『いってきます』
澄んだ黒眸が、寂しげな笑みに細められた。離れていく小さな姿に恐怖を感じて、必死に手を伸ばす。
掴んだ筈の温もりは形をなくし、この手を風のようにすり抜けていった。
◆
「ここ、は……」
重力に逆らって伸ばしていた腕が宙を掻く。指と指の隙間から覗く見慣れた天井が、自室にいるということをイタチに知らせる。
イタチは任務に出た筈だ。いつ帰ってきたのだったか。常なら報告書を先に書くのに、いつ眠ってしまったのだったか。
ふと抱いた疑問の答えを探そうと記憶をたどり、息が詰まった。
最後に見たのは、深紅の瞳と黒い三つ巴―――写輪眼。
「っ…!」
ガバッと身を起こすと、少し眩暈がして蟀谷が痛む。
この感覚は幻術にかけられた時特有のもので、記憶によれば、術に嵌めたのは唯一無二の弟だ。
いつの間にそれほどの力量をつけていたのか、どうして写輪眼を開眼しているのかなど、訊きたいことは山ほどある。
だが、それよりも心を占める思いがあった。
―――どこにいる?
あの手は、どこへ行った?
しっかりと握っていたはずの掌には、何一つ残っていない。
それに歯噛みしながら、頭にはしる痛みを抑えてすぐに立ち上がる。暗く冷え切った廊下から屋敷の気配を探れば、普段は使われていない大広間に人が集まっているようだった。
最後の言葉が、広間へと走るイタチの脳裏をめぐり、早まっていく鼓動に胸元を握り締める。
そこにいてくれと、信じてもいない神に祈りながら、閉ざされた襖に手をかけた。
「サスケ!!」
「イタチ…起きたのか」
何十対もの目がこちらに集まる。部屋には酒のにおいが充満していた。
忍の三禁として、祝い事や通夜等の機会以外での飲酒は一族内で忌避される。そんな彼らがここまで飲むとは、何があったのか。
増していく不安を押し隠し、部屋をくまなく目で探す。
イタチはそこに望んだ姿のないことを悟ると、すぐさま身を翻した。
「待てよ、イタチ!」
「そこを退け、シスイ!邪魔をするな……!!」
瞬身の術を使い、目前に現れたシスイがその行く先を阻む。
それに苛立ちながら、焦るイタチは紅に染めた眼で睨みつけた。
繰り返し繰り返し、蘇るあの言葉の数々。あの微笑み。
まるで、そう、もう会えなくなるとでもいうかのような。
―――急がなければ。
イタチの焦燥は、最早頂点に達していた。もはや恐怖と言ってもいい。
クナイがあれば躊躇わず投げていただろうが、服は寝衣に替えられ忍具入れはここにない。写輪眼を使ったとしても、イタチ以上に幻術に長けているシスイは容易く解除してしまうだろう。
それでも腕をつかむシスイを何とか振り払おうと、イタチはチャクラを練り上げて火遁の印を結んだ。
「イタチ、落ち着け!」
「……父さん」
唇から灼熱の炎が吹く寸前、父の一喝が廊下にビリビリと轟いた。
普段よりも一層険しい顔つきの父。しかしながら、その顔は一面赤く染まっている。酒に弱いというのに、かなりの量を飲んだらしい。
イタチが瞼を閉ざし、再びそれが開いた時には紅は消え失せていた。闇雲に探すよりも、事情を知っているであろう父達に訊く方が効率的だったからだ。
イタチは息を大きく吸い込み、常の冷静さをようやく取り戻した。
「イタチ…サスケは、死んだ」
「なっ……!?」
取り戻した、筈なのだが。
そのたった一言に、取り繕った冷静さがあっけなく瓦解した。
―――死んだ?サスケが……?
卒倒しかけたイタチをシスイが慌てて支え、青を通り越して真っ白なその頬を、ペチペチと軽く叩いた。
「ちがっ……おい、しっかりしろ!頭領も言葉を選んでください!!」
「む……」
「あなた、酔っているなら黙っていて。私が説明するわ」
泣き腫らした、それでも何か吹っ切ったようなミコトに、フガクはたじろぐ。
すごすごと場所を譲ったフガクを、シスイの両親が慰めているのが視界の端に見えた。
「……イタチ。よく、聞いてちょうだい」
何とか落ち着いたイタチに、ミコトはぽつぽつとこれまでの経緯を事細かに語った。
里の書簡。集会。人質。契約。
次々と入ってくる情報を、イタチの優秀と称される脳は嫌でも理解してしまった。
「『うちはサスケ』は死んだのよ。写真も服も、玩具も、全て処分したわ。夜明けに……あの子の記憶も消される」
サスケは一族に庇護されていた。サスケを知るものは一族を除けば猫バア位のもので、戸籍を抹消すれば、それだけでその存在は簡単に消える。
仮に血の関係を疑われようとも、うちは側が白を切れば、他人の空似。証拠はない。
だからこそ、アカデミー入学前を狙ったのだ。他の繋がりを、持たぬうちに。
「里で会ったとしても、もう……他人なの」
ミコトの目からあふれ出る涙こそ、イタチにとっては他人事のようにしか映らない。
信じたくなかった。それでも、実際弟はここにいない。自分も涙を流せたなら、この空虚さは去ってくれるのだろうか。
呆然と朧気な喪失感に溺れようとしていたイタチを、腕に走った痛みが現実に引き戻す。
これまた泣きそうな顔で睨むシスイに、ぼんやりと焦点をあわせた。
「イタチ……お前が、諦めるのか」
感情を押し殺した、唸りのような、呻きのような。
そんな声だった。
「兄弟のお前が、諦めるのかよ!!」
口内に血の味が広がる。
頬を殴られたと気づいたときには、冷たい壁に叩きつけられていた。衝撃に咳き込み、痛む頬を押さえる。
諦める……確かに、そうなのだろう。親友だ、きっと今の自分よりもイタチの考えを見抜いている。
契約はすでに成立した以上、イタチは口を出せない。下手に動けばサスケの身が危うくなるからだ。
そして、何より戦争を回避する為には、良い方法だと理性が判断していた。
そう考える自分を嫌悪し、イタチは顔を歪めた。
「……どうしろと」
次いで湧き上がってきたのは、燃えるような怒りだ。
イタチはその激情に身を任せて、シスイの胸倉をつかんだ。
「俺に、どうしろと言うんだ……!!」
帰ってきたときには、全てが終わっていた。何も、自分には出来なかった。させてもくれなかった。
そんな状態でどうしろと?
第一、お前は動けた筈だ。一体、何をしていた?
この怒りは何も出来なかった自分への怒りだ。それを知りながらイタチはシスイへ矛先を向けた。
理不尽ともいえる。ただの八つ当たりだとわかっている。それでも、この荒れ狂う感情を、ぶつけずにはいられなかった。
「今更だろう!!もう全て終わっている!」
こちらを意に介すこともなく、東の空は明るい光に満ちている。
今から里へ走ったとしても、もう、間に合わない。
何も、出来なかった。
弟が生まれた日から。俺の指を握ったその時から、守りたかった。守ると、誓ったのに。
「もう……遅い……」
シスイの胸倉をつかむ手が震える。それを押さえ込むように歯を食いしばった。
任務に行かなければ?
任務を早く終わらせていたら?
もっと速く駆けていたら?
もっと強くあの手を握っていたら?
それは全てが仮定の話で、そんなものを考えたところでどうにもなりはしないと言うのに。
何もかもが終わってしまった。遅すぎたのだ、自分は。
ふいにポタリ、と足元に水滴が落ちる。
それは一つ二つと数を増していった。
「遅くなんてねぇ…!まだ出来ることは山ほどあるんだ、お前がそんなんでどうすんだよ!!」
怒鳴ったシスイから襟首をつかみ返され、身長差から息が苦しくなる。
涙をたたえてこちらを睨む目が、間近に迫った。
「やれることはあるだろ……!俺たちが、うちはを変えるんだ!」
―――うちはを、変える?
思いもよらないシスイの発言に、イタチは怪訝そうに眉根を寄せた。
そんなイタチに、シスイはもどかしげに再び口を開いた。
「里の信頼を得るんだよ、人質なんざ必要としねえくらいに!そうすりゃ、サスケちゃんだってまた……また、帰って来れるだろうが!!」
シスイの言葉が、イタチの心を揺さぶる。
もしも人質が、必要なくなれば。そんな関係が、つくれたら……?
それはイタチとシスイが長年尽力していた道だ。しかし一族と里の溝は深まるばかりで、一向に改善しなかった。
―――もう、無理なのではないか。
そう思い始めたのは何時だったか。
目を伏せたイタチの考えを汲み取ったのか、シスイの眦がさらに吊り上った。
「だから、諦めるんじゃねえよ!……いつかは分かり合える。人質なんていらねぇ日が来る!そんな日を実現させなきゃ……サスケちゃんに合わす顔、ねぇだろ……!」
ボロボロと大粒の涙を流しながらの言葉に、イタチはハッと目を瞠った。
何も言わなければ人質にならずにすむというのに、自分から進み出たというサスケ。
殺されるかもしれない。目を抉られる可能性だってある。どういう扱いをされるかも分からない。
条件すらもまだ決まっていない、そんな余りにも不確かな状況の中で進み出た、その覚悟は。
「お前が諦めるのか?弟の覚悟を、無駄にするのかよ!?」
そうだ、状況は変わった。サスケが変えた。
クーデターの根本的な動機である、うちはの不満は解消される。クーデターを起こす意味が無くなるのだ。
弟の強い瞳を思い出し、途端に自分が酷く情けなく感じた。
諦めるのか?サスケを犠牲にしたうえで、ただ今ある日常を甘受するのか?
嘆いているだけで、何もしないのか?
『いってきます』
サスケは死んでいない。
それなら、まだ希望はある。
闇に差し込む光のように、イタチの進むべき路が照らし出されていく。
ふと、あたたかな手が肩に添えられた。
―――白く細い指先は母のものだ。
反対側の肩に、また手が置かれる。
―――肉厚なその掌は父のものだった。
「私も手伝うわ。里の対応を変えたいなら、私たちから変わらなきゃ、ね」
「俺も協力しよう。大切な家族だからな」
足音が聞こえた。一つ二つじゃない、もっと多くの。
振り向いた後ろには。
「あたしもさ。子供は宝だからね」
「微力ながら私も力添えするよ」
「まあ、幼い子供にあそこまで言われては、な……」
「我らが何もしないでは、立つ瀬が無かろう」
母が、父が、シスイの両親が、一族が。狭い廊下にひしめき合う。
その目は優しく、そして赤い。写輪眼の紅とは違う、人としての悲しみの痕跡がそこにあった。
「……な、出来そうだろ?」
「ああ……そうだな」
もしかすると、もう変わっているのかもな。
結束する一族を顎でしゃくりながら、悪戯っぽく耳打ちして、シスイは乱暴に涙をぬぐった。
それとは逆に、悲しみや虚しさからではなく彼らの姿に、イタチの目頭が熱くなっていく。
闇も確かに存在していた。
けれど闇に囚われすぎて、すぐそこにあった光に目を向けていなかったのかもしれない。
イタチの頬を、久方ぶりに涙が濡らす。
その涙は、朝日と共にキラキラと輝いていた。
◆
『ただいま』
その言葉を、俺たちはいつまでも待っている。
『おかえり』
その言葉を、今度は俺が一番に伝えたい。
兄さん、この時まだ11歳。うちは虐殺は12歳……。原作むごい。
【人質に反対】
・本当にサスケのことを思っていた人
・頭領(上司)の息子だから反対した人
・外聞が悪いから反対に便乗した人
・倫理的に子供だからと反対した人
【人質に賛成】
・現実的に考えて良い策だと計算した人
・自分たちがよければいいという人
うちはにも色んな人が居たわけです。
でも、強制ではなく自分の意思で進み出たから、というのもあって、自分たちのために命賭けるって進み出た子供に全員心打たれています。
そういう子を裏切ること=クーデター実行って難しい。特にサスケは『里も守りたい』って訴えていたし、うちはの不満は解消されるので。
情の深い一族ですから、きっと結束したら最強でしょうね!どうぞ今後の活躍をお楽しみに(^^)