「スッゲェ…!部屋が広く見えるってば!」
「おい、はしゃぐな。埃が立つだろ」
「おお!なんか布団がいい匂いしてる……!」
ベットでゴロゴロ転がりながら歓声を上げるナルトには、サスケの苦言は全く届いていないようだ。
干したばかりの白いシーツに、早くも皺を見つけて呆れながら、サスケは改めて埃一つ落ちていない部屋を見回した。
服やシーツをまとめて洗濯機に突っ込み、出しっぱなしで腐っていた牛乳やラーメンの残り汁を下水に流し、里の郊外にあるごみ処理場まで何度も往復し。
幼い体は疲労で気怠いが、結果この部屋は見違えるように綺麗になった。もう夕方だというのに、部屋に入った当初よりも明るく見える。
こんなものかと満足げに額の汗を拭っているサスケに、エネルギーを欲する身体がグウ、と空腹を訴えた。
───そうだ、忘れていた。最後の一仕事が残っている。
「サスケサスケッ、ベット凄ぇフワフワしてる!お前も来てみろってばよ!」
「俺はいい。それより……夕食、何食いたい?」
「夕食?味噌ラーメン!」
「違ぇ」
頭がまた痛くなってきて、蟀谷を押さえながら、どう言ったものかとしばし躊躇う。
今日の昼食はカップラーメン。冷蔵庫の中は腐った牛乳だけ。二抱えもあるゴミ袋の中身も、そのほとんどがカップラーメンの空き容器ばかりだった。
これがナルトにとっての日常的な食事であるのは明白で、掃除の最中に一人カップラーメンを啜るナルトの姿が見えた気がしたほどだ。
コイツが体調でも崩したら、不本意ながら共に住むことになった自分が看病せねばならない。
それが面倒だからだ、と誰かに言い訳をしていれば、『え?じゃあ醤油?』とウスラトンカチな発言をするナルト。
───ナルトは人柱力。そうそう体調は崩さないだろう、と囁く声は聞こえない振りをして。
「飯、作ってやるって言ってんだ。さっさと決めろよ」
少し早口に告げた言葉に、ナルトが鯉のようにあんぐりと口を開けた。
◆
「10両か…」
はたしてこれは安いのか、高いのか。
サスケは卵のパックを片手にしばし思案していたが、答えなど出てくるはずもない。
結論を出すことを早々に諦めて、子供の身体の半分程もある買い物かごへ卵を入れた。
この時代の木ノ葉は、人口に対して資産は案外少ない。戦力で見れば五大国一だとしても、経済力はイマイチだったりする。
サスケはアパートへ着く前、給付金を渡されてはいたが、その額は決して多くはなかった。
健康云々はともかくとして、経済的になるべく節約する必要がある。
しかし、アパートからは少し離れたスーパーへ来ていたサスケには、如何せん相場というものが分からなかった。
あの夜以降は一族の遺産があり、値段を特に気にすることはなかった。大蛇丸の所では買い物すらせず、小隊の頃も自分で料理などしない。
旅をしていた時は、僻地にスーパーなんぞある筈もなく、獣を狩り山菜を採って食べという自給自足。旅を終えた後も食事を作るのは妻で、隻腕に気を遣われたのか、家事の手伝いは大抵断られた。
そんな過去の朧気な記憶さえ、この時代の物価とは異なるのか、金額の差が大きい。
今度別のスーパーにも行こう、とサスケは密かに里内スーパー巡りを決意しつつ、肉や野菜、調味料なども次々に手に取っていく。手痛い出費ではあるが今日ばかりは仕方ない。
夕食にナルトが希望したのは、オムライス。その材料が揃っているかを確認して、サスケはレジへと向かった。
「おや、お使いかい?いい子だねぇ」
レジ係の中年女性は、お煎餅屋のおばさんとどこか似た雰囲気をしている。更に同じことを言うものだから、サスケは小さく笑った。
「ーーー……っ、……て…!」
「ーーーー、あ……は……!」
会計を済ませ、レジ袋を受け取った時だ。ふと出口の方から喧騒が聞こえた。
何故か悪い予感がして、そちらへと急ぐ。やがてナルトの気配を捉えると同時に、心臓が凍りついた。
「バケモノのくせに……!」
辺りは騒がしく、多くの野次馬に囲まれてその中心で何が起きているのかは見えない。
それでもその高い声で叫ばれた言葉と、一拍置いて響いた頬を張る音だけは、はっきりと耳に届いた。
「───俺は…、俺は………!!」
野次馬の足と足をかき分けて、どうにか中心へと身を捩る。隙間からやっと金髪が見えた。
野次馬から一歩距離の空いた場所には、ナルトと共に腹の大きい妊婦が立っていた。
「ナルトっ…!」
「!!」
余りにも頼りなく、小さなその姿。手を伸ばして、必死に名前を呼ぶ。
そして。その蒼眼が、サスケを捉えた瞬間。ナルトは更に顔を歪ませ、スーパーを飛び出していった。
「全く…あんなバケモノまで来るなんてね」
「本当に困ったもんだよ」
「ウチの店にまた来るようなら、叩き出してやるさ!」
泥のように纏わりついてくるのは、悪意。
聞きたくないと思うのに、嘲笑を含んだ言葉の数々が胸を刺す。
「なんの騒ぎだい?」
先ほどの気のよさそうなレジ打ちのおばさんが、中央にいた妊婦へと問いかけた。
「さっき九尾の子供がぶつかって来たの」
「何だって!?子供のいる女にぶつかるなんて!ロクなことをしないね、あのバケモノは」
「この子を殺そうとしたのよ。里に野放しにするなんて、三代目は何をお考えなのかしら……」
大切そうに、お腹を撫でる若い女性。
そのハシバミ色の目には慈愛が満ちていたが、ナルトを睨みつけた憎悪の目でもあった。
きっとぶつからなかったとしても、ナルトが近くにいるだけで、あの目を向けるのだろう。
───分かっていたはずだ。
こうなることなんて、簡単に予測できたはずだった。
七班だった頃、棘のある視線がアイツへ向かっていることには気づいていた。その頃は自分のことで手一杯で、何も出来なかったけれど。
そして、帰ってきた時にはナルトは里中から慕われるようになっていたのだ。
それはナルトが何年もかかって、苦労して手に入れたものだった。
アイツが明るく笑うから。だから、忘れていた。
レジ打ちの女性が、ふと足元に転がっていた何かを拾った。
今コマーシャルで宣伝されていて、ナルトが食べたいと騒いでいたカップラーメンだった。
「これは?」
「ああ、それならあの子がぶつかった時落としたものよ」
「万引きでもする気だったのかねぇ。まぁいい、捨てて…「俺が買う」……え?」
もう黙ってはいられなくて、サスケはキョトンとする二人を無視して、財布から十分だろう金を取り出す。
さっき買ったばかりだったから、値段だって覚えている。それを押し付けると同時にラーメンを奪いとった。
「あ、ちょっと!それはさっきのバケモノが───」
「ナルトだ」
「……?だから、」
「あいつはナルトだ。バケモノなんかじゃない」
静かな怒りを滲ませたサスケに、レジ打ちの女性は押し黙った。
何だ何だと再び集まり始めた野次馬にも聞こえるように、サスケははっきりとその言葉を繰り返した。
「ナルトがぶつかったことは謝る。すまなかった」
「え、ええ…」
「だが、あいつはバケモノじゃない。ただの子供で……アンタの腹にいる子供と、何も変わらない」
「何ですって!?」
淡々と述べていくサスケに押されていた妊婦だったが、その言葉にカチンときたようで、般若のように目を尖らせた。
「あの子は九尾のバケモノなの!あなたは知らないだろうけどね、あれに私の息子は殺されたのよ…!そんなものとこの子を一緒にするなんて……!!」
「……もしも。もしもアイツが、バケモノだとしたら」
ヒステリックに叫ぶ女の言葉を遮って、彼女と周りで聞き耳をたてている人々を静かに見つめた。
浮かぶのは怒り、憎しみ、悲しみ。大切な誰かを無くして、その苦しみをぶつけている。
───けれど、きっと本当は気がついているのだ。
「アンタ達は、今頃死んでいるだろうな」
女の目が揺れた。
化け物と呼びながら、蔑む。それは化け物へ石を投げるようなものだ。腹に赤ん坊の居るコイツが、命の危険を知りながらそんな事をする訳もない。
ナルトがただの子供だと、本当は全員気がついている。
それに見えない振りをしているのは、悲しみか怒りか、憎しみ故か。はてまた、周囲との同調か。
どちらにせよ、そんなものは言い訳にはなりはしない。行いは決して消え去ることはないのだから。
「そんなに何を驚く?アイツがバケモノなら…アンタの子供を殺した奴なら、アンタやその赤ん坊だって殺した筈だろ?」
「そ、それは……」
「アンタの息子を殺したのは、アイツじゃねえ。一人の子供をいい年した大人が寄ってたかって迫害する……バケモノはナルトじゃない、アンタ達だ」
そう言い置いてサスケはデパートを出た。
瞼を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。長旅で気配には聡くはなったものの、そもそもサスケは感知タイプではない為容易にはいかなかった。更にここは里の中心街。気配が余りにも多すぎる。
それでも必死に探していると、ふと大きなチャクラを感じた。一瞬だけではあったが、これほど禍々しさを持つチャクラは数える程しかないだろう。
「……ナルト」
かくしてナルトはそこに居た。
ギィ、と揺れるブランコ。木の葉公園だ。
ナルトは予想に反して泣いてはいなかった。ただじっと楽しそうに遊ぶ子供達を見つめている。
サスケは何も言わず、ナルトの隣のブランコに腰かけた。
夕日が照らす柔らかな光が子供の長い影を作り出す。それをぼんやりと眺めていた。他の影と重なったかと思えば、また離れて、すれ違って。子供の高い笑い声と共に、動いていく。
やがて影が見え難くなってきた頃、遠くから彼らの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。彼らの親が迎えに来たのだろう。
「ほら、帰るわよサクラ!」
「はーい…」
その中の一つの名前に、知らずと聞き耳を立てる。
残念そうな声は、まだ遊びたいという気持ちの現れか。
「じゃあね、また明日!」
「うん。バイバイ、いのちゃん!」
また一つ、懐かしい同期の幼い声が。
よくよく耳を澄ませれば、他の同期の声も別の方向からちらほら聞こえた。
「ねえ、ママ。今日のお夕飯はなぁに?」
「今日はハンバーグだよ。この前食べたいって言っていただろう?」
「やった!ありがと、ママ」
一人、また一人と親と手を繋いだ影が消えていく。夕日が完全に沈んで他に誰も居なくなって、ようやくサスケはチラリと隣を伺った。
ナルトもまた、先程サクラが帰っていった路を見詰めていた。
「……やっぱ、ハンバーグ食べたいってば」
ボソリと呟かれた言葉を拾い、オムライスという注文がどこから来たものかを悟って、苦笑しながら「明日な」と答える。
だが、本当に言いたい事は違うだろう。また生じた沈黙を破ることなく、静かにサスケはナルトの言葉を待った。
「俺さぁ……化け物なんだって」
まぁ、オレ様のスッゲーさいのーが羨ましいんだってばよ!
ニシシと笑うナルトだが、それが却って痛ましく映る。
「オレは火影になるんだし、さっきのなんて気にしてねーし!」
「……」
「あとでギャフンって言わせてやるんだってば!」
「………」
「里のみんなもわかってねーよな。オレ様が本気になれば、チョチョイのチョイだってのにさ!」
「……………」
「だってさ、だってさぁ!オレってばオトナだし?あんなんどうってことねーし」
「……………………」
だからさ、俺ってばココロ広いからさ、許してやるってばよ!
そうナルトは続けた。
ナルトは強い。否定されても、拒絶されても、立ち向かう勇気がある。だが、だからといって傷つかない訳ではない。
───俺もかつて、ナルトを傷つけた一人だった。
それが、突きつけられる。
本当は、さっきの奴らにだって偉そうに言える立場でもないのに。
「………お前もさぁ、オレが化け物だって、」
「思わない」
信じられない、と目を瞠るナルト。だがその言葉は混じり気のない真実だ。
何度も否定し拒絶し、傷つけた。それでも、俺はナルトを化け物とは思ったことはない。
「お前はドベでビビリでウスラトンカチで───」
「何だと!?」
「───俺のライバルで、友達だ」
「………!!!」
暗くてよかったと心底思う。顔が赤くなっている自覚はあるからだ。
そんな空気を変えるようにブランコから立ち上がると、スーパーの袋がガサリと鳴った。
早く冷蔵庫に入れないとな、と考えながら小さな掌を差し出す。
「帰ろうぜ、ナルト」
「……おう!」
繋いだ左手と右手は、和解と引き換えに失った筈のもの。
それをやり直せるならば、今度は俺がお前を救えるだろうか。