「よし……完成だ………!」
サラサラと休まず動いていた筆が止まり、サスケは満足そうに書き終えた巻物を眺めた。
複雑な術式、それと共に記された説明書き。紛うこと無き忍術書だ。
そこに記された術の名は『多重影分身』───そう、未来のナルトの十八番である。
通常忍術というのは、実際の使用者から伝授されるのが最も効率的ではある。
しかし、サスケは元々この術を使えない。それどころか、ある一部の者達を除き、使えば死ぬ危険がある代物だったりする。
この術の使用者は何十、何百もの影分身を作り出すことが可能となるが、少しでもコントロールが失敗したりチャクラが不足していた場合、チャクラ枯渇によって命を落とす。
術を習得する方法は伝授ともう一つ。術式の記された忍術書を読み解くことだ。しかし、その術式は遥か昔に禁術として封印され、火影邸に厳重に保管されているという。
だから、サスケは『作った』。
ナルトの使用していた姿から術の構成、理論、チャクラの作用………一から百まで、その全てを紙面へ見事に再現した。
それはもはや、再度術を編み出したと言っても過言ではない。
実際使うわけにはいかないから発動する保証はなくとも、あらゆる分身系統の術を調べまくったからか、成功したという確信がある。
体術や手裏剣術は修行をつけてマシになったものの、ナルトは九尾の封印の影響からチャクラコントロールは苦手で、その中でも特に分身の術は相性が悪い。
歳を重ねるごとに不安も増し、術式制作に手を出し始めたのが二年前。
万一ナルトが卒業出来ず第七班にもなれなかったら。そんな保険の為だけにサスケは年月を費やし、それも遂に日の目を見る。
───それにしても、一体ナルトはどのような経緯でそんなモノを手に入れたのだろう。
サスケはのんびり茶をすすりながら、何度も思った疑問に頭を捻った。
七班であった期間は数ヶ月ととても短く、むしろ大蛇丸と過ごした時間のほうが余程長い。
里へ戻ってからもサスケは旅ばかり。次第にナルトは火影となって激務に追われ、そんな話をする機会は決して多くはなかった。
だからサスケは知らない。
今、何が起きているのかも。
(火影に頼んで貸してもらった………ないな。この里で使える奴がアイツ位だったとしても、そんな禁術をポンポン貸してたまるか。他里に渡ればコトだしな。……だったらどうやって………?)
茶をまた口に運ぶ。丁度よい渋みとほのかな甘みに頬を緩める。
まぁ、とにかく書は完成した。どうやって渡すかという問題はあるが、これで───。
「あのガキ、どこ行った!封印の書を盗むなんて……!」
息が詰まって、茶が喉を逆流した。気管に少し入ったらしくガハゴホと涙目でむせていると、更に追い打ちをかけるように十数名の足音がやってくる。
「やっぱり殺しておけばよかったんだ!!やるなら妖狐の力が出る前だぞ!!」
「どのみちろくな奴じゃねーんだ、見つけ次第殺るぞ!!」
オオオオ……!
同意の声を上げる、殺気立った忍一同が去ってきっかり一分。サスケの脳が稼働し始め、わなわなとその固く固く握りしめられた拳が震える。
───ビキッ。
握ったままだった湯呑みに大きなひびが入った瞬間、サスケの姿は闇に溶けたかの如く消え失せた。
誰もいなくなった部屋。支えるものが無くなった湯呑みは、忍術書の上に落ちていく。
バシャリと広がった茶の緑に、真っ黒な墨が滲んだ。
◆
『お前が、イルカの両親を殺し里を壊滅させた九尾の妖狐なんだよ!!お前は憧れの火影に封印された挙句、里のみんなにずっと騙されていたんだ!!』
月明かりの中、ナルトは何かから逃げるように巻物を抱きかかえて走っていた。
ミズキ先生……いや、ミズキの言葉がずっと耳から離れない。
確かにずっと、ずっと不思議に思ってた。何でオレってば嫌われてんだろうって。でも……そっか。みんな……イルカ先生もサスケも、クラスの奴らも、きっとみんなして。
『お前なんか、誰も認めやしない!!』
昏く翳った心に呼応するように、力が湧いてくるのをナルトは感じた。殺せ殺せと何かが囁く。
『そうだよなぁ……ナルト…さみしかったんだよなぁ…。苦しかったんだよなぁ…』
『ごめんなぁ…ナルト。俺がもっとしっかりしてりゃ、こんな思いさせずに済んだのによ』
………かと思えば、イルカ先生の声がこだまして。昏い何かが少しだけ引いていく。さっきからその繰り返しだった。
繰り返すうちに、訳も分からない衝動に叫び出したくなった。ぐるぐる渦巻く腹の中の何かに混乱して、突然知った色んなことにどうしたら良いのかわからなくなって。
グチャグチャな思考のまま、ただひたすら動かしていた足がもつれる。そのまますっ転んで、ひねったらしい足の痛みを堪えて木の影にうずくまった。
(痛ェ……動けねぇってばよ……)
ふと、その痛みに幼い頃の記憶を思い出した。アカデミーの演習で、森の奥深く、木の根っこにつまずいて足を挫いたことがあった。
降り出した雨に打たれて身体が震えて、誰も来なくて、心細くなって。このままここで一人ぼっちで死んでくのかなって泣いてたんだ。
そしたら───。
「ナルト!!」
ハッと顔を上げると、少し遠くで自分の名前を呼ぶイルカ先生がいた。
こっちに近づいてくる。捕まる、逃げなきゃ。そう思ってナルトは立ち上がろうとしたが、半日以上の術の修行で体力は既に限界で、へたり込んでしまった。
「早く!巻物をこっちに渡すんだ!ミズキが巻物を狙っている!!」
気づかれた。巻物を抱え直したのだけれど、何故かイルカ先生はこっちを向いてない。そっと木の影から様子を伺うと、丁度オレがイルカ先生にタックルかました所だった。
……でも、オレはここにいる。アイツは偽物だ。
気付いたと同時に、二人の姿が変わる。いや、元の姿に戻ったのだ。イルカ先生はミズキに、オレはイルカ先生に。
「ククク……親の仇に化けてまでアイツをかばって何になる」
「お前みたいなバカ野郎に巻物は渡さない……!」
「バカはお前だ。ナルトも俺と同じなんだよ」
「同じ……?」
ギクリと体が強張ったのが自分でもわかった。
同じ、確かにそうかもしれない。
ミズキもオレも、ずっと誰かから認められたかった。それでも、里のみんなは耳を貸そうともしなくて。それを恨んだことなんて数え切れない。
「あの巻物の術を使えば、何だって思いのままだ。あの化け狐が力を利用しない訳がない。アイツはお前が思っているような……」
「ああ!」
ほら、やっぱりだってばよ。
予想出来たその肯定の言葉に、ナルトは唇を噛み締めた。
イルカ先生は他の先生がヒソヒソ囁く中、オレがイタズラすれば怒ったし頑張ったら褒めてくれた。だから他の先生とは違うって、そう思ってた。
だけど、違ったんだ。ずっとオレを憎んでて、本心ではオレのこと……………認めてねーんだ。
きっとアイツだって、本当のこと知ったら。
「───バケ狐ならな」
イルカ先生の穏やかな声に、ハッと顔を上げた。真っ直ぐにミズキを見詰めるイルカ先生の顔が、オレの位置からも見えた。
イルカ先生は、笑っていた。いつものように。いつもの、真っ直ぐな目で。
「けどナルトは違う。あいつは……あいつはこのオレが認めた、優秀な生徒だ。努力家で一途で……そのくせ不器用だけどな。でも、あいつはもう一人ぼっちじゃない。人の心の苦しみも愛情も、どっちもよーく知っている」
手裏剣術や忍術のテストで落ちた時も、日が沈むまでずっと見ててくれた。迷子になった時だって、捜しに来てくれた。
いつだって、ずっと。オレは一人じゃなかった。その優しさが本物だってことくらい、俺にだって分かっていた。
「今はもうバケ狐じゃない……あいつは木ノ葉隠れの里の、うずまきナルトだ」
嗚咽を堪えるので精一杯で、頬を流れる涙を拭うことも出来ない。
気付けばもう腹の中で燻っていた冷たい何かも、いつの間にか溶けていて。溢れていく涙が熱くて熱くて、仕方なかった。
「……ケっ!めでてー野郎だな」
身じろぎしたと同時に背から血が噴き出すイルカ先生に、ミズキが大きな手裏剣をかまえる。
イルカ先生の傷はさっきオレを庇った時に出来たもので、かなりの傷だってことがオレにも分かった。
そんな傷で動き回っていては、もう動くことが出来ないはずだ。
「イルカ……お前を後にするっつったが、やめだ───さっさと死ね!!!」
慌てて立ち上がろうとしたが、ズキンと痛む足首によろめく。その一瞬の間に、ミズキの手裏剣が恐ろしい勢いで投げられた。
「イルカ先生!!!」
「ナルト!!?馬鹿、避けろォォッ!!」
痛む足を引きずって、木の影から飛び出す。
驚くイルカ先生を背に庇って、迫りくる鋭利な刃にギュッとキツく目を瞑った。
「……………?……うわぁぁ!!」
来るだろうと身構えていた痛みは、いくら待っても来なかった。
恐る恐る目を開けると、目の前に手裏剣の切っ先があって後退る。後ろにいたイルカ先生にぶつかって先生が呻いたけど、でもあと数センチで眼ン玉に刺さるような位置に手裏剣があれば、誰だって同じ反応をしたと思う。
やがてクルクル宙で回転していた手裏剣が止まって、カランと地面に落ちた。その手裏剣の真ん中、持ち手を貫いていたのは大地に深く突き刺さったクナイだ。そしてその柄から伸びる、細い細いワイヤーを辿る。
その線の先、かなり離れた場所に誰かがいた。
ピンと張られていたワイヤーが緩んだかと思えば、一瞬にして目の前にオレ達を庇うようにして立つ影。
「こいつらに手ェ出すんじゃねぇ……殺すぞ」
ミズキとは比べ物にならない、殺気。こちらに向けられている訳でもないのに、身体が震えた。
身動きすれば、声を出したら、殺される。息を吸うこともできなかった。誰も動けず口も開けない。実際は数秒だったのだが、とても長く感じた時間。
やがて嘘のようにフッとその威圧感が消えた。
「……無事か?」
「…………………へ…?サスケ?」
呆けたオレに、サスケは常になく焦ったような顔で同じ言葉を繰り返す。
まだ状況が飲み込めないままコクコクと頷くと、ホッとしたようにサスケは表情を緩め、その形のいい瞳を歪める。その黒い瞳が少し潤んでいて───。
「ぇ……何でここに……?つぅか、ケガしてんじゃねえか!」
ポタポタと落ちる赤い血が地面の色を変えていく。サスケの両手はズタズタで、後から後から血が溢れてくる。その手に食い込むのは幾重にも巻き付けられたワイヤーだった。
ようやく状況が飲み込めて、サッと血の気が引いた。
「お前、何してんだってばよ!手ェ使えなく……!」
「ウスラトンカチ、それはオレのセリフだ!!!!テメェ、何しでかしたか分かってんのか、あ゛ァ!!?あと少しで……死んでいたんだぞ………!」
今まで何度か喧嘩はしたけど、そんなのと比べ物にならない激高に言葉を飲まれる。そうでなくても、かつて無いほど揺れるその眼を見てしまえば、押し黙る他なかった。
きっと、心配をかけたんだ。実際、サスケが来なけりゃオレってば手裏剣にぶっ刺されて死んでただろう。良くて目を失うことは避けられなかった筈だ。
よく見ればサスケの髪はボサボサで、その襟首はびっしゃりかいた汗で色が変わっていた。そこにはいつもの余裕は欠片もない。きっと里中を探し回ってくれたんだ。
それを嬉しいと思ってしまうのは、不謹慎だと分かってるけど、それでも。
「おい、聞いてんのかナルト!!」
「聞いてる。ごめん……ありがとな、サスケ」
サスケは眉間の皺を増やしたが、やがて諦めたかのように深いため息をついた。
「……ハッ!誰かと思えば餓鬼が一人増えただけか。まぁいい、てめーらなんざ今すぐぶっ殺して……!!」
「っ!お前達、早く逃げろ!!」
逃げる?冗談じゃない。
体中に力がみなぎってる。足だってもう、痛くない。
「やってみろ、カス!千倍にして返してやっからよ」
不敵に笑ったナルトはスッと両手を組んだ。
もう、怖くなんてない。オレは一人じゃないんだから。
「てめェーこそ、やれるもんならやってみろバケ狐ェェェ!!!」
───多重影分身の術!!!
一瞬あたりが煙に包まれる。
それが晴れたとき、周囲には数え切れない程のナルトの姿で埋め尽くされていた。
「なっ!なんだとォ!!!」
「「「「どうした、来いってばよ。俺たちを殺すんだろ?ほら!」」」
形勢逆転だ。冷や汗をかきはじめたミズキを囲み、数十、数百……いや、千人ものナルトはジリジリと輪を狭めていく。
ぽきりと腕を鳴らせば、ミズキの顔は面白いほど青ざめた。
「「「それじゃあ、こっちから行くぜ!」」」
薄っすら明けかかった空に、ミズキの悲鳴が響いた。
◆
(ったく……まさか、封印の書を盗んで習得するとはな)
ナルトがミズキをボコッている間、サスケは分身体とイルカから経緯を聞きつつ傷の手当てを行っていた。
イルカの傷も鎖かたびらを付けていたため見かけほど酷くはないし、手の傷も深くはあるが神経は無事だ。妻直伝の医療忍術なら、数日で傷も塞がるだろう。
包帯を巻き終えてようやく一息ついたサスケは、しゅんと落ち込んだ様子で包帯を見つめるナルトの分身体を一瞥する。
里中を必死に探し、森の中で手裏剣がナルトへ迫っているのを見つけた時には心臓が止まるかと思った。恐らくあと数秒遅ければ間に合わなかったろう。
そう考えて、サスケの頭にふと疑問が浮かんだ。
(未来が、変わっている……?)
傷による九尾の暴走で助かったとも考えられるが、もしも九尾が暴走したとなれば、過去のサスケでも分かった筈だ。
それにいくら治癒力が高いと言っても、深い傷なら治るまでしばし時間がかかる。班分けの時には怪我をしている様子はなかったように思う。
他の奴が助け出そうにも、森の奥深く、周囲に気配がないのだからそれも可能性は低い。
そう考えると、先程の状況は、以前は起きていなかったということだ。
サスケが未来を変えたと言うには、あまりにも違和感が残る。特に足首を挫いたなんて偶発的なもの。どうすることも出来ない。
(これから任務が始まれば、その違いが命取りになりかねない、か……)
そんなことをつらつら考えていれば、どうやらナルトの方も終わったのか一斉に影分身が解けた。
「ヘヘ……ちょっとやりすぎちゃった」
「馬鹿にはいい薬だろ」
「はは、まあこいつも少しは懲りただろうさ。ここからは火影様のお裁きに任せよう」
顔の形も変わったミズキを冷たく見下ろし、酷評するサスケを宥めたイルカは、次いで『ナルト』と呼びかけた。
「ちょっとこっち来い。お前に渡したいもんがある!」
不思議そうにしながらも、素直にナルトはイルカの所へ向かう。
そういえば、ナルトの額当てはイルカのお下がりだったはずだ。なんとなくこれからの流れが読めて、サスケはそっと後ろからナルトの目を塞いだ。
イルカがバレたか、と顎をぽりぽり掻く。
「サスケ?どうしたんだってば?」
「いいから少し待ってろ。……イルカ先生、まだか?」
「もうちょい、よし!もういいぞ、サスケ」
ゆっくり手を離すと、ナルトは自分のゴーグルがイルカの手に握られているのを見て、恐る恐る額を手で探った。
その額には、眩しい朝日を受けてキラキラ光る額当てが納まっていた。
「「卒業、おめでとう」」
今日から、俺達は忍になる。
オマケ:その後の話 in 一楽
「なぁなぁ!似合う??」
「…………あー、似合う似合う」
「そんな何回も確認しなくても、変わりはないぞ?」
何度も同じ質問をするナルトに呆れながら、サスケは適当に相槌をしつつ静かにラーメンをすすった。
「だってよォ、もう落ちたって思ってたし。それに、もしかしたらさ、サスケと同じ班になれるかもしれねーだろ?」
「それは……どうだろうなぁ。火影様はどの班も実力で均等に分けるから、どうなるかはお楽しみだ」
「それなら同じ班だろ。何せドベと主席だしな」
各班員を思うに他にも理由がありそうだが、まぁそれでイルカが納得しているならいいんだろう。
それに、ナルトも同じ班を望んでいることは少しだけ嬉しいと思って。照れ隠しに出たのは憎まれ口だった。
「オイ!自分で主席とか言うなよ!」
「事実だろうが」
「あーーもう、本当にお前ってばムカつくってばよ!ふん……どうせオレはドベだよ。お前はいいよな、何でも出来てさぁ。オレの気持ちなんて分からねーよ」
どうやら言いすぎてしまったか、臍を曲げたナルトをジッと見つめる。
でも、何だかその言葉には身に覚えがあった。
フッと頬を緩め、ポンポンとナルトのひよこ頭を軽く叩く。顔を上げたナルトの目に少しの昏さと後ろめたさを認めて、やはりなと笑った。
追いつきたいのに、追いつくどころかどんどん離されていく感覚。憎くて、大切で。羨ましくて、憧れで。
そんな奴が俺には二人いた。
「分かるさ、俺は最初から全部出来たわけじゃない。……どうやっても敵わない奴らが俺にもいた。ソイツらを追いかけている内に出来るようになっていたんだ。負けたくなかったからな」
「……サスケでも敵わねーの?」
「ああ。もしかすると今なら、力だけは勝てるかもしれないが───力だけが強さじゃないだろ」
一人は愛情。一人は諦めねぇド根性。
それぞれ完敗している。今だってどうしたって勝てる気がしない。
「よーーし!待ってろよな、サスケちゃんよォ!オレってばお前を抜かしてやる。そんでもって、そいつらにもオレが勝ってやるってばよ!」
「フン、調子に乗るなウスラトンカチ。あと十年……いや、百年早い」
「わかんねーってばよ!オレ様のすっばらしーい才能が開花して……!」
やっと一段落したというのに、口論を始めるサスケとナルト。
ギャイギャイと騒がしい二人を、イルカは優しく見守っていた。