百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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140話 時間

 五十一歳の夏に孫が生まれてから、俺が実際に接触できるまでにはだいぶ長い時間が必要だった。

 もちろん保育器の中の孫をウィンドウ越しに見たりはしたのだけれど、ふれあいというか、実感というか、『ああ、これが孫だ』と俺が孫のことを認知できたのは、誕生から二ヶ月近くあとになった九月の中ごろだ。

 

 このころにはもう孫は喃語(なんご)を話せるようになっていて(だいぶ発育が早い気がする)、俺がガラガラを持ってあやすと「あー」とか「うー」とか言いながら目で追ったり、手足をばたつかせたりするようになっていた。

 

 その脂肪でぷくぷくした手足がばたばた動く様子は見ているだけで幸福な気持ちになってくる。

 まだ世界に陰謀が渦巻くことを想像さえできぬ我が孫よ。これから先、お前をあまたの苦難が襲うだろう。しかし強くあれ。備えを怠らず、冷静に対処できるよう常に準備を整え生きていくんだぞ……

 

「変な英才教育をしないで」

 

 ミリムに遠ざけられて、仕方なく孫の世話を娘夫婦に返した。

 

 娘夫婦の家はすなわち娘の夫たるブラッドの実家で、このいかめしい門構えの広い邸宅に入るのに最初のころは緊張していたような気もするが、今はすっかり自分の実家のような安心感を覚えるようになった。

 

 もちろんブラッドの両親や祖父母などの前では世間体を気にした態度をとるけれど、いざ娘夫婦二人と孫だけのプライベート空間になると、自分でもわかるぐらい油断してしまう。

 

 しかし夫婦の寝室とか親に入ってほしくない心情が働く気がする空間なのだが、よく入れてくれるものだ。

 まあ寝室だろうがリビングだろうが『部屋』は『部屋』だし、俺もミリムも気にしないし、俺たちに教育されたサラも気にしないだろうが、よくブラッドが許可したなあというのは思わないでもない。

 

「お義父(とう)さん、ちょっといいですか?」

 

 孫娘が眠るまでたっぷり見つめたあと、ブラッドから改まった様子で切り出された。

 どうやら『男の話』があるらしい――俺は寝室にミリムとサラを残し、ブラッドに求められるまま、離れの一室へと向かった。

 

 小窓が一つきりの石造りの離れは、貴人を幽閉する空間のようだった。

 華美すぎないがセンスのいい家具が必要最低限だけ並び、中央には一対一で話せるよう、テーブルを挟んで椅子が二脚置いてある。

 

 ブラッドはお手伝いさんにお茶とお菓子の用意をさせると、お手伝いさんを下がらせ、その気配が充分に遠ざかってから、話し始めた。

 

「祖父がもう、長くありません」

 

 俺の心に去来したのはおどろきでもなんでもなく、『だろうな』という納得だった。

 

 ブラッドの祖父――すなわち、俺の同級生であるシーラの父親とは、一対一で話したこともある。

 

 その当時、だいぶ憔悴していた。

 あれはシーラが家を出て行ったことに起因するものだと思っていたが――実際に起因しているのかもしれないが――なんらかの病気を抱えているのではないか、ということをうかがわせる、弱々しい様子だった。

 

 むしろ今までよくぞ隠しおおせたな、という感想を抱いてしまう。

 

「祖父には立場がありますから、あまり病気のことはおおやけにできません。おそらく、近々入院の旨がニュースで流れると思います。そうしたらもう、本当に、長くないのだと思ってください」

 

 それからブラッドの語ったことは、彼の祖父の死後についてだった。

 

 おそらく取材が来る。

 その時に産後間もないサラや生まれたばかりの赤ん坊の負担になりそうだったら、俺の家で面倒を見ることも考えておいてほしいという話だった。

 

 俺の家のほうには迷惑をかけないようにするつもりではあるらしいが、最近は会社に属さず、自分でチャンネルを開設して自分の取材した内容を流す記者も多いので、そういった手合いが来たらすぐ通報するように、とのアドバイスももらった。

 迅速な対応をしてもらえるようにはからっているらしい。

 今になってようやくブラッドの祖父の大物具合を実感できた気がする。

 

 しかしまあ、ブラッドがここで『俺が護る!』とか言ってサラと孫を一人で抱え込もうとする男でなくて本当によかった。

 

 一人でできることには限界がある。

 ましてブラッドはまだ政界デビュー前、カバン持ちの段階の若造だ。将来は大物になるだろうけれど、今できることはさほど多くないだろう。

 

 できないことはできないと認め、必要な範囲で他者を頼る――

 これができる二十代はそう多くないと、俺は思う。

 たいてい『絶対頼らない』か『なんでも頼る』のどちらかに振り切れるのだ。

 このバランス感覚は評価ポイントだろう。

 

 面倒ごともやっかいごともごめんではあるのだが、娘にまつわるものだ。背負うことに否はない。

 俺はうなずき、お茶を飲んだ。

 この家に来るたびびっくりするほどいいお茶を飲まされている気がする。なん度来ても、毎回違った感動があった。

 

 お茶、お茶か……俺の『趣味獲得計画』はまだ続いていた。

 一時期は『執筆』を趣味と言い張れたような状態でもあったのだが、その状態は『孫の誕生を控えたおじいちゃん・おばあちゃんがやるべき30のこと』(出版は冬ごろの予定)という本ができあがったのと同じタイミングで解除されてしまったのだ。

 

 しかし茶と酒は趣味にするには金がかかるし、素養も必要だ。

 やっぱり生まれた時からこういう高級なものを自然と口にできる環境でないと、五十歳を超えていきなり始めるのは苦労するだろう。

 

 難しい顔でうなっていると、ブラッドが口を開いた。

 

「ご苦労かけてしまって申し訳ありません」

 

 へ?

 ああ、そうか。そりゃそうだな……シリアスな話してるのに難しい顔してたら、なんかこわいよな……

 

 ぶっちゃけブラッドが依頼を出して俺がうなずいて引き受けた時点でその話は終わっているものと思っていたのだが、こういうところが『人間味がない』とされる部分なのだろう。

 

 俺は言う――たしかに君の出した話には問題があって、それは、一時あずかりした娘と孫を返却する気がなくなってしまうかもしれないということだ。

 

「……いや……それは返してほしいんですけど」

 

 冗談のつもりで言ったのだが、ブラッドは存外申し訳なさそうにおずおずと言った。

 分析するに、おそらく依頼を出している負い目から、堂々と『いや、返せよ!』と言えないのだと思う。

 あと俺はどうにもブラッドに初等科男子のつもりで接しているのだが、気づけばこいつももう二十代半ばで、『おじさんゲームやろうぜ!』と言っていたあのころとは違うのだ。

 

 懐かしい……娘の四人いた彼氏の一人で『なんかだめ』判定を喰らっていたブラッドが、今では立派に社会人やってる。

 俺は彼が子供のころの話をした。

 彼はますます居心地悪そうにした。

 

 話せば話すほど空気が悪くなっていく。

 ……ダメだ、心が現在に追いついていない。

 

 最近の俺はどうにも思い出の中の相手と話すことが増えていて、目の前に、現実にいる、現在の相手との会話をおこたっているように思える。

 時間の経過で人は変化していくのだ。大人になってから初等科時代のヤンチャの話とかされても困るだろう。俺だって困る。でも、しちゃう。

 五十代のおじさん全般に言えることなのか、俺のみの特性なのかはわからないが、改める必要があるだろう。

 

 悲しいな。若いころにいやがっていた『おじさん』の姿に、どんどん近づいている。

 

 俺はお茶を飲み干して、孫のところに帰ろうとうながした。

 ブラッドはいくらかホッとした様子で承諾し、先に立ち上がると部屋のドアを開ける。

 

 このへんのマナーはよくわからないが、ブラッドぐらいの家格の者がお手伝いさんを呼ばずに手ずから俺をエスコートするというのは、かなりへりくだられていると思うべきなようだ。

 古い家にはまだこの国に貴族制が残っていたころの文化が息づいている。ブラッドファミリーと接するようになって俺も勉強を始めたが、ナチュラルボーン名家のブラッドたちとはやはり立ち振る舞いに差が出る。

 

 とりあえずマナー講師兼顧問弁護士のシーラ先生に今日あったことを簡単にまとめて報告し、俺のマナー違反ポイントを洗い出していただくことにして、部屋に戻った。

 

 孫はいつのまにか起きていて、ミリムとサラがそのベッドをのぞきこんでいる。

 

 俺も二人のあいだに入って孫をのぞきこんだ。

 赤みがかった瞳がきょろきょろと俺たちをながめ、手にしたおもちゃをしゃぶりながら「だー」とか「ぶー」とか言う。

 

 俺は言うともなしに言う。

 赤ん坊の成長は本当に早い。たぶん気づいたころには立って、歩いて、学校に行き、嫁に行くと思う。

 

 だからなんだというつぶやきだったが、サラはうなずき、ブラッドは「気をつけます」と言った。

 いや、気をつけてもなあ……どうしようもないんだよ、マジで。

 

 しばし孫をながめて、彼女が再び眠りについたタイミングで、屋敷を出た。

 サラは赤ん坊のそばに残ったが、ブラッドやらお手伝いさんやらブラッドの両親やらに見送られての退出は、なんだか自分がえらくなったような、そんな錯覚をしてしまう。

 

 帰りの道すがら、俺はミリムにブラッドに話されたことをそのまま話した。

 

「……ブラッドくんも根回しができる歳になったんだね」

 

 ミリムのおどろきは俺の抱いた感想と似ていて、俺たちは笑う。

 

 あたりはとうに夕焼けで、俺たちが家に帰るころにはもう、夜になっているだろう。

 道行く誰もに平等に差す赤い日差しは、誰もが平等な時間浴びることができる。

 

 俺はなにか複雑な想いが胸に去来するのを感じたけれど、それを言語化する前に家に着いたので、夕食作りを始める。

 感慨にひたる余裕もなく、ただ、いっさいはすぎていった。

 赤ん坊にも老人にも、平等に。


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