百万回転生した俺は、平和な世界でも油断しない   作:稲荷竜

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普通の人生で……長生きして……そう思っていた時期もある主人公の今後をよろしくお願いします


85話 レックス先生の相談室

「レックスさ……レックス先生、担任と顧問を両方受け持っていらっしゃいますけど、きつくないですか?」

 

 同期にそんなことを言われた俺は、まず『名字で呼べ』と思った。

 

 しかし今に始まったことじゃなかった。同期の連中はなぜか俺のことを『名前』『さん』で呼ぶ。しかもおどおどしながら呼ぶ。

 そのおびえた感じには覚えがあった――あれはそう、俺が剣闘士と呼ばれる職業に就いていた人生の話だ。猛獣と同じ檻に入れられた闘士が、猛獣に向ける顔が、こんなものだった気がする。

 

 その表情の意味をくわしくたずねたくもあるのだが……

 ここで『その前になんで俺のこと名前で呼ぶの? あとその顔なに?』という『質問に対し質問をかぶせる』行為が相手の心証をそこねることを知っていたので、まずは相手の疑問の解消につとめることにした。

 

 きついかどうか。

 

 どうだろう、きついと思ったことはない。

 ある独裁国家の宰相をつとめた時などは、比喩ではなく書類が山のようにテーブルにあったものだし、必要な指示を部下にする時も心証を損ねたら普通に殺されるようなギスギスした空気があったし、もちろん上司である独裁者の機嫌を損ねればそっちでも死ぬ。

 

『死』と『死』のあいだで書類仕事をしていたあの時期を思い返してしまえば、この程度の事務と実務量では死なないことがわかるので、許容範囲だ。俺、定時には帰るし。

 

 だが、この世界の基準で考えてみよう。

 

 以前に調査したデータによれば、教師という仕事の評判の悪さの一因には、たしかに『激務』というものがあった。

 教師だけではないような気がするのだが、この世界では『昇進すればするほど業務が増える』というおかしなシステムが存在している。

 担任と部活顧問をやっている俺は実務時間も当然長いのだが、それに加えて事務処理すべき仕事も増えていて、結果として『時間がない』『帰れない』という事態が発生する。まあ俺は帰るけど。

 

『仕事を持ち帰れない』というのも『帰れない』事態に拍車をかけている。

 守秘義務的観点から持って帰っちゃいけないデータがあるのは理解できるのだが、いかにも過敏にすぎて、大したことのないデータまで持って帰ってはいけないというような状況になっている気がする。

 まあ俺は帰ってまで仕事をする気がないので関係ないけど……

 

 ……ひょっとして、きついのか、今の仕事?

 

 えっ、困る……どう答えるのが正解なんだ……?

 俺は悩んだ。主観的には普通に定時で帰ってるしきついという感覚もないんだけれど、俺は世間から浮くことを嫌っている。

 初等科入学から『目立たない』を標語にし続けてはや十八年だ。『目立たない』ためには周囲と意見をそろえる必要がある。

 しかし『きつくないですか?』という問いかけが『私はきついんですけど』なのか『あなたの仕事量は多そうだけど、あなたはきつくないですか?(私と同じとか違うとかはどうでもいい)』なのか、わからない。

 

 だから俺はたずねた。

 逆にどう思います?

 

「……えっ、逆に? 逆、逆かあ……レックス先生の書類さばきは余波で風が起こるレベルですけど、私はちょっと、最近、残業気味ですね」

 

『私はきついけどあなたはどう?』の問いかけだった。

 確認は大事だ――俺は『私もきつい』という方向で意見を偽装することにする。

 

 私の事務処理早そうに思えるかもしれませんけどね、工夫してるんですよ。

 私も仕事大変だなーって思って、ちょっと考えてみたんですね。

 

「あ、コツとかあるんですか?」

 

 はい。まずは必要な数字を全部覚えます。

 

「えっ?」

 

 各種データを暗記してしまえば、いちいち参照する手間がなくなるでしょう? 受験と同じですよ。やったでしょ、受験。

 

「えっ、はっ、はあ、そうですね」

 

 あと今ね、アナログでやらされる仕事多いでしょ?

 直属の上司である校長先生に言ってもなんにもならないんで、こないだ理事長にかけあいまして、もうちょっとデジタルで仕事ができるように環境整えてもらおうって話にしてます。

 

「……はあ、なるほど……」

 

 私は長生きしたいので、仕事の手間とストレスを減らすのは最優先事項ですからね。

 そちらも仕事のために仕事してるわけじゃないでしょ? 不要なストレスだと感じたらなにをおいても減らすべきだと思うんですよね……

 こんな感じで、先生もやってみてはいかがでしょうか?

 

 俺は誠心誠意のアドバイスをした。

 敵の少ない人生を志しているのだ。可能なら『誰ともかかわらない』≒『敵や味方を作る機会を得ない』のが理想ではあるのだけれど、かかわった以上は最低限悪い印象を残さないよう努力せねばならない。

 

 そのために『提案』形式で『より楽できそうな方向性』を提示した。

 同期・同格の相手から命令形式でものを言われたり、また『俺はやった。お前は勝手にしろ』みたいに突き放されると印象が悪いので、気を配ったのだ。

 

 先生はしばし黙りこくった。

 そうして、意を決したように口を開く。

 

「レックス先生……あの、実は私、高校の時、ずっとあなたと同じクラスだったんですけど」

 

 知ってますよ。

 

「ずっと先生のこと、誤解してたみたいです」

 

 誤解?

 

「はい。先生のこと、『レックスさん』と思ってましたけど……思った以上にレックスさんでした……では私、授業があるので。相談にのっていただいてありがとうございました!」

 

 同期の女性教師は一礼して去って行った。

 俺は書類仕事の手を止めて、ぼんやり彼女の後ろ姿を見送る。

 

 ……え?

 

 レックスさんと思ってたけど思った以上にレックスさんでしたってどういうこと?

 レックスさんって……なに?


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