百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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120話 四十路へ

 子供の成長は早いものだが、特に初等科四年から五年にかけての成長はめざましいものがある。

 背はでかくなった。遠目に見るとどこの大人かと思う。

 しかしこれがうちの娘で、こんな大きな生き物をうちの奥さんは産んだのだということを考えると、生命の神秘というか、不可思議な感銘というか、理屈はわかるが感情がついていかない感を味わうことになる。

 

 俺たちは家族という一つの集合体だった。

 けれど最近の娘には娘の世界があって、俺たちが『家族』というくくりで動くことはだんだんと減っているように思えるし、きっと、これから先、どんどん減っていくのだろう。

 

 俺ももう三十七歳になったのでいよいよ体力の衰えを実感し、特に目のあたりは、老眼とまではいかないが、若いころに比べてだいぶん疲れやすく、かすみやすくなったように思える。

 

 もう、ごまかしようもないほどに、おじさんなのだった。

 

 これまでの人生はどうにか生きてくることができた。鍛えた成果は如実に体に表れていた。思考は若いころよりも深みを増し、知識と経験にもとづいた判断力もついただろう。

 

 けれどこれからは衰えを意識して生きていかねばならない。

 この世界の人類もまた、長く生きるほど生きるのが難しくなるというクソ仕様が組み込まれている。

 

『老い』。

 

 これからの人生は、『それ』と向き合うものになるだろう。

 去年寝てれば治った病気は今年から寝てるだけでは治らないかもしれないし、去年からあげ五個食べられたけれど今年は三個しか食べられないかもしれないし――

 昨日ランニングした距離を今日走ったら、五日後ぐらいに『なんか足がだるいな?』とか思う羽目になるかもしれない。

 

 人生の基盤である腰の調子にはことさら気をつけたいところだ

 

 ――俺は『ギックリ腰』をおそれている。

 

 もちろんそうならないように適度な運動はしている。

 だが、最近の俺は座って資料を作る仕事が増えていた。テスト作りも採点ももちろん座っておこなう。

 本音を言えば座り仕事を立っておこなえるような、バーカウンターみたいな高さのテーブルが職場にほしいところだが、さすがにそこまでの業務環境改善は依頼したところで難しいだろう。

 

 そんなおり、ミリムからまったく予想もしていない言葉を告げられることとなった。

 

「マルが結婚するんだって」

 

 俺の思考は真っ白にされてしまった。

 マル。

 ……マルって誰だ?

 

「マルギット。バイト、一緒だったんでしょ。わたしたちの結婚式にも呼んだよ。ほら、わたしの後輩の……」

 

 そこまで言われてもなかなか記憶を取り戻すことができなかった。

 そう、『老い』だ――覚えている。きっと覚えている。しかし、記憶のフォルダへのアクセス処理が重いのだ。なかなか思い出せないし、思い出したあとも、なかなか言葉が出てこない。

 

 俺がマルギットという人物のことを思い出し、それをうまく言葉にまとめるための数秒間、ミリムはなおも矢継ぎ早にマルギットについて補足した。

 

 昔生徒会で一緒になって、色々手伝ってくれた女の子だったのだという。

 ミリムの一つ下にあたり、公私(公にあたるのは生徒会活動らしい)ともに仲良くしていたあいだがらなのだとか。

 

 いや、思い出してるよ。

 思い出してるんだけど、思い出してることをお前に証明するためのセンテンスをひねり出すのに時間がかかるんだ。

 

 あのー、ほら、アレだろ。アレ。あの、なあ?

 ちょっと気が強そうで生意気な。

 

「……うーん……あ、レックスにはあたりがちょっと強い、かも?」

 

 俺たちはさらに数分ぐらいかけて、互いの『マルギット像』のすりあわせを行なった。

 年齢のせいか、俺たちは情報一つ一つを確認するのにやたらと時間をかけるようになってしまっているのだ。

 

 しばらくあれやこれやとマルギットの情報をすりあわせ、俺たちはようやく互いの『マルギット』が同一人物であることの確認を終了した。

 やっと話が本題に入る。

 

「結婚するの」

 

 ミリムの一つ下ということは、三十五歳ぐらいか。

 どうだろう、結婚する年齢としては、年々晩婚化が進む時流を考えても、やや遅い感じがする。

 

 ちなみにだけれど、マルギットさんの結婚相手、性別は?

 

「男性だけど……?」

 

 ミリムに告白した後輩がマルギットだったと記憶していたが、違ったのかもしれない。

 あるいはどちらもいけるか、もしくは若いときの性癖誤認かも。

 

「されてないよ……してきたのは別な人」

 

 なるほど、俺の思い込みによる記憶のねつ造だった。

 ほんと、よくあるんだよ最近……『あなた、アレでしたよね?』『えっ、それは私じゃなくってあの人ですよ?』みたいなの。

 事実を記憶しているというよりも、事実をもとに抱いた印象を事実のように記憶しているせいで、幻想の記憶が増えてきている。

 

 三十代後半から幻想の記憶(ファントム・メモリー)が増えてきているので、今後、記憶が本当に現実なのか精査しながら生きていかねばならない。

 どうして人類は人生後半に無駄なタスクが増えるように設計されてるんだ。全知無能存在はこれだから……

 

 昔は本題に向けて一直線に会話をしていた俺だったが、年々本題の合間に無駄話を挟むようになってきていて、話の進みが遅くなってきている。

 このあたり娘のサラにはあんまりよく思われていないようで、俺が話題を横にずらすとちょっと不服そうな顔をするのがめっちゃかわいい。

 

 違うんだ……パパはな、本題をスパッと終わらせたいんだ……

 でもパパは思い出すことがへたくそになってて、一つの記憶を取り出そうとするといらん記憶までまとめてひっついてくるし、その無駄な記憶をはき出していく中で話題に必要な情報を吟味してるんだ。

 無駄話はシンキングタイムであると同時に、発掘した化石から砂埃をはらっていく作業でもあるんだよ。

 

「あー……わたしも、最近そういうのあるかも」

 

 だよなあ。

 俺は妻と老いをわかちあった。

 

 しばらくほっこり笑ってから、ようやく本題を思い出す。

 

「結婚式、招待されてるの。時間、空く?」

 

 俺は結婚式とあらば節操なく出るタイプだぜ。

 それに――思い出せよミリム。俺たちにとって時間は『空く』ものじゃない。『空ける』ものだ。

 俺の記憶がたしかならばマルギットは俺たちの結婚式にも出てくれたんだ。参加人数水増しのため、ご祝儀水増しのため、出てやろうじゃねぇか、式。

 

「じゃああとでサラにも確認しないと。してくれる?」

 

 うーん、最近、サラと話しにくいんだよな。

 でもミリムはこのあと実家だよな。

 

「うん。お母さんの薬取りにいったりしないといけないし」

 

 そうか。わかった。

 

 まさか娘との話題の枕に困ることがあるだなんて夢にも思っていなかった俺ではあるが、最近は話題の枕に困っている。

 しかしミリムはちょっと病気してしまった義母(ミリムの実の母)の面倒をみないといけないので、最近はうちと実家を行ったり来たりしてるしな。

 俺がやらねばなるまい。

 

 とりあえずサラの携帯端末によさげなスタンプでも送っておくわ……

 

「……それやめたほうがいいよ。普通に切り出したほうがいいって」

 

 そうなの?

 でもなんかいきなり文章だけで切り出すって、いかめしいっていうか……

 

「変なスタンプ送られると『はぁ?』ってなるから……」

 

 マジで? スタンプ逆効果なの?

 

 ミリムに数々の『娘とのコミュニケーション方法』を教えられ、俺はそれを実行した。

 最近なんか『怒ってる?』って感じだったサラからの返事は意外なほどすんなりきた。

 

 まあ、『母の後輩の結婚式』に出ることには面倒さを覚えているようだったが、最終的に、サラも連れて結婚式に出席することとなる。

 

 最近はこんな日々を過ごしている。

 もうすぐ俺は、四十歳になり――

 サラはじきに、初等科を卒業する。


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