百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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161話 煙と来世

 九十も間近になると『お前まだ死なないのか』というのをあいさつのように交わす間柄もあるようなのだが、俺は自分が死にたくないもので、言霊というのか、そういうのを気にして、そんなあいさつはできないでいた。

 

 ところが九十歳間近だというのに当たり前のような顔で酒を持って現れたマーティンについ、ガチめのトーンで聞いてしまった。

 

 お前、いつ死ぬの……?

 

「お前こそ」

 

 マーティンはニヒルに笑ってそう言った。

 どうやら『年寄りのあいさつ』として受け取ったようなのだが、俺はマーティンがまだぴんぴんしてるのがマジでこわい。

 

 マーティンをここまで送ってきた孫? いや息子? は俺に軽くあいさつをすると、『あとで迎えに来るから』と言い残して去って行った。

 たぶん車で来たのだろう、離れていく車の小さなタイヤ音が、シンとした住宅街に響く。

 

 しかしマーティンだ。

 ひょっとして俺が八十代を過ごしているあいだ、マーティンはコールドスリープかなにかで肉体時間を止められていたのではないだろうか?

 そう思ってしまうほど彼は健康そのものという様子だった。

 

 七十代……六十代……いや、この若さは……五十代にも匹敵する……!?

 

 マーティンの存在は理不尽だった。

 

 かつて思ったものだ――健康に気づかって過ごしている者が報われるとは限らないし、不健康に過ごしているものにバチがあたるとも限らない。

 健康を司るモノは気まぐれで、俺は『病気』という確率でかかる状態異常にかからないよう、耐性をつけ、かかる乱数の幅を減らしているにすぎないのだと。

 

 マーティンはかなり耐性が低く、病気入れ食い状態だと思うのだけれど、妙に健康だった。

 理不尽だ。

 よこせ……健康をよこせ……!

 

「こう見えて、腫瘍がいくつもある」

 

 マーティンがあんまりにも気楽にそう返してきたもので、俺は『マジで!?』と若い者みたいなノリで返しそうになり、そんな若くないのでせきこんだ。

 

「痛み止めをもらってるんだ。お陰ですこぶる調子がいい。調子がよすぎて、こないだ、骨折に気づかなかった」

 

 骨折には気づけ……

 しかし言葉にならなかった。マーティンといると気分が三十歳ぐらい若返るのだが、体は若返らないので、気持ちに体がついてこないのだ。

 

 というか、病院には行ったんだな。

 病院に行かないことが健康の秘訣とか言ってたのに、行ったか、行かざるを得ない状況になったんだな。

 

「『あと半年の命です』と言われて、もう五年ぐらい経った。でもたぶん、そろそろ死ぬ」

 

 ……どうやら、それが、今日の来訪の理由らしかった。

 よくよく見れば健康そうなのは動作だけで、顔は変な色に見えたし、体の末端には震えもあった。目もどこか濁っているようだ。

 

「酒は孫にあげてくれ。お前、やりたがってたろう」

 

 声のかすれ、発声の濁り、そして言葉の遅さ。

 俺自身が歳をとっているから若やいで感じるだけで、マーティンもやはり年老いているし、病気だと言われれば、数々の違和感がわかる。

 

「最期にお前と飲みたかったけど、俺もお前ももう無理だろう。若いころみたいに安居酒屋でだべるわけにもいかないしな」

 

 俺たちの通っていた安居酒屋は、もうない。

 いくらかの変遷を経て、今はどんな店になっているのか、わからない。

 

 俺たちは変わり果てた街について話した。

 母校が今もまだ存続しているというのは奇跡みたいなことで、俺たちが学生のころ、あるいは社会人になったころに見た街は、もう、この世のどこにも存在しない。

 

 俺たちの青春はレトロな風景として番組かなにかで後世につたわるかもしれない。

 だけれどそれは、美しいだけの街並みなのだ。俺たちが路地裏で見た酔っ払いのゲロも、飲んだ翌日激しい頭痛に襲われるような安酒も、空き缶と吸い殻の落ちた汚い街並みも、客引きがぼったくるべきカモを探して目を光らせているあの緊張感も、きっと後世には残らない。

 

 美しいものだけを残した『芸術品としてのレトロ』に、俺たちのいた場所はなかった。

 

 芸術にもならない街並みを覚えている俺たちは、どんどん数を減らして、いずれ絶滅する。

 

 そうしたらきっと、歴史の中の俺たちのことを、誰かが想像して編纂するのかもしれない。

 それは恣意的な記録となるだろう。……記録とはおしなべて恣意的なものだ。編纂者が着目している事象しか残らないのが、当たり前だ。

 

「一発殴っていいか?」

 

 出し抜けに言われて困惑する。

 

 俺たちの年齢で一発殴ったら、殴ったほうも殴られたほうも死にかねない。

 

 まさか頭が……俺がそんな目で見ていることがわかったのだろう、マーティンは笑った。

 

「お前とのケンカ、一回も勝てなかったから。負け越しはイヤなんだ。それでギャンブルで大損こいたりもしたけどな」

 

 次こそは勝てる、という気持ちばっかり抱くらしい。

 そりゃあカモだわ。

 

「まあ主流な考えじゃあないんだけどさ、創作とかで『転生』って概念があるだろう? だからさ、生まれ変わったら、お前を殴る。それでよしとしとこう」

 

「いや。生まれ変わらない。俺はこの世界で煙になる」

 

 あまりにも無意識のうちに言葉が出た。

 それは俺がこの世界で願い続けて、今まさに叶えようとしている夢だった。

 

「マーティン、俺は煙になる。お前も、煙になれ。だから、俺の勝ち越しだ」

 

 あまりに自動的に言葉が放たれたせいか、マーティンは長く絶句した。

 死んだんじゃないか、という不安がわりと本気で胸中にうずまき始めたころ、ようやくマーティンは生存証明するように声を発する。

 

「ずるいやつだな、お前」

 

 彼は笑う。

 

 ……ちょうど、外を通るタイヤの音が聞こえた。

 

 ほどなくしてマーティンの子だか孫だかが迎えに来たようだった。

 以前に聞いた話では血のつながらない子と孫がいたということだった。彼の人生は詳しく聞いてみたかった程度には波瀾万丈だったようだが、最終的に、子らとはうまくいっていたのがうかがえる。

 

 マーティンは去り際に、述べる。

 

「じゃあな」

 

 ……その声は。

 実際に、マーティンを迎えに来た若い人の声とくらべると、ゆっくりで、しわくちゃで、にごっていて、小さかった。

 

 俺もしわくちゃでかすれた声で、応じる。

 

「お前とは、二度と会わないだろう」

 

 マーティンの送迎をした人が、「ケンカでもしたのか?」と小声でたずねているのが聞こえてきた。

 マーティンがなんと答えたのか、俺の耳ではもう聞こえない。

 

 でも、これがケンカなら、マーティンはなにがなんでも『いいや、転生して来世で俺が勝つ』と言ってゆずらなかっただろう。

 

 だからこれは、『さよなら』以上の意味のない、さよならだ。

 

 強いて意味を付加しなければならないなら――

 

 きっとたぶん、『楽しかった』ということ、なのだろう。

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