百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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感想ありがとうございます
友人っていいものですよね
通販で買えないのが悪いところです
引き続きよろしくお願いします


139話 アウトソーシング

 我が家はプレゼン家族だ。

 

 なにか家族を巻き込んだ願望がある時、家庭内で資料をまとめてわかりやすくしたものを壁に投影しプレゼンをおこなうという家族は周囲であまり聞かない。

 というか俺の勤める中等部の生徒たちの家庭までふくめても、やっているところは皆無らしい。

 

 プレゼンというのは『自分の願望の価値がわからない相手に、自分の願望の価値を伝える』手法として優れていると思うのだが、家庭内プレゼンをしないというのなら、世のお子様たちはどのようにお小遣いの昇給をしているのだろう……

 それに親の都合で子供を連れ回したい時などもあるだろうし、そういう時にプレゼンを経ずにどうやって子供に納得してもらって連れ回しているのか。謎は深まるばかりだ。

 

 そんなわけで『伝えたいことがあるならプレゼンをする』と骨の髄まで浸透している我が家の者が文章を書くと、それはすなわちプレゼンになる。

 

「もっとビジネス書みたいにしてほしいって」

 

 俺の『子供の出産時に親のすべきこと』についてのハウトゥ本の第一稿はそんなふうにボツを喰らい、内容はともかく文章面では書き直す羽目になってしまった。

 

 しかし俺にはビジネス書とプレゼンの違いがいまいちわからない……『題する』『題に沿った文章を書く』『題に沿った結論へと導く』という工程はビジネス書もプレゼンも大して変わらないような気がするのだが……

 

「ビジネス書は、もっと余計な脇道に逸れるんだよ。『文章作品』として見た場合、ビジネス書ほどわかりやすくまとめているものもないんだけど、さすがにプレゼン用の資料とかと比べると、補足とかデータの列挙とかが多いから。あと、読み物としての満足感を与えるには、多少文章量が多いほうがよかったりもするの」

 

 なるほど、『読み物としての満足感』という視点は抜けていた。

 

 それに、言われてから見直せば、たしかに、俺のプレゼン風の文章は説明不足だったりして、『この資料を壁に投影して、その前に立ってポインターで文章をなぞりつつ補足説明をする』という前提の文面に見えた。

 

 出版後に俺がいちいち読者のもとまで補足説明をしに出向けるならばいいのだが、そうではないと考えると、ちょっと言葉が足りなさすぎるのはわかる。

 

「……物語を書いてた時も思ったけど、わたしたちは、結論を定めたら全然横道に逸れないところがあるから、もっとこう、『人間味』? があるほうがいいみたい」

 

『人間味』。

 

 それはきっと他の編集者に言われた言葉なのだろう。

 ミリム自身も首をかしげななら、意味をよくとれていないような、そういう口ぶりだった。

 

 俺たちは原稿を挟んで向かい合う。

 目を合わせて、うなずき、提示された課題について考えることで同意する。

 

 ――人間とは?

 

 俺たちの文章には人間味が足りない。なるほど、そう言われるとわかるような、わからないような、不思議な感じだ。

 たしかに物語を書いている時など、他の小説を読んでいると、自分の小説と全然違って見えた。

 分析と分解を繰り返して『似たようなもの』に仕上げている自信はあったが、みんなが普通に加え入れている『なにか』が足りない、そんな印象はたしかにずっとあったのだ。

 

 そして読者には『なにか』が足りないことを見抜かれていたようで、俺たちがネット上に放流した物語はヒット数がいまいちだった。

 それで小説家になって印税による不労所得生活(印税は不労所得ではないが、不労所得という扱いとする)を送ろうという目標を、半ばあきらめていた。

 

 しかしプロの編集者に見せることで、俺たちに欠けている『なにか』に『人間味』という名前がつけられたのだ。

 

 ならば考えることは一つだ――『人間とは、なにか?』。それは今執筆しているお産の書だけではなく、物語作りにも活かせるかもしれないもののように思われた。

 

 まずは『人間』の定義を定めなければならない。

 

 生物学的な定義はこのさいおいておいていいと思う。文章における『人間味』に、生物学的分類など関係がないことは予想にかたくないからだ。

 つまり精神性の話題ととなる。

 

 人の、心とは?

 

 俺とミリムは顔をつきあわせて考え込んだ。

 俺たち夫婦は、人の心がわからない。

 

 そもそも俺は百万回転生している。生まれた時から『目立たないように、人らしい行動を観察し、それに合わせて溶け込むように生きていこう』と決意、実践して生きてきた。

 いや、実践できていたかは、もはやどうでもいい。五十年も生きたのだ。たとえ実践できていなくても『あの人はああいう人だ』で済むぐらいの積み重ねが俺にはある。

 しかし、最初から『人をまねする人外』という視点で生まれ、成長してきた俺に、『この世界の人らしい機微』などわかるはずがない。それはもう、あきらめるしかない。

 

 一方でミリムにも人間性というものがあまりなかった。

 なにが人間性かもわからない俺が『人間性がなかった』と語るのはいかにも滑稽で、人に聞かれれば冷笑されるかもしれない。けれどミリムには人間性がない。なぜって、俺の妻になるような女だからだ。

 

 俺たちは精神的に人ではない。

 

 その前提を間違えると、これから積み上げるべき思考に放置できない大きなズレが出る。

 

 そこで俺たちは、自分たちの中でもっとも『人間らしい』知り合いを思い浮かべる。

 

 ミリムのほうはきっとマルギットあたりを思い浮かべているのかもしれない。

 俺はといえば、マーティンを思い浮かべていた。

 

 マーティンは人だった。悲しいぐらいに、人らしかった。

 

 なにが人らしさかわからない俺をして、あいつの一挙手一投足には『ああ、こいつ、人だ』と思ってしまうようななにかがある。

 ブレ、というのか、不真面目さ、というのか。

『摂生をするぐらいなら、酒をかっくらい油ものをガバガバ食べ、死に向かう』という信念を掲げる一方で、糖尿病をはじめとする『不摂生による病気』で苦しむのは死んでもイヤ、というあの感じ。

 運動しなきゃな~カロリーもそろそろ控えないとな~と言いながら唐揚げを食べるあいつは、悲しいぐらいに、人なのだ。

 

 そうか、人とは――整合性がとれない生き物なのだ。

 

 俺は人というもののことをようやくわかった気がした。

 矛盾、というのか、ふらふらしている、というのか。

 長期的目標のために努力しなければいけないことをわかっているのに努力はできず、普通に考えて指導員もつけずに薬だけで『二週間でやせる!』なんてありえないのに薬に頼ってみたりだとか、金がないと言いながらガチャを引いてみたりだとか、そういう、目の前の願望、快楽のために『やらなければいけないこと』から目をそらす自分への甘さ、そういうのが、『人』なのだった。

 

 俺は感動しつつミリムを見た。

 彼女もなにかの答えにたどりついたらしい――俺を見る瞳でわかった。

 

 俺はまず、自分のたどりついた答えを述べる前に、彼女の意見を聞くことにする。

 

 問おう――『人』とはなにか?

 

「『瞬間的なもの』かな……考えて出した結論よりも、その場その場を優先する、みたいなものかも」

 

 表現方法は違うものの、ミリムの抱いた答えも俺と同じようなものだった。

 もちろん、マーティンみたいな人ばかりではないだろう。けれど俺が『人』について考えようと思ったとき、まっさきにサンプルとして浮かんだのがマーティンであり、ミリムが『人』について考えたとき、サンプルとして採用したのが『瞬間的なもの』だった。

 

 これはなんらかの啓示だろう。

 俺たちの脳を設計した全知無能存在は、『人』というキーワードに『刹那的な生き方をしている者』がひっかかるような構造にしたのだ。

 

 では――『人』の定義が整ったところで、本題だ。

 

 俺たちは人間味のある文章を書けるのか?

 

「……」

 

 ミリムは俺の目をじっと見て、うなずく。

 俺も同じようにうなずく。

 

 そして俺たちは声をそろえて言った。

 

「無理」

 

 無理だった。

 なんだよ刹那的で瞬間的な文章って。

 そんなの表現できたらたぶんとっくに小説家になってるわ。

 

 ではどうするか――俺たちは結論した。

 

 そう、アウトソーシングだ。

 

 俺の書いた文章を、マーティンなどに見せて、校正してもらう。

 俺たちに人間味がないのなら、人間味を外注すればいいのだ。

 

 それはうまくすればマーティンの趣味となり、そしてよく考えたら、『文章を書く』というのは俺の趣味にしてもいいかもしれない。

 

 孫との会話をシミュレートする――「おじいちゃんのご趣味は?」「文章を書くことだよ」

「なるほど。すばらしいと思います」

 孫をうまく想像できなくて、孫がなんだか気を遣って対応してくれてるみたいになってしまった。

 

 孫に気を遣われるのきついな……

 俺は一人で沈んだ。

 

「……じゃあ、校正面での手伝いを外注しよう。出版後の印税の分け前の相談とかもしないといけないから……あと、『内容はいいしコンセプトも売れそうだけど、実際に出版するかはわからない』って言われてるから、それも連絡しておいてね」

 

 出版はだいぶ商業的になったが、まだ芸術の分野に片足を突っ込んでいるせいか、『完成品を見てみないとわからない』という対応をする編集者も少なくないらしい。

 まあ趣味でやってるしダメなら一冊だけ折り本にしてサラに渡すだけだし、こちらとしては今まで俺たちになかった着眼点をもらったので手間をかけたかいはあったと思っている。

 

 まあしかしミリムも一時とは言え物語系の編集者ではあった(今は同じ出版社内の児童書レーベルにいる)ので、もうちょい早く『人間味』についての指摘があってもよかった気がしなくもないが……

 

「すでにできあがってる物語を持ってきて、メディアミックスするまでがお仕事だったからね」

 

 基本的に文章の内容をいじらない系だったらしい。

 なんと妻が出版社に勤めてから二十年以上経って、俺は初めて妻の仕事内容について踏み込んだ話をしたのだ。

『家庭に仕事を持ち込まない』という誓いがあったとはいえ、なるほど、たしかに、『人間味があれば』一回ぐらいは話題に出すこともあるだろう、と思えた。

 

 こうして俺たちは人間味のアウトソーシングを決めた。

 

 マーティンは快諾し、俺たちは三人で『お産の書』を書くこととなる。

 

 ――季節はもう、冬を過ぎようとしていた。

 孫が、少しずつ俺たちの人生に近づいてきている……


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