それでも頑張る井川を応援するのが友達ってやつだと思っていた。

 でも、それと同時に俺の中にはある悩みが生まれ始めているのも確かで。

 

 ──井川のようなアイドルの側に俺みたいなやつがいていいんだろうか? 

 

 ちょうど先日テレビで見た内容がフラッシュバックする。

 それは名前も知らないとあるアイドルが、一般人の男と関っていた、というものだった。

 なんだそれ、なんてその時の俺は思ったが、どうやら世間ではマズイことらしい。そのアイドルは活動を一時的にやめて表舞台から去っていった。

 アイドルが男と関わるのがいけないことだとして、それがアイドル生命に傷を付けてしまうとして。

 

 なら、俺と井川はどうだろう。

 

 有名になった井川は街でファンに見られることも増えるはずだ。

 テレビで見たみたいにオフの日を狙って写真を撮りにくるマスコミだっているかもしれない。

 まだ中学生とはいえ、好きなアイドルがプライベートで頻繁に男子と遊んでいる、なんて話を聞いてファンが喜ばないのは確かだろう。

 

 なら、俺と井川の関係は。

 

 俺と井川の距離感は。

 

 自分でもよくわからない感情が頭を支配していく感覚が気持ち悪い。

 それでも隣に並んで歩く井川を一瞥すれば、何だか頭が冴えていく気がした。

 

 

 

 ●

 

 

 

 それからしばらく経ったある日。俺は休み時間に井川の教室へと足を運んでいた。

 最初は躊躇と緊張が付き纏っていた他クラスへの侵入にもすっかり慣れてきた日のことだった。

 

 中学生になった俺たちはクラスが別々で、小学生の頃のように常日頃一緒にいるというわけではなかった。

 それでもこうして時折お互いのクラスに足を運んでは雑談をしたり、教科書の貸し借りをしたり、ふざけあったり、なんてことのない時間を過ごしていた。

 今だって前に貸した教科書を返して貰うという()()で、俺は井川に会いに行こうとしていた。

 

 ──最近、あいつの元気がない。

 

 アイドルとして上手くいっていないのか、はたまた別の理由があるのか。ここ最近のあいつは以前のように笑うことが少なくなっていた。

 それがどことなく心配で、でも素直に「お前が心配で」なんて言葉にするのはなんだか違くて。

 だからこうしてついでの理由と共にあいつの教室に足を踏み入れた。

 

「あ、如月くんじゃん。葵に用事?」

「うん。教科書返して貰おうと思って」

 

 でも、そこに井川の姿はなかった。

 教室後方に位置するあいつの席は空席だ。

 

「葵ならさっき教室を出て行ったきり戻って来てないよ。戻って来たら伝えておこうか?」

「いや、大丈夫。また来るよ」

 

 そう言って教室を去ろうとした時、ちょうどもう一人の男子と出会(でくわ)した。

 

「お、如月じゃん。なんだ? 井川か?」

「おう。でもいなかったから今戻るとこ」

「井川ならさっき階段上がってくところ見たぞ」

 

 上の方のどっか探してみろよ、なんて続けた知り合いに礼を言って教室を後にする。背後から「お熱いねー」なんて冷やかしが聞こえた気がしたが、聞こえないフリをした。

 他クラス同士なのにお互いのクラスによく顔を出す俺たちは、中学生になっても相変わらずセットのように扱われていた。

 

 そうして階段にたどり着けば迷うことなく上を目指す。

 踊り場を抜け、渡り廊下を進み、突き当たりの階段をまた上る。

 途中にある職員室や特別教室に井川がいる可能性だってあるのに、その時の俺にはそんな考えは頭の片隅にもなかった。

 屋上に続く階段を上り切ると、その先にあるドアノブを捻った。眩しい光が視界を包んだ。

 

「うおっ、まぶしっ」

「うわ、びっくりした。如月か」

「よっ」

 

 井川はフェンス越しに街を眺めていた。制服の上を脱いでいて、涼しげなワイシャツ姿だった。

 俺も隣に並んで街を見る。柔らかい風が頬を撫でた。

 

「いい場所だな、ここ。下界を見下し放題だ」

「屋上、小学校の頃は解放されてなかったからね。最近よく来てるんだ」

「ちょっと秘密基地感あってテンション上がるな」

「あはは、かもね」

 

 屋上には俺たち以外の姿はない。

 二人だけの空間は久しぶりだな、なんて、俺はあの公園のことを思い出していた。

 

「踊ってたのか?」

「……うん。座ってばっかりで退屈だったんだ」

「相変わらずのダンスモンスターだな。今日も放課後にレッスンあるんだろ?」

「あるよ……それよりモンスターで悪かった、ねっ」

「うぉっ!? おいっ、わはは! ストップ! 井川ストップ! ごめんって!」

「余計なことを言う君が悪いんだよ。それっ」

「わはは! くっ、仕返し!」

「ちょっ、如月、あはは!」

 

 いきなり全力のくすぐり合いが始まる。

 髪や制服が乱れることなんて全く気にせずに、俺たちはもみくしゃになって暴れていた。

 脇腹を指でつつけば手のひらで掴み返され、腕を掴んで攻撃を阻止すればあの手この手で抜け出され、距離をとって逃げ出せば途端に追いかけっこが始まる。

 

 腹の底から笑い声を上げながら続いた壮絶な戦いは、お互いのスタミナ切れで幕を下ろした。

 

「はぁ、はぁっ……! 井川、お前、やりすぎ……っ」

「はぁ、はぁ……あはは! 修行が、足りてないみたいだね、如月」

「あんなのどう修行しろってんだ!」

 

 笑い声が屋上に響く。なんだかこうして思いっきり騒いで笑い合うのも久しぶりな気がした。

 お互いに崩れるように座り込む。乱れた息を整えれば、また笑いが溢れた。

 

「あー、疲れた。やっぱり君と遊ぶのは楽しいね」

「なんか懐かしいな。小学生の時はこんなんばっかだったっけ」

「そのせいでどれだけ怒られたことか」

「俺だけのせいみたいに言うなあほ」

 

 道連れだ、とキメ顔をすれば、最悪だね、と笑いが返ってくる。今この瞬間だけはまるで昔に戻ったみたいだった。

 今思えば散々な日々だったなぁ、なんて物思いに(ふけ)ていると、ふと井川が空に手を伸ばした。

 少しの沈黙を挟んで、ぽつりぽりつと口を開く。

 

「……もっと自由だと思ってたんだ。楽しくて、軽くて、気持ちのいい場所だって。でも、全然だった。今はなんだか窮屈で仕方がないよ。周りも、これも」

 

 どうしてだろうね、なんて。まるで心の底から吐き出したような言葉だった。

 その手に持った制服がなんだか酷く重たそうで、退屈そうで。だから俺も空を見た。どこまでも深い青だった。

 

 俺には井川の悩みがわからない。

 どんどんいろんな経験をして広い世界に飛び立っている井川と違って、俺は何も変わっていない。悩みをわかって力になりたい気持ちはあれど、それはとてつもなく難しいことで。

 結局、口から出たのは「そっか」なんて当たり障りのない台詞だった。

 

「でもね、今週末はオフが取れそうなんだ。久しぶりに遊ぼうよ。君が最近行ってるっていうゲーセンってところに僕も行ってみたいんだ」

「あー……そうだな。それ、なんだけどさ」

 

 一度言葉を区切る。じゃないと、色々溢れてしまいそうだった。

 

「──もう遊ぶのはやめとこう」

「……え?」

 

 風が止んだ。

 

「ど、どういうこと? そんないきなり……ちゃんと僕が納得できる説明をして」

「……別にお前と遊ぶのが嫌とか、そういうわけじゃないんだ。むしろお前といるのが一番楽しい」

「じゃあなんで……」

「でも、今のお前はLizNoirの井川葵だ。オフの日に俺と一緒にいるのが広まったら世間的によくないだろ」

 

 ファンだって悲しむかも知れない、なんて付け加えた俺は、まるで言い訳をしているようだった。

 ずっと考えていたこととはいえ、俺だって井川と遊びたい。こうして馬鹿みたいなことをずっと続けていたい。

 でも、それはできないんだ。"もしも" の可能性が俺を立ち止まらせる。いつか井川に言われた心配性だね、という台詞が痛いくらいに刺さっていた。

 

 顔を見るのが怖くて空を見ながら話す俺に、井川は手に持つ制服を投げつけた。

 なんてことない衝撃なのに、何故かやけに芯に響いた。

 

「ふざけないで」

「ふざけてなんかない。俺はお前のアイドル活動の邪魔になりたくない。だから、遊べない」

「嫌だ。絶対に嫌だよ。僕はそんなことがしたくてアイドルになったんじゃない。僕は、ただ……っ」

「……別に、学校でも遊ばないなんて言ってないんだ。ただ、外ではやめとこうって話で」

「……いい加減にしてよ。如月の考えばっかりで話を進めないで」

 

 井川の瞳と目が合った。

 綺麗で、少し潤んで、怒気を孕んだ瞳だった。

 

「僕はただ今までみたいに君と一緒にいられればそれでいいんだ。君が歌って僕が踊る。それだけで満足だったのに」

「でも、今のお前はアイドルで──」

「その前に、僕は君の友達だった」

「……!」

「それが邪魔になるんならアイドルなんて辞めるよ。最近、ずっと窮屈だったんだ。もう、いい」

「お前!」

 

 語気を強めて気持ちをぶつけ合う。一歩も引かない俺を前に、井川も一歩も引くことはなかった。

 思えば、喧嘩をしたのはこの時が初めてだった。

 

 やがて口論が落ち着く。お互い柄にもなく熱が入った反動で、一度落ち着いてしまえば後に残るのは痛いくらいの沈黙だった。

 風の音すら聞こえない。屋上に、音はない。

 

「……ばか」

 

 ただ一言を残して、井川は屋上を去っていった。

 残された俺は大の字に倒れ込み、そのままぼーっと空を見た。嫌になるほど綺麗な青空だった。

 

「……俺だって」

 

 そんな呟きを皮切りに、また頭の中がぐしゃぐしゃになっていく。

 これでいいんだと思う自分を、何やってんだと叱責する自分がいる。

 結局、俺は何をどうしたかったんだろう、なんて問いかけて、しかし答えは出てこなかった。

 今はなにも考えたくない。俺はしばらく寝転がっていた。

 

 どれくらい経っただろう。やがて俺は起き上がり、誰もいない屋上を後にした。

 来た道を淡々と戻っていく。無機質なリズムを奏でる階段の音がなんだか心地よかった。

 

「あ、如月。ついさっき井川さんが来てたぞ」

「……そか」

「?」

 

 教室の入り口ですれ違ったクラスメイトに小さく返し、自分の席へ向かう。

 

 戻った机には井川に貸していた教科書がぽつんと置かれていて。それがなんだか泣きそうなほど悲しかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 それからの日々はただ虚しさだけがあった。

 

 朝に井川と会うことはなく、学校でも会話はない。

 一人で歩く通学路や、一人で過ごす何気ない時間がこんなに寂しということを俺はこの時初めて知った。

 それはつまり、それだけ俺が井川としょっちゅう一緒にいたという証明に他ならなくて。得体の知れない感情がぐるぐると渦を巻いていた。

 

「なぁ、お前らなんかあった? 前まであんなにわいわいやってたのに」

「……まあ、ちょっと喧嘩してて」

「へー、お前らでも喧嘩とかするのな。ま、頑張れよ」

 

 ぽん、と肩を叩いてそのクラスメイトは去って行った。

 

 そう、こういうのを喧嘩というんだろう。

 俺は今まで誰かとこうして言い争ったことなんてなかった。だって、そんなことをするほどの仲になったことがなかったから。

 

 どうすればいいんだろう、なんて、もう何度目かわからない思考を繰り返す。

 

 曰く、喧嘩には仲直りが付き物なんだという。

 どっちが悪いかなんてわからない。俺は俺の思ったことを、井川は井川の思ったことをぶつけ合った。ただ、それが相容れなかったというだけで。

 このままゆるりゆるりと距離が離れて、いつか友達ですらなくなってしまうのだろうか。そんなこと、俺は絶対に嫌だった。

 

 なんとかしないと。でも、どうやって? 

 

 ──また繰り返していた。

 

 そうこう考えていると、クラスメイトが俺の席に来た。その手には一冊の雑誌が握られていた。

 

「お前もこれ読むか? BIG4の特集記事だぜ」

 

 ほれ、なんて、俺の返事を待たずにそいつは雑誌を置いて行った。

 正直気は進まない。ただ一人を除いて、アイドルなんかに興味はない。

 でも、この鬱屈とした気分を少しでも紛らわそうと俺はページを巡った。

 

 そして、目を見開くことになる。

 

『プライベートですか? そうですね、自分のためにも周りのためにも、変装には気を遣っています』

 

 雷が落ちたような感覚だった。

 たまたま開いた1ページの、たまたま目に入ったインタビューの項目。そこに書かれている内容こそ、今の俺に必要なものだった。

 

「これだ!」

 

 変装だ。その手があった。

 

 周囲の目が怖いなら、井川が井川だとわからなければいい。

 俺が気にしていた井川のファンの悲しみなんて、井川を悲しませるよりずっとマシだ。

 いつまでも意固地になっていられない。俺はここから変わるんだ。

 

 そこからは早かった。

 放課後になるや否や、俺は一目散に教室を飛び出した。

 家に帰って、その時持っていた全財産を手に街を駆ける。

 そのまま何軒かの服屋に入り、変装に良さそうな帽子やサングラスなんかを見て回る。当時刑事もののドラマにハマっていた俺は変装アイテムに抜かりなかった。

 

 最終的に選んだのはなかなかイケてるサングラスと、井川に似合いそうだったキャスケットという帽子。つい数時間前まではあれほど沈んでいた気分は、今や高揚感に支配されていた。

 

 俺は買い物袋を大事に抱きしめて家に戻った。

 多分、井川は今日もレッスンがある。あの時はアイドルをやめる、なんて言っていたが、そう簡単に投げ出すとは思えなかった。でも、多分時間はない。もしかしたら本気でやめてしまいかねない不安が俺の中にあった。

 

 落ち着かない時間を過ごしていれば、外はすっかり暗くなっていた。

 両親に散歩に行って来る、なんて叫ぶように告げて俺は家を飛び出した。とても散歩に行く勢いじゃなかったが、そんなこと気にしていられなかった。

 以前井川からレッスンスタジオの場所を聞いたことがある。いつレッスンが終わるかは知らないが、俺はそのスタジオへと足を進めた。

 

 自動ドアのガラスから光が漏れている。ちょうどスタジオが見え始めた辺りで、ナイスタイミング、なんて呟きが溢れた。

 

「……如月?」

「……よっ、井川」

 

 何故俺がスタジオにいるのかわからず、井川は困惑しているようだった。

 いざ向かい合ったはいいものの、なんて切り出したらいいかわからない。

 結局、俺はあの、だの、えっと、だのと要領の得ない言葉を繰り返していた。

 

「……くすっ。なんだよ、変なやつだな」

「……悪かったな」

「近くに公園があるんだ。付き合ってよ」

 

 そう言って井川は歩き出す。その後に続いて行くと、公園にはすぐたどり着いた。

 二人並んでベンチに座る。月が俺たちを照らしていた。

 

「それで、なにしに来たの? 君はアイドルの僕と一緒にいたくないんじゃなかったっけ」

「うぐっ……いや、そのことなんだけどさ」

 

 これ、なんて目を逸らしながら、俺は手に持つ買い物袋を差し出した。

 なにこれ? と首を傾げるあいつに袋を開けるように促して、俺は初めてあいつの目を見た。

 

「前はごめん。俺が意固地になってた。俺もお前と遊びたいし、これからも一緒に騒いでいたい」

「……! これ……」

 

 目を見開きながら、井川がキャスケットを被る。ついでに、サングラスも。

 その姿があまりにも奇妙で、自分で買った組み合わせなのに無性に笑いが込み上げてきた。

 

「ぷっ、ふふ……わはは!」

「なんだよ、如月が用意したんだろ?」

「いや、そうだけどさ、ふふっ」

 

 謝ることができて気が抜けたのか、自然と頬が緩んでいく。そんな俺に釣られたのか、井川もくすっと笑みを溢した。

 

「僕もごめん。前は少し自分勝手だったよ」

「だよな。アイドルやめるなんて言い出した時はどうなることかと思ったぞ」

「それは君が距離を取ろうとするからだろ。あの時の言葉は全部本心だったよ」

「俺だってそうだったよ。ニュースで見たんだ。アイドルが男と関わってたってだけで活動休止になったの。俺のせいで井川がそうなったら、ってずっと気にしてたんだ」

「……なんだ、そんなことか」

 

 呆れたように井川が笑う。そんなあいつを見てお前な……なんて恨み言が溢れたが、俺もなんだか笑えてきた。

 

「そんなの如月が気にすることじゃないよ。知らなかった? 僕は他人がどう思おうと気にしないんだ。好きなようにやるよ」

「……はは、そうだったな、お前は」

 

 覚えといてよ、なんて笑うあいつの顔は本当に楽しそうで、でもサングラスのせいで締まらなくて。またもやお腹の底から声が溢れた。

 

「なあ、週末ってまだ空いてる? 遊ぼうぜ。記念すべきゲーセンデビューだ」

「! うん。空いてるよ」

「決まりだな」

 

 目を見合わせて微笑み合う。キャスケットとサングラスを外した井川は、それを胸に抱き締めた。

 

「……大事にするよ」

「おう。嫌じゃなかったら今度から着けてやってくれ」

「うん。()()だ」

 

 差し出された小指に自分の小指を絡める。そうして笑い合っていると、不意に井川がベンチから立ち上がる。そして、そのまま舞うように踊り出した。

 その姿は軽くて、自由で、気ままで。どこまでもあいつに似合っていた。

 俺も自然と歌を歌う。こうして二人で歌って踊る時間も、なんだかひどく久しぶりに感じた。

 

「如月」

「ん?」

「これからもよろしくね」

 

 微笑む井川に対し、俺も微笑みで返事をする。なんとなく、その方が言葉にするより伝わると思った。

 そんな返しに満足したのか、井川は一層自由に跳ねる。

 

 いつまでも続くステップと歌声を、月明かりは優しく照らし続けていた。

 

 

 




■如月くん
心配性に定評のある男。
後日、サングラスをつけて現れた井川にちゃんと腹筋を破壊された。

■井川葵
後のゲーセン少女。
仲直り後、パフォーマンスが爆発的に良くなって莉央に驚かれた。

■神崎莉央
新春早々マネージャーを岡山の実家に連れて行く女。
正月莉央さんのストーリーめっちゃ良かった(感想)

推しグループは

  • 月スト!
  • サニピー! サニピー!
  • トリトリトリエル
  • LizNoir
  • ⅢX
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