百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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今回はみんなの夢についての話です


123話 無職のわだち

 話をしよう。

 

 たとえば君が無職を志した時、そこにはきっと様々な葛藤があることだろう。

 

 わかっている。無職は簡単になれるものじゃない。

 

 実は、俺もかつて、その道を志したことがある。

 ……いや。今でもきっと、その夢をあきらめきれていないのだろう。

 

 でもね、あまりにも困難だった。

 人は――収入がないと、生きていけないんだ。

 

 経済を憎んだ。税金を憎んだ。

 ただ生きているだけで金がかかるという不条理を憎まなかった日など、一日もない。

 

 けれどね、俺は疲れてしまったんだ。

 

 憎むことに疲れた。憎み続ける毎日に、疲れたんだ。

 

 無職。

 

 それは見果てぬユメだ。

 

 けれど現実という名の鎖はいつだって俺たちを縫い付け、夢に手を伸ばす邪魔をしてくるんだ。

 

 あと少し、ほんの少し、不労所得があれば。

 そう思ってどうにか不労所得を得る道を模索したけれど、それはどれも厳しくって、仮に叶ったところで、次は税金という壁が立ちはだかる。

 

 たとえば漫画家は、印税と原稿料で生きている。

 そして、節税を間違うと――その収入の三分の二が税金で持って行かれるんだよ。

 

 こんなにひどい話があるかい?

 ……ああ、そうさ。この世界はどこまでいっても、『働かせよう』っていう力が存在するんだ。

 

 経済的なゴールなんか、ない。

 だから――人は無職になれない。

 

 パパはね、昔、無職になりたかった。

 

 それが今では、教師をやっている。

 

 今の生活は、まあ、幸せだよ。教師っていう職業も、向いていたんじゃないかって、思う時がある。

 けれどね、たとえば後輩教師との会話の中、あるいは昇進を控えた根回しの最中、思うんだ。

 

『今、俺をあくせくと動かすこのエネルギーは、もしも俺が無職だったら、まるまる好きなことに使えたんじゃないか』ってさ。

 

 俺は無職を夢見ながら現実を生きている。

 

 眠れない夜がたまにあるよ。無職という夢を追い続けていれば叶ったんじゃないか、どこかで選択を間違えなければ、俺は無職でいられたんじゃないか……

 無数の『ありえたかもしれない未来』が頭の中にうずまいて、眠れなくなる、夜が、あるんだ。

 

 でもね、俺は、収入のある人生を捨てられなかった。

 

 収入なしで生きていくっていうのは、勇気のいる決断なんだ。

 五年先の自分が生きているか死んでいるかわからないという人生を、俺は、踏み出せなかった。

 

 だからサラ――我が娘よ。

 

 君が無職になりたいなら、しっかりと考えなければならない。

 五年先の自分を活かすために、今、なにができるのか。

 そして――収入のない毎日を送っている不安に、自分が耐えきれるのか。

 

 パパは無理だった。

 でも、君ならできるかもしれない。

 

 だから夢をたくしてもいいのかな。

 無職っていう、俺たち夫婦が見続けた夢の結実を、君に、たくしてもいいのかな……

 

「えっ、『無職はやめとけ』って言われると思ってた……」

 

 テーブルを挟んで向かいに座るサラは、たいそうおどろいた顔をしていた。

 このごろのサラは人種もあって顔立ちがとみにミリムに似てきている。声なんかは、携帯端末のスピーカー越しではちょっと聞き分けるのが難しいほどだ。

 

 大人になってきた娘は、往年のミリムのなにを考えてるんだか全然わからない表情と、当時の俺の妙にロジカルな部分が合わさって、全然なにを考えているのかわからない。

 

 しかしそれでも、ミリムよりはよっぽどわかりにくいけれど、彼女の真っ黒なしっぽは、彼女がおどろき、感動などの感慨を抱いていることを俺に示してくれた。

 

「パパ、私は……働きたくないよ」

 

 超わかる……

 俺も働きたくない……

 

 あんまりにも働きたくないもので、最初はサラのこと『無職はやめろ』って説得しようとしてたのに、いつのまにか無職肯定しちゃってたもんな。

 俺も話してるあいだに趣旨が変わってるのにはびっくりしたわ……

 

「でもねパパ、私は知ってるんだ。……人は働かずには生きていけない」

 

 うん……

 まあ俺も貯金してるけどさ、たぶんサラまで一生養えるほどではないよ。

 

 本音を言えばさっさとお金ためてアーリーリタイアしたいからな……

 だから残念だけれど、ある程度の年齢になったら、サラには自分で生活手段を見つけてもらわないといけないだろう。

 俺のほうが先に死ぬしさ。

 

「そうだね。パパに頼るのが不安定な道なのは私もわかる。私は……安定的に働きたくない。手から黄金を生み出す能力がほしいんだよ」

 

 俺もほしい……

 この世界は魔法世界だが、その魔法は『無』から『有』を生み出すほど万能ではないのだった。

 俺たちが持つ魔力は変換器なしにはガスの代わりにも電気の代わりにもなりゃしない。

 

「無職という夢を志してからは、パパともあんまりしゃべらなくなってたね。だって……絶対怒られると思ったもん」

 

 そうね。

 俺も怒るつもりだったのに、なんか無職なりたさがわかりすぎて、涙出そうだわ。

 

「でも、進路の欄に三つも書くところがあって、三つも夢ないし、どうしようかと思ったら……書いちゃったんだよ。『無職』って。パパに見られるかもしれないっていうのはわかってたのに」

 

 もしくは、それは。

 ……遠回しに、俺に夢を伝えるために、無意識にサラがとった行動なのかもしれなかった。

 

 夢を追うのは大変なことだからさ。

 俺もいきなり面と向かって『無職になりたい』って言われてたら、今と違った対応になってた気もするし。

 

 でも第三位の『ヒモ』もちょっとこう……

 なにかひねりだそうよ、ほかの。

 

「今の私は、ルカくんに養ってもらうことを夢に見て、色々と恩を売ってるんだ」

 

 ルカくんというのは言わずと知れたアンナさんの息子である。

 まだ初等科に通っている子なのだけれど、早くも両親の血が色濃く表れている超イケメンなのだった。

 

「あれだけ顔がよければきっと、将来、稼ぐのに困らないし」

 

 ルカくんは大変な女に目をつけられてしまったのかもしれない。

 しかし俺は、娘だからという理由ではなく、一人の人間として、サラのことを好きになれそうな気がした。

 

 発言とかもう、俺が『話せる相手』だとわかったのか、タガが外れて大変なことになっている気がするが……

 俺もかなり似たようなことを考えていたし、そのための行動をしていた気もするので、シンパシーが半端ない。

 

 娘よ……

 お前がルカくんにしてることは全然応援できないし、アンナさんに恩がある身としては全力で止めるべきだとも思う。

 でも、それはそれとして、無職を志すまっすぐな意思は尊重したい。

 

 がんばれ。

 

「うん。がんばる」

 

 でも、進路調査票は先生とか見るから、もうちょっと世間体を気にしたほうがいい。

 無職に本気でなるのだったら、大事なのは世間体だ。

『働いてないダメなやつ』ではなく、『なにかよくわからないけれどお仕事はしている人』というふうに見られるよう、心がけるんだ。

 

 無職を目指すうえでもちろん収入の問題はお前の前に立ちはだかるだろう。

 けれど、それと同じぐらい、世間体も立ちはだかる。

 お前を働かせようとするのは金銭だけではない。世間もなんだ。

 敵に回さないよう、慎重に立ち回れよ。

 

「わかった。……そうなんだよね。私は、生半可な気持ちで無職を目指してないんだよ。野球選手を目指す野球部の子のように、音楽家を目指す吹奏楽部の子のように、無職を目指して、無職という夢に打ち込んでいるんだ」

 

 一般家庭なら『野球部の子に謝りなさい』となるところだろうが、俺とミリムにはその気持ちがわかった。

 なにせ無職になるために働いている夫婦なのだ。わからないはずがない。

 

 俺たちはテーブルの上で手を重ね、見つめ合った。

 娘の黒い瞳が俺をとらえる。俺も彼女の姿をまっすぐにとらえて、俺たちは同時にうなずく。

 瞳の中には互いの夢を理解し合った同志がいた。

 

 俺たちは世界に三人だけの本気で無職を目指す人たちかもしれない。

 でも、俺たちは自分だけじゃないという喜びを知った。真剣に無職を志すその意思に曇りのないことをわかちあったんだ。

 

 こうして、夢は次代にたくされた。

 

 俺たちは歳をとったけれど、今、この志だけは、若い日のまま、みずみずしいまま――


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