百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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124話 次代が私を超えていく

 41歳の春、娘はいよいよ中等科三年生となった。

 

 昨今の気候は一言で言えば『わけがわからない』。

 暑すぎる春があり、寒すぎる夏があり、秋はどこかに消え去り、冬はその季節の半ばをやや過ぎたあたりで急激に寒くなり、三日ぐらいで急速に暑くなったりもした。

 

 そういった寒暖差の影響をモロに受けた学園前の並木道は五月を目前にしてまだ花をつけているものがあり、世間からは、『色の濃い四季』というものが失われているかのように思われた。

 

 うちの父母も最近体調を崩しがちだ。

 俺にとって父母はいつまでも若い存在だった。

 俺は四十歳で父母は六十を超えているはずなのだけれど、それでもなお、俺が子供のころのまま、元気で丈夫なまま、まだまだ老いなどみじんも見せないような、そんな『感覚』が抜けない。

 

 ところが現実には六十歳は六十歳であり、そのぐらいの年齢になれば体も弱くなるし、それに応じて心もいくらか弱っている様子があった。

 昔はヒマだと向こうからこちらに出向いてきていたが、最近はそんな気力がわかないようで、『サラちゃんを連れて遊びに来なさい』という連絡が来る頻度が増えたように思われる。

 

 俺は両親が心配なのもあってけっこう足繁(あししげ)く実家に帰るのだけれど、あまりにも帰りすぎるので、最近は『同居したほうがいいんじゃないか』と思い始めているところだった。

 しかし我が家は借家とはいえ物は結構あるし、実家では俺が使っていた部屋で俺とミリムが寝泊まりすればいいが、サラもそろそろ十五歳の女子だから、男親と近くで眠るのもどうかと思う年齢になってきている。

 

 どうするかなと俺が答えの出ない問題に取りかかり続けていたある日、サラ側からこんな打診があった。

 

「高校は寮のあるところに行きたい」

 

 それは進路相談ではなく、ただ決定していた意思を打ち明けただけのように思えた。

 実際そうだったらしい。サラは次々と資料を取り出し、俺に外部受験のメリットと自分の希望をプレゼンし始めたのである。

 

 家庭内プレゼンというのは我が家ではそう珍しいものではない。

 俺が資料を用意するのが趣味みたいになっていることもあり、集めたデータをまとめてレジュメにして家族に配って説明会をするというのをよくやる。

 家族旅行の行き先で意見がわかれた時などはこれで行き先を決めることが我が家の常であり、そんな経緯で鍛えられたサラのプレゼン力は、この年齢にしてはちょっと飛び抜けていると思う。

 

 サラの主張のテーマは『無職になるために有効な進路とは?』ということだった。

 

 無職とはなにか?

 それは『働かない者』である。

 

 では専業主婦は無職か?

 これは違うと思う。なぜならば、専業主婦は法律上、夫に扶養されているからだ。

 扶養とは養われることである。養われている以上、愛か、あるいは家事か、もしくはもっとほかに『対価』を支払っている。

 これは無職とは言えない。労働という対価を支払って生活のための金銭を得る労働者と同じだ。言うなれば契約を結んだ正社員なのである。

 

 ではヒモは無職か?

 これは技能職であると思われる。

 もちろんありのままの自分を結婚という契約もなしに一生養ってくれる相手がいれば、それは職ではないのだろう。

 けれど多くのヒモは、愛だの夢だのをささやき、料理や掃除などの家事をこなし、『相手好みの自分』でいることに多くの時間を費やさねばならない。

 しかも結婚という契約をしていない以上、扱いは派遣社員のようなものだ。雇用主の気分一つで好きなように切られてしまう。

 これは目標とする『安泰なる無職』からははるかに遠い存在だ。

 

 専業主婦は正社員であり、ヒモは契約社員である。

 

 では、無職とはなにか?

 それは『手から黄金を生み出す者』である。

 

 無論、そのような異能は存在しないから、それは比喩表現だ。

 黄金に代わるものを生み出す力、というのが正確なところであろう。

 すなわち無職とは、『稼がないとまずいな』という時にすぐさま換金できるスキルを持ち、なおかつそのスキルを金に換えるコネを持ち、なにより生活するに充分な価値を持つスキルを保持するものである。

 

 以上のことから、『無職』というのは『正社員』や『契約社員』よりも、『職人』寄りの職業であると言える。

 

 では無職という職人になるためにとるべき進路は?

 

 私は料理人がそれにあたると考える。

 

 まず料理人はいつの時代も存在する。

 そして料理というスキルは、無職を志しながら専業主婦やヒモに一時的に身をやつしたとしても、腐ることがない。

 人類にとって食事は欠かせないものだ。『安く』『おいしい』食事を提供できる者は、スキルの価値がそのままその人物の価値になりやすい傾向にあるだろう。

 

 ここに某社がとったアンケートがある。

 男性向け雑誌にてとられた『結婚相手に望むことは?』という旨の質問だが、この答えでどの年代を切り取っても、『料理』というのは必ずトップスリーに入っているのがわかるだろう。

 

 さらに別添えの資料によれば――

 

 サラのプレゼンを聞きながら、俺は目頭をおさえていた。

 一言では言い表せない感情が胸の中にうずまいているのだ。

 

 まず、よくぞここまで、と思った。

 無職というものに対するあくなき情熱、むやみやたらと高い、少なくとも十五歳女子のレベルにはないであろうプレゼン能力と、資料作成能力。なんだこの見やすいレジュメ……後輩教師にも教えてあげてくれ、お前の担任とか……

 

 さらになんかもう、親として、大丈夫なのかこの子は、という心配。

 

 俺は無職を肯定する者だ。本気で無職を志したこともある。

 けれど、サラほど『本物』ではなかった。ここまではしなかった。ここまでの情熱は持てなかった。

 目の前に熱い人がいると冷静になるもので、俺は今、『ひょっとしたら無職というのは無職なんじゃないか?』という、わけのわからない疑問で頭がいっぱいだ。

 

 やばいな。感情が大きすぎてもう『助けて』って感じだ。

 

 俺の百万回の人生において、ここまで取り扱いに困るクソデカ感情に胸を押しつぶされそうになった経験は一度たりともない。断言する。絶対に、一度もなかった。

 

 かつて無職を志しけっきょく教師になった親の目の前で、娘が熱く『無職になりたい』とプレゼンしてるのだ。

 どんな状況か全然わからない。整理すればするほどわけがわからない。

 

 俺は自然とおがむように手を合わせていた。そして思った。

『料理人を目指すみなさん、ごめんなさい』。

 

 もう目の前にある資料の内容が全然頭に入ってこないし、サラの声もなんか遠い。

 俺は死ぬのかもしれない。死因はなんだろう……感情に殺されると、それは自殺なのか、他殺なのか。

 

 混迷がきわまりすぎて真っ白になってきた頭の中で、俺は自分の意思を探った。

 

 実のところプレゼンの内容はどうだっていいのだった。

 サラが歩みたい自分の道を見つけた時、それがたとえば無職だった場合、俺は応援するのか、それともやめさせるのか、問われているのは親としてのスタンスなのだった。

 

 四十代がもっていい大きさの感情じゃないよこれ。

 困り果てて悩む。そうして悩んだ時のいつもの選択を俺はすることにする。

 

 俺はうめくように言う。

 サラ……その、なんだ、パパはお前の歩みたい道を応援したいと思っている。けれど、けれどね……

 明日まで待って。

 パパは感情に押しつぶされて死にそう。

 

「『持ち帰って検討する』っていうこと?」

 

 そうじゃない。それは『聞かなかったことにします』と同義だから。

 本当に、単純に、一日時間がほしいだけなんだ。

 なんていうか……使ったことのない心の筋肉をいきなり動かしたせいで、今、パパはひどく肉離れを起こしている。

 一日休めば色々飲み込めると思うから、一日待ってほしい。

 

「でもパパ……『決断は相手が疲弊してる時にたたみかけてでもさせろ』って言ったよね」

 

 俺はひょっとしたらすさまじいクリーチャーを育ててしまったのかもしれない。

 思わず人生を振り返った。娘と過ごした日々が高速で頭によぎり、消えていく。他愛ない日々の中で、俺は娘に様々なことを言った……そうしてできあがったのが目の前にいる黒髪の猫耳少女でございます。

 

 彼女は俺が百万回転生で得た経験の、この世界に活かせそうな部分だけを素直に吸収した無敵の生物なのかもしれなかった。

 百万回生まれ変わった俺が育てた娘は最強でした。

 

 そうかこいつ、ミリムの娘じゃん。

 ミリムはさりげに頭の回転が早くて物事を自然と客観視する冷静さも持っているので、その血に俺の転生経験をうまく蒸留したエキスを加えて完成したのがサラじゃん。

 

 勝てる気がしなかった。

『親として娘の選択を尊重する』とかじゃなくて、ここで俺がサラに『無職を目指した進路設定はやめとけ』と言ったら、たぶん、よりいっそう鋭いプレゼンが連日俺を襲いそうな気がする。

 才覚と情熱の差ももちろんあるが、かけられる時間が違いすぎる。

 俺は仕事のかたわら娘の進路相談を受けているが、中学三年生の娘は生活の時間すべてを自分の進路に賭けられるのだ。しかも熱意と才覚をもって、親に進路を認めさせるという目的のもと、時間を使えるのだ。

 

 気持ちのいいほどの完敗だった。

 この勝負は繰り返せば繰り返すだけ俺が不利になっていくだけのものだ。

 

 俺は肩をすくめる。

 負けたよ、サラ。

 

「負けたっていうのは?」

 

 油断も容赦もなかった。

 そうだな。相手から言質を引き出す時は、あいまいな表現で濁させるな――それもまた、俺の教えだった。

 

 俺はハッキリ言う。

 認めるよ。お前が無職になるために料理の道に進むのを。

 高校は料理系に行くんだろ? そうしたらいい。

 

「録音したよ」

 

 実は俺も録音してた。

 プレゼンが始まると同時にその内容を録音する癖が我が家にはあるのだった。マーティンに言ったら『超こわい』と言われた我が家の癖である。

 

 ただ一つ、聞かせてほしい。

 無職前の腰かけのつもりで就いた職業を一生続けることになる場合もある。

 俺がそうだ。

 お前は、もし料理人で一生を終えることになった場合――

 自分の選択を後悔しないか?

 

「後悔しないなんて保証はできないな。だってこの世界の人類の精神はそこまで安定してないもの」

 

 お前転生者なのかみたいな口ぶりだけれど、たぶん『この世界の人類』というのは俺がよくする発言がうつっただけなのだった。

 そのせいで『お前の立場なに?』みたいな言葉になってしまっている。

 客観的に見ると俺の発言、こんな感じか……

 

「でも、後悔しながらもやっていくと思うよ。自分で選んだっていう責任感があるからね」

 

 娘の答えは完璧だった。

 百点のうち千点ぐらいで――

 

 俺は約十年ぶりぐらいに、娘が本当は異世界転生者なんじゃないかと疑った。

 まあ、もうどっちでもいいことなのだけれど。


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