百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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134話 ケーキとコーヒーとSNS

 病院に付き添った帰り道、母とちょっといいケーキ屋に入った。

 

 母は病気と言えば病気だし、健康と言えば健康だった。

 

 加齢のせいだ。

 もう七十歳を超えた母の体にはあちこちにガタがきていて、いくらかの軽い病気があった。

 

 二十代は遊びの話で盛り上がり、三十代は筋トレの話で盛り上がり、四十代になると健康診断で出た数値を使ってバトルをする人類は、六十代後半から『飲んでいる薬の種類』という話題で笑ったり愚痴ったりする。

 

 だから母は病気だが、それは、不調とは断言しがたい病気だった。

 人類なら誰もがこうなるという、見本みたいな、症状なのだ。

 

「最近は飲む薬の量が増えて、薬でおなかいっぱいになっちゃうわ」

 

 そう言いながらメニューを見て、しきりに「こんなにたくさん、食べられるかしら」とつぶやく母に、俺は『余ったら俺が食べるよ』と言う。

 すると母は安心したようにケーキを選び、いっしょにコーヒーも注文した。

 

「そういえば、ずいぶん昔になるけれど、あなたはコーヒーが飲めなかったのよね」

 

 それは本当に、ずいぶん昔のことだった。

 単純に『味覚が子供だったので、苦いコーヒーが苦手だった』というだけの話だ。

 

 たぶんありふれたエピソードなのだろう。

 けれどそれを宝物でもこっそり見せるかのように語る母に、俺はほほえみながら相づちを返した。

 

 ほどなくして来たケーキは宝石のようにフルーツのちりばめられた逸品で、たしかに母が不安がるのもわかる、想像より一回りは大きなケーキだった。

 

 とりあえず母は携帯端末で写真にとってSNSにアップした。

 

「前々から評判で、食べてみたかったのよね」

 

 昔からだが、母には少女のようなところがある。

 このあたりの無邪気さはきっと、これからさらに歳を重ねても失われることのない、母の性分なのだろう。

 

 俺のほうに来たケーキも写真に撮り、母は言う。

 

「息子と来てるって言っちゃっていい?」

 

 俺はうなずき、母は携帯端末を操作した。

 そんな儀式が終わってようやく実食に入る。

 

 母はケーキをカットしては断面を写し、フルーツをフォークで突き刺して掲げては撮り、美しい真鍮色のコーヒーカップに映し出され、ゆがんだケーキまでも写真に収めた。

 

 俺は意識してゆったりとしたペースでケーキを食べるのだけれど、母は最近食べるのが遅いうえに、こまめに写真を撮るものだから、本当に進まない。

 

「そろそろ、お父さんも塾の経営から身を退くから、そうしたらいっしょに旅行に行こうって言ってるのよ。どこか景色のいいところへね。お父さんは『旅行は時間を持てあますんだけどね』って言うけれど、きっと、行けば楽しむと思うのよ」

 

 母は写真を撮り、まくしたてるようにしゃべり、そしてまた写真を撮り、それからまた、まくしたてるようにしゃべる。

 俺は相づちを打ち、ゆったりとコーヒーを飲む。

 ケーキはもうなかった。母のケーキはまだ半分以上残っている。

 

 母の話は次第に遠くの音のようになっていき、店内のBGMと混じり合うかのようだった。

 のんびりとしたクラシック音楽に母の声が重なると、HIPHOPアレンジみたいだなと思った。

 

 ようやく食べ終わると、母は俺に水を頼んでほしい旨を告げ、俺は従った。

 

 小さなバッグからいくらかの錠剤とカプセル剤を取り出すと、ゆっくりゆっくり、一粒一粒、飲み込んでいった。

 のどに詰まるとかでいっぺんには飲めないのだとか。

 

 その後もしばらく母は、色々なことを語ったように思う。

 なにせ言語量が多く、そして、語ることの一つ一つが俺にとってはささいなことすぎて、記憶することがうまくできなかった。

 

 どれも俺の話だった。

 小さいころの話、大きくなってからの話。

『なんでそんなことまで、印象深いできごとのように語れるのか』というような話を、母はいちいち楽しそうにした。

 

「そういえば、お葬式は、そんなに派手にしないでいいからね」

 

 あまりにも唐突にそんなことを言われてぎょっとする。

 いや、それは唐突だけれど、唐突ではなかった。実は母が五十代半ばだったあたりから、思い出したかのようにこんなことは言っていたのだ。

 しかし毎回、切り出すタイミングが唐突というか……思い出したかのように語られるので、なかなか心臓に悪い。

 

 もっとも、母の話はすべてがそのようなものだった。

 思いついたことを思いついた順番にしゃべる。

 あんまりにもしゃべるもので、俺なんかは『それだけ瞬時に色々話せるなら小説でも書いたらいい』と半ば本気ですすめたのだが、それはイヤらしく、母はそのまくしたてるようなしゃべる力を、もっぱら俺や父相手にしか使っていない。

 

「ああ、あと、私が死んだら、相互のみんなには知らせてね」

 

 ……SNSというものができてしばらく経っているので、『SNS墓標』という言葉も生まれている。

『葬式はしなくていいが、自分が死んだ旨だけフォロワーたちに知らせてほしい』と願う老人たちが、死後に『わたくしは命を終えました』と発信することで、それ用のサービスをしている会社なんかも、最近目立ち始めてきた。

 

「そろそろアカウントのIDとパスワードなんかも書いた遺言状でもしたためておかないとねえ」

 

 七十を超えた母は、気楽に『死』を語る。

 俺はそのたびに心にしこりみたいなものが生じてしまって、うまく笑えない。

 

 母は俺の心情をわかっているんだかいないんだか、思いついたまま、まくしたてるように、話を続ける。

 

 食事一割おしゃべり九割の時間はそうして過ぎて、ちょっとお茶をしに寄っただけのはずが、外に出ればもう夕食の時間だった。

 

「お父さんにはなにか買って帰りましょう」

 

 七十になった母は夕暮れの中で笑う。

 体は細くなり、特に手は骨張ったように思う。

 筋肉が衰えて皮と脂肪の垂れた彼女の顔は優しげな輪郭をしていた。

 

 もはや彼女にとって『死』はいつ来てもおかしくないと思える隣人なのだった。

 

 祖母のことを思い出す。

 母方の家系にはどうにも直感みたいなものがあって、それにより自分に起こることをなんとなく予測しているフシがある。

 

 まさか、母も、七十代という若さで亡くなるのだろうか?

 それをなんとなく予感しているのだろうか――

 

「ああ、見て、レックス」

 

 母が夕暮れを背負いながら言う。

 そして、なにかを示した。

 逆光でよく見えないそれは――

 

「ケーキの写真がバズったわ」

 

 携帯端末だった。

 

 なぜだろう、これはただの直感なのだが……

 この母はずっとこうやって新しい文化を取り入れていき続けるだろうし、なんだかんだ百歳ぐらいまで生きそうな、そんな直感が俺によぎった。

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